2021-12-17 35:25

【GMV516】ヒステリーと罪悪感

人を罰すると気持ちいい?!
00:00
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
えーと、真っ暗、真っ暗ですね。
えーと、でも、なんか関東、関東なんだけど、
えーと、湾、なんか、えーと、沿岸沿いは風が強くと言ってましたが、
そんなにここは吹いてない感じがします。
雨は強いけど。えーと、えー、でも午後には晴れるみたいな。
そういう感じはしないですけど、そういう感じがしないというのはイリュージョンですけど。
あの、今日はですね、昨日のちょっと続きというか、
昨日の罪悪感を撲滅するというのは、えー、これはもう、
なんかね、一日経つと発見したみたいなのは、実は大した意味はなかったんじゃないかみたいになることもあるんですが、
えーと、昨日のは続いています。えーと、これで一日過ごすとすごいなって感じがしました。
えーと、もう、ある意味ですね、あの、全然、なんていうのかな、今まで無理があったことでも、えー、ほとんどなんとかなる。
えー、まだこれから、いろいろ起こるんでしょうけど、放送来るかなんですけど、
えー、それは、まあでも、前ほど恐れなくて済んでる気がしますね。
あの、なんですかね、これは、えー、
理屈では、まあ、長寿が申し出してもいいし、甘え申し出してもいいし、知っていることがほとんどなんだけど、
えーと、なんて言うんですかね、どこからやっぱり手をつけるかっていうのはあって、
全部同時にできれば、僕も蔵園さんなんだけど、全部同時にできないんですよね、多分。
えーと、どっちかが先になったり後になったりする。
で、えー、そんなはずはないんですけど、ことの性質上。でも実際にはそうなる。
多分それは、えー、自分を、なんて言うんですかね、追い詰めている要因が、
やっぱり、いくつか種類が違って、例えば、正しさに突き上げられている時と、
本当の恐怖心に近いものに攻め込まれている時って、
まあ、これは心理的なものだけど、あるって、えーと、その場合その場合の、こう、優先順位が変わるんだけど、
まあ、どっちのケースでもですね、えーと、優先順位もそも、何もそもそも、
えー、追い詰められてしまって、えーと、何の対応もできない状態をに、
えー、瞬間的に背を置かれて、それでこう、分かんなくなってしまうわけですね。
分かんなくなってしまうというのは、えーと、やっちゃいけない対応をしてしまって、
えー、ますます、えー、事態が悪化するという、そういうパターンなんだと思うんですよ。
で、自分の場合は、えーと、罪悪感がウィークポイントなんですね。
昨日も言いましたが。で、罪悪感がウィークポイントになってて、で、
03:02
罪悪感と一言で言っても、例えば私はですね、えー、タスクを先送りするとかいう罪悪感は持ってないんですよ。
ほとんど全く持ってないんで、えー、別にタスクをいくら先送りしても全く罪の意識に苛まれることはないんですよ、もともと。
特に、あの、タスクシュートやるようになってからは、ほぼ。
で、タスクマあたりからはもう全くと言って良いぐらいなくて、えー、だから先送りしないんですよ。
ここに大事なポイントがあるんだけど、えーと、ここが分かられにくいということは、
つまり皆さんは罪悪感で先送りが、えーと、しなくなるだろうという期待をお持ちの方は、えーと、皆さんの中でね、
こういう期待を持っている人は罪悪感というものを、えーと、利用して、それで上手くいくんならば、それで良いはずなんだけど、
それで上手くいかないから、罪悪感が募っていくわけですよね。
えーと、自分はこれに罪悪感を持っていないので、えー、私の中ではね、これは持っていないから、タスク、あの、先送りはなくなっているんです。
で、私はタスクシュートってそういう功用があるはずだというか、あるのを知っているので、ここを常に強調する。
なぜかというと、えーと、やろうとしたことがやれれば、えー、仕事は終わりますからね、結局。
こう、ここで、えー、やろうとしたことをやっても仕事が終わらなかったらどうするんですかっていう議論を始めちゃうということが、
えーと、実はその人の心の中で先送りをする時に起きている議論なんですよ。
これを沈めないと、いつまで経ってもこの議論から抜け出せないわけですね。
それでも、えー、時間が1秒も経たないならば、そういう議論をしていても良いのかもしれないですけど、この議論の背中に時間が立つんですよね。
それを先送りと言うんだよっていう話なんですけどね。
これは一つのパターンです。先送りに罪悪感を持つというもう一つの重大なパターンがあって、
これも、あの、多分ダメなんですよ。先送りに罪悪感を持つからといって、あの、二度と先送りする前と心の中で決意しても何にもならないというか、
えーと、それは決意がダメというのではなくて、えーと、自罰がダメなんですね。
自分を先送りした自分はダメな人間だとして罰すると、そういう話を昨日まさに、あの、人と話したんですけどね。
えーと、これをやると。で、やらずにはいられないし、やらないわけにはいかないだろうと言うんですけど、
えーと、そうするとダメ人間としての自分が次に挑まなければならないじゃないですか。
ここがいかにも余計ですよね。そんなんだったら、えーと、ダメじゃない人間としてやったら良さそうなもんですよ。
でもダメ人間と思わなければ、だってダメ人間じゃないですかっていう話になるんですよ。
だってダメ人間だったら先送りするじゃないですか。
これは非常にですね、えーと、なんていうのかな、そういう昔は本当に、倉津野さんもお話しされてましたけど、
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えーと、罪を犯した人に入れ墨するとか、なんかそういう話があったから、ダメ人間というのは楽陰、楽陰という言葉もあるもんね。
楽陰というものがあったんだけど、別に今の時代楽陰とかないわけですよ。
先送りした楽陰とかを押す必要もないわけですよ。
だから私はあの、タスクに先送りした印とかをつけるのは嫌なんですよ。
そういうタスク、あのライフハックもあるんだけど、あれじゃあまるでですね、このタスクは先送りされるぞの印を自分でつけて回ってるようなもんですよね。
しかもそれって実は自分に印つけてるのと何にも変わらないですよね。
そのタスクが悪いわけじゃないから、自分が悪いことになってるから。
これを見てやる気が高まるだろうっていうのは、えーと、私の心理にはないんですね。
そのやる気が高い人間のイメージといっぱい先送りをしているタスクが大量に存在している人のイメージがマッチしないんですよ、僕の中で。
だからそういうことは一切しないことが、しないのがいいと思うんです。
どっちにしたってそれは、えーと、自分で勝手につけてる印ですからね。
誰かがつけろって言ってるわけじゃないじゃないですか。
仮に誰かがつけろと言ったとしたって、その人にどうしてそんな権威があるのかと。
その人は首相だとか言うならしょうがないかもしれないけど、別にそういうわけじゃないじゃないですか。
どっかの書記帳とかね。
そうじゃないのに、勝手に自分でつけてるのに、この落印は絶対ですっていうのは奇妙な話だと思うんですよ。
つけなきゃいいだけの話なんで。
で、今日はその罪悪感をパージするというのか、殲滅するというのは、えー、いい方法というのか、
僕にとっては最大優先順位、1位だったということだけれども、
その話は昨日して、今日もまだ生きてますということ。
来週生きてるといいなと思ってますということ。
まあこれは、うっすらと恐れや不安と未来というものを意識させて言う雰囲気ありますけどね。
えーと、今日はその話ではなくて、久しぶりに、
昨日、ポッドキャストを橋さんと撮ってて、このテーマが出たんで、
ヒステリーというもののテーマの話が出たんで、ちょっともう一回、
ヒステリーに絡めて、罪悪感に絡めてか、お話ししたいんですけれども、
まあ僕は全然知らなかったんですけどね。
あのー、隠れビッチやってましたっていう4コマ漫画がありまして、
新井ピロヨさんという、この番組でも何回かお伝えしている。
はい、すいません。あの、ちょっと途切れちゃいましたね。
えーと、新井ピロヨさんという方のコミックがあるわけです。
で、えーと、映画館もされてるんだそうで、どうしようかなと思ってるんですけど、
09:00
映画、映画ね、動画を見るというのには、私の中では結構な決意を要するんですよね。
多分見ないだろうなという気がしなくはないんですよ。
で、えーと、この話し方の話は、最初ギャグなんですけどね。
男の人を、えー、ちょっとふそ向きにさせて、告白させては振ると。
これは、えーと、まあ、それで苦しむ男の人はいっぱいいるんだけどなと思うんだけど、
まあそれは、よしとしまして。よし、よくはないんだけどね。
えーと、まあ私男だから、とりあえず一旦よしとしまして。
えー、なんでこれをするのかと言いますと、えーと、その人は、なんて言うんですかね、そのー、
男性の中に、えー、好きな部分と嫌いな部分がありまして、えー、好きな部分に、ゆえに近づいていくんですが、
そういうつもりはないんですけどね。ご本人には多分ないんですよ。
えーと、ひっかけて遊びたいというか、いい気持ちになりたいだけって思ってるんですが、
そもそもいい気持ちになれるということは、えー、そしてそれが男性でなきゃいかんということになってきますと、
そこには男性性との、えー、魅力の兼ね合いが全くないということはありえなくて、結構あるわけです。
えーと、これが、えー、ヘロイトは性欲と言っているものの中に入ってくるんですが、
えー、私たちは一般的にこの性欲だとあんまり思っていないところがあるんですよね。
えーと、これは性欲なんですよ。で、性欲というのは結局何かというと、えー、多分ですよ。
家族を作り出したいという欲求なんだと思うんです。こういう定義すると、すげー違う感じがするじゃないですか。
私もそうは思ってなかったんだけど、えーと、長らくこの話をずーっと考えていくうちに、つまりそういうことでしかありえないと思うんですね。
で、家族を作り出したいという欲求だということになってきますと、えー、家族にする相手だから、めちゃくちゃパーソナリ、パーソ、パーソナルな感じになるじゃないですか。
ここにおかしなことが起こるんですよ。えー、会社に行って、どの人も家族じゃないですよね。
まあ、家族経営とかがあったり、えーと、兄弟で同じ会社に入ってますというケースがあれば、でも今こうやって言ってみると、兄弟で同じ会社とかって入らないじゃないですか、あんまり。
これには訳があると私は思うんですね。えーと、家族というのはやっぱりこう、パーソナルで関係性が濃いわけですよ。
パーソナルで関係性が濃いということは、濃いという漢字、これはイリュージョンだけど、まあ意味付けだし、漢字を抱くということはそうじゃない人間関係があるってことを暗に示唆してますよね。
えー、ところが、ある種の人にとってはこの家族との人間関係の距離というものがどうもよく分かりにくいので、ある意味何でも家族にしちゃうというケースが出てくるんですね。
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でもそれは不思議なことじゃないですよ。だって、アットホームの雰囲気とか家族経営みたいな、まあ言い方もするじゃないですか。
そういうのって人間関係あるところには起こりうることでして、親子みたいなですね。
で、社内恋愛とかっていうのもややこしくなりがちだってことになってるじゃないですか。
同じですよね。家庭と会社というものの人間関係を人はなかなか上手に切り分けきれないので、
そしてそこの利害は一致しないケースがしばしば出てくるので、その日どうするんだという話になってくるわけですよね。
で、昔鎌倉時代、鎌倉武士が作り出される時に、親子関係と主従関係のどっちを優先するべきなんだと議論がやたらあって、多分あれですね、多くの人は興味を持ってないと思うんですよ。
今の時代には関係ないですから。でも親子か主従かっていうのは多分当時大問題だったと思うんですよね。
親子で行くならば源氏同士だけど、主従で行くならば源平みたいな、そういう話になってくると思うんですよ。
しかも関東の方では源氏同士でか争ってたから絶対この種の問題があったはずなんですよね。結構厳しいじゃないですか。
家庭環境というものを、家族関係を作ろうということになってくると、恋愛から今の時代はスタートすることになるんですけど、ここで家族が欲しいと思っている女性が男性に近づくということをするんだけれども、家族が嫌いなんですよね。
少なくとも新井さんはそういうところが、親が嫌いなんですよね。特にお父さんは嫌い。そうすると何が起こるかというと、接近した相手に罰を与えたいと自然と感じるはずなんですよね。
つまりこのケースにおいては、男というのはそもそも罪悪であると。特に自分に好意を持った男は罪人だと。そういう気持ちがあると思うんですね。
そうすると魅力があるから近づくんだけど、近づいた時には必ずその人はもはや罪人だから罰しなければならないわけです。
最大の罰は何かというと、告白した時、自分を好きになったところで切り捨てることですよね。
この行動パターンを繰り返すというケースが実はとても多くて、男性にもこれがいっぱいいて、しかも自分はプレイボーイって言葉がありますけど、そういうようなもんだと思っているだけなんですが、私は違うと思うんですよね。
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あれは男のヒステリーが全部じゃないけど絶対混じってて、振ることが快感なんですよきっと。
あそこにも振ることが快感だって新井さんの漫画にもあったんですけど、振ることが快感だということは、一見したところ自分が優位に立っている快感だって、まあ普通にそう思っちゃうんですけど、私はそうは思わないんですよ。
人が別れ話を持ち出す時のことをよく感じてみれば、全部じゃないですよ絶対に。いろんなケースがあると思うんですよ。でも、絶対リベンジってものが入っているケースはたくさんあると思うんですよ。
つまり、振られた相手に罰を与えているわけですよね。
この隠れビッチやってましたのケースは、男の人ほぼ何も悪いことをしていないから、この罰は理不尽に極まりないけれども、それはお父さんに与えている罰だから、しょうがないと言ってはいけませんが、しょうがないかなぐらいな感じで考えておくしかないと思うんですが、そうじゃなくてですね。
付き合いが長くなってきた時に、こいつを正してやりたいって思うシーンって、私も残念ながらあるんですよ。まことに残念だなと思いながらあるんですよ。どうしてもこれが抜けないんですよね。
で、正してやりたいと思っている時は、しかもまことに残念なことに、母親の価値観に沿っちゃってるんですよ。本当に嫌だな、嫌だっていうか残念だなって思いますね。
これはマザコンというよりも、僕は立ちが悪いと思ってるんですよね。マザコンはしょうがないと思うんですよ。男女とも9割以上はマザコンで、これは致し方ないとここから派生するものですからね。
ただですね、マザコンはしょうがないにしても、母親の価値観で恋愛関係の相手とか配偶者を裁くっていうのは、もうこれはですね、弁解の内は全くないなっていうのが実は私の感じなんですよ。
でも弁解の内が全くないっていうのは、つまり罪と罰ってことになるんで、こういうところでやっぱりですね、罪は全部手放しておくっていうのが正解だなと思うんですよね。
罰してしまいたいというふうに思う自分に罪はないんですよ。ここは難しいなって時々思うんですけど、理不尽な罰を与えてくる相手に罪を見ないっていうのは難しいなと思うんだけど、これを見ない方がよっぽど気分がいいっていうのもあるんですよ。
これもですね、昨日違う議論になったんですよね。罰した方がよっぽど気分がいいっていうお話をされる方と話して、その気持ちはわかるんですけどね。
あの、なんていうんですかね、痒いところを書いちゃう心理ですよね。私もアトピーだったんでよくわかるんですが、痒いところを書いたら実に気持ちいいんですよね。
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ただし、その後必ず悪化するんですよ。あれとね、とってもよく似てます。色々ありますよね、こういうのって。私はわかんないんですけど、倉園さんよくパチンコの話したりしてたんですけど、さぞあれは我慢して我慢しきれなくなった時に言って、勝ったら気分がいいんだと思うんですよ。
これがない人生なんてもう考えられない。私昔ある人に、これはアメリカかな、アメリカ多いですからね、アルコール抜きで生きるくらいなら今すぐ死ぬっていうセリフを10回ぐらいは聞いたんですよね。そんな価値はアルコールには僕は全然感じられないんだけど、
多分その人の中では、人生というのは面白いものではない。良いことがあっても良くないことがあっても、とにかく刺激が足りない。よくこのセリフも聞きました。生ぬるい、微風がずっと吹いているようなものだと。青空はいいものかもしれないけど、空が青いだけだと。
それに比べると、かゆいところを書くとか、なんだよって話なんですけど聞いていると、その時の気持ちの問題なんですよね。なんであれほど高揚しちゃうんですかね。私もわかるんですよ。かゆいところを書くのもそうですし、様々ありますよね。
昔、高校時代かな、あるエロ本があって、これがあるだけで生きていけるみたいに思っていたことがあって、それをなぜか、なんでなんですかね。そんなものなのに無くしたんですよ。
あれを見つけるために、期末試験丸々棒に振りましたね。全教科勉強する代わりに探しまくって、その時見つからなかったんですけど、見つかった時にはすごい不思議でした。なんでこれがそんなに価値があるように見えたのかなと。
わかるんですけどね、自分のことだから。でもやっぱり不思議なんですよね。この感じとよく似ていて、あれがないと人生生きててもしょうがないなって思うんだけど、それこそ実にしょうがない考えじゃないですか。
あれ、今手元にないんですよ。処分したから。ほら処分しちゃうレベルのものなんですよ。そんなものがないと生きていけないと思っちゃうことがあるんですよね。これが処罰欲求だと僕は思うんです。処罰欲求はこの感覚に実によく似ています。だから絶対手を出すものじゃないなとも思うんですよ。
人を罰して気持ちがいいあれは本当に先がないというか、価値に関するいくつかのものの中でも最大のイリュージョンの一つのような気がします。最大も最小もないんですけどね、イリュージョンには。でも大きさが感じるんですよ。
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小さなイリュージョンを見ているときは視野の中の一部にイリュージョンが見えるんだけど、イリュージョンが世界を覆うんですよね。全部世界がエッチな本みたいになっちゃうんですよ。これと世界みたいな。比較しようがないと思うんだけど、もうなんか比較しようがあるんですよね。ここを書くか世界を捨てるかみたいな。
そういう意味のわからない比較があって、あの時本当に困るなと思います。それに相当するぐらいこの罪悪感を壊滅させるというのは僕にとっては一大事業になっていて、時々やっぱり来るんですよ。絶対罪悪感を持つページみたいな。
何ですかね、僕はまだ最近はやってないんですけど、例えば以前1回だけあったんですけど、家族で楽しく遊んでるところに電話がかかってきて、「久々さん、今日打ち合わせじゃなかったですか?」っていうあれがあったときの自分に来る壊滅的な。僕の場合なんだけど、ダメなんですよ、僕はこういうのに。非常に弱くて、わーみたいな。ほとんどミトコウモンの陰謀を見せられた気分になっちゃうんですよね。
あの時って本当に母になるしかないですよね。でも多分それじゃダメなんだと思うんですよ。相手待たせたことは申し訳ないですけど、多分それは罪悪じゃないんですよね。
それから大急ぎで行ってもいいでしょうし、その日はもうとにかく謝って別の日にしてもらってもいいでしょうし、何でもいいからとにかく罪悪感を持たないというのは、どんな時でも揺るがせちゃダメだと。ギリギリのラインっていうのはあるような気もするんですよ。自分ではこれはできないかもなっていうのは。
その時、人に許してもらうってことになると思うんですけどね。いずれにしてもルールがなければ罪はないはずで、ルールというのはイリュージョンのはずだから。ルールというのはつまり野球の境界線でこっちからファール、そっちからフェア、あれは大問題ですからね。
昔々、読売ジャイアンツの試合で篠塚って選手だったと思いますけど、打ったのはファールだったんだけど、ホームラットになった時に騒然となってニュースでも何度も取り上げられましたから。でもイリュージョンではありますよね。そっち通ろうがこっち通ろうが大した違いじゃないですよ。
たぶん、チンパンジーとかに言わせれば、なんか人間って不思議だなって思いますよ。つまりこの世に最初からあるものではないですよね。人が作ったものだということは確かなんで。
したがってですね、男とは罪人であるというのは100%イリュージョンじゃないですか。その人はお父さんにひどいことされてきたんだろうな、あるいはお父さんにあまりにも甘やかされてきたんだろうなと。
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フロイトの最初の患者さんであるアンナ王さんはお父さんがあまりにも大好きで、そのお父さんが亡くなってしまったという、死んじゃったということですけど、死んじゃいますけどね、お父さんは先に。普通は。それがやっぱり耐えられなかったというのは大きいと思うんですよね。
あの時代ヒスセリーというのは一般的な病気、つまり上流社会における娘と父親の関係は難しいものが多々あったんですけれども。今はそういうのとは違う。
新井ピラヨさんの漫画では単純に非常にDV的なお父さん。それは非常に問題ですよね。それは男というものは罪人であると。でも普通に人ですから。性的な欲求というのは上がってくる。しかもそれは家族を作りたいという欲求は普通に上がってくる。そこまで壊れてなければですね。
その時に近づいてくる男を罰するために振る。罪はないと僕は思うんですよね。やっぱりね。この構造は振られた人には気の毒なんですけれども、まあまあ運が悪かったと思うより仕方ないんじゃないですか。そういうことはありますよね。
逆をやる、盛んにやっている男性もいっぱいいるんですよ。で、よくわかってはいないと僕は思うんですよね。近づいていく女性に。これは全然普通ですよね。でも女性が近づいてきたらちょっとしたことがあればどんなことでも別れるきっかけになると思うんですよ。相的防衛が働く。実はそれを恐れてるんですよね。
なんかちょっと遅く来たことを咎められるということに、そんなことを咎めるような神経質な奴は嫌だって言うように言うでしょうけど、そうじゃないと思うんですよね。自分の行動の流れというものに対してチャチャを入れられるのは絶対許せないみたいなそういうのであって、しかもそこで処罰意識が出ますよね。
で、振るということによって相手が泣くとかすればめちゃくちゃ気分がいいってことになるんだと思うんですよ。さっきのかさぶたを離すとめちゃくちゃ快感だってのと何ら変わらないと思うんですよね。
でも私はこの人が全く同じことをお母さんにされたりしていれば、あんまり罪はないだろうと思うんですよね。
お母さんにされるというのは、たとえばお母さんがめちゃくちゃ機嫌がいいときはすごい優しくしてくれると。ゼロ歳児とかのときですよ。
でも一緒に遊んでいて楽しくしているときに、不意にお母さんがなんかこう機嫌悪くして、ふっとこう、たとえばいなくなるとかね。
殴るとかじゃないですよ。たとえばいなくなるとか。絶対この男の子はリベンジしたいと思うと思うんですよね。
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これを1歳、2歳、3歳と断続的にやられていたりすれば、女というものは罪人だと。
だってお母さんというのは女弟子だからね。たぶん。たぶんですよ。これからの時代は100%とは言えないだろうと思い始めてますが。
でも女の人である可能性の方が高かったでしょう。
環境、環境としての母親、環境というものがそういうことをやるのであれば、自分は環境に仕返しする権利があると感じるように人はなると思う。
こういうふうに男性のヒステリーというものが進行していっても、これはヒステリーではないかもしれないけど、不思議なことでは全然ないと思うんですね。
良いおっぱい、悪いおっぱいですよ。
良いと思っていたものが悪い。
これはいつでもどこでもどこにでも見えられるもので、良いタスクシュートクラウド、悪いタスクシュートクラウドですよ。
最初近づくときはタスクシュートという素晴らしい時間管理のツールがあるらしいと。
すっごく遠いんじゃないですか。
男性や女性に近づくときと同じですよね。
遠くから見るととても良いらしいと。
自分は時間管理とか先送りとかで困ってるから近づいていこうと。
ライフハッカーとかにも載ってるし良さそうだと近づいていってみると、
1分単位で記録しろという話に近いと見えてくることってあるわけですよね。
男女にはとても多いですよね。
近づいて初めて見えてくると。
うわ、最悪じゃんと。
だからヒステリックにもなるわけですよね。
考えてみるとビジネス書とかライフハックとかいうのはろくなものじゃなかったと。
そういうときにふと人は思い出すんですよ。
もともと罪深いものだったと。
で、ついでにこのタスクシュートというのを作った人を徹底的に懲らしめないと世のためにならない。
こういう展開の思考の人って決して珍しいものじゃないと思うんですよね。
で、私はそんな人に罪はないと思うんですよ。
開発している人には気の毒だと思いますよ。
これ全然開発している人にとっての責任ではないと思うんで。
ただ、こういう思考回路に入っている人は現実を見ている。
間違いなくこれは現実だと思ってますよね。
間違いなくイリュージョンだと思うんだけど。
間違いなく現実だと思ってますよ。
遠くから見たときにタスクシュートというような方法論やツールがあって、
時間管理に適していると。
現実的な言葉ばかり使ってますからね。
全然現実じゃないですけどね。
で、ライフハッカーとかそういう人たちも取り上げているという現実があり、
そこに近づいてみると、
1分単位で記録するという病的な方法だったと。
現実。
だからそれは許せないという、
これは多分、よほど極端で変わった偏人以外は
みんなこういうものは許せないと思うんですよ。
自分の判断は決して偏ったものではなく、
極めて客観的なものだろうという現実感があるわけですよ。
なのにこれがよほど広まっているというのは、
30:00
多くの人が実は騙されている。
自分みたいにね。
騙されたに違いないと。
これに、
これに、
なんていうのか、犯罪ではないけど、
犯罪というか、
犯罪というか、
犯罪的だと考えて、
相応の罰を与える。
レビューでけちょんけちょんに言うというのは、
現実的に良いこと。
っていう展開って、
全部夢みたいなもんだと僕は思うんだけど、
本人は現実を見ていると思って、
何ら不思議はないと思うんですね。
私が思うに、
そういうことっていうのは、
今のようなのは絶対当たらないと思うんですよ。
私が思うに、
そういうことっていうのは、
今のようなのは絶対頭の中にですね、
例えば壺を騙されて買って、
大金を損したテレビとかを見たとか、
そういうものがモデルとして絶対あると思います。
つまり、お父さんに昔ひどい目にあったのとは、
ちょっと違うんだけど、
よく似た意味で、
なんとか24時っていうね、
音声は変えてあるわけですよね。
この壺を買えば病気が治るって言われたんです。
だけど実際に買ってみて、
そうすると今度は赤い壺を売りに来るんです。
これとタスクシュートを引き寄せて、
同じようなものとして見るという
イリュージョンを抱くんですよ。
で、これは結局、
過去どういう目にあったかということ、
あるいは過去どういう目にあった人がいるということを、
モデルケースとして使っている。
そしてやっていることは、
実はいいおっぱい、悪いおっぱいなんですよ。
反応がヒステリックになるじゃないですか。
最初は穏やかに近づいていた。
だけれども、
100行くらいのタスクシュートに対する抗議文を書く。
すっごくヒステリーってものを感じさせるんですよね。
つまり、その人はその中で
自分が表変したなんて全く思っていないと思うんですが、
畳から見ればそれは多分表変なんですね。
この表変の程度があんまりひどくなったケースでは、
あまりにも男の人が大好きと言って近づいていったおじさんを
いきなりリンチにかけるぐらいな。
その人、人変わっちゃうじゃないですか。
これが本人に、
この間に整合性が取れなくなると
途中の記憶が途切れるという形を取るんですよね。
新井ピロヤさんのケースでは
途中の記憶は途切れていなかったけれども、
時々お酒を大量に飲んで記憶を飛ばしている。
やっぱりご自分の人格というものは
一つだけで統一させるには
この良い相手、悪い相手に対する態度が
あまりにも急変するということが
自分自身で整合性が取れなくなるケースがあるわけです。
これが究極的に進むと
イブホワイトとイブブラックになるわけですよ。
つまり完全に乖離しちゃう。
その間に自分が変化したということには
もう気づく余地がない。
ここを記憶で繋いでおくメリットが脳的にないので
33:01
ここの記憶は飛ばすと。
全然違う自分としてその二つに対応する。
良い相手と悪い相手に対する態度が全く違うので
それだったらもう
自分の人格に整合性を取っておく必要なんかない。
過去やった自分の行動Aと
今やっている自分の行動Bとは
もはや関連なくてもいい。
関連ない方が都合がいいということで乖離する。
だからヒステリーというのは
多分乖離性人格障害という
重くなった場合ですね。
今ではヒステリーという用語は
差別的だという理由でおそらく
カウンセリングの世界から消えちゃったので
乖離性人格障害だけが残ったんですね。
そうすると分かりにくくなるじゃないですか。
ヒステリーと言われていると何となく
それは差別的でいい加減でインチキなものかもしれないけど
何となく分かるのに
これが乖離性人格障害となると
全然分からないものになるんだけど
今の時代、例えばアメリカのマニュアルでは
DSMの診断では
乖離性人格障害の方しか載っていない。
こういう事情があるんですね。
今の時代には。
精神分析というものが
廃棄されてきつつあるみたいな
それは世界的に言うと
まだまだ頑張っているんだけど
日本ではもう
どこに行けば巡り会えるんでしょう
くらいのノリになってきている現状では
こういうことが起こらざるを得ない
と思うんですよ。
で、私たちはある意味
そういう概念というものを
見失うんですよね。
だからそこら中にあるヒステリーみたいなものに
全然
どう対処していいか分からないみたいなことが
起こるんで
だったら元の言葉があった方が
マシなんじゃないかなと思うんですけど
しょうがないっちゃしょうがないんですよね。
とにかくこの
罪悪感なんですよ。
人に罪を見て罰を
与えると
すっきりするというあれ
それがもう生きがいですという
それ
罪悪なんてそこら中に満たせますからね。
よく私が聞いたところでは
発言こまちとか
ヤフー知恵袋とか
いいところに相談しに行っている
非常にしょうもない相談と
自分には見える相談を
けちょんけちょんに言われているのを見ると
すっきりすると
罪と罰というものが
エンターテインメントになるわけですよね。
35:25

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