おはようございます。働く人に送る精神分析チャット、第1053回をお送りします。
9月の13日、金曜日。あ、13日だ、金曜日。7時19分です。
相変わらず全然普通に暑いんで驚くんですけれどもね。
つまり、なんで僕がこの気温の話をするかというと、これを撮る場所に差し障るからなんですよ。
毎日毎日不思議なんですよね。今、収録開始37、38秒ってところなんですけど、
気がつくと40分とかが経過していて、自分でも多分眠いからこういう状況になってるんじゃないかっていうぐらい、
よくわからんのですよね。何喋ったのかも終わった後はほぼ完璧に忘れるんで、
すぐタイトリングしないとタイトルをどうつければいいのか全然わからなくなってしまうんですよ。
喋ってて、本当に。それだけわかりにくいことになっちゃってると思うんですけど、申し訳ないんですけどね。
でも今日はまずはお知らせしておきますが、9月15日、つまり明後日か。明後日大丈夫か。
まだ何の準備もしてませんからね。でも明日にはすごいするだろうという感覚はあるんで、するんですけどね。
こういう感覚があってしなかったことって今まで生まれて一度もなかったんで多分するんですけど、
14日には終わっているだろうとは、終わってなくても15日の朝には終わるんで、
別に何の心配もないんですけれども、でもタスクシュートだからね、今回はテーマがですね。
タスクシュートとはいえ、そうそう、昨日サンチャレの方にお題をいただきまして、このお題は絶対いいと思ったんですよ。
脱線してそこにのめり込んで、仕事なりに戻ってこれなくなると。生活でもいいんですけどね。
という話をどうすればいいか。これタスクシュートに直接関わらない部分もある気も。
タスクシュートって脱線には強いんだけど、そうは言っても脱線心理を矯正する能力とかがタスクシュートにあるはずがないので、
そんなのがあったら人権問題だと思うんで、ないんですけどね。
でもその対策というのは考え、というか自分はできるんだよな、それ言われると見るとっていうのを思い入って言われてみてですね、
わかったんですよ。答えはわかったんですね。問題はこの答えをどう応用するかっていう答えはですね、
答えってのはおかしいよね。答えは言い過ぎだと思うんですけど、僕がどうやったか、どうやって確実にそれを止めようとさえ思えば止められるかっていうと、
で、闇の日の心理学、あれは精神分析を平易な心理学っぽい言葉で書くと、心理、ケアって書いてますけどね。
ケアとセラピーという非常にこうなんかなじみ深い田和田さんのお箱ですよね。
の流れの中というのかな、そういう語りで精神分析を書くとああなるんですよ。
そういうことできるのは今、田和田さんしか僕はいないんじゃないかと。
あれね、多分結構批判されてると思うんですね。
これは僕はその種の批判を読む気は別にないんで、読んでないですけど。
昔ですね、私が大学の頃かその直前ぐらいか入る直前ぐらいか、ソフィーの世界、大学の頃かなっていうですね、哲学の啓蒙書がですね、ものすごく売れた時代があったんですね。
とてもいい本だと私は思うんですよ。
で、あの本すごい批判されていて、うちの大学の哲学科の先生も批判してたんですけど、そういう目に合うんですよ。売れる啓蒙書、わかりやすい啓蒙書。
まず第一に、俺でも書けたのにって思いを絶対抱かせるんですよ。大学の先生に。
知識の上ではきっとそうなんですよ。でも俺では書けないんですよ、ああいう本。
なんでなのかは難しいんですけれども、わかっていることをわかってない人がわかるように、現実にはそういうことが起きるかわかりませんけど、
わかっている人がわかっていない人にわかるように平面に書くっていうのは実に難しいことなんですね。
だから俺でも書けるのにというふうに考えてイライラしている人はよく、それはそれで批判されるんだけど、僕はああいう人には同情するんですよ、どっちかっていうと。
これはね、僕昔スキーのインストラクターやった時に痛感したんですよね。
滑れる私が滑れない人を滑れるようにできたら、それはもう相当の能力なんですよね。
で、そんなことは僕にはできなかったんですよ。滑れない人を滑れる私が滑れるようにするっていうのはね、
自分が滑れるようになることとはまた全然違う能力、全く無関係ではもちろんないんだけど、ものすごい違う能力なんですよね。
だから私は人に物を教えるっていうのは仕事でなければやらないことだなっていうことを痛感して、娘とかに何かを教えることは基本あんまり極力避けるようにしてるんですね。
嫌がられるのはなぜなのかっていうのがよくわかるようになったんですよ。
娘がどうしてもって言うからしょうがなく泳ぎだけを教えてあげたんですけど、
その時ももう、私が泳げない娘を泳げるようにするっていうのはですね、娘だからできるんだなっていう感じがするぐらい困難なんですね。
だから批判されるんです。
ところが多くのっていうかできる人はやっぱり、できない人をできるようにすることは自分にはできる。
これできる感覚がなかったら多分その人できないから、できる感覚が大事なんですよね。
だから長らくここは放置してたわけです。よくわかんなかった。
いろいろと納得のいく話が増えてきたけど、それこそ山崎さんの本とか読んで増えてきたけど、結局よくわかんないと。
で、なんとなくわかってきたっていうのは本当にここ最近で、妄想分裂ポジションのことだって考えると、なんとなく納得がいく。
なんとなくその辺はですね、メラニ・クラインが強調してたんで、死の本能をもっとトロイトより強調するという、
僕からするといよいよ意味のわからない方向に走ってたわけですけど、彼女は。
そのところからでも、メラニ・クラインって言ったらやっぱり妄想分裂ポジションって感じが、よく打つポジションですけどあるので、
妄想分裂ポジションのことっていうふうに考える、そのところにおける攻撃性みたいなものを考えると、
あーそっかーって感じがしてくるんですよね。
私のあえて無理矢理説明的に訳すとですね、死をもじさないって感じ。
でもこれがですね、確かに妄想分裂ポジションって要するに赤ちゃんのポジションなんですよね。
PSポジション、雨の日の心理学にPSとDで出てくるんですよ。
すごいなPSとDで出すんだみたいな感じで、大変感動したんですね。
あれ門川さんでしたよね。門川さんのいわゆるビジネスショップっぽい風を装ってPSとDを出してくるとはみたいな感じってちょっとありますよね。
妄想分裂ポジションとか言うなら、まだそれでもちょっとどうかなって感じがするんですけど、
PSとDなんだみたいな感じで、しかもクラインガーとかエニコットガーとかは結構比較的最小限に抑えられてるんですよ。
まして他の人の名前は出てこないですよね。ビヨーンが出てきたか、ビヨーンは出てきたかな。
ビヨーンが出てくるっていうのもやっぱすごいですよね。
そうそう出てきませんよ、ビジネスションにビヨーンは。クラインガーって出てきませんけどね。
だからこの3人以外の名前が出てくると一層挑戦的な感じがするんですけど、
それは別に全然出てきてもいいと思うんだけれども、この辺がやっぱり数式をビジネスションに入れちゃダメだろと似ているんですよね。
数式入れると循環が1回分減るみたいな、そういう嘘くさい本当くさい話があるんですが、
まあまあいいや、つまりそうやって私が思うにやっぱしおもじさないなんですよ。
これがね、これが私自身のですよ、PSポジションってことを意識したときに、
ああなんかもう本当に自分あの幼いわって思う、50にもなってしおもじさないとかって言い出すわけですよ。
例えばなんかね、奥さんに皿が違うとか言われて、ちょっと不調が厳しくなると思う。
しおもじさないとか差し違えるとか、非常にこうですね、ほどっぽいんですよ、要するにこれはやっぱり。
僕はどうしてもこのPSポジションはやっぱり幼児的だと言わざるを得ない気がするんですよね。
ある種のこの心理状態に入っている人にそれを言われる、そういうことを言うのは本当危険なことぐらいなんで、
プライドに関わるんで、いつもこれ幼児的だと思うに、心の奥底で幼児的だと思うにとどめようと思うんだけど、
そんなにでもこれを収めるのが比較的辛いじゃないですか。
だから僕はやっぱりこうね、卒業は一生できる気がしないと思うんですよね。
PSとDだっていう、あの矢印は両向きになっているっていうのをすごく感じるんですよ、行ったり来たりする。
なんかね、このPSから自分が一生PSを抱えているくせに、僕は成長動機って言葉がやっぱり非常に苦手なのはですね、
だって人間すぐ差し違えたからじゃんって、多分そうだと思うんですよね。
だって僕は人生長く生きてきて須貝さんは大人しいとか、自分を押し殺してるって言われることは多々あっても、
合法雷落だとか言われたことはないわけですよ、私ははっきり言って。
自分の思うことをバンバン平気で言うよね、みたいなことは言われてないで生きてきてるんですよ。
でも僕はPSに振り回されていると感じることが多々あって、後になって良かった、差し違えないでって感じなわけですよ。
こういう人間がですね、成長とかしてないだろうって思うんですよね、やっぱりね。
こんなのは一歳児の時の気持ちに違いなく、お母さん絶対倒すみたいなね。
それは多分ミルクをくれなかったからとかなわけじゃないですか。
でも何にも変わってないと思うんですよね、私はその時から。
少しも成長できている気がしない。
いやDは獲得しましたよ、もちろんね。
翼打つポジションは獲得したけど、Dなんて普通獲得して当たり前じゃ当たり前じゃないですか。
ごめんね、お母さんみたいなやつじゃないですか。
そりゃありますよね、うちの子にだって多分見た感じ3、4歳の時にはすでにあった。
そこからは僕はね、ほぼこれといった進歩は見られないと思うんですよね、自分にしても娘にしてもですね。
英語ができるようになるとかは関係ないと思うんですよ。
そんなのはだってアメリカに生まれりゃ4歳児だって英語は獲得するわけですから。
そうそう人間成長しないなっていう感じ。
Dは確かにPS1編等だったところからすると強速の進歩だと思うんだけど、
Dから先はなんかこう僕が思うにですね、見るべきものはほぼないなっていう感じ。
いわゆる甘えの構造に出てくる自分があるっていう状態と、
少し延長線上的にそういう感じはありますけど、自己対象というものが常にはないですからね。
しかもね、自分というものがメタ認知って言うんですか。
他の言葉も苦手なんですけどね。
メタ認知ではなくて自己対象だって思いたいんですけれども、別にメタ認知でもいいんですけど、
でもメタ認知なんてずっとしてるわけじゃないじゃないですか。
本当にこうできてる時とできていない時があるじゃないですか。
だからやっぱりDとPSで十分だって思うんですよ。
あの、なんて言うんだろうな。
関係を壊したことを食い入ることができれば人間十分だって思うんですよね、私はね。
先日山崎隆さんとの対談で野田沙耶子さんという方はアダルト・チルドレンを広めた人ですね。
生きてれば十分だっておっしゃってたんですけど、それもそうなのかなとも思うんですけど、
やっぱりそこは心理にバイアスがかかってるんでしょうね。
生きてれば十分だとは感じないですよね。
食い入ることができれば十分だって感じがします。
めったに食いなくていいと思うんだけど、でも食い入る能力を持ってれば十分だって思うんですよね。
持ってなくてもしゃあないんだって、それは能力だとある意味思うので、
能力だけではないかもしれませんけれども、能力の一種だとは思うので、
なきゃないですよね。泳げない人は泳げない。
別に泳げなくてもそれは全然問題じゃないと思うんですよ、今の時代。
むしろ泳げる方が危険なくらいなんで。
泳げると泳ぐ気になって溺れますからね。
泳げない人は最初から水に近づかない。
どっちがいいかって話ではないかもしれないけども、
別に能力っていうのはなければない方がいいかもしれないとは思いますけど、
そんな感じで25分って気がつくと経っていて、
今日は少なくとも1回30分ぐらいで打ち切りますから、
ここら辺でまとめたいぐらいなんですけど、
雨の日の心理学を読むと精神分析の中身っていうのがたぶん今一番簡単に、
これか藤山直樹さんの集中講義精神分析かどっちかかなみたいな感じですね。
藤山直樹さんのは上下観なんでつまり2冊なんですよ。
僕はそれよりは今だったら雨の日の心理学と精神分析の歩き方のセットで、
そっちの方がいいような気がするんです、日本人だったら。
っていうのは日本の歴史が書いてあるから。
藤山さんのは正しいんですけどある意味、
世界の精神分析、ヨーロッパの精神分析の歴史が書いてある。
この3つ読むと4冊読むことになっちゃうんですけどね。
それ読むと一般人としては万全だと僕は思うんですけどね。
一般ユーザーとしては万全だと思うんだけどそこまではなくていいかなっていう感じで、