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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
ここ数日、連日お休みいただきましたが、間違えていたこともあります。
海の日のカレンダーによると、スポーツの日も違います。
休日が続いているので、この辺は休みだなと。
わけもわからず、やっちゃうこともあるんですが。
一応土日・祭日は休みという適当な原則を設けてやっています。
しかも、オリンピックをバンバンやっているので。
私は平日間隔が大谷翔平さんの活躍によって判断されがちです。
通勤していない人で、コロナで一切出られなくなったので、
今日が何曜日かがすぐわからなくなってしまう。
娘が学校に行っている間は、それに合わせてやっていればよかったのですが、
今は夏休みで行かなくなってしまったので、
塾に行っているのですが、塾は土日・祝祭日はほぼ無関係で強行しているので、
いよいよわからなくなっているんですよ。
今日が何日かはわかるのですが、何曜日かがすぐ適当になってしまっていて。
そういうわけで、いろいろ落としました。
仮にやっちゃった日もあるような気もするんですけどね。
でも、休日でもやる日もあると思うので、
長尻はその辺でちょっと取ろうと。
長尻を取る必要が全然ない番組なんですが、一応そういう感じです。
今日は久しぶりに雨が降りまして、この雨ってすごいんですよ。
庭をやっているとつくづく、特に夏を思うんですけど、
ホースで水まきはしますよね、当然。
そうしないと壊滅しますから。
でも、どんどん弱っていくのがあって、
例えば今だと、一部トマトとナスとパセリは的面に弱っていて、
何をどうやっても回復してくれなくなってくるんですよ。
日陰に置くとか、さまざまなことをするんですけど、
逆に朝日だけ浴びさせるとか、だいたいダメなんですよね。
何をしてもダメだみたいな。
根がダメになってくるとダメになっちゃうんですけど、
今日雨が降ったら全部一発で回復するんですよ。
魔法みたいですよ。
こういうことがあって、今日はそういうことをしゃべりたいんですけど、
要するに雨というものの評価基準がガラッと僕の中で変わっているわけですよね。
一気に雨ばかりが待ち遠しくなる。
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特に夏、そして庭をやっているからなんですね。
最近いろいろなことをグッドバイブスファクトリーとかでも、
いろいろご質問いただいたり、日々いろんな出来事がある中で、
つくづく勉強になるなと思うんですけど、
特に自分が勉強してきたのは、家がどうしても実家が寺ですからね。
仏教は染み込んでしまっているというか、ある程度は十分学んでいるとか関係なく、
そういう雰囲気に上に来て生きてきたから、
これはしょうがないというか、そういうものなんですけど、
その後で言うと、やっぱり抜群にでかかったのがタスク修道なんですよ。
僕のタスク修道はすごく仏教的に思われるかもしれないんですけど、ある種の人には。
でもタスク修道って、すごい真剣にやっていると仏教的に見えてくるものなんですよね。
ちょっと一部だいぶ違うところがあるけれども、
非常に似通った感覚があそこにはあります。
その後は、進学はあったんですけど、やっぱり精神分析なんだなって思うんですよ。
その前もその後もなんですけど、河合駿さんの本とか、
僕は山のように読んできたくちなんで、大学時代とか。
フロイトもなんですけどね、結局。
そういう人たちの影響ってものがかなりあって、
タスク修道がガラッと僕の物飲み方を一部改変して、
グッドバイブズなんですよ、最近。
この4つがですね、僕の中で相互に影響し合う性もあるにせよ。
ほぼ言っていることが同じ部分があるんですよ。
タスク修道は何も言いませんからね。タスク修道は何かを言っていないんですけど、
だから僕の物飲み方を一部改変して、
ほとんど同じようなことを最終的には突きつけてくるっていうのかな、
伝えてくるんですね。
だから、しょうがないじゃんって思うんですよ。
僕のオリジナルじゃないからね。
どれも僕がオリジナルじゃないじゃないですか。
だから、私の考え方みたいなものが、
どれほど愛を入れなかったとしても、
タスク修道もグッドバイブズも最初は結構愛を入れなかったんですよね、自分の中では。
コペルニクス的っていうんですかね、
自動説は受け入れがたいみたいな人間に突きつけられているというのは、
規模小さいですけどね、こんな感じだろうなっていうぐらい、
到底受け入れがたい人間に突きつけられているというのは、
規模小さいですけどね、こんな感じだろうなっていうぐらい、
到底受け入れられないものを迫られてくる。
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けど、この4つの言うことが間違ってて、
私が正しいっていうふうに考えるのは、
僕の中ではかなり無理がある。
家、寺ですからね。
そういうもんなんですよね、多少。
そのうちの1つに、
精神分析ってすごく誤解されていると思うんです。
1つは名前がいけないと思うんですよ。
あれは僕が思うに、ちっとも何かを分析している感じが、
これ前も言ったこともあるかもしれませんけど、本当なくて、
僕も最初、精神分析というものは何かですね、
真相に降りていって、あ、そうだ、
竹宮圭子さんのコミックあるじゃないですか。
あれで、マザーというでっかいコンピューターがね、
人の心を分析するんですよね。
あれがまさに分析のイメージで、
私もフロイトっていうのはこういうことを、
人間なのにできると思ってやろうとしたんだと思ってたんですけど、
あんなことできないですよね。
22世紀ぐらいになれば、もしかするとコンピューターみたいなのを使って、
脳波とかを見て精神を分析するってことも、
任意じゃなきゃダメだと思うんですけど、
できるかもしれませんけどね。
19世紀ごときにですね、
ちょっと自由連想したぐらいで、
あんなことできるはず、真相に降りていくとかって、
絶対あれは、私が思うに竹宮圭子さんの精神分析のイメージというものを
伎画化できていて、すごいなと思ったんですよ。
だってああいう感じがしますもんね、やっぱりね。
でも、ああではないんですよ。
全くああいうもんじゃないと僕は思うんですね。
結局深みに入るっていう意味では、
そういう深みまで掘り下げるっていうことだけを取り出せば、
そういうことになるのかもしれませんが、
全くああいうもんだとは、間違いなくああいうもんではないんですよ。
どっちかと言えばですね、
このアレゴリーもアレゴリーになっちゃうんですよね、どうしてもね。
やったことないし、僕も事実上内に等しいんで、
カウンセリングを受けたことあるけど、
分析的カウンセリングっていうのも体験はあるんですけど、
それじゃダメなんだと思うんですよね。
あれについて本を読んで理解しようっていうのは、
本を読むだけでセックスを理解しましょうみたいな、
そういう無茶な話なんで、
残念ながらですね、このアレゴリーも分かりやすくはちょっともないんですけど、
精神分析を機械が人間の心の真相を読むみたいな話と比較するぐらいならば、
さっき言った通り、成功位の方がまだ近いと思いますね。
分析してないじゃないですか、成功位なんて何にも別に。
あとあるいは、これもう遠い感じもしますけど、将棋。
将棋は割と近いかなってちょっと思います。
昨日、大橋英生さんと将棋の話をなぜかしたので、
彼はたぶん将棋にほぼ興味ないと思うんですが、
将棋の話をなぜかしたので思い出したんですけど、
将棋は割と近いかなって思いますね。
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割と近くないな。
でも精神分析が何かの真理を分析するとかいうことと比較するぐらいならば、
まだ将棋との対比で考えたほうがマシだという気はします。
どういうことかというとですね、
精神分析っていうのはきっと、
ある人の心の状態を良くするための、
そういう意味では心理療法なんですよね、やっぱり。
なんですが、そのために何をするのかというと、
自己原因というものに自分で気づくみたいなところがあるんですよ。
何で将棋って言ったかというと、
将棋って一人だけでもいろんなことができるじゃないですか。
ああやってこうやってみたいなことを一人で一生懸命勉強できる。
でも、まず一人では絶対できないことがあると思う。
というか、絶対できないことがありまして、
一人では負けるって体験ができないんですよ。
どんなに頑張っても負けるって体験はできないはずなんですよ。
相手のほうが強いから負けるわけじゃないですか。
つまり相手がいないと負けられないんですよ。
で、負けるのはどうしてなのかって言ったら、
自分に原因があるに決まっているじゃないですか。
負けるような手を打つから負けるわけですよ。
この自己原因というものに、
自分で気づくために相手が必要だという考え方が
先進分析にはあるんですね。
だから分析家っていうのがそこにいるんですよ。
じゃないんだったら、あれ一人でできちゃうんですよね。
自由連想ですからね。
言うじゃないですか。
ライティングマラソンとか、分かんないな。
アイデアマラソンか。
なんかこう、どんどんどんどん出していくという。
チャイ系もちょっと話題になったんですよね。
ノートにどんどんどんどん書き出していく。
私はあれが物足りないかなって思うのは、
それを自分一人で普通はやるからなんですね。
自分一人で私たちはやるじゃないですか。
森博史さんが昔、
そういう天才的な女性の、
あれは僕、精神分析のメタファーだと思うんですけど、
全てはFになるに出てきたような女性だったかな。
考えるってことをその人はこう、
内的対象を使って考えるんですよね。
要するに自分の中に、
取り込んだ他人との対話で考える。
私はそうではないと、
本当は思うんですよ。
本当はね、森博史さんはすげえ頭のいい人なんで、
こういうことを僕ごときが言うのは恐縮なんですけど、
でもやっぱりそうではないような気がするんですよね。
相手が必要だと思うんですよ。
そうしないと、将棋もそうなんだけど、
最高の手を自分が考えついたら、
それっきりなんですよね。
それ以上の手を考えてくれる人が、
いるから負けられるわけですよね。
そこがなくなっちゃうと思うんですよね。
こういうことがかなり重きを出していて、
タスクシュートっていうのは、
割とここに近づいている部分がなくもなくて、
だけどもやっぱり一つ大きな欠陥があるというか、
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もともとそういうものを目指したものじゃないから、
欠陥は間違ってますね。
精神分析的でない大きな原因に
自己完結できちゃうという、
そこに問題があるので、
ライフワークっていうのは
自己完結を固むので、
非常にどうしてもここの部分が
ケアされないまま来やすいんですね。
でも私はタスクシュートっていうのをやっていると、
いろんな意味で自己原因っていうのは、
自分自己の原因っていうのを
自分自己の原因、
ハプニングじゃない方、トラブルじゃない方ですね。
セルフが原因になっている。
このセルフなんですけど、
自己って言葉はやっぱり良くなくてですね、
一番本当は大事なのは
無意識が原因になっているってことなんですね。
今私は感覚的に雨が降るとすごい嬉しいんですけど、
これはもちろん庭をやるようになったせいなんですけど、
この庭をやるようになるっていうことが
無意識に入っていくわけですよ。
だからこの無意識がですね、
この雨という現実に投影していくんですね。
これは良い現実なんだって投影をしていくんです。
これ気づけないじゃないですか、なかなか。
これぐらい自明であってようやく何となく分かってくるんですよ、
そういうことが。
この光景自体がいつもの梅雨の時の雨と
何ら変わらないですよ、目に映るものはね。
でも私の目には梅雨の時よりも
はるかに好ましいものに見える、情緒ぶくみで言えば。
これは私は分析しただけでは分からないことがほとんどだと思うんです。
こういう稀にただそれだけでも分かるようなケースもあるけど、
これですら私は今、精神分析の考え方を釈養していますからね。
投影って言いました。
つまりそういう投影という精神分析は非常に
一番最初から出てきたような現象を使って
ようやく何となくそれが分かる。
しかも分かるだけじゃしょうがないんですよ。
分かることが大事なんだけど、
一つ二つただ分かるだけじゃダメで、
つまり何でもそうなんだということなんですね、これは。
この辺大変仏教的だと僕も思うんですけど、
倉園圭三さんがグッドバイブスでも言っている通りで、
イリュージョンが現実を作り出すみたいな表現を取るんですよ。
あるいは私たちは物を見たいように見る。
あれが思考を現実化するみたいな話に、
多分それは近いことを言っているんだと思うんですけど、
魔法使いみたいな話に聞こえはしないと思うんだけども、
そういう誤解を招きやすいんですけど、
そういうことよりもどういうことよりも、
見たいように現実を見るというのは、
つまり雨が好ましいと思うような生き方をしていれば、
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雨が好ましいように映るようになるんですよ、目に。
これが僕は精神分析というものだと思います。
このことを気づきにくい人ほど、
やっぱり精神的な状態は、
精神的な状態は苦しくなってくる。
だんだん妄想分裂ポジションですけど、
妄想したり分裂したりがひどくなってくる。
そういう方面の人たちにも対して、
それは自分が作り出している現実なんだということに気づいてもらう。
こういう人たちほど、
こうなっている時ほど、
妄想分裂ポジションに入っている時ほど、
ここを理解しにくいし、認めたくないんですよ。
一人では無理なんですよ、多くの場合。
タスクシュートだけでこれに気づけるというのは、
精神状態がよっぽどいい時であって、逆はまずない。
それに、やっぱり気づきにくいところほど、
タスクシュートでは難しくなるんですね。
この気づきにくいところほど他人が必要になってきて、
気づきにくいところほど嫌なんですよ、これに気づくのが。
そういうからくりがあるんです。
気づきやすいところは今の庭の雨みたいなもので、
気づきやすいところは別にタスクシュートなくても気づくんですよ。
そういうふうになっているんですね。
で、無意識の力というのかな、作用というんですかね。
一番でもないんですけど、
例えば問題になるのはこういうポジティブな話じゃなくて、
やっぱりネガティブな話でして、妄想分裂ポジションですからね。
二つに分けちゃうわけですね。
本当は一つしかないものを二つに分けちゃう。
これ心の中でやるわけですよ。
そうすると同じ存在が良くなったり悪くなったりするわけですね。
あたかも二つあるような顔をする。
良いお母さん、悪いお母さんの話になるんですけど、
例えば会社が給料日だと。会社が良いものに見えると。
良い会社なんですよね。
でも給料日にも遠い日に無理難題を押し付けて、
パワハラとかセクハラばっかりだと。
すげえひどい会社だと。悪い会社になる。
こうやって会社を分けるんですよ。
で、実際の会社は別に二個あるわけじゃないから、
一個しかないですから、会社が二個に見えるのは自分に原因があるわけですけれども、
人はこの思いに強く入った時ほどそういう風には感じない。
必ずやっぱり会社が原因で、会社がそういうすごくアンビバレントなものを
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自分につけつけてきているようなインパクトを持ち始める。
これが現実は見たいように。だって給料日だから良く見えるって
自分が見たい通りに見てるじゃないですか。
全く自分にとっての都合ですよね、それは。
そしてパワハラするから悪く見える。
これも全く会社が客観的に善であるか悪であるかということはあるかもしれないけど、
それよりはるかに大事なのは自分にとってどう見えるかということですよね。
その人にしてみれば。そうすると入り乱れてきますよね。
しかもちょうどグレーになるとかじゃないですよね。
やたら良く見える時と、やたら嫌なに見える時とがある。
そしてそれは全く同じものであって、
自分の記憶とかイメージの中ではそういう非常にわけの分からない、扱いにくいもの。
愛したいと同時にとても憎らしい何かに見える。
こういう時に私たちは何かをそこにするんですよ、多分。
例えば、普通に考えてそうですけど、
当然その良い部分があるわけだからその会社に行きたいという朝、
是非行きたいという部分が自分の心の中にはきっとあります。
だって行かないとお金くれないわけですからね。
やっぱり行きたいじゃないですか。
是非行きたいと思っている部分がある、心の中には。
だから行くわけですよ。
じゃなきゃ朝早く起きて行かないですよ、今度は電車に乗ってね。
でも、絶対行きたくないと思っている部分もあるわけです。
絶対行きたくないと思っている部分もあるわけですよ、心の中には。
その両方の面があるんで、例えばですけどね。
例えば朝、どうしても行きたいけど絶対嫌だと思っている。
しかもそのことはおそらくほぼ大して自覚しない。
こんなこと自覚してもしょうがないと思われてますからね。
そういうことを自覚するよりも、ライフハッカーの記事でも読んでいった方がマシだと人は思うじゃないですか。
だからこういうことは、フロイトの言葉で本当はそういう役じゃない気もするんだけど欲圧って言うんですよね。
記憶なり自分の気持ちなりを欲圧する。
どちらかというと分離って感じがしますけどね。
切り離してしまう。少なくとも切り離してしまおうとする。
その時に何か一緒に落っこちる。
会社に行くんだという気持ちが落っこちるんじゃないかと思うんですよ。
だって行きたいと思えば行きたくないという気持ちが出てくるわけだから苦しいですよね。
だから行くっていう意欲そのものが落っこちる。
その時に例えばですけどね。会社に行ってみるとなぜか定期がない。
定期がない。
これは不思議じゃないと僕はやっぱり思うんですよね。
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精神分析でフロイトはかなりこれは最初の頃からこれに近いことを言っていたと思うんですけれども
言い間違いとか置き間違いとか記憶違いとかいうのは全て偶然発生するものではないと彼は言うんですよね。
無意識の力でっていうのはこういう無意識の作用でっていうのがあまり単純に出てくるとおかしな話になってしまって
やっぱりケースバイケースで細かい形で出てくるんですよね。
しかし不思議じゃないですか。
カバンは持って出ていると。背広も着ていると。
でも定期だけないんですよ。わざわざ狙ったかのようにですね。
会社に行くことだけができなくなっているんですよね。
で、その人は100%会社に行きたかったのならば多分そんなことは起こらないっていう風に彼は言うわけですよね。
このことがすごくこう敷衍されて敷衍されて広げて広げて精神分析みたいなものにつながっているんだと思うんです。
もう本人がさっぱりわからなくなってしまっているいろんなことをやらかしているっていうのかな。
やっちゃってるわけですよね。いろんなことをやっている。
で、本人は少しもそれが自分がやっているという自覚はほとんどない。だってないですよね。
会社で行こうとして提起をされてあって思った時にはもうまさかそれをわざと自分がやっているっていう。
ここはだからロイドに対してどう捉えるかっていうのがその人がどう言われたからといって
その解釈が正しいのかどうかなんてわかんないんですよ。
わかんないからこそ時間がすごいかかるんですね。
特に自覚が少なければ少ないほど分かろうとしないっていう面があるわけで
時間がどうしても必要なんですね。急に分からせるのは危険なわけです。
急にあんたのそういう傾向は全て自分で作り出しているんだよっていうのを
強く突きつけられるとそれこそトラウマですよね。
だから一番いいのは自分で気づくことなんだけど
それすらもある種の人にとっては危険なのでじわじわいくと。
だから多分分析家っていうのはそういう能力とか塩梅とか知ってないとできないし
時間もすげーかかるんだけれども一方間違ってですね
解釈は正しくないわ。やたら金を払わなきゃならないわ。
そして何年も経っても良くなった感じがしないわね。
ただの暴利じゃねえかっていうか、ただのぼったくりじゃねえかっていう感じも当然しますよね。
だからこの種の話ってややこしくなってくるんだとは思うんですね。
今のような話だって、そりゃそうかもしれないけど全然そうじゃないかもしれないっていう話は
どうしたって残るわけですよ。
ところが、これも自分で考えると
ただこれも僕はタスク習得でむしろ知ったことなんですけど
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私たちはそういうたまたま定期を忘れるのを3年に1回やるぐらいだったら誰でもやるし
別段そんなにいろんな理屈を考えなくてもいいんだけど
すっごく頻繁にやると。そうなってくるとそこにはやっぱり何かですね
理由があって叱るべきなんですね。しかもその人は実は会社がすごい嫌だとかね。
逆にしてみると分かりやすい話だと思うんですよ。
それがもう前からずっと好きだと思っていた女の人とのデートです。
定期忘れるだろうかっていうか財布忘れるだろうかっていう
こういうことなんですよね。
でもその人はそのうちその女の人とめでたく付き合うことができるようになり
結婚もしてそして結婚生活に入ってみると意外としっくりこないと。
いつしかすっかり冷めていてある日奥さんと待ち合わせした時
定期がないとか財布を忘れたと。
これは意図的じゃないかもしれませんけれども
でもですね最初のその女の人に会いに行った時は絶対に忘れないと
その前と努力をした努力は多分どっか行ってるんですよね。
その時にですね私はもともと物忘れの激しい性質でとか
後半性発達障害でということが果たして本当なんだろうか
っていうような話につながってくるんですよ。
だから自分で気付いた方がいいんですね。
こんなこと人に指摘されたくないと思うんですよ。
絶対その女の人には指摘されちゃうと思うんですよね。
わかんないですけどね。
でも結婚してしばらく経ってから頻繁にそういうことがあると。
その人と会う時になると時間を忘れたとか日付を間違えたとか言うと。
だけどあんたは最初に私と出会った頃はそういうことは一切なかった。
これって妄想分裂ポジションなんですよ。
いい会社悪い会社とかいいお母さん悪いお母さんと同じなんですよ。
その相手の女の人がいい恋人悪い恋人になっちゃうわけですよ。
それは自己原因ですよね。
非常にトータルで見れば。
その恋人にいいところも悪いところもあるって言ってもいいですけど。
でもそれ自分にとっていいか悪いかですよね。
最初の頃は素晴らしいと思っていたと。
だけど付き合ってみたら割とそうじゃなかったと。
それは自分の判断ですよね。
フロイトは割とズバッと言ってるんですよ。
ADDとかいう言葉はなかったし。
それを指して言ってるわけじゃないんだけど。
私はものすごく忘れっぽい立ちだから
そういうことは許してくださいという人がいるけど
その人は世の中のあらゆる人を軽蔑しているんだっていう言い方をするんですよ。
というか書いてますね。
私はあれがやっぱり非常に精神分析的な表現なんだと思うんです。
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脅迫症とかも。
脅迫症は彼はすごく分析症例載せてくれてますけど
同じだなという感じをすごく抱きます。
脅迫神経症という手を洗うのがやめられないとか
ガスコンロの火を止めに家に帰っちゃうとか
ああいうやつですよね。
世の中のことを先に聞いて
世の中のことを先に決めておかないと不安だという
脅迫症は不安というのが非常に重大なので
万が一にも間違いがあっちゃいけないと思えば
常に正解というものを先に決めておかなければ
それこそ気が済まなくなるんですよね。
気が済まないという病気です。
これもさっきの失語とか失意とか失策というものとは違いますけれども
やっぱりそういう不安という自己原因があって
決して外に原因はないわけですよね。
きちんとしておかないといけないんだって
そういう人は言うかもしれないし
きちんとしている人がスムーズな生活を送ることができるべきだ
という信念があるかもしれないんですけれども
そこに自分の気持ちを絶対に投影しているわけですよ。
必ずこういう風であってほしいという気持ちを投影すると
現実がそうでなかった可能性とか
そうでない時のトラブルというものが
必ず意識の中に入ってきちゃいますよね。
その時に許せないというか
そうでなくあってほしいという意識をすごく強める
つまりそれって
自分で自分のやっていることが信用ならないということじゃないですか。
手を洗ったけれども完全に何かが落ちきれてはいない気がするとか
ガスコンロの火は消したんだけども
もしかしたら消してなかったかもしれないとか
なんとなく物忘れの話に似てくると思うんですよ。
やっぱりそういう時に私たちは
答えが先にあってほしいと
きっと心の中では強く思っていると思うんですよ。
大学を出たらいい人生であってほしいとかあるじゃないですか。
全てが先に頭で出した答え通りであってほしいと思うはずなんですよね。
不安があれば現実や自分に対して
先に答えがあるということは
頭というものはこれがよく言う思考の万能感という
精神分析とかカウンセリングではあまり良いものとみなされている
万能感一つとってもそうなんですけど
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私は基本良い意味で使っていますよね。
だけど悪い意味で使われている時もあって
すごくこの辺がいよいよそうでなくても知られていない
マイナーな分野が一層わけわからないものになるし沈むとかもそうですよ。
良いんだか悪いんだかわからないですよね。
ここを決めたいという人たちがそもそも多いのに
良いんだか悪いんだかわからないという言葉が
同じ学問の中でしかも流派の違いとかで
氾濫しているから一層牽引されるんですけど
思考の万能感というのは悪いものに近いと思います。
思考は万能なんですよ。
何だって考えつくわけですよね。
もしかしたら火を止めてなかったかもしれない。
そんなことは絶対なくても
100回も見たのにみたいな。
もしかしたらあそこで人を跳ねたかもしれない。
想像するのは簡単ですよね。
よくやってますよね、私たちは。
あの時あの人と結婚していなければとか
思考は万能ですからね。
タイムマシンになって乗ることができます。
何だってできるんですよ。
この何だってできるがあだになるんですよ。
思考は万能なので
何でも起こり得ちゃうんですよ。
だから思考で答えを先に出すということを
しようとしていると
現実がついてこれなくなるわけです。
だって私たちは
あの時あの人と結婚していなければって
現実は作り出せないじゃないですか。
頭の中だけでできることです。
で、この何でも作り出せる思考が
余計なことを始めるわけですよ。
灯を閉めてなかったかもしれないと。
思考は万能なので
何でもできちゃうんですよ。
できちゃいます。
そしてその人は
その思考に負けるんですよね。
答えが先にあってほしくて
しかもその答えは
いい答えであってほしいわけだから。
そういう思考の万能観の中で
だんだんだんだん
その人の思考は多分やっぱり
オカルトに近づいていく
みたいなことがあるんだと思うんですね。
それとちょうど
ある意味逆に近いんですよ。
これもでも
同じようなところに
行き着くのかもしれませんけれども
頭で考える世界であってほしい
という人にとっては
現実というのは
その通りにならない
非常に面倒くさいものだ
という感じになってきます。
それがフロイトの言った
物忘れが私は激しいんです
の人に見られる態度だと
言ってるんだと思うんですよね。
要するに自分が重要視したくないものは
重要視しないよと。
これが
会社での書類とかに
適用されていくっていうところが
すごいところだと思うんですね。
多分本人
特にHSPみたいな
繊細です
かつADDでもあります
みたいな人は
こういうことは認めにくいと思います。
だから本当のことは
わからないところもあります。