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おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト、第111回をお送りします。
来ましたね、1111。
来るって先日言っといたんだけど、それは来ますわね。
で、今日が12月24日ですね。クリスマスイブの火曜日、8時35分です。
クリスマスイブに1111だったということで、この話はもうよしとしましょう。
現在ですね、第9機の、第1機のですね、3ヶ月チャレンジに向けて、2025年度リニューアル版を頑張って準備しております。
頑張ってって言っても、一人であれやこれを考えながらいじってる、あっちこっちいじってるだけなんですが、
クチクモというかオリシモ、まもなく発表になると思うんですけど、第10機の100日チャレンジが1月から、これも第10機ということで、
J松崎さん、これはもうね、僕なんかよりもはるかに大々的にリニューアルを準備しておりまして、
こっちはこっちで楽しみにしていただければと思うんですけど、私の第9機3ヶ月チャレンジ、
残念ながら、Jみたいにね、いろいろ計画的にできてないので、2025年初頭に9機が来てしまう。
しかもそこに割と大きめのリニューアルをするというね、大きめのリニューアルと言いましても、
いろんな自分にできるサービスを拡充というか整備していこうというだけなんですけど、僕の場合は。
やる人間が僕一人しかいないんで、やれることにそんなに幅はないですから。
一つ大きな、これをやるといいんだということがわかったのがですね、これも、だからこれやっぱり、
話の中心がお知らせであったり、中身であったりしてますけれども、純金コンプレックスなんですよね。
やっぱり正規の精神分析とか心理療法に、できることなら近づいた方がいいみたいな、よくわからないね。
そんなことはないんだけど、だってもともと違うものなのに形を似せた方がいい理由って不明瞭じゃないですか。
最近まさに上田克彦さんの心理療法、とにかくそういうことが書いてある本、とてもいい本でした。
ただこれはやる人にとっていい本であって、受ける人にとって果たしていい本かどうか。
受ける人にとってもいい本だけど、別に知らなくてもいいことだよねっていう気もしなくはないんだけど、
でも僕は知っておいた方がいいと思うんですけどね。
そういう本を読みつつ、また純金コンプレックスなわけですよね。
形だけでも合わせたくなるという、そのうちの一つに、レターのやり取りをしないっていうのがあるんですよ。
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精神分析には当然ありますよね。面接設定がすべてだから、そこでのセッションがすべてだから。
なんだけど、すでに私はグループセッションとかやっちゃってるし、しかもテキストのやり取りもやってるんですよ。
ここを拡充しようと思いました。テキストのやり取りですね。
やっぱりこれは結構いいんだなっていうことが痛感させられたので、
私は別に純金コンプレックスに肯定する理由が、
この純金コンプレックスが一つ一つ、純金を目指せる資格も理由も何もないくせに、
純金コンプレックスだけはあるという、コンプレックスってめんどくさいんですけれども、
精神分析、敵であろうとしちゃうわけですよ。敵であろうとね。
昨日のポドキャストのタイトルは不人気でしたけど、
非常に僕の中ではグダグダだったかもしれないけど、ものすごく大事なことを考えてるつもりの部分なんですよ。
あそこはね。絶対ここが今の時代問題になってるはずだという。
だからグダグダなんですよ。結論があるんだったら、誰かがそれを採用してるんだと僕なんか思っちゃうんですよね。
誰も採用しきれてない、まさに昨日の上田さんの、僕が昨日読んだ上田さんの本、
昨日出たみたいなこの言い方だと。
昨日読んだ上田さんの本なんかにも書いてある通り、彼はですね、
当方さんの変に長いやつ、認知行動療法トッピングのあるいはベースにした、
ユンギアンフレーバーの、ロジェリアンフレーバーの精神分析的な心理療法みたいな、
要するにそれを平成のありふれた心理療法みたいに言い換えてみたり、
上田さんが、今喋ったのは多分不正確ですよ。
上田さんがですね、日本流心理療法。
僕この日本流心理療法って、上田さんもこう、書きながらも迷いを感じられる書き方だったんですけれども、
つまり中核にいるというか、そこの現場にいる人たちでさえここには迷いがあるんだと思うんですが、
僕はあれ、いいものだと思うようになってきたんですよね。
もうそれがダメだっていうふうに批判されている方はいっぱいいらっしゃるし、
尚方さんや上田さんのようにどちらかというとそれを自分でもやっていらして擁護したいという気持ちもありながら、
これダメなんじゃないかみたいなノリって常にあるんですけど、そこはもうしょうがないと思うんですけどね。
僕はこれは、これが正しいとは言わないまでも、これをやっぱり何らかの、これ非常に脆いと思うんですよ。
だって日本流心理療法って何よって言われると、多分答えられる人がすごい少ないんですよ。
そのユンギアンフレーバーのロジェリアンの何たらかんたらみたいになっちゃうわけですよ。
共感に入ってるのか、それとも精神力度がやりたいのか、あるいは認知行動療法にしたいのか、
それともそれらの全てでないものなのか、かわい早押流なのか、なんだかよくわかんない感じのものなんですね。
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いろんなものを拙中して組み合わせて、自分なりのスタイルを築き上げていくと、でも私は結局そうなるしかないだろうと思うんですよね。
その先鞭をある意味つけた人が、もちろんかわい早押さんなんですが、どいたけおさんとかああいう方だったんだと思うんですよね。
甘えのとかっていうためには日本語を使うってことじゃないですか。英語に甘えはないわけだから。
そういうスポイルと甘えは違いますからね。
そういうこの日本流心理療法みたいな、私もあれを読んでいくと最初からすごくそう思ってたんですけど、だって自分だってそうなってるもんねっていう感じはしますよね。
すごく精神力度の知見というものを僕は信頼していますけれども、別に精神分析やってるわけじゃないですし、
いわゆる認知的な介入はすることになっちゃいますから。だって知見を喋るって結局そういうことですから、こういう知見がありますっていうだけでも認知的介入と言えなくもないじゃないですか。
だけどそんなことを言ったら、奥田が言ってることとかあるいはだいぶ前にこのボッドキャストで盛んに取り上げたあれですよ。
平気で嘘をつく人たち、あれ精神分析っていうようなノリで、ノリっていうかそういうふうな立てつけで喋ってますからね。
アメリカの自我心理学だと思いますけど、あれめっちゃ説教臭いじゃないですか。
あなたは卑怯者ですとかって言うわけですよ。
新春も華々しいですよね。
ああいうのだって精神分析なんですよ。
アメリカで精神分析家がこれ精神分析だからって言ったらそうなんですよ。
資格だって持ってるし、割と著名な方だと思いますからね。
あのベックっていう人はベックじゃないか。
ちょっと名前忘れましたけどベックじゃないはずだな。
とにかくそうなんですよ。
つまり、あれはアメリカ流ってアメリカ流だと思うんですけど、ああいうのはダメだよねっていう人はいると思うんだけど、
そんなにすごいショックを受けるのかなって気もするんですよね。
アメリカ人だったらそうじゃないんじゃないのかな。
結局なんだかんだ地震の問題とかになっちゃうんじゃないのかなっていう気もしなくはないんですよね。
そうして私たちは敗戦以来、特に知的がレベルが高い人ほどある種の地震を根底から西洋に突き崩されてる観点あるじゃないですか。
今なくなってると思うんですけどだいぶ。
いやそんなことないよねって感じになったと思うんですけど、そのために6,70年かかってる感じがあるんですよね。
だってもう、今でもあると思うんですけど、これは日本の文化からも知れないんですけど、
フランス人から見た日本のダメなところ100みたいなのを出すと、ほん、飛ぶように売れるじゃないですか。
なんでそんなものが売れるのかさっぱり理解できないんだけど、さっぱり理解できなくはないけれど、
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なんかそんなに飛ぶように売れることのものっていう感じが、あれが多分ですね、別の意味で。
例えばですけれども、北朝鮮から見た日本のダメなところ100とかだと、
全然売れないか、めちゃくちゃ炎上系で売れるかのどっちかになると思う。
意味が全く変わると思うんですよね。
なんかフランス人から見たって言われると、すごくそこに読むべき大事なことが書いてあると、
かんぐってしまえるところが、この種の話の面白さなんですよ。
そんなことはいいんですけど、だからこの辺きっとですね、フィンランド人とかデンバーク人とかでも結構いけると思うんですよね。
これがね、すっごい僕はこれは差別的な話だとしか思えないんです。
ユーゴスラビア人とかだったらそうはならないと思うんですよね。
同じヨーロッパなのに。
スペイン人でも多分かなり感覚的には微妙に変わるんですよね。
これってもう完全にイメージと投影だけの世界じゃないですか。
だってスペイン系フランス人とかフランス系スペイン人っていますからね。
スペイン人とフランス人ってそんなに僕らが受ける印象を変えなきゃならない決定的な理由って何なんだっていうと、
多分それは幻想的なもの、幻想以外の何物でもないと思うんですけど。
またこれアメリカ人とかだと微妙じゃないですか。
でも日系アメリカ人だってアメリカ人ですからね。
話がよくわからなくなってきたんですけど。
つまり日本流心理療法でいけない理由はないだろうと思うとともにですね。
それって中身が何だかよくわかりませんというのも、
だからリュンギアン風、ロジェリアン風、精神分析的な認知行動療法みたいなそういう話になっちゃうわけですけれども、
でもしょうがないじゃんねって感じもするんですよね。
この話を散々パラしてきているわけですが、
何の話をしているかというと3カ月チャレンジではですね、
回数頻度によってコースを変えるっていうのと、
テキストでのやり取りというものをもう少し整備するっていう提供できる形にきっちり捉え直していこうと思っております。
個別オンラインセッションなくすっていう意味では全くないです。
ベースはオンラインセッションとグループセッションなんですけれども、
そこにもう1枚テキストというもののやり取りを追加していこうというふうに思った次第なわけですね。
それが今度のリニューアルの一番の願望かな。
別にテキストやり取りめんどくさいとかやりたくないっていう方がそれを採用しないっていうのはありだと思うんですけど、
使いたいっていう方の場合にはここはもう追加を、別に何かを追加する必要はなく、
ただサービスとしてのみ追加しようということですね。
ここにあたる、このことにあたってですね、結局私が考えるのはですね、
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精神分析の知見が難しかろうが、手に負いにくかろうが、
これグッドバイブスで倉園圭三さんから間接的に学んだことだと思うんだけれども、
使えない概念だからといって使わずに置くことはないっていう、そういう感じなんですよね。
使うのは難しいからといって、例えば今日すごくお伝えしたいのはα機能ってやつなんだけど、難しいですよ。
でもα機能を言い換えてみたり、Xでつい最近魔術的な用語っていう言葉を読んだんですけど、
そう言われるのも分かるんだけど、でも魔術的だろうと、奇術的だろうと、
その言葉を変形してみたところで、魔術性だけは移れるかもしれませんけれども、
意味分からなくなっていくっていう事態は避けたいんですよ。
やっぱりそうでなくても、使いあぐねている概念をですね、使おうとしているわけだから、
何故使おうとするかというと、それ使わないと説明しきれないからなんですよ。
説明しきることにこそ意味があるっていうことをやってるわけだから、
説明しきれないっていうのはやっぱり良くないわけですよ。
それはつまり、助けにならないってことが言えると思うんですよね。
心の機能としてのα機能ってのはすごくすごく大事だと思うんですよ。
他の表現をする、例えば無意識の思考とか言ってみたりすると、少し話が変わって聞かれないし、
元々の意味すら正確につかめてないのに、ここで言葉を変えちゃったら、
どうしようもなくなる。
最近放送界を中心に素人と専門家みたいな話がXでは盛り上がっておりますけれども、
でもやっぱりここは本当に厄介なんだけど、素人だって使うんですよ。
だって、歴史の研究家だけが歴史を学ぶわけじゃん。
というか歴史を楽しむわけじゃないじゃないですか。楽しんでるかどうかは知らんけど。
どれほどデタラメでも三国志は面白いみたいな人はいっぱい世の中にいて、
ゲームまで作っちゃうっていう話なわけですよ。
この時に、研究とリアリズムに沿ってなければならんってことは別にないと思うんですよね。
というか、これはめったにこのポッドキャストでは登場しませんが、
3ヶ月チャレンジでも助けていただいているZoeさんって方がね、
方針演技っていう漫画を教えてくれたんですよ。
ものすごいはちゃめちゃ感が強いんだけど、
あれは陰宗伝説っていう中国の陰王朝ですよね。
一番最初の、もっと前に華王朝あった話あるんだけど、
それはそれとして、一番最初に陰から始まるという陰と宗の話ですね。
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ものすごく漫画化した中国の小説が実はベースにあるんですよ。
それを中国人が読んでも少しも面白くなくて、日本の漫画を読むとめちゃくちゃ面白いから、
方針演技は日本のものですっていうよくわからないことを言っている話がXにあったんですけど、
本当か嘘か知りませんけどね。
でも方針演技ってのはそういう、なんて言うんですかね。
歴史交渉ゼロみたいな世界なんですよ。
あれがいいんじゃないですか。漫画だってそういうもんじゃないですか。
そういうことをしないと、漫画ってなるべく頑張る横山ミッセルさんみたいな人もいらっしゃるんですけど、
あの人も陰宗伝説書いてますけどね。
にしてあって、結局何しろ5000年の歴史なんで、話にリアリティが全然ない部分があるのはもう間違いないわけですよ。
だってダッキって出てくるけど、あれ人間じゃないんでね。
多分結構問題のあるというか、非常にある種の美しくてヤバいことをする女性だったんでしょうね。
でも陰宗伝説なんてもう人間じゃないわけですよ。悪気になっちゃってるわけですよ、完全に。
さらにそれをもじったような小説があり、さらにそれをはちゃめちゃにしたような漫画があるって話なんですけど、
いいじゃんっていうことですよね。いいじゃんというか、そういうもんですよね。
で、私が言いたいのはそういうこととはまた違うんですけれども、
アルファ機能ってのは確かに素人として扱いがたいところがあるんだが、
これをでも使って説明できることがこんなに多い感じがするものは、やっぱり使わずに置くのはもったいなさすぎると思うんですよね。
使えば助かるという感覚が得られる人は多分いっぱいいる。
よく素人かもしれないけど別にバカなわけじゃないんで、
頭は持ってるわけですから、専門家でしかわからないっていうのは、
詰めればそうなんでしょうけれども、詰めずに置こうという話なんですよ。
詰めずに置くだけの価値があるっていうのかな。
危ういことやってると思うんだけど、危ういことができるのが野良カウンセラーの特権なんですよ。
私が言いたいのは要するにそういうことなんだと思うんですよ。
それは叩かれるでしょうけどね。
それさえ引き受ければこれがやれるって話なんですよね。
これをやらないことによって得られることもあるっていう話。
だからこれはトレードオフなんだと、それだけで済ませてはいけないんだろうけれども、
ある種のトレードオフなんだと割り切っていきましょうみたいなのが3カ月チャレンジなわけですよ。
なんでそこまでしてアルファ機能的になるものは何の意味があるのっていう感じなんですが、
これは僕らの思考って、僕が思うに9割無意識が支えてくれてるって思うんですね。
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その無意識というのを無意識と言わずに、例えばコンテナーと言ってみたりするわけですよ。
コンテナーってのは窒なんですよ。窒とペニスの窒ですよ。
だからペニスは窒に包まれるからコンテンドとコンテナーなんですよ。
コンテンドとコンテナーっていうのは合わさるとクリエイトが何か生まれる、子供が生まれるかもしれない。
クリエイションが生まれるわけですよ。クリエイションが生まれるのおかしいね。
想像するためにはコンテンドとコンテナーがいる、つまり2者が必要だって言ってるんですよ。
例えば、何でもいいんですけど、J松崎さんとタスクシュートというものがどっちかコンテンドで、ケースによるんだよな。
例えばJ松崎さんはタスクシュートという大橋裕夫さんが作ったツールに包まれることによって、
タスクシュートクラウドという子供を生み出したわけですよ。
この場合、生み出すどっちかというとJ松崎さんがコンテンド、タスクシュートがコンテナーですね、私の感じでは。
そうするとタスクシュートクラウドが生まれるわけですよ。
私とかJ松崎さんがどっちがどっちっていうのはまた難しいんだけど、たぶんJがコンテナーだな、この場合。
私がコンテンド。
組み合わさると、タスクシュート協会とか大橋裕夫さんもいらっしゃいますけどね。
組み合わさると生まれるわけですよ。
こうやって2者以上いないと、物は生み出せない。
物っていうか何かは生み出せない。
これを嫌った世界をある意味、倉津野圭三さんはGood Vibesで批判してるといえば批判していらっしゃるんだと思うんですよ。
全部俺が生むんだっていう世界。
クローン的世界っていう感じがするんですよね。
全部私が生み出します。
だから筋トレとか自分の時間とかを大事にして、私が物を書くんだ、みたいなそういう感じ。
そして読者というものはあんまり意識せずに、やりたいことをやっていけばクリエイトはできるっていう、
1者がクリエイトする世界ってものを、あるなんていうのかな、ここに責めんぎあいがあると僕は思うんですよね。
僕は自分の経験から言って、どんな本を書くときも、何をするときも、1者でできた試しがないんですよね。
自分プロデュースな本って作ろうとしても、ものすごく効率が悪いし、1冊も書けてないんですよ。
もう5、60冊に一応本になるんですけど、商業だけで。
全部、やっぱり出版社というコンテナーが必要だったんですよね。
あるいは編集者というコンテナーが必要だったんですよ、私には。
こういうふうにして生み出されていくんだと思うんですよね。
コンテインドとコンテナーは、2者で1つを生み出すっていう世界。
クリエイションには2者必要であるっていう世界。
そしてそこには包むものと包まれるものという関係性があると。
僕、やっぱり野球場行くと思うんですよね。野球場と観客はコンテナーですよね。
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プロ野球選手たちがその世界をコンテインしていく、クリエイトしていくわけですよ。
こういうふうにして何かが生み出されるっていうときには、2者以上が必要になる。
このコンテナーというものがやっている最重要機能の1つがアルファ機能なんですよ。
つまり思考ですね。考える能力。無意識に考えてくれる能力。
空をパッと見てこれは青空だっていうのはアルファ機能のなせる技。
我々それを意識する必要全然ないじゃない。全くないですよね。
意識しなきゃ考えつかないんだったら大変ですよね。
そして太陽が中天に近いと、お昼近いんだと、一瞬で分かる。これがアルファ機能です。
コンテナーの中でもおそらく人間にとって最大級重要なものの1つですよね。
これが壊れると何が起きるのかと統合主張症が発生したりするわけですよ。
こういう話を理解、何で統合主張症の話が始まったのっていうふうに思われるかもしれないけど、
ここにアルファ機能の不全というものが抑鬱的なもの自体を鬱の方面に悪化させていったりするといったことを知っておくのが、
僕は少なくとも7時間寝ないといけませんよっていうのとは同じぐらいビジネスパーソンにとって重大だと思うんですよ。
コンテナーしきれないものを抱え込もうとして、コンテナー、自分のコンテナーね。
自分の心というコンテナーが機能不全を起こしつつあるというときに黄色信号が伴う必要があると思うんです。
そのとき一番顕著に見えてくるのがアルファ機能というものが損なわれていく感じ。
アルファ機能というのは考える力、ただし無意識。
気がついたときには結論が出てるってやつですよ。
例えば16は平方数みたいなやつですよ。
これは訓練の賜物なんだけど、16平方数であることに理解するために4つずつおはじきを並べて正方形作る人いないでしょう。
16は平方数ですよね。
ルートで割り切れますよね。ルートで割り切れるっておかしいけど、ルートが無理数になりませんよね。
つまりそういうのは無意識にアルファ機能が機能してくれていればやってくれることなんですよ。
これが僕らが考えるというベースの大半を支えてくれる。
僕は99.9%はアルファ機能がやってくれると思うんですよね。
だってしょっちゅうで申し訳ないけど、こればっかりだけど僕は。
信号が黄色になったらあって思うじゃないですか。
そこで無理やり行っちゃう人もいれば止まる人もいるし、警察かって思う人もいるかもしれません。
あるいは危ないよねこういうことしてたらどうか思ったり、信号無視だったかなと思ったり。
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一瞬でどんどんどんどんこれ全部考えた結果ですよね。
考えられなければ絶対こういう観念は出てこないはずなんです。
しかもそれ行動に直結させられてるじゃないですか。
黄色見た瞬間ブレーキ踏めるんですよ。
意識的にやってたんじゃ全然間に合わないですよね。
無意識にアルファ機能が機能してくれるってことは、人間が日常生活を送る上ではもう絶対欠かせない。
このアルファ機能が微妙にでも損なわれ始めたら、アルファ機能が傷つき始めてるんだって気づくべきだと思うんですよね私は。
働くメンタルのためには。
働くメンタルは取り戻されるべきものなんですよ。
このアルファ機能は5歳児だって持ってる。
このアルファ機能が損なわれるということがどんなに危険なことか。
僕らは水準としては特に無意識の水準としては1、2歳児まで戻ってしまう。
そんなところまで戻ってったらどんなに頭が良くたって仕事にならないですよ。
それを言いたい。
アルファ機能ってのは。
なんていうのかな。
考えてくれる機能なんですね。
心の考えてくれる機能。
文字を扱うのは全部これだと思いますね。
僕ら意識する必要ないですよね。
これが分かる意味の単語だと。
例えばナルシストってのは間違ってる。
ナルシシストだって。
これは若干意識しなきゃならないっていうケースもあるかもしれないけど。
一瞬見たとき5文字だと変だなって感じるのはアルファ機能のなせる技だと思うんですよ。
アルファ機能というものが機能しないとすごい大変なんですよ。
仕事する上で。
機能不全に陥るということは、つまり心のコンテナが機能不全に陥りつつあるということだと思うんですね。
その時、心には過剰な負担がかかっている。
だからクリエーションできない状態にあるってことですね。
クリエーションができる状態にあるか、アルファ機能不全に陥るかの。
僕らはそのニュートラルって難しいんですよ。
非常に難しいと思うんですよね。
露骨であんまり良い例じゃないとは思うんですけれども、セックスってそういうものですよね。
クリエーションに近づく時もあればトラウマになっちゃう時もあるじゃないですか。
それ一つの行為がそれほどの差を生むのは、やっぱりこの説明が一番良いと思うんですよ。
心のコンテナーというかコンテナーというものにとって、それがどういう負担をかけてくる。
負担なんですよ。クリエイトってのは。
こう生むというのは、想像するというのは負担なんですよ。
難算ってアレゴリーとして使うじゃないですか。
この本は難算したけど良い本になったみたいな、そういう言い方をしますよね。
でもこの本は難算の末、作れなかったってなると多分それは、
物書きにとってはトラウマになりますよね。
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そういう差がクリエーションにはかかってきてると思うんです。
これを説明するのにコンテナーっていうのはとても良い理由で、
難しい概念だから使わずにおこうっていうのは損臭いなって思うんですよ。
もったいないなと思う。
アルファ機能が逆転するという現象が説明されてるわけですね。
これは執行の体操みたいな感じで考えてみるといいと思うんですよ。
アルファ機能が逆転するってのは何なのか。
それが起きるとどういう事態が進展していってしまうのかと。
アルファ機能というものが自然発生的にと感じられるように
無意識に考えてくれるというものであれば、
アルファ機能の逆転というのはまさに考えを壊していくっていう意味になっていく。
信号機を見ても丸い黄色いというような、
そういう印象というのか感覚というものがただバラバラにあって、
全然これが意味として心の中に沸き上がってきてくれない。
逆転していくとむしろ逆に自分が考えたことが、今度は知覚というのかな、
感じてる人間からすると現実世界の方に逆流していって、
そして考えというものがものになってしまう。
例えば、自分って嫌われているんだろうかと考えますね。これは考えですね。
自分は、僕なんかの場合は、大学時代によく女性と会えば嫌われてるって思っちゃう方だったんで、
嫌われてるんだろうかって思う。思うとこれが具現化していくんですよ。
嫌われると思うと嫌われるって話ではないですよ。結果はそうなっていくんだけど、
嫌われると考える。それとこの考えが、普通は感覚印象を考えに変えていくわけですよ。
赤い丸い交差点だったらこれは止まるという意味っていうのは、
感覚を統合して意味に変えてるわけだけど、意味がものになっちゃうわけですよ。
私嫌われてるんだろうかは意味ですよね。これは言葉だから。
心の中にある。これを逆流させてアルファ機能が逆転するということは、
私を嫌っている、私を攻撃する存在がそこにある、になっていくわけです。
つまり考えが近くに変わっていく。すると女性はどういう表情をしていたとしても、
微笑みを浮かべていたとしてもそれは冷笑に変わる。そういうことが起こるわけですよ。
もう少し行くと自分が着ている服とかが異常な服なのかもしれない。
この人から見ると思わず冷笑せずにはいられないような自分は顔をしているのかもしれないとか、
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こういう視覚が始まる。感覚が始まるんですね。
もう少しこれが悪化していくと、無意識に行っていることなので、悪化していくとそういう現実が見えてくるわけですよ。
これを幻覚というんだと思うんですね。これがどんどん進むじゃないですか。
なぜなら思考って限りがないから、どんどんどんどん進んでいくわけです。
トラウマはこれとはちょっと違うと思うんですよね。
アルファ機能が逆転するというよりは、停止するって感じが近いと思うんですよね。
その出来事が例えば大地震というものに直面してしまって、幸い生き延びたんだけど体が固まってしまうみたいなフリーズですよね。
フリーズしてしまうというのは、これは地震だから避難しようとか逃げようとか回避しよう、
これはただ電車が揺れてるだけだから大丈夫っていうのがこれが思考なんですよ。
しかもこれ無意識に進みますよね。アルファ機能ですよね。
でもこれが停止する。揺れてる。やばい。ここで止まっちゃうわけですよ。なんだかよくわかんなくなっていく。
逆転もすることもあると思うんだけれども、停止してしまう。アルファ機能が機能しなくなる。
だから交差点、赤だ。あれ?っていう感じでそのまま行っちゃうみたいな。
止まっちゃってるわけですよね、思考が。
思考が止まるっていうのが僕らにとってどれほど危険なことかというのを、私はやっぱり時々感じるんですよ。時々。
そういうことがあったなと。例えば海で溺れかけたときそうだったなと。
昔、彼女作ろうと必死になってたときはやっぱり僕は思考が機能してなかった感じがするんですよね。
思考が機能してないってことは時々あったなと。
ろくなことがなかった。僕の場合、一番日常的に体験する思考停止っていうのが怒りなんです。
めちゃくちゃ怒ったとき。自分が心の中でね。
暴発しかねないときに思考が止まっていく。
僕はこれがすごい自分にとってのリスクがでかいと思うので、だって思考が止まるんですよ。
思考が止まるというのは、僕らはつまりこれが意識的な思考水準の話ではなくて、無意識の思考が止まっちゃったら、人間はもうほとんど人間的な生活は営めなくなると思うんですよね。
だから私は怒りに身を任せるのが嫌なんですよ。
怒りに身を任せちゃうと、先日そういう話をアツさんという方と夫婦相談、夫婦関係学のね、ポートキャストやられてる方と対談でお話ししたんですけど、
結局僕があそこで言ってるのも、怒る怒られるという話の中に、自分を巻き込んでおきたくないっていうことを結局は言ってるんですよ、あそこではね。
あれはやっぱり僕にとっては死活問題だなって思うし、多くのビジネスマンにとってもやっぱり死活問題だと僕は思ってるんですよ。
怒りに身を任せて後先考えないって言うじゃないですか、後先を考えられなくなってしまう。
僕の感じでは思考を剥奪されるっていう意識を持ってるんですけど、これを会社の中でやっちゃったら何が起きるかわかんない。
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幸い何も起きないことが多いでしょうけれども、本当何が起きるかわかんないなって感じがするんですよ。
だって簡単に言うと、チンパンジーが会社に来ましたみたいな状態がそこに出現するってことですからね。
そんなんだったら帰った方がいいんじゃないかと思う、ていうか帰った方がいいと思うんですよね。
あるいはクマが会社に入ってきましたみたいな、そういうノリだと思うんですよ。
思考が止まってるんだから、もう人間は単なる大傘の霊長類でしかないですよね、そうなってしまったら。
怒りってそういうもんですから、扁桃体などというものは、人間の水準とチンパンジーの水準で何も変わりませんからね、扁桃体なんて。
チンパンジーの方が遥かに危険だけど、力強いからね。
だけれども脳の水準としては何も変わらなくなっちゃうんで、そんな風になってしまったら、その状態で仕事になるわけがないですし、会社にそういう人がいるだけでも危ないじゃないですか。
しばしばそうなるんですけれども、人間は。
私は会社で人が起こるってのは本当はナンセンスだと思うんですよ。
学校でもね、昔僕そういうものを数度目撃していて、まだ日教祖が強かった時代に、ずっと宿題やってこなかった、この話したっけ。
男の子がいて、この子が今日も忘れました。
なんでって言った時のもう先生の顔は完全に思考が剥奪されてたわけですよ。
なんで言っちゃうかなって僕が小学校4年の時に思ったんだけど、次の瞬間その子、体が宙に飛んで、ガラスの窓が割れましたからね。激突して。
死んだらどうすんだよって感じじゃないですか。思考が止まるっていうことがどんなに危険なことかという。
その子死んじゃって、その先生はもうその瞬間なんか全然人生は異なる展開を見せなきゃいけない。少なくとも先生はその瞬間やめなきゃいけなくなる。
幸い何も起きなかったけれども、その時はね、何も起きなかったっていう。
僕宙に浮いたのを目の前で見ましたからね。一番目の前にいたんでね。危ないよね、と思いません?
これが僕が怒りに身を任せるということを、基本を避けようと思ってる。まず自分のためですよ、何よりもね。
もちろん相手のためでもあるし、つまり状況のためでもあるんだけれども、怒りに身を任せるということが何か社会正義みたいな話に簡単にしてるんだけども、
その社会正義と言ってられるようにしておくためには、やっぱり身を任せちゃまずいだろうとは思うんですよね。
アルファ機能を停止させてはいけないと思うんですよ。
後から振り返れば先生はその時は考えていたって言うかもしれないけど、僕の目には全くそうは見えなかったんですよね。
完全にブチ切れてたわけです。
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農家学的に言うならば全東洋が機能を停止したわけですよ、完全に。
それは自分がものすごい大事なものをこいつに奪われたと。
この塾というね、学校を信用できないと言っている、金に物を言わせようとしている人間の親の子が宿題というものを舐めてかかって、
100日も200日も放置して、逆の果てに明日絶対持ってこいと言った簡単な塗り絵みたいなのすらやってこず塾へ行くというのが許せなかったんでしょう。
それは分かるんだけど、だからと言って、子供全身だ僕で全知3ヶ月ですみたいになっちゃったらまずいじゃないですか。
後先考えろよって話なわけですよ。
これはアルファ機能の停止なんですよね。
逆転までは言ってないと思うんだけど、でも逆転に近いところがあると思うんですよね。
だからこの思考というもの、カッと頭に昇ったいろんな文字が全部排出されていって、
その子が悪人の極地みたいに、だってそうで見えなければあんなケリ入れませんよね。
小学校3年ごときに体が飛んで窓ガラス割れるほどのケリは入れませんよね。
いい大人が。僕は絶対やりたくないですよね、そんなことは。
自分のためにですよ、ある意味では。
だから僕はそういうことが起き得ると思いますんで、どんな人にでもですね。
だからアルファ機能の停止っていう概念はいいなと思うんですよ。
無意識の思考なんですよね。
そしてそれはコンテナーが生来持っている。
何にも自分が意識的に考えずとも、私実際娘育てるとき育ったんで、
泣いていると抱っこしようというのは別に抱っこしようという意識を持つ必要はなかったんですよね。
泣いている不愉快だって人もいるわけじゃないですか、世の中には。
だから泣いているに対して何かを考えたわけですよ、私は。
意識の上ではなく無意識。
かわいいっていうのもあるんで、かわいいだってすでに考えですからね、一つのね。
このアルファ機能が機能しているということが、僕らが少なくとも日常生活を営む上で、
まして会社に行くだの仕事をするだのであれば、決定的な意味を持っていると思います。
意識同の思考などというのはですね、
これに比べれば本当にちょっと使えればもう十分だと。
もう私がこのポッドキャストを原則的には何も考えずに喋っているというのは、
全部アルファ機能に任せてあるっていう意味でもあるわけです。