1. 人生相談のための精神分析的ラジオ
  2. 精神分析マニアのコラボ会【11..
2025-03-05 57:38

精神分析マニアのコラボ会【1150】

3月15日(土)のセミナーにも登壇していただく荒井さんとの二度目のコラボ会です!

https://peatix.com/event/4302608/view
「なぜ5分でできる自分のケアすら先送りにしてしまうのか」について、心の専門家に尋ねる3時間のセミナー【動画配信あり】
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stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/658790a07376b3f9361fc70f

サマリー

このエピソードでは、精神分析の魅力や実践、セミナーの詳細について新井さんと深く掘り下げています。精神分析的心理療法の現状や一般の人々との関わりに関する意見交換も行われており、貴重な内容です。精神分析療法を通じて、内面的な自己理解が深まる過程が描かれ、体験談を交えながら夫婦間のコミュニケーションや感情の捉え方に焦点を当て、自己改善への挑戦が示されています。さまざまな視点や体験が語られ、特に身体化や先送りの問題が議論されます。精神分析が心の平穏に与える影響やライフハックとしての対処法についての考察も含まれています。感情の複雑さと人間関係の影響についても考察されており、日常生活における非日常的な問題を掘り下げ、ストレスと心因との関連を明らかにしています。また、カウンセリングの過程を通じてHSPの影響や幼少期の家庭環境の重要性について議論されました。

新井さんの再登場
人生相談のための精神分析的ラジオ【第1150回】をお送りします。
3月5日水曜日の20時23分です。
今回は、前回も登場していただいたゲストに新井さんをお招きしてのコラボ会となります。新井さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。新井と申します。
ありがとうございます。
新井さん2度目の登場ということで、この1200回近いこのポッドキャストに2度登場されるゲストの方は新井さんが初めて。
1度だって滅多にないけど、2度目は初めてということになっております。
かなり嬉しいです。
ありがとうございます。それはありがとうございます。
まもなく10日後に迫った、前哨戦というわけではないんですけど、
なぜ5分でできる自分のケアすら先送りしてしまうのかについて心の専門家に尋ねる3時間のセミナー。
3月15日の18時から渋谷にて、現地では渋谷にて、オンラインでも配信はしますけどね。
開催されるセミナーに、カナエ団として登壇していただく新井さんと私とで、カナエ団ではないんですけどね。
セミナーの魅力
今日は2人で何の話をしたらいいでしょうかね。
そうですね。
ちょっとゆくゆくは中身的な話もしていこうと思ってるんですけども、
その前に思ったこととして、今大変盛況と言いますか、
はい、非常にお陰様で、これはほとんど100%新井さんのお陰なんですが、
全くそんなことはないです。
すごい良かったなって思いましたね。
いや、ちょっとびっくりしておりますところですね。
僕としては非常にこんなに違うものなんだぐらいな感じを抱いて、
あと10日ある状況で、すでに会場は残り1名という、
もう会場変えられないんでね、ここはもうあと1名様で押していくしかないんですけれどもね。
これ聞いて埋まるんじゃないかと僕は思っておりますが。
動画枠みたいなのっていうのは上限あるんですか?
一応形式上上限設けないっていう選択ができないから設けてはおりますが、
別に動画枠とかは1000とかにしても全然大丈夫なんで、
動画枠およびオンライン枠は上限は設けません。
実質的には設けません。
いっぱいになったら増やしますんで問題ないですね。
さすがにいっぱいはならないなって感じはしてますけどね。
なんか私この回がすごい面白いなって思うのは、
いわゆる精神分析の話のすごくガチなバージョンと言いますか、
世の中に動画が出てたり本が出てたりしてると思うんですけども、
それはこういうセミナーサイズになって、
一般の人も大変ウェルカムな感じで開催されるって結構レアなんじゃないかと思いまして。
そうですね、そうかもしれない。
少なくともよく見かけるものではないですね。
探し込まないと多分ヒットしないでしょうね。
それはそういうふうに思いますね。
ヒットするとしてもね。
私のポッドキャストを聞き始めた時も、
やっぱり他に全然聞いたこともなかったんですよ。
精神分析をやってる方っていうのが。
それこそ分析家の方とかはそんなにやってないですよね。
そんなにやってないですね。そもそも多くないですしね。
あと精神分析の人はそもそも多くないだけでなく、
最近年齢が僕よりは下かもしれないけど結構僕付近にあって、
ポッドキャストを配信しようという発想はあんまり持ってらっしゃらないかもしれないというのがありますね。
あとはあまりにも精神分析家って本業としてやられてる方が少なすぎて、
多分めちゃくちゃ忙しい可能性があって、
こんなことを無料でやってるという気にならないと思うんですよね。
そんな暇あったら寝てたいぐらいなノリだと思わなくはないですね。
それが正崎さんのポッドキャストをどんどん聞いていくっていうのも一つの手だとは思いますけど、
こうして3時間のパッケージになってるってなると、
来てもらったらいいんじゃないかなと思いますよね。
ぜひそれはぜひ聞いていただけると、
世の中にはこんな世界もあるんだというふうに思っていただけるかもしれない。
僕ちょっとその第1回、前回の佐々木さんのゲストに呼んでいただいた時の流れでしゃべっちゃったんで、
精神分析の認識
自己紹介的なことをすっかり忘れていたんですけど。
差し支えのない範囲でお願いします。
今日もですね、当日も佐々木さんのポッドキャストリスナーの代表であり、
代表として参加したいということと、
あとそれから自分自身もですね、精神分析的心理療法というのを、
週4とか週5じゃなくて、週1のやつを2年ほど受けていますので、
そういう体験者として何か専門家の山崎さんがいて、
佐々木さんは専門家?
でも僕からすると専門家なんですよね。
いやいや、専門じゃないから。
難しい。
それを来た人寄りの視点で聞いていくみたいなことができたらと思っています。
それはもう、そういう方法というのか、そういうアプローチがそもそもなかなか難しいので、
そもそもだってですね、精神分析的心理療法と今この名称も非常に曰くつきな名称ではあるけれども、
これを受けている人だって、もちろん精神分析を受けている人に比べればだいぶ多いんですけど、
そうは言っても多くはないでしょうからね。
山崎さんも精神分析的心理療法科でもいらっしゃるんですけど、
あえてこの名称を語らなければならないというようなことだって、
世の中にはあまり知られていることじゃないだろうなとは思いますし、
そういう意味ではなかなかレアな回なんですよね、この回はね。
精神分析的心理療法科と、それを受けていらっしゃる方と、
精神分析に過剰にのめり込んでいる人間で、
それはビジネス著作家をやってもいいという、
そういうノリで、そういう手入れですね、やる回。
で、何を喋ったらいいのかってことですよね。
ちなみに僕は山崎さんの分析を受けているわけではないということですね。
そうですね。
何を聞いていきましょうかね。
これを聞きに来る方は、ある程度カウンセリング全般の話を聞きたいとかですね、
認知行動療法の話をがっつり聞きたいっていうよりかは、
なんかもういつもの精神分析の話が始まるのかなっていう感じで来るんじゃないかと思ってるんですけどね。
まあ、僕多分なんですけど、
私はもちろん認知行動療法は全然、今のも特に、
2000何年以降かな、第三世代とか言われることもあったり、
ACTと言われることもあったりする、あの辺も全然わからない世界だし、
それについて突っ込んで話をするとは無理だし、
今のお話からして新井さんも、
興味の中心がそこにはないってことは確かだと思うんですよね。
山崎さんも、なるべく幅広くっていう活動をされていらっしゃる、
そこもちょっとレアなんですけど、
でもご自身は間違いなく精神分析、精神力道の、
そういう方面の人ですし、
実際、支持されている藤山直樹さんは精神分析家でいらっしゃいますからね。
だから精神分析に大いによるというか、
ほぼその話しか出ないと言っても、
言い過ぎではないぐらいの、そういうセミナーにはなると思います。
セミナーなのか、それっていうのはありますけどね。
今日か昨日か最近のポッドキャストで、
精神分析の話を自分ごととして読んでなかったみたいな話があったじゃないですか。
あれ不思議だったんだけど、確かにそうだったなって、
後から思うと確実にそうだったなって。
なんかこれってすごい起きてる気がしまして、
もちろんですね、そういう専門書的なものに関してもあると思うんですけど、
もっと言うと、私たちって高校の倫理の授業で、
フロイトが無意識読みつくみたいな、
ジガー、超ジガーみたいな、
ヨングガーっていう話出てくるじゃないですか。
で、例えばですけど、インターネットとかで調べると、
抑圧とか出てきたりするじゃないですか。
っていう理論のようなものと、
実際の精神分析、あるいは的心理療法の中で起きてるものと、
なんて言うんですかね、
どういうことを期待して精神分析が好きになっていくのかみたいなのが、
それぞれみんなずれてるような気がするんですよ。
みんな一体どうなのかが想像もつかないっていうのが本当のところですね。
精神分析って言葉と、今出たフロイトとヨングという名前を知らない人って、
ほぼいないと思うんですよ。
人文系の大卒出ていて、
いやフロイトって聞いたことないですって、
多分ほとんど皆無に近いんじゃないかと思うんですよね。
一方で、そんなに有名だけどフロイトって、さっき倫理っておっしゃってましたけど、
フロイトがちゃんと出てくる科目って何なんだって考えると、
心理学には出てくる気はするんですけど、
いやまあでもどうなんだろうなっていう感じになっちゃう。
このビッグネームぶりとその実体の知られてなさと、
実体を知るにはそもそもどうしたらいいのかといった話と、
もうなんかこう、
なんつうんですかね、
この辺のところをなんとなく漠然と山崎さんに、
過去2回のイベントでも聞いてみたんだけど、
いまいちなんかこう、噛み合ったところに行かないんですよね、そもそも話がね。
ただこれだけは言えると僕は思ってるんですけど、
多くの人、どのくらいとかは分からないですけど、
少なからの人は精神分析というものをそもそも心理カウンセリングだと思ってないだろうなっていう気すらします。
絶対そう。
精神分析って心理カウンセリングなんですけれども、
それ以外の何者でもないんだけど、
多分精神分析ってなんかこう、
なんだというふうに思われてる気がしないですね。
僕、その、なんて言うんですか、
友達とか、
友達には一人言ってるんですけど、
同僚とかには言ってないんですよ。
別に今メンタルがすごく辛いとか仕事休んでるとかではないんで、
普通に仕事行ってるんで、
ここで精神分析受けてるみたいなことを言うと、
なんて言うんですかね、
心の人間ドッグ受けてるみたいな、
あるいはその、
あらい君精神病なの?みたいな、
全くあらぬ方向に話をするので、
でもかといってそれを、
いやいやこういうものがありましてって言うと、
なんか今度はすっぴ系として認定されそうな気もして、
そうなんですよね。
非常に肩身が狭いんですよね。
肩身が狭いというか、
精神分析ってなんだと思われてるのかがそもそも、
そもそもさっきのあらいさんの話と同じですけど、
想像がつきにくいんだよねっていう、
だからあれ、
まず精神病の人が受けに行くって発想が、
今のようになるんですけど、
でも一方で精神病の人って精神科に行くじゃないですか。
これも多分日本では、
もしかすると結構曖昧に認識されてるかもですけど、
精神科と精神分析って、
はっきり言って全然違うじゃないですか。
全く異なる、
精神分析やる人は医者じゃないですしね。
じゃあ一体あれは何をやってるんだっていうか、
そもそもそこはどこにあるんだみたいな、
そういう、それこそスピ系、
だから一本は違うと知る人ぞ知る、
ある種の占いの世界みたいな、
それとも全く違うんだけど、
精神分析の効果
つまりよくわからない何かになってしまうんですよね。
なんかその、
そうですね、ちょっと語弊がないように言うと、
スピ系が悪いみたいな話ではないんですけれども、
なんて言うんですかね、
つまり僕が精神分析受けてる時に起きてることっていうのは、
一生懸命自分が今まで考えてなかったけど、
本当はこういうことを考えてたかもしれないな、
みたいなことを考えていくっていう。
今のは的確感がありまして、
的確感っておかしいけど。
なんかそういう時間なわけなんですよね。
だから、
全部のスピ系がそうではないと思うんですけれども、
なんか答えとかですね、
つまり答えは外にあるじゃないですか、ある程度。
スピリチュアルって。
スピリチュアルに限らず、
現代の世界における答えとは外にあるものですよね。
そうですね、確かに。
そうですね、ほとんど多くのものは外にあると思うんですけど、
でもやっぱり今自分がやってることって、
外にはないわけですね。
で、ちょっと印象的だったのは、
今週の月曜日だから、つい一昨日なんですけど、
妻と喧嘩した話をしたんですよ。
で、僕自身はですね、大変反省してるところもあって、
どちらかというと、
こういうことがあったんだけど、
これこれこういう、
何でしょうね、
課題感を自分としては持ってて、
改善したいという気持ちと、
でもなかなかそれが難しいという気持ちがあるんですよね、
みたいなことを話してたんですよ。
精神分析的心理療法のところでですね。
夫婦間の課題
そういうことです。
で、その時にですね、
やっぱその分析家が言ったのが、
でもなんかそういう場になったら、
なんかその、
それは起こりますよね、みたいなことを言ったんですよ。
これもちょっとニュアンス伝わるかな。
つまり、私の怒りは最もだっていう話をしたんですよね。
つまり、そこで言ってることっていうのは、
私が怒りましたから、
いやもう私が怒ったっていうのはとりあえずどうでもいいから、
今後解決するためにはどうしようかっていう、
ここについ僕は考えちゃうんですけど、
そうじゃなくて、
やっぱり僕が怒るということには、
もっと十分時間をかけて、
感じたり考えたりした方がいいんじゃないか、みたいな。
そうは言わないんですけどね。
そういう時間って感じですかね。
今のはニュアンスが伝わらないかなと新井さんがおっしゃったんで、
もうちょっと補足、補足じゃないんだけど、
僕なりに言いたしますと、
前へ進まないんですよね。
前へ進まないわけじゃないんだけど、
同じところをなぞるって感じがすごい続く雰囲気があって、
とにかく普通の一歩があるとすると、
今の世の中における一歩があるとすると、
一歩進むところで立ち止まって、
元の場所に戻ってみて、
っていうことをやる世界って感じがするんですよね。
前へ進まないわけじゃないんだけど、
できるだけ進まずに頑張るみたいな、
それは感じ方の一つでしかないと思うんですけれども、
今のお話でもやっぱりサッと行ってしまうところを、
サッとはいかないみたいな、そういうことをやる。
何かの拘束になった気がしないんですけど、
印象としては常にそういう印象をもたらされましたね、私も。
新井さんとは違うところで私も受けてみたことがあるんですけれども、
ほぼ全く同じ、ジャンルとしては同じ。
たぶんお話を伺っていると全然違う感じがするんだけど、
ジャンルはよく似たものを僕も受けましたね。
やっぱり最初はある種のもどかしさみたいなものもありますよね、当然。
じれったさとかね。
そうですね。やっぱり自分としては、
例えば今回の話で言ったら、
自分に落ち度があって改善しなきゃいけないのは
自明で、改善したいんだけど難しい、そこをどうするか
みたいな思考でやっていくわけなんですけども、
やっぱり精神分析的心理療法の中で起きる出来事っていうのは、
そこをそんなにあっさり流しちゃっていいのか、みたいな。
そういう問いかけなんですよね。
戻される感じがするんですよね。
このように言うと、
じゃあ十分に検討した後に、
次どうするかの話になるのかな、
時間がゆっくり進むのかなって思われるかもしれないんですけど、
これがそうとも限らない。
これはちょっと一個聞いてみたいことかもしれないですね。
山崎さんに聞いてみたいことだとしてですね、
だからといって彼がまた答えてくれるかどうかは別なんだけれども、
そうやって新井さんがそれなりに長く続けていらっしゃるわけじゃないですか。
結果としてそんなに長くやりたいものになってるっていうのは、
心と体の関係
これは何度も何度も話題にしてるんですけど、どうしてなんですかね。
これは難しい問いですよね。
これっていかにでも言うことはできると思うんですよ、本当に。
例えばですね、
佐々木さんには全然響かないけど、聞いてる人には響くのかなっていう話で言いますと、
やっぱり僕は精神分析受けてから収入は上がってますね。
なるほど。
でもそれは響く響かないは別として大変面白いなと思いました。
なるほどね。
でもこれは別に収入上げるために受けてるわけじゃないですよ。
これは今、何ていうか、わざと悪い人みたいに言ってるだけ。
そんな風にも聞こえなかったけど。
例えばですけど、僕は精神分析受けるようになってから、
寝る薬飲んでるんですよね、睡眠導入剤というものですけど、
飲む量はやっぱりすごく減りましたね。
すごいよな、本当にそれは何て言うんだろう。
何度聞いても、僕の中でまだなぜなのかはわからないままなんですよね。
そういうことは起こりうるとはもう、
ほぼ100%起こりうるだろうなとは思うんですよ。
でもなぜなのかって考えると、なぜなのかは相変らずよくわかってない。
またそれも新井さんと同じで、以下用にも言えるんですけど、
ただ言ってるだけみたいになっちゃうと言いますかね。
そうなんですよね。
例えば頭痛薬も、3年、2年くらい前までは年間に360回くらいは飲んでたんですけど、
ほとんど毎日ですね。
ほとんど毎日飲んでましたね。
けど、もう今、ほんと飲んでないんですね。
すごいよな。それも分析受けて以来?
でもね、これやっぱりわからないですよね。
何が原因なのかって本当に。
だって別に、確かに眠れないっていう話とか、頭痛いっていう話とか、
例えばですけど、自分の怒りっていうものをテーマにする回もあるんで、
それらが効いたのかもしれないとか、
仕事の人間関係を話すこともあるんで、それが効いたのかもしれないとか、
言いようはいくらでもあるんですけど。
想像するにそれらに対する何らかの、
的確な何かが答えられたことはおそらくないですよね。
ないですね。難しいですよね、非常に。
ただやっぱり一つ言えるのは、僕もともとライブハック大好きみたいな存在だったんで、
まずカウンセリングそのものにすごい懐疑的だったんですよ。
当然そうですよね。
自分の気持ちを何か話したり、あるいは分かってもらったりすることによって、
状況は改善してないわけだから、
その時間を使って状況を改善させるべきでは、みたいな思考だったんですよね。
それはもう至って現代的にはむしろ適切だと思いますよね。
そうですよね。
やっぱりこれは自分の業界のせいかもわからないんですけども、
IT業界にいるんですが、仕組みで解決みたいなのがすごい好きなんですよ、私の周りの人って。
じゃなきゃそこにいられない気もしますね。
ですけど、やっぱり精神分析の中では全くそうじゃない考え方をずっとするんで、
なんて言ったらいいんですかね。
これもやっぱり予想行きの言葉になっちゃうんですけど、
普段使わない考え方の筋肉のようなものが鍛えられるという感じはします。
難しいですね、それ。
そうですね。少なくとも仕組みはないし、仕組みがないってわけじゃないんだけど、
仕組みで解決はしない。そもそも解決はしないですもんね、あれはね。
そういう意味ですと佐々木さんも、
佐々木さんの3カ月チャレンジの中で、分析をしているわけではないけど、積極的に参照してるじゃないですか。
基本姿勢として積極的に参照するということだけですからね。
そこはやっぱり多分、僕と同じで違う角度からだけど、
精神分析的なものに何か効果のようなものを感じてるってことなんですかね。
いやもうそれは、これ以上効果を感じるものは実質ほぼないという時ぐらいなので、
僕にしてみるとですよね、僕にしてみると。
僕はだって結局、30年来苦しんだアトピーは、
直接治る契機にはどちらかというといわゆる自己啓発で、倉園圭造さんとお話しする中で、
割とそれは怪しさいっぱいになってしまいますけど、ピタリと治った。口でして。
このピタリと治ったが癖もので、怖くなるんで、また治るんじゃないのかって思いますよね。
こういう治り方だった。だから私は、なぜ治ったのかを知りたかったんですよね。
倉園さんのグッドバイブスというような自己啓発では治ったんだけど、
私はそこで不安に駆られるようになって、なぜ治ったのかを教えてくれたのは、僕からすると精神分析なんですよね。
何も教えちゃくないんだけどね。
でも僕が自分で一番納得のいくことが書いてあったのは、分析の本の中なんですよね。
そういうものですね。僕にとって精神分析という。
あとやっぱり妻との関係も、これやっぱりアトピーに比べると一筋縄ではいかなくて、
阿良さんさっき喧嘩されたっておっしゃいましたけど、僕も未だに喧嘩しちゃうんですけど、
グッドバイブスみたいな世界だと、喧嘩とかしなくなりそうなもんなんだけど、
仲は良くなるけど、喧嘩しなくなんかならないんですよ、僕なんかは。減りはしましたけどね。
だからこれはピタリとってわけにいかなかったんですよね。
それは阿良さんと同じで、やっぱり僕からしても、阿良さんと全く同じじゃないけど、
僕からしても、僕に問題があり、妻にないとは言いませんが、僕に問題があり、
なんとかしたいというふうに僕は考えてしまう。
この発想そのものにそもそも問題があるというか、問題はないんだけど、
この発想そのものにも、やっぱり分け入っていかなければいけないということは、
僕はやっぱり精神分析で理解しました。
精神分析とは本当に僕にとってはそういうものなんですよね。
僕、アトピーがそうだったように心身症にハマりやすい人間なんですよね。
ライフハックが大好きというよりは、僕はどっちかというとこっちの方が問題で、
心の状態を体に反映させがち、あるいは心の状態をすぐ行動化、
つまり行動化とか身体化をすぐやりがち。
僕にとってライフハックというのは、つまり行動化の一種だったんですけれども、
身体化と精神分析の影響
すごい専門的な話に突っ張られちゃってますけど、
そのような人間としてやっていたライフハックみたいなこと、
ライフハックみたいなことなんだけど、
これを僕は気がつくとやめていたんですよね。
特に身体化の方。
それはもう本当に分析がなければ、
多分まだ病んでなかっただろうなという感じがします。
いつしか、本当に最近ですよ。
つい最近まで新井さんに私は身体化の話をしていた気がするんですよ。
それぐらい最近まで身体化という問題から抜け出せてなかったんだけど、
気がつくと止まってるんですよね。
これはもう本当に多分分析に目を向け続けている結果としか言いようがなくて、
もちろんそれこそいろいろな言い方はできるんだけど、
でもこうして止めましたみたいなことはない。
僕の中には。一個もないんですよね。
無理やり言うと美音読んでいるうちに止まりましたっていう、そういうことになってしまう。
でも僕の中でこの一番正しい実感としてあるのは、
美音読んでいるうちに止まりました。
やっぱり美音読める人は美音読んでみましょうみたいなのが、
私の3ヶ月チャレンジですよね。
その中でさらにやりたくなったら精神分析心理療法とかは、
ぜひやってくださいという感じで、
やる金がなくなりましたって言うなら、
サンチャレの金返しますからやってくださいぐらいな感じで、
僕はちょっとどっかその辺がビジネスとして何なのか、
ちょっとスピが入っている気が自分の中ではしてます。
やっぱり僕も今、
これ公開されると思っているから相当セーブしちゃうんですけど、
それでもなお精神分析すげえよなって言っている、
謎の中学生2人みたいになっちゃいます。
それについては1個1個簡単に触れると、
先送りって僕、ムズの人には訳があるっていう、
割と古典的な本があって、
あれ言うなら精神病理学の本なんですよ。
それを言ってみれば先送りしまくるっていうのを、
精神病理の一種みたいに捉えて、
パーソナリティの何とかを何とかすればいいんだみたいな、
そういうふうにしてたんですよね。
その先送りの本っていうものを、
何て言えばいいんですかね、
認知行動療法的に解いていくっていうのが、
ライファックビジネス書でも大流行りになったんですよね。
おかげで僕も家が建てられたっていうぐらい、
先送り本を書いてヒットしたわけですけど、
やっぱりこれが解決しなかったっていうか、
解決を見出しきれなかったっていうのがすごく僕の中で、
まあ、うつうつとさせられましたよね。
本、こんなに読まれる本を書いておきながら、
解決できてる気はしてない。
だから最終的には最後に残っちゃった精神分析をやってみるしかなかったみたいなところがありますね、僕の中では。
先送りの問題
この先送りみたいな比較的そんな神経症水準だとしても、
なんてことない単位のない、接触障害と比べても全然単位のないこの問題ですら手が出せないようではどうしようもなくて、
これが精神分析で少なくとも説明がつくんだっていうだけでも僕の中では大きくて、
本当に大真面目に向き合えれば、だから冒頭の話に戻るんだけど、
自分ごととして精神分析が理解されれば、僕は先送りなんてなんとかなると思いますね。
この話に僕の中ではつながってるんですけど、
つながるかわからないまま話し始めるんですが、
今野佐々木さんのその話を聞いてて思ったのが、
精神分析受けると心に平穏が訪れるのかっていう話なんですけれども、
僕は別に平穏にはなってないんですよ。
僕というか僕のイメージしていた平穏っていうのは何があっても同時ず、
常におほゆみを浮かべていて、
仏像みたいなやつ?
でもこれは諸行無常だから仕方ないんだよみたいな感じをイメージしていたんですよ。
なるほど。
でもどっちかというと、ライフハック的な対処の方がそれに近い。
なるほど。
例えば僕が今出張が結構あるんですけど、
出張するときに割り箸をもらい忘れることがあるんで、
登山用の箸とかスプーンとかフォークを持ち歩いてるんですね。
なるほど。
非常にライフハック的だと思います。
これすると非常に平穏になるんですよ。
おほゆみを浮かべてられるわけですかね。
この漢字ってちょっとジゾイドっぽいというか、
そうね。なんだろうな。
この逆を目指してるような気がするんですよね、精神分析って。
割り箸もらい損ねちゃった。ちくしょう!みたいな。
嫌なことだったら普通に怒ればいいさ。怒ったって死にはしないみたいな。
そうですね。そういうところありますよね。
なんて言うんですかね。
精神分析以外のもので、
佐々木さんがやはりこれはどうしても対処できない、
精神分析によって解決できるものだっていう感覚。
それはまさに僕も感じるところではあるんですが、
同時に今ある悩みが全部消えて、
すごく心が平和になるみたいなものではないっていうことも非常に興味深いと感じますね。
だからその線では多分無理なんだと思うんですよね。
今ある悩みを消し去るような考え方なり行動の仕方なりなんなりっていうものでは無理なんだと思うんですよね。
今の話、今のはちょっと脅迫っぽい話が出てきたんで、
やっぱり僕はライハッカーそこに行き着くと思うんだけど、
ついでに出しちゃうんですけれども、
これ当日は絵付きで出そうと思ったんですけどね。
藤山…ん? 藤本雅瑠っていう、
村上ハルキさんと一緒に村上ラジオっていうのの冊子をつけていた漫画家さんがもう亡くなっちゃったんですけどね。
彼が描いている非常に面白い夢見心地っていう、
タイトルからしてもそういう漫画なんだけど、
名石部の漫画なんですよ。
その中で、
柔度に近い、おそらく柔度の脅迫神経症の主人公の熊みたいな、
全部動物なんで彼の登場人物は、漫画で出てくるんですけど、
飛行機の中で一生懸命、
なんていうのかな、ハンディカムの動画を見るんですよ。
で、そのハンディカムの動画に映ってるのは、
はい、この通り、灯を閉めました。
はい、この通り、ガスコンロのモド線は消しました。
というのを動画に収めてあって、
それがもうダーッとリスト化されていて、
ガスコンロ1、ガスコンロ2、ガスコンロ3で書いてあって、
非常になんていうのか、
よくできたリストにも見えるし、
非常に病的なリストにも見えるんだけれども、
で、この通り消しましたから、安心して旅をお続け。
まあ旅行に出てるわけですよ。
飛行機の上でこれを何度も見ては、
さっき新井さんがおっしゃってたように、
安心するわけですよね、彼は。
いいだろう、もう何回見てるのよ、
連れの女の人に言われるんだけど、
いいだろう、見れば安心するんだからって答えるわけですよ。
でも、しばらく経つとまた見たくなるわけですよね。
これが僕はやっぱり、
ライフハックと脅迫症ってものがすごい、
なんだかこう、近接要因になっていて、
なってるってことがちゃんと描かれてるなというのが一つ思うのですが、
彼はその飛行機の中で夢を、
うとうとし始めて夢を見始めるんですね。
その夢というのが、
小人さんがガスコンロに火をつけているという夢なんですよ。
で、その夢の中で小人さんがですね、
いい加減妄想から目を覚ませって言うんですよね。
これがね、もう僕はものすごく精神分析的だと思って、
当日もうちょっと絵付きでこのお話を出そうと思ってるんですけどね。
このアプローチを取らないと、
この種の問題は本当は解決しないと、
本当はわかんないけどね、
薬とか行動とか認知とか、解決させる方法があるのかもしれないけど、
僕はこのアプローチしか解決させる方法がないような日が、
少なくとも一番真っ当なのはこのアプローチだと思っているので、
精神分析っていうのはこれを教えてくれたんですよね。
心の平穏とライフハック
このコマに現れているものが精神分析的な何かだよなっていうのを、
僕は感じられるようになったんですよね。
これはすごく僕の中では大きくて、
このコマを精神分析的だなって思うようになってから、
車の鍵を確認しに行かなくなったんですよ。
一度も行かなくなったんですよ。
こういう感じなんですよ。
精神分析的って僕の中では。
伝わらなかったかもですが、
相当僕としては頑張ってこんな感じなんですよね。
非常に今、僕にだけ伝わっててもしょうがないけど、
僕には今非常に伝わりましたね。
よかったです。
最近、妻と喧嘩した話の流れの中で、
実は奥さんが怖いんですねみたいな話になったんですよ。
妻は怖くないんですよ。
わかります。
全く怖くない存在なんですよ、妻って。
僕の人生における登場人物の中で最も怖くない存在が妻なんですけど、
話していく中で感じたのは、
やっぱり僕が妻を無意識にというか瞬間的に怖いと感じる時っていうのはあって、
それはやっぱりですね、妻なんだけど、
その妻に母とかですね、
小学校の時の誰それとか中学校の時の誰それとか、
いついつ付き合ってた誰それとか、そういうものの嫌な感情とか、
こういうことを繰り返さないように、
俺はこういう対処をしなくては。
それを妻に適応させてしまっているんですよね。
それが今の佐々木さんの話の中の、
いい加減夢から覚めろみたいな、
それって夢ですよね、に気づく瞬間って感じがしましたね。
そうなんですよね。
今の新井さんの話でもその無意識って言葉とともに、
瞬間って言葉があって、僕もそれしかないなって思うんですよね。
無意識って捉えられないので、無意識なんで、
瞬間しか捉えられないような気がして、
多分その瞬間っていうのが短いんで、
だからそういうふうにさっと前へ行ってしまうというのが良くなくて、
踏み留まるとか立ち止まるとか、
同じようなところをぐるぐる回るっていうことをやっているうちに、
その瞬間というものがいくつかスナップされていって、
そこで何とかもしかするとなるかもみたいな、
働きかけという部分もあるんだろうなという感じがします。
瞬間っていうのはすごいわかる気がします。
瞬間が物を言うなって感じがしますね、あれは。
やっぱり変なことをしちゃう時って、
大体じっくり考えていないというか、
考えられないというか、一瞬の出来事なんですよね。
一瞬、そう一瞬ね。
そしてそれを夢を見たよねっていうことを言ってくれる人がいないと、
なんかそうは思わない時間の方が長いから、
結局素通りしてしまうんですよね。
これは病理がどうのとか、
頭のよしがしがどうのかとかでは全くない何かなので、
起こるんですよね。
こういうことは誰の耳でも当たり前だと思うんですけど、
感情の複雑さ
こういう激しくいろいろなものを現実に耕作させて理解している人間みたいなやり方をしていると、
こういうこと起きちゃうと思うんですよね。
僕さんとやり取り、やり合っている中で、
急にお母さんへの感情だったり、
急に友達への感情だったりみたいなのが、
瞬間的にエナクトされるというのか、
フラッシュされるっていうのか、
そのせいであらぬ方向に感情的に飛び火してっていう、
そういうことによって何かが作り出されるみたいな。
それを捉えきれないけど、
それについて再度言及してみることによって、
まだ安心ですかね。
ここからありきたりになるんですけどね。
観点が変わるってことですかね。
やっぱり精神分析とか的療法の中で起きる話っていうのが、
日常生活ではほぼないっていうのがポイントな気がしますよね。
最近3ヶ月チャレンジの人と相次いで言及したテーマなんだけど、
何なんですかね。
ほとんど言及している内容は日常生活のことばっかりじゃないですか。
そうですね。日常生活しか言及しないですもんね。
なんでこれは日常生活の非常に非日常的な何かなの。
ですよね、でもね。
なんていうのかな。
しっくりくる表現がなんとも難しいんですけど、
はしたないと言いますか。
それに類する言葉も出ました。
例えばですね、僕が妻に対して元彼女の影を投影してしまうみたいで、
やっぱり社会通伝と言いますか。
的になんかそのよろしくないですよね。
なるほど。影っぽさが出てきてしまうと言いますかね。
なんかね、人前でする話じゃないみたいな表現をどなたかがとってましたね。
そうですね。やっぱり親がどうのとかも、
男女みたいな部分は大丈夫だとしても、やっぱり結構話しにくくはなりますよね。
ましてそれを男女に絡め始めたりした日にはね。確かにそうですよね。
そうか、なんかこう独特のえぐみというか生臭さみたいなものがついて回り始めるから、
余計そうでなくても今やマイノリティな世界なのに余計関わりたくなさみたいなものが現れるのかもですよね。
なんかそういう話って漫画とかでも結構話が進んだりして、
主人公が危機的な状況に陥ったり、これからもう主人公負けちゃうのかなみたいな、
あるいは敵がこれからこの敵も負けるのかなみたいなタイミングの感動的な盤シーンとしてちょっと触れられるじゃないですか。
なるほど、そうですね。
感極まってるから話せることみたいな。
なるほどなー。そうだね、確かにな。
それを当たり前のような顔していつもいつも喋っているから特殊な空間になっていくんですね、たぶんね。
平常心では話せない話題なのかなって気がします。
本来はということですよね。
あの時俺は本当は寂しかったんだみたいな。
確かに。
感極まってないと難しい。
確かに。それはいいポイントだわ。
確かに。毎朝毎朝それに近いことをやってるもんな私はな。
だからいつもなんか頭が少しおかしい人間みたいになっちゃってるんだなって思うことはあるんですよね。
思うことはある。
でもそうしないと精神分析、だからなんですよ、逆に。
たぶん今のは大きなヒントがありまして、三カ月チャレンジがもし何かの役に立ってるとすると、
やっぱりそれにそれ、そっちへそっちへと促す装置だからなんだと思いますね。
精神分析について言及する、しかも臨床例があればそれもしばしば遠慮してくるということをやってると、
嫌でもそういう気分というかそういう方向に頭が向かうようになっていくはずなので、
その時間を増やしていく、そしてかなり大真面目に取り扱うということを繰り返すことで、
たぶん今までは視点を当てもしなかったところを見ていくっていう感じにはなるんですよね。
でも当然そういうことは実は、このぐらいにしておきますけど、やってるんですよ私たちきっと。
ストレスの影響
その先日今日ポッドキャストで喋ったのはそういう話だったんですけど、
ストレスでお腹の調子がおかしくなるとかって普通に言うわけじゃないですか。
オカルトではないんだから、そういうことがあるならば、やっぱりストレスで記憶を飛ばすとか、
ストレスでジンマシンができるとかいうことはあっておかしくないわけで、
だから僕はそこが不思議なんですけど、自分のジンマシンもアドピーも絶対新陰性ではないって勝手に思い込んでいて、
なんであれほどカワイハイを読んでいた、意味は何だったんだろうって思うぐらい、
必ず皮膚科と内科に頑張っていって、塗り薬で絶対治せるとは思ってなかったくせに、
その方法以外は何にもアプローチしなかったんですよね。
必ず物質的な方向だったんですよね。温泉も含めてそうですよね。
そうですよね。やっぱり、現代を生きてて、物質的なアプローチが根本的に不足することって、
結構少ないんじゃないかって思うんですよ。
そうね、確かに。
やっぱり頭が痛いでもお腹が痛いでも、よく眠れないでも、
YouTubeなりGoogleなりの検索窓に入れれば、まず物質的なアプローチが出るじゃないですか。
そうですね。
寝る1時間前からブルーライトはカットして、1時間半前にお風呂に入ってみたいな。
だから、そういう対応が不要ってことは全くない必要だと思うんですけど、
そこはみんな多かれ少なかれやっているし、
多くやってますよね。
多すぎるほどやっている。
やっているし、逆にそれは知ってるんだけどやってないみたいなバージョンっていうのは、
今回のセミナーのタイトルにあるように、やっぱりそれはやるべきだってことを頭でわかってても、
なんかそれを先送りにしちゃうみたいな。
やっぱりそういう気持ちの問題が本当はあるはずなんだけど、
そっちはもうゼロってことにしておいて、
もう体100%で頑張る。
でも気持ちの問題もあるかもよっていうところですよね。
そうだし、なんだけど、ここが僕はなんかある種の、
ハードルを問わなきゃならないポイントのような気がちょっとしてるってことですね。
これが多分当日どっかで話題になるはずだとは思ってますね。
僕もハードル飛んだ気がするんですよ。
何しろアメリカで心理学までやってきたんだから、
心因などというのは珍しくもなんでもないはずだったのに、
僕は結局心因ってのを多分信じてなかったんですよね。
だからフロイトのヒステリー研究なんて何回も読んだのに、
多分信じてないで読んだんですよね。
そういう読み方をしてたんだと思うんですよね。
単に難しいってだけだったら、そんなに難しい話はしてなかったんで、あそこではね。
気持ちをゼロってことにして、いないつもりでゼロってことにしてたんで。
気持ちの問題なんだっていうことを受け入れ始めるっていうのは、
割とそんなに簡単なことじゃないんじゃないかなって感じはしてます。
確かに。
仕事でミスして怒られるのが辛いみたいなのも、
僕はそれで新卒のとき仕事辞めてるんですけど、
めちゃめちゃチェックリスト作ったんですよね。
そうですよね。
この性格からさせると思うんですけど、
でもやっぱりな、それはもちろん必要なことなんですけれども、
しかもミスは減ったと思うんですよね。
減りましたね、実際にね。
でもやっぱり何て言うんですかね、
佐々木さん何かでもおっしゃってましたけど、
ミスが減ったからといって、ミスが怖くなくなるかっていうとそんなことないので、
苦しさは残り続けるんですよね。
しかももしかすると増えるんですよね。
増えますよね。
僕はちょっと長くなっているんだけれども、
ちょっと名を聞いていきたいんですけど、
そのとき新井さんは自分が例えばHSPだとか、
そういうふうに思うというアプローチは考えなかったんですか?
HSPね。
HSPは、
多分考えましたね。
なるほど。
そうですね、僕は受けたのは結構経った後に、
そのウェディスは受けてるんですよね。
カーズとかカーリドっていうのでADHDなんじゃないか、
みたいなのは受けてるんですけども、
HSPは思ったは思ったはずなんです、当時。
どうし、
自己診断みたいなのはしたかもしれないけど、
結局仕事辞めたらすぐ元気になったし、
自己診断とアプローチ
その後何年かしてまた働き出した後は、
別にHSP的に困ることっていうのはなかったんで、
そこからどうしようとは考えなかったんですよね。
なるほどね。
でもそういうアプローチはするんですよね。
今のADHDみたいなのも、
やっぱりそういうアプローチの僕は一種だと思うんですよね。
直接物質的というのとは違うかもしれないけど、
結局それは行動特性を言っているだけとは言わないけど、
それを言われてもねっていうのがいつも僕はありましたね。
僕は自分がHSPだと思い込んでた時期があったので。
そうですよね。分かります。言いたいこと。
僕もそうですね。
ただ何ていうのかな、
ちょっとこれ気を悪くされる方がいたら大変恐縮なんですが、
僕もそういうことは思っちゃうんですけどね。
受けて救われる人がいるみたいなのは全然良いこととして、
ちょっと僕の場合は聞いてほしいんですけど、
僕やっぱりウェイス受けて診断出たんですよ。
医師からもあなたはASDです、あなたはADHDですみたいなこと言われたんですけど、
いろいろ生きるためのアドバイスみたいなのも出るんですよね。
ただそれを見て結構虚しいというか、
まずそこに書かれてる対策っていうのはやってるんですよ。
ハライさんならやってますよね。
ヘッドパック大好きで着てるからそこですらやってるし、
例えばですね、あなたは文章で物事を読んで理解するのは得意だが、
人から話を聞いて理解するのは苦手だし、
話に途中から入っていくともっとよくわからなくなるみたいなことが書いてあっても、
なんでなんていう気持ちになっちゃうの?
仮にそうだとして。
それがないのがあれの特徴ですからね。
僕はそれがない理由をアメリカで散々聞かされたんですけれども。
インターネットとかにある性格診断で、
あなたは前向きですか?前向き。
あなたは1日寝たら元気になりますか?元気になる。
トゥルトゥルトゥルトゥル。あなたはポジティブな性格です。
それはそういうふうに答えたんだからそうじゃんっていう。
そういう感じに移ってしまって、
あんまり楽にはならなかったですね。
なるほどね。
僕はこれも気を悪くしないでいただきたいんですけど本当に。
僕の話なんでね。これは全部僕の話なんで。
この番組は全体的に僕の話なんだけど。
僕はHSPだろうと勝手に自分で思い込んだときに、
例えば、ものすごく厳しく大声で怒ってくる人には、
距離を取りましょう。距離が取れるなら、
とっくに距離を取っているっていうか、
消滅させているぐらいなんですけれども、
だって近づいていかないわけにいかなかったり、
HSPと幼少期の影響
最初はそうじゃなかった人がいきなり大声で怒ってきたりするんで、
そういう場合はどうなるんだっていう話が延々続きました。
私はね。
そうですよね。
僕の場合は、あなたはHSPだと言われたことはないですけど、
HSPだからすごくこういうタイミングでこのように悩んでしまうのですって言われるよりも、
カウンセリングの過程の中で、実は自分が小さい頃、
父と母が喧嘩してしばらく口を聞かないということが日常的にあって、
僕が妻と喧嘩すると1日ぐらい口を聞かなくなってしまうのは、
まず、わーって怒ることは母が怒ってたことに似てるからそれはしたくなくなっちゃうし、
今度じゃあどうすればいいのかっていうと黙ってる父の模倣のようなことをしちゃって、
でもそれが長引くと良くないから、1日ぐらいですぐ仲直りするという。
そういう幼少期とそれをどう克服するかの組み合わせで今になってるのねみたいなことが分かる方が、
まだ救いがあるんですよ。
いろいろと。
いろいろとね、そうですよね。
いやいや、多分これをやってると尽きないなという。
そうですね。続きは。
そうですね、一人ここはいない人がいらっしゃるんでね。
ここに一人加わることで、もっと何かが展開できるかもしれないし、
煙に沸かれるかもしれませんけれども、そこをぜひ楽しんでいただきたいと私は思うんですよね。
このわからなさを楽しみたいというのが今やっていることなので、
ぜひ見たり聞いたりしていただけるといいんじゃないかなと思います。
じゃあ今日は長い間原井さんありがとうございました。
本当にありがとうございました。
今日はこちらでおしまいにします。
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