1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 心理臨床を受けようと「思う」..
2025-03-19 45:29

心理臨床を受けようと「思う」効果【1157】

セルフヘルプと羨望。
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サマリー

このエピソードでは、心理臨床を受ける意義やそのプロセスが考察されています。また、精神力動と認知行動療法の関係や、心理支援を受ける経験の重要性についても議論されています。さらに、3ヶ月チャレンジというプログラムを通じて、自己啓発や相談の必要性について考察されています。心理臨床に対する自己指示が人の自我安定に寄与する様子や、認知行動療法が効果を発揮する仕組みについても探求されています。また、文化的常識や人間関係における期待が自己評価に与える影響について考察されています。最後に、心理臨床における自立や依存の概念、そしてカウンセリングの重要性や利用方法について語られています。

心理支援の考察
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、1157回をお送りします。
3月19日、水曜日、7時39分です。 ちょっと天気が良くないですね。
はい、えーと、昨日は
多分にグダグダ回だったんで、まあこちらのポッドキャストではおなじみの大名詞にしたいぐらいのグダグダ回でありますけど、
今日は、あれのまあ延長戦で、
延長戦といえば昨日ね、あのシカゴカブスとロサンゼルスドジャーズの試合が東京ドームで行われまして、
いやー、あれを日本でやっていることの意味って何なんだろうと考えさせられますね。
ヨシキさんがアメリカ国家と君が世までピアノで演奏されていて、いやもうなんだかXジャパンのヨシキさんね。
いやー、不思議な世界でしたね。何もかもがある意味。 夢みたい、みたいっていう。今日はそういう話かもしれないですけど。
まあ今日は佐々木浪貴ですからね。私はどっちかというとこっちを見たいわけですが、こっちが心配とも言えますけれども。
うーんと、でもドジャーズ強いですよね、やっぱりね。 今のが良かったですけどね。
はい、ずっとやってると多分相当退屈される方も多いと思いますんで、この辺にしまして、
あのー、結論があるわけではないのがこの番組ですし、 今私のそもそも3ヶ月チャレンジには
結論がない。 ですが第10期を迎えるにあたって、
あのね、私と一緒にずっと仕事してくれているJ松崎さんが、昨日チャレンジ10期でリニューアルしてヒットしたし、すごく盛り上がったわけですよ。
今でもやっていて、すごくこう盛り上がっておりまして、10期でリニューアルしようと、なんか何の意味もなくただ
ついづいしてリニューアルしようと思って、全然違う趣旨のコミュニティなんですけど、まぁコミュニティと言いますか、
3ヶ月チャレンジは何なんでしょうね。
心理支援を受けるということをトレーニングするみたいなものになってきてるなぁと思います。
もちろんその中そのもので心理支援らしきことが受けられるというのも一つの売りではあるんだけど、それよりも心理支援らしきことというのを体感していただくというのを目指していますね。
多分、多分、やってて多分もないもんなんですけどね。
でも私はようやく自分の頭の中で、まぁこれも何度も何度も同じようなこと言ってますけど、
納得してきたと言いますか、 自分としてはこういうことをやっているんですというのが
はっきりさせられるようになってきたなと思いつつありますね。
いつまでも永遠にはっきりはしませんが、はっきりしつつある。前に比べれば全然マシだというのは感じますね。
一つは精神力動に非常にこだわる。精神力動精神分析に精神分析的なものであろうとし続ける。
認知行動療法の認識
これは最後までそうだろうなと思っています。で、最低でも心理臨床というものを肯定的に捉えてもらう。
それはもうその中に認知行動があり、スキーマ療法があり、スキーマ認知行動の一部だと思います。一部なのかな。
まあそういうようなものだと思いますけど、何でもいいんですよ。イベントで先日の15日のこのイベントは私にとって大きな意味を持ったけれども
土曜日のイベントで山崎孝明さんが入り口は何でもいいんですとおっしゃってたのと基本全く同じなんですが、私はやっぱりもう少し積み込んでるなと。
この入り口に立つことがすなわち治療なんですと。 まあでもやっぱり入り口何でもいいんですと全く同じかもしれませんね。
入り口に立つ気がしないという状態が、入り口に立つ気がするという状態に変わること。
そこを私は力動的に見たいということなんだなと。 その入り口に認知行動療法なのかもしれないし、何なら3ヶ月チャレンジなのかもしれないけど、
私はその変化に力動を見たいんだなと。そういうことだなと思うんですよね。 力動の知識というものがあると
この種の変化を 認識しやすくなるんですよ。それこそ認知しやすくなるんですよ。
認知行動療法を受ける気が全くなかった人が受ける気になったという、そこに私は力動を見るんですね。
そういうことだなぁと。認知行動療法は今、いや、 精神力動まで明らかに一部に持っちゃってるようで、
これはもう、私はそういうことはよく知らなかったところもあるんですけど、いい本なんですよね。
認知行動療法と精神分析が出会ったという藤山直樹さんと伊藤恵美さんの本で。
もうちょっとこの本が読まれていると、これから紹介していこうと思っていますけれども、
ずっと言ってるんだけど、ここで紹介してるのを紹介とまず言っちゃってますからね。
岩崎出版だよな。岩崎学術出版ですね。 心の臨床達人対談。この対談集本当に面白くてですね。
精神分析の位置づけ
朗課学と精神分析バージョンもあったんですよね。
だからもはや、心理臨床とは日本では認知行動療法を言うようになるだろうと。
その辺のことを藤山直樹さんが自虐的というか冗談めかして、
これはもう精神分析は滅ぶなみたいなことを、でも俺はやっていくからみたいな感じで書いてますけど、
私はその、まあ滅ばないでほしいなという、自分受けもしないでこういうのもなんなんですが、滅ばないでほしいなと。
で、藤山直樹さんが書かれているように、もうこの際精神分析は心理療法の一派とみなされることを諦めてもいいんじゃないかなという感じが、
精神分析は、これはダメなのかもしれませんね。精神分析は精神分析であると。
宗教でもなければ哲学でもなく、心理臨床ですらなく、少なくとも心理療法ではなく、
なんかその辺にあるところの一つの文化だと、そういう言い方をされれば、それはそれでいいんじゃないのかなと、私なんかほら、
生体ってあるじゃないですか。で、生体は心身傷みたいなものを扱ってなくもないじゃないですか。しかし生体は心理療法じゃないし、
生体は宗教ではないし、宗教的なものもありますけどね。
死体はスピではないし、自己啓発でもなく、マッサージともちょっと違う、まぁマッサージかもしれないけど、
あれはでも一つの文化としてはっきり生き残ってるし、保険なんか聞かないことがザラにあるのに割と金額高い金額払ってるし、
一回一回だし、なんだか精神分析と似てるわけですよ。キャンセルに結構厳しいですしね。まあいう一人一人から毎回毎回取るを
しちゃう場合はそうなるんですけどね。キャンセルされると痛い。 だから、で、実は一対一じゃないですか。しかも触れるときているんで。
実は精神分析に比べ、心理臨床に比べても危ういんですよ。男女が体に触れるんですかね。
でもなんかやっぱりちょっと違うんだよね。ああいうところに行ってみてつくづく思うのは、
私これちょっと冗談明かして書いちゃったこともありますけど、 八枠倉とかとは違う。
何かが決定的に違うっていうものを感じます。まあ言ったことないですけどね私はね。 例えば完全に固執になったところでネイルケアなり、
私は知りませんけどねこれも。 あの私だから心理臨床はいつも美容室と比較すればいいのにっていつも僕は思うんですけど、
まあ美容院はでもね一対一にならないんですよね。 共有空間でやっちゃってるんでね。
私は割とあれを3ヶ月チャレンジであの雰囲気に近いところを目指そうと思ってはいるんですけどね。
オンラインであれに近い。 床屋さん、あの心の床屋さんみたいな意味わかんないですけど、
まあちょっとそれに近いものを目指していなくはないんですよ。 私も絶対占いと比較するぐらいならば美容院と比較するべきだって
いつも思っている。整体もすごく大事ですよね整体。 整体と比較するのも、整体の方がむしろ近いかもしれませんね明らかに。
触れる触れないは大きいですけどね。めちゃくちゃ大きいと思いますけど。 まあまあ
だから人は整体にはいくんだよなぁと思うんですよ。 で、私はそのセルフヘルプというのが昨日から申し上げている通り問題で、
昨日よりは頭がまとまってきたんだけど、やっぱり喋って寝たからですね。 頭がまとまってるんですよ。
セルフヘルプというものは何なんだろうと。 認知行動のところを読んでもですね、まあ私がそういうバイアスのかかった目線で読むからなんだけど、
一緒心理学観がえらい濃いなと。 藤山直樹さんがスキーマに精神分析が食われるんじゃないかと書いていて、
伊藤由美さんがいやいや食われませんよみたいなこと書いてるんだけど、いやこれ食われるかもなぁみたいに、ある意味では誤解も手伝えば
食われるかもねっていう感じを持ったんですよね。 これらが藤山直樹さんのように何でも知っている方の目にはすぐ分かることがあって、
スキーマは、私はなんかこれアレっぽくない?みたいに思ってたんだけど、藤山直樹さんはあっさりとスキーマ両方のところ、これはまあ要するに
内的対称の対称関係論だみたいなことを書かれていて、 やっぱりそうだよねえとちょっとこうキョトンとしたというかアゼンとしたというか、やっぱりそういうふうに見えちゃうよね。
見方によってはと思うんですよ。でも一緒心理の対称関係論って何なんだろうなぁと。 だからこれはあの
もう少し私の気持ちが変わったらここに突っ込んでいこうと。 これをやろうという気にはもう全くならないんですけどね。いろいろあってね。
つまり私はやっぱりこういう風なアプローチをもうなんだろうな。 だからやる気にならないものを深く学ぶ気になるかなっていうのはちょっと
我ながら疑問に思ってるんで、今のところまだ触手が動かないっていうところなんですけど、 動いたらちょっとこれは読んでいこうかなぁと。
なんでなのかわかんないんだけどマニュアルが分厚いとかね。最初からですね、 伊藤絵美さんが書いてるんですけど、なんで最初からそうこう心が挫かれるようなことが
ここの世界には多いんだろうと。 あの別に500ページだって1000ページだって読みますよ。 例えば松木邦博さんの臨床辞典見てるんだったら1000ページとかでも余裕で読めるんだけど
もうこれがね、なんかこう スキーマとかなんかこう
フォーミュレーションとか出てくるともうなんか目がチカチカすると言いますか、それもおかしいな話なんですけどね。
あの読み替えて読まないとわかんないだろって感じにむしろなってしまうんで、 いやわかりやすいんですよ。わかりにくくはむしろないんです。
でもこの一種のわかりやすさと言われているものって、 やっぱり僕にはついていけなさとセットなんですよ。
認知行動療法というものはどこまで行ってもどれほどブラッシュアップして正しくなっていても、 そう、伊藤絵美さんが
BPT、BPTつまり境界性人格障害ですよね。
バイ、ボーダーラインパーソナリティディスオーダーですが、 確かにわかるんですよ。
あの、だからこれは医療行為なんですよね。そういう方を廃校させてしまってどうするつもりなんだと。 お前手に負えるのかと言われると困る。
藤山直樹さんはさすがで、 ある種覚悟の問題みたいな、それを言ってしまったらナンセンスかもしれないけど、
例えば家に帰ってみたら後ろを振り向いたら、 あるいは家に帰ってみたらマンションの前にクライアントさんが立ってたと。
やっぱりね、それがまして難しい患者さんだってことになればやばいけど、 藤山直樹さんはなんか上等だみたいなノリがあるわけですよ。
やっぱりこうなってこそ精神分析だぐらいの雰囲気あるわけですよ。 僕はやっぱりこっちの方が、僕はできないですよ、そこまではきっと。
やっぱこっちの方にシンパシーを感じちゃうんですよね。 それは困るでしょうっていうのも、もちろんそうなんですよ。
まして、組織でやろうとしているのに、 新人さんがね、いきなりBPDのクライアントさんが家の前に立ってましたわ、それは困るよねっていう。
ただですね、ただですね、それで今つくづく思い出したんですけれども、 我が家はそうだったんですよ。お寺なんでね。
夜中11時とか12時とかですよ、下手すると。 なんかコンコンコンコンって音するなぁと思って、もう音するなっていうのはみんな
ゾッとするかもしれないじゃないですか。でも寺って年に数回はそういうことがあるんでね。 コンコンコンコンなんだうるさいなぁと思って開けるとこう、信者さんが立っているわけですよ。
まあそうだなぁ、難しいなぁ。
よくうつ。 まあアセスメントはしませんけどね、そういうようなことですよね。
もうあのコンテ、コンテナーがちょっと機能不全化しているような、 難易性のうつなのか難しいところなんですけれども、
えっと一つでは言えない、その医療じゃないからね。 そして医療とはまた違った力度がそこに、力度言っちゃってますけど、
家族との関係性
まあうちの親父が一括するわけですよ。 何やってんだコラ!みたいなこと言うわけですよ。 力度かかっちゃいますよね。
だからアセスメントするっていう風にならないんですけど、 でも親父が下着から衣に着替えて2時ぐらいまで話を聞くんですよ。
2時間ぐらい聞くんですよ、言うに。 そんなことは年に数回あるわけですよ。
で泣いてるんですよね、その方は大体泣いている。 で5時には起きてまたなんかこうモニャモニャやらなきゃならないですからね。
結構簡単な商売ではないんですよね。 これあの無給料でやることになりますから。
そういう人お金払わないですからね、別にね。 だからこれタダでやるんですよ、全部。
だからといってお寺の経営というのは成り立つようになってんだけど、 原則的に話1時間聞いたから1万円とかないんで、
これは全部お金はタダなんですよ。 翌日ゴミをあげたって別にお金になるわけじゃないですしね。
そして365日ですから。 これはね、私は藤山直樹さんのおっしゃることはよくわかる気がするんですよ。
私がやったっていうわけじゃないし、やりたくいとも思わないけど別に、 でもそういう家に住んでいれば、そういう感覚って自然とあってですね。
自分の時間自分の時間って僕一生懸命言ってましたけど、 そんなのどこにあるんだろうなぁみたいな感じと、
そんなのが人を幸せにするかなぁみたいな感じってのは、 多分私は生まれながらにしてやっぱ付きまとってるっていう気はしますよね。
うちの父に自分の時間なんかなかったし、 でもうちの父はうちで一番幸せそうな人なんだったんですよね。
それは今でもそう感じる時があります。 あのなんかこう傍若無尽な感じ。
例えばホテルとかに行くと、ほらよく書いてあるじゃないですか。 多少はちゃんとした格好してきてね。
間違ってもその浴室用スリッパでレストラン来ないでねって。 ヒルトンみたいなホテルでですよ。
うちの親父とか平気で行くんですよ。 なんかトイレのスリッパーみたいなの。
なんかトンチキおじいちゃんみたいにしか見えないんですよね。 ああいう人見てるとね。平気なんですよ。
うちの娘とかちょっとやがっていた時期はありましたけど、 あの幼稚園の時代うちの子はまあそういうふうにしつけたわけでは全然ないんだけど、
ちょっとしっかり者だったんで、あのそういうのやがるんです。 おじいちゃんそれダメじゃないとか言うんだけど、
なんかうちの親父とか大丈夫大丈夫とか言って、行って断られる。 でうちの娘の方はちゃんとした格好していくから、
入れてしまうんだけれども、入るわけにいかないから一人で。 ここでなんかこう
結局一緒に戻ったりすることになったりして だからもう
一緒に行くのはいろいろと嫌だっていうことを言ったりもするわけですよね。 そういうことが起こる。そういう人なんですよね。
でもあれは幸せそうです。非常にね。 で、あの
認知行動でも それこそスキーマだろうとなんだろうと
あのまず 受ける気になるかどうかみたいな入り口付近の話がやっぱ多くなるわけですよね。
3ヶ月チャレンジはそもそも えっとね
それこそこう学校で無理やり受けさせられるとか そういうことではないので、そういう話はあんまり
関わらなくていいというメリットもあるんですけど、でも私は一生懸命こう 支援をしてるわけじゃないですか。
なんちゃら今応募中ですよとか。 そうでない時でもなんかこう人に
無駄にというのも変ですけど精神分析、だから先日の15日もそうでしたけど 精神分析的心理療法を受けられた方と叶えたんですから
でそして山崎孝明さんはもちろんあの精神分析か 目指していたから今でも目指しているのかな
訓練分析受けてますからそれによって変わると。この話聞くとなんだかちょっとそれこそ ちょっとした自己啓発みたいに聞こえるんですけど
なんでなのかわからないけど大きなものを得られた気がするっていう話が始まるわけですよ。 興味持つじゃないですか。
でセルフヘルプに行きたいという人はそもそもこの種の汚染臭さというものを 非常に警戒されているわけだから
人に相談して物事が解決するはずないって感じを抱いてしまってると思うんですよ。 これを聞いている方も多分に3ヶ月チャレンジというのは不思議なものだろうと思うんですよね。
でも人に相談するということに期待が持てないというのはですね 人間というものには期待できないということが案に言われてるわけじゃないですか
しかし人間の使った機械には大いに期待するっていう話ですよね そして人生を変えるのは行動であるとそういうことですよね
これが我々の価値観として根付いていて その価値観のベースには不思議なものがいろいろとあるわけですよ
例えば個人主義はまああるとして割とでも物質主義ですよね。 物が現実を動かすんだって信じてる。
行動っていうのは物である私の体が動くことで何かが変化していくわけですから とにかく物質が動かないことには始まらないと
物が動かないことには始まらないという行動というか物動ですよ 人間も肉体としての物質としての人間が手なり
を動かし口なりを動かして現実を動かしていき でまあ気に入らない現実を気に入る現実に変えていく
これが人生を変えるということにつながっていくっていう話をしているわけですよ 僕はこれをほとんど全部廃棄しているわけです
ある意味では一旦少なくとも 薬塗ったり薬飲んだりしないのかと言われるとしなくはないです
極小に減らしてますけど昔なんかもうガバガバ飲んでた口ですけどオーバードーズ 一歩手前ぐらいまで行っていたり
普通にオーバードーズするつもりでは全くなくですよ 飲みすぎちゃってるカフェイン中毒とかにもあの
急性カフェイン中毒みたいになったこともある人間ですけどそういう人結構いて 驚かされるんですけどね
ライフハック仲間にもいてねでも 一切私は今その釣りで
まして薬で心を動かそうとは思わない だからやっぱりその辺は一時全部廃棄した感じがするんですね
自分の時間とか自分の行動の蓄積とかつまり習慣化ってやつですけどもう 信じなくなっているわけです
本音のところでは信じなくなって久しい 今日だけのことしか今日だけしかないとは思ってないけど今日だけのことを考え
できればここ数時間だけのことを考え それ以上考えることには僕はあんまり意味を感じないでそっから時はいずれも妄想だと思う
妄想について検討加えていたところでやっぱり何かこう何か
リアートできる感じがしないんですよねやっぱり何かをクリエイトはしているんでしょう から
この認知行動療法的にアプローチするというのは全然もう私はだから前もあのさっき言った のそういうことですよ認知行動療法であろうとなんだろうと人に相談しましょうと
チャット gpt じゃなくてねっていうチャット gpt 使うのは全然いいと思うし なんなら悩み事相談するのもありだと思うんだけどそれは人に相談していることには
ならないだろう 人に頼るということは相談するということは人に頼るということなんだけど
人に頼るということは えっと専門を手放すということでやっぱりここに僕は力道の言葉がいるなと思うんですよ
スキーマの言葉に置き換えることもできるのかもしれないけどこれやっぱりスキーマ 療法が始まってからの話じゃないですか
認知行動療法やりますってかことを言ってからですよね さっきなんで bpg 出てきたかというと思い出した
伊藤恵美さんが習い事モデルって書いていてなるほどなぁと思ったんですよ これは習い事だと思ってきてもらうと結局何をやらやってるかというと言ってることは
心理臨床そのものだし 過剰な対抗をえっと未然に防ぐという意味なんですよ
それはわかる なんといろんな意味で
いろんな意味でわかります だから寺に来ると信者さんはやっぱりこれもだからね
言葉なんですよこれは所詮ヘラではそうは考えないけど 力道の人間が見ればあれはいや寺に来て信者さんって対抗するんだねーになると思う
絶対そういうことになると思うんですね 住職は父親なんだねとその通りですよ
でもヘラではそうは考えない住職は住職だし えっと神とは神となってあってそれを対抗とは言わない
そこに母子関係だのエディプスだのは見ない 見て説明できるのは僕は正しいと思いますがそれはだから記述の問題であって
私はそういう記述の仕方を力道に寄りたいと思ってるわけですよね なぜならインテーク面接が云々観音とかよりも力道を見る方が私にはしっくり
苦しい納得感が高いしそうした方が無理がない やっていてやっていられるようになるからですねあの
心理臨床の理解
いろんな話がここに入ったなまあ習い事モデルからいきましょう 習い事モデルというのは結局習い事だからね
ちゃんと時間取りに来てねとそういえばボーダーの人が納得するかなぁとは思うん だけどでもこういうことによって
ある種のこうなんて言うんだろうな まあある種の関係を維持できますよね何かこう
社会性を維持できると言いますか だから習い事だからごめんという言い方ができるわけですよ
あの自動思考を捕まえるフォームワークをやるんです だって習い事なんだから
テニスとかでもやるじゃないですかあの ホールを上に上げてラケットでそれをキャッチするっていうのを家で1日10回でいいから
やりましょうとかってやるんですよ まあやんないけどねやんないけどそういうフォームワークが出せますよ
ピアノだったらもう絶対あるじゃないですか 最低でも1日1時間聞かなきゃダメ見て僕はほとんど全く聞かないで行ったんで全然上手く
なりませんでしたけど行くたびにそこで練習するみたいなノリでしたけど まあまあとにかくそういうことなんですよ
どういうことなのかわかんないけど あの習い事モデルねつまりまあ行ってみれば cbt を学ぶってわけです
この姿勢にある意味 当てはめることによって方にハマることによって
手張りみたいな話だけど僕は手張りっていうのはあの 古典芸能だけに使っておこうと思うんだけどあの
要はそういうモデルだったなと でもやってることは心理臨床であって時間遅れるないってのはそういう意味じゃないですよね
本当はね本当はそういう意味ではないと私は思う でも結局それを僕は力動的な観点を取らないと本当のところよくわかる気がしない
だから観点は力動的なものを取りたいと思うし もちろん習い事モデルは3ヶ月チャレンジ的には一番遠い
あそこで何かを教えるわけでは決してないし私は教師では全然ない 私とあの
参加者さんの関係はまあ 薄く細く転移が生じる
2の人間関係だと思うんですよね上下はないし教えることはないんですよ 何か頭をよぎったらそれを交換するを僕の方から多くなるのは確かですけど
あの頭をよぎったことを情報交換する そういう中でえっと何て言うんですかね一つの新しい人間関係をそこで形成していくって
いう感じのものですよね3ヶ月チャレンジ ここに金銭の呪術もある
だから教えてもらったから月謝を払うみたいなそういうモデルからは僕は一番 遠いと思うんですよ3ヶ月チャレンジは
力道モデルでありたいなとは思っていますただ指定新分析を名乗れない指定心理 機動的でもない訓練分析僕受けてるわけじゃないし
そういうものではないんですよねビジネス心理コンサルティングですね ただコーチングでは絶対ない
コーチはしない どういう意味であれメンタルであろうと何であろうとコーチはしないってことですね
自己啓発の必要性
だから習い事モデルは採用しないんですよ やっぱり僕は年日行動旅行は遠いなと思いつつでも
習い事モデルってが結局言うならば なんていうのかな
さ術に近いですよ一種のやっぱ心理臨床をするんだがそれが前面に出てきてはまずいので ある意味これはだからあの環境としての母親だなって思うんですよこれは
伊藤恵美さんが環境都市の母親になるこれもまた 力道モデルの観点をとっているわけですよねそう思うと思っちゃったらあれは精神分析に
見えてきちゃいますからね でも私の目にはそう見えるしそう考えると習い事モデルだろうと何だろうと納得が
いくわけです習い事モデルってある意味偽りと事故じゃないですか そこで習い事してるわけじゃないのに本当は習い事をしてるかのような
アゾイアズイーフパーソナリティって言ってもおかしいけどそういうことになって いくと思うんですよ
やってればいくらかきっとだって絶対習い事とイコールではないと思うんでピアノの レッスンとかが明らかに違うと思うので
そういうふうに持っていくことである種の人の自我が安定し指示された感じがして安定 すると
ある意味子供扱いなんだけど幼児扱いはしないよっていう 習い事をする時ってそうなるよね確かにうちの子がバイオリンやってた時年配の人も
いて年配の人の中には先生より年上の人もいるわけですよ でもやっぱりなんかこうある意味若々しくなるわけですよ
ここでこういう関係でいきますよっていう関係の枠にはめられますじゃないですか で bpd ぽい人なんていないから
時間もきっちり守るし先生との関係もきちっとやるし いうならそのその外での付き合いはしませんよというのは当然
成り立つわけですよ昔ありましたよねそういうなんかピアノの先生に ストーカーみたいになっちゃうみたいな話ありましたよね同性でもある
だけれどもそういうことにならないようにするためにも対抗をある程度コントロール するって話だと思うんですよ
自我指示的にあってそしてその中でまあ例のアレですよね 自動思考みたいなものを捕まえて認知の認知の何かを変えていく
これをカークやるとそれと精神分析の違いは確かに非常に見えにくくなるなぁと ただ
その力道的な言語あんまり使ってない感じがするのと 相性関係なのにに写真に的に見えないやり方になっているっていうのはあの感じます
感じますよね私なんかにしてみると むしろ言葉が難しくなっているようにある意味見えるわかりやすいわかりやすいって言われて
いるけどわかりやすいけどそれはつまり なんだろう
行動効果の測定がしやすいという話であって実はわかりやすくなんかないような気も するんですよ
認知行動療法の効果
効果測定をするということは 文化的な長寿が目線に立つということだとやっぱりこれも力道的ですけどね
思わざるを得ないんですよねある行動は望ましくある行動は望ましくない お酒の飲みまくる行動は望ましくなくて
確定申告の書類を整えるのは望ましい ですか
私はそこに納得できないんですね多分一生納得できないんだろうなと思うんですよ やっぱり父は避難されがちでしたけど
あの化粧室用のスリッパでフィルトンのホテルのバフェット行っちゃうから あの
だし人の庭にも平気で入ってってああこの梅いいですねとかって言って あのあんた誰ですか出てってくださいってあっさり言われちゃうし私は手つないでて
横でそれを言われるのを何度も経験しているんですが 別にいいじゃんっていうタイプなんですよね
一歩間違うと逮捕されますけどね でも
あれを見ていると そんなに文化的な長寿がっていうものは
8回ですかって感じはするんですよ あの人いろんな人に避難されてるけど避難する人ってそんなに偉いかって感じやっぱするんです
よね 母なんかもケチョンケチョンに言うことありますが
そんなに母はできているかっていうちゃんとしていますよ母の方が全然ね でもできてるかっていうと
あのね いろいろと宗教なんていざこざもあったわけですけど
すごい人望あるんだなって思いましたうちの父はね すごいあるこの人すごい人に好かれてるんだなと思いましたから
まあ別に私はああいうふうに振る舞いたいと思いませんけれども まあ人に好かれるんですよねうちのおじいちゃんがそうでした父の父ですね
あのもっと音じきでしたけど本当にあの 神戸さん私そのおじいちゃんの葬式のために一旦帰国しでそのままずっと帰国って感じ
なんですよ 神戸さん思い集まってきて田舎な
結構泣いてましたびっくりしました私なかなかったから可愛がられた孫なんだけど やっぱり何て言うんだろうなぁそのそういうことってあるよなぁと思うんですよね
効き動的だなぁと思いますね今思うとですね で
でも私は今はその認知行動でも何でもいいから 再評価してつまり再評価っていうのはセルフヘルプに入っている人とか
8人に相談したくない人とかカウンセリングはゴリゴリだと思っている人にも再評価して もらって歩み寄られるといいかなというのは
こうなんていうのかなギリギリの線で思いますね これもサンチャレの募集でも何でもないんであのカウンセリングというオプションがある
というのを持つという 使えるオプションとして意識できると一生かからなくてもいいんで
かかっ 理由るんだ自分はいざとなったらって思えておいてしかもそれには効果があるのかもしれないん
じゃなくて効果を発揮してくれるものがあるんだと少なくともカフェインより っていうような感覚を抱ければいいかなと
これを説明するに僕は力道の言葉がいると思うから 力道の言葉で説明しますし
力道の言葉で伝わればそういう気持ちにはなれるはずだ私は認知行動力を自分が今から受け に行ったら一定の効果を得られると思ってますから
ただし力道的に体外解釈しちゃうでしょうけど僕自身は思うんですけど決して行動 科学的にはこれを解釈しないだろうなと今では思います
文化的常識と自己評価
戦亡を手放すってことなんですよね少なくとも戦亡に課題を見ることなんですよ 戦亡っていうのは昨日もお話ししたんですけどある人と分かりにくいと思うんですよね
戦亡というもの 人に頼るということは
ある意味屈辱的なんですよあるいは恐ろしいないしは出す価値化してしまった人間に 頼っても効果が出ないでもやっぱりこれ見下してるんですよ
もう一つ魔薬があってあまりにも人に迷惑をかけちゃいけない理論を持っちゃってる人も これも結局究極的にはナルシズムだからどっか見下ろしてると思うんですけど
でも人は人様に迷惑をかけられ だから人には頼れないこの2種ですね
この2つのどっちかを両方なんだけど エヴァナスト
エヴァなさないと人には頼れないで人に頼ったその瞬間の感覚が大事なんですよ 人に頼ったその瞬間の感覚はつまり欲打つなんですよ
見下してるならなおのこと他人というものは当てにならないんだと 話をでカウンセリングで話しするだけでしょってこれ懐かしかじゃないですか
私はの話をするだけでしょという誤解を解くんだって書いてあるんだけど時々ですね ネットに出しそうじゃないと思うんですよね
そうじゃないだろうと思うんですよそうじゃなくて話聞くだけじゃないですか どっちにしたって話するだけじゃないですか生態みたいに
あのツボ押すわけにいかないんだからどこまで行ったって話をするだけじゃないですか でそれに頼らなければならない私っていうものが現れてくるはずなんですよね
その私はなんて無力で絶望的なんだろうっていう私ですよ この世の中を渡っていくにはそんなね話を聞くだけの人に頼らなければならないこの無力であって
どうしようもないじゃんってここにスタート地点を持つっていうことが大事なんだと思うんですよ アイフォンとか持ってたり ipad とか持ってたり
8エバーノートとかがあったりタスクシュートとかがあって 安全装備でを自分はぐるぐるぐるって持ってますと英語もできますと頭もよくしましたと
何なら筋トレもして8アイス風呂にも入れるように体を鍛えましたと でも話を聞くだけの人に頼んだければならない私っていうのをここに見る必要があるんだ
と思うんですよね そこに力道が働き始めると僕は思う
やっぱり力道の言葉でそもそも線棒って精神分析の言葉ですから なんでそんなのに頼らなければならないんだっていうその気持ちが大事なんです
認知行動療法とかいう知識を得ているからなのか こいつから認知行動療法全部吸い取ってやるっていう風に
セルフヘルプそういうもんだと思うんですよ セルフをヘルプするためにスキルを情報収集していくってことは誰かが開発した情報なり
スキルなりをまあ私がまさにサンチャレで精神分析から 8吸い込んだものでやってることそのものなんだけど
だからここには非常に卑屈で屈辱的なものがあるわけですよ結局自己愛なんだなって 思うんですよね
吸い込んでフロイトから作り出されたものを吸い込んで言ってさも自分がフロイトです みたいな顔をして人にこれをやると
しかもその方法論も松木さんとか藤山さんの本を読んで吸い込んではこれを 拝説していくというやり方で3ヶ月チャレンジみたいなものをものすごく
自己愛的に意地悪く言えばこういうことをやってるわけじゃないですか 私はねこれってつまり戦亡なんですよ
もう全部フロイト全集全部読んだらこいつがいなければ俺がフロイトなんだっていう これこの時系列上の矛盾ですよ
フロイトがいなければフロイト全集はないに決まってるんだよこれをみんなやって しまうんですよね
やりたがるものすごくやりたがりますよ私はオリジナルじゃないからあんまりそれに ついて言及する資格はないけれど
タスクシュートだってもうそういう人は平気的にあの
何ですか誕生されますね 戦亡なんだと思うんですよね大橋越夫さえいなければ私がタスクシュートの開発者なんだ
だって大橋より俺の方が今やわかってるからなぁみたいなことを平気で考えれて しまうのが人間でもなんですよ
これは大橋越夫に戦亡している嫉妬じゃないんですよね 誰かと誰かを比べてまぁ自分と橋さんを比べているとも言えるんだけれどもでもこれ
だとそういう嫉妬は変ですよね そうじゃない泣きものにしてしまいたいってことですよね
オリジナルがなければ私がオリジナルだっていうのはそういうことですよね だから人は母親を戦亡する母親から生まれたから
そういうことを書いている人がいたなぁのガンダムを漫画で書いた あの
漫画家さん あの人があの
あれですねネロ程のことでネロってあの めちゃくちゃ虐殺したローマの皇帝ですけどあのお母さん殺しちゃうんですよね
でその時言うんですよねここをさせる自分のあのアレですよ あの
筒を刺してここをさせるネロはここから生まれたんだ これはもう完全に戦亡のことを描いているわけだけどまあ
ちなまぶさいせで恐ろしいシーンですよね だからつまりそういうことなんですよ
そこを刺してしまったら自己否定じゃないですか すごく自尊的な自己否定じゃないですか
でも我々それやりたがるって思うんですよ 昔そういうことを数学の人入りましていましたよライプにつか誰かさえいなければ俺が
美跡ぐらいは発明できたのにってこれを言っちゃうんですよね 小学校か中学校の日に頭のいい子は美跡とかを学んじゃうわけじゃないですか
だけれども学んだくせに自分の能力で理解できるもんだからそれを自分で創発 することもできるような気がするんですよ
でこの戦亡というようなものにまつわる心理がおそらく人をして人に頼りたくない っていう気持ちを作り出しているんだと思う
やっぱり我々はどっかで親から自立しなきゃならないんで母親から独立しなければ ならないんで
母親がえっとあまり人格者じゃなかったりあまりちゃんとしてなかったですよ 早々と時間自立しないとやばいぞってことになってこの自立を急ぐもんだから
の分専門の高まりも早いんですよね ああお母さん何でもできて素晴らしいっていうところ
まあ1回は絶対人間というのを体験しているから自分そこから生まれてきてるし あの安全も食食事も温かさもすべて
母親経由でやってきてますからあるいはダイレクトに母親がそうだった 環境としての母親ですから母親万歳なわけですよ
母親万歳イコール自分万歳だった時代はそれで良かったんだけど 自立して分離するとなると母親機能全部自分持っておかないと自立できないじゃんって
ことになってこの時にピークを迎えると思うんですよね 素晴らしいお母さん
は実は全然素晴らしくなかったとなんだこのお母さんダメじゃんってことになって 私が取って変わらないとってこの瞬間に自分はやっと歩き回れるということに気づく
っていうこういうものすごい不安になりますよね いや全部取んなきゃいけないかったはずのに何にも自分できないんだっていうことに気づくって
ことですよね これにしょっちゅう気づきますよね自立とかすると
ジェイ松崎さんですら会社辞めてみたら あれお金って全然収入ってこないんじゃんってことに気づいてタンポポを食べにもらいに
お隣さんに行きましたみたいな話を書いてましたけど すごいゾッとしますよね
要するにあのオリジナルをダメにしてしまうとオリジナルからの供給源をダメにしてしまうと 自分何にも自分から出てきやしないっていう
これでどうやって生きていけばいいんだってことになって無力感を 災難わけですよ
心理臨床とカウンセリングの重要性
だから欲打つポジションっていうわけですよこの時ほど欲打つ的になることはないから 自立した入り口には欲打つポジションが待っていて
あーってことになってしまうわけですあーって この時にカウンセラーに頼れるということが発生するわけですよね
このような言葉は全部力堂から僕は使ってしまっているんで まあ独立とか自立とかいう言葉を使って落ち込むとかいう言葉を使ってもいいのかも
しれないんだけどオリジナルというもの 親が親の存在がクソ面白くねーでもいいのかもしれないけど
先方って言っといた方がわかりやすいし面倒くさくないよなと思うんですよ そしてこの先方手放すっていうのがあらゆるカウンセリングを受けに行くときに意識されなくたって
全く自覚がなくたって絶対そういう心理状態っての通過しているはずだというふうに思うので これを力堂の言葉を使って
これを皆さんにお勧めしてあとは好きな好きなように好きな依存をまあ でも変ですけど依存をできるんだというなんていうんですかね自分の権利みたいなもの
としてですねをね 持っておけるんだという依存するってことがそこに入ってるから欲打つと屈辱
ない者一人様に迷惑をかけてしまう マゾキスティックな気持ちってものを書き立てられるっていうのもセットでついてきますよとそういう
ことを 伝えていく仕事をしていて
何ならそれをその真似事みたいなことを3ヶ月チャレンジでやるって言ってもいいですよと 外で見つけるのが大変だとか見つからないとかそういう事情があるから人には
見つけるの自分そんなことやってきたわけじゃないしとか えっと自分たまたまちょっとあの首都圏からめっちゃ遠くに住んでいて分析家とか誰もいません
とかいうこともありますし いうことはいくらもありますんでそういう場合は3チャレがあの
その代替えではないんですけれども リキドー系でリキドーボデルを使ってこれっぽいことを
やらなくもないですみたいなねそういう感じかなぁと思っています
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