2023-03-10 55:49

【748】シンデレラが気づきかけたこと

妄想分裂ポジションから見える世界

00:04
おはようございます。先送りせずすぐやる人になる、ポッドキャスト第748回ですね。
昨日が747だっていうのは、カラオケでこういうお店があったような気がしたので覚えているんですね。
今日は3月10日金曜日11時です。
昨日WBCがあって、私は試合しか見ないくちなので7時ジャストからずっと見ていたんですけれども、
そういったことがありましてですね。
今日は7時以降にやることのいくつものことを何もせずに焼きを見せたので、
今やって終わったところでこの収録を始めたためにこの時間っていう、非常に流動的なんですけどね。
だからといって昨日の方が早かったかというとそうでもないので、やっぱり流動的だなとは思いますね。
今日はですね、娘を送って速攻活動をして2度寝はしてないから、焼き終わってすぐ寝たっていう勢いだったんですね。
焼きを見ながらご飯を作ったり、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、焼きを見ながらお風呂に入るのはちょっとうちでは難しいので、
その時はもう圧倒してたので、途中までちょっと危ない感じだったのでびっくりしたんですけどね。
第1戦だから緊張があるにせよ、このチームと危なくなるようで大丈夫なんだろうかと。
でも最後はね、割と一方的になりましたね。
マキのホームラン、マキ選手の横浜のね、あのホームランを見てこれで決まったかなって感じだったんです。
その時にもうお風呂に入ったといった感じですね。
野球談義をずっとしていると野球のポッドキャストになってしまうんで、私の場合。
もうここはちょっと控えめにして先行こうと思うんですけど。
お知らせがありまして、第3期の100日チャレンジ、ジャイ松崎さんとやってるのはですね、募集開始しました。
ただし募集開始とともにおそらくほぼ満席状態で、
多分ですね、タスクシュートクラウド席、タスクシュートチャンネルみたいなのもこっちの募集はおそらくもういっぱいになってるんじゃないかぐらいな感じなんですが、
まだ一般枠っていうのがあるんですよ。
一般枠の100名様も多分、開けるともう50席ぐらいは多分埋まっちゃうんで、
03:02
残り50席ぐらいはあるんじゃないかと思うんですけど、
これはですね、この番組を聞くのを待っていられると多分ダメだと思うんですね。
なるべくお伝えしていきますけども、できればジャイ松崎さんのやっているタスクシュートクラウドのページとかそっちをチェックしていただいたり、
ジャイ松崎さんのメルマガとかその辺をチェックすることを強くお勧めします。
もしこれ入るという方はですね。
あともう一つは、ウェイティングリストがあるんですよ。
第4期ウェイティングリストが現在すでに始まっておりますので、
100日後になっちゃうんですけどね、今からね。
でも100日は人すぐ来ますから、
もし絶対入りたいと思っていらっしゃる方はですね、
私もまさかこのようなことになると、だんだんだんだん増えてきて、
気がつくと200席が満席になる状態というのが現在あるんですけれども、
そうなると僕なんか全然思ってなかったから、
Jさんとお話しして300に枠を拡大するべきかどうかという話にもなっているんですけど、
さすがにこれをやるとですね、結構すごいことになりそうなので、
ちょっと現在のオペレーションのマンパワー等を考えますと、
300枠はちょっと難しいんではないかという感じもありますので、
その辺はどうなるかまだ分かりません。
とりあえず今期は200枠までなのですけれども、
気になる方はチェックのほうをお願いします。
もう一つの、自分でやってるものの、
自分だけでやってるほうがセミナーのほうね、
あれはですね、1枠から何らかは出ないので、
1席しか埋まっていないので、
こちらはもう興味がなくてもあってもぜひお願いしますって感じなんですけど、
最近クラゾノケイゾウさんも大橋英三さんも、
作業タイムみたいなのを相次いで力入れていらっしゃっていて、
これが流行なのかと、
僕はその流行に弱いので勝手にそういう風に、
流行に弱い割に流行を真面目に追いかけないという、
すごいいい加減なんですけど、
ちょっと作業タイムのほうに、
これもしていこうかなと思ったんですよ。
もともと質問中心だから、
これと作業タイムをくっつけてもいいんじゃないかと思って、
4月1日にやるやつですね、
あれをレクチャー中心の形式、
質問に対してインタラクティブにお答えしていくという形に、
最初考えてたんですけど、
ここで作業タイムを交えながらレクチャーするという形式に、
ちょっと切り替えることにしました。
なので、そういう方がいいという方が多くいらっしゃれば、
06:03
ぜひですね、ちょっと検討してみていただくとありがたいです。
この作業タイムと今私がやっている3ヶ月チャレンジ、
3ヶ月チャレンジのほうはおかげさまで、
まずまずいい滑り出しなんで、
これを私自身の一人でやる仕事の中心にしていきたいなと今思っているんですね。
これに作業タイムをつけてしまってですね、
ほとんど倉園さんの写真ワークのパクリに近くなってくるんだけど、
私はやっぱり6時間とかはつらいんですよ。
というか、私は1日6時間も仕事をしたことはないんじゃないかなと、
正直なところ思っているんですね。
しかもフリーランスで何回もやってきたから、
タスクシュートって仕事時間みたいなのをとらないんですよ。
仕事したり、ご飯食べたり、薄めたさんだり、仕事したりっていうのが
モザイクみたいに組み合わさっていて、
トータルで足すじゃないですか。
だいたい1日平均、すみません、これを言うと何か申し訳ない気持ちになるんですけど、
4.5時間くらいしか僕仕事してなかったりするんですね。
なんか書斎にいる時間もっと長いんだけど、
厳密に仕事をしている時間だけ抽出すると、
1日8時間している日なんてね、
多分ここ20年でなかったんじゃないかって、
1日や2日は、というか年にね、1日や2日はあったと思うんですけど、
僕はやっぱり根性なしなんで、あんまり仕事できないんですよね、長丁場で。
6時間のジャジンワークとなってくると、
途中で帰ってもいいみたいな話もあるんですけど、
そもそも6時間っていうのは自分では主催できないなっていうのがありまして、
半分にする予定です、3時間ね。
やっぱり半分くらいが僕にとってはいいところなんじゃないかという感じもするのと、
多分飽きるような気がするんですよね。
あともう一つ、小田原でやりたいっていうのが、
これはですね、昔から僕ここに引っ越してきてからあって、
多分僕埼玉県民で30年くらい暮らしてたんで、
この神奈川のある種の都市に対する無意味な憧れっていうのかな、
横浜は素晴らしいみたいな、これ来てみてですね、
僕がイメージしていた横浜と本物は違うんだということを思い知ったんですけど、
でもやっぱ好きなんですよ。
だから横浜ライフワーク研究会というか、横浜ライフワークなんとかとかをしつこくやって、
あんまりうまくいってないんですよね。
多くの人からすると千葉とか埼玉の人にしてみると、
行くのはまだし帰り遠くなるじゃないですか。
やっぱり東京でやるのと横浜でやるのとでは、
全然人にとって意味が違うんだなということを知って、
僕横浜でやれば、僕の横浜イメージ、勝手なイメージだと、
人が湾坂来て中華街で懇親会して素晴らしいなと思ってたんだけど、
09:03
全然そんなことは起こらないということがよくわかったんですね。
でもやりたいみたいなのがあって、
でも横浜はもう何回かやったからとりあえず満足して、
鎌倉っていうのも僕すごいあったんですよ。
倉野さんが小馬鎌ってところで、鎌倉でワークショップやると素晴らしいと思ってて、
鎌倉なら人が集まるだろうってまた僕が勝手に思い込んだんですけど、
なかなかそうはいかないという、これも横浜と全く同じ理由。
なんか僕の中で肥大化している鎌倉素晴らしいイメージっていうのがですね、
他の人も別に共有しているわけではないんですよね。
だけどうちの娘は僕の鎌倉病みたいなの、うちの奥さんも持ってるんですよ。
だからもう鎌倉素晴らしいみたいなのが浸透して、
鎌倉大好き人間になっているんですけどね。
みんながみんなそういうわけじゃないんだなと。
ここで小田原なんですよ。
小田原って多分もっとダメだと思うんだけど、
でも作業ワークは、
倉園さんもハイブリッドなんですよね。
だからリアルに人がいらっしゃらなくてもいいみたいなところもあって、
これいい考えだなと思ったんですよ。
大橋哲夫さんが今作業タイムみたいなのをなさろうとしていて、
彼も結構そういうの好きで、
昔からもともとタスクカフェって作業タイムからスタートした回なんですよ。
週次レビューやりましょうみたいな。
週次レビューをやるのなら、
月に1回の開催ではダメなのではないかと、
僕はそういうところに変に思っちゃう人間なんですけどね。
別にそんなことはどうでもいいんだけど。
週次レビューをやるという回で始まったんですよ。
その割に人数が最初すごいいらっしゃってて、
みんなでこれで週次レビューをやるって、
おかしくない?みたいに僕は思ったことがあるんですけど、
みんなでシーンとしてやってたんですよ。
40人くらいいたような気がするんですよね、最初は。
不思議で不思議でしょうがなかったんですよ、ある意味ね。
まあ、それはいいんですけどね。
だからやろうと思ったんですよ。
つまり横浜、鎌倉、さらに小田原じゃないですか。
もう一つ箱根っていうのがあるんですけどね。
箱根も難しいかなと。
僕ん家から小田原までは車で15分なんで、
これは絶対やりたいんですよね。
電車で8分と来てるんですよ。
平塚も8分なんですけど。
平塚でやりたいとはあんまり思わない。
平塚もいい街なんですよ。
結構おいしい食べ物が密かにいろいろあってですね。
いいんですよ、平塚とか大磯も。
ちょっとやっぱり大磯、平塚では難しいっていうか、
小田原はもっと難しいんじゃないかと思うんですけど、
小田原でやって、
これを今のジャジンワークのようにですね、
ハイブリッドでやればいいんではないかと思ったんですね。
しかもそこそこの会議室をとっても、
12:00
小田原には梅子ってところが、
やっぱり障害学習センターみたいなのって
今いろんなところにあるんですけど、
すっごい綺麗で、えらい安いんですよ。
小田原市民だと思って安いんですけど、
あそこでやろうかなっていうのを今ちょっと考えていてですね。
なんかでもね、リアルで2人か3人は攻めてきてくれないと、
何のために私が小田原まで行くんだろうみたいな、
それだったら家でやれば、家でオンラインにしちゃえば、
もしリアルゼロでみんながオンラインっていう形になってしまった場合はですね、
例えば梅子とはいえ、お金がかからないわけじゃないので、
ここがちょっとですね、今、
つまりゼロなんじゃないかって僕は思ってるわけですね。
リアルで来る人なんて。
そこがちょっとですね、考え、悩んでいると。
こんな感じです。
作業タイムはそうだな、4月の終わりぐらいになりますかね。
ちょっと考えておりますっていう感じですね。
これ実は平日にやってもいいんじゃないかという、また変則的なことをやり、
僕は平日も休日もないわけですよ。
そして小田原に行くとかだと実は、
どっちかというとですね、
そうですね、平日のほうが安い。
どっちも安いんですけどね。
そんなことを考えていて、何の話をしてたんだっけ。
だからぜひ作業タイムの準備もあるまで、
オンラインのやつお願いしますといったところですね。
すいません、今ちょっと途切れているのはですね、
回線状態が微妙になっているというのを受けたというのと、
その時に奥様の方からLINEがバンバン入ってきているというのが今かぶってですね、
ちょっと途切れた気がします。
というか途切れたよねと思いました。
自分の喋ることもそれに合わせてちょっと途切れちゃったんですけれども、
ぜひCMだけで15分使っちゃってますけどお願いします。
今日はですね、今日もかな、
ここのところずっと同じような話を、
僕このポッドキャストではずっと同じような話をしているとは思っているんだけれども、
シンデレラの話をしたいんですね。
これももう初めてじゃないんですけどね。
でも最近こう話をやっぱりセッションってすごい、
15:00
倉園さんもおっしゃってましたけど、
セッションってすごい勉強になって、
いわゆる枠組みを頭に置いていても、
その枠組みがその人の中でどう作用するかという話は、
実は全然全く別の話で、
私自身がそうですよね。
枠組みは当てはまるんだけど、
フェアバーンドとかでも、
ウィニコットとかでも、
クラインとかでも当てはまるんですけど、
結局自分なりにそれがどう作動しているのかは、
具体例で一生懸命推測を重ねていくより他ないわけですね。
妄想分裂ポジションなわけですよ。
その妄想分裂ポジションっていうのは、
発達の一形式であって、
発達してまず妄想分裂ポジションに人は至ると考えたのが、
メラニー・クラインで、
ウィニコットって人はそれに異を唱えてるんですよね。
人間に大事なのは欲打つポジションのみで、
妄想分裂はポジションではないと、
そういうふうな身の守り方をせざるを得なかった赤ちゃんが、
そういう防衛を使ったんだみたいな、
ないと言ってるわけじゃないんですよね。
なくはないんですよ。
ただそれをポジションと捉えるかどうかっていう、
これも大事な違いはあるんですけどね。
私はそこは今一生懸命考えているんですよ。
どっちの見方も別にとっても差し支えはないですね。
どうせこれは心の発達段階とか、
心の枠組みがどう作動してるかって話だから、
どっちにしたって比喩に決まっていますからね。
そういうポジションがここにありますとか、
いうポジションがあるわけはないんで、
ないと言えばないし、あると言えばあるって話にしかならないんですよね。
そんなことを言えば、発達段階なんてみんなそうですよ。
エリックソンの第一段階とか、別にそれが、
ゼロ歳児はみんな第一段階に入り、
二歳児はみんな第一段階に卒業するとか、
そんなことはないわけで、もともとないものですからね。
あると想定してかかってみると見えやすくなることがあるっていうだけの話ですね。
その妄想分裂ポジションというのは、
成人の人がそこに入ると何かしらと困ったことになりやすいという話を
一生懸命してきているわけですけれども、
つまり僕がそういうところに入り込むと、
だいたいろくなことにはあんまりろくなことにならないっていうかね、
そこにずっといたんじゃダメだよね、やっぱりって感じがあるような感じなんですよ。
時々そこに入るのはしょうがないにしても。
シンデレラの話ってあれは、
妄想分裂ポジションの子供が世の中を見るとどうなるかっていうお話なんですよ。
18:03
前編、妄想分裂ポジションでできている話なんですよ、あれは。
で、子供に受けがいいわけですね、大変受けがいい。
やっぱりそれは子供って妄想分裂ポジションに生きているっていうことなんですよね。
だから妄想分裂ポジションイコール狂気ってわけじゃないと思うんですよ。
ただ大人がまるまるそのポジションに生きていると、
ちょっと正気をかいているように見えるかなみたいな感じ、そんな感じなんですよね。
子供はあれで別に全然差し障りはないというか差し支えないんですよ。
つまりこれってどういうことになるかというと、
メラニー・クラインに言わせればなんだけど、
僕らみんな子供の時は精神病だったよっていうことになりかねないわけですね。
そうはっきり言ってたのかどうかちょっとわかんないんだけど、
でもそういうことになりかねないわけですよ。
で、ウィニコットはそれに意を唱えてるんですね。
子供はそういう状態にいるわけじゃないと。
僕はウィニコットの方がトータル正しいかなと思うんだけど、
でも子供はメラニー・クラインが言う通り、
ああいうふうな状態で生きてる子はいっぱいいるし、
しばしばどんな子でもああいうふうなところで生きることになるような気は僕はする。
だからそこがどっちが正しいっていうのはすごい難しいところだと、
いろんな本に書いてあって、
お好み先生とかも新書の中でもそんなこと書いているから、
一般の人がそういうことを喋っててもいいんじゃないかと、
そういうことを僕はいちいち言いたくなるんですけど、
お好み先生はそういうことを言ってますね。
どっちが正しいかは難しいところだみたいな、
難しいところだって筆を置いちゃってるんで、
つまりどっちのかでもないみたいなところがあるわけですね。
どうしてシンデレラが妄想分裂ポジションって、
どうしてあれでは困ったことに大人だとなってしまうのかということがありまして、
よくですね、それじゃどうすればいい問題っていうのもあるんですよね。
つまりあれが妄想分裂ポジションですと、
自分もしばしば妄想分裂ポジションに足突っ込みますが、
それに気づいただけでどうしたらいいんでしょうっていう風に言われるんだけど、
それはもちろん最もなご質問だというか最もな疑問なんですが、
気づくことがやっぱりこれは大事なんですよと僕は思うんですよね。
僕もそうなんですよ。
今自分妄想分裂っぽかったなっていうのに気づくことが何より大事で、
その時何をするかとかではどうするかとかはせいぜいですね、
せいぜいあんまり抑鬱的にならないようにするとか、
具体的な行動ではないんですよ。
どっちかというと何もしないぐらいなんですよ。
特に妄想分裂ポジションに自分がいるなみたいなことに気づけたら、
そこで何もしないというのが一番僕はよくやるっていうのはおかしいんですよね。
何もしないことをよくやるって感じになってしまうんですけれども、
21:02
まあでもそういうようなことなんですよ。
何もするべきでないとは言わないけど、
何もしないという選択肢も頭に置く。
それにそれは選択する大事なオプションであるということを意識する。
これがですね、やっぱり僕がずっと仕事をしている、
さっきお知らせした100日チャレンジとかの方でも苦手とするところなんですよね。
何もしないっていうのは、何か手を打つほどいいっていうふうに考えられやすいんですよ。
まあアメリカ的っていえばそういうことになるんですかね。
でも僕はここは何もしないというオプションを
ぜひ強く念頭に置きたいところだなって思うんですよ。
だいぶ以前によく倉園さんのワークに何もしないで10分っていうのがあったんですよね。
まず意味付けを手放して、次に思考に気づいたら思考を手放すというのを10分間。
これ10分これをやるととても長いですよ。
でもこれは象徴的なことで、
何らかの形でみんなやればいいのにと僕は、
僕はだから毎日やってるんですね。
1日できれば2回やるんですよ。
そうすると20分間何もしない時間を取ることになって、
これだけでもある種の人にとってはもうこのこと自体が辛いと思うんですね。
最近倉園さんがグッドバイブスファクトリーのワークで、
暇を潰さないっていうのを、
今日のチャレンジみたいなので提案されてたんですけど、
僕はそれやってみてですね。
僕はそれで一つ大きな発見、大きくない小さな発見があったんですけど、
僕はツイッターって大好きなんだってことがわかったんですよ。
僕はツイッターは暇を潰してるわけじゃなくて、
趣味なんだなっていうのがよくわかったんですよ。
暇を潰さないというチャレンジをやると、
インスタグラムとかフェイスブックはほぼ見なくなっていくんだけど、
ツイッターはそうはならないんですね。
ツイッターというのは僕は見るんですよ。
もう一つ最近、余談だらけになってますけど、
倉園さんが何をしているときが幸せなんだろうっていうのを、
これはフォッキャスとかなんかでパロッとおっしゃってたんですけど、
彼は音楽とかってあげてたんですけど、
僕は一つには間違いなくタスクシュートだってことがわかったんですよ。
これもこういうとすごい奇妙な感じになっちゃうじゃないですか。
タスクシュートをしているのが幸せってどういうことなのかって思われると思うんだけど、
僕もそう思ったんだけど、
僕はタスクシュートを眺めているだけで幸せなんですね。
だからタスクシュートを見るのが何かの手段になるっていうのは絶対そうだと思うんだけど、
僕の中ではそうはなってないんですよ。
タスクシュートを見ているときって、
24:00
僕は音楽を聴いているときとあんまり変わらない感じになっていて、
好きなんだなってことが最近わかったんですね。
その話を聞きながら見ていて。
僕はタスクシュートを多分他の人の目から見ると、
暇さえあれば見てるんだろうと思うんですけど、
僕の中ではそうじゃなくて、いつも見てたいんですよ。
昔、今でも割とそうなんだけど、
エヴァノートもいつも見てたいんですよね。
これが最近のこうなってきたから離れているとか、
いろんなこと言われてるんだけど、
それは全部正しいんですよ、僕の感じでは。
でもそういうことはあんまり関係ないんですよね。
ほら、イーロン・マスクさんが最近いろいろいじってて、
ツイッターの良さが失われてるとか言われていて、
僕もあれに大筋賛成なんだけど、
全く気にならないですね、実はね。
僕はツイッターはどういう状態であっても、
ツイッター見てるのは好きなんですよ。
これね、だからね、
あれなんですよね、
人の好き好きって本当に微妙なところにあって、
なんでツイッターが好きなのって言われても、
僕には一切答えられません。
それはなんで僕に野球好きなのって聞かれるのと
全く同じで、
例えばこれがサッカーではいけないのかって言われると、
何ら合理的な答えは出てこない。
ただし僕はサッカーはワールドカップであってもですね、
翌日のワイドショーでゴールシーンだけ見てれば十分なんですよ。
野球は全然そうじゃないですね。
4時間まるまる見ないと見たことにならない気がするくらいなんですよ。
昨日牧野ホームラン見たところでお風呂入っちゃったんですけどね。
でも牧野ホームランまでは全部見るんですよ。
後ろのiPadに野球中継が映るようにして、
食事を作りながらでも見るんですよ。
見なきゃダメなんですよ、僕の中ではね。
これは何かの手段であればこういうことは絶対起きないと思うんですよ。
これは目的になっちゃってるんですよね、完全に。
ヨシヤシはもうこの際言っても始まらないと思うんですよ。
これが最悪のことですって言われても僕見るから。
だからヨシヤシ関係ないんですよね。
それで、そうだもう一つ思い出したんですけど、
この2つにさらに追加するものが今はないんだけど、
Twitterとタスクシュートは僕の中で、
これをやってれば幸せになれるってものなんだけど、
ストレス解消とかでは全くないってことですよ。
だからFacebookがなくなっても僕は仕事に差し障るな、あれですか。
でも幸せという意味では全然Twitterの方に残ってほしい。
ただし僕Twitter仕事にはほぼビジネスに活用できてないから、
そうなると困るんですけどね、仕事的には。
ここがやっぱり好き好きってものなんだなって思いますね。
あとスキーなんだよね。
スキーは僕はほとんど冬中スキー場にいたみたいな時期が
27:00
ほんと1年くらいなんですけどありまして、
あれもね、好きなんですよね結局。
何が好きかどうかを判断する1つの材料に、
別にそれが何を意味するとかは全くないですよ。
ただ僕の感覚として、スキーが僕は非常に好きで
他の人より全然異常に狂ったように好きになっているなと思うのが、
靴を履く時から好きってことがあるんですよ。
外してスキー靴って好かれないんですよね。
それはよくわかります。足痛くなりますからね、普通の場合。
これ足痛く絶対にならないような靴を選ぶべきなんだけど、
そういうのって10万円くらいするんで、
大概の人は借りますよね。あれは痛くなるんですよ。
もしすっかし靴で痛く全然ならないとすると、
それは相当滑るとき難儀にします。
足が動いちゃうんですよね。
こういうまたすごい無駄な話をしているうちに
30分を超えているんだけど、
本当に無駄だなと喋ってて思うんですけどね。
スキーの靴、僕履く時から楽しくてしょうがないんですよ。
スキー滑ることとは何の関係もないんですよね。
あれも手段ではないんですよ、僕の中では。
靴を履いて、普通スキー靴で歩くのってやられるんです。
それもものすごいよくわかるんですよ。
めっちゃくちゃ意味もない負担が。
しかもスキー靴って歩くためにできてないんでね。
だけど僕はあれで歩くのも好きなんですよ。
苦にならないとかには全然ないんですよね。
苦には全くならないです。
だから、倉園さんの言う話って
その通りだなって思う時がよくありまして。
思いが乗ってるとか、ギフトモードとかの時には
疲れないとか、疲れないってのは
ある意味本当ではないんですけど。
例えば僕スキー行くと、そういう人間だから
友達の分のスキー単を基本全部持ってあげて
人によってはどうしても辛いって人の場合は
靴も持ってあげて何往復もするんですよ。
疲れますよ、はっきり言って。
でもできちゃうんですよね。
僕普段だったら、さっきも途中で言った通り
6時間も仕事できない人間なのに
あのガチャガチャ重いやつを何往復もするのが
苦にならないって変じゃないですか。
これが多分重いってことなんだろうなと思う。
重いっていうのはですね、それはまた難しいんですよね。
友達重いだからとかではないし
なんかスキーを愛してるからとか言うのも変なんだけど
でもそういう心理的な状態って確かにあって
全く苦にならない。
私が力持ちとかでは全然、力持ち全然特にないですから
そういうことではないんですよね。
ただ苦には全くならないし楽しくてしょうがない
っていう感じはずっとあって
やっぱこれ普通の人なら苦になっちゃうよねみたいなのは
30:01
考えてたんですよね。
だからスキーが好きってのは不思議なもんなんですよ。
僕の中ではね、好きってこういう感じだなみたいな
あと一方で多分僕はスキーよりも得意なのが泳ぎなんだけど
泳ぎは大嫌いですから。
もう本当嫌ですよね。
あれはもうスクールが良くなかったと思うんだけど
ちょっとね、エンソのプールの匂い嗅ぐと
かすかに吐き気がするほど嫌いなんですよ。
嫌いでしょうがないみたいな。
できればプールには行きたくない。
ただ泳げと言われてれば
それこそこれも変だけど6時間でも泳いでられます。
休みなく泳いで。今は無理かな。
でも40代までは、まだ40代だね。
40歳の時にはそのぐらいはできていたから
あれも全く苦にならない泳ぎ方ってあるんだけど
ただし嫌いなんでできれば行きたくないっていうのはありますよね。
思いが乗ってないんですよ。
全く乗ってないですね。
僕プールで、これもちょっと食べながら聞いてる人に申し訳ないから
ちょっと簡単に言いますけど
何度も吐いたことがあるんで
あくまで泳がせるっていう
よくわからない指導方法がありましてね。
本当にダメなんですよね。
頭が痛くなってくるんですよ。
でも泳ぎは得意は得意。
多分好きより得意だなとは思うんですけどね。
まあまあ、めっちゃ脱線してたんですけど
シンデレラの話に戻しますね。
つまり、なんつうんですかね。
彼女シンデレラは
依存する自分っていうのと
独立する自分っていうものに分かれているんですね。
実は。
これがすごくこう
当然、精神分析でもカウンセリングでも
基本的にこの問題が
どこでも賢でも起こってる気がするんです。
全部がこの問題じゃないんだけど
この問題は必ず出てくるよなと
それこそ自我心理学であろうと
対照関係論であろうと
これに付随する問題が出てきちゃう気がするんです。
いいおっぱいと悪いおっぱいって
両極、だから相極って言うんですけど
分離ですよね。
スプリッティングですね。
分裂というよりは分離なんですよね。
分離は成長の一過程なんですよ。
物を分離できなければ
その人は生きていけないですよね。
人間社会の中では。
やっぱりトイレをするべき場所と
食事をするべき場所は分離されている。
そこからわりと
幼児の教育というのは
早期教育というのは
この辺が一番重視されるじゃないですか。
非常に問題ですからね。
衛生という話なんだけど
33:00
食べられるものと食べられないもの
口に入れていいものとダメなもの
これ全然幼児って分けられませんよ。
何でもかんでも口に入れてしまう。
だからよく言う通り
部屋に下手にビー玉とか置いといちゃダメなわけですよ。
飲んで大変なことになったり
現実にするから。
今じゃあんまり見かけなくなったけど
昔よく言われてたのが
水銀入りの体温計ね。
あれを飲んで
本当にもう惨事が起きるわけですよ。
実は僕も
危うくそれをやりそうになったことが
結局僕病気がちだったんで
暇なんですよね。
だからあれを割ってね
飲むというね。
本当にね、子供というのは
凄まじいものなのですね。ある意味。
だから
大変なことになるわけですよ。
重金属を飲むとね、命に関わるんで。
で、えっと
何の話か。
つまり、分けるってことから
全て始まるわけですね。
成長というもの。
これは仏教にもあるんですよね。
分けるということから認識が始まり
認識が苦しみを生み出すっていう。
だから苦しみというものから
解放されるために
認識というものを
事実上手放せって言うんですよね。
それはまあ
いいんですけども
分ける、スプリットする。
で、ここでですね
一番
成長過程で
悩みの種になり
おそらくそれこそ精神分裂
みたいな問題の
種になるのが
良いものと悪いものを分けるのは
当然なんですよね。綺麗なものと
汚いものを分ける。
マクベスみたいなやつですよね。
綺麗は汚い、汚いは綺麗なんですよ。
その二つはもともと同じだったんだけど
分けるんですよ。
で、分けた時に
良いおっぱいというものと
セットなのは
依存する私なんですね。
これは依存する
自己対象とかっていうのかな。
言わないのかな。
依存する私ですよ。
依存するぼくちゃんみたいな感じですけどね。
その依存する私と
例えば優しいおばあちゃんみたいな
良いおっぱいがセットになって
一方で
悪い
おっぱいと
セットになるのは
おおよその場合
惨めな私なんですよ。
ここがポイントだと思うんですね。
この惨めな私っていうのは
一方で自立に向かう私なんですよ。
だから悪いおっぱいっていうのは
自立に向かわせる
母親なんですよ。
それが
見捨てるとか
突き放すとか
そういう意図はないんだけど
虐待するとか
行き過ぎたしつけみたいなですね。
そこに
繋がってくるんですよね。
だからあのママ母
って言うじゃないですか。
ママ母ってつまり母親なんですが
36:01
シンデレラの目を通すと
別人になってしまった母親なんですよ。
あの母親がよく言ってるセリフは
シンデレラを掃除を押し
ってやつじゃないですか。
掃除しろっていうのは
自立を促すときに
子供に向かって親が言うセリフですよね。
そういうことを言われると
シンデレラははいお母様って言って
かわいそうにシンデレラはみじめだ
っていう話になるわけですよ。
あのナレーションは
いわば自分の心の声ですよね。
みじめで
かわいそうなんですよ。
あの優しかったお母さんは
どこかに行ってしまって
この
そこ意地の悪い
ママ母というものが
代わりにやってきて
掃除しろと言うと
今までは
泣けばミルクが出てきて
おむつをかえてくれて
暑ければ涼しくしてくれて
寒ければ暖かくしてくれて
眠ければ歌うたってくれて
起きたくなったら
遊び相手になってくれていたのに
掃除をしろと言い出すわけですよ。
これは非常に
あの優しかった
お母さんがどこかに行ってしまって
ひどいママ母が
死後やってきたという
ストーリーにとっても
いいじゃないですか。そういうストーリーと
とてもマッチしている。
私は不幸になってしまったんだ。
すごく成長してますよね。
多分それ以前には
そんなこと考えつきもしなかったと思うんですよ。
これが考えつくということは
2歳3歳ぐらいまで
つまり2,3年は
生後経ってきていると
いうことなんだと思うんですよね。
つまり
同じ人が別人に
見えちゃうぐらい
スプリットというものが
はっきりし始めて働き始めているわけです。
昔は
トイレもご飯も
何でもかんでも同じだったけど
今や成長したから
トイレという場所と
食卓は全然違う場所
子供って小さいから
もし大きなお家で
私お寺だったから
広いんですよ家が
トイレと食卓がうんと離れていたりすると
うんと離れていたんですけど
全く別の場所のように感じますよね。
子供ぐらい。子供が小さいうちは
2歳とかだったら
僕はすっごいやっぱり
この距離を意識していた
あったなってことを
思い出したんです
普通の家だとすぐそばだったりもしますけど
うちはそうじゃなかったから
トイレに行くの結構難儀だったんですよ
遠いっていうね
遠くのトイレまで夜とかだと
暗いわけですよ
トイレ行くのは暗いし
怖いし寺だし墓は近い国あるし
全然違う
場所なんですよ。これがスプリット
スプリットすると
つまり分けると
分けることによってシンデレラが
直ちに陥ったのが
白外妄想ですよね
39:01
パラノイアに陥る
分けるから怖くなるわけじゃないですか
これはもう
ウッドバイブスでフラズノさんが何度も
ちょっと違う文脈だけど何度も
おっしゃっている通りで
分けると私が分けてトイレが
怖くなったように怖くなるわけですよ
分けた反対側に
悪いものができてしまうから
分けると怖くなる
でもこれ実は重要な
ポイントで
何のためにそもそも分けたのかというと
実は怖くなくなるため
なんですよ
これまで悪いものは
全部自分の中に
何もかも全て一緒なんで
悪いものも
全部自分の中にあったわけですよ
これは恐ろしくて
恐ろしくてどうしようもないですよね
これを死の衝動
って呼ぶんだけど
何か苦痛が襲ってくると
死ぬとは思わないのかもしれないけど
だからいろんな言い方
ここでしてるんだけどやっぱり一番
消滅の危機って言うんですよね
これは
自分の中の例えばお腹が空いたとか
お腹が痛いとか
全部消滅の危機なわけですよ
その後どうなるか赤ちゃんは知らないから
苦痛が
自分の中から
いろいろなものを
攻撃していくとか
だからもう本当に厳しいわけですよね
これを2歳になってようやく
外のせいにできるようになる
わけですね
自分の中から
全原因が自分の中にあって
あるんですけどね結局
全原因で全ての悪が
自分の中にあって自分を攻撃してくるんでは
たまったものではないんですよ
お腹が空くとか喉が渇くとか
暑い寒いが全て
全原因が自分の中にあって
だって外に原因があるなんて赤ちゃん知らないんで
自分の中からそれが
攻撃してくるわけですよ
これが一番最初の状態で
ここに比べればですね
ママハが悪いから
その前にあれだね
鬼が悪いから
私が苦しむんだと
だから鬼は外に行けばいいんだ
っていうこの考えに至ることが
できればですね
一気に自分は楽になれますよね
例えば暑さというのは
外からの攻撃であり
寒さというのもまた外からの攻撃
空腹は外からじゃないんだけど
食べ物がないという
外に原因があって
だから自分は空腹になる
こういうことが少しでも
理解できるようになってくると
ぐっと楽になりますよね
全原因が自分の中にあるんでは
対処のしようがない
だけど全原因が
外にあるならば
その外の悪を近づけなければいいから
距離を離せば離すほど
だから鬼を外にやればいいし
何なら退治すればいいし
とにかく分けて
対処する
っていう考え方を身につける
これが妄想分裂ポジション
ここに至った時に
42:01
新しい問題が起きるわけですね
それが迫害妄想なんですよ
鬼が攻めてくるかもしれない
ママハがいじめてくるかもしれない
とにかく
外に原因を押し出したことによって
今度は外によって攻められるという
新しい問題が出てくるんですよ
だから
二つに分けた時に
悪いものといいものに分けました
最初に
そして一番最初にやり
割と最後までやり続けるのが
この距離を
引き離せば引き離すほどに
あるいは防壁を作るとか
いろいろあるんだけれども
いろいろはないですよね
二つか三つくらいしかなくて
要は離すということなんですよ
極力離す
分離する壁をばっちりした
素晴らしい壁を築くとか
そういう話ありますよね
あるいは遠くに置くと
鬼ヶ島というわけですよね
シンデレラは
泣いてましたけど
お姉さんたちだけ連れて
ママハは武道会に行っちゃうじゃないですか
距離を置くわけですよ
悪いものを遠くに追いやる
それはそれで悲しいんですけど
あれは非常によくできてますよね
お母さんがいなくなると
悲しいわけですよ
ママハだろうとなんだろうと
その辺のことはフェアバーンという人が書いてます
悪い対象だからと言って
必ずしも
いなくなったほうがいいとは限らないと
だから悪い対象でも
体内に取り込んでいくという人はいると
だからお酒は悪いとずっと思ってるんだけど
お酒がやめられないとかを
フェアバーンはそういう風に説明しました
悪い対象であったとしても
中にいるほうが安心だという人はいると
そういう考え方もあります
でも遠ざけるというのが
非常に常識的なやり方ですね
代わりに何を求めるかというと
いいお母さんですよね
だからママハを遠くに追いやったというか
ママハが武道会に行っちゃった時に
悲しんでいると
フェアリーゴッドマザーという
いいお母さん
いいおっぱいが登場してきて
あれ明らかにおかしかったじゃないですか
いきなり歌は歌ってるし
なんか杖振り回してるし
かぼちゃはおばしゃに変えちゃうし
思理滅裂ですよね
あの思理滅裂さというのが
シンデレラがもっと幼くなった時の
風景なわけです
幼い時の幸せの風景というのは
何でもありなわけです
だって何にも分かってないからですね
何でもあり
何でもあり
かぼちゃはおばしゃに変わる
おばあちゃんは歌歌ってる
魔法使いだとか言っている
ガラスの靴を出してくる
何でもありなわけですね
何でもありな幸せな時代というのは
つまりゼロ歳児ですね
これを自我心理学では
対抗と言うんだけど
やっぱりあそこはシンデレラが
対抗してるっていうよりは
幼い頃のシンデレラと
おばあちゃんのセットが
登場したっていう方が
45:01
はるかにやっぱりしっくり
これは昨日申し上げた通りの話で
幼くなった感じが
別になかった
明らかに魔術志向になっちゃってます
魔法使いですもんね
妄想分裂ポジションの
もう一つの大きな要素が
僕はこのオカルト志向だと
よく思うんですよ
クレームメールとかもらった
ことのある人はよく見ると
よく読むのややかもしれないですけど
よくわかりますよ
すごくオカルトなところが
クレームメールには出てくるんです
人をクレームで攻撃したいというような
心理状態って
明らかに妄想分裂的なので
そこではすごく
魔術志向みたいなものが走っているんですよ
それは
いいんですがとにかく
フェアリーゴとマザーおかしかったじゃないですか
なんかわけわかんないこと
喋ってましたよね
わけわかんないですよ
あのわけわかんなさは
彼女のシンデレラ自身の
わけわかんない
心理状態をよくよく
投影している世界
あれはフェアリーゴとマザーが
ママハハなんだけど
そんなことは知るよしもない
全く別人にしか見えません
それくらいシンデレラは
現実検討能力が
まだまだ低いわけですね
お掃除を推しとか言ってるのは
ママハハだし
かぼちゃおばしゃに変えてくれるのが
本当のお母さんなわけです
だいたい
言うでしょ
親は
掃除しろとか
片付けろとか宿題やれとか
まさに意地の悪い
ママハハですよ
美容によってはね
王子様とイチャイチャしてちゃだめだと
そんなこと言うじゃないですか
どんどん
そこらへんのね
お兄ちゃんから来たLINEに
どんどん返しなさいっていうのは
なんかちょっと
言っちゃってるような感じあるじゃないですか
非常にフェアリーゴとマザー的
ですよね
正気の程度かな
常識的なお母さんとママハハは
実はよく似てると思うんですよ
子供から見ると
これは独立を促していますよね
ここに気づくことができれば
よく打つポジションに入れる
つまりあれは
私をいびっているわけじゃなくて
私に
一人でも生きていけるように
つまりフェアリーゴとマザーって
魔法が使えるわけですよ
だからなんでもできて
生きていくのに申し分ない
ちなみに僕思ったんですよ
一番最初に読んだときのことは
覚えてないと思うんだけど
漠然と覚えてる限り
この魔法使いの
おばあさんとずっと一緒にいたいわって
思ったんですよ
彼女と別れて
王子様に会いに行ったところで
いいことないわって
男の子だったからね
王子様願望みたいなの全然ないから
そう思ったんですけど
通説に思いましたね
48:01
あのシーンは嫌いでしたね
かぼちゃの馬車に乗るシーンが嫌い
一番いいなと思ったのが
かぼちゃに馬車が変わるシーン
だったんですよね
ここに僕の
性質っていうのかな
性癖がよくよく表れてると思うんですよ
だから
ものすごく唐突に聞こえるかもしれませんけど
散々言ってるからお分かりいただけると思うんですが
だから僕は
辛くなるとファン座に行っちゃうんですよ
わかりますよね
フェアリーゴッドマザーっていうのは女性なんですよ
だから私だったらね
王子様のところに行きたいとは思わない
だから僕はあのシンデレラを
読むのには
十分な年齢に達する前に
シンデレラ読んじゃった
まあでもそういう子多いと思うんですけど
読んじゃったんですよ
独立っていうものが
問題になりつつあるところが
あれは多分
いわゆる対照年齢
2歳から7歳みたいな
あれそういう意味ですよね
私はやっぱり独立心というものが
そういう時には不十分で
ずっとフェアリーゴッドマザーと一緒に
このわけわからない世界で
幸せにやっていたい
という風に思っちゃう口の
人間なんですねあれを読んだ当時は
今でもそういうところが
残ってるわけです私の中にはね
だから
ファンチャーなんですよ
だからあの世界だけでは
やっぱ生きてはいけないんですよね
やっぱり掃除はしなきゃならない
わけですよ
掃除しろとか言ってくる母親は
嫌だというわけで
ずっとフェアリーゴッドマザーとだけ一緒に
幸せに暮らしました
幸せに暮らしていたいんだけど
童話の中ですら幸せに暮らすには
王子様に会いに行かなきゃならないわけじゃないですか
そういうのが僕は非常に
辛いなという風に思ってた
時代にあれを読んだ
ってことなんでしょうね
それで
いい
ゴッドマザーと
何でもされる
依存しきるシンデレラの
掃除しろと言われて
掃除するんだけど
かわいそうだと思いながら掃除をする
シンデレラと
ここまで気づいてどうしたらいいんでしょう
っていう話になった場合
この二つをですね
今度は切り離した二つを
統合するより他ないですよね
ママ母イコール
ゴッドマザーだと
どう考えてもそうは思えねえ
っていう話になるじゃないですか
もう一つここで別の問題を
持ち出されると思うんですけど
しかし本当に虐待する親は
っていう話なんだけど
ここにそれは持ち込まない方がやっぱり
いいと思うんですよね
親問題とか虐待問題とか
なんとか
法人とかの問題は
それはそれとして大事だから
そういうものとして対応するべきで
このシンデレラの
世界で問題になっているのは
子供から
独立期に親がどう
見え始めるかという問題であって
51:01
やっぱりここは心の中の
問題としてですね
これが大人になってもなお続いているというのは
余計ですね
もしかして親はすでに亡くなっているのかも
しれないんだからそうなってたら
親がしたことが虐待だったとしても
不適切な子育てだったとしても
同じじゃないですか
もう残された方法は一つ
しかなくてやっぱり
ゴッドマザーと
ママ母はノイズ
人物だったんだっていう
そこの認識に至る
より他はないわけですよ
その
独親なる人がすでにお亡くなりになっている
というのに
子を育てるべきだったんだよ
っていう話をこれからすることに
意味はないじゃないですか
結局最後はこの認識の問題を
なんとかするしかないわけですね
あのママ母は他に異様があるとか
いっぱいありますよね
だけども究極的には
愛情から来ている言葉だった
っていう風に解釈しないわけには
いかないと思うんですよ
掃除しろって言ってるわけですから
手首切れって言ってるわけじゃないですから
難しいんですよねここは本当に
でも掃除しろって言ってるわけですからね
掃除するのにふさわしい年齢だったのかどうか
っていうのを検討の位置は
あるかもしれないんだけれども
愛情から来ている
つまり独立する能力を身につけなさいね
という言葉と
カボチャを馬車に
変えてあげるという親切は
同じものから来ている
っていう認識に至れることが
大事なんですよやっぱりあそこは
モラルの問題じゃなくてね
これを統一することをしないと
みじめなシンデレラと
幸せなシンデレラが
統一できないんですよ
ここを統一させないと
多分私たちは永遠にですね
リアルな世界で生きているときは
みじめでだけなんだってことになりかねない
という問題があるわけです
だから
操縦できるとか料理できるって
結局魔法じゃないですか
子供から見ればね
それはフェアリーゴッドマナーに
自分がなっていく過程で避けようがない
なんていうんですかね
スキルアップみたいなものなんですよね
それを手に入れるためには
その
ママ母という存在から
来る愛情
それは愛情に見えにくいんだけども
やっぱり愛情なんだという
やっぱりこの年ではまだ
お料理をするということが
全くおぼつかないこの状態で
王子様とイチャイチャしに行っても
無駄なんですよ
でもそこを
押していくっていうストーリーが
この年齢では非常に
いいわけですけれどもね
あれを見て幸せにこれでなれるっていう
妄想分裂ポジションから
見た世界っていうものを
描き出しているから
あの話に子供は
癒されるんだけれども
あそこからやっぱり
一歩行くにはですね
面白い話じゃなくなっちゃうんだけど
欲打つポジションが大事なんですよ
ママ母と
54:01
フェアリーゴットマナーって
同一人物なんだねと
これが欲打つポジションですよね
実に面白くない話のように
聞こえるんですよ
つまりホワイトとブラックを混ぜると
グレーになっちゃうからね
グレーな世界は
非常にこうなんというのかな
カボチャが馬車に変わることは
決してない世界ですから
でも灰かぶりって言うじゃないですか
やっぱ灰色なんですよ
これはやっぱりそこに至る
成長に至って
生まれ変わるっていう風に
かわいいハイオさんなら言うと思うんですよね
灰の中から出てくるわけじゃないですか
生まれ変わるわけですよね
それまではもう何も全く
わからない赤ちゃんだから
カボチャもどんどん馬車に変わっちゃうし
なんでもありなんだけれども
灰の周りではなくなる
部屋をきれいにするには掃除をする人が必要だと
そういう認識に至ると
世の中一気に厳しくなった
感じがするんだけど
そんなことは別にないんですよね
もちろん言い方はあるよね
って話もあります
それに親は万能でも完璧でも
ないので結局
上のお姉ちゃんを連れてって
下の子はこっそり置いていこう
みたいなことをしちゃうんですよね
そういうことはトラウマになりうるよね
っていうのも
ああいう話の中には
含み込まれていると思うんだけれども
でもやっぱり最終的にはシンデレラにとって
世界がどうであるのを
認識し直すかと
言った話になるんだろうと
この時にやっぱり大事なのは
それに気づくってことであって
そこでシンデレラはどうするべきか
って話では
必ずしもないのかなと思うんですよ
認識変えるというのは
外から見ると
言えないですもんね
55:49

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