1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 考えられない考えを、考えるた..
2026-01-15 40:04

考えられない考えを、考えるための空間【1307】

私たちは一般に、考えたくない。
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サマリー

このエピソードでは、佐々木正悟が父親の不在とその影響について考察し、父親がもたらす現実とのつながりの重要性を強調しています。また、カウンセリングの目的が父親探しになってしまう厄介さにも触れています。権力と現実原則、そして親の役割についても考察され、特に、考えられないことを考えることの重要性とその心理的メカニズムに焦点が当てられています。ビジネスやカウンセリングにおけるその適用についても説明がされています。さらに、カウンセリングにおける人間の思考過程についても考えられ、考えたくないことや感情を対処する際の心の空間が議論されています。親との関係やそれに伴う感情の解放が重要視されています。また、アラームや起きる方法の考案について、考えられないことに取り組む重要性が強調されています。

父親の不在とその影響
おはようございます。佐々木正悟のライフハックからの精神分析第1307回をお送りします。
えー、1月16日かな?1月15日かな?
1月15日、木曜日、7時38分ですね。
はい。
今日はなんか久しぶりに霊化でめちゃくちゃ寒いんで、あのー、いつもとちょっと若干体勢を変えてですね、
暖を取りながらお話ししてるんで、こういうやや眠そうな声に、頭も明らかにはっきりしていなくて、眠そうな状態になっちゃってるんですが、はい、えーっと、
まあ間もなくね、まあ間もなくでもないか。昔で言うところの今日は成人の日だから、えーっと、半分1月も来て、
2月になろうとしているわけですけれども、それで、えー、連日3ヶ月チャレンジの第13期の告知をさせてもらっているわけです。
それで、その、13期から新しくやることはないけれど、えーっと、13期、今期あたりから、まあ予約ですね、
えーっと、まあこれもう毎期言ってるような気もするんですけど、だから、期を追うごとにこの部分はクリアにしていく必要があることだと思うんですけど、
あのー、あれですよ、だからビジネスメンタルコンサルと心理臨床の、心理療法化の違いを意識して仕事に臨むと。
これをずーっと、まあ一期からずっとやってるわけだけど、まあ徐々に徐々にはっきりはしてきたかなと。
で、まあそんなに驚くべきことではないんですけどね、まあここから先はもはやPRというよりはほとんど本題と変わらなくなっちゃうんだけど、
あのー、ようやくそのことと父親の不在ってことが、あのー、自分の中でも、まあその、言ってみれば象徴的な意味ではなくてですね、自分の中でもしっくりくるようになってきたなと思えてきました。
つまり父親というものって、まあ規範なんですけど、藤山直樹さんがですね、精神分析の、あのー、講義あるじゃないですか、タイトルをど忘れする、あの上月刊のやつですね。
私はあれも、まあ相当繰り返し読んでるわけですよ。藤山直樹さんの本は、どの本も1冊あたり10回ずつは絶対読んでると思うんだけど、
特に集中講義だ、集中講義精神分析は多分30回ぐらいは読んでると思うんですけど、えーと、もうボロボロ、ボロボロではないんだけどね、になりつつあるという感じの本で、
あの中にですね、あの中じゃなかったかもしれないんですけど、こういうことが起きるんだよね、繰り返し同じ人の本を読むと。
あのー、自分の部屋の、えー、には額縁が飾ってあって、そこにこう、要するに精神分析家になったぞという、これは世の中のどこに出しても通用するけど全く意味のないものでもあるんだっていう、
非常に何かウィニコットみたいなこと言ってるわけですが、あの人ウィニコットに寄せてるんだと思うんですけどね、やっぱりね。
えーと、そこのところがちょっと松木さんと違うなと思って、まあ私は好きなんですけど、松木さんが好きじゃないってことではないんですけどね、あのウィニコットだなって感じがやっぱりちょっとするわけですよね。
技術は結構違う感じがするんですけどね、わかんないけど、まあそれはいいとして、えーと、その額縁の話を言うとき、これってつまり父親につながってるって話だし、
その父親は突き詰めるとフロイトに行き着くって話をしてるし、だからこそこの方はまあ精神科医でもあるから当然なんですけど、やっぱりこう、虚勢不安に怯えてないなっていう感じって強くありますよね。
で、この虚勢不安に怯えてない人っていうのは要は、なんていうのかな、現実というものにつながっている感じを持ってると思うんですよ。
現実につながるために、我々は結局心を持つために母親というものをベースにし、現実とつながるために父親というものを、なんていうのかな、納得するんだと思うんですよね。
どの父親で納得するかっていうのは結局その人のいわゆる終始というものを決めると思うんですよね。終始外の終始ですね。
で、フロイトが父親だから世の中とつながってるわけですよ。しかも歴史とまでつながってる。
こういうことによって、父親探しをせずに済むわけですよね。
現実とのつながり
カウンセリングっていろんな意味を持つんだけど、カウンセリングが父親探しになっているというケースはたくさんあると思うんですね。
そこで結構限界を迎えてしまうということは、カウンセリングっていうのは宗教と違うんで、正しい教えに導かれるためにカウンセラーつけてるわけじゃないんですよね。
なのにそこで父親探しを始めちゃうと、先生のこと当てになりませんとか、先生の考え方おかしいと思いますっていうことでやめたくなる。これ本来おかしいんですよ。
言ってることは、多分当人はいかにも真っ当なお話をされていると思うんでしょうけど、カウンセラーっていうのは必ずしも正しい教えを、正しい考えとか正しい価値観の体現者ではないんですよね。
これが宗教と大きく違うところで、ここをはっきり分けておかないと、通った後で必ず失望することになるだろうなっていうふうに思うんですよ。
この人の考えはちょっとおかしいわみたいになっちゃうじゃないですか。ここも非常に微妙なんですけどね。
でも私はやっぱりライフハックとかカウンセリングとか、自己啓発は宗教にはるかによると思うんですけどね。
そういったものは、テクニックが中心のものっていうのは、私昔からライフハックではそのことを強調してたつもりなんですけど、
だからこのタスクシュートはちょっと共産主義では使えないんですよとかはないわけですよ。使えないとダメだと思うんですよ。
少なくともリベラルだったら使えるし、ネトウヨさんでも使えると。そうじゃないとおかしいと思うんですね。
超生理法はネトウヨの人には役に立ちますけどとか、そういうことはないわけですよね。
これが宗教と私はライフハックの大きく分ける部分だと思う。思想性というものが必ずしもないわけですよね。
まあその分科学的と言えなくはないんですよ。こっちの実験だと赤色になるけど向こうの実験だと青色になるっていう、それが思想によったらまずいですよね。
仏教徒がやるとリトバス子賢子は赤になりますとかそういうことはないわけですよね。ないはずなんですよね。
まあそういう話と実は関係があるんですが、私はやっぱり心理臨床よりもなおビジネスコンサルはビジネスコンサルだと思うので、
一層思想性を問わないというふうになるべくいきたいわけですね。
もちろんいわゆるフロイトの言う価値観中立は大事であろうとなんであろうと、実際はそうじゃないですから。
実際は結構選挙でも偏った人に投票したり僕とかもしないわけじゃないわけで、偏った人っていうのは要するに同じ党にばっかり入れるっていうのは偏りがあるわけじゃないですか。
本当に中立だったらまんべんなくいろんな党に入れる。でもそんなこと大概ないじゃないですか。どうせフロイトだってなかったと思うんですよ。
当時の選挙でどこに入れたとかはわかんないですけど、あくまでも価値が中立なのは臨床の部屋においてだって話なんでしょうけど、
でも臨床の部屋においてだって急に中立になれないじゃないですか。極力そうするとは思うんですけどね。
つまり簡単に言うと彼はユダヤ人ですけど、別にナチスムの人が来たからって治療断るかどうかは、治療断るんだったらすでに中立ではないわけですよね。
でも中立だっていうことがあり得るかって言うと僕はあり得ないと思うんですよ、基本的に。
そういうこと考えていきますとですね、ビジネスコンサルというのはやっぱり臨床よりも中立であってもいいはずだが、無理だろうなとも思うんですよね。
無理だろうなとは思うんですよ。結局父親っていう話になってきた時に、要は母親と一緒にいる時に我々も言ってみれば万能感を持つと。
だから家にいる時が最強なわけですよ。ただしそれは家の中でしか最強じゃないわけ。
で、家の外に出ていくと今度は自分がとてもとても弱くなっていく。つまり無力化に苛まれるわけですね。
ここで我々はファルスというものを必要としてみたり、移行対象でもいいんですけど、移行対象というのはどっちかというと母親的な万能感を保持するためのものであり、
ファルスというのは父親と戦うために、現実というものに通用するためにファルスが必要なんですよ。
いろんなものがありますね。指輪とかバットとか。バットは非常に棒を連想させますけれどもね。
で、父親に近づいていくということは当然権威を手に入れるとか権力を手に入れるということで万能でないということを言っているようなもんなんで、
その虚勢不安というのがどんどん色濃くなっていきますよね。一方で母親に近づくと今度は飲み込まれるという問題が出てきます。
で、どっちみち母親には慣れないし父親にも慣れないんで、一番父親に近づくと極端に言うとほぼ虚勢ということになるし、
母親にぴったりくっつくと完全に飲み込まれてウォッシー一体ということになるし、どこか中間のところを探しに行かなければならないわけですよね。
自分が個性的に生きていきたいと思うならそういうことになっていくと。距離の話ではないですよ。距離はどこでもいいんですよ極端に言うと。
それもまた非常に難しい問題を払うんじゃうんですけど、距離はどこでもいいと言ったってやっぱり父親にうんと近いところにいれば、
つまり誰か権威者の秘書とかになっちゃえばなかなか距離も、物理的な距離が縮まれば心理的な距離も当然縮まっていきますよね。
そこにいる限りはやっぱり非常に無力なものをどこかで宿すことになる。だって権力者の秘書っていうことはつまり完全に無力じゃないですか。
自分は自分の権力は何もないと言ってもある意味いいわけですから。だから長寿が頼りっていうのは無力感というものに非常に怯えていると言えなくはないわけですよ。
一方で母親と一緒にいる万能感は、万能感は持ってられるんですけれども、実際その万能感が機能するのはお母さんのお家だけとかそういう、だから自分の部屋だけとかそういうことが起きるわけですよね。
権力とカウンセリングの限界
しょうがないんですよそれは。何度もここでお話しする通り、この世の中は私のために作られているわけではないんで、私が自分の部屋だったら万能だと。
で、外に行けば行くほど権力者の秘書みたいになっていくしかなくなる。つまり長寿がというものに対する虚勢不安に怯えながら人に対して怒鳴り散らすみたいなことをやる以外、大してやれることはないわけですね。
で、怒鳴り散らすって、怒鳴れば相手が言うことを聞くっていうのは僕の妄想ですから、実際怒鳴ってみたところで母親も妹すら全然言うことを聞かなかったりしますからね。
面白くない?全く無視されますから。あの、無視されはしないですよ。怯えたり怯んだりはしますけど、ただあれは怯んでるだけですからね。だから暴力ってエスカレートするわけですよ。
まあ手は出さないですけどね。手出したところで、同じなんですよ結局は。結局はあの例えば、今私の肉親では最大級の一つの課題になっているのが、たとえ入院措置を取ってみたところで、許約されれば許約される。
身体が拒否すればそれはもう拒否反応として副反応として出てしまって、結局その薬は続けられない。すげーなこれって私見てて思うんですよ。これほど絶大な権力のある精神科医のお医者さんが全知全能を傾けても、結局一人の患者を言うことを聞かせることは不可能なんだっていうことを、まざまざと見せつけられている感じがするんですね。
権力虚しいなあっていう。権力虚しくないんですよ。だってうちの兄弟をあそこに置かせることができるのはまさに埼玉県知事の権力によるものなんですけど、でもそれしかできないんですよね。薬一つちゃんと飲ませられることがないと。
相手が拒否すればもうそれっきりなんですよね。相手がある考えに固執すれば、それを人は妄想と呼びますが、妄想なんですが、妄想以外の何物でもないんだけど、でもその考えを取り外すことすらできないんですよね。絶大な権力って何なんだろうって感じがやっぱりしますね。
何だっけあれは。それも大きな違いがあるんです。ストイシズムの原型になったギリシャの考え方がありますよね。あの中で出てきますよね。お前を牢屋に入れるぞって言うんだけど、このちっぽけな肉体をどこかに閉じ込めることがあなたに何のメリットがあるんですかって言い返されるという。結局そういうことになっちゃうわけですよね。
だから父親の側っていうのはもちろん権力があるわけですけども、私たちは大概それも父親になることは大体できないので、できないですよね。権力者になるって結構簡単じゃないんで。代わりに長寿画を持って、長寿画と一緒に世界に現実に何かを通そうと頑張るという。
これは大事なんですけどね、現実原則が。そうじゃないとやっぱり自分の部屋の中で不材論で出てくるんですけど、松木邦郎さんの不材論で出てくるんですけど、自分の部屋の中でお母さんの体を象徴している都市計画とかになっちゃうわけですよ。私あれの意味はものすごくよくわかる気がするんですね。
私そういうゲームすごい好きだったんで。シムシティとか、列車で行こうとかね、ああいうゲームですよね。あれはつまりもうほんとこもってやってた。まさにその通りですよ。母親のおっぱいとかなんですよ。おっぱいの形はこうしようみたいなね。人体を模して立ったわけじゃないんですよ。都市は都市ですよ。でもそれがね、やってるのはすべすべの肌なんですよ。非常にわかりやすいんですよね。結構白かったですもん。都市全体の風景がですね。
これが権力ゼロの状態。ただし万能感はあります。逆が権力最大。でも長時間に対して怯えてなきゃならないし、人と喧嘩してなきゃならないです。
で、その中間がいいです。やっぱり。というか中間でしか生きられない。結局のところ長時間になることはできないんだし、母親になることもできないから、結局我々は母親と父親の間で文字通りですよね。母親と父親の間で生きていくということになっちゃいますよね。自分が肉体を持ってる以上は。肉体を持ってる長時間って存在しないって。長時間って肉体ないですよね。母親っていうのは別の肉体ですから。自分の肉体じゃないんで。
まして私は男なんで。母親にはなれない。結局のところ万能ではないし、権力も持ってない。虚勢不安にビビりながら、万能空想というものを抱いて生きておくより他しようがないということになります。ここで残念感を持たないことですよね。
これを残念だと思わないということだろうと思うんですね。結局それをビジネスの現場でどうやるかっていうのがビジネスコンサルですよ。少なくとも実質でずっとやっててはいけない。もちろんそれが在宅ワークだってなら別ですよ。つまり実質で空想に浸ってちゃいけないってことですよね。
考えられない考えを考える
特にこうなりやすいんで、実質で空想に浸るってことになりがちなんで。あるいはひたすら自分の長時間に怯えているとめちゃくちゃ怒りっぽくなっちゃうんで。これは杉国博さんが書いてることですね。
この話からここまでが前振りというかサンチャレのPRだったわけですが、ここからが本題になるわけですよ。つまり考えられない考えを考えるってやつですね。この言い方は私は松木さんがおっしゃってる通りで非常に優れた言い方だと思うんだけど、どこがどういいのかというと三次元だってことなんですよ。
考えられない考えを考える。つまり多くの場合私は長時間に対する怯えを考えるっていうのが一番いいと思うんですね。
当方回答さんの臨床例に出てくるじゃないですか。当方さんがやたら怒鳴られるやつ。あれ多分2回か3回は出てきてるんですよね。比較的短いバージョンと何でも見つかる夜にあれが多分一番本格的に扱ってる本だと思うんですけど、結構長い期末。こういうわけでこの人怒鳴られるわけねっていうね。
あれはもうボーダー特性みたいなように見えるし他にもいろんな言い方ができると思うんですけど、要するに眠れないと言ってる女の人があなた人の話聞いてないとか言って怒鳴るわけですよね。
で、あなた人の話聞いてないっていうのは全くその通りなんだけど、あのシーンに至るまでの戦いをずっと読んでおくとやっぱりあそこには重大な非対称性というべきものがあって、確かに怒鳴られてるのは当方さんで、お前が悪いんだって言われているし劣勢一変動でひたすら守りに入ってるように見えるんだけど、
よーく考えてみると、あの当方さんはあの女性が来なくなっても困ることはないんですよ。どっちかというと来なくなってよかったぐらいになってしまうわけですよね。そうは思わないと私は思いたいですけれども、でも実際どっちが困るかって言ったら絶対当方さんは困んないと思うんですよ。
つまり怒鳴られてる方は実は全然困らないっていうことがあそこにあるわけですよね。ということは怒鳴ってる人なんとかしなければいけないんですよ。当方さんはこのロジックが心理カウンセリングだって僕は思うんですね。このロジックを成立させるためにやっぱり二者心理学が必須だって思うんですよ。そこが松木さんが兼ね兼ね強調されているところだと思うんですね。
だから二者心理学が出てくるシーンでは松木さんは怒鳴られてないんですけれども、やっぱりその同じような目にあっている雰囲気ってものがちゃんと出てますよね。つまり巻き込まれて怒られている人がなんとかしなきゃいけないんですよ。
松木さんは水をかけられなんかしなくったって医者やっとけば偉そうにして気分よく仕事できたのに、でも自分はこういうことをやっちゃってるからバッドジャブなんだから仕方ないんだっていう。大体そういう流れに彼は持ってくるんですけれども。
要は考えられない考えを押し付けようと頑張ってるわけですね。自分じゃ考えられないからですね。自分で考えられないのは知能が足りないからではなく、知能のレベルを落としてるから自分で。何のために落とすかというと、これを考え始めると大変苦しくなっていくからなんですね。もう既に苦しいんですけど。だって眠れないのは自分じゃないですか。
トワタさんがコンシュルジュのようにホテトリとか書いてある。そういう言葉を使わないでくれって思うんだけれども、分かんなくなるから。このように分かんなくなってるわけじゃないですか。とにかく営業スマイルで人にみんなにいい顔をしていて、非常に危険なことをやってるわけですよね。
それが全然危険だと思ってないんでしょうけど、とても危険なことをやってるわけですよね。カウンセラーにまでそれをやると。そうかもしれないと言うわけですよ。私がそうかもしれないと言ってるときは、そうじゃないって言ってるんだって言って怒鳴るわけだけど、だったらそうじゃないって言えばいいんだけど、その人はそうじゃないと言えないんですよね。怖くてね。だから怖いんですよ。
これがマスキさんが怒っている人は例外なく、特に憎しみを持って怒り狂っている人で、怯えていない人はいないっていうふうに書いている。その怯えっていうのは何に怯えているかというと、超自我対象なんですが、その超自我対象に怯えているという事実を本人は考えられないんですね。考えたくないんではなくて。
考えられないのはさっきも言ったように超自我という言葉が難しいからとか、この概念が難しいからではなくて、自分の知力をその時だけ落とすからなんですよ。多分。そうして考えることを拒否し、他人に考えさせる。
だからこんなに紛糾してどなりどなって、もうわかりました。治療やめましょうって。こうなったら考えてないっていうことになるんだけれども、このように誰もが考えるのをやめると、その考えの持ち主っていうのが誰なのかって問題に戻ってしまうわけですね。
そうすると、その考えを考えなければならないのを最初に拒否した。つまり当人が困ったことになってしまう。だから考えるはずなんだけど、困ったことになったとしても、なお考えるのを拒否する場合、やっぱりまた考えてくれる人を探さなきゃならない。
って既に考えてるわけですよね。考えてくれる人を探すという作業は大変でして、東方さんぐらい考えてくれる人が見つかるというのはとてもラッキーなんですけど、これ要はラッキーでして、この考えられない考えを考える。
そうとそうとシンクするってやつなんですが、ここがBeyondの一つの革新的なところで、少なくとも私のようなビジネス系のコンサルやってる人間にはこのBeyondの発想が革命的だったわけです。
これの元になってるのはクラインの良いおっぱいと悪いおっぱいで、悪いおっぱいを排除するってやつなんですけど、これだけだと、そもそもこの良いおっぱいと悪いおっぱいって円にできるじゃないですか。一つの円を書いて、丸を書いて、それに良いと悪いと書けばいいんですよ。
私よくやってるんですけど、原数分裂みたいですね。良いと悪いで悪い方を排除すると、これ一冊だけで成り立っちゃいますよね。ここまでだと。しかも二次元で書けちゃいますよね。これだけだと。
良いと悪いに分けて悪いを排除するっていうのはそうなんですよ。それをやっちゃうから、悪いが実際に排除できないから自分からは、悪いおっぱいが自分の中に残って自分を苦しめるってその発想なんだけど、でもこれって一冊だけで描けるし、二次元的に表現できちゃうんですよね。
でも美女はそうはできないんですよ。だから絵に描けないんですよ。私のように横頃ない人間は特にそうで。呪ってる女の人って三次元じゃないですか。どう考えてもそれは二次元的に描くことはできますけれども、暗相と相当が空中を漂ってるっていうのは空間的な世界じゃないですか。
だから押し付けられた人のところに入っていって、その考えについて考えるっていうのも非常に三次元的ですよね。二次元的に無理やり描くこともできますけど、非常にわけわからない絵になってしまいますよね。私はどうせ三次元で描けないから、二次元的にこれを無理やり描くんですけど。
でもそこに概義されているのは空間ですね、完全に。私この空間というのがやっぱり三次元、二次元って言い出したところあたりはすごく精神分析が一段と前へ進んだって感じが。だって心理臨床の空間はまさに三次元じゃないですか。そしてその三次元というものは歴史的に検討するのが難しいんですよ。
二次元とか一次元で描いちゃうんですよ、時間の流れって。概義して歴史っていう学問ありますが、歴史という教科では二次元的な表がすごい多いんですよね。すぐ連表とかに従わるわけですよ。一方じゃなくて一次元なわけですよね。
時間の流れっていうのはそれぐらい空間を固定してかからないと人間にはイメージしにくいものだし、当然描きにくい。紙の上に描くわけだから、二次元っていうのがやっぱり扱いやすいわけですよね。紙二次元の世界なんで。だからその厚みはないわけですよ。厚みを作っちゃうと今度は我々の頭というものは厚みができたものをアニメートさせるのって脳内でも結構大変じゃないですか。
僕なんか全然できないんで。厚みのあるものは箱になってしまうんですよね。今ここになっちゃうわけですよね。これしかないんですよ。多分この辺の限界なんだなって思うんです。
トワダカイトさんのところにいらっしゃっていたクライアントさんが、そうかもしれないって私が言った時には、そうじゃないって言ってるの?みたいなことを言って、そんなこともわかんないなんて、あなたはカウンセラー失格だみたいなことを言ってるとき、あれはやっぱりアンソードソートなんですよ。
彼女が十分吟味できていない。一つには、それは桃肌さんの問題みたいに言ってるし、実際そうであるかもしれないんだけど、カウンセラーの問題はそこで真剣に取り扱っても、カウンセラーの改善にしかならなくて、実際にはそうもならなくて、彼女の問題をそもそも取り扱うために来たのに、結局相手の面倒見しちゃってるみたいになってるじゃないですか。
クレームなのかもしれないけど、でもあなたがろくでもないカウンセラーだって話をしてるじゃないですか。その話いくら続けてもしょうがないですよね。不毛ですよね。つまり何も生まれないですよね。そもそもなんでそんな話を始めているかというと、恐ろしいことが起きたからなんですよ。
で、恐ろしいことが自分の身に降りかかったんだったら、そこはカウンセリングルームなんだから、やっぱりそれについて扱わないとお金と時間がもったいないって話になっちゃうわけですよ。で、これら全て考えることによって出てくる発想で、考えたくないわけですよね。
考えたくないことの起源
この考えたくないが、一番最初そもそもどこまで遡れるのかというと、害して自分が幼かった頃まで遡れちゃうわけですよね。この時から考えたくない考えが、このお家にはあったっていうお家に暮らしていたわけです。
そのことを戸畑さんが代わりに考えてくれて、この人はいつもこういう目に遭ってきたんじゃなかろうかと考えて、あんな修羅場の中でそういうことを考えて、だからここで自分は怒鳴られているんじゃない。要するに、怒鳴ってる相手は自分の親なんですよね。
親対象って言うべきなのかもしれないけど、長寿がだったり親だったりに対して怒鳴ってるわけですよ。とても恐ろしいから、もういい加減にしてくれと。赤ちゃんだったら泣いてるんでしょうけれども、赤ちゃんじゃないんで営業スマイルができるぐらいの人なんで怒鳴るわけですよね。怒鳴るというのはつまり、やぶれかぶれ感があるわけです。
もう自分はどんな目に遭ってもいいから怒鳴ろうっていうような。だから、ずっとそこでいろいろ検討してきた比較的重要なカウンセリングルームをぶち壊しにするような流れになってるわけですよ。どうなってもいいから、もうここは叫び出したいという気持ちに圧倒されてるわけですね。
そういうことってありますよね、やっぱり。親に怒鳴る時って多分人はそういう気持ちになってます。特にずっと怒鳴られてた親に対して怒鳴る時って多分そういう気持ちになってます。もう鳴るようになるがいいみたいなノリでやってるわけですよ。そういう時って奇妙な勇気が出るし、もちろんスッキリもします。
だってずっと怒鳴られてて気分のいい子はいないから、ずっと怒鳴られてる親に対して怒鳴れる時は当然気分がスッキリします。ただそれは後先考えないってことによって、つまり考えないということによって初めてできること、しかも後先というのは歴史的経緯っていうんです。
これまで世話になってきた面もあったし、今後も世話になりかねないっていうような後と先について考えてしまうと怒鳴れなくなるじゃないですか。だから後と先っていうのはつまり時系列ってことで、時系列ってことはつまり4次元ってことで、4次元について考えられるというのはDポジションってことであって、欲打つポジションってことであって、それについて考えたくないからPSポジションにいるのであって、それについて考えたくないから相手に考えさせたいから、そのことを押し付ける。
相手に考えさせるために怒鳴るんですよ。お前何も考えてくれないからお前考えろよと言ってるわけですよね。言うじゃないですかそういうことって。いい加減少しは考えろみたいなことを言ってるわけですよ。
で考えろということは私が考える代わりにあんた考えてねということであって、それを押し込んでいく感じっていうのがあるわけですよね。押し込むってからにやっぱり3次元感があるわけですよ。空間というものがある。ここで唐突に私が今考えていることがタスクシュートのリストなんですよ。
あれはもうほとんど1次元ですね。さっきも言いましたが年表というのは1次元になりやすい。一直線しかないんですよ。上から下に向かっていく。タスクシュートなんて。一応2次元ですけど平面感はありますけどそうじゃないなって僕最近思うんですよね。あれは全く空間と一緒に動くべきものであって、やっぱり3次元で捉える必要があるなって思うんですよ。
すげー話変わったなと思われてるかもしれない。とにかく起きるとか、起きられませんって言った時に起きるって書いてある。これを空間的に捉えないといけないと思うんですよね。だから私はあれをやっぱり移行対象と、タスクシュートを移行対象と呼んでいいのかどうかわからないですけど、安心網布感はないかもしれないけど、でもあれは可能性空間を開くための道具なんだなって思うんですよ。
時刻を書き込む。時刻っていうのは一応4次元的な部分がありますけど、時刻を書き込む。起きた時刻っていうものを書き込む。そうするとここが起床後の空間に変わっていくっていう。で、それを朝食の空間に変えていくっていうですね。
いちいち可能性空間を開いていかないと、やっぱり人間ってのはそうやって現実と関わっているんだなっていうふうに最近時刻を思う。こんなに眠くてもそれなりに一発のことを、一発じゃなくて後で文句言われるかもしれないけど、3ヶ月チャレンジのタスクシュート絡みで、僕も半分目をつぶってますからね。眠いんですよ。
しゃべってるじゃないですか。それは今この空間をやっぱりポッドキャストのスタンドFMの空間に変えているから、そのための移行対象としてiPhoneを使ってるわけですけれども、こいつが秒を刻んで私の音声の波形をここに出してくれるっていう、これが対象として機能しているから、この空間が移行空間、可能性空間として
動き出しているわけですね。動き出しているというか、私にとって展開しているわけですよ。ここは通常は歯を磨く空間だったり、着替えをする空間なんだけど、今はポッドキャストをする空間として機能しているわけですよ。
私の目にはそう映ってるわけね。だから近くというのは全然客観的じゃないっていうことなんですよ。ある意味想像的なものですらある。想像っていうのはイマジネーションではないですよ。クリエーションの方です。作ってるじゃないですか。iPhone一個、ただ三脚あるけど持ち込むことによって、この空間を可能性空間に変えているわけですね。
このことをアンソートソートという考えはものすごくよく示しているなとも思うんですよ。まさに私の頭の中から考えが浮かんできてないんですよ。この空間にまだ考えられていない考えがあるような感じがするんです。
私がよく準備をしないって言ってることの関係は、別に準備をしても全然いいし、準備はつまり準備も一種安心毛布みたいに機能するのかもしれない。移行対象的に機能するのかな。今眠くてですね。
いろいろ考えられないというか、ここにある考えをキャッチするのが精一杯なんですね。この状態は悪くない気がするんです。私セミナー行っててもいつもこれをやるとき、これができるようになった瞬間からだいたいセミナーは機能する気がするんですよ。
考えを捉える価値
だから人に呼ばれていくのがあんまり好きじゃないんです。スライドありませんかって言って、ないって言うと不安そうな顔されるんで。人を不安にしたいわけじゃないんでね。自分だけでやってるんだったらスライドあるも減ったくれもないんで、大概ないわけです。
その空間にアンソートソートがあるわけです。これはおかしいな話に聞こえるかもしれないけど、絶対あの考え方は僕はキャッチする必要があると思うんですよね。ビジネスパーソンは皆さん。
わかりにくくなったら赤ちゃん泣いてるときに、自分はそうしたくなかったとか、自分はそうされなかったっていう人も含めて、でも赤ちゃん抱っこするよねと。考えられてない考えを抱えるんじゃないですか。抱えたくないって言うのはいいんですよ。それはその人のありようとしてないわけじゃない。抱えられた記憶がないという訴えもありなんですよ。
しかし、抱える人はいる。つまり、カウンセラーはクライアントの持ってきた考えを抱え込む。ということは起こる。人間の現実として。
ということはつまり、だってその場合カウンセラーは何かを頭の中に宿してきていて、これからこういうクライアントが来るであろう、それに対してこのように言うであろうみたいなことを事前に決めてないと思うんですよね。事前に決めておいてもだいぶ無駄じゃないですか。
明日いらっしゃるのは40歳のビジネスパーソンだということだから、これは仕事の上司に怒られる話がなされるに違いない。それに対するレジリエンスについて学んでおこうっていう風に学んでおいたとしても、最近ちょっと下痢気味で始まるかもしれないじゃないですか。会社はもうとっくに休んでますとかね。
別に上司が怖いわけじゃないです。自分は社長ですしみたいな話かもしれないじゃないですか。わかんないじゃないですか、そんなこと。そしたらレジリエンスの話とかをしても始まらないから、最後は役に立つかもしれませんけど、少なくとも中間はそういうことをやっていてもしょうがないわけですよね。
だから事前に何求めてきているのかがわからないのに事前に準備することはできないと思うし、つまり事前に準備することはできますが、考えというものは自分の頭からひねり出すものではないと思うんです。やっぱり考えは中空に漂っているというか、眼前に現れるものであって泣く赤ちゃんみたいにしてですね。それに対して自分の外にあるものについて考えるしかないと思うんですよ。
それは空間的になされるものですよね。自分の目の前にある考えについて考える。その空間というのは物理的なのに物理的な空間ではないわけですよ。要するに言ってしまえば。物理的な空間の空中に考えのあるものが漂っているわけないじゃないですか。漂っているのは酸素とか窒素とかですよね。
そうじゃなくてこの空間は心の中の空間でもあるわけですよ。視覚対象だから頭の中にあるわけですよ。夢見てる時そうじゃないですか。その人は夢空間の中にいるけど夢空間はその人の頭が作り出しているものではありますよね。そういうことをウィニコットは言ってるんだと思うんですね。だからこの空間の中に考えはあるわけですよ。それは自分の心の中にはあるかもしれないが頭の外にあるものだと思うんですね。
だって心の中に頭ってあるじゃないですか。我々は自分のイメージの中に自分の頭って持ってるじゃないですか。脳なんて見たこと自分の脳なんて見たことないはずだけど自分の脳もその中にあると信じてるじゃないですか。そこから考えが出てくるぐらいに思ってるじゃないですか。でも出てきたところを見たことがあるわけじゃないじゃないですか。それ結局心の中で起きてることですよね。
その心の中で起きているこの空間の中にあるとされている考えについてキャッチしてそれについて検討をかけるっていうのが多分価値なんですよ。それについて答えを出すのが価値なんではなくてそれについて検討をかけるっていうのが価値なんですよ。
これを本当に心の底から信じられればつまり私はそうは信じきれてないんだがそう信じられればカウンセリングで悩むってことは実はなくなるというか悩むってことが価値だからこのカウンセリングに意味はあるんだろうかとかあなたカウンセリング失格だみたいなことを言われて困ることはなくなるはずなんですよね。
それは私が考えなければならない課題がここで提案されたということであっていつもいつもそういうふうに捉えられるわけではないですよ。むしろゴブゴブ以下かもしれないって感じがします。そんなに穏やかに言われないですからねこういうことって大体においてで穏やかに仮に言われていたとしても依然として考えなければならないというのは大変なことなんですよ。
考えたくないからこそカウンセリングってあるとも言えるぐらい実は考えるってのは嫌なことなんですよ。答えが決まってることならばそれは考える必要ないんだけどいいんでしょうけど答えは何もわからないわけでだから考えるわけですけど考えなければならないことというものが押し込まれてくるというのはものすごい独特の奇妙な感じ。
なんで自分考えなきゃいけないんだろうって感じを大体持つものなんですよね穏やかであったとしてもでもそういうのを持つっていう瞬間がすでに考え始めていることだからなぜ考えなければいけないんだろうっていう考えはまさにそれを持ち込んだ人の持ってきたものなんですよ。
なぜ私が考えなければならないんだ。だから手放そうってことになってるわけです。手放されたからこそ代わりに私が考えるってことが始まってるわけです。最初の考えがなんで俺が考えなければならないんだなんですよ。これが考えるってことなんですよ。
なんで考えなければいけないんだろうについて考え始めればもう一段前に進むことがおそらくできますよね。これは二者関係になってますよね。一者だけの良いおっぱいと悪いおっぱいについて分けてそれを排除するという一者の中で起きている出来事だけでは描ききれないものがあってもう一人考える人が必要になっている。
しかも押し込まれるという空間が必要になっている。で私は起きたくないという考えを空中に捨ててしまうわけですよ。捨てれば寝られる。そうすると事件が起きるわけです。
考えることの重要性
だから自分の中にそいつを引き戻してアラームのおかげであることがほとんどですがアラームが鳴るとまた考えなければならないわけです。ここで考えるのを放棄して代わりに何でもいいんですけど起きる何かを使うという考え方もあるわけです。
起きる何かを使うというのはアラームもそうですが起きる何かを使うじゃないですか。鳥の鳴き声とか柔らかい光とともにベッドが動き出すとかそういうのもあるじゃないですか。これは何か他の人が考えてくれたってことですよね。
起きられないんだったらじゃあ私が起きられる方法を考案しましょうって考案の甲ですよね。それは人が考えられないことについて考えるということが実は対価が発生し得るってことをアンに言ってますよね。常にそういうもんだと思うんですよ。
多分ベッド考案した人は自分が起きられないそういうケースはあるでしょうけどわけではなかったんじゃないかと思うんですよ。
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