1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #139 ストア派と心理学(認知..
2023-08-23 40:16

#139 ストア派と心理学(認知行動療法)の共通点。『自省録』はセルフコントロールだった?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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サマリー

ストア派と心理学(認知行動療法)に共通する要素が考えられます。認知行動療法は、普段の生活に困難を抱える人々を支援し、認知と行動のアプローチを取ります。また、ストア派の思想を現代の人々に役立つようにし、現代的な立場を示すことも目指しています。ストア派と心理学(認知行動療法)の共通点や物事への向き合い方について話しています。認知行動療法とストア派についてのお話を通じて、心理的な健康を保つための予防策や実践的なアプローチを探求しています。ストア派と心理学(認知行動療法)の共通点についてはプラグマティズムに焦点を当てて説明されています。

ストア派と認知行動療法
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回でストア派ラストということで、前回とちょっと打って変わって心理学的な方面に行くみたいな感じでしたね。
そうですね。もうちょっと言うと、現代の心理学というのはあまり馴染みがない方も多いと思うんですけれども、
いわゆる臨床心理と言われている誤解を恐れずに言えば、例えば鬱病とか不安症みたいな感じで、
要は精神的にちょっとこう普通に生活するのが難しいみたいな人というのは世の中にたくさんいます。
そういう人たちをどういうふうに治すというか、ある種の普通に生活できるようにしていこうかみたいなアプローチのいろんなアプローチがあるんですよね。
その中で認知行動療法と言われる、そういう手法というかアプローチというのがあって、
実際それが結構ストア派に近いというか、多くの人は言ってるわけじゃないですよ。
僕が読んだ本が認知行動療法の哲学っていう、まさにそういう認知行動療法と哲学を結びつけた本が去年の4月に日本で出たんですけど、
この本の副題がまさに、ストア派と哲学的治療の系譜っていうタイトルだったのね。
それを僕がツイッターで見つけて面白そうと思って買ったんですけど、
その本の著者の人は、今のまさに現代の最先端である認知行動療法とストア派っていうところにすごく関連があるんじゃないかとか、
ストア派の人たちのことをもっと学ぶことで、認知行動療法のアプローチ方法というのがもっとうまくいけるんじゃないかみたいなことを考えてる人で。
なので、ちょっとそれを今回取り上げて、ストア派の思想そのものっていうよりは、前回もマルク・サウレリウスさんの話でしたと思うんですけど、
やっぱりこの思想そのものももちろん素敵なんだけど、それによってどう生きるかとか、どう実生活を良くするかみたいなところが、ストア派の使いやすさというか、やっぱり学ぶ意味にもつながるかなと思うので、
それがね、まさに現代的な立ち跡をどういう風になっているのかとか、これまでお伝えしてきた自然と調和して生きるという、やっぱりそれそのものを現代の人にやっぱりやりましょうって言ったら難しいものはあるんだけど、
その中からどんなエッセンスを取り出して、今の僕らに役立つようなことにしているのかみたいなことを今日はお伝えして、ストア派の2000年経ってるけど、やっぱりこんだけ僕らの人生とか、やっぱり今の時代にも役立つものがあるよっていうところをお伝えして、今回ストア派は終了にしたいなっていう感じでございます。
はいはい、まあなるほど。まあ第一回で言ったけどね、それこそ500年ぐらいで一旦なくなってしまったみたいな話だけど、現代でどう活かせるかというところと。
ちなみにハエトは大学で心理学やってたと思うんだけど、専攻だけど、分野的にはこの辺なの?認知行動とか、どの辺なの?
いや、実は大学ではあまりやってなくて、この認知行動療法みたいなのは。僕は学部で卒業してしまったからどっちかっていうと、もう少し基本的な考え方とか、心理学の歴史みたいな感じのことは勉強したんだけど、認知行動療法はもう少し新しいものであんまり触れる機会はなかったんだよね。
あ、結構新しいんだ。なるほど。ハエトは何だっけ?分野的な話で言うと。
ハエトは臨床心理学。
臨床心理か。その辺のさ、こう見ると分かんないんだけど。
そうだよね。あと一応、認知心理学っていうのもあって、そっちは見るとか聞くとかって、どういうプロセスで行われてるの?みたいな、そういうものを心理学的というか、そういうふうにアプローチしていくような学問だったんだけど。
臨床心理っていう方が、例えば病気とされているものを治すみたいなものに近い感じなのかな?分野的には。
あ、そうそう。いわゆるカウンセラーとかね。
はいはいはい。なるほど。
お薬はしますよとかになると、いわゆる精神医学の方になるから医学部になっちゃうんだけど、カウンセラーは心理学部とかでカウンセリングの手法とか、そういう人と人と話した中でどういうふうにそれを治していくかみたいな、そこまでは学部ではなくて大学院のレベルになっちゃうから、そこの訓練は積んでないんだけど。
でもやっぱり興味はずっとあって、面白そうなのがあるたびにこうやって本とかを読んでるって感じかな?
はいはいはい。今の話を聞くと、そう、認知心理だったりか。そっちの方がもうちょっと哲学っていうものとは親和性が高そうな感じするね。
どっちかっていうと認知心理はね、本当に脳科学とかに近いんだよね。
へー、そうなんだ。
だからその哲学、聞こえるとはどういうことかっていうのを哲学的にとか考えながらやるっていうよりは、いろんな実験とかを通して、例えばコンマ何秒以下の音は聞こえるか聞こえないかとか、
この音とAのノイズとBのノイズがあったときに人の聞こえる方はどう変わるかとか、そういうのを実験的にやろうみたいな感じなんだよね。それも実験心理学みたいないろんな流れがあって。
あ、いろいろあるんだ、それも。
そうそう、そっちはそっちの方が面白いから、またいつかやりたいなと思ってるんですけど。
なるほど、じゃあ今の感覚でいうと哲学っていうよりは科学に近いんだね。
そうだね、うん。やっぱり哲学はどうしても再現性が薄いから、やっぱり学問としてやるには難しいんだよね、やっぱり現代のっていう感じだと思うんだけど。
なるほど、それこそ現象学でやったときみたいな話ね、学問とは。
そうなんです。今回の認知行動療法って、あくまでも心の病にかかってしまった人とか、
そういう生活の中で生きづらさ、生きにくいなって思ってる人をどういうふうにより良くしていくかみたいな、結構そういうような目的を持った学問であったりとか、そのアプローチ方法なんだよね。
なるほど。
どれちょっとわかりにくいと思うので、具体的な例とかをちょっと交えながらお話ししていきたいんですけど、
認知と行動のアプローチ
例えば実際その本に書いてあったんだけど、具体的なシチュエーションとして、例えば学校でも職場でもいいんですけど、すれ違った同僚とか友人に目を反らされたみたいなことが起きたとしますと。
うん。
それに対して、もしかして自分は嫌われてるかもしれないっていうふうに考えたとするじゃん。
うん。
これは認知なんだよね。
うん、そう認知。
要は友人に目を反らされたっていう事実に対して、自分は嫌われてるかもしれないっていう認知が浮かびましたと。
はいはいはい。
そうすると、やっぱ悲しくて不安になるっていうことが例えば起きたとしたら、これは感情なんだよね。悲しいとか不安だっていう感情が起きましたと。
で、その感情が起きた後に、例えば心臓がドキドキするとか、お腹が痛くなるみたいなことが起きて。
うんうんうん。
これは身体的な反応なんだけど、そこから急いで家に帰って布団に潜り込みましたとしたとすると、最後の行動だよね。布団に潜り込むとか家に帰るみたいな。
はいはいはいはい。
こういう一連の反応が起きるっていうふうに人間をモデル化するのが、認知行動両方の考え方というか特徴なんだよね。
なるほど。そうやって分解してるわけだね。
そうそうそう。つまりある出来事に対して認知が起きて、感情と身体を通ってある行動が起きるっていう、その4つに分かれてるんだけど。
はいはいはい。
その中で感情とか身体っていうのはコントロールしにくいじゃない。要は不安な気持ちにならないっていうのは難しいし、なったときに心臓がドキドキするのを止めるのもできない。
うん、なるほど。まあそうだね。
もちろん深呼吸してとかってちょっとあるんだけれども、そうじゃなくて、まだやっぱり認知とか行動、要は嫌われてるかもしれないと思うとか、そうなったときに家に帰ってしまうとか、そういう認知と行動っていうのはまだ変えやすいというかアプローチがしやすいよねと。
はいはいはいはい。
なのでそっちにアプローチをして、心の病気っていうだけじゃなくて、現実生活を送るにあたって、やっぱり不都合なことが起きちゃう。要は職場に行って、嫌われてるかもしれないと思って家に帰っちゃうと、やっぱりなかなか仕事を続けるのが難しいとか、
なんとかそこで落ち着いてやっぱり仕事を続けるっていう方が、ある種の実生活を送る上ではやっぱり良いとされるっていう感じで、認知と行動にアプローチするから認知行動療法って言うんだよね。
うーん、なるほど。
そうすると結構分かりやすいというか、なるほどってなると思うんだけど。
手段っていうのはいわゆるワークショップみたいなものとか、まずは日常生活をこういうふうに送りましょうとか、そういうことまで多岐に渡るんだけれども、今回その中でもこれってすごいストア派的な考え方と近いんじゃないかみたいなところを伝えていくんですよね。
はいはいはいはい。
別に認知行動療法がストア派を受けて発展したとかってことは一切ないんだけれども、認知行動療法でやってることってよく考えたら、これストア派の人たちがやったことじゃね?みたいな、そういうことを発見したんだよね。
そう、そんな感じで今時点でもコントロールできるものに注力するとか、自分ができないものは逆に諦めるみたいな感じで言うと、その時点でストア派っぽいなって思ってくださってるんじゃないかなと思うんですけど、
そういったところの認知行動療法の流れとか、そことストア派と共通するところをこの後しっかりお伝えしていきたいと思っております。
はいはいはい。
現代のストア派の意義
またすごく重要なのって、古代と現在の違いっていうのはちゃんと理解した方がいいよねとは思ってるんですよ。
はいはい。
僕らの感覚からして、ストア派って自然と調和して生きるってなった時に、自然っていうのは外にある、いわゆるこの宇宙とかそのいわゆる山とか川みたいな自然と、自分の中にある自然とか理性を使うのが人間にとって自然だみたいな意味の自然っていうものがあるんだけど、
そういうものと調和しましょうとかさ、あとはやっぱりなんとなくこの堅持を目指すみたいなこととか、自分を鍛錬するみたいな、そういうのはやっぱりすごくストア派的には正しいというか理想とされてるわけだよね。
あのあれだよね、得みたいな概念があったもんね。
そう、得とか荒れてみたいな感じで、そこに熟殺していこうみたいな。やっぱりそこを受け入れろっていうのは結構難しいと思うね、現代の感覚としてはね。
まあそうね、その得とは何かみたいなところも含めてね、またちょっと感覚違うだろうしね、価値観とかね。
そうそうそう、やっぱりそれは別に受ける必要ないんだけれども、認知行動療法で言うと、やっぱりこの自然っていうのは、いわゆる自然科学的なというか、物理的にある世の中としての自然だし、
賢者っていうのもさ、いきなり賢者を目指すって言われたら難しいけど、なんか克服したい?
やっぱり例えばさっきみたいなさ、この学校とか会社に行ってもすぐ帰ってしまうとかって起きたときに、やっぱりちゃんとそこに居続けられる人とか、
辛いことがあっても自分なりに処理できる人っていうのはロールモデルみたいに置き換えたとすると、別にそれってのは受け入れられるというか、やっぱりそういう人になるために頑張ろうみたいなのは自然に受け入れられるわけだよね。
そんな風に、やっぱりスタッフそのものを現代に復活させるとかってことではなく、あくまでも目的としての日常生活をよりよく過ごすみたいな、そこに対してどんな風に役立つんだろうねみたいな、そういう付き合い方で全然いいんじゃないかなっていう風に思ってるよっていう感じですと。
ストア派の考え方と認知行動療法
めっちゃ大きな目標というよりはそういう小さな、小さなというか本人にとっては大事なんだけれども、そういう具体的な目標でもOKだよみたいな話だよね。今に置き換えるとするとか。
そうなんです。たとえばさっきみたいな、誰かが自分にちょっとそけられたりするときに傷ついちゃうみたいなことは受け身の例でしたけれども、たとえばもうちょっと自分からはたりかけるみたいな意味で言うと、結構こういう方もいるんじゃないかなと思うんですけど、
人にお願い事を何かするときに迷惑かけるんじゃないかと思って黙っちゃうみたいなとか、相手が嫌がってしまうと思うから、なんか自分に嫌なことがあっても言えないみたいな人って結構普通にいると思うんですよね。
それがやっぱり行き過ぎちゃうと結局辛いことを自分が溜め込んじゃって、そういうことすぐ退職しちゃうとかさ。本当に外に出れなくなっちゃうみたいな方もいらっしゃるわけだよね。
なるほど。
そうしたときに、それをいきなり直すのは難しいんだけれども、これも具体的な例として、バイオルショップとかいわゆる洋服店とかに行ったときに不良品がありましたと。
でもそういう人はやっぱり不良品があっても、これ返したら迷惑じゃないかなと思って返していけないわけだよね。
それを例えばしっかりとできる人とか、それを偽善とした態度で店員さんに不良品が入ってましたって言える人の様子を実際にバイオルショップで見て、自分はこの人みたいになりたいんだとか、こんなことをしてもいいんだみたいに思う。
なるほど。
っていうのを少しずつ整えていきましょうという感じなんだけど。
実際に現代の認知行動情報の中でどんな手法が使われていますかって話なんだけれども、認知みたいな話でいくと、自動思考記録みたいなことを例えばしたりするんだよね。
これだと難しいんだけど、要はただただ感じたことを書き出してみるっていう方法。
これ知ってる方、ジャーナリングみたいな言葉を聞いたことがあるかもしれないんですけど、とにかく書き出すみたいな文字で紙に書くみたいなことを結構大事にするんだよね。
そうなんだ。さっきの例でいうと、例えば不良品をもらった時に、すげえ残念だったわ、ほつれてるわ、でも返すのはちょっと面倒だし、なんか嫌だなみたいな。
それをそのまま思ったことを書くみたいな感じかな。
そう思ったことをとにかく書く。そうすると自分自身は客観視できるんだよね。
だから自分が認知したことを分析できるようになると。
例えば、自分が不良品を受け取ったら嫌だ、でも返しに行ったら店員さんが嫌だって思っちゃうかもしれないとか迷惑かけるかもしれないとかって書いた時に、
でも本当に店員に迷惑がかかるんだろうかみたいなことをそこで客観的に考える手段というか、きっかけになることができると。
実際に現代の心理学者がこんな風に言ってる言葉をちょっとご紹介したいんですけど、
スター派とほとんど同じこと言ってるじゃんって話していただけるんじゃないかと思うんだよね。
それはどんな言葉かっていうと、物事の重要性とか意義っていうのを過大評価しないように努力しましょうと。
例えばあなたのお気に入りのコップとか家族っていうのは大切にした方がより生き生きとした人生を送ることができる。それは間違いないんだと。
でもそれが例えばこれは世界で唯一のコップだっていう風に自分に言い聞かせるとか、
家族がいないと自分の人生は空っぽになってしまうっていう風に思ってしまうとしたら、それはちょっとさすがに過大評価なんだと。
かつそうなっちゃうとそれを牛の可能性に対して必要以上に傷つけやすくなってしまうことになるんだと。
お気に入りのコップっていうのはあくまでも一つのコップに過ぎないし、家族といえどもすべき定めにある人間であることに変わりはないっていうのを、現代の侵略者の言葉なんだよね。
ちょっとストア派の言葉ですと言われても何か納得しちゃう感じがしない?
そうね。アウレリウスが言ってたよって言われても、まあそうなんだってね。
わかんないね。
もちろんコップも大事で家族も大事なんだけど、やっぱりそうすると、本当は離婚した方がいいとか、夫婦生活がぐちゃぐちゃで、
本当は旦那さんとか奥さんといること自体が人生にとって良くないんだけど、家族はかけがえないものだっていう認知があるとそういう行動が取れなくなっちゃう。
そういう時はそれすらも客観的に見るっていうのは、やっぱり特徴としては大事っていうのはあると思うんだよね。
なるほどね。当事者からすると難しいけれども、頑張ってこれをやらないとねっていうね。
そう。
じゃないと家族自分の生活だったりとかね、周りがっていう話になっちゃうからっていうね。
そうそうそうそう。
そんな感じで、やっぱり現代の目から見ると、こういう物事の向き合い方とかもそうだし、前回のご案内した自制力とかも、もしかしたらこういう自分の思考を誰かかけあらわしましたみたいな、
そういうトレーニングが一環だったんじゃないかみたいな話もあるんだよね。
やっぱりアレルギーさんとしては、そういう戦場のハードな中で、誰かと話すとか、ゆっくり腰を落ち着けて何かするのが難しい中で、
とにかく自分の思っていることを書き尽くして、自分自身を落ち着かせたりとか、自分の思考が間違ってないかっていうのを検証するみたいな、
あとだろうし、そもそもこれも経験した人いるんじゃないかと思うんですけど、聞くとなんかすっきりするみたいな。
なんか自分が今何をしなきゃいけなくてとか、何に困っててとかっていうのをとにかく書き出してみると、
あ、意外とやること少なかったとか、意外とそんななんかめちゃめちゃ大変だと思ってたけど、
なんかそんなことになるじゃんみたいにちょっと落ち着けるみたいなのってあると思うんですよ。
こういう方法論っていうのも、やっぱり現代でもちろん使われるんだけど、スター派的にも行われたことじゃないかみたいな話の共通点があったりしますという感じなんですよね。
そうか、それも同じだね。とにかく忙しい時に書き出すっていうのも、自分はめちゃくちゃ忙しいんだみたいなところを客観的に見るために書き出すっていうのは、
その認知がまず変わる可能性、きっかけになるっていう話で一緒なんだね。
そうそうそうそう。やっぱり忙しいと思うと焦って、思考が散乱して落ち着かないみたいな行動になっちゃうっていう時に、
その認知を変えることで、自分はそこ忙しいと思っているし、実際忙しいんだけど、そこまででもないっていう認知に変わると、
ちゃんと思考を集中させてやるべきことをできるみたいな行動が変わるみたいな、そういう仕組みだよね。
はいはいはい。なるほど。逆もあるだろうですね。本当にめちゃくちゃ忙しすぎてパンクしてて、
これはもう気に捨てるから誰かに頼まないとみたいなのがわかるみたいなね。逆に。
そうそうそうそう。そうすると行動が変わるよね、そこで。
だから結構これは効力というか、実際に実用的なフレームだと思うんだよね。
ただやっぱりこういう認知の再解釈とか行動をより積極的にするっていうのはすぐにできるかっていうと、
実際はなかなかそんなふうにはいかないと思うんだよね。
やっぱり自分自身が遠いところで忙しい時にこういうことをやろうって思うことはできるけど、
とりあえずは本当にね、もう何も忙しく急発な時によし駆け出そうってやっぱりできるかってなかなかできない。
そうなった時に、これもちょっと一個例として持ってきたんだけど、
いわゆる学校に行けないお子さん、登校できないお子さんがいた時に、
例えばその子供自体がさ、やっぱり学校に行っても誰も自分と関わりたいと思ってないとか、
あれはね、学校に行こうと思うと足がすくんで動けなくなっちゃうみたいな子供がいた時に、
この認知行動療法とかをやったとしてもすぐに学校に行けるわけではないんだよね。
だし、やっぱりそもそも学校に行くのが本当に正しいのかとか、
それも一個の可視観だよっていうことももちろんできるとは思うんだけど、
でもやっぱり学校に行った方がやっぱり社会で生きていく上ではやっぱりいいよねみたいな、
例えば親なら親のとか子供なら子供のやっぱり活動がある中で、
何を生活したかって結構難しいと思うんだよね。
うんうん、そうね、はいはい。
物事への適切な向き合い方
やっぱり昔のストア派の人たちは逆に言うとそれはそれでシンプルで、
自然と調和して生きるのが良いとか、そういう風に自分を利して理性を働かせるのが良いみたいな、
そういうそもそもの価値観みたいなのがあるし、シンプルだったんだよね、当時で言うと。
だからこそ実践としてもシンプルにいけたと思うんだけど、
やっぱり今はね、いろんな価値観の多様化とか、いろんな考えがある人の中で生きていくっていう中で、
やっぱりどういう認知がいいかとかどういう行動がいいかっていうことを考えるのもすごく難しい。
ただそういう難しさはあるんだけど、
やっぱりどうしていいかわからないとか、やみくもりなんかとにかく対当たり的にいろんなことに取り組むとかっていうよりも、
こういう認知構造療法的なとか、ストア派的な考え方とか構造をして取り組むっていうことで、
ある人は自分のやってることに自信を持てるし、
なんか違ったときに、もしかしたら次こういうふうに、ちょっと認知ではうまくいかなかったから、
次のこういう認知を試してみようとかっていう、ある種そのアクションにつなげていけると思うんだよね。
まあそうね、はいはいはい。
そういう意味ではやっぱり、より自分の人生を自分の力でより良くしていくとか、
ある種より切り開いていくみたいなところの一つの方法論。
こういうストア派だったり、認知構造療法を知っておくっていうのは結構大事なんじゃないかなって思ったりするんですよね。
そっか、そんな共通点がというかね。確かに自制録もね、これ同じだね。確かに書き出せって言われてるのとね、確かに。
そうそうそう。
そう思うとなんか面白い。
すごい、結構ね、僕もあったりするんだよ。夜寝れないとさ、いろいろ考えちゃったりするじゃん。
なんかあれもできてないとかさ、あんまりない?
まあそういう人もいるんだろうなーって。
兄貴ないの?ないの?
寝つきめちゃくちゃ様子にいいからさ。
考えるときは、起きてるときに考えるよ。
やっぱり妖しいなあ。結構いると思うんですよね。
寝ようと思ってもやっぱり30分1時間寝れないって気づいたら時間経っちゃってみたいな。
っていう時に、兄貴は全然共感してくれなかったんですけど、もしそういう人がいたとすると、
まあやっぱりこう、寝れないとなんかダメなんじゃないかみたいなとか、
なんかその、なんだろうな、明日に響いちゃうとかベルト考えちゃうときに、
もう寝れないっていうのは、今とにかくただただ寝れてないだけだと。
別にそれが何か悪いことじゃないから、もうとにかく目をつぶって静かにしていようっていう風に思うようにするのね。
はいはいはいはい。
だからそういう悪いことを自動で考えちゃうんだけど、それが起きないようにするっていうのも結構こういうストア派というか認知行動療法だったり、
ちょっとそれは仏教的なものは入ってるんだけど、そういうところから学んだことを実際応用してたりはするんだよね。
なるほどなるほど。はいはい。
結構効果はある感じする?やっぱり。
あるあるある。うん。
認知行動療法とストア派の共通点
やっぱりね、それもさ、そういう風に考えちゃう自分がダメなんじゃないかってやっぱりぐるぐるぐるぐる回っちゃうのよ。
その頭の中に留めておくとってことだよね。
そうそうそう。
うんうんうん。
なんかね、夜とか書き出すとかは難しいんだけど、それはそういう風に考える、その連想を止めるとか、
ただ今は寝れてないっていう、ただそれだけが事実だから、そこに対して考える必要はないっていう風に一回止めちゃうとか。
そういうのは結構役立つなーって思ってますね、普通に。
はい、まあ確かにね、その今はね全くないとは言ったけれども、
確かにそうだね、あのーきつすぎてね、っていう時はやっぱり書き出す。
うんうんうん。
だから今ハヤトはね、たぶん今ハヤトが言ったのは応用編だと思うんだよね。
うんうん。
頭の中ぐるぐる回って眠れない時はまずその眠ることを最優先しましょうっていうのはすごく大事なんだけれども、
たぶん本当にきつい時ってさ、それ難しいから、やっぱりどうせ眠れないんだったらね、
15分でも20分でも起きて、一回机に向かって全部書き出す、まずはバーッと書いて、そっから寝るみたいな。
やっぱりそこは順番、減らないとたぶん眠れないと思うんですね、そこは。
はいはいはい。そうだね、そういう時もあるね。
なんかもう一生、1時間起きようって言って、1時間ガーッてやって、そうするとやっぱり眠くなってくるからそれで寝ちゃうみたいな時もある。
認知行動療法の目標と予防アプローチ
だからやっぱりそういうね、自分に取り入れるともそうだし、またやっぱり実際本の著者さんもこんな風に言っていて、
やっぱりこう、認知行動療法っていうのはいわゆる、さっき言ったような臨床心理という意味で言うといわゆるメンタルヘルスだから、
やっぱり人の心とか精神の健康を保つっていうことではあるんだけど、やっぱりその業界における最高の目標っていうのは予防なんだと。
医療もそうだけど予防の方が治療よりも優れてるっていうのは誰もが知っているのであると。
やっぱり認知行動療法も、私としては短期的な、そういう問題が起きてしまった時にどうそれを治すかとか、どうそれとうまく折り合いをつけるかみたいな短期的なアプローチなんだけど、
やっぱり質問主義っていうのはどっちかっていうと長期的な予防アプローチで、何か辛いことがあっても負けないようにするとか、自分を期待続けるとか、今回いろいろお話でも伝えてきたんですけど、
いわゆる普段の生活を充実させ続けるとか、目標に立つのは大事なんじゃなくて、そもそもそういうふうに生き続けることが目標なんだみたいな話でいくと、すごく長期的な人生に続くアプローチなんだよね。
なるほど、予防ね。
そういうふうに考えると、治療ももちろん大事なんだけど、そういうスター派的な予防とか、人生をそういうふうに生き続けるという考え方っていうのが大事だよねと。
一方で、スター派そのものってまだまだ科学的に再現性があるとか、誰がやっても同じように効果があるっていうふうなエビデンスはないわけだよね。
認知行動療法っていうのは、いろんなクライアントとか個々人とか地域を超えて、効果が確かめられている、いわゆるエビデンスがある手法だから、これを掛け合わせて治療と予防とか短期と長期とかっていう両方に役立つような体系が出来上がると、
人っていうのはもっと複雑化したりとか、大変になっていく世の中っていうのを、もっともっと上手く乗り越えていけるよねっていうふうな考え方を、この著者の人たちが言ってるんだよね。
へー、なるほどなるほど。
さっきも言ったけど哲学ってすごく個々人とか、悪く言えば俗人的な部分もあるから、それをちゃんとエビデンスを取ってこういうやり方をすると、こういう症状の人に効いたとか、症状が出てない人なんだけどこういう訓練をしたらやっぱり辛いことがあっても、
いわゆるメンタルダウンまではいかずに日常生活を送れるようになったとかってなると、やっぱりそれはすごく希望がある話だと思うんだよね。
なるほどなるほど。精神論根性論じゃないもう一歩上のとこにいけるよっていう話だよね。
そうそうそう。そういう考え方が馴染む人だけはできる。
例えばね、それこそ平気でない平気の考え方が馴染む人はいいけど、それ以外の人は危機感使うとか、そういうことじゃなくて、
スタッフは別に好きでも嫌いでもいいんだけど、こういうアプローチを取ると役立つよとか、効果があるよというふうに言えるっていうことはすごく実現できることだよねっていう話をしていて、
これは僕はすごいずっと考えている。哲学を使って人生を生きやすくするとか、よりよく生きるみたいなことでやっぱり方法論の一つがあるなと思うし。
はい、なるほど。
やっぱり僕は去年この本を読んで、実際その世の中にはそれを研究して実践して深めている方がいるんだって、僕はそこまではもちろんできていないから、やっぱりそれはすごいなと思ったし、
やっぱりそういうことをやっている人がいるよっていうのを知っていただけるだけでも、皆さんにもね、
あ、そういう2000年前の、もう無くなった思想だっていうことよりは、今のもそういうふうに生きているというか、役立つような思想なんだなみたいなことをね、感じていただけるんじゃないかなっていうふうに思ったという感じですね。
うーん、なるほど。確かにね、まあハヤトが言った、例えば人生、哲学を使って人生を生きやすくするみたいな概念があったときにも、さっきみたいなね、そもそももう病気だったりとか、治さなきゃいけないみたいな治療だよねっていう場合と、やっぱり予防っていう2つあるよねっていうのは本当確かに相当だなと思って、
確かに医療の方でもね、最近よくポジティブヘルスって聞いたことがある。
ああ、そうだね。
まさにその概念だよね。
うんうん。
そうやってその予防的な概念で、健康的に、精神的にも、体的にも、社会的にも、コミュニティ、そういう人とのつながりみたいな意味でも、ちゃんと健康に生きる。
その定義っていうものをきちんと自分で自覚して、そのレベルをね、今自分はどういう状況なのか自覚しながら、ちゃんと健康に生きていきましょうという話でね。
そうだね、そうだね。
やっぱりね、健康、クオリティ・オブ・ライフってやっぱり経済的とか社会的なものがあるけど、心理的とかで、やっぱり体も含めたものっていう定義もあるから、やっぱり体の健康のためにジムに行くみたいな感じで、心の健康のためにちょっとかき出すみたいな苦情をするとかさ、そういうのは全然あると思うんだよね。
結構やっぱストア派って、かなりね、想像してたより哲学っぽくないな。今回はね、着地点が着地というか、特にこの行動、認知行動両方的な話だったからだと思うけれども、すごく具体的な実践的っぽい話だね。
そうだね、ストア派が哲学っぽくないというよりは、それじゃないところをあえてお客さんに持ってきたというところがあるので、全然ストア派もちゃんと哲学だし、もっと論理的とか厳密にいろんなことを語っている部分はもちろんあるんだけど、やっぱりどうしても、これ第1回もお伝えしたんですけど、やっぱり今から考えるとちょっと古い考え方だよねとか、
やっぱりね、それそのものを今の僕らがスッと受け入れられるかって結構難しい部分はあるなって、僕自身が結構感じちゃってるんだよね。
今回は結構そういう部分は割愛しましたみたいな感じなのかな。
そう、割愛してる、ほとんど。
それも何か機会があったら聞いてみたいんだよね。
そうね、でも結構ね、細かい話がある、論理学とかのすごい細かい話になってるでしょ。
実際なんかストア派にもみたいな本も読んだんだけど、その著者の人も結構論理学とかは割と今の水準からするとやっぱり物足りないよねと思って、結構普通に書いちゃったりしてたんだよね。
それは論理学はそもそも何か分かってないからあれだけども、その話の辻褄がちょっと無理矢理だよねみたいな話、論理構造的にみたいな。
どっちかっていうと扱ってるテーマが狭いよねとか、もうちょっと厳密に言ったらそこって実は今はもう違うって分かってるねとかっていうふうなことを主張したりする。
いつか論理学の流れ、アリストテレスカの論理学の流れとかもまたやっても面白いかなと思うんですけど。
ストア派と哲学の関係とプラグマティズムについて
ぜひやってほしいね。今の話全然分かんなかったから、論理学とかって言われても全くピンとこないから。
確かに確かに。
逆に言うと、そういうのは論理学なら論理学ってテーマでやったほうが面白いかもしれない。
なので、今回スター派って兄貴が哲学っぽくないじゃんとかってよりは、哲学なんだけど、そうなくてもより実践を応援していたとか、スター派自体の目的が何かを達成するとか、賢者になるみたいなことよりも、
そうなるために努力するとか、そうなるために日々の生活を送るっていう、そっちに力点があったんだよっていう、そういうふうに伝わってたら嬉しいなっていう感じですかね。
そんなところも踏まえて、次に雑談でもね、結構やっぱりすごく実際の生活にも役立つし、僕自身もさっき言った通り結構自分の生活にこれを役立てている部分がかなりあるので。
はいはい。私結構やっぱりハヤトのね、もともと哲学をやり始めた動機だったりとか、あとその大学で心理学を学び始めた動機みたいなこと、結構近い感じするもんね、この辺でね。
そうだね、かなり近いね。やっぱり自分の心とは何かってのを知って、それをうまく使えるようになりたいとか、やっぱり生きてるのしんどいからしんどくないほうがいいみたいな、そういうところから始まってるから。
そういう辺はぜひね、たぶん話が広すぎるからね。
そうだね。
ここから感想とか言い始めると、たぶんここからまた1時間ぐらいダラダラ喋っちゃいそうだから。一旦ストア派はこんな感じかな、じゃあ今回。
そうですね、みなさんにも何か役立つものとか、そういう考えがいいよねって思ってもらうのがあれば嬉しいなって思ってます。
ちょっと雑談で、実際自分がどんなときにこういう考え方を使ってるかみたいなのをお伝えしたら面白いかもね。
そうね、今回そういう実践的な話もあるから、皇帝、アウレリウスの話だけじゃなくてハヤトの話も聞きたいな、普通の人の話。
そこと並べて出ちゃうと、全然お前の話なんてなりそうな気もするんですけど。
まあまあでもね、いちいち個人の感想というか、実践編みたいな感じの話は面白いかもですね。
一旦ストア派はこんな感じで、次回もまたストア派とか生き方に近いよねみたいな話をしようみたいな話してたよね。
近いっていうか、次はプラグマティズムっていう、また全然違う1900年代ぐらいのアメリカの哲学について話そうと思ってるんですけど、
そっちはそっちでね、プラグマティクって実践的だみたいな日本語にされることが多いんですけど。
あ、そうなんだ。そもそも名前がそうなんだ。
実践的ってないんだとか、やっぱり哲学っていうものを改めて捉え直して、
やっぱりまさに現実に意味があるとか、役立つ、役立つって言うとちょっと語弊がいろいろあるんだけど、そういうことも含めて新しくできてる哲学なので、
それをね、ストア派の理想に近づくとかっていうよりも現実生活をよくするっていうところと感覚的にはちょっと近い。
でも全然思想的には違うし、むしろプラグマティズムの人たちがストア派とは違うよみたいなことも言ったりするから。
あ、そうなんだ。あそこはやっぱり周りから見ると混同されがちだけど、自分たちは違うよという話なんだ。
そうそうそうそう。
へー、はいはいはい。
プラグマティズムについての説明
っていうのもあるから、逆にストア派をやった後にプラグマティズムをやることで、その違いとかもわかりやすくなるかなと思うんで、
それをまさにちょっと今僕も本を読んで勉強中なんだけど、ちょっとその辺で結構いろんな人が登場して結構思想的にも深いし広い内容なので、
どういうふうに伝えるかっていうのは今まさに台本とかも作ってる最中なんで、
テーマとしてはプラグマティズムっていうものをぜひ皆さんにお伝えしたいなというふうに思っております。
分かりました。じゃあ次回はプラグマティズムということで、ちょっとその違いもね、ちょっとどんな感じなんだろうと。
やっぱり素人が聞くとね、同じじゃんとかね、実践的で生活に、実生活に活かしていきましょうみたいなね、なんか見えちゃうんだけども、
その違いをちょっとまた見ていければと思いますんで。
じゃあ次回も引き続き楽しんでいきたいと思いますんで、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。今回もありがとうございました。
40:16

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