ログレビューや過去の罪悪感に対する考察
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
9月21日、水曜、朝の7時54分ですね。
昨日、わかったんですよ。そのうちまた忘れて同じことをやらかすと思うんですが、
この時間ちょっと眠いんで、一眠りしてから撮りたいっていうのが本音なんだけど、
この時間に撮らないと、昨日のあのピンパンパンみたいなのに入る。
ただ、今の時間も入りかねないんですけどね、この地域は。
まあでも、この時間の方が入りにくいっていうのと、
この時間はこの洗面所で撮ってるんですが、
なんとかまだ気温的に今日ぐらい、今日かなり暑くないそうですけど、いける。
これをあの時間に撮ると多分、頭がクラクラしてしまうんで、
しゃべってる最中にほぼ確実に。
これを学んで、しばらくなんとか頑張ってこの時間に撮ろうって、
今は思っているんだけど、寝ちゃうかもしれないですよね。
寝て起きるともう気温が全然違うんですよ。
5度は行かないかな。でも5度近く違うような気がする。
まだひんやりしてるんですよ。どっちかっていうとこの空間は。
外はそうでもないけど既に。
でもこれが1時間半後にはですね、もうここが結構モワッとしてるんですよね。
日がちょっと差し始めちゃうんですよ。
だからこの時間に撮るのが大事っていうことを、この季節はね。
冬は全く逆なんですけどね。
要はもうここ寒すぎて、
ヒーターでもないとちょっとやってられないみたいな感じになっちゃうんで。
難しいわけでもなんでもないですけどね。
ヒーター用意したり。
ここクーラーはないんで、もうこの時間しかないんですよね。
感じとしてはいいんで、眠くさえなければなみたいなのがあるんですが、
しゃあないですね。
えーとですね、知らせを挟みたいなと思っておりまして、
引き続きですね、7月1日のこのタスクシュートセミナーオンラインのやつを、
これをもう聞き飽きてる感ある人しかいない気がしてきたんですね。
手短に申し上げると、
タスクシュートの話を、
今今私が現在進行でやってるやつのオンラインでやりますから、
見に来てねっていう、ただそれだけですね。
7月、多分海の日にですね、
クラゾン瀬戸さんとトークショーなのかわかんないですけど、
ちょっとトークライブみたいなのをやる予定でいるんですね。
7月17日月曜日、海の日。
これはまだ告知はされてないかもしれませんが、
やる予定ありますので、よろしければ。
これはね、板橋の方だったような気がします。
板橋は私馴染み深いというか、よく行ってたんで、
ここからだとちょっと距離はあるんですが、
行くのは別にそう難しくは感じないという、
これは不思議なもんですけど、
一番学生時代遊んでたのは池袋なんで、
板橋も友達がいたんでしょっちゅう行ってたんですよ。
うちを私立中学受けた口なんですが、
滑り止めの学校が板橋にあって、
そこも受験に行ったり見に行ったりして、
友達もいたんですよね。
だから板橋は結構馴染みのある土地で、
ここでやるのかなみたいに今のところ思っています。
告知が始まりましたらまた、
こちらの番組でもお知らせしようと思います。
それでお知らせはこのぐらいにいたしまして、
今日はGoodVibes編をお届けしようかなと、
これなぜ今言っておかないかというと、
どうせタイトルは後でつけるんですよ。
今日のGoodVibes編にならなかったら、
100日チャレンジ編になっちゃったなと思ったら、
急遽100日編って平気でそういうタイトリングにするという、
抜け穴をやってるんで、
事前にタイトルつけるわけじゃないから、
喋ってからタイトルつけるから、
先にここの中では言わなくて、
今日はGoodVibes編だったなと思ったら、
GoodVibes編と打つと、
そういうふうに今してるんですね。
多分今日はGoodVibes編なんじゃないかという予感のもと喋って、
おりますが、
昨日おとといと続けたまに、
僕の中では長寿がの話をしたという意識でいるわけですね。
つい先日日曜日のグループセッションで、
罪悪感、これはグループセッションで罪悪感が出るのは、
毎回絶対出るぐらいな感じでして、
ある意味では人間関係が少しでもトラブったら、
もう罪悪感、キーワードとして上がってくるぐらいに、
私は思ってるんですけど、
プラザのさんのご説明を伺っていて、
旗で聞いてると完璧に理解できるなっていう、
この不思議じゃないんだけど、
旗で聞いてると説明が上手ってことはあるにせよですね。
でも旗で聞いてると完全にわかることが、
なんで当事者になるとわかんなくなるっていうのを、
もっと真面目に考えようと、
真面目に考えてるつもりなんだけど、
いつも真面目に考えようと思ったわけですよ。
それぐらい旗で聞いてると、
いやもうそのまんま筋は追えるなっていう、
ここに違和感は一つもないなっていう。
なのにここに違和感が一つもないならば、
そういうことにならずに済むはずなんですよね。
倉殿さんの話がそうなってるわけだから。
つまり罪悪感と罪の意識、
そして人を罰したいという、
気持ちを持たなければ、
攻撃するされるで困ることはない、
という話をされてるわけだから、
困ることはないはずなんですよ。
その筋が、違和感を持たないというのであればですね。
なんで外から人の、
特に人のお話を聞いてると、
手に取るようにというのがわかるのに、
自分になると途端にこの状態になってしまう。
自分になると手に取るようにというのがわかるのに、
自分になると途端に混乱して炎上するのかというのを、
考えていたわけですね。
話はいらって分かりやすいというか、
分かって聞いてるわけだから、
分かってるはずなんですよね。
頭では分かってるとかじゃないんですよ。
別に納得してないという話ではないので、
納得していないという時もあるんだろうけど、
私は納得がいかないとは感じないので、
感じなかったので、
現在の行動に注力する重要性
納得も言ってるわけでありまして、
話の筋道も追えてるわけですよ。
これが分からなくなるという現象なんですよね、
要するに。
それをお丁寧に専門用語で、
妄想分裂ポジションって言葉を使うぐらいだから、
みんな分かんなくなるんですよっていう話でもあるんだけど、
分かんなくなるっていうのが、
問題だよなと思うんですよ。
分かってる限り、
その問題に巻き込まれないわけですからね。
だからなんですけど、
最近私は話が飛ぶようですが、
百日チャレンジ編で、
今度この話をしたいんですけどね、
百日チャレンジ編でしたい話は2、3あるんですよ。
この2、3が明日になると全部忘れたりするから、
百チャレ編がなかなかお届けできなくて、
申し訳ないんですけど、
百チャレ編で話したいというのは、
つまりあんまり僕は今、
レビューというものに期待が持てなくなっているんですね。
ログを取ってレビューするというのは、
割と現状の私どものタスクシュート協会では、
基本ではあるから、
その有用性を、
なんていうんですかね、
その有用性があるんで、
言ってはいきたいんですよ。
ただ、
最近のJさんの話を聞いててもそうなんだけど、
あんまり一生懸命になっちゃいけないっていうのも、
よくわかる気がするんですね。
あんまり一生懸命になっても、
それを活かしきれるほどは、
我々はレビューとかログとか好きなわけじゃないんですよ、
多くの人がね。
有用だから、
取る必要、
取ったらいいと思うんだけど、
有用の分だけは、
それはその人にとっての極端的な、
極端ぐらいでいいんですよ、
っていう話を多分最近Jさんは、
一生懸命されてるように聞こえるわけですね。
これを何で言うかというと、
こう考えておかないと、
いやもう取るのめんどくさいから、
一切取らないってことになってしまって、
その有用な分のログすらも、
残らなくなっちゃうっていう方を、
むしろ気にするべきだからなんですね。
私が最近、
このログレビュー方法に、
一応、
一応、
このログレビュー方法に、
ある面、
なかなか期待できなくなっているっていうのは、
一つにはですね、
百日チャレンジでは、
くちゃり編の話になっちゃってるけど、
百日チャレンジでは、
先送りをしないって話してるわけじゃないですか。
大事なのは、
過去の過ちに執着する意味のなさ
レビューじゃないと思うんですね。
いくら先送りをしまったログを見て、
うわー、
反省せねばと思って反省しても、
いざ先送りをするときになって、
このロジックを見失ったら、
意味がないじゃないですか。
つまりですね、
今まさに先送りしようとしているときこそが、
一番、
自分の理解度を高めておくべき、
タイミングじゃないですか。
これから先送りするか、
しないかってときが、
一番大事なんですよ。
してしまった先送りについて後悔するのは、
いくらしても、
それによって先送りをしない方法は、
ないんじゃないですか。
でもそれによって先送りをしない方法は、
ないんですよ。
タイムマシンがないからですね。
これとそっくり同じことが、
罪悪感の話でも起こっているんですよ。
どうも我々はですね、
あのとき俺は、
人を攻撃してしまったということに、
意識を向けすぎるんですね。
これはレビューと同じ視点ですよね。
つまり、
過去のしてしまったことに、
意識を向けているわけですよ。
今まさに攻撃しようとしているとき、
が一番大事じゃないですか。
このときに、
クラゾンさんの理を追った説明が、
全部頭の中で反数できるといいんだけど、
そのときに、
よりにもよって、
そのときになると、
何にもわからなくなってしまって、
勢いに任せて攻撃して、
後になって攻撃をしてしまった、
ということについて、
悔やんでいるっていうのでは、
やっぱり、
あれだなと、
思うわけですね。
そう、僕は思ったということですよ。
自分についてですね。
自分も結局、
人のを聞いていてわかるということは、
つまり、
そのときになってないってことですよ。
攻撃と罪悪感
今、誰をも攻撃したいと、
全く感じていないときに、
この話はよく理解できますと、
攻撃しない、攻撃を手放す、
というやつですね。
攻撃してはいけない、
なんではないんですよ。
攻撃してはいけないになってしまうと、
攻撃をした後に、
罪悪感を持つので、
全く話がおかしくなってしまうんですね。
これは今の話とよく似てるんですよ。
先送りをしてはいけない、
とかではないんですよ。
先送りしてはいけないになると、
レビュー時、
罪悪感を持つしかなくなって、
スクランブルエッグと罰
これは次の先送りを生み出すんですよ、
必ず。
だから、私はこの観点だけで押していくのは、
上手くないなって思うんですよね、
先送りについては。
いざ先送りしようかどうしようか、
というその瞬間が、
一番大事なんだけど、
その時には、
そのロジックを全部思い出せなくなっている、
不思議なことにですね、
そういう事態を招いている、
その瞬間が大事なんですよね。
今日は先送りの話をしたいわけじゃなくて、
罪悪感と、
つまり罪と罰の話をしたいわけなので、
そっちの方に話を戻すんですが、
してしまった攻撃について考える、
なんの意味もないんですよ、
この場合、多分。
これからまさにしようとしている時、
つまりめちゃくちゃ腹が立っている時、
その時が一番やっぱり大事だと思うんですよね。
で、話はですね、
今冷静なんでね、
分かりやすいんですよ。
これはつまり、
自分か相手の行動に、
おそらく両方に、
罪悪感と罪悪感、
罪悪感と罪悪感、
罪悪感と罪悪感、
両方に、
罪だとみなすっていう風に、
浦園さんがよくおっしゃっている、
それなんですよ。
罪だとみなすからいけないんですよ。
で、罪だとみなすっていうのも、
ピンとこないってことは、
僕は絶対ないと思うんですよね。
えーと、
ほぼ同時に起こるんだけど、
わざわざ一個ずつに分解していきますと、
例えばですが、
そうだな、
ごく簡単な例がいいですよね。
えー、
こうですね、
ごく簡単な例がいいんだけどなー。
うん。
ハムエッグ作る。
うーん、
スクランブルエッグ作るとか、
あれ結構人によって作り方違いますからね。
えーと、作っといて、
奥さんに言われたとき、
うっ、と思ったと僕がするじゃないですか。
あれはなー、みたいな、
思った。
それは罪の意識がどこかにあるからなんですよ。
どこかっていうか、
まず自分のスクランブルエッグに
自信がないとするじゃないですか。
これは、
自分の作り方のどこかに罪を見るんですよ。
罪っていうほどじゃないかもしれないけど、
まあ一応罪なんですよ。
なぜならば結構ミスると怒られるから。
で、
あの、怒られると思うってことが
罪の意識を持った証拠なんですよ。
怒られるんじゃなくて、
えーと、
大きな声で何かを言われるのと
怒られるのはイコールじゃないじゃないですか。
ここにあの、
僕がよくこの番組では赤信号赤信号
言ってる話と似てくるんだけど、
怒られるってのは一つのレッテルですよね。
怒られるって言うってことは、
もう罪の意識を持ったってことなんですよ。
僕は、
スクランブルエッグが
失敗したわけじゃないんですよ。
失敗ってのは罪ですよね。
失敗したわけじゃないんですよ。
木流に作ったんですよ。
もうちょっと言うと、
えーと、固くしちゃうんですね。
私はね、好みなんですよこれ。
私はスクランブルエッグが
卵焼きに寄っていくんですよね。
でもこれは必ずしも
まあ人によるかもしれないけど、
でもやっぱね、
ここでも罪の意識を持たずに言うならば
下手だからじゃないんですよ。
妻よりは下手かもしれないけど、
これが罪の意識なんだけどね。
下手だからじゃないですよ。
僕は固いのが好きなんですよ。
しょうがないですよこれは。
あの、思いますもん。
ホテルとか行って、
あーやばすぎるなーみたいに思いますもん。
あのーやばすぎるなーみたいに。
好みなんですよ。
これ本当はね。
だけど、
なんでそんなに固くするんだって言われた時に、
これ怒られたってみなすってことは、
私が自分の罪をそこに見たわけですよ。
罪を私がそこにつけたという。
レッテルをつけたんですよ。
だから失敗という名称になり、
怒られたという表現になっちゃうんですよ。
で、
罪の意識と処罰意欲
次に私は妻のその行為を
意識して、
次に私は妻のその行為を
罪と見なしてるんですよ。
なぜならば、
そんなことで起こるべきではないという
私の長寿がが、
これは分かるんですよ。
うちの父なんかに特に
そういうの好かない人だったんですね。
そういうどうでもいいと、
まあその少なくとも
誰にもそれほどの事態を
引き起こさないことについて
声を荒げるとかいうのを
あんまり好かない人だったんですよ。
だからそこに
罪を見ちゃうんですよね。
この僕からすれば
そもそも失敗でもない卵焼きについて
怒るという罪を犯してるんですよ。
この罪は
多分両方同時に起きてるんですよね。
私の失敗と
微かにでも思うということを
妻の怒りというもの。
これは少しタイムラグがあるんだけど、
少し遅れてやってきた
その怒りという罪を見るんですよ。
で、私この時
罪だから罰したくなる
つまり長寿がっていう話をするんだけど、
同時ってことをよくよく追っていくと
違うなーって思ったんですよ。
そもそも私
作っといてって言われて
うって思うってさっき言ったじゃないですか。
今のようなことを演奏しちゃうから
うって思うんだけど、
もう作っといてと言われている段階で
私は罪の予感みたいなのを
持ってるわけじゃないですか。
それは長寿がが持たせてるんだけど、
私の用語ではね。
長寿がが持たせてるんだけど、
この罪の予感を持ったということが
すでに罰なんですよ。
僕はそう思うんですよね。
つまり
なんて言えばいいんですかね。
自分が罪を着せられそうになるということが
すでに罰されてるってことなんですよ。
僕らこれを避けたいんだなって思うんですよね。
じゃなきゃ不安になる理由がないんで。
つまり
罪だとみなすとかみなされるということが
すでに罰されるってことなんですよ。
だから
結構ややこしい話してるんですけれども、
こういうような踏み込んだ説明までは
倉園さんはたぶん
ワンオンワンセッションとかでしか
話されないんじゃないかと思うんですよね。
一般的にはこういうところまで
いちいち細かく細かく言っていかないと
思うんですけど。
僕が感じたことです。
私がやりとりの中で
何を不安に思ったんだろう今っていうのを
追っていくと
罪を着せられそうになる不安っていうこと。
で、もうちょっというと
罪を着せられるっていうのは
もう罰されたってことなんだなと。
怒鳴られなくても怒られなくても
特にこれといった普通罰っていうと
もっと明示的な何かを言うんですけど
罪を着せられるってことは
既にもう嫌なことなんですよ。
十分に。
それによって特に何をされなくても
だから罪の意識を持たされるということ
罪の意識を偉大化されるということは
既に罰として機能するんだと思うんですね。
思ったんですよ。
だから分かったんですよ。
よく世の中一般で人々が
人に期待すること
つまり腹が立つっていうときに
腹が立つというのはつまり
自分の期待なり自分の世界なりと
現実が不一致だってことなんだけど
これはクラゾンさんが以前説明されてたんですよ。
この話にちゃんと戻ってくれるかな。
図に書けば一発なんだけど。
今日は口頭でいきますが
とにかく世の中の状態と
自分の想定が不一致だったときに
僕らは怒りを持たないといけない。
不一致だったときに僕らは
怒りを覚えるんですね。
そのときに罪の意識を
偉大化か偉大化せるか
ほぼ同時に起きるんですが
偉大き偉大化せるんですよ。
特に偉大でしまうと
偉大化せたいという意識が
猛烈に働くんですね。
これが私が思うに長時間の機能だし
処罰意欲なんですね。
つまり相手が反省するとか
それこそ無知で叩くとか
そういうことはしないんだけど
とにかく罪の意識だけは持ってほしいと。
これ一番グラノノさんが
これを持たなくていいとか
持たせなくていいって話をしているんだけど
世間的にはここが
たぶん一番逆なんですよね。
最低でも何も処罰は受けなくてもいいけど
罪の意識だけは持てよっていう
処罰意欲なんですよ。
これすら持ってもらえないときに
僕らは本当に腹を立てる
ということは
これを持ってほしいと
切実に願うということですね。
だから簡単に持っちゃうんですよ僕らは。
だってこれを持つことが
そんなにいいことだって思ってるってことは
ちょっとしたことですぐ
罪の意識を持つっていう意味に
当然なるじゃないですか。
だから持つんですけどね。
持ったから持たせたくなるんですが
いや違うな。
僕の感じでは厳密には
これはやっぱり同時に起きるんで
持つと同時に持たせたくなるんですけどね。
持たせたいという欲望が
強ければ強いほど
当然持つのは容易です。
ほんのちょっとした反省ポイントがあれば
即座に罪の意識持つんですよ。
そして持つと
ものすごく嫌な気持ちになるから
当然この時に
この罪の意識を持ち得る人を
多くの人が罪の意識を持つ
非常に強い探索機能で探し
正しに持たせるんです。
罪の意識抱けよと。
こういう事例は山ほどあるにも関わらず
最近ではですね
茨城のある村で
なんだか知らないけど
車の中で
事務員の女性に怒鳴ったとか
セクハラしたとかいう
方の話が問題になってますが
もうみんな同じことを思ってましたよね。
あの方に対して
罪の意識を持っているのかと。
特にこう
なんちゅんですかね。
やめろっていう人もいるんだけど
やめるやめないはともかくとして
っていう方が
大勢ではないけど
少なくともそれぐらいは
っていう感じはあるんですよね。
やめなくてもいいけど
心から反省するべきだとかね。
これはつまり
とにかく罪の意識だけは持ってほしい
っていうことなんですよね。
これだけ他人に対して
罪の意識を持つってことを
まとめるということは
そしてそのことに
それこそ何の
躊躇もないということは
自分が罪の意識を持つ
ということも
おそらく即座にやっていく。
そしてその後ですよね。
ものすごい嫌な気分になる。
これが僕らの
面白いところだって
最近思うようになったんですね。
人に罪の意識を持たせた後ですら
結構人は
罪悪感を持つことの難しさ
罪悪を抱いちゃうのに
そしてそのことを
一歩は違うと
思わず
こんなに手早く手軽に
罪の意識を持ったり
持たせたりする
っていうことは
したいんですね。
さっきの僕はここで
先送りの話を
意識してるんですよ。
直前が一番大事だと思うんですよ
この種の話は。
後になってこれについて
それこそ心からいくら反省しても
事態を悪化させるばっかりじゃないですか。
罪の意識を持ったほどに
何かっていうと
罪の意識を持つことなんですよ。
これは雪実で
つい最近
私、ヤングケアラーの漫画読んだんですけど
お母さんが統合失調症なんですね。
そのお母さんの統合失調症ぶりは
なかなか厳しいものがあるんだけど
あのお母さんは
なぜあれほど統合失調症で
お父さんは浮気しているとか
ちんちん出して外を歩いているとか
そんなことをするはずない人なんだけど
あるいは
私の悪口を言っているは
定番ですよね。
近所の人中が悪口を言っている。
最近テレビでは
いつも私の悪口を言っている
っていうタイトルの本があって
これは秀逸だなと思ったんだけど
そうなんですよね。
統合失調症の
どういうか
統合失調症がそうだというよりは
やっぱりパラノイアですよね。
病名というよりは
迫害妄想というやつで
僕らも薄くは持っているんですよ。
薄くは持っているんだけど
テレビが自分の悪口を言っているように
聞こえるレベルでは
ほとんどの人は持っていないと思うんですよね。
僕も自分の悪口を
テレビのブラウン管通じて聞いた記憶は
一度もないんで
今言っているのは冗談言っているようには
聞こえるかもしれませんけど
僕らは音と光を解釈している生き物ですから
決して音と光を
ダイレクトに受け取っている
生き物じゃありませんから
猫だったら絶対そんなこと考えません。
あくまでも解釈ですからこれは
だからブラウン管から
僕の悪口を言っていても
おかしくはないんですよ。
僕の悪口は絶対
ブラウン管の向こうでは言ってないですが
僕がそれを聞くってことは
おかしなことではないんですよ絶対に。
あり得ることだと思うんですよね。
だからそこまで拡大解釈を
せねばならないというほどの
ここが大事なんですよ。
罪の意識を僕は実は持ったことが
ないんですよ。
罪の意識が深く
深さはないんですが
ものすごく耐えがたいほど
のものになっていくと
この罪の意識は
一人ではやっぱり
抱えられないんですよね。
イリュージョンと現実のズレ
なんだろうね
すごく悪いことをしてしまった
気がするってやつ
例えばそうですね
娘を大怪我させてしまったとかね
私がね。
そうすると
クラウドさんに日頃どんなことを
言っていただいていようと
これですよね
攻められるってことは
罪の意識を持ったってことですよ
攻められる
誰に攻められるかっていうと
もうだいたい自明なんだけど
でもそれ以外の人も
攻めるかもしれない
つまり罪だと思わなきゃいけない
という風になったと
これをものすごく
辛いことだと
このまま攻められる恐怖には
到底打ち勝てないなと思った時に
娘を怪我をさせたんだ
あの人はみたいなことを
考え始めるじゃないですか
こうして僕らは
自分が持てない罪は
外に出すしかない
外の
外の誰かが
私に罪を
なすりつけるような
なすりつけるような
罪悪感を抱かせるような
ことを引き起こした
こういう意識までいけばですね
あとは何とでもなるんです
何か見つかりますからね
絶対に
ある事象を引き起こした原因が
私一人だけにあること
この世の中には一つもないので
やろうと思えば
いくらでもできるんですよ
これをどこまでも広げていけば
最終的には
確かにテレビではいつも
私の悪口を言っているっていう
ところまで行き着くんですよ
っていうタイトルを見て
僕はすごい感激して
そこで罪の意識を
持ちそうになったわけですよ
またこういう趣味で
本買っちゃってるけど
大丈夫なのか今月みたいな
そういう罪の意識なんですよ
これはこれで
なかなかお金にまつわることは
難しいんですよね
簡単じゃないということです
でもこういうのは
それはそれで振り払えるんですけどね
というかこういうのを
振り払っておかないと
いざという時に
とにかく一つ一つ
日頃から丁寧に
罪悪感を一切持たない
常にゼロにするっていう
心がけをしておくと
今日みたいな天気を
心の中にいつも宿しておける
っていうことが
だんだん実現してくるんですよね
これは学んだことです
Good Vibesで
話をさっき言った
図があればって
ところに戻したいわけですけど
要するに
そういう意識を持つ
というのはずれなんですね
現実と
何らかの形で
私が妄想する
つまり妄想ですよ
イリュージョンなんですが
がずれているんです
これはもう絶対ずれます
しょうがないですよね
脳の作り出したものは現実じゃないから
脳の作り出したものが現実になったら
大変ですよね
昔スフィアっていう
だったと思うんだけどな
深海に
球が落ちてるんですが
その球は
空想を現実化してくれるという
とんでもない球で
てんやんわんやで大変なことが起きるんですよ
なぜかというと
空想が現実化しちゃうからですね
空想は現実化しないんですよ絶対
だから
イリュージョンと現実はずれているわけですよね
そもそも
現実化してない段階で
ずれてるわけですから
このずれが
いろんな形で生むわけです
一つは
例えば
ずれがある気が済まない
っていう罪悪感があります
これ自体は罪悪感じゃないけども
罪悪感をすぐ生み出します
例えば鍵は
かけたと
かかってると
でも5メートルぐらい歩いたら
イリュージョンが湧いてきて
かけなかったのではないかとか
かかってないという
そういうイリュージョンが
肺にするわけですよ
そうすると
これを一致させなければ
気が済まないっていう症状が
現れるわけですよね
症状といいますか
そういう心理状態
これを放置していくということは
罪なんですよ
やっぱり確認するまでは
その
罪悪が発生する
失敗という罪悪が発生する
可能性が消えないんです
だから確認しない
と思う
だからこのズレは
一致させなければいけない
一致させなければいけないと言っても
イリュージョンと現実が
一致するはずがないんですよ
だから一致させなければ
気が済まないというのは
永遠にやり続けなければならない
切りがないんですよね
いかにもそういうものですよね
この種の問題って
切りがないところが一つのポイント
まるまるしないと気が済まない
という言葉が出たときは
多いですよね
この種の話は
いわゆるさっきの
迫害妄想と違って
閉めたか閉めなかったかのズレは
小さいんですよ
でもそこ賢にあり得る
小さなズレがあちらこちらになって
一致させないと気が済まないという
そういう難しさが
一つありますよね
これが罪悪感を生み出す
あとは
これが一番よくあるんでしょうけど
いわゆる
被害に関わるズレなんでしょうね
被害者加害者意識にまつわるズレ
これを人はモラルとか道徳って
呼ぶことが多いんですよ
マナーとかですね
あなたはそれを
現実とずれていない
つまり現実とずれてるわけですね
どんな人のイリュージョン
どんな人の空想世界
ずれているという
自覚を持ちなさいという
そういう罪悪感があるわけですよ
あの人は
あの人は
ずれているにもかかわらず
それに対して無自覚である
とても肌迷惑だと
見ていて腹が立つと
だから現実と
いかにあんたの妄想がずれているかを
知らせてやりたいという
そういう罪悪感があるわけですよ
お前それずれてるのは罪だからだ
早く認識しろよっていう
現実とイリュージョンの不一致
僕はそういうものの一環として
昨日散々やっていた
裏の議会の話っていうのは
そういう話だなと思ったんですよね
いや私の現実観の中では
あれはオッケーですって
ダメだダメだってみんなが
言うわけですよ
それは現実には明らかに
お前の妄想がずれているぞっていう
しかもその妄想がずれてることに
気づいてもいないのは
すごく許せないから
気づくようにって言って
気づかせるために
大きな声を出して
すごく罵るとか
そういうことが起こるわけですよね
これがよくあるタイプの
いわゆるモラルにまつわる
罪悪感ってやつですよね
とにかくこういうところで
全部そうなんだけど
ずれというものに
人は気づかなければいけない
って思われているし
またずれているという状態は
正されなければいけないと
だから認識のために
自分の状態を
正されなければいけない
だから認識の一致っていうのが
すごく言われることになるはずです
そしてその認識が不一致って時には
両者に必ず罪の意識が
芽生えるはずだっていう
前提がある
認識が不一致しているときは
お互いが罪の意識を持って
お互いが読み寄らなければいけないと
やらない場合は
明治的な罰を下そう
っていう話になっていて
それで世の中がうまく回っている
ということになって
いっているんですよ
これにある種の意を
唱えているというか
そういうある意味
運動として
今私はグッドワイブズ
っていうのを見ているんで
いろんな意味で
なんて言うんですかね
なんて言うんですかね
石橋を叩いている感はあるよな
っていうのはあります
石橋を叩いているわけじゃないんですけど
なんて言えばいいんですかね
特に
それだけが
多分
主に
速い構造の
細かいことを
細かく放っていく
っていう作業が
地道にやっている那っていう見が
やっているのですよ
自分の中でも
そうで
特に
そういう
一人で作って一人で食べる分には一切持たないものなんで
そのスクランブルXそれ自体が罪悪化を持たせるわけではないんですよ
で、この多くの人はこの時にですね
さっきの僕が言った通りの話をされるんですね
いや、そこで攻撃したのはしすぎたし反省していると
でもいざ起こる時には止められないみたいな
止められないんだとするとレビュー1万回やっても意味ないなって感じがするんですよ
つまりそれは何としても人に罪悪感は抱かせたい
ただそれをやった後では自分も罪悪感を必ず抱く
このシステムそのものを肯定している限りは
何をやっても歯が立たない感じがするんですね
このシステムそのものを否定するしかないような気がするんですよ
このシステムは有効ではない
有効だって思う
このシステムは有効の上に
なんかこうとても人を幸せにする気がするっていう間は
多分このシステムには暴れないというのかな
抵抗のしようがなくなってしまう
すっごくいいものだって思っている以上は
これがなければ世の中成り立たないし
どんどんひどい世界になっていくんですよっていう話をしている間は
多分無理なんです
そしてこれは間違いなく
これだけは僕は
倉園さんはこの用語は決して使われないと思うんですが
これは間違いなく100%一時ナルシシズムだと思います
この甘美さんみたいなものは
つまり私のルール
昨日言いましたが
私の自分ルールで法律すれば
この世の中は素晴らしくなるにもかかわらず
もしこのルールが適用されないならば
この世の中は破滅するんですって言い切ってるのと
限りなく近いんですよ結局
ただそう言ってはいけないということは
そう言ってはいけないということはないんですよね結局ね
そう言ってはいけないっていうことを言ってしまうと
世の中は現実に相当これが渦巻いているので
全部にダメを出すことになってしまう
昨日の村長さんの話でもそうですけど
グッドワイフス的な反応は一つも出ませんでしたから
一つも本当に出ませんでしたから
あの人は罪悪感を持たなくていいんです
なんて言った人は誰もいませんでしたからね
反省しなくていいんですとか
そんなのはもうなんかテレビのブラウン管に
流すこともおぞましいっていう感じだと思うんだけど
あれですよ
あれをやっていいって話じゃないですよ
あと必要な隕石とかそういうことが
なんて言うんですかね
そういうことではないと思うんですけれども
法で定められているとか
その土地の条例ではそうなってるとか
せめて言うならば監修法に近い
あるいは官例でもうああいう時はやめるものなんだ
っていうなら
親身になるしかないとは思うんだけど
それと罪の意識を持つってことは分けられるって話なんですが
多分分けられないと思われているんだし
分けるべきでも全くないと思われてるんですよ
でもそうすることで何か満たされるかというと
その人にあの場合は
あの議員の人かな
に罪の意識を持たせるということによって
私の一時ナルシシズムの世界が満たされるっていう
ものを満たすんですよ
これ以外に多分満たされるものなんてないと思うんですよね
長寿がの満足と言い換えれば話早いんですけれども
長寿がの満足した後で何を要するに狙ってるかというと
私のイリュージョンを現実に優先させたいのですって話ですから
私のイリュージョンっていうのは
つまり万能空想の世界ですよ
万能空想の世界っていうのは
完全に一時ナルシシズムと僕は同じことだと思うんですよね
万能空想ですから
赤ちゃんがおっぱいを飲んだら
空腹というあのおぞましいものが
この世界から消えてなくなるという万能空想です
これは空想ですからね
イリュージョンなんで
このスクランブルエッグを固くしたやつを叱りつければ
スクランブルエッグを固くしたという
やってはいけない
現実にあってはならないものを作り出してしまったという
罪の意識に苛まれて
二度とそういうものを作らないという
心を入れ替えてですね
心に誓って柔らかい
どろっとしたスクランブルエッグを作る人に作り変える
私という現実をね
つまりそういうことを狙ってるわけですよ
そうすれば私はここで
すやすやと心安らかに
Going on beingになっていられるのに
っていう話なんですよ
これをどこでも賢でもやるんですよ
とか私とした約束の時間に遅れてきたって言ったら
その瞬間に遅れてきたという現実に対して
遅れてこなかったというイリュージョンを優先させたいという
このフィッチが起こるんですよね
遅れてこずにちゃんとズームの時間にきちんと現れたという
あるべき現実を現実に来なかったという
あった現実に優先させたいという
フィッチに対して
罪の意識を持つんですよ
フィッチという事態に巻き込まれたこと自体が
自分の罪なんですよ
一つはね
その時に必ず人はこう思いますよね
あいつはいい加減なやつだ
ここで罪
もう一つはでも私もちゃんと連絡を
少なくともああいういい加減なやつには
もっとしっかり連絡をすべきだったのかもしれないという罪
これを両方こういうのですよ
今のサンプルです
いっぱいあるんでいくらでも言えるんで
こういうサンプルを両方用意して
2つの罪がそこに
いだかされる
自分はいだいちゃったから
すっごい嫌な気持ちになったので
現実とイリュージョンが不一致になったということを
自覚した時
人は非常に嫌な気持ちになります
恥ずかしくなったりね
自分のイリュージョンというのは
イリュージョンだったんだ
現実じゃなかったんだ
もうこれだけで罪ですよ
残念だと言うね
そして多くの場合は
そうやっていい気になっていて
そんな風じゃいけないのに
調子に乗ってたとか言うじゃないですか
自分の空想の中で生きていた
これが自分が
いだいてしまった罪の意識なので
こんなのを例えば
そうだな
きちんとした人に見られたら
呆れられるだろうとか
そういうのは空想です
空想の上の空想ですけどね
だから来なかったあの男にも
お前のイリュージョン
つまり今日来なくていいと思ってる
そのイリュージョンは
現実と一致していないんだぞ
という罪の意識を持たせたいんですよ
それが罪の意識を持たせるということが
すなわち罰として作用するんです
罪の意識による反省
これをやるってことは
やるんだけど
多くの人はやるってことは
つまり自分のイリュージョンのほうが
現実より偉いと言ってるってことなんですよね
そういう意味で無理があるはずなんですよ
これによって相手の人が
もしそのように
イリュージョンでしたと
現実と一致してませんでした
これから反省して
二度とこういうことはしませんと
口で言ったとしても
そういう作用は起きていないはずなんですね
この話は
反省させると犯罪者になります
さかんずーっと山のように書いているんですけど
あの著者さんがね
後悔と反省は違うと
後悔しても人は反省なんてしないと
これは要するに
罪の意識に罰を与えるという行為が
どんなに無駄なことかというのを
あの人は刑務所を例に節々と書いていて
刑務所に関連したアプローチ
あれはGood Vibesと
全く同じアプローチではないんだけど
極めてよく似たアプローチで
こういうことを本当にガンガン言ってる人が
また刑務所関係でいるんだなと思って
少し驚いたんですけれども
そういう話です
これをしかし僕らは
事前にどれほど有効じゃないと
今のロジックは僕は
倉園さんの話を聞いていて
全部理解して納得できるし
終えるんだけれども
怒られそうになる瞬間に
恐怖を覚えるっていう瞬間は
まだまだたくさんあるわけですね
その時には
この欠片も終えてない自分が
何故かいるんですよ
全然欠片も終えなくなってるんですよね
このうちの一つでも終えれば
だいぶ違うんだよ
一つも出てこなかったりすることがあるわけです
その前に恐怖感を抱いちゃいました
っていうやつ
だからレビューじゃダメだな
少なくともこの件はレビューじゃ
全然ダメだなと思うんですよ
いくら過去に自分が攻撃するなり
それこそ恐れるということ
それ自体に対して反省心を持とうと
関係ないんです
全然いざという時に機能してくれない
それよりは
精神分析では持ちこたえるっていうのが
最近僕の中のホットワードなんですよね
持ちこたえる
持ちこたえるっていうのも
とりあえず今は
以前グラズボさんが
ガッツで振り払うっておっしゃってたんですけど
それでもいいんだけど
同じようなもんなんですよね
ずれなんだな問題はという風に思ったんですよ
私の心の中には
現実とは当然ずれている部分がありまして
あるんですよ
なきゃケアレスミスとかテストで絶対しませんから
現実とはずれている部分があって
このずれにずれは罪じゃないという
ずれは罪じゃないですよね
ずれて当然じゃないですか
頭の中が作り出しても現実じゃないから
ずれるしかないんですよね
もう少しここを厳密にさらに
押していく必要はあると思うんだけど
とにかくずれは
ずれと呼ばれるものはあって
そしてずれは絶対に罪ではないはずですよね
ずれが罪ならば
この世の人たちはみんな
相当の重罪になってしまいますよね
ずれてない人を探すっていうことは
非常に難しいと思う
ずれてない目高を探すのはとても簡単なんですけど
ずれるってのは人間だってことでもあると思うんですよ
哺乳類で高等な動物はずれありますけどね
夢見るんで
でも夢見ることは罪じゃないってのは
やっぱり事実なんですよ
何しろ夢を見てることが罪だったら
ほとんど寝るのは大抵の人にとって
罪になっちゃうじゃないですか
寝てるにもかかわらず起きてるっていう
夢を見てるわけですからね
このずれが大きい小さいのは
確かに関係ないんですよね
大概の人は小さいですけど
小さいずれを全部正さなければ
気が済まないというのをやっていて
やっていると社会的に機能しなくなる
安い上に
それは病気とみなされるということは
これを一致させるということは
常に求められているわけでは
全然ないということですよね
常にこれを一致させねばならない
などとは誰も
誰もではないかもしれないけど
少なくとも常識では考えられていない
だから一致させなくても別に
全然一致させられることはないんだけど
一致させることも全然必要じゃないんですよ
こういうふうに考えていって
あとはポイント直前にあるなと
まさに今ずれというものが
罪だとみなされつつあるというか
ずれているということ
罪だとみなしそうになった
そのタイミングが一番大事で
もしそれでいっぱいで
ずれを罪だとみなしてしまったら
あとはそれをすぐ忘れたほうが
やっぱりいいと思うんですよ
記憶に残そうとしたり
まして記録に残したりはせず
即座に忘れる
そうしないとそれを罪だとみなすと
今度新しくそうしてはいけなかったのに
という罪を発生させてしまう
それはつまりずれを見て
ずれてはいけなかったのにという
ずれを自分の心の中で
作り出すという意味なんですよ