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おはようございます。働く人に送る精神分析チャット、第1031回をお送りします。
8月2日金曜日、朝7時16分ですね。
今日はいくらか涼しい感じがします。
窓閉めて収録してるんですが、ギリギリいけるかなって感じ。ギリギリですけど。
お知らせです。
いよいよですね、あさってかな、8月4日、日曜日、14時から渋谷でタスクシュート手帳術会を、
ほぼ聞き飽きたという方が多いと思いますが、開催しますので、お申し込みください。
もうダイレクト。
ちょっとですね、ライブツールの豆に使い分けるという、新しい試みで、ライフハック本でも出したくなるような試みをしているんですよ。
これがなかなかうまくいってて、非常にこういうことをやるとですね、
ライブリンクってものをあらゆるツールについて欲しくなるんですけど、
いまいちあれセットされなかったり機能しなかったりで、めんどくさいんですよね。
要するにタスクシュートからあらゆるノートに飛んでいければ一番いいわけなんだけど、
なかなかそれが簡単にはいかないということで、それをでもやってるんですよ。
一番うまくいってるのは最近スクラップボックスからコセンスとかに解消された名前が変えられたやつ。
あそこに飛ばすのが一番手っ取り早くて確実なんですけれどもね。
他にもアウトラインに飛ばすのもできますし、
Macの標準メモに飛ばせればですね、非常に素晴らしかったんですが、なかなかそういうわけにはいかず。
あれ内部リンクもなぜか持ってないんですよね。ないはずないと思うんですけどね。
そういうわけで、多分詳しい人だったらパスに飛ばすとかそういうことをいろいろ駆使もできるんですけど、
あまり駆使はしたくない、簡単に設定できるやつだけでやっていきたいということで、
そういう話をメイン、その他にもタスク集とクラウド2を手帳として使うっていうのをとにかくメインでやっていきたいかなと思っています。
あとですね、また8月に入りましたので、それは関係ないんだけど、
1回9000コースのやつを、もうちょっと枠を拡大してお出ししていきたいなと思っております。
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できるかどうか、確実に枠が増えるのかって言われるとちょっとわかんないんですけど、なるべく頑張ってみたいと思ってます。
こちらもよろしければチェックしていただけると幸いです。
一般的にはこれPTXとかじゃなくて、ただの私のGoogleカレンダー共有設定でしかないので、
そこに説明は書いてありますけれども、TwitterかFacebook、XかFacebookになるでしょうね。
他はノートか、ノートでやっぱり出していけばいいんでしょうね。
最近そっちをやる意欲が、意欲というか気力が時間もなんですけれども、なかなか揃わなくてですね。
あんまりやりたいともはやノートに書きたいというモチベーションがないんですね、たぶんね。
作っていこうかなとはノートを思ってるんですけれども、何を書けばいいんだみたいに最近になるんですよ、ノートとなってくると。
何か違うものなんだな、きっと。
私はもともとアイキャッチをつけるというのがあんまり好きじゃないんですよね。
たぶんこれ僕好きじゃないってことが分かってきました。
キャンバー使えば簡単だから、あんなに簡単にできてもあんまりそこに差し掛かるとやめたくなるみたいな、
ほとんど無しで出したいみたいになってくるということはですね、アイキャッチというものが僕は好きじゃないんでしょうね。
たぶん大概の人はあれ見て読みに行くとか自然なんだと思うんですけど、
あれ見てるとここに冒頭の文章を書いておいてくれと思うぐらい、あれに意味を認めてないところがあるんだと思うんですよね。
アイキャッチというものにそもそもあんまりいい印象を持ったことが、
もともと学術誌なんかもそうなんですけど、写真を入れるんですよね。写真はイメージですとか大抵ですね。
あれ見るとそこに文章を書いておけよというふうに僕は思う口なんですね。
つまりイメージの文が無駄に使われていて、しかもごまかされているという気持ちになってくるんだ。
たぶんこういう、それこそ何十万ページと読んできたわけじゃないですか。
読み飛ばすみたいな週刊誌みたいなものも全部含めれば、その度に僕は多分アイキャッチを見る度にいい気分を持ってないからこういうことが起きてるんだ。
きっとそうに違いない。
学術誌とかって本当何のためにその写真を入れてるわけっていう気持ちになる。
iストックフォトから画像を撮ってますみたいな。
高いお金払って、そうでなくても学術誌って高いからそういう無駄なことやめろみたいな。
それだったらそこに参考資料のリスト乗っけとけみたいな、そういう気持ちになってたんだと思うんですよね。
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今はなりませんけど、絶対なってた気がします。
だからそのグラフィック見ても論文の中身の意味って全然わからないんで、グラフとかならいいんだけど。
でもグラフとかも結構冷々しく飾ってある割にはそれによって文章の中身ってわかりやすくなるわけじゃないんですよね。
だからどうしてもやっぱりそういうものですらそうなのに、単なるイメージって本当やめてほしいって、
多分そんなこと思う人間は多くないからいうものがわざわざあれ高いはずなんで結構用意されていると思いますので。
結局何を言いたいのかわかりませんが、要するにアイキャッチをつけるのがめんどくさいからノートを書くのが嫌になるという非常に本末転倒感があるんですけれどもね。
ブログって昔アイキャッチなんてものはつける余地もなかったしつけるのも難しかったからつけてなかったんですよ誰も最初の頃はね。
画像入ってたらすげえなって感じだったのに、今はもう画像入ってないと不自然に見えるという時代になってしまって相性の問題かなこれはな。
そんな感じです。
今ノートにだから何かお知らせを書けばいいのだと思ったんだけどアイキャッチのことで。
一回9000円のお知らせをしますという時に、なぜアイキャッチがいるんだという感じしかしないんですよね。
むしろCMしたい人間としてはあそこに目が行くことアイをキャッチするわけだから。
したくないという感じがしますよね。
広告効果みたいなものがちゃんとできる人は別なんでしょうけども、私は当然それはできないので。
まあいいや、めんどくさくなってきたのでそういうわけです。
今日はその話とはあまり関係ない。
最近多分これを聞いていて納得感が高い人も面白い人も少ないかもと思いながら喋るんですが。
ノラカウンセリングの話を続けていたいと思うんですね。
ノラカウンセリングじゃない話してよって思われるかもしれないんですけど、
多分僕のこれは結局私にとってのセッションにおける何か割と大事な話になっている気がしてきたんですよ。
まず考えたことが、ノラカウンセラーのための臨床心理入門以前みたいな、
何の役に立つのかわからないようなものですけど、
しかもそんなものをノラカウンセラーという人たちが好んで読むとも思われないんですけどね。
ためのっていうのは完全に外面的な、外形的な話でしかなくて、外面でしかなくて、
別にその人たちによって欲しいとか思うわけではないんだけど、
でも臨床心理の専門家が私のを読むっていうのもおかしな話だし、
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いわゆるクライアントさんとか他に普通の人たちが、
非専門家による専門チックな話を読むっていうのもおかしな話だし、
つまり誰向けのものなんかさっぱりわかんないんですよね。
私向けのものなんだけど。
で、何でこれを考えたかというとですね、
連日話してる話なんだけれども、
結局最近だから読んだんですよ、ちょっと夫婦問題に関するお話で、
このノラカウンセリングと正式のいかに差があるかみたいな。
まあ差があるんでしょうね。
わかんないですけど。
ところが、例えばホームページとかPRは正式側はいけてないみたいな話も載ってて、
そうかなって思うんですよね。
結構正式の人たちもすごいホームページとかきちっとしてる人も結構いる気がする。
ただそれはいいことなのかな果たしてなっていう、
いいことっていうのはつまりPRするのがいいことかって話ではないんですよ。
動的でああいうのって行き過ぎてる感じがするんですよね。
PRがいるかっていう感じなんですよ。
うつぱんやっぱりここで思い出したんですよね。
うつぱんさん必死だったわけですよね、カウンセリング受けようと。
どこかでそういうタイミングがあったんですよ。
ああいう時に動的でダイナミックなホームページが役に立つ気がしないっていうか、
役に立つ気がしないっていうか、ただただ邪魔でしかない感じがする。
なんかもっと切実なものを感じるんですよね。
もっと軽快に料金とか時間とか予約の方法とかがズバズバズバっと出てくる。
その記事の中で書いてあったんですよ。
カウンセリングは敷居が高いと。
これ一体どういう意味なんだろうなって思うんですよね。
野良は敷居が低いのかみたいなね。
難しいですよね。
例えばこれが廃車だったら、野良廃車とかっていたら、
それは敷居高いじゃないですか、めちゃくちゃ。
それ受けに行く人は多分いないと思うんですよ。
もっとえぐいところで。
例えば野良、納下化とかね。
なんかもう絶対敷居高いじゃないですか。
敷居が高いというのか、もうなんかホンテッドマンションのリアル版に行く勢い必要ですよね。
正式だって敷居は高いですけどね、納下化となってきますと。
だからでも廃車って結構すごいことやってるじゃないですか、実はね。
でもなんか割とサラッと行くものですよね、廃車というのは。
覚悟を決めないといけない人もいっぱいいるんだけど、
そうは言ってもサラッと行くものですよね。
ある意味地美化に行くのとほぼノリは変わらないっていうケースの人も多いと思うんですよ、廃車さんなんて。
そういう意味で敷居が確かに非常に低いですよね、正式でありながら。
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で、カウンセリングは敷居が高いっていうのが面白い表現だなっていうか、そうなんだと思うんですけど。
それはなぜなんだろうって考えると、野良問題に僕は行き着くと思うんですね。
野良問題なんて問題ないんですけどね、僕が勝手に作り出す言葉なんだけど。
で、例えばですよ、僕そうそう、それで思ったのがPRの上手い下手っていう意味で、
確かに野良カウンセラーの人たちって上手いんでしょう、あれを上手いと言うのあれば。
私は上手くないと思うんですけれども、だから野良のくせに稼げもしないという、
非常に何のためにやってんだかわけわかんないようなポジションではあるんですけれどもね、
そういう見方をすればですよ。そうじゃなくて、現場的か臨場心理というようなものは、
現場から離れてると言いたいわけじゃないですよ。その人たちが現場にいるのは間違いないんだけど、
アプローチの順番としては、結局現場側から行ったのが野良であって、
少なくとも現場側からではない方から行っているのが正式なんだっていう観点はあると思うんですよね。
これはさっきも言うように、野良の方が現場から乖離してるということはあり得ることなんだけど、
そういう意味ではないんですよ。そのユングの言う傷ついた治療者っていうのは、
もともと患者だったってことなんですよ。つまり現場に、ど真ん中にいたわけですよ。だって患者さんなんだから。
つまり病人が医者になるというのは、現場からのアプローチ以外のアプローチは成立しないと思うんですね。
その野良の中にはお金を儲けたくてやってるだけの人もいるんですよって言われるかもしれませんが、
僕に言わせれば、それが歯医者とかお医者さんなら別として、心理療法系でお金が儲けたくてやってる人は現場からなんですよ。
非常にダーティーな雰囲気はあるにしても、それは理論から言っては全然いないのみならず、おそらくですよ。
おそらくですよ、これは。こんな理論も成り立たせようってわけじゃないんだけど、僕の直感が感じさせるところによりますと、
お金を儲けたくて臨床に手を出すと、心理臨床に手を出すということは、
社会的語がそんなにきれいにうまくいくはずはないタイプなんだと僕は思うんですね。
そういうタイプの人というのはすでにある意味、傷ついた治療者なんだと僕は思うんですよ。
何かに絶望していない限り、そういうアプローチをとるはずは、だって普通に、
普通にっていうのも非常にこの場合何の意味もない普通なんだけど、
普通に就職活動して、普通に大卒して、かなりの人が適合している日本社会における行動パターンから、
野良カウンセラーになるって道出てこないじゃないですか。
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それがお金になるという、食うために野良カウンセラーになったっていうのは、
どう見ても合理的ではないし、社会適応も良くないし、多分外文も良くないし、
いろんな意味で強引なんですよね。その強引さを、その人を押し込んでいくということは、
多分その人のニードが何かあるんですよ。
私、これちょっと先日あたりから言ってることですけど、要するに端的に言ってしまいますと、
正式の人が野良の人をネットで叩くっていうのは、本当にアンビバレントな行為だと思うんですね。
時々見かけはしますけど、あれですよ、普通の人が叩くのは良いんだと。
良くはないけど、よしよしで言ったらまあまあしょうがないかなと思うんですけど、
正式の人が叩くのはですね、よほどのことがない限り、僕はアンビバレントだよなって思うんですよ。
だってその野良カウンセラーさんが自分のクライアントだったらどうするんですかねっていうことなんですよ。
別にどうもしないし、別にいいんですけど、僕はそれはアンビバレントだよなって思うんですよね。
すっごい極端なことを言えば、まさにあれですよね、
私の知ってる契約書にもちゃんと書いてありますけれども、
例えば犯罪とかにクライアントと関わっているということがあれば、
これはプライバシーは絶対だけれども情報開示に応じざるを得ないこともありますみたいなことが書いてあるわけですよ。
そこまでして、そこまでしてですよ、社会的な人であったとしてもクライアントは守ると、
そしてカウンセラーは中立であるというふうに歌おうとしておぎながら、
たかだかノラカウンセラーを必要必ずしも社会的に、
そういう要請を強くされているわけでもないのに罰していくというのは、
これはアンビバレントですよね、私から言うと。
よくてアンビバレント。非常にグレーなものを感じるんですよ、ある意味ではね。
結局このことが意味しているのというのは、
名称独占みたいな、あの話は私はマイルドだと思うんですけどね、
名称独占でことたりるんだら、とっくにそうなっているんじゃないかと。
だってカウンセラーっていう名称を独占してみたところで、
セラピストはどうするんだって話があるし、メンタルコーチングって言葉もありますし、
それはどうするんだ、全部独占できないじゃないですか。
ことごとく独占しようとすると心理コンサルタントとかもいるんだけど、
どうするんだよっていう、それも臨床心理のほうで独占するのかっていうと、
たぶんそのうち独占するほうも嫌になってくると思うんですよ。
だから、たぶんそんなことにはならないと思うんですよね。
あんまり意味があるとは思えない。私自身カウンセラー名乗ってないですし、
で、名乗る必要もないという感じがするんで、
心理カウンセラーっていうのを正式でもなんでもない人が名乗るというのは、
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不快だっていう人はそりゃいるとは絶対思うんですけども、
そこはもう私はある意味、快不快原則だよなと思うんですよね。
あんまり現実的なものを感じられない。
で、現場からって話をしてみたときに、
理論と現場って本当に厄介だなっていうか、
両方あるしかないよねっていう感じがするんですよ。
松木くんひろさんがパーソナリティ障害について書かれていて、
その中で脅迫しパーソナリティというのは排出した方がいいんじゃないかみたいなことを、
わりとさらっとまたこれもね、なかなか何かこう、
どこに対して持っていく話なんだろうって思いながらもさらっと書かれていて、
私なんか結構あそこを何回も読んでしまうんです。
言ってることは非常に本当かつ、松木先生は本当で、
本当なことしか基本書いてないところが凄みなんだけれども、
脅迫症状というのは、いろんなパーソナリティ障害の中に出てくるんであって、
それだけを単独で取り出して独立させて、
この人は脅迫性パーソナリティ障害ですっていうのは、
いまいち有益でも有効でもないみたいなそういうニュアンスなんですね。
簡単にかいつまんで、あんまり長くは書いてないんで、
簡単にかいつまんで言うしかないんですけどね。
これなんか結構爆弾的じゃないって思わなくもないんですけれども、
これを読んで全くその通りだと僕は思うんですよ、理論的には。
ただ、実際にお客様とお話ししていくとですね、
これが別に3ヶ月チャレンジに限った話ではなくて、
それこそ今やってないけどタスクカフェとかセミナーとかでもいいんですよ。
一番目につくのがやっぱり私の界隈なんで、
界隈というのは現場なんで、現場には脅迫的なっていうのがまず何とも目につくんですよ。
つまり、例えばEvernoteに全ての情報を入れて、
完全なタグをつけたい。
もう既に何だろうな、確かにそれはライブハックでしかないんだけど、訴えられていることは。
もう既に何かこう、パーソナリティ障害っていうのはいけないと思うんだけど、
でも行動の何か不適合だって感じはするんですよね。
そんなことだってできないから、実際には。
このできないことをやろうとして、それをやることによって自分のQOLが爆上がりするみたいな、
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上がるともなかなか信じられない。
それによって得られるのはEvernoteが完全に整理された状態だけであって、
それ以上のものだとはとても思えないんですね。
しかも不可能だし、実際には。
そういうふうにはできてないから。
こうなってくると、やっぱり一番ちらつくのはそこで反社会性とか論外だし、
妄想的でもない、やや妄想的かもしれないけど、
妄想というのはそういう意味じゃないから、妄想とも違う。
ヒステリーとかでは全然ない。
やっぱり言うなら脅迫。
だから脅迫ってものが廃止されると、廃止されないんですけども、
廃止されるとこういう話はどうなるんだろう。
それは健常者にいいんですっていうのかもしれないですけど、
例えばですね、実際に近い話なんですけど、
例えばずっとそれだけをやっていたい。
ずっとそれだけをやっていたいから妻とも別居しますみたいなのはどうなんでしょうねっていう。
もちろんそれは話を聞き込んでいけば、
これは主訴かもしれんけれどもうんうんって話になってきますよ。
確実になります。
おそらくは回避性みたいな話がそこに出てくるっていう意味では、
松木さんのおっしゃる通りなんだけど、
それは正式の人たちのアプローチであって、
非常に深い知識を要するじゃないですか。
そんなことまでみんな、
結局廃止するってことはそういうことなんで、
マニュアルが変わるわけですから、
そこまで求めるのであれば、
やっぱりすごく幅広く、
しかも知識も豊富で、
で、練習経験もたくさんあってみたいな、
それ正式の素別の人に要求するのも酷だろうと思われるわけですよ。
ここで、でも現場では、
昨日も言いましたけども、
いや心の専門家でもない人間が心扱ってどうするのって言われたりするとしてもですね、
でもEvernoteを完璧に整理しきりたい。
って人を、心を全く見ずに対応しちゃうと、
どっちかしかないですよね。
1、諦めてください。
2、ではこうやりましょう。
って言って、めちゃくちゃ無責任に放置し、
別にそれでいいじゃんって言われればそれでいいです。
それでいいんですけれども、
ライフ界隈でその話をする以上それでいいんですけれども、
やっぱりここに分け入っていくと、
すいません。
多分臨床っぽい話になっちゃう。
ここに分け入っていくと心理臨床っぽい話になっちゃうと思うんですね。
で、脅迫ってのは完璧主義ですよね。
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このライフハックやビジネスショーの世界でよく言われてるところの完璧主義です。
それが整然とした環境に自分を置けば、
自分のパフォーマンスやメンタルの状態は良くなる。
つまり、良い意味での、良い意味でのってのもおかしいんですけど、
良い意味での傾向状態を実現できるっていう感じの話なんですよ。
で、実際それで良しとするしかないんですよ。
私たちがあらゆる意味で正式でないというのを貫こうとすると、
これはですね、僕は別の言い方をするならば、
心の領域に踏み込まないとか、メンタルは扱わないっていうことに特化したり、
自分をそこに方向づけるためには、
あらゆる問題の問題解決に向かっている、
つまり全ビジネスショー領域、ファイナンスであろうと、
税であろうと、AIであろうと、何であろうとですね、
全領域において臨床心理について詳しくなかったら、
メンタルに踏み込んじゃいますって言いたいんです。
だから、ノラカンセラーっていうのは絶対居なくはならないんですよ。
人の相談を受けちゃダメなんですよ。
もしそこを徹底するのであればね、
本当にエヴァノートの整理にだけ特化して、
完璧主義というものも、その無理さというものに対して、
諦めろ以外のことを言わないんだったらば、諦めろっていうか、
その具体的な方法手順を示す以外の何もしないんであれば、
タスクシュートなんて超有名じゃないですか。
最近Jさんも盛んに24時間の記録にこだわらないようにしましょうって言ってますけど、
あれだってグレーゾーンですよ。
メンタルに絡んでないとは僕には到底言い切れない気がするんですね。
だって24時間取るのは諦めましょうっていうのは、
24時間取るってことはできることですから、
私ずっとやってたわけだから。
ただそれをやっても大した意味はないし、
そこにこだわってしまうとタスクシュートが続かなくなるからっていうんだろうけれども、
もちろんそうなんですけれども、それは正しいんだけどね。
でもタスクシュートが続かなくなる理由っていうのは、
極めて心理的な理由なんですよ、私の目からすれば。
それは面倒くさいからっていうかもしれないけど、
面倒くさいっていうのはすでにかなり心理的な理由ですから、
もっと違う理由もあるんですけれども、
とにかくそれが続かなくなるというのはかなり心理的な理由なんですよ。
で、取りたいっていう人に向かって諦めましょうって言う以外に、
もう少しマシなことを言おうとしたらですね、
テクニカルなことだけに終始できないんですよ。
だってテクニカルにだけ終始すればできるんで。
できない理由というものはテクニカルなところからだけでは出てこないんですよ。
必ずテクニカルじゃない理由、つまりメンタルな理由が出てきてしまうんですね。
そこはどの程度まで踏み込んでいいのかが、
その人にはっきり分かっているというのであれば、
その人は臨床の知識がゼロだってことはあり得ないと思います。
ていうかあり得ないですね。
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だからどうしたって持ってしまって、どうしたって使ってしまっているんですよね。
それを使うのは絶対ダメだって言うんだったら、
あるいはお金を取るんだったら絶対ダメだって言うんだったら、
もうひたすらひたすら技術部分に特化しなければならないですね。
で、僕はここに一番最初に簡単に現れてくるのが脅迫症というもんだと思うんですよね。
脅迫症というのは結局、自分のある種の人生に対して絶望感があるんだと思うんですね。
そこから始まって失ったものがある。
つまり対象喪失があって不安というものが先に立っている。
この不安というものがですね、
例えば非常に分かりやすいところで言うと、
ガスの元栓を止めただろうかと思って、
新幹線に乗る直前なのに家に戻っていってしまう。
そういうふうに恐れている人というのはやっぱり、
これ以上私が今持っているものを万が一にでも失ったら、
もう取り返しがつかない。
自分だけの人生というものを切り盛りしていけないという、
すごく親、自分の心の中の親に対して、
自分が小さな小さな子供になってしまって、
無力感で震えているという状態なんだと思うんですよ。
こういう状態は心理的にしか説明しようがないじゃないですか。
で、何が言いたいかというと、
家がちゃんとあり、火事も全然起きておらず、
土島にもきちんとしてセコムもされていて、
エヴァノートの整理もバッチリで、
税の納め方もきっちりしていて、借金もなくて、
つまりすべてがすべてが整っている状態というものに向かって、
邁進して生き続ける人生を歩んでいる人が不安と無縁でいるとは、
僕には信じられないですね。
不安というものがなくなればなくなるほど、
それらのことは運に任せておいても何とでもなるって感じ。
つまりこれは自分の強さに頼んでるって、
頼むって立心弁に松みたいな字ね、お寺みたいな字ですね。
自分の強さに頼んでるはずなんですよ。
で、自分の強さってものは、
そんなものを信じちゃいけないんだっていう風に、
人に向かっても言うし、
自分では確信しているっていう人はいっぱいいらっしゃいますよね。
だから何かのノートとか、何かのテキストとか、
何かチェックリストとか、
そういったものを必要とするはずなんだっていうことですよね。
例えば私が自信を持ってると、
お前は自信過剰だから家がボウボウに燃えるんだよっていう、
まだ燃えたことはないですけれども、
そういう話じゃないですか。
お前自信そういう風に持ってるからお金がなくなったりするんだよ。
もっとファイナンシャルプランナーに頼んで、
お金の節約の方法を聞いて、
きちんとお金の管理をして、
そういう風にしないから大変な目に遭うんだよっていうことじゃないですか。
そこに僕は、
物の見方なんですね、これはね。
それが常識だという言い方もあるでしょうし、
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それが賢い生き方だという言い方もあるでしょうし、
それは脅迫的だという言い方もあると思うんですね。
3番目の観点を素人は取れませんってことは、
私はないと思うし、
そこまで言い出してしまうと、
今度はファイナンシャルコンサルタントみたいな人だって、
仕事はさぞしにくくなるだろうと。
そういう意味でですね、
接触してくるんですよね。
この臨床的な観点というのと、
いわゆる相談に乗るって話は必ず接触してくる。
この接触点を完全に切り分けようとするっていうのはですね、
昔インドとワキスタンの国境を分けようとして、
家の上から国境を引くみたいな、
つまり家がびっしり建っているところに線を引いて、
しかもそこが敵国同士になったらどうするんだってなっちゃったんですけれども、
核戦争一番起きやすい時期がインパ戦争ありましたけれども、
もともと同じ国でしたから、
あそこを上から線を引くっていうことをやろうとすると、
そういうことが起きるんだけど、
ノラカウンセラー問題というのは、
実はそういうことを含んでいるような気が最近してるんですよ。
ここに線を一気に引いて分けようとしたって、
土台無理なんだけど、
なんで無理かっていうのを考えていくとですね、
意外とそこに傷つきのネタがあるから、
だって傷ついた治療者がやろうとしているのがノラカウンセラーですから、
普通はですね、
さっきも言いましたけど、
お金を儲けたいからやりますっていうのは、
その傷つきっていうのを何とかするのが臨床心理だとすると、
それを分けるっていう話は、
すごく直到着的になっちゃわないかなっていう気が、
やっぱりしているんで、
最近この話を繰り返しているんでしょうね。