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2024-06-03 40:53

逆算されたゴールは「ない」【GMV 994】

苦しみは心の中だけにとどめる。
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
6月3日だと思いますね。3日の月曜日、7時29分あたのですね。
大体この辺の時間帯にとれるんだなと、 実、調子が普通であればね、と思いますね。
お知らせからいきましょう。
昨日、残念ながら、千葉ロッテ連勝が困りましたね。11。
これだけ連勝できる年は優勝できそうなもんだけど、
今年の11連勝はすげえ不思議な連勝だったので、
しかもソフトバンクは今でもはるか上を行ってしまっているので、
ちょっと今年は難しいのだろうが、これでもっていう優勝って本当に難しいんだなって思いますね。
よく25年前優勝できましたよね。
25年前だっけ?違いますね。19年前ですね。
バレンタイン監督の時の千葉ロッテですね。
昨日は1対0で負けて、あの感じだと連日9階の裏に追いつくのが続いてたから、
1対0で、あの9階の裏の攻撃で絶対追いつくと思っちゃいますよね。
あそこはあんまり手堅い攻めじゃなかったと思うんですけど、あれはもう仕方ないかなという、
あそこでもう外とポランコに期待するっていうのは普通だろうなって感じが、
これわからん人には何を言ってるのかわかんなくて、
ロッテファンか一応かなりの半信半疑にしかわからない話ですけど、
この辺にしておきますね。
6月23日の日曜日の14時からタスクシュート手帳術の会をやります。
この日ぜひですね、ライトニングトークというのを久しぶりにやってみたいなと思うようになりまして、
しかもその数をちょっと多めにできればしたいなと。
これは一応事前でお願いしようと思ってるんで、数が集まらないのに多めにも何もないんですけれども、
そういう形でできればいいなと思っております。
23日日曜日ですね。
合わせて29日の、合わせてないけど土曜日に電子書籍のイベントが、
まだ正式な名前は私確認しておりませんが、
天老院書店カフェ、天老院カフェです。
渋谷の方、天老院カフェでやりますので、
和田実さん、岡野潤さんと私でトークショーイベントをやると。
03:00
電子書籍の出し方とか売り方とか、
私の場合は本の書き方ですね。
本の書き方っていうのはなかなか難しい気がするんですよね。
人にお伝えするとなるとね。
自分では何ら難しいことはやっていないと思うんですけど。
ただ当日どんな話をするにせよですね。
私が今日の話と関係してくるんですけど、
私はとりあえずまずどんな書き方を別に本なんてしてもいいわけですよ。
ただ一つ確実に一度はやってみていただきたいのが、
これが私と倉園圭造さんとでやっている書き上げ塾でも
おなじみのやり方なんですが、ただ書いていく。
これをですね、一度はぜひやってみていただきたいと思いますね。
一度でもいいから。
いや、一度はやってみましょう。
とにかくただ書いていく。
別に何も必要はないんですよ。
こみ出しも何もいりませんので、とにかくまず書いていく。
どうしてこういうことをした方がいいと思うのかというと、
基本はこれ以外は考えられないからですよ。
で、いろんな書き方がありますよね、今の時代ですから。
アウトラインを使うのも何かの、それこそスクリブナーを使うのも、
エヴァーノートでも結構なんですが、
そうでもとにかくテキストエディターに文章を書いていくことに
違いはなかろうと思うんですね。
だからこの前から順に書くという、
何の変哲も工夫もないやり方を、
多くの人がですね、最もダメなやり方だと信じるようになったのが、
そもそものことをややこしくしている現況だと私は思っておりますので、
とにかくただ書いていく。
その時にワーッと書くとか、後で直すとかじゃなくて、
その書いていく端から完成させていくという感覚で書く。
昨日ですね、たまたま書き上げ塾で、
倉園さんが現在出筆されている原稿を、
彼が朗読してくださったんですね。
で、つくづくそうだなと思うのが、
世の中には二度と、彼はよくおっしゃることではありますが、
そして彼だけが言っているわけではないけれど、
世の中には二度と同じことは起こらないと。
そして一つ一つを見て、どれの完成度も極めて高い。
例えば銀河系とか、小さい方で言うと、
それこそ川の流れとか、何でもいいんですよ。
花の造形とかですね。
一発勝負でやっておいて、完成度は極めて高い。
ちょっとやそっとじゃ手が入れられないレベルの完成度も、
どこもかしこもなしている。
で、私たちはですね、自然というのはそういうもんだと、
06:01
なぜか思っているにも関わらず、
人間はそういうことができないかのように振る舞うんですよね。
僕これは大変おかしな発想だと思うんですよ。
なんでこうね、わーっとやって後で直すとかってするのか。
そういうやり方を自然って絶対取ってないのに。
例えば雲の巣はわーっと張っておいて後から造形を整えるとか、
雲は絶対やらないわけですが、
一発勝負で完璧なものを完成させるわけじゃないですか。
しかも自分が何作ってるのかをおそらく認識すらできていないのに。
ああいうことが私たちはできないはずがないと僕は思うんですよね。
自分にできてはいませんけどね。
いませんけれども、できるはずなんだ本当はって思うんですよ。
じゃなかったらおかしいと思うんですよね。
それじゃなくて、後から直した方がより出来栄えが素晴らしいというのならば、
なんかこうね、目の前にあるなんでもいいんですよ。
かなり綺麗なお花とかを見て、
これ以上のものを後からどんなに直してもいいから作ってみようってやってみたらいいと思うんですよ。
まず絶対できないんですよね。
これはどうしてなんだろうって考える必要がある気が私はするんですよね。
だから今日のお話にもつながるんですが、
とにかく一発で完成させようというつもりですね。
時間どれだけかかってもいいので。
ここが違うんですよね。
宇宙って時間気にしてないじゃないですか。
明らかに。
130億年とかかけちゃうじゃないですか。
こういう時間は僕らにはかけられませんが、
一足ということに何にもメリットがないようなやり方をしてしまっていて、
しかもそこにはメリットがあるとみんなって信じることになってしまってるんですよ。
しかもこれはですね、たぶんそんなに昔からそうだったわけではない気がするんですよね。
私ハンガリーに行って驚いたんですけど、
ハンガリーに行ったとき現在建築中の教会とかなんか塔みたいなのがあったんですよ。
それは室町時代、日本で言えば、から依然として建築中なんだ。
これがいいとか正しいとまでは言いませんけれども、
私はそういう風であっても別に人間の歴史っておかしくなかったはずだと思うんですよね。
日本ではちょっと考えられないような話ですけれども、
どうしてこうやってみんなでよくわからない作り方を始めてしまっているのか。
建築とかならばそうする必要があるのかもしれないんだけど、
こと文章に関しては私は全くそういうことをやる必要はないと思うんですよ。
なのにやるんですよね。
なぜか違う作り方をしたがる。
まずは込み出しを立てるとか、まずはアウトラインを作るとか、
まずはミッシーが合うようにするとか、文章書き出さないんですよね。
いつまで経っても文章を書き出さない。
これは僕は大変おかしなことだと思うんで、
学校で習うやり方も普通はそうじゃないじゃないですか。
まずは書くじゃないですか、原稿用紙に向かって。
09:01
なぜあれをやらないのかという。
しかもなぜそこで急ぐのかという。
学校の授業では授業の中で少なくとも1枚は書けます。
でも授業の中で1枚1枚は50分かけて400字であって、
あれはそこそこ達者なら小学生は普通にやれるんですよ。
これ先日お伝えしましたけどね、
倉野経造さんが1時間でだいたい400字だと。
私それがいいところじゃないかなってやってみると思うんですよね。
僕はもう少しどっちでもスピード出ちゃいますけどね。
1時間400字書ければ2時間で1000字弱いくわけで、
2時間毎日書けばこのやり方ならばですね、
30日で2万4000字です。
これでいいですよね。
私電子書籍ならこれでいいと思う。
この時間が取れないというなら2ヶ月かけて2万4000字ですよ。
もうちょい必要だとしても3ヶ月で3万字はこれいくじゃないですか。
毎日書けばの話ですけどね。
1時間ずつ毎日書いて3ヶ月で本1冊なら恩の字ですよね。
ここを急ぐ理由って全くないなって私は今回仕事で忙しさせられてですね、
痛感しました。
こういう話すればいいのかな。
とりあえずでもこの話をするだけだと7分ぐらいで終わってしまうんで、
ただ僕の持ち時間で確かそんな長くないんですよね。
これで7分ならこのような話を3つやれば十分かなって感じがします。
29日は天老院カフェに来ていただけると、
私の面目も立つかなというところですね。
えーとですね、
今日はつまりそういうような話をしたいわけですが、
J松崎さんが先日ですね、
昨日かな。
一昨日かもしれない。
かなり長文で逆算の話を書いて、
逆算に対する否定的な記事なんですが書いていらっしゃいましたね。
ただ彼が断り書きを入れてたようにこれでうまくいってる間はいいんですよ。
私は逆算ってJさんには申し訳ないのかわかりませんが、
彼がまだ日本にいた頃からですね、
逆算をすごく推進されていた頃から、
僕はこれに対しては非常にこう、
なんていうんだろうな、
まあ自分には無理だなという感じでずっといたわけです。
だからやったことがないです。
で、
今思うに、
どうしてあれでは難しくなるのかというか逆にですね、
まず、なぜあれをみんなは従るんだろうってのをすごく考えましたね。
あの記事を読みながら。
このぱっと見すごく無理のある方法を、
わざわざ逆算から順算へみたいな言い方をしなければならないほど逆算は考えやすいということであれば、
12:00
人の脳ってどういうつもりでこれをやってるんだろうって感じをまず持つんですね。
これも昨日倉園さんが書き上げ塾でおっしゃってたんですけど、
おそらく宇宙に設計図はないと思いますよ。
つまり逆算してこの造形なりなんなりを作ってるはずはないんですよね。
生物の進化の過程を見てもそうですが、
どう考えてもこれは先に青邪心はないんですよね。
あと倉園さんは別の言葉を使ったんですけど、宇宙にはセンターがないんですよね。
これは私、脳にはセンターがない。人格にもセンターがない。
そしてフロイドの真相心理の構造を見てもセンターがない。
センターを作って考えている人がどこにもいないのに、
どうして逆算とブループリントがあると思えるのか不思議だなと。
脳って一体何を考えているのかなっていうのをいつも思うんですよね。
進化にブループリントがない。宇宙にセンターがない。脳にもセンターがない。
人格にセンターもあるはずだっていう主張の方はいらっしゃるんですけど、
心理学の証拠はほぼこれに対して全否定なんですよね。
中核となる性格みたいなものを仮定すると必ず話が混沌に落ちていってしまうんですよ。
僕は絶対ないと思うんですよね。
自我心理学は別に自我が中心だと言っているとはとても思えませんから、
自我、超自我、Sの力関係はほぼ逆行しているっていうのが普通だと思うんですよね。
自我が少なくとも自我が実現して自我実現みたいな言葉はないですけれども、
自己実現って言葉もありますが、してしまうと超自我と異度がなくなるってことになりますよね。
あるいは機能を停止する。でも超自我はまだしも、超自我が機能を停止するのも大変問題ですが、
Sが機能を停止したらこれはダメですよね。だいたいどうやって呼吸するんでしょうねって話になってしまうんですよ。
自我は呼吸を司ってませんからね。自我が眠りについても呼吸は止まらないじゃないですか。
当たり前ですけど。先日3ヶ月チャレンジの方とすごい面白いお話を伺ったんですよ。
耳の中に磁石ってあるんですけど、あれが落ちるって話なんですね。
この話すごい私大事だと思うんですよ。自我は全くこのことに関与している気がしないんですよね。
私たちは実は重力の反対方向に向かって頭を置いて立っているってのはこれはイリュージョンなんですよ。
一種の。もちろんそうなっているはずなんだけど、目は本当は倒立しているので像は逆さになっているんですね。
これは脳が調整して本当は逆さになっている像をさらに逆さにして正しい上下関係を作っているんだし、
足が下になって頭が上にあるのはこれは完全にイリュージョンなんですよ。
ただの作り出された感覚で、ちょっと磁石の位置が変わっただけで、これ狂ってしまうんですよ。
元々これに対する正しい感覚とかないわけですよ。
15:03
だから寝ているときは立って走っているつもりでいて別に酔ったりしないけれども、頭と足はほぼ水平です。
だから実際にどういう視線を取っているかと、自分がどういう視線を取っていると思っているかは関係がないんですよ。これは多分。
この話はオリバー・サックスっていう脳科学者がすごい盛んに書いている話なんですけれどもね。
妻と帽子を間違えた男だったかな、そういうようなタイトルで。
サックスってすごい有名で面白い物書きさんで、すごく著名な脳科学者なんですけどね。
色のない島っていう、これも非常に反野心経みたいですよね。色がないんですよその島の人たち。
ほぼ全色毛なんですね。なぜかというと光が強すぎて色があんまり意味を出さないんですね、その島ではね。
つまり世界に色はないってことですよ。色っていうのはイリュージョンですからね、完全に。脳の中にだけある。脳の中に色があるわけじゃないですけどね。
本当はコーンっていうそういうものがあるんだけど、それは良いとしまして。
とにかく私たちが見ている世界っていうのは基本的には作り出したものなので、現実にはそういう世界があるわけではない。
この話ってすごく僕は逆算という話を、一番これを実用の話と近づけるんだとすると、やっぱり逆算ってことになっていくと思うんですよね。
逆算というのは作り出されたものじゃないですか。
だってそういう未来が最終的な形としてありますというのはまだ誰も知らない話ですよね。なぜならば未来だから。まだ来ていない話ですから。
この逆算のゴールがせいぜい1日後だったとしても、1日後はまだ来てませんからね。
めさがたすごい緊急地震速報鳴ったじゃないですか。せいぜい1時間ぐらい前ですけど。
あれ鳴る直前まで鳴ると思ってた人はほとんど世の中にはいなかったと思うんですよ。
あれが鳴った瞬間に、そして実際に震災に見舞われた方々もいらっしゃるんですけれども、やはり全くブループリントは変わると思うんですね。
これを予測できるように私たちの脳はなってないんだけど、予測あったかもしているかのようにブループリントだけは作りたがるんですよ。
ここが不思議だなっていうふうに何と言っても思うんですよね。
このようなことは我々は何度も何度も経験してますよね。
ブループリントを書いているときはその途中に大震災は起こらないことに多分しているはずですね。
自分が事故にも一切会わないことになっているはずです。
途中で病気や怪我も少なくとも致命的なものには遭遇したいことになってますよね。
そして例えば円がやたらと安くなるとかその日になってくるとも、金銭的な話を考えている人は別としても、
18:03
普通に例えば原稿を逆算で書くという、例えば30日後に完成。
つまりこれは30日後に8万字みたいな、そういう想定をまずしているところから始めるわけですよね。
完成したという形を、完成が何を意味するにせよですね。
完成したという形を先に想定する。
おそらくその間にはこれといった致命的な、例えば右腕が右手を大きな怪我をするとか、
そういうのは想定されない、なぜならできないからですね。
これが想定できないのに、なぜ30日後の原稿が書き上がることだけは想定できるのかという、
これはただ想定しているから意外の何者でもないじゃないですか。
つまり私たちは未来予知ができると思っているわけですよ、脳はね。
で、僕はこれは万能空想だと思うんですね。
この精神分析の用語を使って言うならば。
だって万能ですよ。
自分が考えた通りの現実というものを万能的に作り出しているわけですよ。
これを私はこの番組を通じてですね、通じて前回言ってるかどうかわかりませんが前回近いんで、
少なくとも100回は、少なくとも100回は万能空想を絶対的に、
絶対的は無理なんだけど可能な限り廃止していきましょうと言っているつもりなんですよ。
なぜなら万能空想は万能的な恐怖を生み出す力になってしまうからなんですね。
一番恐ろしいところで夜につかまれるわけですよ。
万能空想の嫌なところはですね、それがいいことと結びついている、
例えば原稿が書き上がると結びついている、そういう時にしか我々は意識的には使わないんですけれども、
つまり逆算するような話の時にしか万能空想をしようとしないんですが、
この副作用として、副反応って言ったらいいのかな、逆があるんですよ。
このネガティブな面がある。
万能的な恐ろしい目に私たちを空想に導いてしまう。
これが嫌だから、私はそしてこれが起こると、
この人はもう仕事も生活も全然成り立たなくなっていくので、
とにかくこの万能的な空想というものを自分の心から締め出して、
なるべく現実へ現実へと、
倉園圭蔵さんがグッドバイをしてね、現実を見に行きましょうって言っていたあれですよ。
私はそれをただ反対側から言って万能空想をやめましょうと。
でもこれも倉園さんがイリュージョンを手放しましょうと言っている内容で、
ほぼ網羅されるんですけれども、どっちにしてもいいんですよ。
とにかく苦しみは心の中にしかないんだと。
逆算も心の中にしかないんだと。
ここをはっきりさせればいいわけですよ。
いや、そんなのはっきりしてますというふうにおっしゃるのであれば、
それはそれでいいんですよ。
ただ私は逆算を例えば手帳に書き始めるとか、
逆算のプランを立て始めるということをするってことは、
21:02
逆算が心の外に出ていっている感じがするんですよね、私の感覚では。
私はそれは無理だなと思ったんですよ。
現実に関する私は予知能力が一瞬先も持っていないので、
逆算というものが成立する下地が一切僕にはない感じがする。
何よりもそれをやってしまうと、
現実というものと空想の区別がつきにくくなる。
私はつきやすくなる方にしていった方が、
仕事は間違いなく進むと思っているんですね。
現実と空想の区別がつきにくくなるという方向には、
1ミリも意識的には加担したくない。
やむを得ずやってしまう場合は確かにいっぱいありますが、
やらずに済むならやらずに済ませたい。
そうは言ってもやっぱりやってしまうんですよね。
逆算ばかりではなくてね。
空想と現実というものは入り混じりやすい。
なぜなら私たちの知覚というのはそもそも空想なんで。
非常にこの辺を現実に関わる知覚だけ、
現実に関わる思考だけ、
現実に関わる気持ちだけという風に限定していっていかないと、
すぐ現実と何の関係もない空想と、
現実と何の関係もない思考と、
現実と何の関係もない感情に侵食されてきてですね、
現実なんだか空想なんだかわからなくなってしまうんですね。
こういうとそんなことが鈴木には起こっているのかと思われるかもしれませんが、
そんなことはそこら中で、
それと全く面で生きているという人を僕はまだ見たことがないぐらいですね。
ちょっとこれは申し訳ないなと思うんですけれども、
例えばよくこれはもう実際にそうなのケースもあるでしょうけど、
そうでないケースもあるかもしれませんが、
ツイッターXでうつが話題になる。
そうするとこの万能なネガティブな万能空想というものの恐ろしさが、
なんかこうですね、
他になんかこうやってあげられることがないのかと言いたくなるレベルで、
やっぱり猛威を振っているわけですよ。
夜が掴んでいるわけじゃないけれども、
つまり幻覚が見えているわけではないけれども、
例えばこのままいけば老後はもう全く自分には何もないとか、
これは貧困妄想というふうに言われていたりしますね。
名称としてはそういう名前ということです。
でも我々するんじゃないですか。
老後には2000万ないのだかあるだとか、
全部あれはイリュージョンですよね。
そして万能ですよね。非常に万能です。
2000万でも1999万でも、
2010万でも2億でも、
好きなようにその数字を想定することができますよね。
その人のその人その人の感覚に応じて、
適当な数字を万能的に繰り出すことができるわけですよ。
で、そういう例えば2000万なければいけないんだという空想を一度してしまうと、
2000万なんか絶対ありえないだろうって思う人は恐怖に陥るわけですよ。
24:03
これが万能空想の反対側にある非常に恐ろしい副反応だと私は思うんですね。
で、これ逆算そっくりじゃないですか。
老後に2000万なければいけないって突然そういうものを作り出すことができる。
つまり逆算ってのは万能空想の産物なんですよ。
これを万能的に作り出せるところが私たちの脳の凄まじいところでもあり、
非常に私たちをほとんど苦しめている力にもなっているわけですね。
だから心の中、つまり何でもありなわけです。
現実には限界というものがあるけれども、心の中の出来事には限界というものはないわけです。
テレポーテーションも自在だし、未来にも過去にも好きなように生き生きできる。
何なら未来も過去もない同じ状態がずっと続く。
これは多分トラウマ的な現在時勢に縛り付けられるみたいな話なんですけれども、
そういうことだってできでしょう。
何でもできるんですよ、心の中であれば。
だから何でも起こり得るわけです。
非常にマイルドに、マイルドでもないな、
この番組でもしばしばお伝えした平気で嘘をつく人たちの冒頭に出てきた人なんかは、
どこに何の痕跡もなければ、何のショックも受けていないのに、
人を引いてしまったんだっていう空想に苦しめられるわけです。
これは脅迫的な苦しみですけれども、こういう空想も非常によくある。
おそらくあの冒頭に出てきた人は、そんなことは全然言及されてませんでしたけど、
実に逆算的に生きてきたんだろうなっていうのはよく感じられる人ですね。
だから彼は逆算的な万能感に浸っているわけですよ。
先こういうふうにしていけば必ずうまくいくはずだと。
でも彼は現実的にはなかなかそういうことができないわけですね。
彼は心の中に弱さみたいなものがあって、これはすごくざっくりした言い方だなと、
自我侵略でこういう表現も取るのかなと思ったぐらいなんですけど、
確かに彼はあまり強いというタイプではないわけですね。
奥さんとか家族とはうまくいっていると、彼はそういう万能空想に浸っているわけですよ。
だって家族とうまくいっているとかうまくいってないってわからないわけですよ、結局のところ。
そこに定義はないですよ、うまくいっていると。
例えばコウロンゼロならうまくいっているのに、コウロンゼロでも、
僕はちょっと前に嫌な漫画を読んだんですけど、妻が口を聞いてくれません。
これコウロンゼロですよね。口聞いてくれないんだから。数年もですよ、この話の中では。
でも畑目にはうまくいっている。これ奥さん側からの描写の漫画の動画もあるんですよ。
ずっと口を聞いてないと、あれ、一種の冠目だろうなって気がするんですけどね。
畑目にはうちは仲のいい夫婦なんだろうな。
もうなんかホラーみたいじゃないですか、ある意味では。
27:00
でもそんなことは僕はいくらもあると。
で、それをもってうまくいっているんだって思い込める人もいるわけですよ。
で、夫婦、この状態からさらに逆算の空想をして、さらにうまくいくためには、
例えば旅行を計画するとかね。運動会には必ず顔を出すとか。
夫婦では直接一切口を聞かないまま数年も過ごしているのに、
そういう計画を立てることができてしまうわけですよ。
つまり、形の上での話を優先するならば、
この人の頭の中では何だってできるわけじゃないですか。
すっごくこれは極端な例かもしれないけど、でも私はあり得る話だったと。
現にあれは多分あり得た話だったと思うんですよね。
離婚しなかったっていうのが、なんかミラクルみたいな話でもありましたけどね。
そういうふうに、そういう話がありますんでね。
だから逆算をするといった話になった時には、
心の中というものに絶大な権力を与えているので、
比喩的に言えば、この自分の未来というものを空想的に描き出したわけですよ。
そしてそれに向かうという現実にね、それに向かう努力を現実にするんだということを始めてしまったわけですよ。
それだけ万能的な空想力というものによって現実を侵食させればですね、
同じようにちょっとでも不安になった時、
心の中でちょっとでも万能的に恐ろしい絵を描いてしまったり、
それが起きるかもしれないって思うに決まっているじゃないですか。
もしそれが絶対に自分が万能的に描いた不安による結末なんて絶対に迎えないんだと、
絶対に例え火をつけっぱなしにしたってうちは大丈夫なんだって思えるような人だったらば、
自分の万能的な空想を未来に描いて信じることはできないですよ。
ここは裏表なんですよ絶対に。
閉じまりを忘れたって泥棒なんか入らないでしょうと。
後で可愛い幼児がつやつや寝てるけど襲われたり誘拐されもしないでしょうと。
確信も出るような人がですね、万能的な未来の方だけは、
万能的でポジティブな未来の空想だけは信じていられるなんてありえないですよ。
そういう人には僕らの心はできてない、そこまで自分に都合よくはできてないと思うんですよね。
ポジティブな方だけは万能空想を100%信じるけど、
ネガティブな方は1%も信じないなんてことはできないんですよ。
万能空想を信じられるんだったら、ネガティブな方も100%信じちゃうんですね。
ここが怖いんですよ。
ネガティブな、ポジティブになんでもありならネガティブにもなんでもありなんですよ。
実際、脅迫症の人の言動ってのはそういう風にできてますよね。
例えば、ちょっと自分がFacebookなりで変な写真をアップしてしまうと、
30:07
それを見とがめた人が私のことを訴えて、
私の人生はお先真っ暗になるみたいな空想を描いて、
信じてしまうんですよ。
信じるから、だから私はSNSからは一切手を引くんですってことが起こるわけですよね。
現実に影響を万能空想が与えていくわけです。
こういうのを脅迫神経症っておそらく言うんだと思うんだけれども、脅迫症だけではないんですよね。
非常に抑鬱的でもありますよね、この発想からやってくる。
そして引きこもり的でもある。社会的引きこもりってやつですけどね。
いろんな形で出てくるはずなんですよ。
空想なんてなんでもありな。
だから例えばですけれども、奥さんがちょっと機嫌が悪いと、
内心で自分のことをすごく詐欺すんでいるんだろうとか、
そういえば会社の人もそういう態度だったとか、
そういうふうに人の心の中を万能的に読むことができていくわけですよ。
つまり目に見えているものを信じてないってことですよね。
私はこれは脳はいくらでもやると思うんですよ。
だから手を洗うのもやめられなくはなるんです。
目に見えているものだけだったらもういいじゃないですか、一回洗えば。
目に見えないものを見ようとするから、そういうふうになるわけです。
目に見えないものを見るわけですよ。
10ヶ月後こうなっていたいっていうのは目には見えない。
目に見えたら怖いですよ。
10ヶ月後ですからね。10ヶ月って半端ない月日ですからね。
200日も300日も後の光景がありありと見えたら、それは幻覚ですよね。
でもそれを信じなければそこに向かうってことはできないじゃないですか。
だから逆算ということができるということは、
つまり逆算してその気になれる、少しでもなれるということは、
反対側の話も考慮に入れないわけには僕はいかないだろうなと思うんです。
なんでもありだってところがミソなんですよ。
これすっごいわずかな差を作り出せるってところがむしろ私は万能的だって思うんです。
例えば100日後に10万字っていうことができますよね。
100日後に99,900字っていうこともできますよ。
この差がなんでもないんですよ。
この差ってなんでもないように思うかもしれませんが、
例えばこう言ってみたらどうか。
100日後に10万字と100日後に99,600字は小さな違い感。
私は逆算の世界でこの種の大きさを話題にする人ほとんどいないっていうのをよく感じる。
よくある種の違和感を持って感じるんです。
だって倉田の圭祖さんは最大1日400字もいかない日がザラにあるっておっしゃるんですよ。
あの人は作家ですからね。
33:02
400字ですからね。10万字と99,600字の差っての。
ここを小さな差だって思うってことは、
この人は私はプロの物書きではないなって感じがするんですよ。
ここの差はでかいと思うんですよね。
この400字で言えることの差って非常に大きいと思うんですよ。
私はこのレベルに入ってくると100日後の計算ができるはずはないと思うんですよ。
そんなことをしている人はいないんじゃない。
やっぱり100日後に10万字か9万字かって話じゃないですか。
1万にも違いますよね。
1万字違ったらもうその本は全く違った本になると思うんですよ。
だからそういうことは万能的に出し入れは本当はできないんですよね。
10万字でも9万字でも2,000万円でも1,998万円でも同じだっていうのは
空想の世界ならではの発想なんで。
このように何でもありなものをやっていくから
私はそういえばこの道すがら人を引いてしまったかもしれないっていう空想をしてしまって。
それは相当突拍子もない空想なんだけれども
その場に現場に戻って確認せずにはいられないっていう人の真理を作り出すんですよ。
これは間違いなく万能的な世界。
だからオカルトになっていくわけですよ。
このオカルトのポジティブな面だけ手に入れることができないのが恐ろしいところなんですよ。
オカルトがネガティブに自分にかかってくるということは
それこそあれですからね。魔王に襲われても別に何にもおかしくはないっていう話になってしまうんですね。
一見したところリアルな雰囲気を帯びている。
つまり世の中で起きていることと起きていないことぐらいは分けられますって言うんだけど
私はそれは何にも意味がない気がやっぱりします。
ガスの台付けっぱなしだったってのは確かに起こりうることだけども
全部消していった家に勝手にガスに火がつくっていう妄想をするのは
ゴジラがやってくるのとレベルとしては何も変わらないんですよ本当は。
それは絶対に物理的には引き起こせないことを引き起こしちゃってるっていう点ではですね
空想の産物だっていう話ですね。
でこれを最終的に切り分けるために私が実務的にですよ
一番役に立つと思っているのは苦しみってのは心の中にしかないんだっていう風に
絶対的に確信を得ることだと思っています。
怒りでも悲しみでも何でも構いませんけど
まずここからだと思うんですよ。
よく最近なぜかね受ける相談でこれももうずっとなんですけれども
私の部屋が片付いていると思われているのかもしれないな。
36:00
片付いてはいるんだけれどもあれ別に片付け上手だからとかそういう話ではないんですけど
部屋が汚いと。
部屋の汚さはその人を苦しめないんですよ。
よくこれは倉園さんが実地におっしゃってますよね。
自分の部屋は散らかり放題だったがそれで苦しんだことはないみたいな話を
本当か嘘か知りませんけどなさることがあってですね。
でもそれは本当なんですよ。
ここを切り分けないと万能空想と同じことが起こるんですね。
現実と空想が入り乱れてしまう。
苦しみってのは自分の心の中にあるものなんだ。
で実際にそうですよ。
だって部屋がどんなに散らかってても少しも苦しんでない人もいるわけじゃないですか。
いますよそれは漫画家さんとかで確実にいます。
だから苦しみは逆風的に部屋の汚さが作り出すってことはありえないことなんですね。
色が目の中にしかないように万能の中なんだ。
やっぱりこう部屋が汚いと言って苦しむのは自分の頭なんですよ。
自分の頭ってのは自分の肉体の中にあるものであって外にはない。
つまり散らかっている部屋は苦しめてこないわけじゃないですか。
だからその散らかっている部屋というものが自分を苦しめ得るって考えるってことは
実は空想で何でもありの世界が始まってしまうんですね。
ここを切り分けるところからだと思うんです。
逆さんとかそういう大きな話をするさらにずっと前にですね。
外と内をはっきりと分けて心の中に苦しみがあることが確実だということになればですね。
外に苦しみの原因は何もないんだと。
きっかけはあるかもしれないけど原因は何もないんだと。
この確信が絶対的になるとこの苦しみは僕の体感では1%ぐらいまで一気に縮むんですよ。
ということは逆に外に苦しみの原因が本当にあるんだって考えると
自分の苦しみは100倍ぐらいでかくなってしまうんですよ。
夫婦喧嘩であれ逆さんのプランが達成できないのであれ
すべて同じだと自分は思うんですよ。
先送りであれですね。先送りが苦しいわけじゃないんですよ。
苦しいのは絶対自分の心であって心の中にしかない。
心の中だけで万能空想をやっている限り大したことは起きない。
心の中だけの出来事なんて何も起きませんから。
つまり不在なんですよ。
この不在っていう何回もこの話を出していて本当に申し訳ない気もしてくるんですけれども
やっぱり悪いおっぱいってものはない。
何度もあらゆるというわけじゃないけど
でもほとんどイギリスの対象関係論に関わる精神分析家
ほぼ全員これを言ってる気がするんですよね。
悪いおっぱいは本当はないんだって当たり前なんですけどね。
39:02
僕を苦しめるおっぱいが出ないというおっぱいはないんだっていう
これが幼児にはつかめない。
でも僕らにもつかめてないんですよ。
ないだけだって言ったって先日もお話ししましたけど
こういう話もなかなかしにくい話なんで
ちょっとはばかりながらするしかないんですけど
ないだけだって言われても僕らは信じないじゃないですか。
例えばいい会社ってものがないだけで
悪い会社が私を苦しめるわけじゃない。
理想的でまともな上司ってものがただそこにいないっていうだけで
誰か苦しめてくる悪い上司ってものがいるっていうわけじゃない。
こういう話はわかりにくい。
もう少し言うとこれが今のような話だとは
非常に捉えがたいというか納得できないというのであれば
例えば恋人と別れてしまいました。
これは恋人と付き合う前の状況に戻っただけなんですよ。
でも私たちはそうは思わない。
別れたという状況に自分が苦しめられてると思ってしまうんですよね。
だから作り出してしまうってことですよ。
でその別れた状況ってものは当人の心の中にしかないじゃないですか。
だからその苦しみは当人の心の中にしかなくて
恋人がいないっていうのは前と同じで
いなくて全然苦しんでない時の状況と
こういう話をシェイクスピアがよく書いてましたけど
変わらないはずだと思うんですよ。
出会わなければよかったとかっていうやつですよ。
でも実際そうはずなんですよね。
苦しみたくないだけであればですね。
不在だっていうことを認識しきれないというのが問題なのであって
不在は不在なんですよ。
逆算なんてまさに不在じゃないですか。
どこにもないんですからその未来は。
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