1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 「炎上」からの妄想の「火の粉..
2025-04-18 41:43

「炎上」からの妄想の「火の粉」を振り払いながら「後悔」した話【1171】

「心理」系のビジネス書作家が対岸の火事を見ると。
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サマリー

このエピソードでは、炎上や後悔の感情について考察し、PSポジションの重要性を論じています。また、心理療法やカウンセリングにおけるアドバイスの難しさについても触れています。ジレンマと後悔の心理に焦点を当てながら、野球のエピソードを通じて自己反省や振り返りの重要性について語っています。また、外部からの視点やアドバイスの必要性についても言及しています。炎上の状況を振り返り、その過程での後悔や心理的な影響について考察しています。サンチャレの経験が自己認識やアプローチにどのように寄与しているかを探求し、他者との関係性の重要性を強調しています。このエピソードでは、後悔や人間の限界、そしてSNSと個人の問題について議論しながら、野球の例えを通じてコミュニケーションの重要性が語られています。

炎上とその影響
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ、第1171回をお送りします。
4月18日金曜日、朝7時39分です。
うーんと、ついにと言いますか、集合できたなと。やっぱりこの集合をやるのは厳しいなと思いますね。
いろいろ、毎週毎週毎日毎日いろいろなことが起きますし、
何が起ころうと、朝5時半に起きて娘の弁当は作らねばなりませんし、妻も手伝ってくれますけどね。
で、まあ、早朝から車走らせて駅まではいかなきゃなりませんし、終わってからこれをやってるわけですけど、
いやーもう週5、金曜となるとさすがにくたびれて、寝てーなーって感じが、まあ寝るんですけどもしますよね。
はい、でですね、今頃あれだな、そうは言っても、スガノさんが大リーグで投げてますね。オリオールズだったっけ?
見たくなりますね、まあいいや。 だから全然ですね、実は寝てーとかは嘘くさいんですよ。
多分これはね、この収録をしていないならスガノを見ていて、別に僕は寝てないということが確実なわけです。
これね、野球好きの気持ちにならないとわからないかもしれませんけど、確実ですね。絶対寝たりはしませんね。
あのー、スガノが交番したら寝ちゃいそうなんですけどね、ここがまた非常にこう野球ってものの独特なところですよね。
僕にはそんなに愛国心強い気持ちはないような気が、何しろ段階ジュニアなんでね、しかも氷河期世代ど真ん中なんで。
まあその心情サハっていうのはもううちの父みたいなのなんでしょうけど、僕は心情サハの息子のレベルの、あのー
ウハもサハもあんまりもういいやみたいなノリになっている人みたいな感じだと思うんですけど、政治的にはね。
でもやっぱり日本人が出てないなら大リーグは見ませんね、メジャーリーグは。
ヤンキースとかだったら見るんだけど、アーロンジャッジとかは知ってるから見るんだけど、でもやっぱりなんかね、コロラとロッキーズの試合見たいかっていうとそんなに別に。
昔住んでたからカンザスシティロイヤルズってあんまり強くないチームがあったんですけどね、時々強いんだけど、あんまり見たいと思わないですね。
カンザスに住んでた時は見てましたよ。なんか台湾人の友達とかにね、お前そんなねシアトルマリナーツにイチローいるからってマリナーツばっかり応援すんな、カンザスなんだからみたいな。
すごいこう共同愛がすぐ定着できて、違うなやっぱりってちょっと思ったんですよね。
僕は別にカンザスシティにそこまで愛着なかったし、仮に愛着できたからといってそんなにロイヤルズ、何しろ弱くて負けてばっかりいたんだよあの頃は。
そういうことはあって弱くても応援すんなロッテだけで十分だぜって感じがありました。
雑談ですけど。
まあまあ昨日もお話ししましたけどね、Xで本が、心理学の本じゃないですからね、心理術の本ですからね。
他にもいろいろとあるんだけど、僕はもういい加減嫌になってX見るのはやめました。
それででもやっぱりこういうことがあれば何か思うところもあって、思わさせられるところもあって、やっぱり自分はこの
正規じゃないということを固く意識しようというかやや固めに意識しようと。
正規じゃないからやっぱり正規じゃん、正規な人にはできないという、まああの倫理要項とかねいう言葉も飛び交いましたけど、やっぱり
倫理的であんなきゃいけないということと自分が組織に属していて倫理要項を持っているってこととはまたちょっと違うと思いますんで。
あの私はやっぱりこう野良らしくやろうねっていうことと、一方で私は別にカウンセラーじゃないし、あのつくづくまして前よりもですね
心理臨床はしないっていうのをもう、心理臨床しなくてもできることはあるからっていう感じをあの持つようになりました。
だからもう3ヶ月チャレンジは3ヶ月チャレンジだなと。まああの1台で終わるやすいですけどね。
でもまあ1台で終わればいいんだよっていう感じに少しなりましたね。 この辺も難しいんですけどね本当に。だからといって不安がないわけではないし、この不安は
取っておこうって感じもあります。 不安は手放すのがgood vibesでは常道ですけど、いいや不安は一旦ここに取っておこうという感じで。
それは果たして不安なのかって言われると、微妙な気もしてくるんですけれども。
で、後悔ということについて今回考えたんですよ。 まあ炎上している人たちが後悔しているとは限りませんが、こういう出来事にやっぱり後悔という感情はつきものじゃないですか。
心理療法のアプローチ
で、後悔してもしょうがないっていうのと、あのだからですね。 まず後悔してもしょうがないじゃないですか。それはまあ事実としてそうなんですけれども、でもしてしまうのが後悔。
一方で、そういう時にまあカウンセリングだとしてアドバイスってことになってくると、 クソバイスとかも言われますけど、後悔してもしょうがないだろうっていうね。
あの具志堅クリニックさんでもやってたんですよ。 泣くな泣いてもしょうがないって言っているのを聞いて、
東方さんがびっくりするというね。でもね、びっくりはするかもしれないけど、これ言いたくはなっていると思うんですよね、僕は。
訓練済んでるから言いたくなってませんっていう人もいるとは思う。 でも私は正規のカウンセラーだって言わないけれども、泣いてもしょうがないだろうって思う瞬間はあると思うんですよ。
まあ思ったことに後悔するかもしれないんだけど、僕が言いたいのはですね、 こういう時にPSポジションって言葉があるといいってことなんですよね。
私がやっていることってそういうことでして、こういう時に避難の応酬って言葉でもいいんだけど、
避難の応酬という言葉は一般的でわかりやすいっていう代わりに、そこで起きていることについて考えなくなっていきやすいっていうこともあると思うんですよね。
PSポジションと言って初めてここに排斥って概念が持ち込めるんですよ。
まあ避難の投げ合いでもいいんでしょうけど、避難って投げられないじゃないですか。
うんこは投げられるじゃないですか。 この違いはあると僕は思うんですよね。やっぱりね投げ合いっていう、いかにもじゃないですか。
炎上すると投げ合いが起きますよね。 もちろんご本人たちは、いやそれは、えーと、
倫理であって投げ合いじゃないっておっしゃると思うんですけど、まあ外目には投げ合いになりますよね。
当事者でない人間という側はただ見ていれば、当事者ないなら見るなって言われるかもしれないけど、Xっていうのはお勧めに流れてくるからしょうがないですよね。
今回のはすごくて、すごいなと思ったんですよ僕も。 僕のようなところに、まあ僕はカウンセラーさんはリストの中に入れて、
どんどんXでリストをウォッチしてるから、そりゃ流れてくるでしょうけど、なんか私の知ってるライフハックの人と
こうミーティングしたりすると、いやあの炎上案件私も知ってるわみたいな、いやこの人は全然カウンセリングとかおいそうに心理臨床とか
ほぼ興味ないでしょっていう、ほとんどいつもガジェット追ってるじゃんっていう人すら、あの
今回の炎上は見たから、今回の炎上は火の範囲が広がったんだなって感じを抱きましたね。
だから見たいから見てるのは限らないわけですよね。Xは見たくないものも見せるっていう方法なんで、非常に炎上を人目にさらすのが
上手くなったと言えばいいのか、よくも悪くもね。 だから巻き込まれる人が増えてるわけですよ。
オフジシャーは大変だろうなと思うんですよね、やっぱりね。 ここにやっぱりPSっていうのが僕は
一番この事態を理解する上ではやっぱり僕はいいと思うんですよ。 中にいる人にしてみるとPS言われるのは不本意だとは思います。
でも外から見るとやっぱりあれはPSポジションっていうことに気に食わないっていうことが何よりも大事だっていうことですよね。
私はこれをなんかこう、次元が低いとか言いたいわけではないんですよ。 炎上とはすべからく気に食わないという気持ちと無関係には
起こらないだろう、どんな炎上案件であろうと。 そしてメディアというものはこのPSポジションをこれが要するに僕らが把握できないと困るんじゃないかと
現代の社会では特に別にメディアはSNSとは限らないわけじゃないですか。 テレビでも盛んにやってますけど、いやテレビでは盛んにこれをやるんだけど
あのPSというものは金になるってことですよね。 でそれは嫌なことだって思う人も多いと思うんですよ。でも絶対これは
私はPSは金になるっていうのを嫌でもなんでも、僕らのこの時代を生きる、将来は変わるかもしれない。
でも少なくともこの2020年代を生きる人間は 絶対このPSは金になるっていうのは抑えておいた方がいいと思うんですよね。
後悔のメカニズム
それが気持ちが悪くても、愛でもなんでもだと思うんですよ。 これが所詮は非難の欧州だって言っても別に言ってることに違いはないようなんだけど
違うと思うんですね。欧州と投げ合いはなんかちょっと違う。 で投げられれば
自分の領域に入ってきますからね。投げ返す。するとしかし何がしたいかというと2つあるんですよね。 自分の領域は白くしておきたい。で同時に世界は黒くなる。
このことをやっぱり忘れてはいけないというか忘れますけど、忘れるんですけど。 でもやっぱりこのことを意識できるとですね、
なんで世の中が黒くなったんだっていうこの問いに自分で答えられるじゃないですか。 自分では答えにくいんで、ここにだから面白いことにですね、今回はだから20…
あ、すいません。つまりね、20-30に面白いって今言おうとしたわけですけど、20-30ってのは。 なんでかというと、カウンセリングというのはつまり、それをこう…なんていうのかな。
投げ返しているという状態でずっと行くということは Dポジションに入れないっていうことを知るためにやるみたいなところがあるからなんですよ。
だからこれは20-30に考えさせられるなって思ったんですね。
で、まあまあ、
だからそういうふうに、そういう話が発生したところからでさえ、そういう話が起きていくっていう、まあそれは当たり前…
じゃあ当たり前なんですけど、これを考えながら私は、
だから後悔ってことについて考えたわけですね。 すいません、またあれですね。PSポジションには後悔が付きまとっているわけですよ。
というか、PSからDっていうのは結局、まあ、 もともとそういうことがあったとかではなくて、おそらく幼児期にはそれに近い体験をしているだろうと。
お母さんを怒らせてしまったと。 あ、というか自分が泣き喚いた。お母さんを怒らせてしまったと。
だからお母さんは厳しくなったと。あの例のシンデレラのやつね。 で、後悔をしないんですよPSでは。お母さんがゲイになった。お母さんに許せない。
っていう、永遠にそれをやってられるんだけど、 Dに入ると、私がお母さんを怒らせたっていう、この私がいなければ後悔はないってことですね。
だから子供ってのはいつか、ギャン泣きをするということだけで 事態を対処しようとしなくなるじゃないですか。
いつそうなったにせよ。いつか。 そこでDポジションは確立したはずなんですよね。
ギャン泣きしても仕方がない。つまり、後悔しても仕方がない。 〇〇しても仕方がないっていう発想って、Dポジションに入らないと取れないと思うんですよ。
だけれども、これをアドバイスしても仕方がないんですよね。 だから、カウンセリングの場面ではよく何にも言うことがなくなっていくわけですよね。
で、私は、前も言いました、さっき言ったばかりですけど、カウンセラーではないから、 考えるにアドバイスは全然OKなんですよ、別に。
アドバイスをしちゃいけないというルールはカウンセリングにはないでしょうけど、 そもそも私の場合、そのようなルールそのものを考慮しなくても、別段構わないっていうポジションが私の得点なんだろうなって思うんですよ。
だから、むしろ帰って考えなきゃなんなくなるってことは当然あるんですけれども。 何にも言わないっていうのはそれはそれで問題だし、何か言うっていうのもそれはそれで問題だしってことになってくると、
ジレンマとその影響
つまり、あの例のジレンマってやつにはまり込むわけですよ。 そして、このジレンマってものが僕のところにおそらく投下されてくるもののはずなんですよね。 だから僕がジレンマに陥るというのは気持ちの良いものでないんですよ、悪いことではないんですよ。
ジレンマが投げ込まれてきているわけで、ジレンマを投げ返すわけにはいかない。 それじゃ、ジレンマを投げ返しても仕方がないじゃないですか。
さっきのと同じですよね。 だけど、ジレンマというものを僕がただ味わってそこで身動き取れなくなっているだけでも仕方がないわけじゃないですか。 こうして僕はどうにもこうにもならなくなっていくわけですよね。
あの、この時に参考になるものってないかなーってよく思うんですよね。 カウンセラーを私は参考にしてるわけですけど、こういう時に一番参考にできるのがカウンセリングだから、
こういう時に一番理解できるのがPSポジションってものだから、私だから後悔できるようにならないとここではいけないんだろうと思いつつ、後悔してどうするんだろうっていうのも当然ありますね。
後悔ってそもそも何なんだろうと思うわけですね。 あの唐突に野球の話になりますが、千葉ロッテに外選手っていい名前の選手がいるわけですよ。
外国人、外国人ね。あの名前覚えやすいじゃないですか、外。 まあDNAから来たんですけど横浜ベイスターズから来たんですけどね。
いやいい選手なんですよ。なんでDNAからこの選手ロッテに来たのか不思議なぐらいだなって思うんですよね。 チャンスに強いし。妙に頭がいいとされてるんですよ。本当のことは知りませんけど。
日本語もよく喋れるっていう話なんですよ。本当のことは知りませんけどね。 これも僕は確認してない情報なんで。
とにかくあの外選手が来てからピッチャーはすごいこうアドバイス受けるらしい。 ここはこうこうこういう状況だからこの辺に投げるといいよみたいなアドバイスがすげーって言うので、一時
去年か一昨年くらいかな話題になったんですよ。 アドバイスしまくりなわけですよ。頭がいいから。
で面白いエピソードがあって、あの 詳しくない人ごめんなさいね。
めちゃくちゃロッテがピンチになった時、ロッテは一応開幕投手小島っていう左のピッチャー なんですけど
確かあれは小島さんのエピソードだと思うんですけどね。 ノーアウト満塁という大ピンチで、大ピンチなんですよ。
一発出ると4点一気に失うという。野球で4点取られるとその試合負ける降参大きくなりますから。
あの一発で4点入るっていう状況を招いてしまって、しかもあのまだ一つもアウトは取れてない。
とにかく大変な状態なんですよ。そこにあの9回屈指のスラッガーで、昨日ちょっと指痛めてました。
指だったかな?わかんないけど、どっか痛めてましたけど。 ヤクルドの村上って選手ね。ノーアウト満塁で村上っていう状況になっちゃったわけですよ。
村上様とか呼ばれてるぐらいで、すごい打つわけですよ。 でその外選手にあの
ピッチャーの小島さんから聞いたって言うんですよね。 どうしたらいいと。まさにアドバイスを求めてるわけですよね。
で外がなんで答えるのか僕も興味津々だったんだけど、 めっちゃ難しい、正直わかんないって答えたっていう、本当かどうか嘘かわかりませんよ。
めっちゃ難しいとかそんなに日本語上手いのかよって思うんだけど。 つまり何のアドバイスにもなってないじゃないですか。
で、小島はそれを聞いて、そうかそうだよなと思ったと。 僕はやっぱりこういう話、これが全てじゃないですけどもちろん。
アドバイスとかカウンセリングってのはこういうもんだったっていうのを いっつも思うんですよね。
あのまず解釈してるじゃないですか。 解釈にもなってないような解釈かもしれないけど、この状況について解釈してるじゃないですか。
この状況はめっちゃ難しい。どうしていいか。 えっといっつもアドバイスしてる自分もわかんなくなったって解釈してるじゃないですか。
それくらい難しい状況だと。 で、そんなことは言われなくたってわかりきってるじゃないですか。
小島からしてもですね。野球ずっとやってる人間なんだからこの状況がめっちゃ難しくて誰にもどうしていいかわかんねーよっていうのはわかってるじゃないですか。
でもそれを他人から聞くっていうのが大事なんですよ。 この場合まして外から聞くっていうのは非常に大事なんですよ。
たまたま名前が外だっていうのがますますいいなって僕は思うんですけどね。
自分の内側でずっと考えているとめっちゃ難しくてわけわかんない状態の時ほどより一層わけわかんなくなってくるんですよ。
この状況を少しでも客観視するためには どれぐらいみんなはどう思ってるのかっていうのを聞くのはやっぱり大切なんだと思うんですよ。
ましてその状況が一番よく見えていそうな人、つまり部外者ですよね。 屋外にいる人がこれはめっちゃ難しいんだと言ってくれるのがわかりきってるんだけど意味があるんですよね。
で、そうかそうだよなって思うと。 でここに僕は後悔ってものがあるだろうと思うんですよね。
そもそも村上様の前でノーアウト丸にしちゃダメなわけじゃないですか。
どう考えてもそれはやっちゃいけないことをやっちゃうからそういうことになってるわけですよね。
でも今更後悔したってしょうがないじゃないですか。 ノーアウト丸にしなきゃよかったんですよ。
しなければ村上様に一発くらっても1点で済むのに同じフォームランを打たれるとここではもう4点入るっていう状態なわけですよね。
4点入るのは結構まだ良くて誰もいなくなるから。 村上様になんか2塁打くらい打たれると3点取られてさらに村上様がノーアウト2塁に残るみたいな。
こういうのもずーっと続いてひどいなんか1回で5点ぐらい取られたり8点ぐらい取られたりするわけですよね。
試合終わっちゃうわけですよそれで。 ということなので後悔するわけですね。
つまりこれはめっちゃ難しくてどうしていいか外にもわからないという状態を真似でしまって後悔しているということまでわかるんですね。
ここまで来て後悔してもしょう。そうかそうだよなってのはそういうことなんですよね。
野球エピソードの学び
ここで死ぬほど言っててもしょうがないんですよ。 あとはもう頑張って村上様を打ち取ると。
そこにもう全力を尽くす以外はないよなと思えるかどうかってことなんですよね。
だからこのアドバイスは良いアドバイスなんですよ。 何のアドバイスにもなってないんだけど悪いアドバイスではないんですよね。
わかりきったことを言ってるだけなんだけど解釈されただけなんだけど。 要はその時にやることが自分の中で納得のいくものになればいいわけです。
これがなかなかそうはならない。 何と言ったって開幕投手やるぐらいの人ですからやっぱり納得できるわけですよ。
これはもうそうこういうことになってしまったんだから前向こうみたいになれるんだけど僕らはなかなかそうはならない。
同じようなことになっても炎上とかしてしたとしたとしてもですねなかなかディポジションに入ってその上で前向きになるってわけにはなかなかいかない。
でもですねやっぱりその時に必要なのはこの外からのアドバイスなんですよ。
アドバイスじゃなくてもいいんですけど解釈でいいんですけどとにかく外部の目ってものが必要なんですよ。
ここでやっぱりこううちで悶々と考えていけばまずいと思うんですよね私は。
サンチャレのCMをしているつもりなんですけどここで。 だからお前に何ができるのかって言われた場合
めっちゃ難しいどうしていいかわかんないということもできますっていうことなんですよ。
いやそんなことを言われてもって感じなんだろうけれどもアドバイスができる条件というのはですね
えーとそこそこ考えることができれば誰でも解決できるわけですよね。
何もその頭が良くて日本語が喋る外国人選手っていうほどの人がいなくても自分で考えてみれば
人からアドバイスを受けしかもそのアドバイスが非常に適切なものだと言えるような 条件というのはさほど難しい条件ではないってことですよ。
本当に難しくなったらみんなめっちゃ難しい正直どうしていいかわかんないになっちゃうわけですよ。
少々考える能力があったところで。 その時に我々はまず後悔ってことしかできない。
で次に今できることをしようってことになるんですよ。 だから欲打つポジションなんだと思うんですよね。
やっぱりそういう状況って欲打つ的になるじゃないですか。 ノアともある意味村上様ですからね。
うわーって感じですよね。ただ落ち込むより他ないみたいな。 でも落ち込んでいても仕方がないので
自分の中でやれることを全部やる。そういう時に持っている自分の力ってのは妙にしょぼく感じるんですよ。
全然万能感がないわけですよ。 もうなんか敵にはすごい万能感があるわけですよ。
村上ここで一発すげー打ちそうな感じがするっていう。 もう明らかに向こうの方に万能感がいっちゃってて、こっちはもう欲打つ感しか残ってないわけですよ。
でもやるしかないよねっていうそういう状況を、 そういう状況の状況理解ができるようになるためにやっぱり外部っていう概念がいると思うんですよね。
夢を見ていては、やっぱり後悔をしてそこで万能空想で、 いや自分に星広間の薪を投げられたらなとか思っていてもダメじゃないですか。
でも僕らは現実世界で外してそういうことをしてしまうんですよね。 この現実そのものは放置して、
いやーここで大リーグボールが投げられたらなとかって思うわけです。 それが万能空想ってもんですよね。
後悔と自己理解
僕だったらそのどっちかっていうと、 あの可愛い女の子が横で応援してくれてたらなんて関係ないんだけど、
もうどうでもよくなってるわけですよ、現実などというものはね。 だってもうめっちゃ難しいんだよ。
これを私はその炎上という状況でですね、 後悔って何なんだろうと思って考えてたわけですね。
そもそもですね、昨日今日も喋っちゃってますけどこれについて、本について、
昨日も喋っていて、結局私はどっかで後悔しているんですよ。 これについて喋っていることにも後悔しているけれども、
そもそもこれについて喋んなきゃなんなくなっている自分が残念だって思ってるわけですよ。 だって別に全然関係ないじゃんで済ませることもできるわけじゃないですか。
なんで私がこれについて気にしているのか喋っているのか不安になっているからなんですけど、 つまり私もPSを投げ込まれたわけだけど、
別に僕はさっさとこんなものはどっかにポイ捨てして自分領域は真っ白にすることもできるわけですよ。 なんでなんだろうって考えると、
やっぱり私はタスクシュート協会の理事だけやってるわけじゃないからなんですよね。 3ヶ月チャレンジやっていて、
どっちかというとメンタル寄りのライフハック心理学とかいう本も2回も出しちゃいましたし、 やってるから私のところには飛んできませんよ、別にね。
でも気になるんでしょうね、きっとね。いや気になるんですよ、やっぱり。 つまり正規の人たちが良いカウンセラーとはとか正規のカウンセラーはなぜ当てになるのかみたいな論点が少しすり替わった気がするんだけど、
そうするとやっぱりこう、私は自評カウンセラーじゃないつもりですけど、でもいやお前だってその一種だって言われて、あんまり文句の言えないようなことをやっちゃっているから、そしてお前の失敗はこれとこれとこれとこれとそれを知ってるのは私だけなんだけど、だってこれはやっぱりプライバシーの問題ありますからね。
全部を全部外に向けて公表してるはずがないんだから、そんなことを外から、外からですよ、指摘されるはずないんだけど、私が何やってるか、私がどんなミスを犯してるか、私がやっぱり知ってますからね。だから気になってるわけでしょうね。
炎上と後悔の考察
あれだけ大炎上してると、むしろ炎上は戦略だったのかもしれないけど、僕はたぶん炎上しちゃったから、それを後から戦略だと思ってるっていう方が当たるような気がした、あの当たりなんじゃないかなと思っちゃうんですけどね。人間そんなにそんなに、あのそんなにドライで、あの公理主義的になりきれる人っているけど、きっといると思うんですけど、多くはないと思うんですよね。
どっちかっていうと、いやいやあんなのを狙ってやったんだよって言っておくことで心守れるっていう一種装的防衛みたいなもの。やっぱりこういう言葉を僕は使い、なぜならばこれを使った方がこの条件についてあーだこーだ説明するよりもやっぱり早いんですよね。
で、やっぱり私たちは苦みを含んだこう後悔満載のですね、体験を今後もしていくじゃないですか。冗長的にしたくないとしてもするしかないじゃないですか。これを全くしない人生っていうのはやっぱりこう楽園の人生になってしまって楽園の人生は昨日も申し上げた通り、どっかあの生きてないんですよね。
生きるってことはやっぱりある面気に食わないもんなんですよね。気に食わないっていうのも面白い表現なんですけど、気が食べない、なんか取り込みたくないって感じがいかにもしますよね。やっぱこういう表現を使いたくなりますよね。こういう表現を使った方が私たちの情緒、体験する情緒世界についてより詳しく見ていくことができると思うんですよね。
要するに、やっぱり論点すり替わってる感じするんだけど、野良はいかに危険でダメで搾取的で良くなくてっていうのをやっぱり読んでってしまうわけですよ。で、私はそういう対岸の舵のはずだって思うんだけど、そこで思い切れてないわけですよね。つまり後悔がどっかにあるわけじゃないですか。
野良なんてライファック心理学とか書いちゃってみたいな後悔をすると。しかしこれ後悔するってことはですよ。サンチャレやめろってことになりますよね。だからここにリポジションってものの重要性を感じるんですよ。なぜお前は後悔してるのか。サンチャレを始めたからだと。
この歴史というものを踏まえれば、容易にというか、安易に後悔するわけにはいかないんですよ。PSでいるときは、いやなんかちょっと自分にも火の粉がかかってきてる、対岸の舵じゃない感じがしてきている。なんでなんだろう、嫌だなーっていう感じでこの火の粉をどっかに投げようみたいな感じに、自分のところは水で消そうみたいになって、PSポジションなわけですよね。なんだかよく分かっていない。
でもよくこれを歴史的に考えてみると、どう考えても何年、2年ほど前にサンチャレを始めたことは大きく関係している。サンチャレを始めたということによって、今の私は大変いろんな意味でライフワークも得ているし、いろいろ得ているわけですよ。アプローチもSEがやっと変えているわけですよ。
サンチャレやってなければ、ずっとアプローチは2のまま頑張るしかなかった。遅延がひどいんですよ。電車に乗るじゃないですか、押してもビビビビビとか言われてからピンポンってなるっていう、ものすごい不便だったわけですよ。使うなっていうレベルですよね。
そういうもろもろのいろいろな良いことが、私にとってのハッピネスは3ヶ月チャレンジが支えてくれてるんだけど、だからこそ対岸の火事からヒノコが飛んでくるわけですよね。
これがタスクシュート1ペントであれば、僕は真っ白白なわけですよ。全然全く関係ないじゃないですか、みたいな感じでいられるわけですよ。今日も三つ森とリピートタスクをセットして、バッチリやっていきましょう、みたいな感じで。
ここのどこにも、野良カウンセラーとは言わせないって言い切れるだけのものがあるわけじゃないですか。どこから見てもこれとあれとは関係ない、言い切れるわけじゃないですか。
これをやっていくことで仕事は進むんですと。知事も得ていますしね。別にカウンセラーとか言う必要はどこにもないですしね。これだけ言っておけば安心・安全なんですよ。道路工事みたいですけどね。
で、これだけ言っておくんならば対岸の火事なんですよ、まさに。なんかこんなのを別にオススメとかに入れなきゃいいのにってだけ考えておけば進むんですよね。
一切何かを後悔するなどという心理は来ないし、この状況について、やっぱりどっか対岸の火事であるけど、めっちゃ難しいなぁとか思う必要すらない。
もっと心は万能感に満ち溢れた状態を維持していられるわけですよ。正規の人にしてみると、正規の方が言うには倫理横大事だよね。いや大事だよね。ただそれだけでいい。
野良とかいなくなった方がいいよねって書いてある。そう書いてないと思うんだけど、そうだよねみたいな感じで真っ白でいられるわけですよ。雪のように。
何にも考えずに済むわけですよね。精神衛生的にも極めてその方がいい感じがするじゃないですか。ただしそれは、なんちゃれは自分はやってない自分なんですよね。
これって、まあそこは飛躍に感じられると思うんですけど、これってつまり何が言いたいかというと、お父さんとお母さんがセックスしなきゃ良かったのにってことになっちゃうんですよ。
お父さんとお母さんがセックスしなければこういう苦しみを味わわずに済んだのに。でも自分はいないんですよね。
つまりお父さんとお母さんがセックスしなきゃよかったのにって言葉すらないんですよね。だから後悔をしても無意味なんですよ。後悔してもしょうがない。
でも後悔してもしょうがないって言っても無意味なんですよ
さっきのところに戻ってくるしかないんですよ
つまり後悔するしかないんですよ
なんだけど後悔をしてみて
小島さんのようにそうかそうだよなってことになるわけですよ
だからこの後悔してもしょうがないよねは他者に言ってもらう必要があるんですよ
で後悔してもしょうがないよねを他者に言ってもらうためには
他者性とカウンセリング
変異空想の外から言ってもらうしかやっぱりないと思うんですよね
これがたとえアドバイスする人が他人であったとしても
僕の夢の夢見の程度があまりにもつまり
眠りの程度があまりにもひどいとやっぱりそれは
変異空想の中の言葉になってしまって
こういう時に変異空想以外の言葉を使うのは無理じゃないですか
もう説明できなくなってしまう
変異空想の中の言葉になってしまって
つまり演技になってしまうんですよね
あの後悔してもしょうがないじゃんっていう
よく言う響かない言葉というのはつまりそれが
単なる演技であることが自他ともにはっきりしているような演技なんですよね
この人のこの立場だったらそれよしかないよねっていう言葉として
後悔してもしょうがないじゃん前向きに元気出そうよって
ネームレコーダーでもいいってことですよ
つまりそこには他者がいないんですよ声だけがある
AIにカウンセリングできるんだろうかっていうのは
こういう問題だと思うんですけどね私はね
この外側からの声が響くためにはやっぱり
意義を解釈できるという人がそこに必要で
つまりさっきのロッテの外選手みたいな存在が必要で
アドバイスできるんだったらこの人アドバイスしてくれるっていう信頼がそこにあって
その人ですらこの状況はアドバイスできる状況ではないというふうに
このこの状況のだって外選手はファースト守ってながら中にいるんだけど
でもその里選手の言葉は一応外部からの声なんですよ
だから納得がいくんですよ
いやもう考えてもしょうがないじゃんもう村上に全力を出そうよっては
誰でも言えるんですよこの言葉が響かないというのは
結局それが本当はそう思ってないってことなんですよね
それがバレちゃうというためにそれは言ってるだけになってしまうと
だけれどもこれはその人の病理って言ってしまいますけど
夢見の深さによって変わるんですよ
客観視できる人ほど別にアドバイスがなくても
これはもう難しい状況でありどうこう言ってても仕方がないんだと
早く見切りをつけることができるし
夢見の深さが深い人ほどいやどうしたらいいんだろう
っていうふうになるんですよこの2つは何ら変わらないように見えるんだけど
全然違うというこの違いに何て言うんですかね
意識が向くようになるためにカウンセリングってあるんだろうなって思うんですよね
この違いってなつまりどうしたらいいんだろうと
めっちゃ難しい正直わかんないは全く違うということなんですよね
全く同じことを言ってるんだけど全く違うんですよ
だからこれによって打ち取れる可能性は大きく変わると思うんですよねやっぱりね
あんとき打ち取れたのかどうか打たれたのかそれともファーボールでも出したのか
いろいろありますけどわかりませんけど僕知らないんですけど
ただそれはどっちになるかの差は生む
差は生むんだけれども現状認識として言葉に表してみると
何らそこに違いはないという違いでしかないとも言えますよね
だから他者っていうのかな外部っていうのか変異解釈とかって言われている奴は
多分めっちゃ重要なんですよ
これを自分だけではできないんですよね自分だけで
どうしたらいいんだろうってなった心理状態は
早々もう動かすことはできなくなっていく
そこに他の人がいてくれればさっきも言ったように
夢から覚めかけるとすらも言い切れないんだけど
少なくとも他者がいた方が可能性を高めることは
おそらくできるだろうといった程度の話なんですよ
たとえそれがスペシャルなカウンセラーだったとしても
自体はあまり変わらないと思うんですよ何か上手いこと言えるかもしれないし
何らかの違いはだから外選手なのと
そこにいるのが智杉選手だけなのとでは少し違うかもしれない
でもよく耳を貸せばねだからこれは今度は
クライアント側の問題にも問題というか
クライアント側のスキルみたいなものになってくるんですよね
うまく使えるかどうかみたいな話に少し近づいてくるんですよ
もしかするとやりようによってはうまく使えばですね
アドバイザーなりカウンセラーをうまく使える人は
その他者性というものに向かわせるというのかな
その言葉からの他者性を生み出せるのかもしれない
ただこれっていうのはその時の精神状態にも大いに左右されますし
だから結局私はそれを
10期からは少し努力をして
だからそういうコースを作ろうみたいに思っているってことなんですけど
うまくアドバイザーを使うスキルみたいな
結局ユーザーにできることってそういうことに近いと思うんで
うまくアドバイザーを使うスキル
多分これは困難を極めそうな気がしているんですよ
でもこれが少なくとも現状の日本では
あったほうがいいんじゃないのかなということを昨日ですね
その炎上案件を眺め
ヒノコを振り払いつつ全然振り払う必要のない
多分妄想上のヒノコなんですけれども
被ってきてないからね僕は燃えてないんで
で考えていたわけですよ
その時に後悔って何なんだろうっていうのを合わせてすごく考えたってことですね
後悔できるということはディポジションってことじゃないですか
ピースポジションだったら後悔しないんで
赤ちゃんはお母さんに悪いことしたんだろうかと考えない
考えられない間は泣き喚き続けることができる
これによって要求し続けることができるわけですよ
ここにお母さんがいないんじゃないだろうかも含めて
自分というものがいない状態では泣き喚くことしか
選択肢の余地がないわけですよ
でも突然不意に気づくんですよ自分という存在に
あれ泣いてるの俺だけなのっていうこれに
お母さんそこにいないのとかね急に不穏ないろいろいろいろいろなことに
一気に気づくっていうだからすごい瞬間なんですよ
d の確率というのは
いいポジションに入れるというのは
大島さんはそのそうかそうだよなっていう
後悔と限界の認識
何のアドバイスも外選手がしないという状況に直面して
あお母さんはいなかったっていう突然それに気づくわけですよね
そうかそうだよなっていうことに気づくわけですよね
自分で何とかしなきゃダメなんだよな
ここはっていうことに気づくってことですよね
いきなり d に入るだからps と d に私たちは
しょっちゅう開幕当時が d ポジションを知らないことはあり得ないじゃないですか
でも ps に入っちゃうわけですよねあまりにもひどい状況になると
あまりにも大変な状況になると不意に ps に入ると
ps から d に出るとおそらくなんですけど
イースポジションのまま投げるよりはd ポジションに移ってから投げた方が
打ち取れる確率はどっちにしてもホームランを打たれるかもしれないけど
ホームランを打たれなくなる確率は若干上がるんですよ
これが大きなライトフライになるのとホームランになるのの差を
おそらく生むんですよねやっぱりねほとんど同じようなものかもしれないけど
1点で済むか4点取られるかはだいぶ違うじゃないですか
っていう違いを生むんですよ不思議ですけどねある意味では
だからあの今日はついつい野球話にバカバカなってしまって
すいませんっていうところもこれも後悔なんだけど
この後悔って結局やっぱりあの
この話をした方が良かったよなっていうことと合わせて後悔なんですよね
やっぱり人間には限界があるわけです
例え話にも限界があるわけですよね
例え話ってそもそも限界を露呈してるじゃないですか
例えなければ伝えることができないわけですから
例えって嘘ですか
まあそんなこんなであの
昨日京都私のこう何種の内心の抑鬱感というものについて
触れてみてまあこの言葉がですね
私の言葉がどっか外部っていうところまで
ある意味飛んでいればいいんですよね
ヒノコだけじゃなくてですねやっぱりヒノコの投げ合いだけになってしまうのは
あの延長半径を広げるばっかりで
それも必要なっていうことになってくれば
それが無用だとは言い切れないんですけど
だからこのソーシャリズムとパーソナル個人の問題と社会問題っていうのは
どうしても並行してあるし同時に両方を綺麗にさっぱり扱うなんてことができるはずもないので
だったら延長なんかしませんし
今問題になっているあのsnsのなんとかっていうのが一切なくなるので
そんなことはあるはずないじゃないですか
しばらくは絶対あるじゃないですか
でそういう状況の中では
私はせめてですね私たちみんなpsポジションとdポジションという概念ぐらいは
もっともっと広まったっていいんじゃないのかなと
だからこの番組のタイトルに精神分析的っていう言葉が
入っていますよねってことですね
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