新年の挨拶と番組の目的
明けましておめでとうございます。 働くメンタルを取り戻すグッドモーニングボイス1115回をお送りします。
1月1日、水曜日です。 昼の12時6分に収録中です。
名前を気づかれた方もいらっしゃると思うんですが、 別にタイトルコールを間違えたわけではなくてですね。
回間違ってるかもしれませんが、タイトルコールはこれで正しい。 働くメンタルを取り戻すグッドモーニングボイスです。
何度も何度も名前変えますが、 趣味に近いというわけじゃないですけど、要は気が済まなくなるわけですね。
いつまで経っても気が済みそうにはありませんので、 このタイトルが永遠に続くという保証も全くありませんが、
とりあえずですね、去年半年ぐらいかな、やってみて、 精神分析的というのはもういいかなというふうに思いました。
精神分析的な話は今後もおそらく、 これは半永久的に続くと思います。
けれどもね、少なくともタイトルコールにこれを、 割と漢字5文字ですし、
長ったらしい漢字になる。 新しくした方もちっとも短くないんですけれども、
こっちの方が、これからですね、 ダスクシュートの話もまた少し出てくるでしょうし、
グッドワイブスの話は、まあそこそこ、 これまでも出てきているぐらいにはずっと出続けるはずなんですよ。
したがいまして、もうちょっと総合的な名前にしておこうかなと思って、 少しごとに戻しました。
働くメンタルを取り戻すというのは、 当面の私がやっている仕事のサービスを表す名称としては、
まずまず妥当だろうというところがあって、この名前にしております。 ちなみに働くメンタルというのはですね、
正月なので改めて説明いたしますけれども、 つまりデフォルトの心のありように限りなく近いものです。
日本で普通に育った場合には、 普通が非常に癖ものなんですけれども、
でもまあ大多数の人はデフォルトの心を持っていて、 デフォルトの心は働くメンタルを宿していると。
発揮できるとか、仕事ができるとか、職場に行けますというのとは関係なくてですね、 働くメンタルは持っているということです。
働くメンタルというのは、別に専業主婦も働くメンタルを使って働いています。
収入をどこからもらってるってわけじゃないです。 私は今いただいてますけど、いただいてない時期も長かったし、
収入を給与という形でいただいていなかった頃の方が、 実は稼げていた時代もありました。
だから働くメンタルすなわち給与をもらいに行くメンタルではないですよ。
これは全く別のもので、そう思うことによってですね、 うつの時に休職するとか、
キャリアから外れたとしてもですね、別にそんなことは少なくとも私が考える上では 大した話ではないと思うわけです。
大した話だって言われると思いますけど、 それこそ精神分析でフロイトの言うところの二次仮定に属する話であって、
私は一次仮定がちゃんと機能していて、現実に向かっていく気持ちがあればですね、 つまり二次仮定を機能させようというつもりがあって、
しかも学校を出ることができたならばですね、 それは機能するはずだと思いますから、
その現実原則ですよね。現実原則に従って働くと。 働くというのは人が動けば働くんでね、そう書きますから。
中国人はそうですらないんですよ。 労働の動に人弁外してますからね。外してるっていうか、
もともと人弁のついた動く、働くという字は、あれは日本人が発明したものであって、 中国にはもともと存在しない漢字だったはずです。
この話時々してますけど、労働の動にわざわざ人弁つけてるのは日本の言葉であって、 多分中国で労働って書くときは人弁はないはずです。
簡単な字になっちゃってるかもしれませんけど、 労の上に動けばそれはもう労働なんですよ。
実際だって人間だけが働くわけじゃないじゃないですか。 今そうでもないかもしれないけど、
大陸とかでは象とかにやたら働かせてたじゃないですか。 だから人弁つけなくても別に働きにはなるわけですよ。
馬とかめっちゃ働かされてるじゃないですか。 だから、しかもめちゃくちゃ賢いですしね、馬ってのはね。
というわけで、働く、メンタル。
で、それを取り戻すためのポッドキャストです、というタイトルです。
3ヶ月チャレンジとセミナーの案内
1月になりまして、今月に入ってからですね、 3カ月チャレンジの継続、9期への継続のお知らせをさせてもらうと同時に新規募集をさせてもいただきます。
2月、3月、4月の第9期の3カ月チャレンジですね。 ここで喋っている内容に基づいて私はですね、
考えてやっているのが3カ月チャレンジというサービスで、 週に1回私とセッションしてもらって、
あと週に1回程度私の方からグループセッションというか、 グループレクチャーというか、そういったもので精神分析的なお勉強会みたいなものを開催しています。
だいたい1時間半から2時間の間になってますね、最近は。 時間の決まりはないんですけど、開始時刻は決まってますけどね。
あとはダイレクトメッセージをいただいた場合、それへの応答はいたします。 24時間以内に必ず返事出すぜとか、そういうことはしません。
というのはできないケースもありますし、 どちらかというと感想みたいなものであることも少なくはないので、
全部に全部長文のお答えを出すのが別に望まれてるわけでもないと思いますので、 考えつくことがあれば、考えつく限りお答えはなるべく早く、
少なくともその次のその方のセッションが始まる前ぐらいにはお出ししたいと。 でもこの話をセッションですればいいよなと思ったら、セッションまで引っ張るということもあります。
それはその時その時に僕が考えて、おおむねフェイスブックのメッセンジャーでのやり取りを、 これはもう常にオープン。
正月でも対応はしますといった感じですね。 その他フェイスブックでグループの中でコミュニティ、オンラインコミュニティを用意しております。
あとこれはフェイスバイケースですが、3ヶ月のうちにゲストを呼んで、私主催のセミナーをしたりした場合、3ヶ月チャレンジに参加されている方は無料でご参加いただけるようにします。
今後は特にそうします。 あとちょっとした目玉として、これは実装できればって話もあるんだけど、
講座振り込みだとしてもやろうと思っているのが、3ヶ月を毎月1回ずつの分割払いも対応しようというふうに思っています。
この辺かな。第9期、新しくする3ヶ月チャレンジね。 合わせてですね、第10期の100日チャレンジ、まださすがに締め切られてないと私は思うんですけど、
プレミアムは締め切りました。 プレミアムは少しJ松崎さんの方で、松崎さんがせっかくそういうワンオンを大量にやられているんだからということで、
個別セッション付きの、つまり個人対応する100日チャレンジのオプションが付くというのが目玉になっていて、
少人数制でですね、10人限定のプレミアムというのを始めました。 これはなかなかお値段抑え目になっているんで、あっという間に埋まっちゃって、1日2日だったんじゃないですかね。
10名が埋まってしまいましたので、ちょっと来期から人数を多めにするのか、値段を少し考えるのかを、また11期からは考えるんではないかなと思っています。
いわゆるスタンダードですね、投稿して私たちがそれに認定トレーナーさんと私とでコメントするというやつは、100名が枠で今80名超だと思いました。
もうだからかなりギリギリのラインになってきます。 スタートのキックオフが11日だったかな。 までは戻らないと思いますので、
まだ正月早々ですけどね。よろしければこちらの方お申し込みいただければと思います。 あとですね、ライトプランというのが、こちらはもう投稿もコメントも必須ではないという、
いわゆる参加することができて、メルマガを読むことができて、
インタラクティブでない部分は全部あるけど、インタラクティブな部分はありませんというライトプランがあります。 こちらもお値段がかなりお安くなっていて、
1月あたりに直すと1000円いかないじゃないですかね。 このぐらいの値段になっておりますが、こちらはまだまだ空きがございますので、よろしければぜひ
ご検討ください。スタンダード埋まった後になるかもしれないですよね。 こちらをご検討されるのは。
発達障害とタスク管理の考察
今のところまだ多分30名ぐらいじゃないかと思いますので、 こちらも合わせてそういうのもありますということですね。
お知らせで10分経ちましたけど、今日はね、正月ですし、名称変更のお知らせもしたかったので、そんなに長々と
わかんないですけどね、これから僕のしゃべる次第です。 やっていくつもりはないんですけれどもね。今日は改めてどういうふうな話を、そんなに変わらないですよ。
そんなには変わらないですけど、2025年ではどういった話になっていくのか。 今日である一種の方向性が、今日から1ヶ月ぐらいはこういう方向かな。
1ヶ月ももたないか。考えているのはですね、ずっと去年まで、特に最近ピークになってきている発達障害と、
自閉症スペクトラムという説もございますが、 基本僕はすべてこの辺はまだまだ仮説で、完全なコンセンサスが取れるまでにはもうしばらく
かかるだろうとは思っておりますが、 自閉スペクトラム、それだって遺伝要因なのか、
それとも、最近遺伝要因説がずっと強めですけどね、自閉という言葉になると。 もちろん遺伝要因は絶対あると思うんだけど、そんなこと言ってしまったら、
あらゆる精神障害には遺伝要因が皆無とはとても言えないので、 だからといって遺伝で統合出張症になるかどうかが全部決まるとはとても思えませんし、
やっぱりこの辺は非常に難しい、この辺の話はもう専門家が頑張っていただくより他、 解明する必要があるならばですね、他ないなとは思いますけどね。
で、やっぱりね、今はもう本当にどんどんどんどんこの話をリードしている方の一人として、 私も時々こうご一緒に仕事をさせていただいた高梨さんという方がいらっしゃるわけですよ。
発達障害でタスク管理を推進されていて、タスクペディアというツールを合わせてですね、 押されているわけですね。
で、彼の本、「容量が良くない人のための仕事術図鑑」 あの本が非常にヒットして、あれも発達障害の私が書いた、
そして発達障害の人のためにタスク管理というものが有効なんだということが主張されている本ですね。
私もその趣旨はよくわかるんですよ。 同じような考えでタスクシュートを使ってきましたから。
ただ、私はその考えというのを実質的には放棄して、 つまり、これでは私は持たないなというふうに、持たないというのが実感として近いんですね。
私の体質には、これでは解決しないという話はちょっと違って、 発達障害を解決っておかしいと思うんですね。
例えば、先送りしちゃういます。 例えばミスが多い、うっかりミスが多い。 私の場合は明らかにうっかりミスが多くて、
クラゾノケイゾーさんね、グッドバイブスのクラゾノケイゾーさんに、 うっかりノキベイとかいう、ミト公文のハチベイに文字ってあだ名を付けられたぐらい、
一緒にずっと私と仕事をしていると、こいつはうっかりミスが非常に多いということがすぐ分かるレベル。
だけど私は自分は発達障害だとは思ってないし、 うっかりミスは確かに多いし減らすべきだと思うんだけれど、
それをタスクシュートをうっかりミス根絶のために使おうとか、 まあ根絶はしないまでもね、迷惑をかけないために人並みに働けるようになるために、
タスクシュートを使いましょうという気は、そういうつもりは全然全然僕にはありません。 そのためにタスクシュートを押すということも一切するつもりはありません。
昔そういう話をしたということであれば、したかもしれない。 でも私はその話だって、そんなに強くした覚えはないですし、
それを私の高梨さんがなさっているようにですね、 仕事の主軸に置こうという気はさらさらありませんでした。
だって、それはそうで、 私は大橋製造さんとタスクシュートはずっと彼に沿ってやってたし、
まあやっぱ私は彼がツールにせよ考えにせよ基本を作り出したのは彼だと思うので、 彼が一番根幹で言わんとしていることについて、
タスクシュートで違う話はしたくはなかったわけですよ。 他の人がそれをするかどうかはそれはそれで結構ですし、
自由なんですけど、私自身は、私自身のものの考え方ってそうで、 ここの番組でもよく言いますけど、
境界例とかボーダーラインと言ったら、やっぱりそこの場合それを言うんだったら、 その言葉を使うんならば、精神分析を参照するぐらいの必要はあると思うんですよ。
だってなぜそこにボーダーを引いたかっていうのが、 そもそも精神分析の歴史と絶対に切り離せないものなんですから、
境界例という症状があるんです。なぜ境界例というのかは言うからですっていうのは、 やっぱり私には非常に納得がいかないわけですね。
だから精神分析を全く参照しないが境界例という言葉は使いますとか、 精神分析のことは知ったこっちゃありませんがナルシシズムという言葉は使えますっていうのは、
別に使うのは構わないと思うんだけど、なんかちょっと物足りないというかな、 そういう感じはするわけですね。
タスクシュートの基本
だからタスクシュートをやる以上は、やっぱり大橋さんが一番最初に何を提唱したかということと、 彼がそのことを完全に放棄した点ならまた別なんですけどね。
何を言ってるかというとリアルタイムロギングってやつなんですよ。 要はロギングするためのメソッドであったところが出発点なので、
それは記録を残すってことですよね。 記録をいかにして残しやすくするかを、それがタスクシュートの全てではないけれども、
タスクシュートではその部分は捨てられないと思うんですよね。 それ捨てちゃったらもうタスクシュート捨てちゃうのに限りなく近いと思うんですよ。
ところでうっかりミスが多いですという、うっかりミスを片っ端から記録をしておくっていうのはですね、
私はそれはうっかりミスを減らすとか、人に迷惑をかけないことを第一期的な目標に置くならば、あまり良い作戦ではないんじゃないかと思うんですね。
もちろんうっかりミスがいっぱいこんなに記録残ってるから、これを記録から考えてもやっぱり減らしていきましょうねっていうのはわかるんだけれども、
うっかりミスを減らすことが全てであるならばですね、全てではないにしても大目標であるならば、
私はまず記録を取るっていう出発点は微妙なもんだな、ましてそこにかかった時間、開始と終了時刻ってものがすごく重要で、
開始、うっかりミス開始、うっかりミス終了みたいなのを何度も何度も取っていくっていうのは、そうじゃないことをした方が良さそうじゃないですか。
だから私は彼の主眼がそこにあったとは到底思えないわけですよ。
なので私が考えてタスクシュートっていうのは仕事をやるのに非常に役に立つツールだと思ってますけれども、
それはうっかりミスを減らすとか、怒られるのを減らすとか、それは付随する目的になることはあっても第一の目標になっているはずはないと思ったんですね。
高梨さんの経験
まず記録を残すという考え方は、やっぱり私はタスクペディアに例えば非常に特徴的である、
今どっちに仕事のボールがあるかをはっきりさせるみたいなのとは全然違う話をしているだろうと思うんで、
だってですね、例えば朝食準備10時に始めました、10時半に朝食準備が終わりましたっていう記録が残るということと、
あるいはこう例えばそうだな、3ヶ月チャレンジの来年の開庭の継続の申し込みフォームを作るというのが何時に始まって何時に終わったというのを記録をする、何月何日のね、
というのと、そのボールがどっちに、例えばZoeさんなりと一緒にやってるとして、Zoeさんに今ボールがあるのか私にボールがあるのか関係あまりないですよね、この話は。
そういう意味で全くないわけじゃないですよ、でもあまりないですよね、だから私がやっぱりこの点どこに主眼があるかというのを考えたときにはタスクシュートの主眼はそこにはないなと思うんですね。
なので私はその話はタスクシュートするときにはあんまりしないというかほとんどしない、うっかりミスが多いのは私の個人的な問題であって減らしにかかる必要はあるけど、
それはチェックリストとかね、どっちかというとそういうものによった方がうまくいきますよ、実際そうなってるし。
チェックリストは今私はMac標準のメモってやつ、あれが一番使いやすいんであっち使っていて、タスクシュートではないんですね。
私はうっかりミスというのは別の問題だと思ってるんでね、タスク管理とは異なる話をしていると思いますので。
この発達障害の話に少しせっかく出たんでしていきたいんですけど、タスクシュートと発達障害というのはですね、一見結構関係があるようなんですよ。
でも私は実はあんまりないんじゃないかっていうのをずっとここ去年、一昨年あたりからずっとここ1,2年あんまりそこを意識しないように、
というかしてもしょうがないなと思ってきた部分が大きいんですけど、やっぱりこの神経性発達障害とか自閉スペクトラムとか、
最近アスペルガーとかいろいろ言う言葉が出てきている中でですね、まあHSPも実際は関係ないんだけど、関係なくはないのか。
だけどまだHSPは必ずしもDSMあたりに乗る話ではないですし、乗ってないですしね。
回避性人格障害で良くないか、それっていう感じもしなくはないですしね。
いろんな問題がここには散席しているというか、結構まだまだ混沌としている。
いや綺麗に整理されつつあるんだよっていう見方に沿えば、そう見えてくるのもわかるんですが、私はいまいちまだ納得がいってないんですね、その話には。
で、何が言いたいかというとですね。
例えばその高梨さんのご著書の中に、非常にこれは何ていうのかな、楽器的で面白いエピソードだと僕は毎度読んでて、そこを読むと思うんですけど、
てかそこを思い出したんですけど、彼が怒らないでくださいって言ったんですよね。
新しく勤めた会社に、前の会社でいろいろ怒られて大変嫌な思いをして、事実上欲図状態みたいになっちゃって、いけなくなっちゃったから、怒らないでくれと。
怒らなければ私はちゃんと仕事できるんですっていう訴えを入れてもらった、聞き入れてもらったっていう話なんですよ。
これはすごい面白いなと思ったんですよね。
どうして受け入れたんだろうっていうのも興味深いし、そうしてすごく上手くいきましたっていう話も大変興味深いんですよ。
怒らなければ上手くいく人だったら、怒らないに越したことはないじゃないですか。
ただですね、だったらその会社今まで何で人怒ってたんだよってことにもなるじゃないですか。
怒らないと来なくなっちゃったり、遅刻し放題になったり、つけあがって酷い目に遭うからだってんだったら、
じゃあなんで高梨さんは雇い入れる時につけあがるとかそういう心配を一切すっ飛ばして怒らないことに簡単に決めちゃったんだろうっていうのもあるし、
その約束は果たして本気で守る気あったんだろうかっていうのも私だったらすごい考えそうなところではあるんですよね。
併せてですね、あの本の中に人前でお叱られてる時の、これは高梨さんご自身の経験なのかなとは思うんですけど、
絵があって小さなイラストがあって公開処刑されてるみたいだっていう内心のつぶやきみたいなホワホワホワってやつで、
内心のつぶやきがあって公開処刑されてるみたい。
私は正直言って転移って言葉がスパッと出てきちゃいますね。
それは不適切だって言われると申し訳ないんですけど、やっぱり転移って言葉が、だってみたいですもの。
公開処刑ではない、それはもう頭ではわかってるってやつなんですよね。
公開処刑そのものであるはずがないですよね。そしたら生きてないですもんね。
公開処刑されてるみたいなんですよね。
そこに転移が発生してるわけじゃないですか。
転移っていうのは治療状況だけに言うんだって言われれば申し訳ありませんけれども、
治療状況でないけれども、そこに公開処刑という高梨さんの内的対象ですよね。
対象というのはこういう人に対して以外に使うケースはこういうケースであると思う。
それに処刑ってすごく人間関係的なところありますからね。
つまり処刑された経験はないはずなんだけど、テレビとかで見てね。
あるいは小説とか高梨さん教養豊かな方だから、多分いろんな本読んでると思うんですよ。
で、そういうシーンみたいなものをそこに何らかの意味で象徴的に、象徴的ですよね。
言葉使ってるし、公開処刑とは似ても似つかないはずなんで。
目の前にギロチン台とか置かれてるわけがないってね。
あるいは向こう側に銃殺隊とかがいるわけでもないでしょうから、
やっぱりそこに象徴的に見たいなものを自分の頭の中から現実に投影していくわけですよね。
そうして自分が公開処刑場に置かれているような気持ち、それがどういう気持ちだかわかりませんが、
気持ちというものが再現、でも再現てのもおかしいんですけど、経験ないでしょうから。
でも何かそこにそういう感覚というものが実体験に近い形で、そこにあるような感じを抱く。
そういう現実に近いものを抱くっていう、わざわざイラストになってるぐらいですから、やっぱり深刻な問題だったんですよ。
で、ここにはやっぱり僕は、グッドバイブスじゃないですけど、怒りがあると思うんですよ。
こんな些細なことで会社っていうのはひどいことをするものだと。まるで公開処刑みたいじゃないか、みたいなね。
みたいなっていうのもおかしいんだけど、その転移が起きるっていう時には、やっぱりそこには僕だったらですよ。
誰に対して何を怒ってるのか。もちろん会社の人に対して、
些細なミスでこんなひどい目にひどい仕打ちをみんなの前でする会社に対して怒ってるんだって言われるかもしれないけど、
なら公開処刑って言葉はどうして出てきたのかっていう、なぜそれを思い出したのかってことなんですよね。
心理的影響
その理不尽さみたいなものを、だいたい理不尽じゃないですか。小説の中で公開処刑に主人公が会うというのは理不尽ですよね。
つまりこの出来事を当たり前じゃんって言われるかもしれないですが、
去年まで私のこのポッドキャストを聞いていただいた方には当たり前でないと思っていただきたいわけですよ。
つまり会社に迫害されている、被害を受けていると感じていらっしゃる。
当たり前じゃないかって思われるかもしれません。
些細なことでね、そんな人前で失績を、おそらく恥の概念と非常に関係があると思うんだけど、そういう目に合わされている。
これは被害を受けている。しかしですね、しかし、それは私は、だからですね、こういう訴えを聞けばそれを100%鵜呑みにします。
立場上、私が3ヶ月チャレンジというものをやっていて、ワンオンセッションをやっている。
公開処刑されているみたいだったと言われれば、100%それを鵜呑みにすることに一旦決めます。必ず。
が、それは現実の話だという話を聞いたということにはしません。
話としては何が起きているのかというと、真的現実と言わざるを得ないんですけれども、フロイト用語になってしまいますけどね。
サイキックリアリティと。高梨さんの心の中では公開処刑みたいだったんだし、
些細なミスに過ぎないものによって、明らかにバランスを欠いた強い叱責、あるいは人に人前で恥をかかせるという、
やらなくていいようなことをやられたという真的現実があった。それはもう100%その通りだと思います。
だからそれに対して、なるべく共感するようにもするし、理解するようにもするでしょう。高梨さんに訴えられたことがあったわけじゃないですよ。
でも本を読んだから、一読者としては、それはその通りの事実として受け止める。
ただし、会社で、会社側の人間がその高梨さんに対して、高梨さんにとっては非常にブラックなことをしたという会社の人がそれをしたかどうかという点については、
私は探偵とか法律関係の人間ではないので、分かんないと思います。
だってそれを見たわけじゃないし、書いてあるものを読んだだけなんで、一方の言い分と言いたいわけじゃないんですよ。客観と主観と言いたいわけでもないんですよ。
大事なのは、私たちは自分が白だと思ってそこに行く。ニュートラルな人間だと思ってそこに行く。
私が被害を受けたと言っているのは大げさではないんだというふうな意識を持ってそこに行く。
それは私たちの自己愛の世界なんですよ。そこから僕らはそうそう逃れるわけにいかないんですよ。
もちろん悟りを開くとかによって、ニュートラルな客観的現実というものを直接近くできる存在みたいになっていけるのかもしれない。
そういう宗教的なアプローチはあるんだと思う。でも私にはできない。
私はどうしてもそこに行って、こう害処刑されてるみたいだってなってしまうんですよ。
なぜならば私には私のナルシシズムの世界があるから、私を傷つけてはいけないんですよ、私の世界のルールにおいては。
私を傷つけるということか、私が傷つくということがあってはならないわけですよ。
このナルシシズムのバランスの書き方はなかなか酷いものでして、
例えば私はガザ地区とかね、北朝鮮の兵士がウクライナでどんどん死んでいるみたいな話を報道で見て酷い話だなとは思う程度のところまでは行ける。
でもそれよりもどこか私の心の中では自分の蝕で治療して歯が痛むことの方が酷いと思ってる。
そっちは絶対回避するべきだと結構努力をするのに、
ウクライナで起きていることについて私は最大限できることをしているかというと、多分そんなことはないような気がします。
つまり私は酷いナルシシストなんですよ。
これをナルシシズムと僕は言うんだと思うんですね。
会社で公開処刑はまずいんですよ。公開処刑みたいなことをされるのもいけません。
でもミスが些細だったのかどうかは、これはやっぱり公開処刑を受けた人の感じ方と出席した人の感覚とは全く異なるはずですよね。
ここを主観と客観って私たちはついつい言いたくなるんだけど、僕はやっぱりそこはサイキックリアリティと言っておきたいんですよね。
精神分析のアプローチ
真的現実の中で、些細なミスをした程度なのに公開処刑みたいなことをされたブラック企業に私は行っていたというのは事実ですよ、真的に。
だからその真的現実の中からこの問題は返答を加えて調整をかけていく必要があると思うんですね。
本当にそうだったんでしょうかみたいなことを言うっていうのも一つのアプローチとしてあるんだけど、私はもうそういう言い方はしたくないなと思う。
そういうアプローチはそんなにスムーズにことを運ばせないだろうなと。
多分これはカウンセリングやってる人はみんなだんだんそう思うと思うんですよ。
いやそりゃ言うことはわかりますよって話になっちゃうと思うんですよ、そういうやり取りではですね。
だからそういうやり取りを何回かするうちにカウンセラーは結局方針を変えていくしかなくなると思うんですね。
その中で編み出されたすごい手法の一つが精神分析なんですよ。
つまりユーザーというのかな最近は、分析、非分析者は夢を見ている。
夢は現実なんだけど、だって見てるから。現実なんだけど夢に違いはない。
その夢の外からね、外からアドバイスをしたって聞かないんですよ。
夢を見てる人に夢の外からアドバイスすることって意味ないじゃないですか。だから言葉が伝わっていかないんですよね。
公開処刑をされたみたいだという夢は見た。
これはだからさっさと目を覚まして公開処刑なんかされてないことを思い知りなさいって話ではないんですよ。
こういうアドバイスになりがちなんだけど、それは夢の外からのアドバイスだから意味がないんですね。
精神分析ってのは多分夢の中に入ってってこれが定義ですよね。
公開処刑しているその上司になって登場するんですよ。
だってそういう夢を見ている人に、その夢から外に出ることはできないじゃないですか。
だから夢の中から語りかけていくわけですよ。
そうすると分析家は公開処刑人になってしまうわけですね。
中梨さんのような人の夢の中では登場人物は公開処刑人として登場するより他ないです。
このシチュエーションを夢見られているその時間帯においては、今ここで公開処刑がまたも行われましたと。
そして公開処刑人としてなんならば松木邦博さんみたいな精神分析家が現れましたと。
あるいは藤山直樹さんみたいな。
そして何を言っても処刑的な言葉として発される。
だからそこでこの夢についての解説が始まるわけです。
あなたは今私に処刑されているんですねみたいな。
あの精神分析の非常に読んでいて意味の分かりにくいやり取りはこういう内容のはずなんですよ。
心の現実と夢の関係
夢を見ている人の夢の中に入っていって、あなたの見ている夢をナレーションのように、
昨日の紅白駄菓子戦でも下に字幕がいつしかつくようになったじゃないですか。
夢を見ている人の耳が遠いからなのか、何言っているのかよくわからない歌詞だからなのか知りませんけど字幕がつきます。
あんな感じなんですよ。夢に字幕がつき始めるわけですよ。
それをやる仕事が精神分析家だと僕は思うんですよね。
あなたは公開処刑されているみたいだと感じているんですねと。
それを聞くことによって夢を見ているのではない自分が目覚め始めるというのを狙ってるんだろうなと思うんですよね。
だから夢の外からアドバイスしても全然ダメなんですよ。
いやいや公開処刑なんかされてないでしょと。あなたのミスは些細じゃないんですよと。
会社にとっては重大な損失だったんだからそれぐらい我慢しなさいみたいな。
これが夢の外からのアドバイス。聞こえてこないですよねそんなアドバイスは。
心に全然入ってこない。そんなことを言われるために受けてるんじゃねえよってことになってカウンセリングは終了する。
これが失敗と呼ばれるものなんだろうと思うんですよね。
難しいんですよこういう話って。
だから人はナルシシズムの世界に生きてるはずなんですよ。
自己愛がある。私を傷つけてはいけない。ちょっとの傷でも許さない。
だって私静電気とか回避しますもんね。静電気ですよ。
自分が痛むってことはこんなに大事なんですよ人間にとっては。
だからここはもうこれは事実として受け止めるほかないんですよ。
主観だからとか大した痛みじゃないとかそれによって本当は傷つかないと言ったって。
本当はそうかもしれないけど心的現実はそうは私に告げてこないですからね。
心的現実としてはひどい傷がつく。
ただしそれが夢でしかなく夢であり心的現実だったということになった途端にこの傷は消える。
なぜならばそれは現実の傷ではないからです。
現実の傷ではなくたって心的現実の傷は深くて痛いですよ。
そして心的現実と現実はナルシシズム状態にある私たち人間にとっては何ら変わらないものですよ。
何度も言って恐縮ですが信号が赤になったら止まるのが人間です。
走っていっちゃうのが犬かもしれないけどそして犬は赤ん坊より子供より賢い犬いますけどでも止まるのが人間です。
なぜならばそれは心的現実が現実として現実の代わりに機能しているから。
ここまで来てしまった以上を私たちは会社で公開処刑を受けるんですよ。