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2024-01-30 50:17

タスクシュートと行動科学と精神分析【GMV927】

朝、布団から出られない「本当の」理由を考える。
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
1月30日、火曜日、午前7時38分です。
相変わらず寒くてですね、朝焼けが綺麗ぐらいなのが、ちょっと最近早起きする報酬かな。
この報酬という言葉を今日は、メインテーマにしてお届けしたいと思うわけですが、
J松崎さんとですね、今絶賛参考中と年功とも言ったりしますが、
明日が締め切りの年功に、今日、倉園さんのグッドファイブスという全て力を挙げてですね、
なんとか教授に、この全て力というのは文字通りに近く、文字通りではないんだけど、
私だけではなくて、関係者全員ぐらいの勢いで、明日にはなんとかしなければならないので、
明日に行こうということですね。
この本がですね、発売前10版とは少し違うんですけど、
発売前に初版の、なんていうんですかね、部数像が決定いたしまして、
この2つを分ける理由は何なのか、内部事情はわからないんですけれどもね、
おかげさんはね、1500部が増やしていただけることになりました。
私たちにとっては、発売前10版とほぼ同じ意味になるので、
そう言って差し支えない気もするんですけど、
対外的にはこれ言うのは、初版部数像というらしいです。
おかげさまでありがとうございます。
これはAmazon予約が入ったということが大きかったんだろうと思います。
で、今ね、紙の本はごとん下がってきているみたいなんで、
これはあれですね、コロナ後期、コロナ公共っていうんですか、
紙の本に関しては伸びたんですよ、一般的に。
それは理由は割と明瞭でして、他の娯楽がどんどん閉じちゃったからというのが、
紙の本屋さんはね、喋らないですしね、
それほど人が密になる理由もないので、
割と空いてるところが多く、そこに時間ができちゃった人が向かって、
紙の本が伸びるという現象が起きたわけですが、
当然そういうことだったわけだから、
ディズニーランドが開いたり、それこそ普通にパチスロが開いたり、
レストランも開いたりすれば、どんどん居酒屋もね、
どんどん来ていた人は来なくなるわけですね。
それで反動的に落ち込んでしまったらしいんですよ。
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加えて今は紙等も高いんですよね。
これはもういわゆる物価高の流れを諸に受けて、
本そのものが値が上がってきてしまっております。
の関係上、やっぱり電子に人々が流れて、
非常に分かりやすいですよね、ある意味ね。
何が理由とか原因とか言ってる場合ではなくてですね、
私なんかの世代には大変懐かしい、
窓際のトットちゃんが続編出たじゃないですか。
あれと村上春樹さんの本とかで、文芸は検討してるらしいんですけど、
でもこの検討っていうのは怪しくて、
前ほどは売れてないけど、近いところまで売れてて、
あんまり落ち込んでないよみたいな感じなんですけど、
文芸以外がのきなみ定調ということで、
これは当然僕はトットちゃんに期待するとか、
土台ちょっと無理だと思うんですよ。
一人ですからね。
それで全てを賄うっていうのはおおむね無理だと思って、
しょうがないかなとは思いますね。
髪高くなっているというのは、
髪だけ高くなってるわけじゃないですからね。
でも私は先日見たんですけど、
ミニトマトとかやたら高くなってるし、
肉とかも高くなってますよね。
だからこれは輸送料とかが上がってるんだと思いますし、
紙の本ってのは運ばなければなりませんから、
これも結構バカにならないと思うんですよ。
全国に配本していくという、
一冊一冊の重いしね、
これは高くなると思いますね、やっぱりね。
そんなこんなで、
中で割と検討ということで、
大変ありがたいと思います。
はい、その本のつまり先送りゼロというタイトルですが、
無論、J松崎さんと私の教授ですから、
随所にタスクシュートというか、
なんていうんですかね、
隠れてはいませんけれども、
本題がタイトルは先送りゼロですけれども、
その手法はタスクシュートということになる、
そういう本です。
久しぶりに、本当に久しぶりに、
このタスクシュートと、
アメリカの心理学、
特に行動科学の話を交えてしてみたいんですけどね、
行動科学って基本的には、
報酬で習慣を形成すると、
そういった習慣の中で、
行動科学というのは、
基本的には、
報酬で習慣を形成すると。
この軸だけでも本、
実は一冊書けるんですよ。
私、書きました。
やめられなくなる小さな習慣という本を、
ソーテック社さんから出させていただいたんですが、
この時、私はほとんど行動科学の話を、
06:02
習慣に置き換えるというテーマだけで書きました。
一番ありがたかった書評に、
行動科学は知っているつもりだったけど、
ここまで応用範囲が広いとは思わなかった、
という書評をいただいて、
私が言いたかったことはまさにそれなんですよ。
行動科学は結構いろんなことが言えるんですよね。
基本的には報酬、
つまり子どもに、
昔、私はこれはすごい劇的というか、
ある意味鮮やかな手法だなと思って、
あまりみんなが褒めなかったし、
いろんな意見が出るのは当然だと思ったんですけど、
何しろ金のシールを量産する学校の先生がいましてね、
小学校3年の時の須郷先生というね、
人名を出しちゃってますけど、
そういう先生で、
とにかく金のシールを使うんですよ。
漢字のテストでも笛の練習でも、
何でもかんでも金のシールを使うんだけど、
これで伸びるんですよね。
結構目に見えて子どもたちは、
小学3年生ぐらいだと。
いやー鮮やかだなと、
僕は感心させられたんですけど、
これが典型的な行動科学の、
しかも性の報酬と呼ばれる。
ここがすごく大事です。
性の教科書。
性のって言ってる時に、
気持ちいいんだなとか、
そういう簡単にそういうのをイメージされてしまうんですけど、
そうではなくて性のというのは、
この場合に与えるという意味ですね。
ポジティブリインフォースメントの略なんですが、
性の教科書という、
性の教科書に対して不の教科書というのは、
なんか気持ちが悪い報酬とかなのかと思ってしまう人もいるらしいんですけど、
そうではなくて、
これは取り除く報酬ですね。
嫌なことが取り除かれるのは、
気持ちがいいから繰り返すっていう意味です。
これをネガティブリインフォースメントって言って、
これアメリカ人でもこのネガティブを、
文字通りネガティブなものだと訳して、
よく分かんなくなっちゃう人がいるらしいんですけど、
なんかちょっと不愉快な気持ちになっちゃう人もいるんですけど、
そういう意味です。
で、
不愉快なものは報酬にはならないと、
行動科学では考えます。
つまりこれは取り除かれる報酬です。
何だろうな、
例えば、
痛み止めとかの薬が癖になるじゃないですか、
これは痛みを取り除くというのが報酬になるわけですよね。
痒み止める、
無比ですよ、無比。
痒みに無比。
だから、痒みを取り除くというのが報酬になるわけですよね。
痒み止めるというのが報酬になるわけですよね。
もちろん、
痒み止めるというのは、
痒み止めるというものは、
取り除くあれは報酬なんですね ついでにスッとするとかが追加
されてるんだけどこれは同時に 2つ使ってるわけですよスッとする
というのは与えているし痒みは 取り除くというだからポジティブ
なのとネガティブなリインフォースメント 両方同時に使うと習慣化するという
考え方ねこれがネガティブあの 不の教科書と日本語では言って
いて分かりやすいとは言えない これはねなんかちょっといろんな
09:00
解釈が実は入っちゃってるんですよ ここにだからいろんなことがネット
に書いてありますが私がアメリカ で正規の行動科学として習った
のは今のようなものです多分間違い ないと思うんだけれどもいろいろ
解釈ありますからね私が知ってる のはこういう話ですよという点
ですでこれはですねタスクシュート と絡みがあってですねやっぱり
これをやってるといいことある なとか気持ちよくなるなという
のは続くわけですよでこれをやってる と嫌なことが取り除かれるなという
のはもっと続くんです実はこれは 行動科学の理屈にあるんですよ
ぴったり当てはまってネガティブ リインフォースメントの習慣は
継続しやすいというのが統計的に 出ているんですねだからかゆみ
に無比はみんな買い続けるということ ですよ別に僕は無比のCMしてる
わけじゃないですけどねでこの ネガティブリインフォースメント
が効くっていうのはタスクシュート を追ってると非常に分かるんですよ
確かにこういうのが続いて残って いくタスクとしてつまり習慣として
継続しているものはこの負の教科 詞が一番有効かもしれないなと
思うことが多々ありますこれは 非常にタスクシュートをつぶさ
に観察していると見えてきやすい 話ですだから行動科学と認知行動
療法の行動療法ってのはここを 説明するんです認知は認知の歪み
なんだけどつまり何が報酬になって 何が罰になるかが人によって違う
じゃないですかそこが行動科学 っていうのはいや人によって違
わないんだみんな同じなんだって 頑張ろうとしたんだけど頑張り
切れなくなっていくわけですね そこに認知療法という考え方が
出てくるわけですよ人によって はSMとかってあるじゃないですか
どう考えても罰にしかなってない のにその人にはそれが報酬になっちゃう
みたいなここに認知の歪みっていう 考え方が出てきて認知行動療法
というのはつまり報酬が報酬として 機能するかどうかについての検討
が加わったわけですね逆に言う と別の言い方をすると罰が罰として
その人に機能するのかしないのか についての検討が認知というもの
を通してつまりその人の受け止め 方次第では何が罰になり何が報酬
になるのかが人とずいぶんずれる と別にずれてもいいんだけれども
そのことによってその人が社会 適応がうまくいかないとか変な
ストレスを食らうということになって いたらそれは認知の歪みを正して
皆に受け入れられやすい解釈を するようにしつつ行動療法も併せて
使っていきましょうねとこういう 考え方ですね認知行動療法多分
僕がベースとして習ったのはこういう 考え方そして行動科学を続けるんですけど
性の罰ってのがあるんですよポジティブ パニッシュメントこれは気持ち
のいい罰とかではないんですよ そういう誤解が一部されるらしいん
12:04
ですけどこれ与えられる罰ねだから ポジティブってのは与えられる
って意味です要するに追加されてる っていう感じがあるわけですよ
わざわざこれはめちゃくちゃ分かり やすくて犬に電気ショックを与え
たらそこには近づかなくなる当たり 前ですがポジティブパニッシュメント
なわけです性の罰ですこれはあんまり タスクシュートやってても性の罰
が思いっきり出てくるもちろん 職場でやたら怒る人とかがこれ
に相当するんだけどまあそれ続け たくなるのに分析はいらないよ
なってやつですよ私も歯医者には 行きたくないと歯医者に行ってる
のは性の罰を食らうからではない わけですよ性の罰があるにもか
かわらず行くとこの辺に認知両方 の考え方が活躍する場が出てくる
わけですねで性の罰この次がポイント に僕はなると思うんですよねネガティブ
パニッシュメントこれはネガティブ な罰とかじゃないですよね取り
除かれることが罰になるという 意味ですここがよくテストでも
引っかかるので多くの人が引っかかる のでテストでコマゴマとアメリカ
で問われましたその先生はもう意地悪 くていうかみんなやってくるけど
ここを問うてくるわけですネガティブ パニッシュメントについて説明
せよとまあここはアメリカ人も 落としますねネガティブな罰
だみたいなそういう意味ではない 取り除かれる罰ですこれはアメリカ
の教育ではですね教育ゲームでは これをやたら使うんですよねタイム
アウトって言うんですよつまり ご褒美をその子にだけ与えない
という形で罰を与えることが教育 上いいんだというのがアメリカ
で石鹸した時代があったらしいん ですねこれをよく使う先生本当
多くいらっしゃってて友達と遊べない っていうようにするわけです教科書
の隅に座ってなさいと特にだから 叱責をされるとか殴るとかアメリカ
で殴るの絶対誤発なので絶対出ないん ですけど怒鳴るとかも一切やめて
とにかくネガティブパニッシュメント を与えるというか取り除くわけ
ですねだからその子はその時間は タイムアウトで教室の後ろのほう
に座ってなければいけない特に 何かが与えられるというよりは
やっぱり何かが取り除かれてしまう 私はタスクシュートで先送りが
繰り返されるやつはこれなんじゃない かと思ってるんですねポジティブ
パニッシュメントはないなって 思うんですよね何かやろうとする
ために原骨飛んでくるみたいな そんなことはあり得ないと思うん
ですよ私たちが何かを先送って しまうつまりこれは習慣にならない
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っていう話になるんだけど何か をしないわけだから何かをしない
ことが習慣になるっていう言い方 をしてもいいんですけどどっち
かっていうと何かをしないって 感じがするんですよね今回も
フラドのケイゾーさんとセミナー で服のループの話をしたときは
やっぱりお風呂に入れないとか これはお風呂に入るということが
できないんですよねこのときに 風呂に入ると嫌な思いをするって
ことではないだろうってやっぱ 思うわけですよ風呂が酸性が強い
とか考えにくいやっぱりネガティブ パニッシュメント何かが手に入らない
というか何かが取り除かれていく 罰というものを意識するんじゃない
かなと思うんですよねここって 行動科学の領域でありながらも
実際はいろんなことが考えつき にくいんですよそういうテスト
も出るんですねポジティブパニッシュメント 考えなさいめちゃくちゃわかりやすい
じゃないですかいやもう電気ショック 殴る怒る水かけるみたいな全部
ネガティブパニッシュメントですよ ね違うポジティブパニッシュメント
考えなさいってなると途端にタイム アウト以外何も出てこなくなる
なりやすいわけですよ手が込み ますよねこの種の罰ってでもこの
種の罰を使って意識しないとですね それこそ本当のことはわからない
なって感じがするんですよこれは j松崎さんの発案と考えていいと思
うんですけど今回の先送りゼロの 大テーマでもあり百日チャレンジ
のテーマでもあるんですけど1分 だけ取り組みましょうとあれ何を
言っているのかというと時間がない という理由を消去法で決して消し
にかかっているんですよ人は言う じゃないですかいや時間がかかる
やつはタスク手がけられないんですよ みたいな時間がかかりすぎるから
泣きおびきするんですよっていう これを言わせないために1分だけ
やりましょうって言うんですよこう なってもなおその1分できません
でしたって言ったとき時間がなかった っていう理由はおかしいわけですね
いや時間は1分ならあるだろうって 話になっちゃうわけですよ同じ
ようなことをマークフォースター って人がマニアナの法則で言って
ましたけどファーストタスクで5分 手がけろと5分がないってやつはいない
だろアメリカ大統領だって5分なら あるだろうっていう話で忙しい
からという理由を使えなくするために これ言ってる面が強いんですね
忙しいという理由は理由にならないん ですよ1分間着手法であればね
だから先ほくりゼロではこの1分 ということをうるさく言うわけ
ですねこれより下の単位はタスクシュート にないので記載できませんから
30秒とかは1分というのはもう最低 ラインなわけです1分追加したところ
で終了予定時刻は1分しか増えない から体制に影響を絶対できない
わけですよなのに毎日やらない というのはこれは時間がない
ことは理由ではないと次に大変 だからですっていうのもあるじゃない
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ですか確定申告のやつ大変でっていう でも1分しかやらないのに大変っていう
理由は使えなくなるわけですよ だから大変も時間がないも両方
打ち消せる理由として1分着手っていう のを考案したんですねJさんがこれ
でもなお先送りするだろうと我々 は考えるわけですね1分着手って
言ったってその1分もしないよね と何ででしょうという理由が出て
こなくなるここが大事なんですね 俺々は本当のことは分からない
これはクラザの平蔵さんのgood vibes だけど本当の理由なのが分からない
それが大事ってことなんですよ 行動科学で分かるようなのは非常
に分かりやすいのでいや生の報酬 があるからやるやりますよそりゃ
お金がもらえるからやるとかめちゃ くちゃ分かりやすい不の報酬がある
からやるこれは痒みに無比だから 無比つけるってやつでこれも分かり
やすい本当のことは本当は分からないん だけどそれでも大体これが本当だろう
とみんな思ってやってるわけですね 生の罰があるやつはやらないこれは
やらないですよねだからみんな 歯医者には行きたくない痛い目に
合うから行きたくないわけです 会社にも嫌なパワハラの上司が
いるから行きたくないとか全部 生の罰なわけですここまでは分かり
やすいんですね分かりにくいのは 不の罰なんですよなんでだかよく
分からないんだけどやりたくない 多分それはここから僕は精神分析
の領域に移るんだと思ってるんです だから行動科学のうちの4証言で
これを分けるわけですねアメリカ らしい図式化しやすいこれ人気
が出るわけですね正と不に分ける 報酬と罰に分けるつまりネガティブ
とポジティブに分けリンフォース メントとパニッシュメントに分ける
わけですよそうすると一番わけ わかんないのがネガティブパニッシュ
メントなわけですねここは私は 精神分析の領域に移るべきだと思
うんですよ認知両方のほうに移る って言うんでもいいんでしょう
けれども僕はやっぱり無意識って 話に持っていきたい認知の歪み
っていうのは無意識っていうの とやっぱり近いところがあると思
そして無意識のほうがはるかに ラジカルといいますかはっきり
物事をさせている面があると思 うんですよ認知の歪みっていう
のはいろんな説明をそこに結局 無意識もそうなんだけど認知が
歪んでるって本人気づいてない じゃないですかそれを勝手に
人が指摘するっていうのはそこで 議論の余地が出てくるんですけど
指摘してもいいよねそれだったら っていう場面もありますよねだから
意識上でのカウンセリングっていう ので今そっちが主流ですがやって
いくのがどちらかというと認知 両方でお互いそれ分かんないよね
と無意識なんで分かんないから 頑張って探っていこうねという
と精神分析的になっていくわけ ですね分かんないから探っていく
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ほうは手間も時間もかかるしゴール もはっきりしないつまり現代無敵
ではないわけですよアセスメント もしにくいだってお互いが分かんない
って言ってるものの結論を最初に 出すっていうのはおかしいじゃない
ですか認知両方だったらそういうこと はしなくて済むのかもしれません
ね行動両方だったら絶対それは しなくて済むこういう行動ができる
ようになりましょうそれをゴール にしましょうってはっきり先に
言うことができますからねで一見 したところタスクシュートなんて
ものはまさにはっきりさせると思 われると思うんですけど僕らは
そうは考えないわけですよ僕ら はね僕は少なくとも考えないし
jさんも考えてないつまり1分着手 した結果どうなるかはよく分かり
ませんみたいなところにあるんですよ ねそうは言わないけれども結局
アセスメントをはっきりさせる という行動的な行動科学的な考え方
といかにも相性がいいようで意外 とそうでもないのが僕は割と最近
のgood5sの仕事術というふうに立 ってますからそういう意味では
最近の仕事術にはこういう線が こういう勢力というのかなこういう
考え方が入ってきたと思うんです 最終的なところとか次に行くべき
ところとか目指してるところが どこかとかは実はよく分かって
ないんじゃないかと少なくとも そんなに具体的な話じゃないん
じゃないかっていうことですgood 5sでは平安愛とかそういうこと
になるけどこれは決して具体的 ではないですよね具体的な行動
をさせていないし具体的にどういう ことができる人になるとかいう
話とも違うと思うんですねとっても 大きめな目標っていう感じがします
よねタスクシュートはそういう のを謳うわけでもないですけれども
全体として何かが良くなるって 感じを目指しているというか向いて
いる感じがするんですよでもやる ことは一分着手なのであってそれを
5回もいいか続けたところで立ち 待ち何かがはっきり目に見えて
変わっていく変わっていくと僕は 思うんですけれども変わっていく
という保証を出すことはできないん ですよねそういう意味では少なく
も行動主義的ではないと僕は思 うんですそれが精神分析的と言える
かどうか分かんないですけどただ 振り返しよく理由もなく先送って
しまうしかもそれをやろうとしている ということであるならばそこは
僕は無意識っていうものを見当 に挙げたほうがいいと思うんですね
認知バイアスではなくてここに ネガティブアニシュメントが潜んでいる
と蔵園さんなら最近はっきり罪悪 感と怒りっておっしゃるんだけど
パッとそれが何であるのかどこに 怒っているのかとか何に罪の意識
24:05
を持っているのかが少なくとも 人に指摘されないと分かりにくい
ここの他人が開罪しなければならない っていうところに僕は非常にカウンセリング
的な要素をかぎつけてしまうわけ ですねタスクシュート眺めてる
だけでは本人にはそんなに簡単には 見えてこないんじゃないかと思
わけですここに無意識の罰と要 するにそういうことを僕が言いたい
わけですよ無意識の罰とネガティブ つまり取り除かれるって何なんだ
っていう話ですよね取り除かれる って何かがないってことです僕
はここで一足飛びに結論をつまり 個別によくヒアリングをしてその
人にとって何がどうなってるのか を伺わないとだから簡単なこと
のようで全然簡単じゃないんです けれども結論を一般論として言う
ならばこれは皆さんに当てはまらない と思いますが私がしばしば当て
はまる話として母親ってことになる わけですよいいおっぱいの不在
なんですねだから不在論いいおっぱい が取り除かれることほど赤ちゃん
にとってのネガティブパニッシュメント はないわけですよいい母親がいなくなる
もう絶望なわけですねその絶望 あれですよ1歳児だから絶望するんですよ
そんな話に50歳になった私はそんな 話には絶望しないだけれども1歳
だったときの記憶がここで邪魔を するつまり簡単な説明になりません
が私が例えば現在やろうとしている 構成ですね参考やってますから
うまい例じゃないんだけど参考やり たくねーなーと思って毎日毎日
先送ってついに明日になるまで 手がけなかったから大変なことに
なりましたって言ったときに8 いいおっぱいの不在ってのが足を
引っ張ってた可能性について私なら 考えます必ず考えます今はねだから
それが行動科学的に言うと極めて 表面的な面もあるんだけどもえっと
取り除かれる罰なのではないこれ に手をつけようとするとその時
の記憶が取り除かれる罰として 繰り返し繰り返し私に襲いかかって
くるから糸も簡単にやれそうな ことが全然できないんじゃない
かっていう検討のつけ方をする わけですよもちろんこれはわかん
ないですよもしかするとむしろ もっとエディプス的なねお父さん
が厳しいっていう話なのかもしれない その可能性も十分ありますこの
お父さんの厳しいみたいになって くるとこれは結構性のバスみたいな
与えられるバスみたいな雰囲気 あるんだけどやっぱ違うんですよ
ね虚勢って言うのは文字通りって ことありえないじゃないですか文字
通り口にはしませんけど文字通り 虚勢切られますみたいなそんな
ことはありえないですよ現代では まあこれはやっぱり勢いをそが
27:02
れるわけですねお前それやって いいと思ってるのかって言われる
のはなんかこう与えられる罰みたい なんですけどというよりはやっぱり
取り除かれる罰として機能する 感じがするんですよさっきまで
優しいお父さんがなんか急になんか 怖いこと言い出して家から追い
出すとつまり今まであったコミュニティ にいていいとかそういうやや環境
都市の母親的な話にやっぱなっちゃ うんですけどねそういうような
安心感みたいなものよく最近話題 になるじゃないですか心理的安全
性みたいなねそういうこう空気 のようであったものが唐突に取り
除かれるその時に我々はパニック に陥るそういったものがネガティブ
パニッシュメントつまり取り除かれる 罰として機能するこの辺に毎日
掃除ができないとかそういった 話が関係してくるんではないか
でついでに言うならば僕はこれこそ が本から出られない僕あれ起き
られないという表現よりも正確 だと思うんですよね布団から出
られないといった方がどんな取り 除かれる罰っていう感じがするん
ですよそこは居心地のいいこう ぬくぬくして入れられる空間みたいな
やっぱり僕はそこがですねえっと なんつうんですかね子宮っていう
イメージの方がえっと近いなって 感じがするんですよねなんかこう
雨玉をあげるから勉強しなさい みたいなその雨玉を取られてしまう
からえっとやりたくありません みたいなそういうえっとあまりにも
単純ななんでしょうかね個体として の生き物っていう部分もあると思う
んだけどもっとこう我々はここに 包まれていたりとかえっとこっ
から寒いところに追い押し出された くないとかえっとそういう方が
当然切実に響くだろうなとそして そういうことが切実に響いてた
時代は全ての人が経験してきた よねこういうふうにえっとそれが
なぜ罰になりそれがなぜ報酬になる のかのえっと原点みたいなところ
まであの検討していかないとですね 雨はおいしいから報酬になります
みたいなそういうえっとなんか こそこの説明が全くないっていう
のはやっぱりもう一つ物足りないん じゃないかとあのさっきも言った
とおり小学校3年生の時の先生だね やったこのポジティブ
つまり生の教科書は大変鮮やか でした一斉に子供たちがまともに
笛が吹けるようになるこいつ絶対 笛吹けるようにならねえよみたいな
人も出てるようになっちゃうそういう えっと目に見えるわかりやすい
効果も出すときは出すんですよ だからこの科学っていうのはバカ
にならないって私は思うんだけど 一方でこれはえっとやっぱりその
かなり複雑になってきて例えば すごく反抗的な子供みたいになった
30:00
ときにはやっぱりこれは機能しない 部分があるわけですよねしょうがない
んですよこれはえっとそこまで 単純には人は動けないっていう
ところがここを単純に受ける人は もともとえっと社会とのやり取り
がえっとにそれほど嫌だと思って ないからできるわけですよねえっと
僕もそうでしたけど一部の生徒やっぱ わかりきった話だと思ってるわけ
ですよ金のシールなんか欲しい わけじゃないわけですね金のシール
なんか欲しいわけじゃないけど 先生に付き合ってあげようって
思ってやってる子も結構いるって ことですよでもこれらの子は要
するに健全なわけですよ言い方 によって言い方にもよるとは思
うんだけどであの子の黒さ本当に みんな笛とかもおまいしあの漢字
もよく勉強してるよねってえっと 素直に関心する人もいればやっぱり
うちの親もそうだったけどうちの 親の友達とかもみんなあのやり方
ちょっとねみたいなことを影口 で叩く人も出てくるわけですよ
この方法を思いっきり適応している とですね先生もそれを言われてる
ことは100も承知でそうは言っても えっとうまくいくやり方なんだから
えっとこれ採用させてよってところ だと思うんですよねクラス運営
って簡単じゃないですかあの時代 は結構強権的なところがあったん
で今の要するにこう学級崩壊みたいな のはほとんどなかったというか
ほぼ聞いたことがなかったんですよ ねうちの学校はすごく多くてえっと
1学年7クラスっていう時代もあった ぐらいなんですけどしかも1クラス
50人という今じゃ考えられない ある種劣悪な環境でも結構きち
っと運営されてたんですよでも そこはえっとそれはもうひどい
もんだったっていうがクラスもあって まあこの金のシールはあの理想的
とは言えないかもしれないけど 悪くはないよねというのが一般
的な批評だったわけですねもう そりゃああれですよねクラスの
系のさんもあの本に書かれてました けどえっとうちなんか小学校ですから
ねまだ23年とかなのにほぼ殴る 蹴るってやってたみたいな先生
もいてあれはもうどう考えても あの先生も結局そのいろんなこと
があって違う学校に行かされちゃ ったんですけどこの辺がちょっと
いい質なところあったんですよね 子供を怪我してましたからねやっぱり
ねこれよりは金のシビルの方がいい でしょうっていうのは当然子供たち
の方がむしろ切実に思ってたところ ですよねいやなんか体中耳ずばれ
とかにさせられたり止まったもん じゃないよねという所詮笛吹け
ないとか笛なくしたとか笛なくした とかその殴る蹴るの先生のところ
で言ったらもう大変なことになりました まあそんなわけですよこれがつまり
行動科学の世界なんだと思うんですね で大人はまして現代の大人はこん
なんではとてもやってられない のであの金のシールじゃあ多分
会社に行って一生懸命営業しよう って思う人は極少数になってしまう
でしょうしだからといって殴る蹴る なんてわけには当然いくはずもない
33:01
のでえーと我々の世界で起きている ことっていうのはもう生の報酬
はお金は賞賛あるいは心理的安全性 とかなり限られてくるわけですね
で問題なのはそっちじゃなくて そっちはほぼ問題にならないと
なんだかんだみんなそれで動く わけですからそっちじゃなくて
ネガティブパニッシュメントの 方何かが不足する罰っていうやつ
ですねえーと例えて言うならば これもやっぱり心理的安全性みたいな
ものだと思うしあのそれこそちょっと 前にもものすごく流行ったえーと
今どうなのかなえー承認欲求ですね 僕あれはやっぱりいい母親の不在
っていう文脈の方がはるかにわかり やすいと思うんだけどえー承認
欲求と人は言うつまりそれは承認 の不在ですよ承認欲求が満たされ
ましたって話がえーとメインで ツイッターなりエックスなり出回
ってるのがほぼ見たことがない 承認欲求の不足っていう文脈ばっかり
に見えるんですよ承認してくれ ってことですよね承認が不在だ
とこの承認がでも不在なのか承認 が満たされてるのかっていうのは
えーとすっごくその人の主観に 左右されるんですよその人その
人の受け止め方が僕は承認欲求 などというのは完全に満たされてる
気がするんだけどこれは結局僕の 認識なんですよでここでえーと行動
療法の限界がやってくるわけですね いやあなた承認されてるじゃない
ですかと例えばあなたの本10万 本売れてるじゃないですかって
言ってもその人はいやもう全然 ダメですみたいな平気で言う人も
いるわけじゃないですかここで えーといやこれ承認されてるのに
どうしてこの人にとってこれを 報酬として機能ちゃんとしないん
だろうと行動科学は考えてもまあ 無理なわけですよ結局それは行動
科学というのは目に見えないものは 基本扱わないという出発点で大成功
を収めているんで承認というのは 実質目に見えない特に不足をしている
場合はえーとそしてその人が不足 をしてると言っているそしてえー
と例えば10万本も出たのに次の 本は書けなくなりましたみたいな
場合行動科学的な説明はすっごい 複雑になった挙句いまいちよく
わからないとまあ素人は感じて しまうまあこの辺にやっぱり素人
を説得できない専門というのは そこで限界を迎えているとなん
となく思われてしまうところが ありますからまあいろんな意味
で無理はあるんですよねあれは ものべつるって考え方に近いところ
がありますでえーと認知のバイアス っていう考え方が出たわけですね
いやそのこの人は10万部も売れたり みんなから賞賛されて拍手喝采
を浴びているのにいやみんな本当は 私の本を下げ住んでるに違いない
36:01
これは認知が歪んでいるのねということ ですまあ歪んでるって言われれば
そうかもしれないただえーとこの 議論には最初からあの反論は批判
はありましたつまり認知が歪んでる っていうからには正しい認知っていう
のをお前はしてるんだろうなっていう 反論を受けるわけですよ10万部
売れてるんだから喜ばなければいけない という方はないわけでえーとみんな
が拍手しているんだから内心で 腹黒く下げ住まれていると思って
はいけないとか思うのは歪んでる と言い切れる根拠は何なんだっていう
話は最初からありました当然そういう 話になるわけですだって行動療法
というのはそういうのをある意味 すべてカットしてうまくいった
考え方なんで心の中とかを読まない わけですよこの人が何か報酬だ
と思って例えばドーナツもらっている から一生懸命勉強する子供がいたら
この子は何でそれで勉強するんだろう とかは考えないことにしたのが
行動療法の強みだったわけですね にもかかわらず認知療法の話になって
きたときには途端に心の中という ものがはっきりと意識されるよう
になっちゃうじゃないですかそして ある意味勝手なことを言い出す
わけですよね歪みっていうからには 正しい認識ってものがあるって
ことになりしかもその正しい認識 ってものを他の人はできるって
話になってしまうわけですよ私も この点は受けたんですごく納得の
いかない点があるなとは思ったん ですね私は面倒くさかったって
こともあるんです面倒くさかった っていうのはこういうとさぞおかしい
と思うんですけど僕がやってる のアメリカなんで英語でやり取り
してたんで細かな事情を一生懸命 説明するのカウンセリングとか
ですっごい面倒くさく感じるわけ ですよ本当に通じもしない僕に
英語を喋らせてありもしない悩み を一生懸命ひねり出してそもそも
人にお悩み相談するときってかなり 違和感言い難いことを喋んなきゃ
ならないわけじゃないですかなのに 英語でそれ無理なんですよねやっぱり
ね僕のように対して喋れもしない 人間が3年4年いた程度ではねだから
私は認知療法受けたんだけどすっげえ 面倒くせえと正直思ったんですよ
そんなに別にね悩んでることなんて 一生懸命考えないと分かんない
ような状態でどっちかちょっと とにかく勉強する時間が足りなくて
悩んでるアメリカってもう課題 山穂のように絶対無理だろっていう
量を毎日毎日突きつけてくるんで 悩みがあるとしたら英語の教科書
を読む時間がないんだっていう 一択になっちゃうわけですねでも
それを言っても始まらないのは 分かっているんでしょうがない
から心の悩み的なものを考え出す わけですよ考え出すとすると当時
は他も30過ぎてたんであんまり その件に関しては以前ほどは悩
ねなかったんだけどあの彼女が できない問題を引っ張り出して
きたわけですねいやもう女の子 苦手で怖くてっていう話をする
39:00
とでも何が入ってくるかわかる わけですよしかもこの女の子が
苦手で怖いですっていうのすら 英語で喋るとなるとと苦手はみたいな
感じになってしまうわけね3年 もいてもそんなもんなんですよ
怖いわでもこの場合スケアリー とかおかしくないかなみたいな
結局そこで悩んでるわけ本当はね これは認知コード療法の対象じゃない
だろうなと思ったんであのガール フレンドがですねえっと英語では
これはみたいな辞書を引きながら 喋っていてで正午あのあなたの
女の子に対する認識には歪みがある わみたいなあのコグニティブ
バイアス用みたいなわけわかん ねえと思うわけですよこんな話
聞いてても無駄だみたいなあの それはあるに決まっているわけ
ですよ私はあるのはわかってる わけだからだからそのこれが古
っててですねえっとカフェテリア があるわけですねまあアメリカの
大学なんでカフェテリアって言って その気になる女の子に話をしなさい
みたいなそうしてあなたのこの 認識通りに相手が振る舞うかどうか
を見てみましょうみたいなこれが まさに認知行動両方なんですよ
いやそんなんじゃないよって今の 日本のカウンセラーの方は思う
かもしれないもっと遥かに洗練 されてるということだと思うん
ですけど僕が受けたのは2000年代 のアメリカのかたいなかの大学
だったという前提ですねだから まあそれをやる気は全くしない
なと思いながらもokわかったみたい なこと言って次回それをやって
いきましょうこれが宿題になるん ですねであのこれは僕はえっと
それはそれなりにやればねえっと 意味が出てくると思うんだけど
やれるかどうかっていうこの程度 のことなら私はもう当時はやれ
ましたけどもつまりそれは僕は そんなことでさほど悩んではい
すでにいなかったっていう話で しかなくてえっとこれが例えば
そうだな静電気確実になりそうな ものを触るみたいな話になる
と勢い遥かに難しくなったと思 うんですよねそういうことは僕
は自分に貸したくなかったんで 当時はこれ本当にやらなきゃなんだ
くなるんでねプラクティカム っていうあの授業で最終の方なんですよ
ね4年目になってたんで卒業に直結 するような授業だったんで本当に
そんなものをやってる場合じゃない っていうか本当にやってる場合
じゃなかったんでもっと深刻な 話になっていればですねこれは
いわしなくはないんだけど今度 はできないって問題がここでできない
のはなぜかっていうのを詰めて いくのが認知コード療法のポイント
なんですよだから掃除が毎日できない のならもう掃除をしてみましょう
掃除をしてみましょうこう考えて みましょうああ考えてみましょう
例えばこう氷がちょっと苦手で 本当にあなたが埃が苦手なのか
を見てみようみたいな話が始まる わけですよいろんな形で始まる
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結局僕はそれは精神分析と変わら なくないかなっていうふうに思う
ところは多分に当時もありました 当時僕は精神分析はほぼ分かって
なかった上に全部英語で説明され ちゃってるんで一層わからなかった
わけですよいいおっぱいとか英語 で書かれても分かんないですよ
はっきり言ってスプリティング とかメラニークラインの項目で
出てきてましたけれども分かんなかった です当時は何も分かんなかった
に等しいけどそれでもこういう 掘り方を結局詰めていくとバイアス
って無意識から来るからバイアス なわけじゃないですか女の子が怖い
っていうのだって母親が怖いっていう のの投影みたいな話をしてはなんで
いけないんだって気がしてくる わけですねだから取り除かれる
罰っていうものはやっぱり何か が不在あるいは何かを与えられる
ようにつまり罰を与えられるように 使われるとか一見思う場合だと思う
としてもやっぱり何かがそこに 不足している感じというもの
そしてその不足というものがつまり 不在不在というものが自分にとって
は失望から絶望へと移っていく っていうそういう一連の心の流れ
を拝見したくないがためにこれ に手を出さないっていう話なん
じゃないかなと今は思うんですね だからタスクシュートでもここ
に来るのは一見したところタスクシュート の精神分析ってあまりにも無関係
な感じがされるかもしれないんです けどそうではないと思うんですよ
ねこの際これはタスクシュート でなくても全然いいんですよタスク
シュートを途中に開剤させるのは 理由なくこれができないっていう
のを自覚するためなんですね少なく とも自分に意識できる理由はここ
にはない1分だけ掃除をすることが 毎日掃除をしたくてしなきゃいけない
と思ってるのに1分だけ掃除をする っていうことここに散らかっている
服を一つかかけるってことすら やりたくないできないっていうこと
であればここを平らとか言って も駄目なんじゃないかなって感じ
がするんですよねそれは平らではない と思うんですよすっごく山積み
になってる書類をあるいは当然 やるべき住民票の何とかを出さない
っていうのは少々平らで説明して もいいと思うんですよねめんどくさい
んだからでも1分だけっていう限定 をつけてそれでは成果が出ない
からっていう話も出てくると思 うんですけどジェイン松崎さん
見ていると1分だけやってるうちに 彼は成果を出しているわけですよ
ドイツにまで行って起業して僕なんか には当然真似できないことをやってる
わけですね株式会社作って人を 雇ってそれらの人たちは給料もら
ってるわけですから僕だってそう です彼から給料もらってるような
もんですよ生活の面倒まで見て あんなところまで行っちゃうのを
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見て1分だけやってたんでは成果 出ないでしょって簡単に言うもん
じゃない気がするんですね成果 は出る1分やるので時間は失わない
そうやることによって疲れも全然 しないそれでもやりたくないここ
には分かる理由は何もないって ことなんですよねこれをやらない
だけの明快で自分にとって十分 説得力のある説明なんてないんですよ
つまり意識できないんですよだから 無意識なんだと思うんですねそこに
昔昔っていうのはつまり記憶 ってことですね記憶がきっと滞在
しているそれをやろうとした時に 屈辱を与えられて惨めな思いを
している小さかった頃の自分みたいな ものがいたそうするとそういう
屈辱を与えた人って誰なんだこういう ところにお前またそれだなとは
言われるでしょうしブロイトもそれ ばっかりだなって立たず言われた
と思うんですけど屈辱を与えた 父さんがいたんじゃないか僕が
いたって話ではないですよいらん じゃないかお父さんが屈辱を与え
たんじゃないんでしょうかと考えて みるってことですよだから私は
カフェテリアに行ってアメリカ の方ちょっと気になる女の子に
声かけるとかそんなことはできた けれどもでもたどたどしい英語
でそんなことやめんどくさかった からやんなかったですけどあの
時に考え思い出す屈辱ってのが 一番最初の記憶ね一番最初の記憶
は2歳の頃まとわりつこうとしている 若いうちの母親にうるさいねあん
たって言われたそういう屈辱だった としても不思議はないじゃない
ですかこの屈辱というものがですね つまり怒りを生むわけなんだけれども
ある種の仕事をしようとした時 つまり例えば今では問題ない
けれども私は昔10列駐車するとかが すごく嫌だったわけですね10列駐車
をするのがすごく嫌だということ は10列駐車をしなければいけない
ような建物とかに行こうとする と必ず10列じゃない駐車で行ける
ようなところに置き換えていた わけですよこういうの精神分析
であるリプレイスメントって言 ったり置き換えと言ったりする
これは本当に置き換えはそれでいい のかって話もあるかもしれない
けど僕は置き換えてそういうこと だと思うんですよね知らず知らず
のうちに10列駐車をする建物という ものには一切近づかないっていうこと
を開始するなぜならばお連れさん の前で恥ずかしい思いをしたくない
からでもお前当時付き合っていた 人間が本当に10列駐車に孫ついて
いることに対して嘲笑したかって 言われるとおそらくそんなこと
はないというかその時そもそも お前付き合えてたのかというと
そんなことすらないつまりこれは 誰かに昔与えられた屈辱がそもそも
問題だったこれで思い出しやすい のは例えば小学校時代にサッカー
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仲間が僕がすかして嘲笑された ような屈辱なんだけどそんなん
ではないんですよねそんなんは 悔しいかもしれないけど全然なんと
でもなるんですよ僕の感覚の中 ではでも1歳半の頃の僕が母に
屈辱を与えられたらそんなでは 済まなかったろうなっていうふう
に想像してみるとそういう記憶 のようなものがまあ蘇ってくる
んですね結局で蘇ってきてきた としてもですねいやそれ本当ですか
本当にこんなことあったんですか と証拠を出してくださいって言
われるとそりゃ無理ですよね絶対 無理だ証拠は出ないここに精神分析
的な力道のすごいややこしくて 弱みになってしまう現代ではところ
がありますねでも僕の中ではこの 説明が釈然とするそれを今度認知
行動療法の一種みたいに考えて あなたのバイアスはここに理由
があるんですねって言われるんだ ったらまあ納得がいかないわけ
ではないですこの多分屈辱感が ゼロになればあの私が大学生だった
時代にあったほど女の子が怖い とかそういうことはなかったんですよ
でそういうものがなかったならば 重裂注射を必要とするような病院
には行かないみたいなそういう 選択もおそらく決してすることは
なかった当時していても気づきもし なかったんで結局わからないこと
なんだけれどもおそらくはなかった だろうなという話は言えるここ
まで来て1分着手はなぜできないん でしょうっていうのに対する答え
は意外と簡単には見つからない けど見つけてしまえばそこでそんなに
苦労することはなくなる私は今 5時半とかで真っ暗ですごく寒くても
フトンパッと取り除けてすぐ起きる ことができるんだけどこれはつまり
フトンから出られないのはなぜか ってことを僕はよく知ってるから
だと思ってるんですそれは寒い からとか暗いからとかではないん
ですよ
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