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2024-09-13 44:53

山﨑孝明と東畑開人。精神分析と雨の日の心理学【1053】

心理カウンセリングを「受ける」のに知識はいるのだろうか?
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00:06
おはようございます。働く人に送る精神分析チャット、第1053回をお送りします。
9月の13日、金曜日。あ、13日だ、金曜日。7時19分です。
相変わらず全然普通に暑いんで驚くんですけれどもね。
つまり、なんで僕がこの気温の話をするかというと、これを撮る場所に差し障るからなんですよ。
毎日毎日不思議なんですよね。今、収録開始37、38秒ってところなんですけど、
気がつくと40分とかが経過していて、自分でも多分眠いからこういう状況になってるんじゃないかっていうぐらい、
よくわからんのですよね。何喋ったのかも終わった後はほぼ完璧に忘れるんで、
すぐタイトリングしないとタイトルをどうつければいいのか全然わからなくなってしまうんですよ。
喋ってて、本当に。それだけわかりにくいことになっちゃってると思うんですけど、申し訳ないんですけどね。
でも今日はまずはお知らせしておきますが、9月15日、つまり明後日か。明後日大丈夫か。
まだ何の準備もしてませんからね。でも明日にはすごいするだろうという感覚はあるんで、するんですけどね。
こういう感覚があってしなかったことって今まで生まれて一度もなかったんで多分するんですけど、
14日には終わっているだろうとは、終わってなくても15日の朝には終わるんで、
別に何の心配もないんですけれども、でもタスクシュートだからね、今回はテーマがですね。
タスクシュートとはいえ、そうそう、昨日サンチャレの方にお題をいただきまして、このお題は絶対いいと思ったんですよ。
脱線してそこにのめり込んで、仕事なりに戻ってこれなくなると。生活でもいいんですけどね。
という話をどうすればいいか。これタスクシュートに直接関わらない部分もある気も。
タスクシュートって脱線には強いんだけど、そうは言っても脱線心理を矯正する能力とかがタスクシュートにあるはずがないので、
そんなのがあったら人権問題だと思うんで、ないんですけどね。
でもその対策というのは考え、というか自分はできるんだよな、それ言われると見るとっていうのを思い入って言われてみてですね、
わかったんですよ。答えはわかったんですね。問題はこの答えをどう応用するかっていう答えはですね、
答えってのはおかしいよね。答えは言い過ぎだと思うんですけど、僕がどうやったか、どうやって確実にそれを止めようとさえ思えば止められるかっていうと、
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これはもう一つなんですよね。他者性なんですよ。その場合、他者が介在するケースももちろんあるんだけれどもですね、
他者性なんですよね。他者が介在することが常に必須だってことになると、一人でいるときはつまり歯止めは効かないことになるんだけど、
一人でいるときも歯止めは効きますからね。歯止めという言い方しか上手い言い方できないんで、歯止めって感じが全くしないんだけど、
でもまあその脱線しますよ、私もしょっちゅうですね。ハンザと言わずとも千葉ロッテとかに脱線するんですよ。
あるいはゼルダの伝説攻略サイトとかね。ゼルダの伝説攻略YouTubeとか、もうすごい脱線したくなるじゃないですか。攻略中はね。
でも気がつくと仕事に戻ってるんですけど、そこにあるのは他者性なんですよね。だからまあこれはナルシシズムの問題なんだなっていうことが、
ナルシシズムっていうとまた皆さん鏡を見てうっとりっていうことにどうしてもそのイメージが抜けないから言ってることがわけわかんなくなってくるんですけど、そうではないですね。
そこに他者性がなくなるとナルシシズムだってことなんで、他者性がなくならなければいいわけですよ。
で、まあ他者性がなくなることに没頭とか喜びもあるんで、そこのところにちょっとウィニコット的な話になってきたな、難しさがあるんですけど、
でもやっぱり他者性がないとですね、私だって多分歯止めは効かないと思うんで、これは他者じゃないんですよ。
他者はずっといるわけじゃないんでね。他者がずっといたら困りますから。
他者がいれば他者性は普通の人間なんで私も容易に得られますが、誰もいないときの他者性ですよね。
貸切バスでも他者性はありますよね。ないって人もいるかもしれないけど、そこのところだなって私は思うんですよ、心理的にはね。
だからそういうことを考えます。
考えるって言っても考えると答えが出るというのかっていうと、そこもまた非常にややこしいんですけど、今ちょっと場所を移動しました。
ほんとね、場所問題って深刻ですね。大厚いとね。
ではですね、すいません、ちょっとまた場所を移動した関係で、9月15日に明後日その話をめんめんさせていただこうと思います。
その方にはですね、お題いただいたし招待しちゃおうかなとか思わなくもないんですが、まだちょっとそれを僕が覚えていればってことですね。
何て言うんだろうな、今やってることって本当は記憶の彼方に飛ぶんですよね。今やってるこの時間帯。7時早い段階じゃないですか。
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僕まだ5時間ぐらいしか寝てないから、6時間ぐらいは寝たか、でも5時間半ぐらいなんで、多分この間隔って保持するのは難しいんですよ。
まあまあ言い訳がましいですけどね。
この普通のセミナーなんですけど、そういうふうになぜか世の中では答えがたぎことになっている、でも答えられないはずの全然ない話をですね、なるべく大量に答えていきたいと思いますので、
後ほどご参加いただく方にですね、これだけは何とかしろっていうのを、まあ何とかできるとは限りません。何とかできるとは限りませんが、これだけは何とかしたいっていうのをですね、ちょっとお題募ってみようかなと思う。
全部には答えられないかもですけれども、思っております。現段階早割みたいなものかな。割引はできてませんけどね。
まあそんな感じのことを考えました。
この多写性って言われてもね、それはそれで困ると思うんですよ。でももう魔法の杖ではないってことなんですよね。
多写性ってのは僕はすごく大事なポイントだとは思うんだけど、こうすれば得られるとかいうものとは確かに違うと思うんですよ。
ただそれは可能では決してないと思うんですね。というのは多写がいるから多写性じゃないから、多写がいなきゃダメってことになっちゃったら、なんかこうね、同居する人を見つけるのが先って話になって、非常に困りますよね。
そうではないはずなんで。だってですね、貸切に近い電車の中だからといって、やっぱしないことってあるじゃないですか、家ではしても。
それは多写性を意識しているからですよね。そこに多写が来る可能性とかだけではないと思うんですよ。
まあまあそんなようなことを、もう少しわかりやすくちゃんと話すようにします。
今日のお題なんですけど、あのですね、今日のお題は2冊の本なんですね。2冊の本の詳しく喋っている余裕はないので、さすがに40分ぐらいじゃ。
一つが最近出た雨の日の心理学、これが遠畑海人さんの書いた話題の先生ですね。
もう一つが精神分析の歩き方、これは山崎隆さんが書いた。この番組ではおなじみの方ですね。
この本2つを読むとですね、精神分析というものがなんとなくは絶対わかるはずっていう。
このタイトルがね、またなかなかなんですよね。精神分析の歩き方1冊でことは足りそうじゃないですか。
でも精神分析の歩き方ではですね、本題入ってますからね、すでにね、僕はこういう入り方しちゃうんですけど。
精神分析の歩き方は、精神分析そのものについての記述は本の厚さの割には少なめなんですよ。
09:02
というかよく十分わかるようには、残念ながらなっている感じがしないんですよ。
私、あの本はすごい推しなんだけれども、それは推しじゃないんだよね。
だからね、私はあの本面白いんだけど、一般的にはどうなんだろうっていうのはどうしてもあるんですよね。
タイターゲット読者って、僕はあまりこの言葉もあまりいい言葉ではないと思いながらも、やっぱ多少は大事で。
ターゲット読者がですね、変化していくんですよね。ブレルっていうのとはまた違うんですよね。変化していくんですよ。
最初は間違いなく自分はターゲット読者だったんだけど、いつしか外れてしまうんですよね。
ここを、僕は外れてもいいんですよ。
なぜなら僕はその、なんて言うんだろうこれは。
病理なんですよね。病理は言い過ぎだな。
あたかもし僕は心理学者かのような面をして読めるからなんですけど、違うからね、僕。
心理学者じゃないんで。精神分析科の卵とかでも全然ないんで。
一生ないと思うんですよね。臨床心理師の卵でもない。これも一生ないと思うんですよ。
そういう、でも人間向けにターゲットがね、切り替わってるところがある。元に戻ったりもするんですけどね。
これをどっちも僕は持ってるから、持ってないんだけど、持ってるつもりに平気でなって、ほぼ持っているという誤解をして生きてきましたからずっと。
だから、この本を読んでも面白い。
でも全然自分は臨床心理師になる気もなければなりそうもないし、あたかも臨床心理師のように振る舞ったこともないぞっていう人があれを読むと、
この本誰に向けて書いてるんだろう?みたいな気持ちになると思うんですよね。でもこれは推測ですけどね。
何点ですかね。確かにあれは精神分析の話を書いてるんですけど、どっちかっていうと、精神分析の何点ですかね。
日本の歩き方って書いてあるんだけど、世界の歴史が書いてあるみたいなノリなんですよ。
ちょっとこの言い方はおかしいんだけれども、確かに日本は出てくるし、日本を世界史的に見るとこうだよねってのはわかるんだけど、
日本の中身についてはあんまり、特に現代日本の中身みたいなものについては、ほぼ触れられてないみたいな、そんな感じなんですよね。
でも日本の歩き方って書いてありますっていう感じ。
そういう捉え方で精神分析を書く人って今まで確かにいなかったんで、面白いんですよ。
でもそれは精神分析の中身、内実がわかるというのではないんですよね。
むしろ精神分析が日本の中でどういう位置づけになっているかみたいな話が、歴史的に解き明かされていくみたいな縦割りなんですよ。
縦軸って言ったらいいのかな。時間軸なんですよね。
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で、闇の日の心理学、あれは精神分析を平易な心理学っぽい言葉で書くと、心理、ケアって書いてますけどね。
ケアとセラピーという非常にこうなんかなじみ深い田和田さんのお箱ですよね。
の流れの中というのかな、そういう語りで精神分析を書くとああなるんですよ。
そういうことできるのは今、田和田さんしか僕はいないんじゃないかと。
あれね、多分結構批判されてると思うんですね。
これは僕はその種の批判を読む気は別にないんで、読んでないですけど。
昔ですね、私が大学の頃かその直前ぐらいか入る直前ぐらいか、ソフィーの世界、大学の頃かなっていうですね、哲学の啓蒙書がですね、ものすごく売れた時代があったんですね。
とてもいい本だと私は思うんですよ。
で、あの本すごい批判されていて、うちの大学の哲学科の先生も批判してたんですけど、そういう目に合うんですよ。売れる啓蒙書、わかりやすい啓蒙書。
まず第一に、俺でも書けたのにって思いを絶対抱かせるんですよ。大学の先生に。
知識の上ではきっとそうなんですよ。でも俺では書けないんですよ、ああいう本。
なんでなのかは難しいんですけれども、わかっていることをわかってない人がわかるように、現実にはそういうことが起きるかわかりませんけど、
わかっている人がわかっていない人にわかるように平面に書くっていうのは実に難しいことなんですね。
だから俺でも書けるのにというふうに考えてイライラしている人はよく、それはそれで批判されるんだけど、僕はああいう人には同情するんですよ、どっちかっていうと。
これはね、僕昔スキーのインストラクターやった時に痛感したんですよね。
滑れる私が滑れない人を滑れるようにできたら、それはもう相当の能力なんですよね。
で、そんなことは僕にはできなかったんですよ。滑れない人を滑れる私が滑れるようにするっていうのはね、
自分が滑れるようになることとはまた全然違う能力、全く無関係ではもちろんないんだけど、ものすごい違う能力なんですよね。
だから私は人に物を教えるっていうのは仕事でなければやらないことだなっていうことを痛感して、娘とかに何かを教えることは基本あんまり極力避けるようにしてるんですね。
嫌がられるのはなぜなのかっていうのがよくわかるようになったんですよ。
娘がどうしてもって言うからしょうがなく泳ぎだけを教えてあげたんですけど、
その時ももう、私が泳げない娘を泳げるようにするっていうのはですね、娘だからできるんだなっていう感じがするぐらい困難なんですね。
だから批判されるんです。
ところが多くのっていうかできる人はやっぱり、できない人をできるようにすることは自分にはできる。
これできる感覚がなかったら多分その人できないから、できる感覚が大事なんですよね。
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できるって思うんで、出し抜かれた感が絶対あると思うんですよ、そこにはね。
尾端さんなんて若くはないんだけど、業界の中ではお若いから多分絶対言われるだろうなとは思うんだけど、
言われるのはなんとなく見え見えな話なんで、まあいいやって、僕が別にまあいいやってことはないんですけど、要はそういう意味ではいい本なんです。
ソフィーの世界とはまた違いますけどね。
で、雨の日の心理学は結構そうは言ってもすごくてですね。
よく読むと結構よくわからんことを割と平気で書いてあるなっていう話。
全部言ってると営業妨害になりかねないし、そもそも全部は言ってられないので、一つだけ出すとですね。
僕、タナトスって言葉がわかんなかったんですよね。死の本能とか死衝動とかって昔書いてあったんですけど、そんなのあるだろうかっていうのがまずあったんですよね。
確かに人は起死年齢を抱くけど、だけど死の衝動っておかしくないっていう、私やっぱり高校の生物ではすべて生き物には2つの本能があるって、
あれもね当時は感銘を受けたけど、今思うと何ていうのかな、人間の言い分だよなって思うんですけどね。
要するに個体の維持と種族の維持、性欲と一人一人、個体が生き延びたいという気持ちですよね。
つまり性にしか向かってない。性欲か性欲みたいな。生きる欲求か性の欲求。
これはわかるじゃないですか。なんとなくなんですけど。動物はあるよね、それっていう感じはしますよね。
実は動物は生殖をしないというような生き物もいなくはない気もするんですけど、分裂さえすればいいみたいなね。
でもまぁ一応そういうことになってるんだなっていうことで話は納得できる。
死の衝動って何よって感じがしますよね。
死にたくなるってことなのって、確かに死にたくなる。だから起死念慮って思うんだけど、普通の動物って死にたくなってなさそうじゃないですか。
いわゆる起死念慮なんて抱かないと思うんですよね。
だから死の本能って何なのって感じがして、タナトス、エロスはわかる。
エロスとタナトスって言うんですけど、愛と死みたいな感じになってきますけど、わかんねえと思ったんですね、私は。
長らく全然わからんと思う。トロイトの中でもとびきりわかんない概念の一つだったんですよ。
ペニスセンボーとタナトスはもう本当に一番受け入れがたいなと。
私は凡庸な人間なんで、発想はやっぱり平凡なんですよね、と思ってたんですけれども、最近ですよね。
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だから長らくここは放置してたわけです。よくわかんなかった。
いろいろと納得のいく話が増えてきたけど、それこそ山崎さんの本とか読んで増えてきたけど、結局よくわかんないと。
で、なんとなくわかってきたっていうのは本当にここ最近で、妄想分裂ポジションのことだって考えると、なんとなく納得がいく。
なんとなくその辺はですね、メラニ・クラインが強調してたんで、死の本能をもっとトロイトより強調するという、
僕からするといよいよ意味のわからない方向に走ってたわけですけど、彼女は。
そのところからでも、メラニ・クラインって言ったらやっぱり妄想分裂ポジションって感じが、よく打つポジションですけどあるので、
妄想分裂ポジションのことっていうふうに考える、そのところにおける攻撃性みたいなものを考えると、
あーそっかーって感じがしてくるんですよね。
私のあえて無理矢理説明的に訳すとですね、死をもじさないって感じ。
でもこれがですね、確かに妄想分裂ポジションって要するに赤ちゃんのポジションなんですよね。
PSポジション、雨の日の心理学にPSとDで出てくるんですよ。
すごいなPSとDで出すんだみたいな感じで、大変感動したんですね。
あれ門川さんでしたよね。門川さんのいわゆるビジネスショップっぽい風を装ってPSとDを出してくるとはみたいな感じってちょっとありますよね。
妄想分裂ポジションとか言うなら、まだそれでもちょっとどうかなって感じがするんですけど、
PSとDなんだみたいな感じで、しかもクラインガーとかエニコットガーとかは結構比較的最小限に抑えられてるんですよ。
まして他の人の名前は出てこないですよね。ビヨーンが出てきたか、ビヨーンは出てきたかな。
ビヨーンが出てくるっていうのもやっぱすごいですよね。
そうそう出てきませんよ、ビジネスションにビヨーンは。クラインガーって出てきませんけどね。
だからこの3人以外の名前が出てくると一層挑戦的な感じがするんですけど、
それは別に全然出てきてもいいと思うんだけれども、この辺がやっぱり数式をビジネスションに入れちゃダメだろと似ているんですよね。
数式入れると循環が1回分減るみたいな、そういう嘘くさい本当くさい話があるんですが、
まあまあいいや、つまりそうやって私が思うにやっぱしおもじさないなんですよ。
これがね、これが私自身のですよ、PSポジションってことを意識したときに、
ああなんかもう本当に自分あの幼いわって思う、50にもなってしおもじさないとかって言い出すわけですよ。
例えばなんかね、奥さんに皿が違うとか言われて、ちょっと不調が厳しくなると思う。
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しおもじさないとか差し違えるとか、非常にこうですね、ほどっぽいんですよ、要するにこれはやっぱり。
僕はどうしてもこのPSポジションはやっぱり幼児的だと言わざるを得ない気がするんですよね。
ある種のこの心理状態に入っている人にそれを言われる、そういうことを言うのは本当危険なことぐらいなんで、
プライドに関わるんで、いつもこれ幼児的だと思うに、心の奥底で幼児的だと思うにとどめようと思うんだけど、
そんなにでもこれを収めるのが比較的辛いじゃないですか。
だから僕はやっぱりこうね、卒業は一生できる気がしないと思うんですよね。
PSとDだっていう、あの矢印は両向きになっているっていうのをすごく感じるんですよ、行ったり来たりする。
なんかね、このPSから自分が一生PSを抱えているくせに、僕は成長動機って言葉がやっぱり非常に苦手なのはですね、
だって人間すぐ差し違えたからじゃんって、多分そうだと思うんですよね。
だって僕は人生長く生きてきて須貝さんは大人しいとか、自分を押し殺してるって言われることは多々あっても、
合法雷落だとか言われたことはないわけですよ、私ははっきり言って。
自分の思うことをバンバン平気で言うよね、みたいなことは言われてないで生きてきてるんですよ。
でも僕はPSに振り回されていると感じることが多々あって、後になって良かった、差し違えないでって感じなわけですよ。
こういう人間がですね、成長とかしてないだろうって思うんですよね、やっぱりね。
こんなのは一歳児の時の気持ちに違いなく、お母さん絶対倒すみたいなね。
それは多分ミルクをくれなかったからとかなわけじゃないですか。
でも何にも変わってないと思うんですよね、私はその時から。
少しも成長できている気がしない。
いやDは獲得しましたよ、もちろんね。
翼打つポジションは獲得したけど、Dなんて普通獲得して当たり前じゃ当たり前じゃないですか。
ごめんね、お母さんみたいなやつじゃないですか。
そりゃありますよね、うちの子にだって多分見た感じ3、4歳の時にはすでにあった。
そこからは僕はね、ほぼこれといった進歩は見られないと思うんですよね、自分にしても娘にしてもですね。
英語ができるようになるとかは関係ないと思うんですよ。
そんなのはだってアメリカに生まれりゃ4歳児だって英語は獲得するわけですから。
そうそう人間成長しないなっていう感じ。
Dは確かにPS1編等だったところからすると強速の進歩だと思うんだけど、
Dから先はなんかこう僕が思うにですね、見るべきものはほぼないなっていう感じ。
いわゆる甘えの構造に出てくる自分があるっていう状態と、
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少し延長線上的にそういう感じはありますけど、自己対象というものが常にはないですからね。
しかもね、自分というものがメタ認知って言うんですか。
他の言葉も苦手なんですけどね。
メタ認知ではなくて自己対象だって思いたいんですけれども、別にメタ認知でもいいんですけど、
でもメタ認知なんてずっとしてるわけじゃないじゃないですか。
本当にこうできてる時とできていない時があるじゃないですか。
だからやっぱりDとPSで十分だって思うんですよ。
あの、なんて言うんだろうな。
関係を壊したことを食い入ることができれば人間十分だって思うんですよね、私はね。
先日山崎隆さんとの対談で野田沙耶子さんという方はアダルト・チルドレンを広めた人ですね。
生きてれば十分だっておっしゃってたんですけど、それもそうなのかなとも思うんですけど、
やっぱりそこは心理にバイアスがかかってるんでしょうね。
生きてれば十分だとは感じないですよね。
食い入ることができれば十分だって感じがします。
めったに食いなくていいと思うんだけど、でも食い入る能力を持ってれば十分だって思うんですよね。
持ってなくてもしゃあないんだって、それは能力だとある意味思うので、
能力だけではないかもしれませんけれども、能力の一種だとは思うので、
なきゃないですよね。泳げない人は泳げない。
別に泳げなくてもそれは全然問題じゃないと思うんですよ、今の時代。
むしろ泳げる方が危険なくらいなんで。
泳げると泳ぐ気になって溺れますからね。
泳げない人は最初から水に近づかない。
どっちがいいかって話ではないかもしれないけども、
別に能力っていうのはなければない方がいいかもしれないとは思いますけど、
そんな感じで25分って気がつくと経っていて、
今日は少なくとも1回30分ぐらいで打ち切りますから、
ここら辺でまとめたいぐらいなんですけど、
雨の日の心理学を読むと精神分析の中身っていうのがたぶん今一番簡単に、
これか藤山直樹さんの集中講義精神分析かどっちかかなみたいな感じですね。
藤山直樹さんのは上下観なんでつまり2冊なんですよ。
僕はそれよりは今だったら雨の日の心理学と精神分析の歩き方のセットで、
そっちの方がいいような気がするんです、日本人だったら。
っていうのは日本の歴史が書いてあるから。
藤山さんのは正しいんですけどある意味、
世界の精神分析、ヨーロッパの精神分析の歴史が書いてある。
この3つ読むと4冊読むことになっちゃうんですけどね。
それ読むと一般人としては万全だと僕は思うんですけどね。
一般ユーザーとしては万全だと思うんだけどそこまではなくていいかなっていう感じで、
27:04
山崎さんのはつまりですね、
雨の日の心理学に相当する部分が僕はやっぱりあの本に本当はいるんじゃないかと思うんだけど、
そうするとやっぱり上下2冊感になっちゃうんで、
手術作で上下2冊感出す人ってそうはいるもんじゃないですから、やっぱりしょうがないなっていう感じも今はするんですね。
精神分析の歩き方は私は信田沙耶子さんとの対談を経てから、聞いてからもう1回読んでめちゃくちゃよくわかる気がしたんで、
あの本はやっぱり精神分析のことを知るには必要な本なんですけど、今の精神分析を知るには必要な本なんだけど、
私たちが精神分析のことを知ろうって言った時に知りたいってことは多分フロイトじゃないですか。
読め判断が読めるようになりたいって感じがするんで、その場合には精神分析の歩き方を何回読んでも多分読め判断は読めるようにはならない。
で、雨の日の森林国読んだとしても読め判断は半分ぐらいしか面白くないような気が私はするんですね。
なんかやっぱりなんなんですかねこれね。あの本から始まったんだけど、あの本はゴールみたいな感じがするんですよ。
こういうことだと思うんですよね。僕はベトベンを聞いて、例えば後期の原学士重曹まで理解できるようになったと仮にしても、学数って読まないじゃないですか。
なんか僕はフロイトって最近読むたびにこれは学数みたいなもんだって思うようになったんですよ。
やっぱり研究する人が読むものであって、精神分析にかかったり利用したり、あるいは極端に言うと精神分析科であったとしても、科であれば別か。
でもまあ普通に臨床をやってるっていう人が別にフロイトって面白がれるっていうことである必要は全然ないような何かなんだけれども、でもやっぱりここから始まったんだよなぁみたいな感じがしますよね、私には。
ずっとこの番組では訳あってこれを出してるんですけど、でも戸畑さんもやっぱり何回か出されるんで、私はすごくこう、なんかね、親近感が湧くというか、戸畑さんけびょうの話よく使われるんですよね。
僕絶対やっぱりあれはどうだとあんな王だって思ってるんですけど、戸畑さんがヒステリーだっていう意味ではないんですけど。
いや、だから余計そうなんですよね。現代っていう時代は本当にヒステリーって、なんとかその言葉自体のイメージが悪すぎるんだと思うんですけど、特に男性のヒステリーって僕はすっごいこう、
なんつうんですかね、ダメなんでしょうけどね、この概念を持ってくればいいのにって思うんですよね。とりあえず私は脅迫症っていうことにしておいてるんですけれども、全然違うんですけどもね、でもそうなんですよ、今の時代ってなんかですね、神経症のいろいろな方がぐるぐる回っていくんですよね。
30:13
そんな感じがすごいするんですよ。特徴的なのは脅迫と回避と、やっぱちょっとヒステリー的な、そう映ってたらいかにも言い過ぎなんですよね。そうじゃないんですよって思うんですよね、私は。
ここで終わりにしてもいいと思うんですけど、やっぱりなぜか30分で終わらないんですよね。
一見したところ、一見したところってのもおかしいんだけど、雨の日の心理学一冊で良さそうに思う人も多いと思うんですよ。
でもあの本読み終わった時にですね、最後まできっちり読んだ場合なんだけど、
あの、彼って、戸畑さんは、これは戸畑さんの得意技なんですけれども、臨床心理師だっていうか心理師って書いておきながらですね、そして白金高縄カウンセリングルームっていうのは彼の所属しているのか経営しているのか知りませんけれども、
言葉まで本の中に出てくるのに、あれですよ要するに、本の袖とかプロフィール欄じゃなくてってことです。白金高縄カウンセリングルームってすごいじゃないですか。地名にプラチナが入ってるっていうところでカウンセリングルームできる人って、やっぱりそうはいないと思うんですよね。
でも、あの本読んで、いやじゃあちょっと戸畑さんに見てもらおうかなって思ったと仮にした人がですね、あれでも戸畑さんに見てもらうことできるのかなって思うかもしれないじゃないですか。この感覚がどうして発生するのかっていう話は、あの本の中には一切出てこないんですよ。
まあこの感覚が発生するかどうか知りませんが、僕には発生するんですよ。自然発生的に。えっと心理の話とか、戸畑さんはあの本の中でセルフケアって書くんですよね。僕らついついそっちに走りません。ライフハックなんていい例ですけど、カウンセリング受けようかなって戸畑さんも書かれてましたけど、思わなくないですか。
ちょっと最近調子悪いなってなった時、戸畑カイトっていう人がなんかお医者さんみたいな格好をして、私たちの悩みを聞いてくれたり、心理的診療相談に乗ってくれるって感じしなくないですか。私はしないんですよ、あんまり。いやこれだと営業妨害になりかねないから。やってると思いますよ。ただピンとこないんですよ。
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でも、医者って逆じゃないですか。お医者さんって普通。ジビカとか歯医者に行くのに前に本読みます。ちょっと歯の調子が最近悪いからセルフケアしようかって思わなくないですかね。割とすぐお医者に行きますよね。ここの関係がなんで逆なんだろうって感じが。
まあお値段のことももちろんあるんですけど、でも1回や2回なら、少々高くったって10万円とかじゃダメですけど、6、7千円なら可能じゃないじゃないですか。6、7千円で1回で果たしてどういうことがあるのかわかりませんけど、でもまあ不可能じゃないじゃないですか。
実際、生態の高いところなら行くと思うんですよ。で、本書いている人の本読んで、うわあこんなに腰強くなるんなら行くわみたいにして行くと思うんですよ。なんでこれが心理には適用されがたいんだろうっていう。心理相談って一体何をするところなんでしょうかっていうのが、実はその内実について書いてあるにもかかわらず、雨の日の心理学を読んでもそこのところがよくわからないと思うんですよね。
世代によってはここでそもそも自分どうして精神分析ってものに興味持つんだろうという謎な謎な疑問がね、湧いてくるんじゃないかと思うんですよね。この番組聞いていらっしゃる方はもう僕がその辺のことを散々繰り返し飽きるほどうんざりするほど喋ってるから、そうは感じられないかもしれませんけど、私もよく考えてみると、え、なんで。
ユンギアンだからみたいなユングとかに興味があるからって思うんですよね。戸畑海人さんはユング派だったとか、波紋されたとかよくわかんないことが書いてありますけど、そもそも戸畑さんって立ち位置どういうことなのってなると、これはよくわからないんですよ。
彼は民族セクターとかまで、しかも肯定的に書いてきますからね。民族セクターって、例えば占い師とか生命判断のことを言ってますからね。私なんかも民族セクターかなって思うんですけど、私民族セクターって言われてみると、なんかその種の専門性を自分は書いてるような気がするんですよね。
だって僕占いできないし、水晶玉の中に何も見えませんから、なんか自分の手がぼやけて見えるだけですから、生命も青年月日も星占いも何一つできませんしね。私がやってるのは自己啓発って言われるかもしれませんけれども、お前何を啓発してるのかっていう、なんかただ雨の日の心理学の解説みたいなことをしてるのは自己啓発なのかっていうね。
ここには非常にいろんな何かがあるんですよ。昔で言うと、私はカワイイハヤオさんの本をなぜか読んでたんですよ。どうして読み始めたのか思い出せないんですよ、本当に。山のように読んでたんですよ。でも彼を、ユングだったことはもちろん知ってましたけど、精神分析家だと思ったことは一瞬もないです。
つまりどういうことかというと、私は無理だったけど当時は、カワイイハヤオさんに心理臨床してもらおうっていう発想自体は持ったことがないです。僕は読み物として読んでました。どうしてこういうことが起きるんでしょうね。
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お好み敬語さんとかは、僕、世代が違うからわかりませんけど、岸田秀さんとか。ちょっと違うところで、名前が出てこない。信じられない。めちゃくちゃ本をいっぱい書かれた人ですよ。
あの人には相談しに行ってもいいような気がちょっとしちゃうんですけどね。最近で言うとあれかな。川沢詩音さんとかね。精神分析、精神科医ですね。精神科医の川沢詩音さんとか。心肺症の心理学とか書いた人じゃなかったかな。
でももう今ではですね、そういうタイトルの本も違う人の名前が出てくるぐらい。ちょっと反転ですかね。大丈夫。そういう本をいっぱい書いてる人がいらっしゃったんですよね。
でもまあその、やっぱり読み物なんですよ。これをどうしてなのか。川沢さんの、もう一歩間違えると読み物になる。そう書かれてもありますからね。セルフケアって読み物ってことじゃないですか。読んで元気になろうみたいな。ものすごく単純に言うとそういうことじゃないですか。
読んで元気になろうって本に現代クライニアンが出てくるって、まあ現代クライニアンじゃないかもしれないけど、美音とか出てくるって結構不思議な話なんですよね。なぜなら一昔前の本なら必ずこの種の本に書いてあることって、読んだだけじゃダメです。できもしなければわかりもしません。
そういう本がなぜ出てるんだっていう疑問は湧くんだけれども、必ず書いてあったもんなんですよ。で、川沢さんはもうわざとみたいに外してあることがあって、精神分析の本っていうのは冒頭決まって構造について治療構造論とかで書いてあるんですよ。
一室の中でソファーにこの時間と形式を絶対厳守せねばならんみたいなこと、しかもこれが治すんだみたいに書いてあるんですよ。だから川沢さんの本にはそれ自体出てこないんですよね。どっちかが嘘ついてることになっちゃうわけですよ。
もしあれで治るって言うんならね。でも民族セクターの話になってくるともう絶対出てきませんからね。昔の治療構造論書いてあるようなところに。占いも効果があるんですとか、間違っても出てこないですからね。時代は変わったってことでもあると思うんですけど。
この辺のことって、例えばカワイハヨーっていうのはその場合どっちの本にもほとんど出てこないじゃないかな。今回の戸畑さんの本にも、戸畑さんはカワイハヨーさんのことは昔はよく言及されてたんですけど、スーパースターみたいに書いてたんですけど、多分今回出てきてないような、出てきてるかもしれないけど決してそれほど重大な使いではない。だってユングほぼ出てこないに等しいところがあるんで。
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クラインですからね、あの話どっちかっていうと。
というか、かなりほとんどの部分が。だいたいPSとDってカワイハヨーさんの本にはほぼ出てこないじゃないかな。出てこないと思うな。
これってどういうことなんでしょうねっていうことが疑問にならないと思うんですけど、なった場合どうなるかっていうことなんですよね。なった場合。
一体全体カワイハヨーさんって何だったんだろうみたいな、カワイハヨーさんを読んでる私何だったんだろうっていう感じかな。
カワイハヨーさんの本にPSとDは絶対出てきませんから。絶対じゃないかもしれないけど、多分読んだ場合に出てこない抗産の方がはるかに大きいと思うんですよ。
どっちもセルフケアの本じゃないですか。しかもどっちも精神分析だってカワイハヨーさんは所々で自分は分析家だみたいなことを書きますから。
で、この番組でも時々お伝えしていた、例えば平気で嘘をつく人たち。そこに精神分析なんですよ。あれ書いてる人。精神分析家で精神分析というものをやってみませんかっていう風に登場人物の患者さん達を誘っていくんですよ。
だからあれ精神分析なんですよ。あそこにも間違ってもPSとDなんて出てきやしませんから。これは余談ですけどね。
この辺のことが謎だ。なんかよくわかんないけれども、読む本読む本によって全部読み物として読むこの心理療法的な世界を、ただ心理療法の話として読むんならそれでいいんでしょうけど、
少なくとも今回の雨の日の心理学のような本を読む人は、自分が悩んでるとか自分が心理的に調子がおかしいっていうのを少しは意識で読む人はたくさんいると思うんですよ。
その人たちに向かって読んでも無駄だから精神分析というのは受けなきゃダメなんですよっていう本が昔は主流だったんだけど、でもどこに行けば受けられるか、そもそも値段的にも現実的にもとてもじゃないけど受けられないっていう人たちにそういう本が提供されている時代が長らくあったんですね。
かと思えば、かわいはやおさんのように、確かにそんなよくわからないストイックなことは書いてないんだけれども、まずはトルーデさんが出てきて、大地の母と一緒になるというのは危険なことなんだけど魅力があるんだみたいなことが出てきて、そして永遠の少年の話が出てきて、トリックスターと死土再生が出てくるっていうのを延々読んで、
その中に非常にそのことと関係がありそうな童話の話が、日本の童話とかクリム童話とかを交えてですね、いろんな本が出てきてですね、なんかいい話を読んですごく教養豊かになった気がするわーって感じはするんだけど、で、どうすればいいのかとか、で、何が起こったのかとかは一切わからず、しかもじゃあかわいはやおさんにちょっと見てもらおうかっていう気になったとしても現実的にどうすればいいのかわかんないっていう状態の本。
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が長らくあったわけじゃないですか。
で、これも何でなのかはわからないですよね。
この本はいったい誰向けのどういう意味を持った本なのか。
読み物として読むだけで済むんならいいんですよ。
それこそ阿川さんだっけ、エッセイみたいな。
あの本にそういうものを期待しないでしょ。
ソラミミアワワみたいなのを読んで、阿川さんのところにカウンセリングに行こうとかって別に思う必要は全然ないし、そんなことはどうでもいいことで、ただ読めばいいわけですよ。
小説みたいなもんですよね。
で、そういう時代が長らくあって、遠肌さんの本読んで、どうしていいんだろうっていうのはセリフケアをすればいいんだ。
雨の日の心理学だからこの雨の日の心理学を自分に適用すればいいんだっていうんで済むっていう場合はあると思うんですよね。
それでいいんだけれども、そうじゃなかった場合はどうしてそもそもどこにいて何すればいいんだろうってなったときに、
実は山崎さんの本が山崎孝明さんの精神分析の歩き方が多分今は一番役に立つ気がするんですね。
この文脈をしっかり意識してないと多分よくわからないことになってしまうと思うんですよ。
山崎さんの本を読み通せば、つまりその前半を読めばですね、白金高輪カウンセリングって何やってるところなんだろうっていうことに興味が向かわずなんですよね。
それに興味が向かないと雨の日の心理学なんだぐらいな感じでもいいと思うんですけどね。
それでもいいと思うんだけど、そこをどのように考えるかだと思うんですよ。
私たち歯医者さんに行くときに、この歯医者さんはクライン派だろうか、それともユング派だろうかって考える必要が一切ないじゃないですか。
心理系は残念ながらそうはいかないような気が僕はまだするんですよ。
だけど結局それにどの程度意味があるのかも含めてですね、そういうことも戸畑さんが書いてるんだけど、はっきり言ってそこはわかりやすくはなってないんですよね。
そこをわかりやすく書いてあるのがわかりやすいかどうかは人によって違うかもしれませんけれども、精神分析である方がそこはわかりやすいなっていう話なんですよ。
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