1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. フロイトが催眠療法に失敗した..
2025-10-07 43:37

フロイトが催眠療法に失敗したということ【1260】

イマイチぐだぐだな回でした。
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サマリー

このポッドキャストでは、ライフハックに関する日常の難しさや継続の重要性が語られています。質の高いアウトプットを求めるあまり、自己評価が厳しくなり、生きづらさを感じる心理的側面が考察されます。フロイトが催眠療法を通じて直面した問題や、心理カウンセリングにおける基準の欠如について議論されています。また、スプリッティングという心理的プロセスがどのように現実認識に影響を与えるかも探求されています。フロイトが催眠療法を通じてドーラに直面した問題に関して、彼女の心の葛藤や不倫を巡る心理的リクエストが浮かび上がります。さらに、感情の扱いや現実原則に対する理解の変化についても触れ、精神分析における重要な理論の転換点が示唆されます。フロイトは催眠療法において、患者との関係を根本的に逆転させ、患者が主体的に自己を語ることを促します。この新しいアプローチは、心の深層を探るための重要な手段として、療法の本質に影響を与えました。フロイトが催眠療法の試みにおいて失敗し、そこで感じた自己の葛藤と現実との距離について考察されています。

継続の重要性
おはようございます。3チャレ通信第1260回をお送りします。
10月7日火曜日8時15分です。話すことが思いつきません。
まあこういうことも結構あるんですけど、こういう時にですね、普通は多分休むと思うんですよ。
で、ブログとか、まあ今ではともかくとしてブログとか、この種の情報発信と呼ばれているものは毎日続けるべきです。どうでもいいから続けるんですっていう
昔教えがあったわけですね。ライフハック界隈には。 私はどうでもいいから続けるって言われても、多分まあそれを言うってことは
続かなくなるからなんですが
私が今日やっているようなこれですね。これはもうそのライフハック界隈で培ってきた感覚なんですけど、言うべき言葉がなくてもとりあえず続けるというのはどういうことなんだろうなっていうのをですね
まあ 意識せずにはできないと言いますか
できないんじゃないですか。なぜなら普通こういう時休めばいいわけですよ。 これを休むと何が起きるかというと100日間ぐらい休むことが起き得るわけですね。
その 質の高いものだけを出したいという感覚っていうのは
パッと聞くと最もらしいんですけど、それは枕すぎるんだと思うんですね。 質の高いものっていうのを言った時にまだ何も考えられてはいないんですよ。
そこで何を語るのかということ。 対外質の高いものを語りたいって言ってる時の質の高いものは自分には語れないものを言ってる。
私の体感覚ではね。 あ、ちなみにこのソーダサンチャレ通信という名前になってからますますなんですけど
基本これはあれですからね。 なんだかの意味でこれはPRのためのあの番組なんで
サンチャレの内部の方になかなかこう もちろん聞いてくださっているのはわかっているんですけど
なんでこういうことを言ってるかというとやっぱりここで喋ってることってあまりにもその まあ僕の中ではですけどマス向けなんですよね
サンチャレでは1on1セッションやってるわけですね でこれはもうその人向けに僕はあのとことんカスタマイズしているつもりで
これよりは遥かに内容はマシになっていると思うんですよ これで話していることとあそこで話していることを同水準だとは
まあ私いくら何でも私でも思われたくはないと言いますか そういう意識はあるんですよね
だからこれはまあ聞き流すのがちょうどいいぐらいに これはなんかこう一生懸命真剣に捉えるみたいなものではないと思うんですね
自己評価と質の問題
もう一つこのサンチャレ通信はサンチャレ通信と言いつつ まあ要するに将来サンチャレにこれを聞いて入ってほしいなっていう
最初はそういうつもりは全くなかったんだけど 実はサンチャレにご参加される方のかなりの確率でこれをかなり
高頻度で聞いていらっしゃるという まあだからその人に向けて喋ればいいじゃんってことになるんだけど
その人に向けて喋るとしてもですね その人のことを僕まだ知らないわけなのでその人に向けて喋るためにはやっぱり
相当その方のことを知らないとできないっていうことが当然なんですけど あまりに当たり前なんだと思うんですができないんですよね
だからやむを得ずっていうのはおかしいんだけど これは私は特定の人向けに喋ってはおりませんが
私向けに喋ってはおります だからこれナルシシスティックな活動だなぁとは思うんですけれどもね
あくまでもこれはある意味私の精神分析的な何かであって だからいっときそういう名前にもしたことがあるんですけど
私が自分のこうある意味癒しとは言い難いんだけど 自分の分析をするためにこれを喋っているという感じですね
はいということで 話すことがあんまりまだ出てこないんですけれども
サンチャレ通信という名前にしたのは かなりサンチャレを意識してのことっていうのともう一つは
サンチャレ通信というものを作らねばって僕ずっと思ってたんだけど 未だに作れてないんですよ
もはや作れる気がしなくなってきましたので これをサンチャレ通信にしてしまおうと思ったということなんですね
でこれがこういうことが続ける秘訣だと僕は思ってるんですよ とにかく続けられることを
その水準に置くと 高品質のものをって言った時にはすでに自分には出せないもののことを言ってると私は思うんですね
私一度たりともそうでなかったことないんで 本にせよ昔の宿題にせよ
大学時代の卒論やペーパーにせよ 卒論僕書けているんですよ
いつも思うんですね周りの人たちの話を聞いていると できないことを人はやろうとしたがっていると
でそこで何かを諦めるのかとか妥協するのかっていう話になるんだけど そうじゃないんですね私が思う
私卒論は相当気合い入れたんですよ 精一杯やって自分ができるものというのは
その精一杯っていうのは相当の精一杯ですよ その僕滅多にない徹夜をして書きましたからね
で精一杯やってできるものの価値は 自分が見るとめちゃくちゃひどいものなんですよ
これが私の最高傑作だなと思えるものは 私が想像する最高傑作にはほど遠いんですよ
もうなんか大谷翔平と私のバッティングレベルぐらいの差があるんですよ 一歩間違うと特に若い頃
その差はものすごくひどくて だからみんな嫌になっちゃうんですよ
これをスプリッティングっていうんだと私は思うんですね この概念を天に入れたことは大変意味があったと思うんですけれども
もう天と地っていうのはまさにその通りで 自分の頭の中では頑張れば天のようなものが作れると思ってしまうようにできてるんだと思うんですよね
スプリッティングの作用として心の作用として でもできるものは絶対地なんですよ
だって地上のものしか作れませんからね ここでがっかりしないことなんですよ
いかにこの地上にあるものの最高傑作が素晴らしいかということを 一生懸命納得するんですよ
それをやらないと本当にこれはひどいものだというふうに 判断した結果として何が起きるかというと
地上にあるすべてのものを脱価値化するっていう事態が進行していくんですね
スプリッティングの概念
僕はこれが生きづらさっていうものの根本的な原因だと思うんです
そしてこれは悪いことではないんですよ これも大事なんですよね
理想を諦めるとかそういう話になりやすいんですけど 諦められるものならば
僕は理想を諦めることができるってことは 悟るってことだと思うんですよね
理想が諦められるぐらいならば苦労はないんですよ 諦めてないからそのセリフが出るんですね
私はこれを精神分析というんだと思うんですよ
どうしたらいいんでしょうっていうのは 行動に話を寄せてるじゃないですか
そしてどうしたらいいんでしょうというのは あたかも相手の答えは自分の答えより マシだという想定があるじゃないですか
しかし私は究極的にはそういうことはあり得ないと思うんですよね
だって例えば自分が書く卒論について どうやったらうまく書けるんでしょうっていうのは
自分の指導教官だって自分よりいい答えが 出せるとはとても思えないんですね
でも私は大学の私の指導教官が 私が生身で出会った中では一番優れた先生だと思うんですけれども
おそらくそうなんですが あの先生が幼児私に言っていたことは 身の丈にあったものを書けってことだったんですよ
それがつまりどういうものであるかはともかくとして 身の丈にあったものを書けっていう
これがベストなアドバイスなんですよ結局 身の丈にあってもないものは書けないからってことなんですね
これを私はその先生からもうほとんど2年にわたって つまりゼミにいる間ずっとってことですね
常に言われ続けていたほぼ唯一のアドバイスだった アドバイスみたいなものはいっぱいくれてるんだけど
あの先生もアドバイスとか到底好きな人ではなかったんで 唯一してくれてるアドバイスが
君の書いたものは君の書いたものでいいんだってことなんですよね
それは今思えば間違いなくリップサービスもあったというか 指示的な言葉でもあったんだけど
でもあの大学っていうのは私の行った大学って 卒論必修じゃないんで選択科目なんで
書く人誰もいないんですね もう書くだけで満点だくらいなノリがあるわけですよ
まあ書くだけでは満点くれない先生なんですけどそうはいいながら でも書く人が学年で2人とかしかいないんだから
書くだけで満点なんですよ結局はね だって書かなくてもいいんだから
私は単位がスーパーギリギリ人間だったんで 選択科目に卒論があるなら書かない手はないだろうっていうのがあったんですよ
だってもう危うく留年でしたから本当に あとある事柄がなければ留年ぐらいの勢いだったんで
その先生がなんとか手を回してくれるというね 素晴らしいことがもう御存命でありませんけれどもね
その先生に卒論書いてなければ僕は留年だったのはほぼ確実なんで
だから非常にね卒論は僕にとっては救いの何かだったんで
まあでもあれはいいことだったとは思いませんけれども別に
一つあそこで確実に学んだことは 自分がまともだと思えるものは一生作れないってことだということなんですね
でここでがっかりしないってことが大事なんですよね ここで皆さんすぐがっかりしちゃうんですよ
私もしょっちゅうがっかりしてたんです でそうすると何が起きるかというと欲物的な状態になって何もできなくなるんですよ
まともなことは絶対できないんだっていう まともなことってのは天井のものですから
いうならばなんて言うんですかね 心が作用しているスプリッティングしたものなんですよね
スプリッティングしたものってつまり物事の少なくとも多く見積もっても半分じゃないですか
半分のものはレクター博士の名言があるじゃないですか 半分ではアーチは立たないよっていう名言がある
アーチが半分立ってるだけですってクラリス捜査官が言うんですよね そしたら半分ではアーチは立たないよって言うんですよね
こういうことなんですよ 物事どんなに素晴らしく見えても良い反面だけの物事って現実にはないんで
私たちがパッと想像する優れたもの ちゃんとしたもの 真っ当なものってのは全部物事の良い反面を言ってるだけなんですよ
要するに太らないケーキみたいなものであって そういうものはないかかなりやばいものが混ざってるかのどっちかで
基本的にはないと思うべきなんですね だから私が想像する良いまともな学生が書くまともな質論ってものは
この世に存在しないんですね 私が書くっていうのが大事ですよ 他の人ならもっと良いのを書けろのかもしれないけど
そういうことはどうでもいいことなの ここも納得されないんですよね 他の人は一定の水準に達しているという
かなり頭の良い人でも 私はいつも思うんですけどサブチャレンにいる人は大抵私より頭が良く感じるんだが
フロイトと催眠療法
これをみんなが普通に信じているっていうのが ということはこの世はかなり絶望的にこれが信じられているなっていうふうに思うんですよね
一定の水準ってものはないんですっていうことなんですよね 先日私Xでこれはちょっとここで言うのは申し訳ないなともちょっと思うんですけど
まあでも言わせてくださいねって感じで 正規の心理師は最低の礼儀と最低の水準を備えているから正規に行きましょう
いやそんなの備えてないしそんなのそもそもないしっていう 最低の水準はまあ専門家のようなことだからよしとしましょう
ないと思うけど最低の礼儀ってやばいじゃないですか これを一定の水準の礼儀っておっしゃりたいんでしょうけどそんなものはないんですよ
なぜこれがないってことがあの世に流通しないのかなというか 流通してるんですけどね信じられてないんですよね
ましてカウンセリングに行って礼儀が最低だったら嫌じゃないですか このやっぱり何を言わんとしているのかわかりますよ
でも最低の礼儀と最低の水準でいいなら野良カウンセラーでもいい人全然いっぱいいますよね そんな人探すのは全然苦労ないですよ
で嫌な思いすると思いますよそれじゃ この一定の水準という嘘を
どんだけ早く捨ててしまえるかっていうことだなって思うんですよね
で恥ずかしいとかそういう話ではないんですよこれは だって私がその大先生ですよねある意味ねそのその界隈の
英米文学の世界の大先生のところに私がナルシスティックでいっぱいのソフト論書いたら 恥ずかしい決まってるじゃないですか恥ずかしいかどうかを言ったら
恥ずかしいかどうかというのはどうでもいいことなんですよ だって出したら満点なんだ出したら満点ってのは事実ですから
このどこに一定の水準があるかってそんなのないですよ 書いたところが一定の水準なのかというとあの先生だったら書いても d つけ
かねない時ところがありますから書いても d ってのあれですよ なんか小学生の作文が途中まででしたみたいなのだったら多分 d だろう
なとでもそれ出してない人よりマシじゃんって感じがするんだけど あれ選択必修じゃないんであれ選択必修なら出してない出してる人だったらどんな文章
でもマシだなって感じがするんですけどこれが一定の水準じゃないですか で人は一定の水準でこういうもんだと思ってないじゃないですか
もっとレイレーシーもんだと思ってますよね だから一定の水準でが完璧に嘘なんだと思うんですよね
私の学校あれですよものすごく偏差値が低いとか どこにでも誰でもそういう大学だとしても簡単に受かるとは言い難いんだけど
ではなかったですからね 学年の平均で言うと英語の偏差値でいうと70みたいな数字の世界でしたから
でこうですからね だから
これはですね一般のレベルが低いとか高いとかいう話とも全く関係ないと僕は思う パンにスプリッティングだけが見るべきなんですよ
だから理想を追いすぎるとか完璧主義とか変な発想になっちゃう そうじゃないんですよ
物事の良い反面だけで存在しているものもとは存在しないんだけれども 心の中や脳内の空想だけならば存在することができるんです
存在せしめることができる 良い反面だけでできているものっても作り出せるんですよ
誤字が一つもないとかねそんなの嘘ですから 新聞になって誤字ってあるんですから嘘に決まってるんですよ誤字が一つもない
卒論なんてそんなのは多分ないんだと僕は思うんですね でないものを作り出そうとしちゃう心の要素っていうのは万能空想という
何時のかな万能空想というのは一つの能力だと私は思うんですね 万能空想をやめましょうって話をしても無駄だと思うんですよ
能力なんで万能空想 スプリッティングをするのをやめましょうっていうのも
まあこの番組で言っちゃってるかもしれないけど基本無理だと思うんですよ スプリッティングをやめたら大変なことが起きますよっていうのを
この番組では何回も何回もお伝えしてますね だってあのね沖縄県にあった私見に行った2回目に行っちゃったんだけど港側陣の遺跡
食卓の下に死体が埋まってるっていう構図でしたからね 耐えられないでしょ今のね人たちだったら
食卓の下に死体が埋まっちゃなんでいけないのって港側陣人ですからねあれはグロマニオン 人とかネアンデルタール人じゃないですからね
完全に人なんで生活スタイルが今と違うって言うだけで全く同じ人間ですからね 全く同じ人間だということは耐えられないというのは作り出した感覚だった
本能とかじゃないわけですね でなんで作り出したのかって決まってるじゃないですか
衛星のためとかそういうことでしょ衛星のためじゃないと思うんだけどでも衛星上のためでも あるわけですね今となったらスプリッティングしてるわけじゃないですか
スプリッティングしない世界に耐えられるわけないですよね人間がみんなすぐ死んじゃいますよね だからスプリッティングというのは能力なんですよ
人間には欠かせない能力ただこれを空想の上に置いておけるから 現実にそれがないってことがだんだんわかんなくなってきているわけです
つまり我々は少なくとも無意識においてはやっぱり精神病水準が不活化してるんですよ こういう言い方が正しいんだと僕は思うんですね概ね
つまりスプリッティングしたものは物事の良い反面だけ切り取ったものなんだから このように存在するはずないのにあるって思っちゃうんですよね
でそれを作り出そうとするわけですそしてできねえと言って 絶望して欲打つ状態に入るわけですよ
これをただただ繰り返しているわけなのででしかもこれはよっぽど気をつけないとすぐやっちゃうことなので だから空想するのはいいんですよ
スプリッティングの影響
万能空想するのも世物事の良い反面だけでできた一定の水準に達した卒論とか 一定の水準に達した文章とか
一定の水準に達した小小説とか自分が作り出すものとしてって言うんですよ 世の中にあるものがその水準に達してる達してないって話ではこれはないですからね
自分が作り出すものとしてのそういうものを心の中に作るここまではいいんですよ それは現実にはできないということを忘れないことなんですね
半分ではアーチは立ちませんからね崩れ落ちるんで つまり現実にはないものを心の半分だけのアーチって心の中で作れちゃったから
クラリスタリングさんはそういうことを言ったじゃないですか 見てくれますよね半分だけで立っているアーチって心の中だけだったら
そういうことなんですよ 現実にはそういうものはこの世にないってことなんですね
で 現実にはそういうものがこの世にないとしても作っちゃうんで
作っちゃうのはしょうがないんでこれに腹を立てるんですよ今度は我々は 対象素質なんだけどこれは多分腹を立てるんですね
しょっちゅう腹を立ててましたもんラインハッカーの人たちはできないことはないはずだ できないんだけど
それを誰かに言っても無駄なんですけどね 誰かができるとかできないとか言ってることに腹を立てるんだけど
言ってることは関係ないんで作ったことないじゃんっていうことなんですよ 前にねなんだっけなぁこれも面白い話だなぁと思ったんだけど
あのおじいさんとセミナーしてる時だったと思うんですけど
あのそれでは太谷翔平にはなれませんみたいな話をした時に
しかし僕が言ったのか彼が言ったのか他の誰かが言ったのかちょっと忘れちゃったんですけどね
我々別に誰も太谷翔平になろうとしてないじゃないっていう話を何かがしたんですよね
と思うんですよね私はね誰も太谷翔平になろうとしてないじゃないですか
なりたいと思うことはあったとしても
なろうとしたことが1日たりとてあっただろうかっていう感じがするんですよね
ないと僕は思うんですよね本気でそんなことをやろうとする人なんて正気であればいないだろうと
つまりそれは狂気の差だなんですよ
だってそもそも人間が違うじゃないですか年齢も違うじゃないですか
体格に至ってはもう異常に違うじゃないですか
なれるわけがないじゃないですか
でなれないのが不幸だってことはありえないと思うんですよ
なろうとしたことがそもそもないのに
だからこれはある種の何かメタファーみたいなものなんでしょうけれども
えっとそしてそれは何度も何度も言う通り万能空想ですから
で万能空想は悪くないんで万能空想自体は
良いとか悪いとかいう話では全くないんで
私には万能空想がないとか思う人がいるのかもしれないけど
とんでもないことなんでそれは人間やめることになるんでほとんどの場合
ブッダになるとかは別かもしれない
でも私これ意味のないメタファーだなと最近思うんですよね
なれないことを前提にしてますからね明らかにね
なったことのないもの彼に万能空想があったのかなかったのか
わかんないじゃないですか
彼もスプリッティングしてたと思いますよ絶対に
多分寝てたとも思いますしね
どう寝てたのかとかは想像するとよくわかんなくなってくるんだけど
だからわからないんですよ要するにさっぱり
でやめた方がいいと思うんですよね
そういうものになれないということが未成熟であるというような発想を取るのは
これは私は全宗教の欠点だなってよく思うんですけどね
これあれだなガンダムの漫画描いた人
あの名前忘れた名前忘れるから不思議ですね
手塚治虫の名前忘れたぐらいなイメージですからね僕の中では
あの人名前難しいんだよなとにかく虹色のトロツキーとか書いてる人ですよ
まあいいやって彼が言ってたんですよね
ああいうキリスト教みたいな人がすごい立派なことをして
そのせいで死んだみたいなものを
あのペンダントに胸にかけるような宗教
僕は絶対にごめんだみたいなこと言ってた
だって圧倒的に罪悪化に苛まれるじゃないかっていうそうなんですよね
あれはやっぱり罪を意識させる宗教なんで
でも同じですよね仏教だって結局誰それさんは悟りました
それはものすごくいいことなんですってなっちゃったら
だから他の人はみんなダメな人なんですってことになっちゃうじゃないですか
でもこれがどう考えてもスプリッティングなんで
スプリッティングっていうものをやるのはしょうがないんですよ
やるんですよ我々は
ただそれは現実のものではないっていうこと
現実のものではないんだけど
区別は必要でしょっていう話なんですよね
区別しないと食べられるものと食べられないものの区別ができなくなっちゃいますから
私たちは食べられるものは食べる時においてはいいものだし
フロイトとドーラの対話
食べられないものは良くないものなんですよ
快不快が全てなんですよ
全てじゃないけど区別は絶対いるんですよ
現実原則に我々は直接近くできないんで
これが食べられるのか食べられないのか分かんないじゃないですか
賞味期限とか書いてないと分かんなくなるじゃないですか
分かんなくなるということは
動物とか多くの生命体にとってはほぼありえないこと
分かるんですよ彼らは直接近くで
我々は象徴言語機能を使っちゃうから分かんなくなって
10月2日まで10月3日かとかってやるわけですよ
これは象徴言語機能で区別してるわけですよ
そうしないと分かんなくなるから
我々は現実原則っていうものを
こうやって身につけているわけですよね
区別は絶対必要なんですよ
しかしその区別は現実には存在していないんですよ
あくまでもこれは約束事でしかないんで
この約束事の中に良い人生とかいうものを
作り出さないことなんですよね
食べて良いものと良くないものはOKなんですよ
昨日の話ですとケアとセラピーもOKなんですよ
でも良い人生と良くない人生とかはないわけですよ
そういうふうにやっていかないと
非常に困ったことになりますよね
でフロイトがドーラに説教してたじゃないですか
話が飛ぶようなんですけど
僕の中では繋がったんで
この話をしてるわけですけど
つまりどうしたらいいんでしょうね
彼も答えてた時代があるってことなんですよね
あれは私どうしたらいいんですか
じゃあフロイト先生ってわけじゃないですか
だからそのけびをやめなさいね
これは認知行動で現在やっていることに
限りなく近いじゃないですか
あれが認知行動かどうかは微妙なところですけど
でもあれはありですよね
普通の人生相談において
だってフロイトは人生相談から始めたんだから
あれはありですよ
お父さん不倫して許せないんですよ
でも先生はけびをやめろと言う
じゃあ私どうしたらいいんですかっていう問いに
フロイトは説教してましたよね
だからそのけびを続けていると
あなたが不利益を被って
けびょうが本当の病気になっちゃって
困ったことになるからそれやめましょうねと
そしたらドーラは腹を立てたわけじゃないですか
だからお父さんの不利をやめさせる方法を聞いてるんであって
私のけびょうの話をするんじゃねえってことになったんですけれども
そういうことはこの際重要じゃないだろうっていうのがまだ
あのドーラの年齢ではあの人は極めて頭のいい
上流階級のお嬢さんですけど
分かんなかったわけじゃないですか
結局何を言わんとしてるのかが分かんなかったわけですよね
それはあなたの問題ではないだろう
中断の重要性
究極的にはっていうようなことなんだと思うんだけど
そうは彼女は全く思っていないわけだから
つまりそれはとらわれってことになるわけで
そのとらわれは何かっていうと
あなたがお父さんに恋をしてるってことになるわけなんだけど
そういうようなことがによってくると
ドーラは腹を立ててやめると
しかしあの話には実は続きがありまして
ドーラはあの後を後悔して
フロイド先生をもう一回見てください
みたいなことになるんだけど
つまり難しいよねこのことはって
これを事後生って言うんだろうなって
僕は思うんですよね
後からじゃないと分かんないよなそんなことみたいな
だからそういうふうにしてあると思うんですよ
今精神分析はじゃあまたやりましょう
みたいな話になると思うんですよ
で腹を立てていいのかって言えば当然いいわけですよ
それは天意なんだからいいに決まってるわけですが
だけど腹を立ててやめてしまうと
なってくるとどうなのかと
だからフロイド先生は悩んだわけですよね
今回あのカウンセリングとは何かで書かれていた
中断って話にまさに相当しますよね
あれは中断ですよねおそらくね
ただ中断
ウィオンは中間休止みたいな表現をとってますけど
それもありなんじゃないかなって
私は思うんですよね
あれを失敗と見出してしまうと
結局そのある意味何にもできなくなる
そしてあれはやっぱり僕は
あれによって天意と逆天意という問題が浮上してくるんで
これはですねありだと思うんですよね
これ何を僕が今言ってるかと言いますとですね
ユーザー目線で言うと
戸畑海斗さんはあくまでもカウンセラー目線だから
決して何て言うんですかね
患者さんは患者さんのことで来ているのであって
それがですね言ってみれば心理臨床の糧になってはならん
みたいな感じなわけですよね
非常に高い倫理性の話をされている
しかし私はカウンセラーとしては
それが倫理規範として正しいんだろうけど
本当のことを言えば
それでは済まないだろうって思うんですね
私ももちろんサンチャレは
参加者さん目線でやらなければならないと思いますし
お金は私がもらってるんだから
これがサンチャレの糧になりますとかで許されるはずはないんだけど
そこを突き詰めていっていくと
絶対に崩壊するんですよ
そういう実存主義みたいな話って
なぜかなぜかなのか
多分これもきっちり考えれば
絶対関係があるんだろうと思うんですけど
いわゆるボーダーラインパーソナリティであろうと
水準であろうとボーダーラインの問題で
浮上しやすいんですね
私もそうでした
つまりあれですよ
戦争に行って
アイゼンハワー大統領が言ったのかな
戦争に行って死んでしまった兵士にとって
第二次大戦に圧勝しましたってのは
ちっともいいことじゃないって
そうなんだけどそうなんだけど
でもそれをとことん突き詰めると
人間で多分何もできなくなるじゃないですか
一方では後付けの説明でも何でも
それは何かの貢献になった
現にやってるじゃないですか
現在のアメリカもあれを見て
はぁと思う人はいっぱいいらっしゃると思うんですけど
でもああやんないと持たないでしょ
イラクの戦争に行っちゃって
正常期で官王権をくるむみたいなのは
あれは結局必要じゃないですか
嫌な話かもしれないけど
現実原則ってのはやっぱああなってるなっていうのは
どっかで何らかの形で目をつぶってでも
無理やりでも少々納得しないと
やっぱり全世界が
スプリッティングとボーダーの世界になってしまう
しかなくなると思うんですよね
どっかであれを受け入れ過ぎていても
事態が非常にヤバいことになるんで
そこをすごい攻めに合わなきゃ
なんないわけですけど
攻めに合う必要はあると思うんですね
ボーダー水準のというか
ボーダーパーソナリティのっていうのかな
スプリッティングの主張は確かに最もなんですよ
究極悔不悔が全てであって
現実原則なんか知ったこっちゃないっていうのは
確かにそうなんですよ
その人の目線にとことん立てば
ローラに言わせれば
つまり私が腹を立てたんだから
あなたの治療がどんなに真っ当だって
知ったこっちゃないわよと言って捨てたわけですよ
でも拾いに行ったあれは大事だなと
なんであの話あの誤実談みたいなの
松木さんが書いてるんだけど
松木さんってそういうところがあるよなって
思うんですよね
どことん患者目線でなければならんって言っておいて
どっかフロイト目線であるっていうことも
これは証拠だと思うんですよ
だってまた来たってのは結局
フロイト正しかったってことじゃないですか
ある意味では
いやフロイトは最初から正しいんだけど
あの場合なんだけど
どうやらの言い分は最もなわけですよ
つまり先生がどんなに正しいことを言ってたって
私は嫌なんです
で私が嫌なんだから
私は納得していないんです
それに対して被せるようにお説教したって
無駄なんだけど
でもフロイトあの時
天位知らなかったんだから
しゃあないわけですよね
でフロイトはあの後ものすごく悩むわけですよ
催眠療法の再考
いやこれは失敗だってなるんですよね
彼の時にはもちろんウィニコットいませんから
あのいやいやフロイト先生
それは失敗なんだけど
いいんですっていう話にはならないわけですよね
失敗だと何で失敗したんだろうって考えるわけですよ
めちゃくちゃ考えて天位っていう発想が出てきて
自分のことをお父さんだと思ってて
俺のこと好きになってしまって
それに腹立てたのかそうかっていうことに
そこに行き着くのに
人類はまあ1900年かけてるとも
言えなくはないわけですよね
地図に長い年月がかかってますよね
このようなことを考えつくだけでも
ドーラだからお父さんの不倫が許せなかったんだけども
その不倫をかばうかのように言っている
第二のお父さんがますます許せなくなる
まあそりゃそうだよなっていう話なんですけれども
でもそんな風には人生相談について
考えた人はこれまでいなかった
それまでね1900年まではいなかったわけで
だからやっぱりすごい発見なわけですよね
でこれを発見して
しかもそのドーラはもう一回見てくれないでしょうか
みたいなそういうふうに
ダイレクトに言うわけじゃないんですけど
いうような感じになるというのは
実にですね理にかなっていて
ここでフロイトは転換するんですよね
全てをねあの時精神分析が生まれたっていうようなことを
藤井直樹さん書いてるんだけど
そうだなってやっぱ思うんですよね
ここで全てが逆転するんですよ
最初フロイトは
催眠療法をやろうとしてたわけじゃないですか
催眠療法っていうのは
実際そうじゃないかもしれないけど
あなたはだんだん眠くなるってやつですよね
フロイトのアプローチの転換
つまり何をやってるかっていうと
医者が患者に話しかけてますよね
つまり療法する側がされる側に話してますよね
でドーラの時ギリギリディスカッションしてましたよね
お互いが言い争うみたいな形になってましたよね
まあそう言われるのは本意ではないかもしれないが
基本的にはそういうやり取りをしていましたよね
これがですね逆転したんですよ
ついに患者が自由にしゃべるとことん
そしてそこに対して受動的にしか対応しないと
だからあの名言がフロイト名言多いけどありますよね
あの患者の無意識に自分の無意識を分析化
受話器のように差し出すって
これ完全に受話器なんだからひたすら受診せよっていうわけですよね
催眠療法的に言うならばお前催眠にかかれってことですよね
これは絶大なだからコペルニクス的ですよね
フロイトが哲学にまで出てくるのは当然だなって思うんですよ
この転換がもう決定だなんですよ
あのこの世界ではロジャーズはフロイト派みたいなことを言うけど
完全にフロイトの踏襲してるじゃないですか
だって傾聴共感一致じゃないですか
完全に受動的体制にクライアント中心っていうのは
実際には精神分析が開発したものだと思うんですよ
患者の主体性を重視
初めてそうなったわけですよね
今までどんな医療も医者中心じゃないですか
医者が何かを施すだからお医者さんは先生なわけですけど
薬を施す言葉を施す何でも施すのは医者じゃないですか
催眠というのはまさに医者が患者を完全にコントロール下に置くわけで
これを逆転させたんですよね
クライアントが分析を完全にコントロールしていく
これが転移と逆転移だと思う
だって逆転移って本来は分析家にとっては関係のない話に巻き込まれるわけですから
本来はねお金をいただいてるから関係ないとは言い切れないかもしれないが
基本的にドーラのお父さんが不倫してるとかどうでもいいことじゃないですか
フロイトにとっては勝手にしてればって感じじゃないですか
でもフロイトはそれに巻き込まれたわけですよね
究極的にとことん巻き込まれたから
フロイトはついにそのドーラの悪いお父さんにさせられてしまうという
極めてドーラの勝手な世界がそこで展開されるわけで
これが万能空想と東映同一化ですよね
たぶん私非正規なんでね
とにかくそこで自分がコントロールされる側
つまりフロイトは催眠術をかけることができない
催眠術師としては野部だったっていうかほぼ無能だったんだけど
それがこうそうしたっていう皮肉っぽいですね
フロイト表があるんですけど
その通りでもあるわけですよね
フロイトは催眠術をかけることができなかったから
かけられる側に回ってるわけですよ
だけど分析家医師でもあるから
ここで催眠術にはかかっているが
しかし催眠術にかかっていることは意識しているぞっていう
心理状態を要するわけですよね
ある種のスプリットですよね分裂してますね
だから無意識平等に漂う注意っていう意味不明な心理状態に入るんだけど
平等に漂ったら注意じゃないじゃないですか
注意とは注意する対象を要求するものなので
平等に漂う注意っていうのはつまり
自分がコントロールされる側に回る
そうしないとできないことですよね
ていうか本来できないことですよそんなことだから訓練するんでしょ
いずれにしても自分がドーラ世界の住人にさせられる
あんたお父さんだからやってねみたいな
だからままごとに僕は例えるんですけど
時々エナクメントって言って演劇に例えられるわけですけど
だってそうじゃないですか
あなたお父さんやってねって完全に演劇の世界でもあるわけですよね
そうやって演技をしていて
俺お父さんだわみたいな
ドーラ叱りつけるわみたいになっちゃうわけですよ
本当に人間はそういうところがあるから
だけどそのことをナレーションのように語るわけですよ
で私は今父親にさせられている
だから私はあなたに説教するみたいな
そういうことを背景で語り出すわけですよ
なんかオペラみたいなんですけどねちょっとね
ナレーションが下の方に入ってくるわけですよ
これを伝えるのが解釈だと思うんですね
でこのコペルニクス的に転換して今日この言葉が好きだな
自分が催眠される側に回り
自分がコントロールされる側に回り
まあ自分が言ってみればいいようにされる
ただいいようにされているという意識は保ちながら
いいようにされているこのところで何が展開しているのかを
ナレーションのように伝えることで
その人の心の中が外に溢れ出してきたものを言語化していく
そうすると何が起きるかというと
その人の自分の心の状態がさっき言ったあれですよ
言語と象徴機能を使って解説されるわけですよ
そこのところを周知徹底的に説明したのがビヨンなんで
アルファ機能とか言い出してですね
ことごとく記号化するつまり言語化ですよ
究極の言語化ですよね
これをやったからビヨンはフロイトの直系の弟子なわけですよ
クラインの直系の弟子なんですけど
だからこのビヨン派はないけど対照関係論で
まあビヨンの事情によるとフロイトの正当な
みんな言うんだけどねフロイトの正当なっていうのはビヨンなんですよ
言語化と心の解放
フロイトクラインビヨンというこの線がフロイトの正当な後継で
ラカンも全く違う線で同じようなこと言うし
アンナフロイトも全く違いはしないけど
ラカンもアンナフロイトもでも違うところにすごく注目してますけど
でもラカンも象徴世界とか言いますから
結局のところ同じような話してるわけですし
自我心理学はもう少し教育的だなって感じがするんですけれども
でもやっぱり防衛を解説するというか防衛を言葉に直してるから
ビヨンほど徹底してる感じはしないんですけれども
いずれにしても基本的にはでもその線ですよねって感じはしますよね
言葉で説明して事態を過去のものにしてありふれた不幸にして
心の負担をぐっと下げるというそれを目指す
そのために今みたいなややこしい手続きを踏むわけですよ
端的に言って自分は催眠された状態に入ると
フロイトは確実にそこを目指したんだと思うんですよね
自由連想であなたが好きなことをしゃべりましょうみたいな
それをそれをひたすらひたすら聞いてその世界に
あのあれで諸富さんっていうあれは多分ロジャーズの先生だと思うんですけど
相手になりきるんだみたいなことに
とにかく集中するんだ他のこと考えちゃダメなんだみたいな
そういう話を非常にマイルドの方なんでマイルドにおっしゃってますけど
とにかく相手の人と同じになるんだ
同じ心理状態とかじゃないですよね
だから共感傾聴の域をやっぱり超えていこうとするんですよ
同じになるんだみたいななんかこうあれなんですよね
時々そういう話ってロジャーズ派のすごい話に出てくるんですよね
相手の人が心身傷でジンマシンがあってなったら
自分の体にもジンマシン作るんだみたいな
そういうことができちゃうような感じの人っていて
こういう風になるところあるんだなっていう
その治療の世界っていうかこの心理療法の世界って
そういうところあるなっていう
ちょっとなんかねオカルトっぽいし髪がかってるじゃないですか
そしてなんかなんていうのがいいんだろうな
そうしてまでしないとわからないことがあるっていうニュアンスも
ここにはありますよね
だって私はジンマシン作ったってわかんないと思うし結局
ジンマシンがあることがポイントじゃないんでね結局は
だからそのなんかこうものすごい苦しくって
苦し紛れ感みたいなのもあるけど
苦しいんだよな共感しきれないことっていうのが感じられはしますよね
でえっとそうだからビヨンがその後
催眠という言葉は使わずリビリーとか言うのかな
あれフランス語なのかな
なんかよくわかんない物思いって言うんですけど
物思いって要するに赤ちゃんが泣いてるのを
お母さんがうーんってなって
暑いのかなみたいになるのを物思いって言うと
単純な話なんですけど
でもこのうーんってなってるっていうことは
赤ちゃんの気持ちになろうとしてるってことじゃないですか
だから今の話に近いわけで赤ちゃんは好き勝手泣いてる
自由連想っていうのは変だけど好き勝手泣いてるわけです
その赤ちゃんの世界に一方的に巻き込まれるわけですよね
赤ちゃんに催眠術かけて泣かないようにしましょうっていうのは
なんかすごいやばい感じがするじゃないですか
真逆を言ってるわけですよね子育ては
精神分析はこれにある意味習ってるわけですよね
真逆を行くわけですよ
相手にいいようにされるっていうところを目指すっていう
これをですねユングの世界では
もう少しこうまた象徴的にあれですよね
なんかこれもすごい話だなと思うんですけど
かわいはやおさんが紹介されてましたね
あのすごい悪いやつがいてすごい悪いんで
自分は救いようがないっていうのに対して
観音様が出てきて
じゃああなたが悪いことをして
なんか殺したくなったら私が殺されてあげるし
女の人を犯したくなったら犯されてあげるから
とにかくそうして救われましょうみたいな
そういうものすごい母性愛的な世界ですよね
でもこれも結局さっきの物思いに近いと思うんですよ
なんかこう話が宗教的に大掛かりになるか
だいたいユングってそういう方向に行く気がするんですよね
永遠の少年ってそうですよね
第一本心のところからこうドンと飛び出して
イカロスのようにこうブワーって行って
あの天井に行ってどんどん大成功しそうになるんだけど
なぜか急に墜落してイカロス墜落するんで
またお母さんのところに戻ると
あれはイカロスとあの第一本心と
あの天井界みたいなのだと
すごい大規模な話になってるけど
あれはやっぱり僕には多分に家を出たがる
あの思春期の少年たちみたいな感じがする
フロイトの失敗と葛藤
俺はでっかいことやるぜみたいな
今時の人は言わないと思うんですけど
俺は東京サー行くだってやつですよね
東京行ってもうまくいかなかったんで
戻ってきましたみたいな
途中うまくいきそうになるじゃないですか
特に新幹線とか乗ってる時
あれがだからイカロス状態だと思うんですよ
でもうまくいかないんでなぜか
やっぱり友帰りして行って
母のところに戻るわけでしょ
田舎にでそしてこうまたぐずぐずして
充電とか言って地中で頑張ってるうちに
なんかふと急にやる気になって
またブワーって東京サー再び行くぞ
みたいになるそういう漫画ありましたからね
あれ完全に永遠の少年と同じ話だなと
あれを縦にするか横にするかっていう
つまり天井向かってるので
河合俳夫さんがよく描く図だと縦になってるんだけど
東京って横だと思うんで空間なんで
あれを横にすると特に自我心理学あたりが
得意としている分野に一気に近づくと思うんですよ
でこっちのほうがなんとなく現実的だけど
しょぼい感じがするじゃないですか
なんとなくユングのほうが人気が出そうな日が
僕はするんですね
ただしそれは若い場合だろうなって気もするんですよ
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