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心の中の親は巨大である
2026-07-03 50:19

心の中の親は巨大である

ホラーとは親のこと。
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おはようございます。佐々木正悟の精神分析的ラジオをお送りします。 7月3日金曜日7時40分です。うん、ぴったりの時間ですね。
まあ、ちょっともたもたしてた気もするんですけど、とりあえずはぴったりでした。 えーと、引き続きのお知らせとなりますが、3ヶ月チャレンジ第15期を8月1日から始めますので、
その体験コースをご利用することが7月中にできます。 4回で25,000円ですが、この4回を、引き続き15期の方をですね、ご利用いただけるならば、この25,000円はそのままそっちに充当することができるので、4回分は無料になります、ということですね。
えっと、Googleカレンダーの私の方に、いつでもこう1回分ね、1回分だけご予約いただくことができます。 で、これをご予約いただくことによってですね、まあ、そこからの4回をとりあえずセットすると。
1回受けていただいてからのお支払いで構いませんので、まあ気に入らないということであれば、そのままスルーしていただければ、1回はまあ別に無料でもいいかなというふうに思っております。 ただ、予約だけは入れていただく必要があります。
で、この予約のページはですね、3ヶ月チャレンジのホームページからのホームページにあるんだけど、3ヶ月チャレンジと検索に入れていただいても、他にもあるからこの名称、全然違うのをヒットする可能性があります。
なので、佐々木翔吾と入れていただいたり、精神分析と入れていただいたりした上で、検索後2個入れていただくとですね、精神分析的な3ヶ月チャレンジとかなんかそういう感じで入れていただければ、AIの方で判断するんで、検索でヒットすると思われます。
佐々木翔吾の3ヶ月チャレンジっていうタイトルなので、一番それが確実だと思うんですけど、まあまあ3ヶ月チャレンジ佐々木翔吾精神分析あたり、カウンセリングでもいいですよ、していただければヒットしますんで、まあこれあれですね、Xとかそれこそサーブスタックノートなどでもお知らせしていきますので、そっちを待っていただいてもいいかもしれません。
はい、といったところで、今日はまあ短めに切り上げて、ようやくこの種のことを喋るのがそこそこになってきたな、やっぱりこれをやるのにも3年ぐらいかかるんだな、ということが今わかりましたが、えーとですね、そうそう久しぶりにボラスを最初から読み直すということをしているんですね、久しぶりでもないか、まああのずーっと読んできてほぼ行き詰まったんですよ、なんだかよくわかんなくなってしまったわ。
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なのでこれが本当に精神分析の本ってよくあるんですよね、なんかやっぱりこれも先日山崎孝明さんとのイベントで山崎さんと話しましたけど、違う言語で書かれてるんじゃねぇかって、違う言語で書かれてるんだよねって感じがしますね、やっぱりね、そこは本当にそれこそCBTとかの本とコーチングとかの本と全く違うところで、コーチングとかCBTは読んで意味がわからんと思ったことってないんですよ、日本語である限り。
もちろんその、でもわからんと思ったことはないな、面白くないと思ったことは正直ありますが、わからないと思ったことはないです。でも精神分析は逆で、わかると思ったことがほとんどなかったんですよね、そこがもしかすると私が興味を引き付けられた最大の理由である可能性もありますが、
ユング、ユングはわかりにくいと思うことはあっても、やっぱわからないとは思わなかったんですけれども、あのね、魔法の書みたいなやつですよ、あれじゃないですか、若い頃ああいうのを喜んで読む時代も、今は喜んでは読めないけど、喜んで読む時代はあったんですけど、やっぱね、古びたはわかんなかったですね、面白くもないと思いましたね、読め判断にせよ、読んでる本が間違ってるけど、読め判断にせよ、
精神分析入門にせよ、全然面白くもわかりもしなかったっていう感じでした、本当に部分的に、なんかこう、その話は面白いって思うことは時々あったという程度で、圧倒的につまらなかったですね、別にフロイトの本がつまらないという話をしたわけじゃないんで、先へ行きますが、ボラスの本を読み直してみて、めちゃわかる感じがするわけですよ、なんでなんだろうな、これはな、最初はわかる部分とわかりにくい部分があって、
わからない部分が混在していて、モザイク上で困るなっていう感じだったんだけど、今はもう、先へ進めないんですよね、なんか一行一行がわかって感動的みたいなところがあって、こういうことが起こるんですよね、
松木さんの本でも起きたし、藤山さんの本でも起きるんですよね、そして一冊読み終えるのに下手すると1年ぐらいかかっちゃうという、まあもう僕は別に読書したくないんで、全然それは構わないんですけど、
時間はいくらかかっても構わないんでいいんですけど、そうにしてもですね、やっぱりこう1回目の読んだ時の、この本読んだ時はどういうつもりで読んでたんだろう、自分って、これも非常に不思議な現象が起こりますね、
まあ本読みには、あの、お馴染みの感覚なんですけれども、でも精神的には特にその傾向が強いとは言えると思います。悪いことでもあると思っています。ここで投げられてしまうという可能性は大いにあるんで、
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こんなことでは、あの今時やっぱ捨てられてしまう可能性はっきり言って多いにあると思いますね。藤山さんはすごいわかりやすく書いてますよ、藤山直樹とかは本当に。あのレベルのことをあんなにわかりやすく書くのは、あの品の技だと思います。
松木さんはやっぱり特殊語法になっているところがあるんで、語法が独特なんですよね。だから、わからなくはないが、今度は読みにくくはなります。普通の人はそうは書かないよねって書き方なさるんで、そこは難しいというよりも、まあ伝えんとしていることが非常に伝わりにくい内容であるから、やむを得ないってのはあるんですけど、集中抗議は、集中抗議精神分析はちょっとミラクルですね、あれはね。
本当に精神分析のことだけが書いてありながら、あんなに読みやすい本は、たぶん今後もないんではない、海外でもまあないなって感じがします。
海外の人の本は、読みやすいとされている本もまた、大変読みにくいと私は思うんですよね。いろんな意味で。まあその翻訳的な意味までここに加味されてしまいます。まあそれはいいといたしましてですね。
うーんと、そのまあなんていうのかなぁ。
そう、お母さんそこにいてね問題っていうのがあるんですよ。よく言うじゃないですか。
10歳ぐらい、いやそれはちょっと行き過ぎか。でも4から6、7歳の子でも今時はもっと言いますよ。年齢上に言ってもね。お母さんそこにいてねっていうやつね。
あれは、ボラスがやっぱり一番接近してるなと。あれある意味不思議じゃないですか。別にそこにいなくても全然できるし、子供はそこにいることをもうすでに、子供は無責任なんで忘れてたりするくせに、そこにいてね言うと。
いないとしかも、すげえ裏切られたような気になる子も結構いると。でも、まあだからそこで見ててね、お母さんみたいなやつですよ。
で、これはあれですよ。よく感動的なあれなんだっけ。特にフィギュアスケートのコーチとの関係みたいなところに、あれは母親、父親だと思うんですけども。
見ていてくださいね、コーチみたいな。そういう少女漫画みたいなノリってあるじゃないですか。あれが僕はすごく感動的。しかもあれは必ず感動的に描き出されますよね。
しっかり見てるからみたいな。見てるだけなんですよね。別にアドバイスするとかではもはやないわけですよ。
あのポジションに、先日コーチングを受けたって話をしましたけど、私はなんであれあのポジションに、あのポジションにいることが全てではないし、
あのポジションにいるのはもはや結末でしかないんですけど、そういう描き方もするじゃないですか。
最初からあれだけやっていて、4回転半とか飛べるようになるはずないんですよ。4回転半は無理か。とにかくトリプルアクセルとかができるようにならないわけですよ。見てるだけじゃ。いくらお母さんでも。
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だから技術的コーチというものは、そもそも世の中にはいるし、必要だと思うし、特殊技法ですからね。
スケートやってみればわかります。1回転だって絶対普通無理なんで、もう本当に立ってるだけでもおかしくなりそうなっていう人もいっぱいいらっしゃると思うんですけど、とにかくそういうものなんで。
そんなことはどうでもいいんですけれども。
見てるという、見守っているとよく言われますけれども、あれは一体なんでそういうものが必要なんだっていう話でですね。
ウォラスが変形性対象っていう、最早期の母親は変形性対象である。これはだから非常に野心的な言い回しなんですよね。
ミニコットはもう環境なんだって言ったわけですよ。母親は対象じゃないんだって言ってるわけですよ。
対象っていうのは難しいですけど、心の中のその人みたいなものですよね。これは誰でもイメージできればそうっていう話ではなくて。
自分の例えば娘は対象だけど、娘のお友達の幼稚園生は別に対象とかじゃないんですよ、多くの場合。それが対象化してるっていうのは少し問題があると思うんで、対象ではないです。
イメージはあるでしょうし、その子はしょっちゅう来るから覚えてるっていう人は内面の中にその人のイメージを持てるんだけど、それは表象なんですよ。
対象と表象は違うと思うんですよね。
対象というのはやっぱりその力を持ってますよね。他にちょっと上手い言い回しがないんで、ビビドーは対象気球的であるって言い方もしますけど、とにかくすごくその心の中の存在感があるということですね。
母親ですよね。典型的には母親対象は第一対象ですよね。ナンバーワンですね。一次対象ですね。
で、ボラスは特にそれを最早期は環境とも言わず、対象なんだけれども、いわゆる普通の内的対象とも言わず、変形性対象と置くわけですね。
で、なんで変形性なのかというと、変形する力を持ってるからですね。子供の世界を変形する。
で、この変形というものを言ったら、それは万能空想じゃないのってことになるわけですよ。この界隈ではね。
でも、ボラスはそうじゃないと言ってるわけなんですよ。ここが多分ミソなんだと思うんですよね。
つまり子供とはいえ、万能空想に浸りまくったり、幻覚を見ちゃったりするのはダメなんですよ。特に幻覚を見るのはダメ。幻覚を見るというのは精神病になってしまうので、ゼロ歳児ならしょうがないじゃんって考え方もあると思うんですよ。
例えば、あまりにもお腹が空いたっていう時に、自分を苦しめる悪魔を見てしまうみたいなことは起こり得ると思うんですよね。確かに。
精神がそれを見るということほど、それは狂っちゃいないと思うんですけど、でもやっぱり、目は幻覚を見るようには作られてないはずだから、脳もやっぱり幻覚で納得しちゃダメなんで。
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マチューリの少女の悲劇を見てもわかる通り、やっぱり寒空の中にいるのに温かい家族がとか言ってると、その中で命を落とすことになるわけじゃないですか。幻覚を見ることは危険なわけですよね。とっても。
だから、幻覚じゃないよって言ってるんですよね、ボラスはね。変形性対象が世界を変形してくれてるのを知覚してるんだよと。だからボラスはわざわざ断ってます。
これは幻覚ではないのである。事実なのであると。そうなんですよ。事実だってことを忘れちゃいけないんですよ。確かに私はここの番組で、かつてですね。そんな昔じゃないし、ここはすごく大事なところだと思ったんで。
全然見られていませんけど、シンデレラの魔法使いのビブデバビデブーネ、あれは変形性対象をキャラクターしたものだと思うし、私はあれでボラスってすごいなって思ったつもりでいるわけですね。
で、このあれは魔法使いだから言ってみれば幻覚だけれども、ああいう風に感じられているわけですよ、子供には。でも起きていることは事実だから。
つまりあだかも魔法の幻覚世界でそれぞれ発狂状態なんだけど、赤ちゃんはギリギリひわどく踏みとどまってるわけですよ。だって見てるものは知覚なんでね。
だからお母さんがいきなり自分のおっぱいを出してくると。それは我々が見るとせいぜいエッチなものになっちゃうかもしれないけど、それは我々が現実というものを知ってるせいであって、赤ちゃんはそんなこと知らないんだからいきなり出てきたわけですよね。
魔法のようなわけですよ。それは幻覚に限りなく近いんだけれども、何も知らない人が見てる知覚だから。でもおっぱいが出てきたのは幻覚じゃないですよね。おそらく事実ですよね。だから世界を変形させるわけですよね。
つまり、私はここから非常に展開が巧みなんですけど、確かにそれは環境なんだけど、あくまでも赤ちゃん側から見れば、それは幻覚的な、あるいは万能空想的ではあるけれども、知覚なのであるっていう、そこを足渡しするものとして急激に起きてる変形っていうふうに、あるいは赤ちゃんにはそう感じられている変形。
変形はしてないだろうって話もなくはないんですけど、服が今まで見えてきたところにいきなりおっぱいが出てくるから変形したようになっちゃうわけですよね。そこは、それは知覚と言えるかって、でもやっぱりそれは知覚ですよね。知識がない知覚なんですよ。
だからそういうことが起きるんですよ。しかも今は機械化されてるからそういうことはバリバリ起きるじゃないですか。レンジでチンするとあったかくなるみたいな、そういうものをあっという感じがすると思うんですね。あっという感じが。我々はしませんよ。レンジでチンして、わーとか言っている人は、よほどナチュラルな世界に生きてたんだと思うんですけど、我々はそんなのではそんなに衝撃は受けない。
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だから我々はそのいわゆるこう、それこそそうじゃないですか。今時それこそその感動的なもの、要するにエッチな画像とか山ほどあるから、多少は男の人は多少はショック受けてるかもしれないけど、多分何もほとんどショック受けなくなってきてると思うんですよね。
でも赤ちゃん違うわけですよ。赤ちゃんはそれは食べ物であり、触れ合いでもあり、ある種性的なものですらあって、だからショックを受けてるわけですよね。強烈な。つまりシンデレラの魔法使いですよ。ああいう風な、おそらくあれを遥かに超えた魔法のように見えてしまう。
だからそれは幻覚に接近しているんだが、しかし近くであると。つまりユニコットは赤ちゃんの幻覚見ちゃったらダメだよみたいな。クライムもそういう感じですよね。幼児精神病だよみたいな。でも幼児はその危険に晒されがちなわけですよね。なぜなら知識がないし慣れてないからすごいショックを受けやすい。それに実際自分は弱いからすごくダメージを受けやすい。
だから赤ちゃんが夫婦のお父さんとお母さんのセックスを見たりするのもまずいし、あるいは赤ちゃんがあまりにもお腹が空かせたまま、ネグレットに近い話ですけど放置されるのもまずいわけですよ。それは全部まずいわけですよ。だってそれは当然そうですよね。だから幻覚とかを見ちゃうわけですよ。騎士墓神に襲われるみたいな、そういう幻覚になってしまうわけですよね。
そうするとなかなかそこから戻るのが容易じゃなくなる。知識がないわけですから大変なことになるので、そこで環境が大事みたいな、ありきたりな話になるんだけど、そこで変形が大事っていう風に考えたわけですね。
変形が大事っていうことの中には、例えばハイハイするときにちょっとやるじゃないですか。ちょっと抱っこして立たせてみる。これも幼児からずっと変形していくんですよ。自分が。この中で最大のがつまり言葉を使うようになるってことだと思うわけですけれども、当然。ここの差はめちゃくちゃでかいですよね。言葉が使える。だからビューデバビーデブーなんでしょ。
あれは難語ですけれども、でもつまり呪文なんですよね。言葉というのは。それによって魔法が完成していく。完成するとありきたりのものになっちゃうわけだけど、そういうことなんだと思うんですね。彼が言ってるのは。
で、ここである種の無神経さってものが、その前にここでお母さん見ててねが出てくるわけ。何が言いたいかというと、お母さんがいないと魔法は使えないんですよ。なぜなら変形をもたらしたのが全て、おそらくですよ。全てじゃないだろうっていうそういうジェンダー論的なのは一旦置いとくとして、ほとんどの人にとっては変形を引き起こしたのは母親だったから、母親抜きだとこの変形が起きない感じがしちゃうわけですよね。
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だからお母さん見ててねになるわけですよね。コーチが見ててくんないとトリプルアクセル失敗するのはそういうことなんですよ。それはコーチが引き起こしたことだから、コーチ抜きにはできるようにならなかったわけでしょ、それ。だからコーチが引き起こしたことだから、コーチがいないところだとできなくなるわけですよ。
赤ちゃんにとってそれは確実なんですよ。お母さんいなければ自分立つことできなかったわけだから、自分の変形をもたらしたのは母親だから、まあ変形性対象だから母親だからというよりは赤ちゃんが主体的に体験している世界では母親がそれをしてくれたというよりは変形性対象が魔法使いがそれをしてくれたわけですよ。
魔法使いがいないところで魔法が起きないわけですよ。魔法が起きないということは自分は立てないということになるわけですよ。これがしばしば起きるわけじゃないですか。まあ怪異理みたいな話になるわけですけどね。なぜか立てなくなったみたいな。
ここで変形性対象がいなくなっている。つまり我々は対象関係の世界に生きていると対象関係論の人、英国独立学派っていう風にボラスは繰り返し書いてますけれども、ということですよ。
ウィニコットの言ったことはこれと酷似しているのはまあ明らかではありますけれども、フラインがベースになっているのは明らかではありますけど、私はボラスの説明の方が断じて理解しやすいと思う。この点についてはですね。
環境としての母親があって言うとなんかこういるって感じがいくらなんでもしなさすぎって感じがします。一方でクラインのように最初から内的対象がとかいいおっぱいがって話に終始しがちだとどうしてもやっぱりこう官僚的な祖母の方ばかりが目に行ってしまって、だからそれは当然なんですけど、なぜなら治療に当たっているから悪いことに対する対応をまず考える。
悪いおっぱいが自分を侵襲してくるって話をするんですが、やっぱりこのいて欲しいのにいて欲しいとかいないとかこれは悪いおっぱいだけの説明だと。だから和月さんは不罪論を書いたと思うんですけど、不罪と悪があるっていうのはやっぱり違うことなので、不罪を悪があるというふうに捉えてしまうのが厳酷なんでしょうけれども。
そこまでいかないがしかし重大な問題であるっていうケースがあり得るわけですよね、いくらも。重大といったって朝起きられないということだったりするわけですけど、やっぱりそれは重大ですよね。
で、この際、母親がいないからっていうのは意味のわからない説明になってしまう。成人が言うと。しかしそれが、だから母親がいないからだと意味がわからなくなっちゃうので、ましていいおっぱいがないからだと、なんか男の人がそれを言ってるとふざけんなって感じになるんで。変形性対象を見失ったからなんですよ。
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っていうか、難しいな。変形性対象、でもやっぱりそういうことなんだと思うんだよね。変形性対象がいるべきときにいないみたいな。いるべき?変形性対象は人なのか?難しいところですね。あるべきところにないって感じですよね。
でもこの漢字は本当に、これをオグデンも書いてるんだし、オグデンはボラスって出してこないですけど、オグデン、トーマス・オグデンだったと思うな。アメリカの対象関係論者ですよね。奥さんがいなくなるとガレージから出て行って、自分の仕事に没頭できなくなるエンジニアの話です。これ完全に変形性対象が、だからお母さん側にいてねーなんですよ。妻をお母さん代わりにして20歳年上の奥さんをもらったエンジニアさんの話。
この人が何か、オグデンから見るとですね、やや重篤な精神障害を患ってるんだけど、それは変形性対象を自分のものに、確固としたものに仕切れてないわけですね。だから、そんなことを言われても、特にある種の男性の人は信じたくないかもしれないが、起きれてるのはお母さんがいてくれるからなんですよ。心の中によ。もちろん。
お母さんが見ててくれるから我々は起きられるんですよ。トリプルアクセルできるように。その差は大きいだろうって思うかもしれないが、その差が大きいというよりは、やっぱり赤ちゃんにとってのその最初に立ち上がれるということの大変さは、トリプルアクセルに相当するっていうような感じなんですよ。
なんでいきなり思い出したんですけど、この種の、なんていうのかな、ちょっと文脈ずれるんですけれども、この種の、無責任と言えばいいのか、無神経と言ったらいいのかあれなんですけど、これね、何かの批判みたいになっちゃうのが嫌なんですよね。ジェンダーとかね。
そういうことではないんだが、今いい例思い出したんですけど、梅塚蔵ってホラー漫画家がいるじゃないですか。あの人が書くホラーって僕、昔は本当に蛇おばさんとか、墓場から出てくる少女とかでも十分怖かったんですけど、小学校3年の頃にその怖さを衝撃を受けたんですね。
あの漫画を書く人だみたいな、あの人の絵ってすっごい個性的じゃないですか。あれがどんなにブランディング、マーケティング上重要かってことは後にわかるわけだけど、なんでこんなキーな絵を書くんだとしか思ってませんでしたけど、小学校3年の時間違いないんですよ。
なぜこれを覚えてるかというと、ある、まあこれもな、こういう方は、でもまあ小3の時のことだから見逃して聞き逃していただきたいんですけど、ちょっと内向的な女の子がいて、そんなにクラスの中で友達が多い方とか人気者ってわけじゃなかったんですけど、ある時急に人気が出たんですよ。
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なぜかというとたくさんの梅塚蔵の漫画を持ってきたからなんですよ。このこと僕よく覚えてるんですよ。あの子が急に人気者になったっていう、なんかみんな列を出して彼女に、あの梅塚蔵の漫画を借りに行って、ここが子供のすごい面白いところですよね。つまり子供はああいう恐怖が大好きなんですよね。
ああいう恐怖ってどういう恐怖なんだろうと、私は小3ながらに考えたんですよ。もちろん列に並んで漫画を借りて、その時にその墓場から出てくるあの女の子の怖い漫画を読んで、もちろん墓場から出てくるところはくだらないシーンだけど、実に怖かったわけですよ、私も。
その時に私は佐々木君も漫画読むんだとか言われて、これを何だと思ってるんだろうと不思議に思ったんですけれども、墓場から出てくるシーンは怖かったのですが、それよりずっとゾクッとしたのをよく覚えていて、非常にのっぺりと薄っぺらーく描かれている両親で、この梅塚蔵って人はきっと両親とかを描くのはすごく苦手なんだろうなと、
ただの絵になっちゃってるわけで、しかも必ず二人セットで出てくるんですよ。一人ずつは出てこないんですよね。これがいかに両親の存在感が薄いかということを感じさせる感じなんですが、
それはいいとして、実の娘が病気で亡くなっちゃうんですよね。お父さんとお母さんが泣いていて、私のことは絶対忘れないでねって言われて、忘れるもんかみたいなことを言って死んじゃうんですけど、あそこに埋めてねって言って、亡くなった部屋から見える庭のところにお墓作るんですよ、両親が。
女の子の遺言通り、これで先が読めるって感じですよね。その両親が、いともあっさりそっくりの女の子を両親にもらうんですよ。私これを見たときゾッとしたんですよね。なんちゅう親だと思ったんですよ。
この私のこと絶対忘れないでねって言って、まだ1年ぐらいしか経ってないのに、もうなんかこう全くそっくりの女の子を、全くその子が亡くなった部屋を用意して、お前はもううちの子だと思っていいんだからねみたいな感じでありがとうみたいな。
この辺が梅塚蔵らしい、非常にこう、なんちゅうのかな、ある種のものを描くところはものすごくリアリティがあるのに、ある種のものを描くところは全然リアリティがないという、この人の特徴がよく現れてるんですけど。
もちろんその新しく養子でもらわれてきた女の子の部屋からは墓がバッチリ見えるという非常に不思議な設定なわけですけど、嫌だわあのお墓って言ってるんだけど、いやそりゃそうだろう。
で、もちろんその夜になると、その亡くなった女の子が、なんで私のベッドで寝ているのとか言って出てきちゃうわけですけど、いやこれ良心悪いでしょっていう、もちろんそのそんなに冷静なサビじゃないですよ。
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私はそのシーンにも十分恐怖はしてたし、怖えって思ってたんだけど、絶対良心の方が怖いわってどっか思ったんですよね。
で、これがお母さん見てての占い師なんですよ。だからつまりそれだけのことがあるわけだし、変形性対象、この話は変形性対象は出てこないけど、変形性対象はもっとインパクトでかいわけですよね。
だから親に裏切られるというのは、見ているべき人がそこで見てないということが、子供にはショックを与えるわけだけど、そのさらに先へ行くと立てなくなるわけで、だからこの立てなくなるのは重大事なんですよ。
いや、お母さんがいないんだとか言っても通らないでしょうけれども、それがどんなに重大な意味を持っているかというのを軽く考えられているって思うんですよね。
先日私、コーチング受けたよみたいな話しましたけれども、これも何かの批判みたいになっちゃうのはいいです。それが何言語でもなんでもいいんで。
そういう話があったということを、つまり私はですね、この精神分析を非常に高く買ってるというのは、もろん山崎三流に言うとカルト化しているのかもしれないし、ある種の融通の効かなさだと思うんですけど、
この種のアプローチしか立てなくなるとかいうものをですね、単純にホルモンバランスとかいう説明っていうのは、私はホルモンバランスの薬とかで立てるようになるのかもしれないが、相変わらず立てるようになかなかならないというケースもいっぱいあるわけじゃないですか。
私みたいな人間は変形体対象みたいな話、つまり最早期の母親に特別な名前をつけることによって、自分がそこから解放された心身症がいろいろあるわけですよ。
人がアトピーですよ。私のアトピー的な皮膚病ですよ。ここからの解放には、私は母親との最早期とかに近い、1、2歳の頃の、せいぜい3歳の頃の母親との関係を洗うというか、そこを考え直すというか、考えたくなかったわけなんだけど、無理してでも考えることによって大きく脱却できたという感じがあるんで。
薬は効きますよ、もちろん。フルコートだって効くんだけど、そしてそれの薬害は言われているほど高くはないんだけど、ここに薬害社会派の父親が加味すると、ろくでもないことが起きてたわけですよ。
これは、ということをなんとかする上では、父母に向かうというのはとても大事で、母がおっぱいがないから起きられませんというのは、こう言うと変に聞こえちゃうと思うんだけども、正しいんですよ。もうちょっとアプローチを、解像度を高くして、もうちょっと細かく精密に見ていけば正しいんですよ。
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それを言いたいわけなんですね。何が言いたいかというと、だから先日私は、なぜ私は3ヶ月チャレンジにそこまでのめり込むのかという問いを短時間のうちに、わりと集中的に問われたんで、もうしょうがないなと思って、何て言うのかなという時に、やむを得ないんですよ、絶対に。私はやむを得ないと思うんで、批判をしたようではないんです。
ですが、そこで転移が起きるわけですよ。生後あなたは何でそれがやりたいの?という母親的な転移が起きるわけですよ。私は起きると思う。それは、その文脈ではそんなことは問題にしなくったって、起きてることはしょうがない。起きちゃうんだから。
だから、そういう母親転移が起きるということは、私にとって母親転移が起きるということは、そのアトピー的な関係というものを再現させてしまうんだから、そこを突っ込んで聞くのは構わないんですよ。全然いいんですが、なんで喉が枯れてきたんだろう?これなんかある気がする。
そこを突っ込んで聞くのはいいんですが、言語化という、それは流派によって言語化って言うんでしょうね。でも、無意識にあるものを言葉に直すというのは変形ですから、この変形がかかってしまうと、あらぬ私が4歳児とかになりかねないというところがあるわけですよ。
これは事実として僕はあると思う。だけど、そんなことは知りませんと言われれば、ご存じないわけだから、しゃあない。が、なんて言えばいいのかな。私はそれを全部意識してやるから、大丈夫なんですよ。全然。これをなんつーのかな、相手は専門家なんだからっていう。相手は専門家なんですよ。間違いないです。私は専門家ではない。それもその通りです。
けれども、専門家とは難しいね。本当に難しい。私はとにかくしょうがないから、本当にしょうがないから、ギリギリ言語化しようと、そこまで言うならしようということで、ミイラがミイラ鳥になるからですっていう。てか、ミイラはミイラ鳥になりたいんです。つまり私はミイラなんです。
ここで、少なくともここで間はいるよねっていう感じが僕はするんですね。でもここで間髪入れず、そこをもう一言っていう風に問われてみると、いやここをもう一言言っちゃうとむしろ対抗が止まるんだけど、それを承知の上で対抗を止めてでも、ここから分かる言語に戻しちゃう。
しかもこっちは決してミイラだということを喜んで言ってるわけではないんだが、ミイラっていうのはどういう意味だと思うんだろうっていう、もう一言いるんだろうかっていうことを考えて、いやもう言いたくねえなっていう言葉が出るわけですよね。
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これはやりにくくなるだろうなってやっぱ思うんですよ。初回でね。時間短いし。言いたくねえなって言ってるのはもちろん僕が対抗してるからであって、子供っぽいじゃないですか。言葉の使い方が完全に。
でもこれはやっぱり母親転移が起きたから言いたくねえなっていう母親に言うべき言葉が出ちゃうわけですよね。でもそれは出るようにしたとは言いませんが、出るような流れになったよねっていう、それは精神力動的な世界でしか通じないことなんですよ、現代ではね。
精神力動的な世界でしか通じないことかもしれないが、精神力動というのは、こういう精神力動そっくりのことをやるときに、精神分析でいいですけれども、ごく初期的な話じゃない、初歩的な話なんですよ。対抗などというのは。自我対抗でもいいですけど、対抗というのはごく初歩的な話で、無意識ってのはさすがにどんなセッションでも関係ないとは思わないんですけどね、私はね。いやわかんない。
無意識なんてこの世にはないのかもしれない、ある流派にとっては。でも私は、いや無意識はあると思うし、つまり意識できない意識領域って絶対あると思うし、自我も対抗するし、転移は起きると思うんですね。
そう聞こえうる部分もあるってことよ。相手がそう言ったわけじゃないですよ。
そしたら、いやだってさ、あなたのせいでさ、いろいろと、なんかほら、すねてる子供みたいじゃないですか、せいでさ、肌かきまくったり、変な飲み物飲んだりしてきたわけだから、だからここからの自分の大変さから脱却するという上で、しかもそれが仕事にもなるし、役に立ってくれるっていう人もいらっしゃるという仕事ね。
いいじゃないですかっていう、こういう説明をしたくないわけですよ。したくならない。今の説明は嘘だから。もちろんそれは嘘ではない。事実なんだが、私の実感が全くこもってない。
それに私はすでに4歳児体育をしているので、このような言語活動をすると、せっかくこの子の言い分なんですよ。なぜサンチュアリブやってるのかという問いは。だから53歳の私の言い分ではないわけ。
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私の53歳の言い分はもっとちょっと違うところにもあるし、なぜっていうその問いのニュアンスと立て方と流れは4歳の私に効いてる。精神力動的には。ならば4歳の私が答えないと嘘になってしまう。釈放の場ならいいですよ、別に。釈放の場であるならば、もっとお気の利いたことを喋るし、釈放なんだから。
いわゆる本音中の本音を出すことはないでしょう。しかしワンオンセッションしているときには、私の考えですよ。私の考えでは本当は本音を言うべきであると思うんですよね。ここで嘘をつくと意味のないやり取りになってしまうと私は思うんですよ。
だけど本音というものは4歳児が持ってたりするんですよ、その人の中のね。それはしょうがないんですよ。4歳児が持っている本音を元に動いていることは確実なことの一つなんだから全部ではないですよ。
でもこの際その流れが起きてその流れがセットされたときに問われたのはもう4歳児であって本音は私の心の中ではその本音は4歳児が発するべきものなんですよ。これを逆転移と言うべきだと私、転移逆転移の関係だと思うんですよね。
そしたらその本音を出すのは嘘をつきたくなければ少しでもつきたくなければ53歳に答えさせちゃ駄目なんですよ。4歳児が答える。すると限界ギリギリが4歳児は言葉能力の巧みじゃないんで、ついこの間聞きかじってきたようなことを使うしかなくて。
いやミイラがミイラ鳥になるためなんだと。でここでやっぱ間はいるよね。ちょっと冷静になれば4歳児もそうかもしれないが4歳児と5歳児と8歳児と10歳児と20歳と53歳の総合的な本音を聞きたいってならそれはそれでわかるんですよね。
ここで間髪入らずにさらなる言語化というやつを求められてもそれは嘘をつくか4歳児じゃないところに本音がまあそれはやっぱ嘘だなということにするかということになってしまう。
でここに至ってですねやっぱりまあ読んでないか読んでるかなんてどっちでもいいことですし私にわかることではないんだがしかし私は少なくともCBTであれそれこそブリーフセラピーであれコーチングでありあれ重要な本は原著も含めて
まあごくごくギリギリ最低読んだとはそれぐらいのことだって言っていい段階でも10冊ずつは読んでます絶対に例えばCBTだってエリスの本も読んでるしハバデリスねABC両方のヤンクの本も読んでますし読んではいるんですよ別に知ってるとは言いませんけど専門的な知識があるとも思いませんけれども
だからそのなんていうのかなまあウィニコットぐらい読もうよって読んでるかもしれないからねわかんないんだけどこれウィニコット読んでたらここでって思わなくはないけれどもしょうがないかもしれないやっぱり流儀としてそういうものだから流儀としてそういうものだと言うならばそれは別に成功失敗の問題じゃないからやり方の問題だからただ私はなんかこうぐちゃぐちゃになっていくって感じを持っちゃう
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だから定義的失望みたいなものがあったということですよねそれは失望とは違います定義があったからねやっぱ母に私は失望してますからねそれはありますからね今の母にはないですよもちろんね別に今の母はなんとかして認知症ここまで進行すると急速に進行するとは思わなかったので
しかも父にどれほど言っても全く母の行き先を考えようという気が全くないのか考えてるんだけどでもあの人考えてない気がするんだよな自分の精密検査だと速攻いくしねもう本当にそろそろいてもたってもいられなくなってきたんですけどとはいえうちはねもう一人ね兄弟が今度は新しい
あのところに入るとかなんとか言うので手が回らなくなってきてるんですよねこれやっぱ5080問題の恐ろしさですよねというわけで別に今の母に失望とか云々とかそれよりも何よりも考えてやらなきゃいけないことが山のようにあるなって感じで困ってるわけですがいや困りますよねこれね本当に
なかなかケアマネさんはね忙しすぎて電話もつながらないですよまあで会社にいるから人口20万近いしだからなぁないんでしかもそこには老人がとってもいいんでシャレにならないなぜこんな話になってしまったのだろうだからとにかくお母さんいてねというのは非常に重大な問題を含み得るということなんです
子供がやっぱり自分が何かをしている小学2、3年生でうちの子もそうだったけどその時に例えば料理しているとかなんかこう友達と遊んでる時にお母さんを書く特に料理とかの時はお母さんが見ているシーンを書くというのはあれはとても重要な意味があると思うんですよ
私もこう繰り返し繰り返しこの変形性対象は無理にしてもでも変形性対象からいわゆるママ母みたいなところまでのこの感じだから変形性対象は変形してママ母みたいになっちゃうけど感じを全部こう自分の対象関係の中でいちいちこう位置づけてだいたい全部気持ち悪いんですけど父親のせいなんですけど
でも気持ちの悪さなどというものを強引に強引にやるのは良くないかもしれないけどある種の強引さはどうしても自己分析で出ちゃうんですよね強引に突き抜けていくとそこで私の欲求不満というものは全部は全然解消できないですよ重大な欲求不満はそのまんま残ってますそのまんま残ってないなさすがになでも大きな力を遺伝として発揮してます
42:01
この辺がやっぱりね自分でも喋ってて非常にある種残念なんだけどでもやっぱ分かってないんですよね分かったのにって思っちゃうんですけれども私の話ねだからそのなんていうのかな
やっぱり僕その3ヶ月チャレンジというところを通じて3ヶ月チャレンジは間違いなくブラッシュアップされてますし
私もすごくこうこれもね良くない言い方です教えられるっていう言い方は良くない言い方なのとは思うんですよね
理解が進む方はまだしもなんですよねでもおかげで理解が進んだことを教えられるって言い方するじゃないですかなんか謙虚を装ったようなそういうレベルのなんか難しいんですよねこの辺もね
言うならこれは母親との関係を洗い出されるっていうことに限りなく近くて当時私がどういうことを感じていたかということを幻覚的にではなくここも大変ややこしいんですけど
私の場合幻覚的な部分が身体障害的に出てくるんですよ文字通りのだから本当にこうなんていうのかな
滞ると言ったらいいんでしょうかねそこの部分がこう死んでしまうと言ったらいいんでしょうか
それは心の心がこうなんていうのかな死んでいくのを体が大体的に引き受けてしまうっていうのが私にはその症状が非常に出がちなんですよね
だからピリッと痛むとかピキッと言うとかそういうことも含めると本当にもうキリがないぐらいあって本当にこれがですね
いちいち思い出す気思い出す意識化言語化とかそういう言い方をしちゃうんですけど
それは結果であって身体感覚とともに関連臓器が出てきちゃうのであって思い出したから症状が消えるとかいう
あの最早期の頃の一番最初にフロイトが言ったわけじゃないんですけど
あんな方が勝手に言ったんですけど煙突掃除両方じゃないんですよねやっぱりね僕の感じでは
煙突の詰まりを取ることによってそれを言語化するとすっきりして治るみたいなそういうことでは全くないんですよ
そんな風にならないですよやっぱり母の無責任ぶりも無責任だったタイミングだけを捉えていると相当ひどいもんなんで
思い出したらすっきりするぜなんてことが起きないわけですよ
しかもそのある種のゾマティックを併用してやってるわけじゃ僕はないので
手のここの部分をツボを押しているとかやってるわけじゃないので
身体感覚というのは実は身体感覚でも何でもないので難しいですね
45:09
言葉が該当する言葉がないわけではないがミイラ鳥がミイラになるぐらいしか言えることがない
あれだって松木国寛さんの言葉だって僕の言葉じゃないけれど
なかなかいいよねこの言葉対象の影という言葉もなかなかいいです
ブラスの本のタイトルですねこれはもちろんフロイトの言葉ですけどね対象の影が落ちる
これらの人たちは天才的なんでねついでにもはや関係ない話になりますが
本当関係ない話をいきなりして申し訳ないんですけど45分経ってるし
ハンスショーレーってあるじゃないですか僕あれすっごい重要でロイドって頭いいなって思いますね
ハンスショーレーっていうのは馬が怖いんですよね馬怖いですよ
うちの偽実家のお父さんがですねうちの娘と一緒に牧場行ってエサやってたら
ガブって噛まれて手に穴空いちゃったんですよ馬怖いっすよ何が言いたいか
つまり動物って怖いんですよオスは怖いんですよ噛んだのはオメスかもしれないけど
だからバンバンとかで吠えられてちっちゃい子供がめちゃくちゃ恐怖するじゃないですか
しかしゼロサイズ恐怖しないですよねこれはどういうことなのか
そこに父親を見たっていうこれだからアルファオス
自分より上位のオスというのがどんだけ怖いかという怖いんですよ
今平和な世の中だからよくわかんなくなってるんだけれども
やっぱり私1980年代ですけども野犬に追われてお尻がぶされるみたいなあれ怖いですよ
日本地編成とかには非常にめっちゃでかいですからねドーベルマンとか
でなんでドーベルマン飼ってんだよって気がするんだけど
そのやっぱり顔の怖さがものすごくいかつい時の親父の顔であるみたいな感じ
こういうことによってハンス少年みたいなのが出てくるわけですよね
だからやっぱりハンス少年ぐらいはワンワンセッション深くやる人は読もうよみたいに
いやハンス少年はどうするんだって言われると確かにその通りで困るんですけれども
こういうことがあるからこそミイラトリがミイラになるっていうところで
魔が欲しくなるっていう感じどんだけ怖いかってことが
この場合の私は怖かったというのもちょっと違うんですけれども
こう見え方によって迫力が違うわけですよね
ドーベルマンは私今だってドーベルマンは怖いけど
お妻子が見てしかも周りに誰もいないとなって
もうなんかすでにやばいんじゃないって感じがするでしょ
この感じの非常に強い形はしかし親に教わってるんだっていうことなんですよね
だって5歳児は怖がるけど親じゃないかもしれないけど経験が教えてくれてるわけですよね
48:01
5歳児は怖がるけれどもゼロ歳児は怖がれないですよね
もちろんゼロ歳児だったら安全だってことは全くないですが
でもゼロ歳児は怖がること自体できないですよね
やっぱりそれは学んだことなんですよね犬が怖いってのは
この学ぶということの中には当然経験しかないわけですから
経験というものがその人をやっぱり対象関係の中で
いろいろプレッシャーかけたり圧かけたり抑導させたりするわけですよね
このことを特に対象関係におけるインパクトについて
面白い話なくなってきたなインパクトについて
しかしなるべく多くを知っておきましょうと
私今度その心理カウンセリングの受け方みたいな話を
どっかでしたいなというか書きたいなというか
そういう変な願望を持ってるんですけど
ここでやっぱりリテラシーは高いほど良い
よくそれは日本の残念な状況だって言われるんですけど
世界中どこでも同じだと思いますね
リテラシーは高いほど良いと思いますね
特に精神力動系のリテラシーは受ける人には
私は欠かせないと言ってはいけないんでしょうけど
あった方があればあった方がいいんじゃないだろうかと
それを持ってって
それを話の中に持ち込んでもしょうがないんですけど
知っとくのがいいと思うんですよね
知っとくのが
いやこれは私の思うにエディプスなんとかですとか
言う必要は全然ないと思うんですよ
それを言ったところで
果たしてセッションが良くなるかどうかは
よく分かんないことだと思うんで
最近はね
昔はそれをお互いが使っていけばいいんだと
単純に思ってたんですけど
それはあたかもそうだな
床屋さんに来て
あのハサミいいですよねってお互い喋ってたからって
カットを綺麗にやってくれるのかっていうのに
ちょっと似てるところが
似てないけど似てるところがなくもないなと
その言葉を使う使わないは
どっちでもいいと思うんだけど
知っとく知っとかないは
どっちでも良くないと思いますね
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