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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今はですね、10月3日、月曜日、20時42分ですね。
はい、来月、再来月かな?何月かな?
書き上げ塾の第7期になるんですかね、もうね。
7期になるんだなぁ、すごいですね。
7期になるってのはちょっと信じがたいんですけれども、
7期になるわけですが、12月かな?
すみません、また後ほど何度もこの番組でもお伝えしていくと思うんですけれども、
新しき募集が始まります。
これですね、いろんな意味があるなと思うんだけど、
単純に文章うまくなりたいという方はですね、
それだけでもご検討に値すると、
私はもう今じゃあ確信しているんですが、
私の役回りがね、ちょっとこう最初の頃に比べると随分変化してきたなと思います。
私の役回りっていうのは今は、
私は一応文章を毎日何らかの形でほぼ毎日書けているので、
どうすればほぼ毎日書けるのかと。
ほぼ毎日書いて6ヶ月続ければですね、
電子書籍一冊分ぐらいには必ずなるはずなんですね。
厚さも分量も様々ですけど、一般論としてはなるはずなんですよ。
この件について今も様々な形で苦労してお伝えしているんですが、
それをお伝えし続けていくというのがとりあえず私のやるところになるなと。
倉園さんの方にはもういっぱいやっていただいてるんですけれども、
そういうものを全てことごとく吸収し尽くすなんていうわけにはなかなかいかないですけれども、
多分入ってみて初めて聞くような話がいっぱいあるはずです。
何しろなんだかんだ15、6年にわたって本を書き続けている私自身、
こういう発想を聞いたことは一度もなかったなというのがいっぱい聞けていますからね。
毎期毎期私はもっと早くこれを知っておきたかったなというふうに思うんですが、
でも知っていればね、本が良くなっても、
じゃあ出せたのかというとまた別の問題が発生しそうではあるんだけれども、
それでも聞いておけばよかったなと思うので、
皆さんどんな方にせよ本を出すということをする上では損になることは絶対ないと、
それは私は軽く断言できますね、今ではね。
これをいくら断言してもなかなか釈然とされないかもしれませんけど、
03:00
今ちょうどですね、倉澤圭三さんとエフタさんという方でですね、
書き上げ塾ではなくて執筆教室というのをやっていらっしゃっていて、
ここでちょっと擬似体験もできるので、
こちらでしたらそんなにお高くはないので、
こちらでちょっと擬似体験していただければ、
どんなことが得られるのかというのが、
私からするとですね、赤入れというのは非常に重要な要素ではあるけれども、
やっぱり氷山の一角というのはおかしいなこの場合。
とにかくあくまでもそれは全体の一部なんですよ。
タイトル決めから企画の作り方から、
すべてがここで一気に受けていただけば、
一生それで本を書いていくことが僕ならできるなって感じが少しするんですね。
あとは書き続ける意思を持つかどうかにすべてはかかっている。
何も本を書かなくても生きてはいけますからね。
そういうことはあるにせよ損にはならないと私は思います。
本を書く意思というものがありさえすれば。
だからその辺のことを踏まえてですね、
私としてはここで第7期の募集をかけたいと思っております。
あと2、3名方が新しくいらっしゃってもいいんじゃないかなというふうに、
私なんかは思っておりますので、
何期も継続していただいている方もすでにいらっしゃるんですけれども、
その中でやっていっていただくというのがいいと思いますのでよろしくお願いします。
それでですね、私がその中でどんな話をするかといった内容にも関わってくるんですが、
私は最近タスクシュートとグッドバイブスで今まで来ていたのが、
今タスクシュートと精神分析と特に自我心理学というところで話しているんですね、何度もね。
ここ1週1週2週はずっとそういう感じがします。
一つは私が多分グッドバイブスが多分僕の中でですね、かなり常識みたいになってきているので、
タスクシュートを運用するにあたってもグッドバイブスがバックボーンにあるのはあるという前提になっちゃってるから、
さらにそれを詰めてみたいといったところがあるんだと思います。
つまりどういうことかというとタスクシュートって私にしてみるとですね、
ちゃんと使えばまず間違いなく時間を運用する上でプラスにはなるはずなんですね。
どんな人でもとは言わないけれども、普通の人ならとは言えると思いますよ。
普通の人なら時間運用がうまくいくんだけど、なぜかということを説明するのは意外と難しいですね。
多分こうだろうと大会の人が自然に思う部分はほとんど当たってないです、私から見ると。
私は実感として持っているものは、例えばPDCAとか、あるいは記録をベースにして改善していくとか、あんまり関係ないです。
06:08
正直に言ってですね、私がここ22年は言い過ぎだな、16年ぐらいは使っているタスクシュートで、
15年としましょう。ほぼ1日も欠かさずやっているけれども、特にやっぱり効果を圧倒的に感じたのは最初の1週間、ないしせいぜい最初の1ヶ月。
ここで私は時間の使い方が全く変わった感じがして、どんどん仕事が進むようになったという感覚を得ているんだけど、
それから1、2年ですね、非常にこれがあって本当に助かると思うようになった。
でもPDCA的なことを、私はしている方もいるんですよ。いるんだけど、PDCA的なことを私は実は一切やってないんですよ。
過去の記録を読み返してそれを改善に役立てようとしたことはありますが、事実それができたなと思ったことは1回もないんですよ、実はね。
そういうやり方も有効だというふうには思うし、実際有効だった人もいるから、そういう方法を参考までにこれまでも紹介はしてきたけれども、
本当に自分にとってそれが有効だったという感覚を抱いたことは、実は1日たりともないんですよ。
このことがあるから私は、でもタスクシューターは実際に私には有効に作用しましたから、
有効に作用するということは嘘ではないけれども、なぜ有効に作用するのかの説明に本当のところを僕は実は聞いたことがないんですよ。
だから私はこれについて喋っているんですね。
ある程度までは行動科学、スキナーみたいな考え方ではいけます。
どういうことかというと、毎日同じようなことを繰り返すにわたってタスクシュートにその順序をきっちり書いておくことにより地味ですけれども、
その手順通りにやるとうまくいくというのが報酬になって、つまりチーズが出てきて、チーズに比べるとこの報酬は地味なんですよ。
インパクトが弱いけれどもでもあるからうまくいくっていう、少なくともミニマムはちゃんと抑えられる。
うまくいくときは結構きれいにうまくいくってことが抑えられるから習慣として回す上でタスクシュートは間違いがない。
間違いが非常に起こりにくくなるという報酬によって回っていく。
これはあります。全くないわけでは全然。全くなくはないです。
ただこれだけで説明するならばこれタスクシュートじゃなくても手順書でいいよねってことになってしまいます。
もう一つが認知科学的な認知心理学的な話でですね。
MPという言葉を使って、あれは認知心理学の言葉ではないけれど、そこに書いてあることを全部脳に記憶というものを保持してそれを再生するにはやっぱり緊張感があるわけですよ。
09:15
しくじりたくないですからね私たちは。
そういう意味で書き出したものを自動的に再生すると。
それを読み上げることである程度記憶の緊張感が解放されるので朝元気なうちはいろんな意味でですね。
気力だけじゃなく精神力だけではなく体力的にもいろんな意味で元気なうちに書いてあることの中でも大変そうだなと思うもの。
つまりこれは重めのタスクって皆さん呼んだりするわけですけれども先に先にと回すことである程度周りが良くなります。
これはだいぶタスクシュート的だなとは思いますね。
これを認知心理学みたいなところから説明したというのは私はおかしくはないと思うし多分一番受けが良かった部分でもあるんだろうと思います。
ただ私は知ってるんですよそれだけではないなと。
でも一つが記録が大量に残っていくことによって自分の確かに性質というものが多少は見えてきますよね。
意外に私はこういうふうな人間なんだなとかこのぐらいのことしか午前中にはできないんだなとか対極的に分かるという。
これはでもね時間がかかります3、4ヶ月は断続的にやらないと。
はっきり言って我々はすっごくパターン的に行動しているようでもありますけど
春夏秋冬状況が変わりコロナになってみたり台風が来てみたりすると行動がガラッと変容してしまう変わってしまうので
そんなにそんなにパターン通りの行動をとるわけじゃないから
粒差に観察し続けないと自分のパターンみたいなものってのは明らかになっては来ないんですね。
だからこれには時間がかかるしそれをじゃあ生かせるのかっていうと生かすには丸一二年はかかるんですよ。
同じような情勢がまた巡ってきたときにある種の行動パターンがある程度見えるという。
例えばディズニーランドに行ったときにこの辺で渋滞するよねっていうのがパターンですよね。
それはあります。あるんだけれどもいつもそれが全く同じようになるわけじゃないし
それによって未来が先読みできるなんてとんでもないんですよ。
だからこれは程度がかなり地味な程度でいいならば2年ぐらい丸々記録をつけていけばですね
地味なこれによってそうだな数分得したかなみたいな。
これを大事にできるようになるってところにタスクシュートの一つのメリットがあるんですけどね。
数分が確実に節約できるということによって随分助かるなって思えるときあるんだけど
多くの一般的にですね2年かけて数分得をするというのは何なんだっていう風に思われる方が一般だろうと思うし
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私はその人たちについて批判する気にはなれないんですよね。
といったところがリアルなところ。
でもですねこれだけじゃないんですよねやっぱりね。
以上3つのメリットを挙げておいてもビジネス書として成立するんだけれども
全然それとは違うメリットが私には実感されたと。
そこの説明をするのに精神分析とかGood Vibesはちょっとこの説明には使えないんですけどね
Good Vibesはむしろタスクシュートをなぜ使うかっていう方に役に立ってきたんですけど私の場合には。
今非常にタスクシュート中心にものを語ってますけれどもね。
もう一つ自我心理学なんですよ。
これで私はね最初これをすごく軽く考えてたんだけど
これが実はタスクシュートのメリットというものを説明する上では
私にとっては一番しっくりきてるから今これで説明している。
ただ他の人もそうかどうかはわからないですし
さらに言うとこれをみんなが知っている必要があるかなっていう疑問は正直拭えないんですよね。
これを知っておく必要は全く感じない。
私はただタスクシュートを使ってそれによって時間が節約できているメリットを実感できれば十分だと言われれば全くその通りだと思うんですね。
なぜこれで節約できるんでしょう。うまく使えるようになるんでしょう。
わからなくたっていいじゃないっていうのは私はありだと思います。
これは結局実用重視のツールなので私はなぜかそれを分かりたくなるんだなと。
仕事だからっていうふうにもので言ってきたんだけど違うなと思うんですよね。
私のこれ性格だなと思います。
なんかこの種のことに妥協できないんですね。
今日その話を倉園圭三さんとファクトリーというコミュニティ向けのですね。
このファクトリーも大変私はいいコミュニティだとオンラインコミュニティだと思うので改めてここもご参加いただければと思う。
今の2倍ぐらいの人がいてもいいんじゃないかなと思っておりますが。
まあまあこの話は一旦置いといてですね。
その収録のための今日お話をしていて。
これを月に1回ぐらいすると私はいろんなことが整理されるんです。
ここ連日ですね。
かき上げ塾の中でのやりとりとファクトリーのTV収録の中でですね。
私はすごくこう自分が今いろんなところで迷うんですけれども悩むというよりは迷うんですが。
その迷いの意味みたいなものがですね。
意味付けられてですね。
グッドバイブス、倉澤さんのグッドバイブスを語る中での自分がそれをどう受け止めるかということの比較の中で分かってきたんだけど。
15:01
まあとはいえ迷うわけですよ。
何を迷うかっていうとまずこれいるのかって迷うんですよ。
やっぱりどうしてもね。
だってですね。
これちょっと愚痴ることになるんですけど。
つまりこれって危ういわけですよ。
どんな言い方をしようとね。
私に資格がないという話もそうだしあったって危ういんですよ。
だいたいタスクシュートの精神分析で説明する必要がないじゃないですか。
しかも精神分析ってのはそうでなくても一般に評判がよろしくない。
これはもう私は痛いほどよく知ってるんで。
ある種のコミュニティにこの話を持ってったらこれをどれほど酷く言われるかっていうのは十分理解できているつもりです。
全然日本ではこれの高く評価されている。
非常にある種のコミュニティで高く評価されてますけれども。
本当にある意味狭いコミュニティでこれが今ちょっとだけV字回復へ向かって動き出してるかなっていうぐらい。
もう瀕死の状態にあると見る人は見るでしょうね。
こないだもツイッターで精神分析はオワコンダガってこれ常識みたいに書かれちゃってますからね。
そしてオワコンダガっていう風に書いていやいやそうじゃないだろうと思ってムッとする人と
まあもうとっくに終わってるよねって思ってる人の日を考えると99対1ぐらいでオワコンダと思われてるか。
もっと酷い差があるだろうなと私は思ってはいます。
これ統計取ってみないとわからないですけどね。
こんなに酷くはないかもしれません。
でもいずれにしてもある種の人にケチョンケチョンなのはよくわかっています。
だからこれを何もタスクシュートに説明するために持ってこなくったっていいし持ってくるメリットなんて私自身についてですよ。
何にもないんですよ極端に言っちゃうと。
認知行動的な話をしておいて、いやそれすらもせずにね。
7つの習慣と逆算思考とミッションを立ててそこからガンドチャートを引いて
1日あたりのプロジェクトというものを8つぐらい線を引くとこれは大変なことになってると。
1つ1つをタスクシュートに落とし込んでそれぞれのプロジェクトに時間を割り当てて実行しようとしてみるけれども
実際には25分やらなければいけない書き上げ塾というプロジェクトの準備のために
実際には私は30分かけてもほとんど2スライドぐらいしかできなかったと。
この記録を残しPDCAを回して明日以降の改善のために力を尽くすように
明日以降のプランをきっちり立てておいてからぐっすり寝て私ごとに勤しみましょうって言っとけばいいんじゃないですか。
これを言った方がどれほど受けがいいか。
今僕が喋ってることの1万倍は受けがいいだろうなっていう。
この1万倍も適当な数字でイリュージョンですけどね。
18:02
でも絶対この方がいいのは分かってるんですよ。
しかも別に僕は精神分析喋れば本書けるかっていうとそんなことは絶対なくてですね。
どこもこんなものを本にしてはくれません。
出してくださるところがあるとするとGood Vibes e-booksぐらいなものですよ。
だからこれは僕にとって収益の足しにもならなければ評判の足しにもならないし
ブランディングにもならないんですよ。
だから本当にこの自我心理学ってのはただの僕のこだわりに過ぎなくて
何も言わない方がどれほどいいかと思うんですよね。
毎日毎日ここでナイサーとかダニエルカーネマンとか
BFスキナーとか言っている方がよっぽどメリットが大きいのはよく分かります。
間違いなくそうだろうなと思いますね。
あえて無理矢理何とかそういうことがやりたいならば
私がこれから一生懸命勉強して
例えば博論って言うんでしょうけども
論博かな、論文で博士号を取って
取れないかもしれませんけど目指してですね
公認心理師とかになるべく努力をして
そっちをライフワークにしますということにしてですね。
あるいはGood Vibesみたいな考え方のもとにですね
他の人のためにいろいろ仕事をして
さっきのようにタスクシュートを回すということを
きれいに言っておいた方が
どれほど僕の人生がスムースに進むかと
つくづく思うんですね。
頭悪いよなって思いますね。
頭おかしいよなぐらいかな。
そう思わない日はないですよ、はっきり言って。
これについて考えたり喋ったり
本を読んだりする度に
度にではないけれども
いろいろとね、これを批判しようと思えば
本当に簡単なことなので
倉野さんもよくおっしゃることですけど
批判なんていうものは簡単なものですから
特にこの怪しげな目論みを批判しようと思えば
簡単なことなので
こう言われるだろうなみたいなことを
少しでも思えば
めちゃくちゃイリューションが簡単に
ふわっと膨れ上がってきてですね
この本を読んでいても
本当にバカだよねっていう感じがするんですよ。
でもやめない。
これが僕なんだなと思います。
なぜやめないのか分からないんですよね。
本当にね、本当のところ。
僕は本当、倉野さんの言う通りで
自分のことは全然分かってないなって思います。
お金だって困ってるわけだから
お金のことをとってもおかしなことをやってるし
他の評判のことをとっても
21:00
常識的にはおかしなことをやってるし
自分の仕事のやりやすさという観点から見ても
おかしなことをやってる。
全然理屈が通らないんだけどやってる。
やってることはやってる。
これが私というものの訳の分からなさなんですよね。
このぐらいにしておきますけれども
そこでですよ。
そこで自我心理学というもので
どうしてタスクシュートのメリットが説明できるのかというと
まずですね、何度も言う通り
まず三層構造が成立するからなんですね。
三層構造が成立してるということが
正気だという解説がここに入ってくるから
これがまず私にとってなかなか大事です。
三層構造というのは要するに
自我、私ですね。
自我、超自我、S、この三層です。
この三層って普通に人間にあるの?
って言われると困るんですけれども
そんな三層があるというエビデンスはありませんからね。
ただ私にはこの三層がやはりあるんだなと
普通の人にはやっぱりあるんだな
普通の人の普通は大変困るんですけどね。
この三層がない。
事実上二層であったり
二層では成立しませんから
結局層がない。
カオスであるという時に
人が非常に困る。
三層らしきものはできちゃいますから
どうしても人が非常に困るのはよくわかります。
ということがまず
説明できるというだけで大きいんですよね。
私が過去の三層構造にはこだわってますから
ロイト以来の伝統で。
特に超自我ですよ。
超自我っていうのはつまり法なので
法っていうのの不思議なところは
人間は法を作った人が
それを守らなきゃいけないような気がする。
ここに三層構造の原理の基礎があるんですね。
そうですよね。
お家でお父さんは
食事中携帯でしゃべるのやめなさいって
子供に言ったりするでしょう。
食事の間ずっとお友達と
あのさーとか言ってしゃべってるのを聞くと
嫌な感じがする人いっぱいいると思いますね。
その家まずいんじゃないみたいに
思う人すらいるでしょう。
ところでこういう法を言うのは
子供自身ではないですよね。
これを法です、ルールです、正しさです
っていうのは親ですよね。
じゃあその親は親だから
だけど俺は電話するからね
ってのは通らないじゃないですか。
ここが人間の不思議なところなんですよ。
これは他の動物は分からないんだけれども
なぜ法を作った人が
法に従わなければいけないと
誰もが普通に思っちゃうんだろうっていうのを
子供の時は不思議に思ったんですね。
あまりわざわざここで例を出すことはないと思うんですけど
給食中にね
皿全部空にしてからじゃないと
おかわりしちゃだめっていう
ルールにしていた先生がいたんですよ。
私はあのルール無意味なルールだなと思ったんだけど
24:02
でもこれをルールだと決めた時
先生が皿に空にしないまま
おかわりしようとした時に
だめじゃないってみんなが言うんですね。
これが長寿がというものを
人が持つっていう不思議さなんですよ。
だからそんなルール決めなきゃいないね
とは思うんだけれども
でも決めると先生も守んなきゃならないですよね。
ここが非常に面白いところだし
三相構造というものと正気が
間違いなく結びついているところなんですよね。
ところでさっきの電話なんだっけ
ですけれども
お父さんに電話かかってきました。
社長でした。
お父さん食事中に電話しますよね。
絶対に。
いやいやあの社長
今私食事中なんで失礼します。
ガチャって人はいないと僕は思うんですよね。
ここでルールに例外を作ることができて
このことを子供は多分
よほど家庭の状況が悪くなければ
ここ面白いところですよ。
よほど家庭の中の状態が健悪でなければ
子供お子さんは必ずこう言えば納得します。
ここにもまた三相構造
三相構造なんですよこれ。
お父さんとて外では
従わなければいけない人がいる
っていうルールが別途あり
そういうルールとここのルールは
異なるルールで
そのルールの強さには
定義関係があるってことが
私たちには自然と了解されてしまう。
非常に不思議なことなんですよ実はね。
とにかく私たちは
Sのイのままに生きることはできないんですね。
このことに大変強い不快感を持つ人
いっぱいいると思います。
Sのイのままに生きたいじゃないですか。
食べたい時に食べて
言いたいことを言って
ここでグッドファイブスっぽくなるんだけど
今日はちょっとそこはスルーしますね。
言いたいことを言って
着たい服を着て
だいたいそれいいんですけどね別にね。
これができないんですよ要因には。
いろいろな理由があってね。
でもとにかく三層構造
三角関係とかって言うんだけれども
これがベースにあれば
まあまあ我々は健常に生きられるんですよね。
文化的な要求というものが一方にあり
他方には私の
体内から来る衝動
これがですねだいぶ私はその
ちょっとやっぱりここも微妙なんだけれども
これはでも倉田野さんのところ
ピュアな要求といっても
僕は近いんじゃないかと思ってはいます。
私はね。
要は自分の中から来る欲動って言うんだけど
リビドウっていうのがいいと思うんですけどね。
フロイドが晩年
愛の欲求みたいな言い方をしたんですけどね。
それに自我が接近するんですよ。
ここまでは全然いいと思うんですね。
ただこの自我とリビドウが接近した時に
超自我がやたらと干渉してくるというのが
好ましくない状態なんです。
でもそこに超自我らしきものが
干渉はしてくるんだけど
27:01
酸素が入り組んでいるみたいな状態は
もっとまずいんですよね。
非常にこれは
Sと超自我の関係みたいな
複雑な話になるんだけど
ここは私自我心理学の限界に近いんじゃないかなと
勝手に思ってます。
ここで二者関係しかできていないような
つまりいわゆる自我心理学でいうところの
心の構造が未文化な状態。
さっき言ったような
法を作った人といえども
法には従わなければいけないという
我々にとって
ごく自然に受け入れられるものの
意味が理解できないという
心の構造の人がいらっしゃいます。
例えば力が強ければ何をしてもいいんでしょうみたいに
そういう風に考えてしまうという
心の未文化な状態。
これはだいたいやっぱり
ご家庭の問題なんですけれどもね。
家庭そのものが機能していなかったとか
そういう場合はこういう事態が発生するんですよ。
ここに手当てするために
対処関係論という
イギリスの方で発達した
多分精神分析の方が
有効に作用するんではないかと思ってます。
これはちょっと今脱線してます。
でもタスクシューターはそうじゃないです。
タスクシューターの心の中の構造が
二者関係の人には使い切れないです。
多分全く使えないと思います。
だから私は途中言ったんですよ。
タスクシューターは誰にでも使えるわけではない。
あくまでも普通の人ならば使える。
この普通の人ならばって言った時
私は心の中に
三層構造を持っている人ならば
という風に内心で
鍵カッコを入れてるわけです。
こういうことを私は
抑えていかないと
タスクシューターの有用性というのは
説明つかないと思ってるんですね。
三者構造、三層構造が作れる人であれば
タスクシューターは使えるというのは
僕にとって重要な意味を持っているんですよ。
この口頭を説明するために
一つとっても精神分析が
必要になってしまう。
それはいらなくないって言われれば
最もだと思いますよ。
ご最もです。
そこまで言わなくたって別にいいじゃないですか。
PDCAが回るんですって
言っとけばいいじゃないですかと言われれば
私もあまりそれについて
批判したいとは
さらさら思わないばかりでなく
それで納得する気にも
十分になれますが
ただ私自身は
なかなかそれでは納得できないんですよ。
今30分に近づいたから
一時切って再生しているんですけれども
録音を再開しているんですけれども
要は三層構造というものが
意識していない
ということとは
全く関係なしに
我々のいわゆる
人間の健常な人の
発想の中には
すでにそれが住み着いております。
ここまでは
30:01
この三層構造があったら
タスクシュートが十分使える
というのは結局のところ
ほぼ誰にでも使えると言って
何ら差し支えはないと思っているんですけれども
ここで
タスクシュートを運用しているとき
何が起きているかの説明も
ついでにとってもやりやすくなるんです。
つまり我々は
タスクシュートがあってもなくても
これが最近の
J松崎さんとやっている
100日チャレンジのおかげで
非常に分かってきたことなんですけど
この辺がだから
倉園さんの言う与えるということは
与えられるということだなって
思うんですけど
仕事している中で今私は
例年になく充実感が
ありましてですね
対話をしていても
それこそそうだな
100日チャレンジも
そうだし
書き上げ塾でもそうなんですけれども
表にはあまり見えてこないと思うんですけど
今ほど
充実している感じを抱いていることは
ほとんどないんですよ
なかったんですね正直言えば
すごいものだな
って思います
とにかくいろんなところからいろんなことが
あってくるんだけども
まだうまくフィードバックに
返すときのぎこちなさが
僕の中に残って
さっき言ったような迷いがあるせい
なんですね
その
タスクシュート
使ってよと使ってまいと
あらゆる人に起こるのが対抗なんですよ
対抗というのがつまり子供にっぽくなると
子供っぽくなるのは
Sに引っ張られるからといっていうか
Sがもっと
動きたいんですよね
もっと活発に動きたい
どうしても私たちは
長寿がの要求というものをどこかで
確立してしまって
その正しさに沿ってばかり
衝動を
衝動というのかな
リビドを開放しようとするものですから
えっと
なんていうんですかね
人はすごく生き苦しい生き方を
ある意味はさせられてしまうところがある
これがこの三相構造の
一つの難点なんですよね
これがつまり神経症につながって
しまうわけです
あんまりにもSをコントロールしすぎているので
しかもそれも
すっかり習い性になっていて
やって当然でしょうという顔を
僕らはしすぎているんだと思うんですよ
Sをもっともっとこう
開放してあげれば
もっともっと僕らは自由で
リラックスして
多分パフォーマンスも高く生きられるんだけれども
長寿命も
干渉してもいないのに
自我が勝手にSを
占め上げてしまう
ほんの少ししかそのリビドを活用
つまり大量にあるエネルギーのうちの
ごくわずかしか
使わずに生きることが
文化的な要求に
沿ってしまう部分があるので
例えばですね会社で
何でもはいはいと言っていればいい
というような
33:01
俗っぽい言い方ですけどそういう言い方ってあるじゃないですか
あれがそれなんですよね
Sからの要求リビドをほとんど
閉じ込めておくことによって
本当に
ごく少数のはいというエネルギーが
あればいいような
そういう生き方を選択してしまっても
ここに長寿が介入してさえいないんですよ
だって
世間と摩擦が起きてないですから
長寿が
かつて決めてしまった
命令の人には従いなさいねみたいな
小学校1年生に言っていたような
言葉を
これも
クラゾンさんに言うと放転化してですね
自分の憲法みたいにして
はいはいというのが正しいみたいな
そういう正しさを使って
ほんの
わずかのリビドで
生きていけるようになっちゃってる
非常にこれはですね退屈だし
疲れますよねこんなことをやってると
1万エネルギーぐらい
あるうちのこういう数字もいい加減
ですけど15あれば
十分だみたいな
そうかもしれないけれども
それで生きていくというのは本当に
元気がない人の生き方
みたいになっちゃいます
僕が言うのもなんですけどね
で
タスクシュートをやっていて
1番私がここに問題があると
思うのがですね対抗が起きる
わけですよ
タスクシュートが有効になぜ作用するかというと
酸素酵素があれば
ですけどね
対抗を自動的にとどめてくれる
機能をあのツールは
持ってるからなんです
ある程度まではチェックリストだろうと
GTDだろうとこれはありますが
タスクシュートは現代の日本の
社会の要求
水準から考えると
1番私が思うに対抗というものに
自然と歯止めがかかる
その傾向があるんです
で対抗に歯止めが
かかることがなぜいいのかというと
私のこれは考えなんだけど
たぶんこれは間違いは
そうないと思う長自我
自我Sの
葛藤が最小限になるんですよ
やっぱり
長自我と自我とSの葛藤
というのは思春期の
頃に最大化するんじゃないかなって
よく思います
さっきも言いましたけどSの思うままに
いきたいじゃないですか誰が長自我の
正しさに沿っていきたいと思うかと
ただ実際にそうした方が
社会との摩擦は少ない
ここでやっぱり我々は思い悩む部分があると思うんですね
長自我とSと自我の
葛藤というものが我々を
かなりの部分消耗させます
この消耗を
させないためにも
防衛メカニズムというものが
働くわけですね
自我がうまくやる仕組みというものを
活用して
社会のためにあるいは他人のために
行動できる
この辺の動きは
防衛メカニズムとか
適応メカニズムというものが
good vibesと
決して
コンフリクトしないという
36:01
考えを持っているんですね
good vibesというものを受け入れる
必要はある程度あるけれども
人は
ある程度こういう発想で
生きていけると思うのがある程度
この場合いらない福祉かな
つまり
人が依頼してきたことに
答えるとか
私の言葉でいうと
甘えさせる関係を作れると
いった状態が
心の平安というものに
ほぼ直結していると
思うんだけれども
心の平安というものを
自我心理学的に説明するならば
超自我と自我とSが
同じ方向を向いていれば
おそらくいいはずなんです
これも三層構造を
ベースとしないと
この説明自体が不可能になります
あるいは文化と
超自我の関係が正常なものである
と言ってもいいんだけれども
そういう状態は必要としますよね
ある程度は
自分が
心の赴くままに
例えば目の前の人の役に
立ちたいというSが
これはSとしてあるんですよ
リミドーに
超自我の要求と
超自我が正しいとすることと
一致しているということは
決しておかしなことではないんですね
おかしなことではないと思うんです
目の前の人の役に立ちたいとか
目の前の人が苦しんでいたら
助けたいというのが
自然な要求であったとして
超自我の方には
苦しんでいる人を助けるのは正しいことだと
書いてあるとして
非常にこれはそれほど
精神年齢高くはないと思うんですけど
小学校3,4年生でも十分だと思うんですが
これで一致していく
というときに
心がかき乱される理由はないと思うんですね
ただ
物事はいつもこれほど
シンプルではなくて
例えばその超自我に同時に
だがそうもしてはならないとかって書いてあったりするわけですよ
つまり超自我というのは
常に書き換わっていたり
更新されているし
文化の要求水準とか
文化の要求内容に沿って動いて
変容していくものなので
その中にはですね
矛盾する内容があっても
別に不思議ではないんですね
そういう意味で
この三相構造の中で
しょっちゅう葛藤が起きてしまう
葛藤が起きると
我々はどうしても疲れるので
時間が消耗していくので
少し対抗する
そもそも対抗というのは
多分超自我と自我とSの
コンフリクトが
起こったときに
よりスムーズに動く水準に
沿っていくために起こる現象と
そういう葛藤が起きたときに
起きる一つの
メカニズム
だからほとんど防衛メカニズムと
同じになっちゃうんですけどね
つまり大人であれば
こういう防衛の方法
例えばどういう防衛の方法があるかというと
脅迫という方法があります
あるいは反動形成という
39:01
方法があります
説明しましたけど
もう一回するならば特に隔離ですね
隔離という方法があります
Sのある種のエネルギーは使えないので
隔離する
例えばここで大騒ぎをしたい
どんちゃん騒ぎをしたいというSの気持ちがあるんだけど
一旦隔離する
そして静かに仕事をする部分の
エネルギーだけを使う
こればっかりやってるから私は
対抗が起きやすくなるんだと
思うんだけど
とにかく対抗っていつでも
どこでも起きるわけですよ
今言ったような話から考えれば
大騒ぎが立つことってあるじゃないですか
ちょっと騒ぎたいこともあるじゃないですか
逆にちょっと寝ておきたいこともあります
ことごとくがリビドーの要求であるのに
我々はそれを
大体採用しない
大体採用しない生き方を
選択せざるを得ないことが多い
そういうときにいちいち
超自我が出てこなくたって
自我が調整してですね
どんどんどんどんその情勢に合わせた
動きをしていくんだけれども
やっきり言ってすぐ嫌になります
こんなことばかりやってれば
だから対抗をすると
だけど対抗がどんどんどんどん進行していると
仕事は全く進まなくなり
ガチなんですね
そこのときに
タスクシュートっていうのは
いろんな意味で助けになるわけですよ
つまり対抗に歯止めをかける
助けになるんですよ
まず記録を取るということを一つ取っても
かなり精神練習を
上げておかないと記録なんか取らないですよ
はっきり言って
その記録を取ることを思い出すという
ここは大事だから記録しておこうと
ついでにそれをタスク
現在やっている仕事を
行動に紐づけておこうと
それを後で役に立つようなところに目をしておこうと
非常に精神年齢が高いです
自我が消耗して疲れ切っていたら
これはまずできないことなので
これを繰り返し繰り返し
自分にある意味矯正するというのは
しかも適宜矯正するというのが
いいんですよ
これの記録を取る間と取る間には
対抗が進行してしまっても
やむをなしとする
ただし例えば漫画を読んだり
あるいはYouTubeを見るという
もう12、3歳児まで戻ったとしても
それをやって
しばらく経ったら
その記録を残すというときに
必ず精神年齢が
うんと上がってくるわけですよね
少なくとも20歳から
20歳後半ぐらいまで
一気に上がってくる
そういうタイミングを
折に触れて
そこに持ってくることによって
そのときに使える
防衛メカニズムの選択を
より年齢の高い方に
上げていくことができるんです
隔離って精神年齢が高いし
脅迫とか
脅迫というのは強いに迫る
なんですけどね
確認と言ってもいいでしょうけれども
あるいは知性化とか
組み合わせて
原数の要請に合わせて
レビドーを
42:01
調整しては
そのエネルギーをなるべく高く
保つというのは
かなりのやっぱり
努力というのかな
内的努力を要するんですよね
精神年齢が
ずっと消耗すると
対抗が起きるので
子どもが使えるような
防衛適応メカニズムしか
防衛規制なんですけどこれが
防衛適応メカニズムしか使えなくなる
中でも一番まずいのが
私が繰り返し
この番組でも言う文極化が一つ
もう一つ同じぐらいまずい
いろいろあるんだけど
幼い防衛はいっぱいあります
否認があります
現実否認とも言いますね
つまりデナイヤルと言うんですけれども
こんな現実は起きてないことに
しちゃうみたいな
子どもしか真剣にやろうと
考えないと思われるんですけれども
精神障害を起こしている人は
例えばある種の音は
聞こえなくできるんですよ
これは否認の一種なんですね
防衛メカニズムにおける否認の一種
非常に対抗が進行している
感じがあります
例えば目の前で起きている
課長が怒鳴ってる
その声はもう聞こえないことになった
これも確かに
現実に適応する一つの方法ではあるよね
だけれども
この方法はいかにも
幼いじゃないですか
これをやったことによって
何一つ自体は改善されず
おそらく相当まずい
話になっていくんだけど
あえてそれをやっちゃうと
対抗の問題というのは
ここにあるんですよ
でも対抗が悪だという話には
全くならないんですね
対抗というものは我々は
しょっちゅうやっているし
何がしたいのかというと
要は超自我とSが
同じ方向を向かせたいです
例えば現実というものが
とても厳しい
上司はわけのわからんことを言っている
この上司の存在自体を否認し
現実にはこのような上司に
怒られたというのはないことにしてしまう
そして漫画を読みふける
ということによって
何がしたいかというと
それによってリビドーが流れ出すのですね
これ大事なことなんです
一番これが大事だと思っています
リビドーが流れ出す漫画に向かって流れ出す
だから元気になれます
内面では少なくとも
それに自我が乗っかって
エネルギーを回復していくわけですよ
そして問題なのは
超自我なんですよね
ここで超自我が出てきちゃいます
漫画を会社で読むのはどうでしょうかね
みたいな
超自我ってこんな感じなんですよ
もっと厳しい超自我もありますけれどもね
いずれにしてもちょっとこれはどうなのかと
在宅ワークでも同じですよ
仕事中にYouTubeいつまでも
見てていいのみたいなね
私はこの葛藤が
まずいと思うんですね
この葛藤が続く限り
エネルギーというものが
全然
45:00
拡充されていかないというか
要するに充填されていかないわけですね
だからこの状態が
いつまでもいつまでも続いてしまう
そんなことになるぐらいならば
絶対葛藤が起きない
起きないところまで対抗しちゃえば
いいんじゃないかというのが
100日チャレンジとか書き上げ塾で
申し上げた話なんですよ
ほぼ超自我の開催を
必要としないところまで対抗しちゃえば
この3社の葛藤は
消滅して全部同じ方向を向く
僕の考えですけどね
僕の考えでは
全部同じ方向を
向いたところに
本当の私があるという感じを
私は持っているんですよ
滅多に本当の意味では絶対に
本当の意味では滅多に
あることではないかもしれないけれども
この3社が完全に同じ方向を
向いた時には
この3社の分け隔ては必要なくなるので
いわゆる心の中の私の分裂
というものは消失して
3社が融合する状態が
実現するのだと思います
極めてこれに近い状態を
実現するのが
実は睡眠なんですね
睡眠中超自我と自我とSの分裂は
夢という形でありますが
それはもうほとんどないも同然です
だって寝てるから
夢の中では何しても大丈夫じゃないですか
つまりSが何をしても大丈夫なので
超自我の開催は大して必要なく
自我の規制も
ほとんど必要なくなる
この状態が睡眠なんですが
ここに至らなければ
ここに至らなければ
心は一つになれませんという状態は
すでにかっきり言っていい状態ではない
だから
特に問題なのは
眠れなくなった時ですね
眠れないというのは
私の考えでは
対象関係論的に言うとまた違う説明ができるんだけど
自我侵入学的に言うと
この3社が決して
融合できない状態に入った時が
眠れないという状態です
不眠
この状態に少なくともなる前に
他社というものに
助けてもらう必要があります
私はここは完全にグッドファイブスと
意見が一致するところなんだけど
これはたぶんグッドファイブスのみならず
どんな
カウンセリング心理学でも精神分析でも
意見が一致すると思います
ことここに至りそうになったら
他社の
介入が必要になる
はっきりした形でのですね
他社というのは普通我々の周りに
いますから
なぜ他社というものがここで出てくるかというと
この3社だけと
言った状態本当はないんですけど
この3社だけになって
防衛規制のメカニズム
それも運動さないものを
使ってことごとく
現実を否定し始めるとですね
現実を否定し始めるから
こういう事態が発生するんだけど
現実を否定し始めると
私たちは妄想の世界に
突入するんですよ完全に
自力で覚められない
48:00
妄想の世界に突入します
だって途中申し上げたけど
現実否認というのは妄想の世界
じゃないですか部長が怒っているのに
それは聞こえないことになっちゃうわけです
近くまでそれに動員されて
しまったら
現実がどんどんその人の脳内から
消えていってしまうんですよね
そしたら自力で覚められなくなります
そして
自分の絶対に安心な
世界というものを作り出すんですけれども
同時にそれは
これは文局なんですけど
最高の世界ができる
ということは最悪の世界が
反対側に出現するんですよ
これがボーダーラインの恐怖
なんですねボーダーラインの
人というのは万能観
というつまり
自我心理学というところの万能観の
世界にいてそこは天国
なんだけどもこの天国は
地獄なしには発生しないものなんですよ
そして
この話はしませんけれども
これ以上は
普通は地獄に住むことになっちゃうんです
これはよく考えていただけると
分かるんですけれどもね
でも後ほど
後日説明を要するかなと思います
天国と地獄に世の中を分けたのに
なんで地獄の方に人が住むのかというと
それには理由があるんですよ
はっきりとした
という話は
タスクシュートではここまでは踏み込みません
タスクシュートでは
おそらく対抗して
タスクシュートを眺めれば
おそらく産総構造の中で
自我はですね
一番
自分のいる
現実に舞い戻っていくことが
できるはずであって
それができるようになれば
そこに書いてある一つ目のタスクは
実行できるはずです
この機能が有効であるから
こそタスクシュートを
使っているだけである程度
進むようになるし
私に起きたように
時間の使い方もだいぶ
上手にはなるんですよ
ただ
途中何度も言っている通り
ボーダーっぽくなった時まで
これでなんとかできるとは
僕にはもう今では思えないし
あるいは現実を完全に否認しに
かかった時に
これで問題が解決できるとも思えないし
もう一つ
不眠という問題に差し掛かりだした
同時にですね
私が何度かお勧めしている
何もしないという
ゼロサイジへの対抗を
組織的あるいは意識的にするようになった時に
必ず寝てしまうという
事態を引き起こすようで
あれはですねやはり他者
何らかの形で他者というものとの
つながりを
強く意識しないと
多分タスクシュートとか
タスク管理だけで
この問題を解決するのは困難
不可能という風に
言った方がいいかなとは思っています
不眠とかあるいは
意図しない
睡眠が必ず
なるというのは
まずいということですね
51:00
これが今私が
自我心理学にハマっている
ほぼ全貌かな
という風に思っています
それでもいくつか端折りましたけれども
でもほぼ全貌かなと
そしてやっぱり喋っていてですね
どこまでいるのかと言われると
困っちゃうなというのはあります