2023-11-24 50:52

精神分析のわかりにくさ【GMV 888】

人の妄想は理解できない。

サマリー

精神分析の話を通じて、タスクシュートの自由度の高さと構造の重要性について考察しています。精神分析の構造とルールは自由でありながら厳密であり、その難しさは因果関係の不明さに起因しています。精神分析の本には構造論から始まることが多く、因果関係が思理滅裂な要素が含まれているため理解が困難です。このような空想的な文脈での理解が必要であり、空想という言葉が不足していると感じられます。空想と苦しみをテーマにした精神分析の話です。共産党員がいる無意識の突飛な空想により、リアリティを持つ苦しみの説明が難しいが、それに対応するためにジンマシンなどという空想が生まれます。しかし、ジンマシンはオカルトではなく、ストレスが作り出すものであり、空想を消していくことで苦しみから逃れることができると説明されています。狼が石を胃に詰められる話で、人が自分の苦しみを投影して実現してしまうことを説明している。

00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
11月24日、金曜日、朝7時38分です。
今週も乗り切ったかな、という感じがします。
今回、数え間違いがありそうな気もするんですけど、この辺まで来ると。
第888回ということで、次はもう3-9だなって感じですね。
1000回もあります。まあでも3-9ですね、その前に。
ゾロ目は、この前は777回で、3-7だったこともあり、
クラウドのけいぞうさんをゲストにお招きしてトークしたので、あれから111回を数えたという、
まあどうでもいい単純計算で、今回の888は必ずしもね、
888というのは、3-8がラッキーって話はあまり聞かないので、
特に何もしませんけど、まあ恒例の金曜ぐだぐだ回かなというふうに思っております。
次回の3-9はですね、宇宙が好きな人とか電車が好きな人をお招きできたら面白いかな、
ぐらいには思っているんだけれども、まあまあどうなるか全然全く何も考えずに、
また金曜ぐだぐだ回とかが999回目も普通にやる可能性も結構あります。
はい、えーとですね。
今日はですね、そういうわけであまりビシビシやらないと思うんですけども、
2つお知らせがありまして、1つは11月29日にですね、
いよいよJ松崎さんとの共著のAmazon予約が開始になるかなっていうのをお知らせいただきましたんで、
まあなってみないとわかりませんけどこの種のものは。
そんなにもう間もなくであることは確実。
初映画でその時入るといいんですけど、初映画入るかどうかももう出版社さん次第かつAmazonさん次第なので、
我々にはそれの辺をいじくり回すことはできませんから、
早く入るといいなと祈るばかりって感じですね。
もし予約できるようになったらこれを聞いている方にはぜひですね、ご予約お願いできると幸いです。
で、その約1ヶ月後の12月30日に、
倉園圭三さんとの前回のセミナーの第2弾ですね。
この出版記念にも加工つけて、少し規模大きめに、
まあ今年最後ということも、おそらく今年最後ですよね。
この次の日はもう大晦日ということになるので、
さすがに大晦日にセミナーはしたくありませんから、
12月30日にやや大規模にやってみたいかなと思っていますので、
こちらもぜひチェックしてください。
まだちょっと告知上げられておりませんが、
できれば本の予約と連動させたいぐらいの気持ちがありますので、
その辺のタイミングでいきたいかなというふうに思っていますが、
少し早めに予約ページは作るかもしれないです。
ということで、そのタスクシュートの話からですね、
タスクシュートの自由度
今日は精神分析の話に流していきたいというふうに思っているんですけれども、
昨日ですね、やっぱり僕はこの辺のことをまだ言い足りないんだなって思ったことがありまして、
タスクシュートというのはですね、
これをはっきりと意識するようになったのはごく最近のことなので、
言い足りなくて当然なんですけど、自由度が高いんですよ。
効果が上がるのはどうしてかというと、僕はですね、
構造というものをしっかり持っているものについては、
自由度が高ければ高いほどそのツールなりメソッドの効果は大きくなる。
iPhoneがいい例だなと思うんですよね。
iPhoneというのは非常に構造がしっかりしていますよね。
1の時から基本的なアイコンの並べ方とか使い方にあまり大きな変更をさせずに、
とにかく割とカチッとしていますよね。
でも相当いろんなことが自由にやれると。
アンドロイドもそっちはそうなんですけれども。
一見したところ、ここが逆に捉えられてしまうんですね。
効果を発揮するにはルールがしっかりしていて、
そのルールをきっちり守った方が、やっぱりルールがその効果の方法、
その方法の効果、逆でした。
その方法論の効果を担保しているはずだから、
そのルールをしっかり守らないと効果が得られないんじゃないかって思ってしまう方が多いんですよ。
けれどもタスクシュートというのはそもそも構造があるわけです。
どういうルールで運用しようと思うか。
タスクシュートを特に現在存在しているアプリなりで使うとなると、
選択肢は限られますし、そこでやっていることは皆同じなわけですね。
絶対に同じことをやることになる。
この言い回しがしたくなくて今悩んだんだけど、他に考えつかなかった。
未来、現在、過去とリストがあってですね。
未来にプランがあり、現在やっている作業があり、過去のログがある。
この構造は変わらないんですよ。何をどうやっても。
であれば、あとはもう自由にやった方がいいんですよ。
自分ルール。
自分ルールっていうのは、例えば僕であれば約束の時間は優先的に守る。
未来のプランは割と適当でもどうでもいい。
過去のログは絶対に正確なほどいい。
一応間を空けない。
というのが基本ルールで、あと1日分しか検討しない。
これは自分ルールなんですね。
皆さんにもお勧めしてしまいますけど、私のしゃべる内容だから。
でも基本これは私の定きルールなんですよ。
私はこのルールを守ってさえおけばいいと思っていて、現にそうなっていて、
しかもそれで効果を発揮してるんですね。
なぜならばタスクシュートを使い続けてるからなんですよ。
ここを逆に捉えられてしまうんですね。
使ってるだけじゃダメで、厳密なルールに守っている方がいいんだ。
その厳密なルールは客観的に決まるものなんだって思われてるんですよ。
自分ルールじゃなくてね。
その客観的にはJマスザキさんなり大橋裕人さんなりが決めた客観的ルールがあるはずだって思われてるんでしょうけれども、
そうではない。
もちろん似てきますけれども、相当違うルールで運用している人だっているはずで、
しかもその人も効果は上がってると思うんですよ。
なぜならばタスクシュートという構造の外に出ないで使い続けているからなんですね。
やっぱり仕事術なりで一定の効果を出すには構造から抜け出さずに、
構造から漏れることなく継続的にある程度の期間継続するっていうのが必要だと思うんですね。
僕はこのある程度の期間っていうのもそんな長くなくていいと思ってるんですけど、
2、3ヶ月かなぐらいに思ってます。
2、3ヶ月同一構造を継続していれば何らかの成果が上がってくるはずだろうと。
だから成果というものが何よりも大事だとは思いませんけれども、
少なくともこれは方法論なんで、方法論というものをやるからには成果ってものが欲しいと思います。
そのためには構造から外に出ないことなんですよ。
構造を動かさないと。
ルールは、その中の運用ルールは自分にカスタマイズしやすいものであればあるほどおそらくいいと思うんですね。
だからこれは僕は昨日思ったんですよ。
他の方法論やツールのことは今更僕にとってはいいんですけど、おそらく同じだろうなと。
だから僕はマニアナの法則っていうのはやっぱりうまくいきやすいと思うんですよね。
あれは構造があって、そしてその外にルールを運用するのは難しくないんですね、そんなに。
自分ルールをそれなりの幅を持たせることができます。
厳密にやろうとするとクローズリスト固めなきゃならないんだけど、多分そうはならないと思うんですよ。
どうしても入ってくるものはあるだろうな。
その辺の運用も割と自由にやれるんですよね。
構造の重要性
構造自体はシンプルなんで。
一見したところ非常に簡単そうな方法であっても、
ポモドールテクニックとなるとこうはいかない。
25分仕事して5分、それをワンポモとする。
このルールを動かすのは困難ですよね。
だからこのルールは客観的に決まっちゃってるわけですよ。
自分の主観で、場合によっては15分で1ポモにしようとか、そういう風にやる人いると僕は思うんだけど。
で、その方がうまくいくはずなんですけど、
なかなかこれがですね、そういう風には受け止められないんですね。
その割に構造は割と曖昧なんですよ。
その25分5分というのはどういうところにどう書くのか。
どんな風になってるのかっていうのはですね、
割とその人その人に任されてる感じがするんですね。
ここのところタスクシュートと逆なんですよ。
僕はタスクシュートの方が不自由に見えそうなんだけど、
実はそうじゃないだろうなって思うんですよ。
なぜならルールは客観的には決まってませんから。
ルールは自分ルールでいいんですよ。
実際タスクシュートって何時に起きてもいいじゃないですか。
起きる時間が何時じゃなきゃいけないとか一切ないですよね。
夜型の人でも朝型の人でも構わない。
あれを朝早く起きた方がいいと思ってるのはその人のただ価値観を言ってるだけで。
タスクシュートはそういうことは言ってない。
今起きたよっていうのが記録されればいいんですよ。
これが構造ですね。
つまり今起きたよというのが記録されればいいというのが構造で、
いつ起きるかというのが自分ルールなわけですよ。
私は24時間の記録が残るようにするっていうルールを自分に持ってますけど、
別にこれも持たなくてもいいわけです。
ただ記録したいとなったらタスクシュート上にしましょうと。
これが構造なんですよ。
全部を記録するっていうのは自分ルールなんですね。
大事なことだけ記録するっていうのは自分ルールなんですよ。
そして自分ルールを守ってるか守ってないかが一発でわかるですよね。
これも割と大事なことなんです。
そして自分ルールだから変えられますよね。
ここがもう最も重要なところです。
ここ変えられないとやりにくいはずだし、
意外に効果が上がるまでに自分を調教しなきゃならないですからね。
ある意味ね。
そこが大変なのかと思うんですね。
GTDはって聞かれると思うんですよ。
GTDは皆さん皆さんが解釈してみてください。
私が思うにあれは自分ルールの幅をもっと持たせることができるようにして、
何かしらの構造を作り出せばですね、
もっと多くの人が効果を発揮できるんじゃないかと
昨日不意に思ったんですよね。
試さないですけれども、
どなたかが試していただくと面白いんじゃないかなっていう感じがします。
例えばどこまで洗い出す。
これが意外に客観的に決まっていると思われている段階で、
すでに多くの人がここでもう引っかかってしまうんですよね。
自分ルールが大事なのはこの辺なんですよね。
習字レビューもなぜ週1なのかっていうのもあると思うんですよ。
2週に1遍じゃダメなのかとか、10日に1遍じゃダメなのか、
習字になりませんけれども、
なんで週1なのかっていうのの、
このルールが客観的に決まってしまうところに難しさがあり、
しかもどうやればいいのかがいまいち明瞭に見え切らないところに、
構造化が割と謎になっているっていうのが難しさなんだと思うんですよね。
逆にしたほうがいいと思うんですよね。
ルールと自由のバランス
まあ余計なお世話ですけどね。
逆だと楽なんですよ。構造がはっきりしている。
例えば概にフォーカス絶対使うみたいな。
一見これは縛りに見えるんだけど、そうじゃないんですよね。
我々は構造で縛られるのを嫌い、ルールで縛られるのを好むんですよ。
僕はこれ完全に逆のほうがいいと思う。
学校とか行ってるとよくわかるんですよね。
学校って構造じゃないですか。
法則がルールじゃないですか。
で、学校に行ってさえいればいいよ。
ルールは中のルールは緩いよって学校は。
楽なんですよ、行ってて。
僕はそういう意味では自分の学校は楽でした。すごくね。
これが逆になる。
学校に来る子内は割と曖昧なんだけど、
来た以上はこの制服何センチでどういう物以外は絶対ダメみたいな。
こういう法則が厳しくて構造が曖昧な学校って、
僕は通ってて辛いと思うんですね。
非常にストレス分だと思う。
だから、構造ってものを割とカチッとさせておく。
そこからあんまりはみ出さないようにする。
でも中では自由自在にやるっていう状態を作り出せると、
構造とルールによる自由さと厳密さ
そのメソッドなり場所なりは有効に作用するんじゃないかなという感じが、
今私は持っております。
これってここから精神分析の話に移るんですよ。
なんとなく察しのいい人はそう察しられてるんじゃないかと思うんですけど、
精神分析っていうのはまさに構造が異常なほどカッチリしていて、
その中のルールはかなり自由なんです。
自由連想するんですからね。
何言ってもいいわけです。
ただし構造はものすごく厳密なんですね。
中が週に何回来るとか、
1回は絶対50分とか、
お金は必ず取らなきゃいけない、
キャンセルしても何でも取らなきゃいけない。
めちゃくちゃ構造厳しいですよね。
そしてカウチに寝そべれとか、
対面で話をするなとか、
分析家は絶対に解釈以外しちゃダメとか、
非常に厳しいわけですよ。
でもそこを利用するユーザーさんは自由に好きなこと喋ってください。
ただそれだけなんです。
ほぼルールなしに等しいですよね。
ただそこは構造が異常なほどと言ってもいいと思うんですけどね。
しっかりしてるんですよ。
このことが全身分析を非常に分かりにくくさせているんですね。
だから私は昨日思ったんですね。
アスクシュートはだからあんまり分かりやすくないんだなと。
ここが逆になってるとみんな分かりやすいと思ってしまうんだなと思うんですよ。
分かりやすいのかもしれませんね、ここが逆になってると。
ルールがしっかりしていて構造が曖昧な方が分かりやすいのかもしれません。
だけれどもルールがしっかりしてしまっていると、
我々はそれにだいたい乗れないんですよ。
なぜ2時間洗い出さないとならないのか。
なぜ2つ以上のタスクが組んだらすぐプロジェクトなのか。
いちいち面倒、いちいち難しいってことになるわけですよ。
客観的に決まってるルールってやつはね。
自分の条件に合ってるかどうかってのが合ってないですから。
やっぱり普通に考えて。
だからルールが厳密というのは分かりやすいんですけれども、
こういう時はこうしましょう、こういう時はこうしましょうっていうのが
はっきりしていると分かりやすいんですけれども、
分かりやすいけれどもやりやすいかどうかはまた別の問題なんですよ。
ただタスクシュートがそうなんだけど、
ルールが曖昧だと難しく感じてしまうんです。
人は自由に連想したことをしゃべってくださいっていうのは、
それが一体何になるのっていうふうにすぐなるでしょう。
精神分析の難しさっていうのはそのルールにはないんですね。
ルールは簡単なんですよ。
問題なのはそれがどうして効果を発揮するのかを理解するのが難しいんですね。
ここのところで僕らは精神分析の本を読んでて
いつも詰まってたんだなっていうのを僕が気づいたんですよ。
とにかくいろんな意味でですね。
どういう意味でこれするんだろう。
なんで何かっていうと精神分析の本ってそうなんだけど、
まず構造から書いてあるんだろうっていうのが不思議だったわけですよ。
まず50分、こういう設定でしましょう。
料金はいくら取るとか、週に何回というのを決めましょう。
部屋はこういう部屋にしましょう。
精神分析とは何かっていうと、まずこういう説明から入るんですね。
僕はこれがいつも謎で、
フロイトは性欲が全てだと言ったのはどうだったとか、
そういう話をまず聞きたいのに、
因果関係の不明さの難しさ
まず部屋の話から始まっちゃうんですよ。
ここがとってもわかりにくい。
でもタスクシュートもきっと同じなんだろうなって感じを持ったんですね。
どうして、何のために時間を計るのかとかの説明より前に、
まずやることを一つ、開始時間を打ちましょう。
っていう構造から入っていくんですよね、話がね。
でもこれはタスクシュートとはそもそもその肝が構造にあるから、
ルールにあるからではないんですね。
ということを思ったわけです。
どうして構造にあるのかというと、
ここの説明はとってもややこしいというか、
まずルールというものがないほうがカスタマイズしやすい。
これは確実だと思うんですね。
でも我々はルールもなければ構造もないになると、
つまり何にもないになってしまうわけです。
そうですよね。
学校もありません。
校則もありません。
学校教育というものはないことになるわけですね。
これ以外でやるのは本当に難しいですよね。
だからメソッドには構造かルールはあるはずなんですね。
どっちかというとルールに目が行きやすいんですけれども、
どっちかというと構造に目を向けた方が、
効果は大きくなるっていうのがここまでの話ですね。
タスクシュートはここからも離れて、
精神分析というのは、
私はどうして興味を強く持ったのかというのと、
一体何であんなに難しく、
つまり読んでもよく分からなかったわけね。
方針、口愛とかオーラルですね。
口に愛。
あるいは肛門器とか。
文字通りお尻の穴ですね。肛門。
そしてペニストン。
全然分からない。
正直全然分からなかったんですね。
何かにつけてそれなんですよ。
そういう説明になって。
なんとなくそういう言葉が散りばめられていて、
意味が分からないっていう感じなんですね。
そしていきなり臨床の話になってくると、
ある人が接触障害でて、
もうここら辺から分からない。
なんでここにいきなり接触障害の話が出てくるんだろうと。
この人は口愛器の時に何々があって、
なんでそんなことが分かるんだろうって感じになっちゃうわけですよ。
本当に。
つまり何が分からなかったのかというと、
いろんなことが分からなかったんだけど、
その構造論から始まるのも分からなかったんだけど、
訳が分からないなって思った最大の理由が、
因果関係が意味不明だからなんですね。
僕らは結局因果関係というものが、
なんていうんですかね。
自分の慣れ親しんだ因果関係以外のことが書かれていると、
分からなくなってしまうんですね。
ギリギリのラインに、
例えば僕がこの番組で時々お話ししている、
行き詰まりがあったと。
Good Vibesの直前ね、行き詰まっていて、
ものすごく生活も仕事も苦しくなった時、
体からジンマシンが吹き出した。
多分ストレスだろう。
これ分からなくはないじゃないですか。
この話なら。
この話なら分かるというのは、
精神分析的に言うと古典理論に属する話だと思うんですけどね。
力度ってやつなんですけれども。
つまりなんでこれだと分かるかというと、
分かる気がするからなんですよ。
多分僕はそうだと思うんですよ。
どうして仕事が辛くなるとジンマシンが出るのかって、
これ因果関係は実は怪しげですよね。
相当怪しいと思うんですよ。
全然違う理由で、
例えば食べたものがだいぶ古くなっていたから出たのかもしれないじゃないですか。
仕事と全然関係ないかもしれないということですね。
因果関係が見えやすいと、
僕らはその話が分かった気になるんだけど、
これが精神分析の話って、
思理滅裂な感じがするから分かりにくいんですよ。
精神分析の難解さと空想の重要性
たったそれだけなんですよ。
実は私のこの話も精神分析的なんだけれども、
決してそんなに分かりのいい話ではないんですね。
いや、3000万の家買ったからお金がなくなった。
これは因果関係が非常に当然じゃないですか。
だから分かる。
一見難しそうな話であっても、
例えば不動産の話とか税の話とかって難しいけど、
因果関係というものは、
誰にでも分かるようなものになってますから。
そういう記述しか許されない世界ってありますからね。
その記述であれば、
一見したところ難しい話であっても分かるわけです。
でも精神分析ってのはそうじゃなくて、
全く逆に近いんですよ。
因果関係が思理滅裂なところに因果関係らしきことが書いてあるから、
だから僕らは訳分からんってことになってしまうんですよ。
そしてそれを治療するのに行動が大事ですって書いてあるから、
一層意味がわからなくなるわけですよ。
性欲が全てっていうのもみんなそうですよね。
ものすごい変な気分になるし、
よっぽどなんか忌れつなおじさんの忌れつな発想って感じがしちゃうわけですよ。
でもこれはここに、
だから2つの言葉が足りてなかったと思う。
特に1つの言葉。
文装って言葉の意味が、
もっと分析とかカウンセリングの場では、
というか本などでは説明が必要だと思うんですよね。
最近盛んに僕この言葉使ってますけど、空想。
空想って言葉をもっとここに投入しないと、
そしてこの言葉をかなり、
単純ですかね、特殊ではないんだけど、
ユニークな意味合いで使ってるっていうのを強調しないと、
精神分析っていうのは、
分かるまではものすごく分からないっていう、
極端な断絶を感じる、
僕は感じたんだけど、感じることになるんですね。
先日お話しした、
ある女性、60代の独身女性の話、
フザイロンからの引っ張ってきてるんですけど、
臨床例として60代の独身女性が、
共産党員にスパイされているという恐怖に怯えている妄想を知った。
これがつまり、原因という話をするならば、
おそらく性欲動ってなるんですよ。
この辺でもう分かりにくいじゃないですか。
これを正規基金がどうしたって話になると、
もう何なのそれはって感じがしちゃいますよね。
でも、空想ってそうですよね。
つまり大事なのは、
我々がなぜある種の文脈が理解しやすいかというと、
それは現実だからですね。
もうちょっと言うと、
共有されている認識だからなんですよ。
あの車は赤信号を見て止まった。
共有されている認識は、
説明が実はですね、
いい加減であっても、
我々はスッと納得して、
うん、そうだよねってことになるわけですよ。
余談ですが、
だから倉園慶三さんとやっている書き上げ塾では、
文章をのでとからで繋いじゃダメなんですよ。
因果関係というものは嘘なんですね。
実は。
僕らがただ既に慣れてるか慣れてないかで、
妥当か妥当でないかとか、
合理的かそうでないかを決定しているにすぎないですよ。
よく倉園さんは、
雨が降ったので会社を休みました。
っていう文章をサンプルであげられるんですね。
これを読むと我々はですね、
おそらく書き上げ塾とかに入っていたり、
なんかよほど考えている人でない限りはですね、
どこかのブログなりに雨が降っていたので、
今日は会社を休みをして書いたり。
なんとも思わないですよ。
これはどんなに変な文章かっていう風に
考えることは決してしないんですよ。
これがですね、
彼女は性的な苦しみのために
共産党員にスパイされているという妄想を見ました。
意味不明だって思うんですよ。
同じのでからで繋いでいる
しり滅裂な二つの文章のように、
前者はすごく意味がわかる気がして、
後者は意味がさっぱりわからない気がするというのは、
慣れているかどうかによるんですね。
雨降ったから会社休むかっていう話を
ここに投入すると、
いかにこの文章の繋ぎ方が
デタラメかっていうのがすぐわかる。
僕ら雨降ったって学校すら休まないじゃないですか。
雨降るたびに学校休むって子は
極めてあれですよね、多分。
難しい問題を抱えて。
マジで雨降るたびに会社に住む人なんて、
もうどうかと思うわけですよ。
でも僕らはそういうふうには、
空想と因果関係
その一文からは考えない。
そして僕らは自分が
because svっていう文章を作ったとき、
何々だから何々しましたって書いたとき、
自分では全く妥当なことしか書いてないつもりで
いるわけですが、
そんなことはありえない。
因果関係ってそんなに簡単に証明できるような
ものでは絶対ないんだけど、
でも僕らはそうは考えない。
そういうことからすると、
かなりの部分の因果関係は
実は妄想的なものなんだけど、
僕らはそういうことを認めようとしない。
で、他の人の妄想であることが
明らかそうな文章は、
すぐにこれは妄想だと断罪するというのか指摘する。
つまり、
彼女にしてみると苦しい。
苦しいから我々は空想する。
ここに空想ってことがキーワードとして
出てこなきゃいけないわけですね。
空想というものが、
精神分析というものを
僕は相当程度の、
空想がすべてじゃないけれど、
空想というものによって、
我々はですね、
精神分析ってものが理解できるようになるし、
これを理解すると、
多分ものの見方が大きく、
特に自分に対する見方が変わるんですよ。
僕は多分今、
必死になって進めているのは、
すべての仕事においてですね、
この部分だと思うんですよ。
僕らはいつも空想している。
でもそれに気づかずにいる。
そして現実を見たつもりで、
ずっといるんです。
雨が降ったから会社休んだんだな、
これが現実だなと。
それは空想なんだけど、
そうは思ってないんですね。
で、苦しみが空想を作り出すんです。
この話をするためにというのか、
そういうことを我々は
みんながしてきましたよと、
プロイトは言ってるわけですよね。
そこをもっともっと洗練させて、
その後のお弟子さんたちですね、
その後の人たちがブラッシュアップして、
もっと精密に直していったのが、
精神分析の知能集合なんだと思うんですよ。
これを理解するためには、
一番のベースに僕らみんなそれをやる。
そしてなぜならば、
それに成功体験を持っているから。
一歳児未満の時の成功体験が、
苦しんだら空想するという、
その習慣を作り出してしまった。
赤ちゃんの空想
もう習慣というか、
完全に心の中に染み込んだ、
一つの悪癖みたいなものなんだけど、
もうしょうがないんですよね。
それをやりまくってきてしまったから。
それを大人になっても老人になっても、
家庭を持っても、いつでもやってしまう。
苦しくなったら空想する。
苦しい赤ちゃんは、
この苦しみは欲望が作り出す。
ここに欲動論というものが
あるんだと思うんですよね。
食欲がある。
食欲がいけないんですよ。
いけなくはないんだけどね。
食欲ないと死んじゃうんで。
だからフラインは空想というよりは本能。
本能空想とか言うのかな。
これはもう本当に、
まさに精神分析的な言葉なんですよね。
空想してるんです。
本能があるから空想しちゃうんですってことなんですよ。
食欲があるからお腹が空くんですよね。
そしてお腹が空いただけならいいんだけど、
お腹が空いたのにご飯がもらえないと苦しい。
だから欲動が苦しみを作り出す。
苦しい。
で、この苦しみの理由はわからない。
なぜならば霊災時だからわからない。
そこで空想するわけですよ。
これがお腹が空いたという苦しみの説明になってしまう。
本当に悪い奴がいたら僕のお腹を苦しめている。
という感覚だけはあるんですね。
言葉はないけど。
だからこの空想に従って攻撃する。
赤ちゃんにできる攻撃はひたすら大声で泣く。
そしたら不思議なことにミルクが出てきて、
この苦しみが和らぐ。
これが成功体験になってしまう。
そっか。
欲求がある。
だから苦しくなる。
そしてその苦しみに耐えられなくなったら、
空想すればいいと。
全然こういう認識はないですよ。
ないまま。
だから全部これが無意識のうちに進行するわけですね。
ないまま現実を作り出してしまうわけですよ。
悪い奴が外にいる。
というかどっかにいる。
腹の中にいるのかもしれないけど、とにかくどこかにいる。
そいつをこの大声を出すということによって駆逐する。
そしたら何故か不思議なことにどこかから何かがやってきて、
あるいはもうそうとすら思わず自分の口の中によって、
攻撃によって安心のミルクみたいなものが発生して、
だって空想ですから。
何でもできちゃうわけですよ。
万能空想とはそういう意味ですよね。
驚いたことにこの苦しみは駆逐された。
オレスゲーみたいになってるわけですよ。
おそらくこういうのを自体愛って言うんですよね。
自己愛ではなくてね。
自体なんですよ。
自分の体の愛なんですね。
自体愛っていう言葉がこういうところに約語なんですけれどもね。
出てきたんだと思うんですよ。
何もわかってないんだけど、
すべてを万能空想で説明して片付けたって感じなんですよ。
これも赤ちゃんの脳が発達するにつれて、
少しずつブラッシュアップされていきますよね。
おそらくその延長線に例の物語ってものが、
お話ってのが出てくるんですよ。
悪い奴が狼とか、あるいはママ母とか、魔女とか、
そういう表現になってだいぶブラッシュアップされてるじゃないですか。
どこかにいるとにかく悪いおっぱいみたいなのではなくて、
ママ母とか、狼とかになっていくわけですよ。
非常にそう考えると、
狼のお腹の中に石入れるとか、
わかりやすいですよね。
悪い狼への復讐として、
お腹に石入れるっていうのは、
空腹に苦しめられた赤ちゃんとしては、
非常にこう、
いやーやったぜって感じがするじゃないですか。
アホみたいですけどね。
もう少し洗練されてくると、
ママ母という悪い奴が出てくるわけですよ。
ママ母という悪い奴が私を苦しめて、
とシンデレラは考える。
だから泣く。
泣いていると不思議なことに、
いいおっぱいが現れて、
でもいいおっぱいよりはゼロサイズじゃないから、
もう4歳とか5歳になってきたんで、
天使と、
妖精とかいうことになってですね、
相変わらず空想してますよね。
万能空想家満載ですよね。
カボチャを馬車に変える。
性欲の苦しみ
なんかよくわからない呪文を唱えると、
そんなに簡単にカボチャ、
素材とかは無視です。
カボチャは馬車になるんです。
そして私は、
いい経験をして、
悪い奴らは駆逐される。
これもう全く同じですよ、構造が。
この構造のさらに延長線上に、
今度はもう、
おばあちゃんにもなったんで、
食欲の苦しみじゃないですよ。
性欲の苦しみなんです。
性欲が私を寂しくするんですよ。
性欲がなければいいんですよ。
別に男なんて欲しいわけじゃないんだから。
60まで独身でいらした方ですからね。
性欲がなければいいんですよ。
でも性欲はあると。
あるんだけれども、
自分に性欲があるなどということは、
認められないし、
もうそんなことあり得ないだろうと、
本人は思って。
でも苦しい。
欲望があるから。
食欲があるからお腹が空けば苦しい。
性欲があるからパートナーがいないのが苦しい。
だけれどもその苦しみは、
おばあちゃんと同じように認識されていない。
で、悪い奴らが私を苦しめている。
共産党員に違いない。
こういうことなんですね。
だから分からないんですよ、僕らに。
だってそれが共産党員かどうかなんてのは、
その人の空想なんで、
その人にしか絶対分からないことですよね。
ここのところが、
雨が降ったから会社を休みますとは少し違うんですね。
雨は我々にも見えますが、
共産党員のスパイはおそらくいないので、
我々には見えない。
空想している内容は、
つまり雨が降ったからというのが空想なのと、
共産党員が狙っているからというのが空想なの、
という意味では、
同じ空想なんですけれども、
それが見えるか見えないかの差は大きいんですね。
だから雨が降ったからという空想は、
なんとなくまだ我々にも了解できる。
共産党員が狙っているから私が苦しいということになってくると、
もう我々には分かる。
で、専門家ということになってくるわけですよ。
こういうふうに考えていくと、
精神分析がやっていることっていうのは、
実は非常に納得のいく話が多くなってくるんですね。
で、これが分からない理由が分かってくると、
分かってくるんですよ。
つまり苦しみがその人にあるってことだけしか分からないわけです。
そこを外さなければ、
接触障害とか、
スパイがいる妄想とかが、
そっちの内容が分かるはずがないってことが分かれば、
この話は分かってくるんです。
なぜならその苦しみじゃなかった、その空想は空想だから、
我々に見ることはできないし、了解もできない。
合理的な話でもなければ、
ロジカルでもなんでもないし、
共感もできない。
だからここで共感しようとしたり、
この人は本当は何を言わんとしているんだろうとか、
思っていてはいけないってことなんですね。
文字通り受け止めないと。
共産党員がいるから苦しいっていう、
そのロジックをまず文字通り受け止めてあげないと、
話が分かるようにはならないんですよ。
どうせ見えないものの話を聞いているわけですから、
そしておそらくどうせ聞いたこともないような話を聞くわけですから、
ここが馴染みのない因果率は、
僕らには理解できないってことなんです。
馴染みないのはその人だけにしか通らない因果だから、
馴染みがあるはずがないんですよ。
ただ、この順番を逆にすればいいってことだけは、
知識としては分かるわけですね。
4で馴染んでくれば、
それこそこういう考え方に馴染んでくれば、
二次過程ではなくて一次過程だということです。
二次過程というのは我々は、
共有の空想は共有していて初めて、
お互いがやりとりできるっていうのが二次過程ですよね。
赤信号を見たから止まりました。
そうですが、でもそれなら我々は納得がいく。
そういう空想を持ちました。
僕もそういう空想を持ちます。
だから社会の約束事を守って生きていきましょうねって、
これでいいわけです。
だけれども一次過程の空想は、
個人的な勝手な空想なんで、
共有の約束事になっていない。
つまり共通言語性が何もないってことですよね。
だからその人の勝手な空想なんで、
だからそれを妄想と我々は呼んでしまうわけですけれども、
共産党員が狙っているから私は怖いんです、苦しいんです。
あっ、逆なんだなと。
この人は苦しいんだと。
理由を知らないけど苦しいから、
共産党員という空想を作り出したのねと。
実際我々はいつも同じようなことやってるんだけど、
この話は特にその趣旨があり、
おそらく本人が、
我々はこれに近いことをやるときは、
全意識ってところなんですよ、やっぱり。
苦しくなってきた、ファン座見ようっていうのは、
無意識ではないってことですよね。
だけれども苦しくなった、
共産党員と無意識な空想
共産党員がいるっていうのは無意識なんですよ、完全に。
無意識だとその空想の突飛さがやっぱり、
普通の場合よりは突飛になるし、
外在している感じがより強くなってくるわけですよ。
いるんじゃないだろうか、では済まなくなってきて、
いるになってしまうんです。
なぜならば、自分の苦しみを自覚できていないから、
苦しみの原因というものも、
よりリアルなものに、リアルなものになっていくんですね。
この辺がちょっと分かりにくい感じがしますね。
でも、この苦しみの原因が分かっているのであれば、
空想したときは、空想しているなっていうのが分かるじゃないですか。
例えば、指を切って痛いと。
今更こんな話ではしょうがないんですけど、
痛いの痛いのどんだけを好きな女の子がやってくれる空想をしました。
これでは痛いの飛んでいかないですけれども、
空想しているなっていうのは分かるじゃないですか、自分で。
でも、全然苦しいのは自覚できていないのに、
共産党員がつけ狙っているって話になってくると、
これはその共産党員のリアルっていうのは、
空想しているっていう自覚が全くない分、
非常にリアリティを持ちますよね。
そうしないと自分が分かっていない苦しみの説明としては、
つかなくなってしまうから。
こういうときに空腹の赤ちゃんのサンプルっていうのは、
非常に役に立つわけですね。
赤ちゃんはいつかミルクがもらえるってことが分かっていない分、
恐ろしいわけですよ。
その分、また赤ちゃんは本当は火星から何もやっていないっていうのを知らない分、
その空想にはリアリティがあるわけですね。
本当にやったらどうしようって思ってるわけです。
僕らだってきっとあると思いますよ。
夜、見たこともないようなところの山道に入ってって、
真っ暗ですと、本当に暗いですとなってきたときに、
恐怖ってものが出てくるじゃないですか。
この恐怖は空想を作り出しますよね。
何かいるんじゃないだろうか、みたいなね。
このときのリアリティは大きいですよね。
いないということを確信できていないのと、
自分の恐怖ってものは、自覚はできているんですけれども、
この恐怖が終わるという確信を、
そのときは抱けていない分、リアリティが大きくなるんですよ。
この恐怖がさらに夜道の中で、
押し殺してしまったために、
無意識に近づけば近づくほど、
何かが現れたってときの何かは、
リアルなものになってしまうと思うんですよね。
リアリティのある空想と恐怖
その人の空想なんだけど。
これが分析で説明されている、
おそらく一番分かりにくい部分のような気がします。
これを取り扱うために、
例の構造ってものが必要になってくるわけですよ。
何だって自由に連想させる。
空想内容を少しでもその人の主観の中で、
どんどん動き出す空想内容を、
より共有するためですよね。
だから毎日毎日何時間も、
何時間もじゃないや、
1時間ずつ聞くわけですよね。
そして、
同じ構造設定で自由に連想させて、
それを解釈するというのは、
この空想に本人に気づいてもらうためですよね。
他の方法もあるのかもしれないけど、
この方法はなるほど、
100年前に考案されたものとしては、
非常に適切な感じがしますよね。
その人のプライベートな話だ。
2社で2社以上これを共有することができない、
というのがよく分かりますね。
そして、
これは空想の話をしているというのを、
はっきりさせるためにも、
料金を取る時間をはっきりさせるというのが、
空想なのか現実なのか、
そうでなくても区別がつきにくくなっている人に、
自由連想させるからには、
ここで打ち切ると。
どういう話であっても、
どんなに強が乗ってきてもここで打ち切ると。
つまり、
現実には勝てないんだよ空想はってことを。
ここではっきりさせておく必要がありますよね。
だからこそ強が乗ってきたから、
話を延長するとかいうのが、
構造上はダメであって、
苦しみの説明とジンマシンの役割
キャンセルするから、
お金はいただきませんというのもダメだってのは、
こういうことなんですよね。
その空想は、
現実に力を汚しちゃダメですよ、
ということを、
ある意味伝えているわけですよ。
だから、
休むというのは、
この空想をしたくないっていう、
現れのような感じがしてくるじゃないですか。
ずっとやってきたこの空想を、
今日もあの空想をあの先生とやるのか、
気が乗らないな、
だから休みます。
これは空想に現実が負け始めている証拠ですよね。
空想なんだ。
現実は、
気が乗らないとか、
起こってはいけないはずなんですよ。
少なくとも、
1万円の料金を不意にしてでも、
この空想を休みたいと思うようでは、
ダメなわけですよ。
それは空想が、
現実に打ち勝ち始めている証拠ですよ。
で、
私は、
このように、
空想をしたわけです。
苦しみがあった。
行き詰まったから。
仕事にも、
経済にも、
生活にも、
家庭、
家族生活にも、
家庭生活も、
行き詰まったから、
苦しみがあった。
でも僕はこの苦しみを、
あれですよ、
抑制新聞席が言うところの否認したわけですよ。
私は苦しんでなんかいないと。
この経済的な問題を何とかすれば、
ここから、
十分脱却できるはずだと。
だから苦しんでないんだと思うことにしたわけです。
でも苦しんでる。
苦しみは取れないままの状態だ。
この苦しみを説明する何かが必要だったわけですね。
お腹が空いている赤ちゃんが、
お腹を空かせている悪いおっぱいを空想したようにですね、
ここにも何か空想する必要が出てきてしまう。
で、
ジンマシンというものを空想したわけです。
え、何それ、
本当は出れなかったの?
っていう話になると思うんですけど、
ここが心身症の面倒くさいところで、
僕が多分先行したのは、
ジンマシンが出たという空想だったんですね。
無意識で。
けれども、
それに体が応えてしまったんですよ。
いや、空想まずいだろと。
そんなことをやっていては、
どっかの病院に連れて行かれちゃうから、
体ボツボツがあるんですと言っても、
いや、あなたの体でボツボツないですよって話になると、
病院に連れて行かれちゃうじゃないですか。
一歩間違うと。
なので、
わかった、
ボツボツ出してやるよというのが、
体の対応だったんでしょうね。
僕はだから今、
力度的にこれはあんまり見てないってことですよ。
投影的に見てるわけです。
うーんと、
多分なんですけど、
これを身体に向かってやった、
投影同一化だという説明をしてもいいんじゃないかと、
思うんですよね。
ストレスが体の奥底にあって、
そこからジンマシンを出しました。
っていうと、
力度を増しぐらい測んねない。
で、この説明の方が通りはいいんでしょうけど、
僕この説明はオカルトだとしか思えないですよね。
ストレスっていうものはジンマシンを作り出すんですか?
っていうのは、
多分エビデンスはないと思うんですよ。
僕はエビデンスだと思ったけど、
まあみんなエビデンスって言うようになっちゃったんで、
どっちでも僕はイントネーションはいいですけど、
体の奥底にストレス源みたいなものとか、
ジンマシン源みたいなものはない。
出てこないと思うんですよ。
力度によって。
性欲とは違うんですよ、これは。
で、私は苦しみが空想を作ると思うんですね。
本能を欲動でもいいんだけれども、
いずれにしても何か本能が快適に生活したいとかね、
まあこれは本能かな、難しいところですけど、
でも欲望がありますよ。
もっと優しくされたい。
もっとお金に余裕を持ちたいとか、
全部欲望です。
これが苦しみを作り出しますよ。
で、この苦しみから逃れたいんだけど、
この苦しみはガンとして居座る。
現状変わってない。
そうすると、
空想する。
何か原因があるはずだ。
なぜなら私は苦しんでいないことにしちゃった。
少なくともそれほどには苦しんでいないことにしちゃったから。
その分だけ、
いや苦しんでるぞっていう、
この苦しみの説明がいるぞと。
でもそんなに家庭環境が悪くてもそんなに、
だって今までもそんな変わんなかったしとか、
いやお金だってないけれども、
今までないこともたくさんあったし、
どうしてこんなに苦しいんだろうって、
この本当を作り出すんですよね。
ああ、ジンマシンが。
っていう空想をしたんでしょうね。
きっと。
夢の中かな。
でもジンマシンはない。
それじゃまずいんで。
体が対応したと。
だから、
私のジンマシンを見たのは、
私以外ほとんど誰もいないんですよ。
私見たと思うんですけど。
写真も撮ったんですけどね、きっと。
でもいや、
それはお前の空想なんじゃないの。
ジンマシンなかったんじゃないの、もともと。
っていう話を信じることができると、
このジンマシンは消えるんですよ。
この辺は本当に僕は精神分析的だと思うんですね。
で、私は、
その時は、
この番組でも何度も言いましたけど、
倉園慶三さんのところに相談に行くと。
この相談しても無駄だろうなと思って行ったわけですね。
このジンマシンが消えるわけがないから、
相談で。
また、倉園さんは銀行家じゃないんでね。
倉園銀行やってるわけじゃないんで。
お金を融資してくれるわけでもないしね。
結局相談するだけ無駄だなと思ったんですけれども。
ロンピシャな話が出るわけですよね。
つまり、
あなたのその苦しみは外在するんですかって言うんですよね。
現実にあるんですか。
空想じゃないの、佐々木さんの。
彼が言ったことっていうのは、
要するにグッドバイブス流ですけども。
要はこういうことなんですよ。
空想じゃないでしょうって思ったんだけど。
本当に奥さんは怒ってますかって。
っていうか本当に怖いですか。
殴られたり刺されたりするんですかみたいな話ですよね。
心は本当に傷ついていくんですかってのでもいいんだけれども。
お金のピンチも。
これは僕が考えたのとそう変わらないんですけど。
かつて毎回一度もピンチに押し入ったことがないわけではないはずだと。
っていうかしょっちゅうあるよねと。
でも切り抜けてきたでしょう。
今回切り抜けられないという確信はどこから来てるんですか。
空想なんですよ、これがね。
苦しみが作り出した空想。
一つ一つ消していくという作業をしてみると。
ジンマシン、空想なんじゃないのかって話になるわけですよ。
空想なんですよ、ジンマシン。
僕が最初にやった。
そしたら消えるんですよ。
これが信じられるかどうかですね。
これはオカルトではない。
僕は思うにストレスがジンマシン作るという方がよっぽどオカルトだと思う。
説明になってないので。
でも赤ちゃんがお腹が空いたときに、
悪い奴がいて僕のお腹を苦しめてるという空想をするってのはオカルトではないと。
絶対そういうことを僕らはしたと思う。
だからああいう物語が、
狼の物語
こんな悪い狼めと。
人を空腹で苦しみやがってと。
石でも腹にすめとけと。
全然おかしくないですよね。
ああすっきりしたと。
赤ちゃんは復讐してすっきりするわけですよね。
だからあの話はすごく爽快感が2歳の頃に聞くとある。
今聞くとなんだろうこれって感じがしちゃうんです。
なんで狼はここでお腹に石詰められねばならないんだろうっていう感じしかしないけれども、
2歳の頃は爽快だと。
という話になってるんだと。
僕らはそういう空想をして成功体験を得てるんですよ。
泣き声をめいたらミルクが来たと。
だから空想をして悪いことを作り出すっていう悪い癖がついちゃっているんですね。
僕はそれが40好きにもなって、
半ばにもなって、
自分の体にじんましに作り出して、
なんだこれって思っていたわけですよ。
それを自分で作り出している。
これは自分の空想なんだっていうことに気づくと、
消えていってしまう。
という話。
だから投影同一化だと僕はやっぱり思うんですけれども、
この文脈で投影同一化という言い方はしないかもしれないけれども、
投影したジンマシンが、
体がそれを実現していく。
投影同一化って僕はそういうことだと思うんですよね。
自分の苦しみを投影していくと、
その苦しみが現実のものになっていくと。
この番組でも少しかつてお話したことがありますよね。
割り込みの苦しみ
割り込み苦しいんですと。
苦しいんですよね。
これが苦しみなんですよ。
割り込み苦しいんですと私にずっと訴えて来られている方がいて、
こう対処しましょう、対処しましょうと言ってもやってくる。
ずっとそれが続いた時に僕は、
自分割り込まれている。
これが割り込みの苦しみなんだと。
現実にそれを放映して、
現実に実演して、
私に見せて、
現実に伝えてきたわけですよね。
苦しみがジンマシンで伝えられているのと、
これは全く同じ構造のような気がします。
こういう話が分かりにくくはないはずなんだけど、
精神分析の分かりにくさ
人の妄想を扱っているから分かりにくい。
それが精神分析というものの分かりにくさなんだと思う。
臨床例を読むと特にこの分かりにくさが際立つ感じがするんですよ。
なぜならば、
何だってどんな話だって作り出せてしまうので、
脈絡を欠いた話にしか見えないのでも、
よく読んでいくと、
非常に単純な構造として、
まずその人には強い強い苦しみがある。
だからこういう空想を作り出しているんだ。
この苦しみは、
この空想はその人の苦しみとどう関係しているんだろうというのを、
筋道だけで追っていくと考えてみると、
精神分析の話は決して分かりにくくはないんだなというのが、
分かりにくさとともに分かってくる。
こんな感じがします。
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