1. グッドモーニングボイス
  2. 【GMV 448】自分を許すとは?
2021-08-31 28:16

【GMV 448】自分を許すとは?

妄想分裂ポジションに罪はない
00:04
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
完全にグッドイーブニングバージョンなんですが、
昨日、今日とちょっと珍しく、久しぶりに旅行に行ってまして、
いわゆるかなり近場で、こういうご時世なので、
県をまたがず、しかも人と接触をほぼしないで済むような感じで済ませてきました。
だから、行ってとんぼ帰りみたいな感じなので、
ただ、今朝だけちょっと撮れなかったという感じなんですが、
という話をするのではなくて、
9月4日の土曜日に、シーズン2の第8回のグッドバイブス勉強会オンラインでやります。
依頼が導く幸せな役割みたいなテーマだったと思うんですが、
これが一番分かりにくい方で実践的。
これ、分かる人にはスルッと分かるような話なんだろうなと思いつつ、
私なんかは比較的、なかなか、なんでなんだろう、
ここに一生懸命、見えやすいロジックを負おうとするせいなんでしょうね。
分かりやすいと感じにくいところがありました。
今でもあります。
依頼をやっていると幸せな役割に導かれるって、
どこかが魔術的な雰囲気を帯びますよね、表現としては。
そうではないんだけど、そういう感じを持つんですよね。
この辺のところも合わせて聞きたいというような方に是非ご参加いただければと思います。
今日考えていたのは、許すということ。
グッドファイブスでは独特な許すという字、
無罪方面の謝面するみたいな謝を使って許すを表現するんですけれども、
それには上下関係が出ないというのが意味として強いと思うんですが、
グッドファイブスでは上とか下ってないですからね。
人間関係でも価値的な評価でもですね。
私はそれとちょっと違う文脈で、今さらというぐらいは散々喋ってきているテーマでもありますけど、
例の妄想分裂ポジションというので許すということを考えることがよくあるんですね。
というのは、ごく簡単に言ってしまうと夫婦喧嘩というのは妄想分裂ポジションなんだよなってよく思うんですよ。
03:03
関係性を破壊しても構わないという感じを帯び始めますから、
喧嘩も何にもせず離婚するというのも世の中にはあると思うんですけど、
何かあるはずじゃないですか、普通の場合はね。
関係を破壊しても構わないというのって、これまでの戦いをなるべくなかったことにしようという力が働いていると思うんですね。
良いおっぱい、悪いおっぱいというのは、良いお母さん、悪いお母さん、良い両親、悪い両親というのは全て、
関係性の破壊ということについての情緒を含んだアレゴリーだと思うんですよ。
言ってみれば、それは関係性を破壊しまくっている人が、
ついに強制入院とか措置入院になりましたみたいな、
そうでないにしてもカウンセリング受けますと。
カウンセラーとの関係も一つの人間関係じゃないですか。
だってカウンセラーのところに来ましたと。
一度はそれを信用しようという、入院の場合は子させられたっていうかもしれませんけど、
それにしても子させられたことに同意してきているということは、
やっぱり何らかの形でそこには人間関係が、
同意するぞというのかな。
この関係を成立させることに同意したという側面があるわけですが、
多くの場合、まずそれにのめり込むというケースが少なくないんですよ。
多くの場合少なくないって言ったらおかしいですが、少なくないんですね。
カウンセラーにすごく一定の行為を持つ、あるいは一定以上の行為を持つと。
だから転移って言うんですけどね。
もうこの関係がなかったことになると。
つまり私が間違っていたと患者さんは思うわけですよね。
だからつまり良いお母さんはいいけれども悪いお母さんは良くないから、
今までの経緯は一切なかったことにして、
この関係を立ち切ることにしましょうと。
この時に多くの場合、自分の過去の決断というものに縛られたくないので、
それに対する解釈から、記憶から、なるべく上書きしていくわけですね。
あのような関係を結んだのは私の間違いだということは、
人間関係ではザラにあると思うんですよ。
あの人はとても優秀ですごいいい人で、信用に値するし、
今回のプロジェクトには絶対欠かせないから一緒に組むことにしましたみたいなことは、
フリーランスの仕事のパートナーを選ぶ時でもよくあるけれども、
その関係が破綻する時は、なるべくそういうことを過去を自分が思ったり言ったりしたということは
なかったことにしたいじゃないですか。
なんかいろんな意味で気まずいですからね。
06:02
あいつは最悪だったってことにだけしたいじゃないですか。
だからいいパートナーは悪いパートナーなわけですよ。
不思議な話では全然なくて、至って当然だろうと。
で、私はそこに拡張バイアスというものを認知心理学の側からですね、
精神分析じゃなくて認知心理学の側では、あるいは認知社会心理学では
こういうのを拡張バイアスというやつで、つまりなんだっけ、
トンカチ持っていれば全部が釘に見えるってやつでして、
このパートナーがいいパートナーだと思う時は、
その人の悪い部分とか、怪しげな部分とか、悪い噂とか全部を
無視するかよく解釈するわけですよ。
これはあれですね、政治的。
一番いいのは株ですよね。
株買った時はもう買っちゃったんで、
買った株がこれから上がる材料だけを知りたいわけですよ。
下がる材料を知るのは精神的に苦痛ですよね。
だから上がる材料だけ知りたい。これが拡張バイアスです。
で、売っちゃったらそれ以上今度逆に上がってしまうということになると、
売ったのが早すぎるということになるんで、
今度は下がる材料だけを追う人はですね、知りたいと。
これも拡張バイアスですよね。
これと同じ心理がやっぱり普通に働くはずで、
特別ポジションというのはつまりそういうことなんですね。
両親との関係を破壊するというのは子供にとっては一大事件なので、
よっぽどのところが必要ですが、
だからこそ逆に生まれて間もなくの子は、
むしろ歴史的経緯などに構っていられない、
そんなことに構っていたら泣くことすらできません。
って話は前にしたことあると思うんですけど、
だから僕らの方が気楽なんですよ。
要するに関係破壊したって何とかなるじゃないですか。
赤ちゃんにしてみれば関係破壊しても
お父さんなんか知ったこっちゃないから家を出るってこと言ったら
すぐ死んじゃいますよね。
だからこういうことを決断できるようになるっていうのはむしろ大事なことであって、
妄想分裂ポジションというものの一つのポジションとして
子供を持つ時期っていうのが必要なんですよね。
これがたぶん第一次反抗期とか呼ばれていることと
関係があるんだろうと思います。
抑鬱ポジションを確立できるということは
なんとかかんとか一人でやっていけるぐらいの
状況、条件が多少ともやっぱりそこにあると思うので
抑鬱ポジションというのはつまり
関係を破壊せずにぐっとこらえるということなんですけど
それができるようになると。
私たちは関係を破壊する前に少なくとも一行はしますよね。
一度考えるってやつです。
全く考えないって人もいるかもしれませんけど
一行はすると思うんですよ。
この一行するというところに
抑鬱ポジションの入り口みたいな
表現をしますけれども
当然そういうのが私たちはあって
多くの場合私たちは
当然抑鬱ポジション優勢で生きています。
ここでクラインが優勢という言い方を取ったんですよ。
09:03
我々は抑鬱ポジション一辺倒になったりは絶対しない。
必ず分裂ポジションに入り込んで
抑鬱ポジション一辺倒になることも
普通の人であれば考えにくい。
やっぱり抑鬱ポジションに多少とも足を入れているから
先輩のことが大好きで素晴らしいと思ってたって言っている人が
急に先輩よりひどい人は見たことがない
って言うようになったとしても
心のどこかでは
心のどこかで
この抑鬱ポジションを
抑鬱ポジションの中に入れ込んで
先輩になったとしても
心のどこかでは
ここでいろんなことを逆転させたということに対する
自覚は多少はある。
そういうことなんだと思うんです。
許すって話で考えますと
要するに妄想分裂ポジションを許すんですよ。
それしか考えられないと思うんですね。
抑鬱ポジションになった時に
人がやるのは
相手が妄想分裂ポジションに入っているということを
許すということですよ。
相手が関係を
破壊させようとしてきても
そこで
同じになっちゃわないと。
一緒に妄想分裂ポジションに入らないと。
この番組で繰り返し言っている
術語を使うなら
遠いどいつかされないということですよね。
どこか余裕をそこに作っておくというか
入れ物を作るというか
第三者視点を取るということですよ。
二者しかいない関係になると
過去の戦いも減ったくれもなくなるので
相手が
あなたがそういう人だったんだら
もう離婚しかないと言った時に
自分もそれで応じた場合は
二人揃って同じポジションに入るわけですよね。
遠いどいつかされてしまうわけです。
相手が伝えようとしている気持ち
そのものがこっちに伝わってきてしまって
二人が同じ気持ちになっちゃうと。
これがコミュニケーションの
原始的な形態であるところの
遠いどいつかです。
妄想分裂ポジションが
そのまま妄想分裂ポジション同士になるというのは
多分一番よくある出来事で
夫婦間なんかですとね
そこに子供がいるとちょっと変わるんですよ。
子供がエリプスを持ち込んできます。
第三者視点ですからね。
子供がエリプスって不思議な感じがするじゃないですか。
エリプスといえば
お母さんと
ぼくちゃんがベタベタになって
いやいやそのままセックスしちゃダメだからね
とお父さんが言うと
言わないですけどねそんなこと
言うと。
第三者視点ですよね。
第三者が何かを禁止するというのが
エリプスです。
現実原則というものがこの世の中にあるんですよ
っていうことですよね。
現実原則があって
君たちがセックスしても何も生まれないからね。
なぜなら君が生まれたのは
そういうことじゃないからね
っていう話ですよね。
12:00
意外とそういうエリプスが
子供が持ち込むんですよ。
私は夫婦喧嘩やってて
よくそれを感じさせられます。
つまり私と妻が喧嘩しているのに対して
子供がまあまあまあと言うと
言うんですよ。
これが意外とね。
これ現実原則ですよ。
やっぱりね。
子供の
子供が要するに
なんて言うんですかね。
どっちの言い分も分かるけれども
そのまま突き進んじゃダメだからね。
これエリプスですよ完全に。
現実原則なんですね。
ここに第三者視点が入ってくると
どっちかが抑鬱ポジションに
優勢を取り戻さなければならない。
あるいはこの状況そのものが
抑鬱ポジション的だとも言えますけど
前は
つまりその子がいるという
それが経緯じゃないですか。
夫婦の間にその子がいるということは
そういうことに同意しました。
そういうことに同意しましたよという
過去があったわけですよね。
それはなかったってことに
できないということですよ。
なかったってことにするってのは
大変なことになってしまいますよね。
よく書いてあります。
本当に精神分析でも出てきますし
カンセリングでもよく書いてあるんですけど
抑鬱ポジションに入った人が
全てを逆転させてしまうという
シーンには
あの
なんて言うんですか。
人間に取られるっていう風に書いてます。
今まで
今までの治療経緯は何だったのかと
特に精神分析なんかはそうだと思うんですよね。
5年とかやってきていて
ようやくこういい感じになってきたなと思ったら
もう先生の顔は見たくありませんとか
いきなり言い出すわけですよ。
びっくりじゃないですか。
こういう逆転を
抑鬱ポジションがすごくなってくると
その歴史の書き換えと言うんだけれども
書き換えが起こるわけですよね。
こうなってしまうと妄想が入るので
そう簡単にはですね
いかないわけですよ。
例えば
あなたは今そう思ってるかもしれないけど
ここら辺にはこういう理由があってとか言っても
全く聞き入れてくれないわけですよ。
でも前あなたは私のこと信用するって言ったって言っても
それは詐欺のようにして騙されたとか
言い返されるわけですね。
一旦妄想が入ると
確証バイアスが働くわけです。
子供が例えばですね
例えばですけども
私に対して
そんなに怒らなくてもって言っても
なんかこう私が
お前はお母さんの味方をするんだろうとか言ったら
妄想的じゃないですか。
つまりこれが
妄想分裂ポジションで
働く思考なんですね。
全てが逆に
逆に考えるように
しなければならなくなると。
でですね
許すの話に戻るんだけど
これを許さないと
先へ進めないと思うんですよ。
つまり
15:01
非常に許しがたいと
お互いが思うだけだったら
もう関係を破壊していく方向に向かうしかないので
妄想分裂ポジションをどこまで許せるかというのが
つまり欲打つポジションに入れるか
あるいは維持できるかということなんですよね。
優勢さを維持できると。
子供にしてみれば
ひどい話じゃないですか。
お父さんと関係をしていたというのは
まだしも
アジャセコンプレックスあたりだとひどいですよね。
あんたが生まれたのは
要するに
自分のお母さんが
何か自分の地位を
安定させるためにやったことであって
別に子供が欲しかったわけじゃないとか
そんな話はですね
3歳の頃とかに聞かされたんじゃ
たまったもんじゃないわけですよ。
だからアジャセは
お父さん殺しちゃうわけですよね。
こういう話って
結局
どんなケースでもあると思うんですよ。
後になればですね
その関係が成立した
戦というものに
私利私欲めいたものが
全くないというのは
考えにくいわけですよね。
会社では何かこう最初に取ったときは
あなたの何か能力をすごく見込んで
とか言ってたけど
実は人員が急に足りなくなって
私が大宮の
埼玉料金センターで
派遣社員で働いたときは
まさにそういう感じだったんですよ。
一番優秀だから取りました
みたいなことを言われてたけど
実際に私が入ったのは
私がちょうど使ってた席で
仕事をしていた
正社員の方が
休止されたからだったんですって。
私はもちろん
全然知らなかったんですけど
結構葬式も行われたみたいな話で
全然関係ないのに
片身の品の本とかも
もらったんですよ。
そういうことって
別に僕はそれで
ショックを受けたということはないですけど
つまりそういうことはあり得ますよね。
何かしらの人間関係が成立する裏には
抜き差しならない事情とか
私と関係を作りたいというのとは
全く関係ない事情が
潜んでいたりしても
潜んでいるってほどのことでもないですが
別に全く不思議なことではないですが
それがあって
許せないみたいな話になった時に
経緯というものは
どういう経緯を持っていて
どういう
現実、原則が
そこにあったのかということを
全部含みで考えていかないと
始まらないと
つまり
妄想分裂ポジションに相手が入った時
どうしてそうなったんだろうと
誰かが考えてあげなければいけない
それを許すってことになると思うんですよ
一番ここでポイントになるのは
そうは言っても
自分、妄想分裂ポジションに
入っちゃうじゃないですか
かつて入ったことが絶対あるわけですよ
どんな人でも
私はありませんって人は多分いない
だって赤ちゃんの時は
みんなやってますから
まず泣き喚いたってことがあるですよね
18:00
あれは
関係を破壊しても構わないから
お母さんを蹴るみたいな
そういうところがあるわけですよね
お母さんはそうは考えないだろうけど
赤ちゃんはもう何もかもが
嫌になって蹴るみたいな
そういうことはあると思うんですよ
それ、妄想分裂ポジションって
かつてそれを許してもらったことが
あるわけですよね
つまり
私は自分が欲打つポジションに
入ったらですね
必ず自分の妄想分裂ポジションを
許さなければいけない
ということを含んでるはずなんですよね
私が欲打つポジションに入ったら
私が妄想分裂ポジションに
それまでいたということで
間違いなく頻繁に
そればっかり使ってたという
もっとですね
私たちは赤ちゃんの時だけでなく
大きくなってからも
妄想分裂とは言い難いかもしれませんが
創的防衛というやつで
人間関係を破壊してきていることが
少なからずあったはずなんですよ
もうこれは断ち切るしかねえなって言って
断ち切っちゃうわけですよ
そこに
過去の戦いはあるわけじゃないですか
あるにもかかわらず
拡張バイアスを使いまくって
ああいう関係を作ったのは
全部俺の過ちだったみたいな
若気の至りだったと
あるいはこういう部分を
みんなに騙されていたとは言わないけど
真実を見抜けなかったから
これは断ち切るのが賢明だという
とにかく断ち切るのが賢明な理由を
いっぱい見つけ出して
あるいは熱中症になるという
そういう意味で
賢明な理由をいっぱい見つけ出して
あるいは熱増してでも
関係立つんですよね
ということをかつて
自分がやったということを
含みで許さないと
多分抑鬱ポジションに戻れないと思うんですよ
戻ったとしても
あまりにも自分の妄想分裂ポジションが
許せないと思うと
何が起こるかというと
抑鬱になるんですよ
だから抑鬱ポジションと言うんですよね
ここの部分をメラニ・クライアンは
強調しすぎているんだと思うんです
お父さんとかお母さんに対する関係の破壊
これは明らかにクライアントが
精神分析科に対する関係の破壊を
悔やむということについて
喋っているんですよ
だからここがアレゴリーなんですけどね
でもアレゴリーと言っても
単なる比喩じゃないんですよ
その時にはもう
メラニ・クライアンがお母さんに見えている
特にあの人は
児童の精神分析という
極めて特殊なことをやっていた人なんで
手掛けていた人なんで
当時としては非常に特殊な
特殊です
子供の精神分析をやっていたんですよ
だからもう完全に
クライアンはお母さんそのものなんですね
そのお母さんとの関係を破壊して
もうこんな精神分析みたいな
まあそうは言わないでしょうけど
カウンセリングやってられないからって言って
言われたとしても
そこをぐっと踏みとどまって
その子が申し訳なかったという
気持ちになるまで
申し訳なかったという気持ちになるのは
モラルの褒めじゃないですよ
申し訳なかったという気持ちになるということは
21:00
思い出せるって言っているんですよ
クライアンは
つまり記憶を繋いだ上に
自分が相手を攻撃してしまったという
人格をも統合できる力を
手に入れるっていうことを
多分言いたいんだと思うんですね
それをお母さんに対して
できるようになると
つまりそれを人間関係全域において
できるようになるっていうところを
目指したんだと思うんです
ある意味どうやって目指したのか
わかんないんですけど
とにかくそういうことを
やったんだと思うんですね
これはアレゴリーなんですけど
比喩なんですけど
クライアンは本当のお母さんじゃないから
これじゃあほとんど本当のお母さんと
変わらないんじゃないだろうか
っていう感じもするので
そこの時に確かに子どもは
抑圧的になるとは思うんです
しょんぼりしちゃいますよね
自分が悪かったと思うんだから
悪かったと思うことが
自分でそういうことを
自分はやるんだけれども
許す
なんて言えばいいんですかね
これはやっぱりね
なんて言うんですか
妄想分裂ポジション自体は
罪じゃないっていうことなんだ
と思うんですね
グッドバイブス流に言うと
メラニー・クライーンは
罪だっていうかもしれないです
心境ですからね
ですけれども本当のところ
それはでも許されるでないと
このまま地獄に落ちなさいっていうのは
全然カウンセラーにならないですからね
だから何らかの形で
やっぱり許されるんだと思うんですね
これが自分を許すってことなんだろうなと
グッドバイブスでは
夢見る人に罪はないって言うんですけど
完全にそういうようなニュアンスです
妄想分裂ポジションに罪はないんですよ
みんなこれが罪だって言うんですけどね
このような状態の人間は
耐えられないと
耐えられないと言うと
何が起こるかというと
自分も妄想分裂ポジションに入っちゃうんですよ
例えどれほど自分に正当性があったとしても
相手が100%悪かったとしても
結局自分も妄想分裂ポジションに入るんです
これを許さないと
つまり妄想分裂ポジションに入るなんてことは
人としてダメだってことになっちゃうと
ヨクスポジションって成立しないんですね
岡上圭吾さんが面白い像の話を書いてました
ミケランジェロが作ったモーゼ像っていうのかな
モーゼが怒りのあまり思わず
でかい石を弟子に向かって
神徒に向かって投げつけようとしているところで
踏みとどまっている
これがエリプスなんですよね
こういうのがエリプスだったと思うんです
自分が怒っちゃダメだと言った以上
怒っちゃダメなんですよ
怒っちゃダメだと言っているのに
すげえ弟子が発狂して
許しがたくなっているからといって
その弟子に向かって石投げてはいけないんですよね
24:02
法ってそういうものですよね結局のところ
自分自身も縛るものですよね
だからそこで踏みとどまっている像っていうものに
フロイトが感銘を受けたっていう風に書いてあるんですけど
いかにもありそうなことではあります
つまりそういうことなんですよね
自分がそうしろって言っている以上
それは自分だけは適用外ですっていうのは
おかしな話になっちゃうんで
そうするともう完全にエリプスが成立しない世界に
入り込むしかなくなるんで
そうなったらもうあれじゃないですか
快楽原理が全てですよね
怒りたいときに怒っていいし
やりたいときにやりたいことをやりたいときに
怒っていいしやりたいときにやりたいことを
やればいいってことになるんですよ
それでうまくいかないところをどうなるかっていう話が
エリプスなんで
つまりそういうことをしてしまうと
取り返しのつかない事態が発生すると
お母さんを破壊したくなったから破壊しちゃいましたと
でもこの話は前にもしましたけれども
取り戻したくなったから呼び戻しました
っていうのが現実では成立しないんですよね
思考なら成立するんですけれど
というところが
この妄想分裂ポジションを
でも許すと
許すというからには
極力妄想分裂ポジションに自分は入っては
よろしくないっていう
ここにパラドキシカルなものがあるんですけれども
でも入ることはあっても
別にそれ自体は取り返しはつくっていう風に
考えておく必要があると
こうやって喋ってて思うんですけど
全くどうでもいいというか
ごく当たり前の話を
延々とぐるぐる喋ってるだけのような日がするんですよ
自分でも
でもこれが不思議と
自分が妄想分裂ポジションに入りそうになっている時には
まさにこのぐるぐるで頑張るしかないって感じなので
この感覚を思い出しながら喋ってるんですね
これだけは許せないとかって言うじゃないですか
それが起きた時の
これは考え方なんだと思うんです
それだけは許せない
両方許さないといけないんですよ
一つは相手が妄想分裂ポジションに入って
ろくでもないことをしているように
している
しているっていうことはないんですけど
しているように見てるんで
ろくでもないことをしつつあるぐらいかな
しつつある
それをろくでもないことだと思ってしまうのも
妄想分裂ポジション
ろくでもないことだと思ってしまっていると
思いつつある自分が言う
この感じが
どこまでこの感じのままいられるか
みたいな感じなんです
漢字ばっかり言ってますけどね
この感覚を
なんて言うんですかね
まだ空いてる
完全にブチ切れてはいない自分みたいな
そういうので
27:00
どこまで
ある人が面白いことを書いてるんですよね
ソファーに
バサッとなった感じ
ソファーにドカッと腰を下ろして
背中をバサッとつけた感じ
それを妄想分裂ポジションとすると
ぐっと背中のところで
隙間を開けている
その隙間っていうのが
ビヨンだったかな
ああいうところのコンテイン
心のスペースの中に
収まるかどうかみたいな
その隙間っていうところが
空いてるかどうかが
ポイントっていうようなことを書いていました
そういう感じが
ある時はしますね
グッドバイブスで言えば
攻撃しないっていう
でも攻撃しちゃっても
それは罪悪じゃない
っていうこの辺の含みは
すごく妄想分裂ポジションに
連れていかれない
でも連れていかれてしまったとしても
抑鬱ポジションはそれによって
完全に失われてしまうわけではない
そんな感じです
28:16

コメント

スクロール