2025-10-27 39:12

パクりたい弱気【1270】

また久しぶりにナルシシズムの話をしてみました。
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サマリー

このエピソードでは、模倣やオリジナリティについて深く考察されます。特に、ナルシシズムと知的財産権の関係性が論じられ、自分のオリジナルを無自覚に盗んでしまう心理が探求されます。また、オリジナルやコピーの概念に関する考察が続き、満足や欲求不満が思考や行動に与える影響、そして社会における他者との関係がオリジナルの認識にどのように結びつくかが探求されます。模倣とオリジナルに関する深い考察を通して、自らの存在やアイデンティティについての内面的な葛藤が語られます。さらに、ナルシシズムが人間関係や社会との関わりにどのように影響を及ぼすのかについても掘り下げられています。人々が抱える欲求不満とその克服についても語られ、特に、ないものをあると感じることで人がどのように心理的な解放を求めるのかが探求されます。

収録の開始とお知らせ
おはようございます。ライフハックからの精神分析第1,170回をお送りします。
10月27日月曜日8時5分です。
なんか、地球背景にして見てるわけですけど、これが使いたいわけでは全くなくて、なるべく違うのを使いたいと思ってるんだけど、
あまりZoomを最近使ってないので、使う頻度はGoogle Meetの方がずっと多くなってるんで、
ただ、これの収録は動画を撮るならZoomの方がいいんだなということが分かりまして、
これからZoomも使っていこうと思いつつ、ちょっとどうしようか迷っているところですね。
だからこの地球になっちゃってるわけですね。なんか背景は探してこようと思ってます。
顔だけを見てやるというのが実にやりにくいという、慣れでしょうね。
でもこんなものはね、慣れだと思うので、自分の顔だけ見てやるのに慣れようと思ってますけれども、
お知らせと言いますか、お知らせですね。12期の参加月チャレンジはもう11月から始まるので、
まだ駆け込みでお一人様ぐらいはご参加いただけます。
ただ、もしかすると自動設定だからなんですけど、Googleカレンダーの方にもう予約枠なくなっちゃったよという場合にはですね、
私にDMください。Xでも何でもいいので、DMかメールなりをいただければ、
秋の日程とかは全然調整できるんで、Googleカレンダーの予約システムって、
いろんな制約が全くないと、ありえないぐらいにびっしり取れちゃうし、
制約をだからといって作ると、わりとちょっとした予約の予定の入れ方でなくなっちゃうんですよね、枠がね。
だから枠が今ないかもしれないんですけど、ありますんで、よろしければ12期に入ったとしても、
12期の中で4回セッション分が何ならプラス4回お使いいただけますので、
そこはそんなに僕の感じでは重要じゃないんですけどね。
でもそれが必要だということであればそうしますので、そこはあまりご心配はいらないです。
模倣とオリジナリティの考察
11月からもう12期始まってしまいますので、今12月31日まではまだ入っていただくことは可能です。
合わせて11月の8日に8日ですね。
千里さんという方とタスク自動完全活用術の実践編やります。
これはまだまだオンラインでやるだけなので、お席などは十分余裕ありますから、
よろしければご参加いただければと思います。
私はこの中ではもう少し今度は今までタスクシュートのかなり原理的な話ばかり終始してきたので、
もっと現在進行形で実践しているのは今私がタスクシュートで、
クラウド2がほぼ85パーセントはクラウド2を使っているんですけど、
その中で自分がタスクシュートだと考えている何をしているのかというお話を
まあまあ細かくしようと思ってますし疑問が残るようでしたら、
ご質問には意外とご質問って出ないんだなということを知りましたが、
テキストでもご質問いただけますので当日ですね。
いただければ何でもお答えします。
主に私が今鋭意実践中なのはあれです。
情報整理をタスクシュート中心に展開していこうということですね。
それと久しぶりにシミュレーションというものを、
シミュレーションはシミュレーションなんで予定とシミュレーションは違うんですが、
これは公式の言い方とはちょっと変わってきてしまいますので、
シミュレーションというものを組んでみるということだけに、
それを実行するというのではなくてですね、
組んでみるとどういうふうな見え方をするのかなというのを確認するというのに使います。
この話はただどのぐらい実践の役に立つか難しいところなんで、
メンタルには僕はメンタル的な意味はあると思うんだけど、
実務的な意味はそんなにないんじゃないかと思うので、
ちょっとここは悩みどころなのでですね。
その辺についてお話ししていきたいかなと漠然と考えております。
そんなところですかね。
11月8日、よろしければタスクシュート完全活用術の実践編。
ご興味ある方はチェックしてみてください。
何分経ったかな。
これがわからなくなるんだ、このZoomでやってると。
だから時計を何回か見ることになりますね。
本題に入りますと、
このタスクシュート絡みで少し、タスクシュートとほぼ関係ない話ですが、
少しお話ししますとですね、模倣って出るじゃないですか。
タスクシュートでも何でも、模倣だと何かを指摘するのは
語弊があるのでしませんけど、
オリジナルの側からすればこれは模倣に見えるよねっていうのは出ますよね。
知的第三見とか特許の話に限りなく、というかほとんどその話になっちゃうんだけど、
それと私精神分析というか昔から思うところがありまして、
模倣というものをもし模倣だと全く意識してないっていう方が
たまたま同じものを作っちゃったよっていうのが本当ならしょうがないんですけど、
少しでも意識したのにそれを模倣であるにも関わらず、
つまり少し意識したということは模倣でないというのは難しくなってきますから、
厳密に法的にどうかって話ではないです。
ナルシシズムの影響
僕そっちの方は全くわかるくないんで、法的にはわからんです。
法的にはわからんけど、気持ちの中では知ってるよねみたいな話で、
そんなこと言ってもしょうがないんですけど、
気持ちの中では知っているっていう時に、
私はそこにナルシシズムってものをすごい考えさせられるんですね。
昔ですね、昔と言っていいんだと思うんだけど、
私のおじいちゃんも親父同僚僧侶だったんですよ。
坊主だったんですね。それで面白い話があって、
私がそれを直に見たってわけじゃないんですけど、
うちの親父が教えてくれた話なんですけど、
うちのじいちゃんってすっごい自転車を漕いで、
家が周りにほとんどないような地域だったんで、
今だったら絶対熊出るよなっていうような地域なんですけど、
地名も森って言って森しか見えないみたいな場所なんですよね。
寺がそこにぼつんとあるだけで。
だから何をやってたかっていうと、近隣の
行ける範囲内のすべての家には自転車で行って、
片迷惑な人だと思うんだけど、
それで大抵の人を団笠にしちゃったからね、
うちのじいさんは。そういう人なんですよ。
自転車で行って漕ぐみたいな。
なんか本当に坊主って感じの人ですよね。
山節とか言われる山節派とか、
決して褒め事ではないんですけどね。
言われてたんですよ。
それでうちのじいさんと一緒に信者さんもついて行って、
釈述活動とかって言うんですけど、
釈述に行くわけですよ。
その時にうちのじいさんが言っている通りに、
通りにその信者さんが寺に行って、
他の家に行っては説教をすると。
いうのをうちの父がですね、
それを肩で聞いてて、
ああって思ったっていう。
ああって思ったって。
ああって思っちゃいけないと思うんだけど、
坊主だったら、
つまりいいことだと思って、
光るべき話なんだけど、
うちの父はですね、
そういうところもある人だったんで、
つまりそうではないんだけど、
新聞記者ぶりたいっていうのかな、
そういうところがあるんですよね。
リベラル系の雑誌編集者みたいな人で、
ありたい人なんですよ。
だからああって思っちゃうのも無理はないんだけど、
否応はしてないんですよ。
さすがに自分の信者さんが、
言ってみれば坊主の言うことを
べったり100%コピー、
コピーみたいにして喋ったからって、
それを坊主が批判するっていうのは、
相当あれなんですよ。
だけど、やっぱりこう、
オリジナリティの話をしてるわけですね、
僕今。
オリジナリティっていうものが、
全くそこにないのに、
っていう現象っていうのかな、
オリジナルのものを丸々パクってるのに、
その自覚が全然なくなってしまう、
っていう真理って、
つまりそれを僕は、
ナルシシズムって感じるんですよね。
他者がいない世界。
このナルシシズムにおける、
知的財産権のパクリって、
すごいものがあるんですよね。
自分のオリジナルを取ったっていうことを、
否認しているとも言えるし、
抑圧しているとも言えるんだけど、
無意識化に落としちゃうというか、
排出してしまうんですよ。
オリジナルになってしまう。
この話は紛れもなく扇望の話なんですよね。
エンビの話なんですよ。
お前が全部持っている、
それが許せないっていうことで、
乗っ取ってしまうわけですね。
赤ちゃんが親を食べてしまうという、
かなり不穏な表現をクライン使うんで、
それを使うならばそういうことになるでしょうね。
要するに、
原子工みたいな話なんですけど、
良いおっぱいが、
お前良いおっぱい持っているくせにだな。
私、飢えてるんだよと。
これが許せないんだよと。
だから良いおっぱいは、
悪いおっぱいになっちゃってるわけですね。
これが悪いおっぱいなんですよ。
じらすっていう表現を、
フェアバーンとかが撮ってるわけですけど、
じらすわけですよね。
私、欲求不満。
そこに欲求不満を解消するものを、
あなた持っているのに、
私をじらしている。
この発想は、
本来的にはおかしな発想なんだけど、
子が母親に対して持つならば、
妥当な発想ですよね。
くれて当然でしょうと。
これが、
ここが難しいところですけどね。
例えば、私が道を歩いていて、
とてもひもじいんですと。
目の前には、
海外とか行くとありますけど、
どうやっても1日では行き着かないぐらいの、
大きな物があるお家があって、
おにぎり1個食べたいんだけどって、
ふざけんなって言われるっていうのは、
なんかおかしい気もするわけですよ。
あなたは、
国が買えそうなぐらい金持ちなのに、
なんでそんな、
ひもじい人間に、
おにぎり1個くれないんだよみたいな、
そういう理不尽感ってあるじゃないですか。
なんか社会問題みたいな話になりますけど、
ただ、要するに持っている物を、
そんなに簡単にくれるはずの物を、
くれないっていうのは、
言いがかりに近いんだけど、
子が母親に持つなら、
普通ですよねっていう感じ。
このかんこぴかんの中にはですね、
僕はその感じを持つんですよね。
つまり、
エンビがそこに、
扇望がそこにあると思うんですよ。
つまり、
例えばタスクシュートでいいんですけど、
タスクシュートというですね、
そんなの俺でも考えついたよっていう、
常常に支配されてしまって、
で、
そんなの考えついたよって言っても、
考えついてないわけじゃないですか。
僕はですね、思うに、
この事実に直面したくないんだろうなっていう、
そんなことは、
ビジネスの世界とは関係なくて、
いや、それは選手権の問題だけじゃんっていう、
そういうなんか、
情緒のドロドロしたことを言うのは、
やめようよって思われるかもしれないけど、
僕はそっちにしかある意味興味がないんで、
そこを見ちゃうんですよね。
ものすごく。
つまり、
そんなの俺でも考えついたよという、
この気持ちに、
直面できないので、
そこを排出してしまう。
そして、そんなに簡単なもので大儲けしやがって、
俺にもよこせみたいな、
オリジナルとコピーの探索
そういう言われてる方はすごく理不尽なんだけど、
これがやっぱり、
子供が赤ちゃんだった時代に、
その人がね、
赤母親に抱いた感情を、
ベースにして考えてみると、
しっかりごもっともでございます、
とまでは言いませんけど、
そう感じるのも無理はないよな、
という感じはするんですよね。
ダメですけど、
そんなことを言って、
例えば、
人の音楽とかをパクって、
そっくりのものを歌ってますけど、
いや、これは俺のオリジナルですから、
というのは多分通らないんですけど、
つまり、現実原則としては全然ダメですよね。
選手権というのは、
どこまで行っても選手権なんで、
先に取った方の権利ですね。
それを主張しない限りは、
ダメなんですけど、
それはそれとして、
心情としてはですね、
昔、
実際そういうことを言う人いましたからね、
いや、だって、
ライブニュースとかさえいなければ、
俺だって微積ぐらい考えついたよ、
それはどうかなって思うんだけど、
数学やってるとそういう気持ちになる人って、
結構いるんだと思うんですよ。
結局あれ、先に考えついたもん勝ちじゃないですか。
エルマーの定理みたいな話で、
結局それは、
先に考えついたもん勝ちだよね、
っていうところはあると思うんですよね。
満足と不満の関係
なんで、すごくそれがですね、
なんていうんだろうな、
コピーをする、
そしてコピーすることを、
コピーしたことを忘れる、
ってことができちゃう。
で、コピーすることを忘れる、
自分に権利がないということを、
忘れるってことができてしまう。
というのは、
ものすごくこう、
原初的な思考、
思考なのかな、
思考以前なんですね。
考えられなくなっている。
考えられたら、
アウトじゃないですか。
考えてしまったら、
いや俺タスクシュートのなんかこの、
なんだろう、
見積もり時間とか別にタスクに当てるってことを、
自分では考えなかったわって、
つまり、ないおっぱいなんですよ。
ないっていうことには、
欲求不満があるわけですよね。
あの、
ビヨンの言葉なんだそうなんですけど、
さぞ言いそうだなと思ったんですけど、
概念というものは、
満足というものと連結している。
つまり、
それはそうだと思うんですよね。
僕らは概念というものを、
自分の満足と関係もなく、
扱うってことは、
きっとなかったと思うんですよ。
あの、
おっぱいって概念じゃないですか。
それは、自分のこう、
要するにお腹が空いたっていうものを、
満たしてくれる、
満足と関係があるわけですよね。
だから、概念ってものを持つためには、
満足ってのが絶対必要で、
実は私たちは、
満足か不満と関係のない概念って、
扱えないんじゃないのかな、
ほぼ、と思うんですよ。
藤尾直樹さんが、
赤ちゃんだっておっぱいには吸い付くけど、
ボールペンには吸い付かない。
あれはものすごく僕は、
あれはものすごく大事だと思うっていうのは、
なんかあれなのかもしれないんですけど、
僕はやっぱりタブララサっていうのが、
嘘だと思うんですよね。
誰でしたっけ。
デビッドヒュームだね。
あの、そういう哲学者がいましたよね。
真っ白に何も書いていない、
石板のような心を持って、
人は生まれてくる。
というのは、
例えばですけど、
自分たちが批判しましたよね、結局。
赤ちゃんだって、
例えばガラスで、
下がはっきり見えるところを、
歩きたくないと落ちるからね。
落ちるってこと知ってるってことじゃないですか。
タブララサってことは、
完全にホワイトな心を持って、
生まれてくるなら、
そんなこと知らないから平気でそこ行っちゃう。
怖い子供も危ないことを平気でやるんで、
やっぱり経験が不足してるのは、
確かなんだけど、
でも赤ちゃんといえども、
ボールペンに吸い付いても、
ボールペンには吸い付かないんですよ。
つまり、それを先見的、
満足とかって言ったりするんだけど、
カントですよね。
先見的っていうのは、
経験する前から知っていることがあるってことじゃないですか。
でもそれっておかしいですよね。
どう考えても。
そういうことを言ってると、
どうしても、
生前占いとか、
生まれる前から知っていたとか、
一気にオカルトになるんだけど、
だって脳があるっていうことは、
つまり何かを知っているわけで、
何かを経験するときの形が、
やっぱり何かに準拠しているわけですよ。
物と物がぶつかったら、
それがすっと、
ドラえもんのなんとか夫婦みたいに
突き抜けてはいかないんですよ。
だから、突き抜ける映像を見せられると、
赤ちゃんも目を大きく見開くみたいな、
それをピアジアやったわけですけど、
やっぱりなんかおかしいと思うんですよね。
赤ちゃんといえども。
物質と物質がぶつかったら、
衝突とかするだろうぐらいに、
衝突って概念を一切持っていないにしてもね、
思うわけですよね。
だから、
先見的満足と概念は、
似合うとか言うんだよね。
つまり、
自分がこういうふうに
満足できるだろう、
おっぱいを吸ったらこういう満足ができるだろう
ということを知らないにしても、
でもやっぱり吸ってみて、
ああこれこれって、
ああこれこれっておかしいですよね。
ああこれこれもへったくれもないんだけど、
でもやっぱり子どもを育てたことのある
人間としては、
明らかにそういうの赤ちゃんは
持って生まれてきてるよなっていうのは
感じるわけですね。
だから、先見的満足と概念が
違うっていうのはですね、
ここで出会う、
それによって一つの知識が生まれる。
ただし、それは考えたことにはならないと。
それはただ先見的な知識っていうのかな、
先見的な概念と
満足がただ
セットになってようやく概念というものを
経験することができましたってだけで、
つまり満足という経験を
持っただけであって、
まだ何、なんていうのかな、
満足するために自分はどうするかとか、
つまりここで
自分とかどうするかとかいう
ハウツーみたいな概念、
それが生まれるためにやっぱり
欲求不満が必要だっていう、しかも
単に欲求不満があればいいってもんじゃない
っていうのがいろいろと
松木くんさんが細かく
他者との関係
内論等で書いていらっしゃることなんだ
と思うんですよ。
単に欲求不満があるだけじゃだめで、
欲求不満のままずっと放置されると、
そのうちぐったりしてしまって、
昔の親が自家中毒、自家中毒と
言っていた状態がぐでーってなって、
なんかこう、なんていうのかなの
ぐで玉みたいになっちゃうんですよ、赤ちゃんが。
ピクリともしなくなる。ギャンギャン鳴いていたのに。
ギャンギャン鳴いているのは、
要するに悪いおっぱいを外に
放り出そうとしているわけですね。
だから万能空想っていうのは常に排出と
関係があって、わーって泣くっていうことは
わーっと泣くことによって
自分の中から
うんこなりを出すと、そうすることによって
いや満足って、これはすごい
おかしいわけですよ。
排出的な満足っていうのは、
万能空想っていうのは、
悪いおっぱいを外に出したぜっていうことで
勝利感によっているんだけど、
悪いおっぱいを外に出したんでは、
自分にとも空腹は満たされないわけですよね。
こういうのすごく
よくある。欲求不満になると
離婚するみたいな。
それは本当におかしいですよね。
欲求不満になって離婚しても
何ら満足は得られないはずなんだけど、
そこである種の勝利感で、
自分の欲求不満というものに対する
持ちこたえられなさに
酔うと。
これがですね、私には
話を元に戻しまして、
オリジナルを貪るという行動と
よく似てるなと。
タスクシュートというものを
この世から葬り去って、
スーパータスクシュートこそが
オリジナルだったんです。
100年前から考えてあったんです。
みたいなことを主張したとしてもですね、
その人多分そこから先の展開を
得られないと思うんですよ。
食いつくすところで終わっちゃうと思うんですね。
これを空になるまで
渋さを吸いつくす
という表現を取るんだけど、
すぐ空になっちゃうんですよね。
そんなことで。
なぜすぐ空になるかというと、
それはおっぱいの中のミルクが
そんだけしかないからではなくて、
自分の欲求不満を
満たすところまでしか吸えないからだ
と思うんです。赤ちゃんには。
これがオリジナルを
貪りつくすことの無意味さ
っていうのかな。不毛さだな。
意味がないとは言えないけど、
その先にあるのは
虚無が待っているみたいな。
そういうニュアンスが戦亡
というものにはあって、
だから戦亡とナルシシズムは
事実上同じことを言ってる
という感じがするんですね。
そこには自分以外のものが欠けている。
他者というものがあることによって、
だって他者がなければ
オリジナルのコピーでできないじゃないですか。
コピーというのは他者あって
初めてできることであって、
他者がなければ、つまり
自分しかいない世界では
コピーはできないわけですよ。
だからコピーはしていません。
私がオリジナルですって主張するってことは、
昔のね、私
会社の同僚がそのセリフを
実際に吐いているのを聞いて、すごい
新鮮な驚きを得たんですけれども、
昔、NTTドコモサービスの
料金センターに勤めてたときに、
あんたたちは
自分一人で生まれてきたと思ってるんでしょう。
そのセリフって、
本当に口にされることもあるんだと。
漫画ではよく読むけどね。
っていうね。
あんたたちは自分一人で生まれてきたと思ってるんでしょう。
っていう。
それをですね、
女性の派遣社員さんかな。
女性社員さんが、
生社員の男性の
割と親方の人たちに向かって
食ってかかったんですよね。
すごいそういうタイプの、
僕は結構好きだったんですけど、
威勢のいいおばさんだったっていうか、
そういうことを言うと今の時代
問題かもしれませんけど、でも本当にそういう
やれやれって感じで
やってたんですよね。
それも非常にエディフス的な
失敗に限りなく
近いんだけど、
模倣とオリジナルの関係
そこで盛り上がることって会社では多々ありますよね。
実際にはね。
とにかくあんたたちは
自分一人で生まれてきた。
無理だってことですよね。そういうことはね。
親がいなければ自分は生まれない。
模倣というものは
オリジナルがなければ
できないということですよね。
だからそのうちの爺さんを
まるまる模倣する
信者さんがいたときにうちの父は
微妙な気持ちになったわけですよね。
この人、さっき自分が
うちの爺さんから
その話聞いたってことも
忘れたかのように語ってる。
でもそういうことってするじゃないですか。
私だってここで
美音なり松木邦博さんの
ただほとんど
べったりコピーを喋ってるだけなんだけど
さも自分が考えたことのように
喋ってるじゃないですか。
これをするためにはある程度ナルシシズムって
必要ですし、当然
そこに先方はあるはずですし
しかも
なんていうのかな
ということはつまり
それを学んだからわかったんだってことを
どっか少しは忘れないと
語れないんですよ。
堂々と語るには
それなりのものがいるってことですよね。
それなりの心理操作みたいなものが
だからこれは
私は現実原則というのはやっぱり
そういうものを含むと
さすがにジャックと豆の木の
お父さんみたいに
人間の子供を食べ尽くすってわけにはいきませんけど
やっぱりどっかちょっと悪いことを
しないとなかなか
現実を生きていくっていうのの難しさってあるよね
というそういうような
ことと関係がある気が
しますね。なんかですね
ただこの
オリジナルというものを無きものにして
自分が取って変わっているときの
ナルシシズムの影響
独特の鮮白さって
ものを感じさせられるんですよね。
なんか
カンコピだなみたいな
カンコピでもいいんだけど
カンコピがダメっていうことではない場合も
結構あるんですが
でもカンコピだなみたいな
カンコピを喋ってるなっていう
この人は中身が分かって
喋ってるとは到底感じられないな
っていう
そういう
オリジナリティの無さですよね
そこに
扇望ってものが
あって
詰まるところはですね
こういう
持ちこたえられなさだと思うんですよね
欲求不満体制が
圧倒的に足りていない
よく思うんですよね
そういうタスクシュートのコピーとかを
見ていても
よく話題になるんですよ
このエネルギーをもっと
生産的な方に
生産効率の話に聞こえるかもしれないけど
そうじゃなくて
この不毛なことにこんなにエネルギーを
費やさなくても
妙にそういうので
見かけるものっていうのはですね
こうなんていうのかな
説得力だけは持とうという
異常な努力が感じられるんですね
これは私が
長年温めてきた構想なんだみたいな
そこにすごい無理がある感じはするんだけど
そこのところだけはやけに
頑張ってるなっていう感じがするんですよ
そしてそれは
非常に独特の
アンバランスさといいますか
アンバランサーは成語ですけど
なんていうのかな
確かにそれを考えつくのは大変かもしれないけど
そのエネルギーを
もっと違うことにやったら
もっとはるかに普通にビジネスで成功すると思うよ
っていう感じの
ニュアンスを感じさせられる
ある独特の極端な
自信のなさみたいなものが感じられる
ってことなんですよ
これはですね
考えつくことの
難しさとも言えるのかもしれないんですけど
やっぱり
これは僕が意識するってことですけどね
あくまでも
不安つまりその人が持ってる
内在的な強烈な不安
おっぱいなくなったらどうしようみたいな
強い不安が
反転してしまうんでしょうね
おっぱいなくなったらどうしようっていうのが
元のおっぱいに対する
強い攻撃力になって
現れるわけですよね
結果としてその人は別に攻撃してるつもりは
ないのかもしれないんだけど
強い攻撃力を向けてしまうわけですよね
それが無意識ってことだと
人間関係における葛藤
やっぱり思うんですよ
なんであっても
オリジナルになれないというのは
つまり自分が母親を内在化できない
ということは
不安がものすごくつきまとうわけで
自分にはそういうことは
できないんだっていう
どっかでそれを意識して
しかもその考えには
耐えられないから
それを捨ててしまうと
もともと私の中にあったものなんだ
っていう方向で
万能空想的に
それを取り込む
取り込むというか
模倣するわけですよね
これはですね
昔私が
散々言っていた
持てない問題
持てないっていうのはなかなか
面白い言葉だと思うんですが
持つことができないって感じがするんでね
持ってる人に対する
願望があったんですね
誰かに言われたんですよね
そのまんまのセリフを
そのエネルギーを普通に向ければ
彼女作れるよみたいな
エンビーに向けるなってことなんだけど
僕は当時分かんなかったんですよね
言ってることが分かるような気がしたんだけど
分かんなかったんですよ
結局なんかこう
お前は結婚してるからさとか
お前セックスしたことあるからさとか
これに僕はずっとこだわってたんですよね
10年ぐらい
あれはきついんですよね
その時に
あなたはそう言うけど
彼女いるじゃんとか
どうせコミヤセックスするじゃんみたいな
俺もここ10年ぐらい
一度もしたことないんだけど
右手でしかみたいな
そういう思いに
囚われて
爆発的なエネルギーを
全部行き通りと攻撃に向けるんですよ
なんかね
これが起こるんですよね
これ完全にナルシシズムの世界なんですよね
自分しかいない世界
他者がいないんですよ
だから
他者とは付き合えない
必ず自分自身の空想の世界に
入ってる方が
自分としてはやっていけるっていう
この不思議な
自信のなさが自信過剰みたいな
そういうものが
ナルシシズムの世界って
本当にいいものだなと
だからあのナルキッソスの
シーンはよくできてますよね
鏡に映った自分を
他者だと思ってるわけですよね結局ね
鏡に映った自分を他者だと思って
それに
包容しようとして水辺に沈む
っていうね
鏡と包容はできませんからね
本当にそういう感じが
するわけですよ
本当にその辺のことを
このクラインビョンっていうライン
僕は松木さんでそれを読むわけですが
繰り返し
本当にそこばっかり語ってるなっていう
いろんな形で
なるべく非難しないように語ってるんですけど
非難がましくなっちゃうんですよね
これを非難がましくなってしまうっていうのは
我々はやっぱりこの
ナルシシストっていう人を
前にして逆転位
ナルシシストって人はいない
ナルシシスティックな心理状態にある人
陥ってる人を逆転位的に目の当たりにすると
腹が立つっていう
だから藤山直樹さんはそこを
そこで頑張るなよっていう
言い方をされてるわけですよね
腹が立つっていうのが一つの重大なサイン
じゃないかと腹が立つ軽蔑すると
相手は軽蔑されたくないと思うのかもしれないけど
そこは関係ないじゃん
ってことですよね
そこを非難するために軽蔑してるのではなくて
この軽蔑を逆転位的サインとして
捉えることによって
ナルシシストっていう人にアプローチすることが
できるんですよっていう
そういうことを藤山直樹さんは
すごく強調していて
私はあれは
本当のことはできないですけど
基本正しいだろうなって思うんですよね
悪意というものが
この人を相手を遠ざけるための
情緒とは限らないですよね
無関心になってしまうってことが
一番まずいことで
心理臨床やってるわけですから
心理臨床やってるんであればね
心理臨床やってる人からすると
悪意でいいから持っておく
悪意を持つと離れられなくなるじゃないですか
大体人っていうのはね
その人が許せないとか言ってる人は
どうでもいいと思ってる人よりも
接近してしまうんですよね
接近するためには悪意は役に立つわけですよ
最終的には
やっぱりこう
対面して向き合って
付き合って生き続けないといけない
わけですから
何にも持たないぐらいだったら
それはすごく藤山さんが書いていて
私もそうだなと思うんですよね
軽蔑すらできなければ
近づくことができなくなるっていう
言い方をされてるんだけど
そうなんですよねひたすら愛することができるんだったら
多分その人はそもそも
精神分析のところに来ないですよね
誰にでも愛されるようなキャラクターが
なかなかあんなことやるとは思えないわけですよ
でも誰にでも愛される
キャラクターって考えてみると
極々少数じゃないですか
世の中にはいるにはいるけど
ほんと少ないですよねそんなキャラクターは
人気者って言われてる人だって
ある種の人にはやだら嫌われてたりしますから
普通の人は人気者でもなんでもないわけで
私なんかは
人に好かれるっていう
降参に対して
人に好かれないっていう降参が
99倍ぐらい大きかった人間なんで
人に好かれなければ
生きていけないっていうことは
全然ないんですよね
生きてきてるわけですからね
人に嫌われたら生きていけないっていう話って
よく出ますけど
いやもうとっくに死んでるよな俺とか
そういうことになっちゃうんで
そんなはずはないんだと思うんですよやっぱり
エンビーなんですよ
つまり相手は持ってると
彼女も持ってるし
セックスも経験しているし
結婚生活も持っていると
自分は何も持ってないと
そう思う思ってたんで
私なんか本当に
それも25年ぐらいはもっと長く
計算がちょっと今パッといく
でも20年ぐらいそう思ってたよな
彼女がいたときすら
思ってましたからね
エンビーってすごい不思議なものではあるんですよね
でも他者がいないんですよ
他者がいないから誰かと付き合ってても
付き合ってることにならないんですね
そういうことが
すごくあった気がします
そこで私は
オリジナルを無きものにしたい
持ってるものをダメにしたい
持ってるものを奪い取りたいっていう
持ってるものでなければならないみたいな
欲求不満とその克服
じゃないと万能空想の世界になって
この世のものとは思えない女性と付き合うみたいな
よくわからない世界にハマっていく
っていうことが
今だったらあれはやっぱり
要求不満体制が全く足りていない
つまり
ないおっぱいがあるっていう
発想が来れてないわけですよ
ないおっぱいがあるなんて簡単じゃないですか
もう我々概念として知ってるから
いや今は食べ物もらえてないんだよ
後でもらえるからって
すぐ話じゃないですか
僕はそれが
誰も彼もがそれを僕に言ってたのに
いやいやいつか付き合えるからさって言われても
納得しないわけですよ
いやいつかなんて来ないしみたいな
つまりないおっぱいがない
ないおっぱいがあるって発想がないんですよね
要求不満をすぐ捨てて
何かを作り出してしまうわけですね
世の中に悪意があるみたいな
私と女を付き合わせないような組織があるみたいな
そう思ったことはないけど
そういう小説書いてた時ありますからね
私は
どっか行っちゃったけど
別に読みたいっていう人がいて
黒で引いたから嫌ですとか言うことはないんだけど
あれですよ
書院とかいうワープロのフロッピーに入ってるんだけど
どこに行ったのかさっぱりわかんないんで
多分あれないだろうな
廃棄した気がしてる
だってあれさ
話飛んじゃってますけど
モバイルバッテリーとかがないわけですよ
なんか僕すっごい驚いたんだけど
2.6kg当時としては軽い方だった
プリンター付きのワープロを
ガチャガチャしているやつを
一生懸命電車に持ってって
さあ電車の中で鈴木書くぞと思ったら
電車の中でワープロ拾えないって話なんだけど
電車の中で鈴木書くぞと思ったら
うんともすんとも言わない
当たり前なんですけど
コンセントに繋がないといけないんですよね
でも僕それ発想なかったんですよ
あんなの絶対モバイルじゃんって
信じてたんで
以降私は
富士通のオアシスポケットとかいうやつを
10万円近く出して買ったりして
大して役にも立ってないんだけど
それで卒論書いたりするっていう
自分超先進的だぜって思ってたんだけど
別にあれもどっか行っちゃいましたね
非常にもったいない
お金の使い方でしたね
話を元に戻しますと
そういう
もう十分時間が経ったんで
これぐらいにしますけど
そうなんです
四次元的思考への移行
だからコピーを
するエネルギーって
多分オリジナルを
自分のオリジナルを
編み出す方がよほど簡単なんです
何かはまってるんですよ
それは多分
もちろん特許取れるかって話とは
全然違いますよ
でも自分が例えば
いろんな経験をしてくる中で
ある種の経験ができないんだって
思い込んだ時ほど変なものはなくて
例えば私
食事制限をしてる時には
もうこれで一生自分はケーキが
食べられないっていう絶望感
違うな私が絶望したのは
赤ワインが
飲めなくなるっていう絶望感
そんなに酒好きだったわけじゃないのに
この絶望がすごいあったんですよね
これちょっと
旋風に近いんですよね
あの感覚ってのは
アトピー治すためですね
なんで俺アトピーなんだろうって思いましたけど
今別に赤ワインとか飲んでるし
一生飲めないってのはなんだったんだろう
しかも
いざその年数が経ってみると
今52か
50になって
52になって飲めてもしょうがないよとかって
若い時ですそういうこと言うんだけど
今52で飲んでみると
いやこのなんか
食事制限してきた30年弱っていうのは
別に一瞬だったなって思うんですよ
納得はされないと思いますよ
そんなこと言っても
でも後から振り返ると
あの
カラマゾフの兄弟に書いてあったことは
本当だなと思うんですよね
なんか
正確な数字じゃないですけどどうでもいいんで
あれなんですが
カラマゾフが言いますよね
二兆年
歩く罰とかを受けるんだけど
天国に2秒入るためだったら
二兆年というのはあっという間だ
みたいなそういう二兆年じゃないと思ったけど
そういうお話で
あの
何を言ってるかというと
ないおっぱいがあるっていうのは永遠なんですよね
ないおっぱいがあるんで
永遠に続くじゃないですか
あの言い方すごい大事なんですよ
ないおっぱいがあるだは
欲求不満に持ちこたえつつある
たぶんアルファ要素だと思うんですけどね
持ちこたえつつあるときに
まず発生する
そうですよね
ない何かがあるって言い方
本当はおかしいんだけど
これは三次元的な話なんですね
ここに何かがないってことはわかる
そこまでは言ってるんですよね
これは永遠に続くんだっていう感じを持っちゃう
何々がない
今はおっぱいがない
今は食欲を満たせない
これは後で満たせる
これが初めて四次元的な思考
これをもって概念で言うんでしょうね
ここまで来られると
人は楽になれるっていう
ミオンがフロイトのところに行き着くわけですよ
つまり今は何々がないってなると
フロイトが言った通り
あなたの不幸はありきたりの不幸になるっていう
私の青春時代に
大学時代に彼女と付き合えることは
ついになかったみたいなのは
当時は死んだ方がマジだと思ってたんだけど
あれはありきたりの不幸なんですよ
結局はね
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