2021-08-25 26:40

【GMV 444】なんか寂しい?

バラバラ意識の守り方
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
モーニングに戻ってこれた感があります。
9月4日土曜日にグッドバイブス勉強会の第8回、幸せな役割みたいなテーマでお話しします。
このイベントはもう告知されていますので、多分9月に入ってから申し込みいただくことが多いと思いますが、早く申し込んでいただくといずれにしても主催者というのは嬉しいものなので、
あまりそれほどの意味はないと思うんですけど、確実にご参加いただくという方は早く申し込んでいただけるといいかも。
いいかもってのは多分こっち側にとっていいっていう話でしかありませんけど、いいかもしれない。
幸せな役割、幸せに導かれる役割、依頼に本気で応えるとかのあたりのお話になると思うんですけど、
私は例によって多分ですね、反対側からのアプローチになるかなと思っています。
わかんないですけどね、予告じゃないです。
反対側というのはつまり、どうして依頼というものを本気で即座にはやりたくないのかという話を多分私はそっちのアプローチをするだろうなと。
この私の話が、ホットキャストとかではあまり気をつけずに喋っているせいもありますが、
難しいとか、昔よく言われていたんですよ、タスクシュートですらそうですからね。
難しいとか、良くも悪くも褒められているケースもあるし、けなされているケースもあるけど要するに同じことを言われているんですが、
なるのは多分、うまくいかない方面にこだわるせいなんだと思いますね。
例えば一つ意識とバラバラ意識という話で、私はバラバラ意識の方の解析みたいなのにひどくこだわるところがあって、
昔は良くないのかなと思っていたんですが、少なくともこのホットキャストについて言えばですね、
これが自分の役割みたいに、こういうところで役割って多分出てくるんだと思いますね。
そういうことなので、よろしければ9月4日オンラインなので地球上どこからでもご参加いただけます。
今一つ意識と申しましたけど、ドナルド・ウィニコットがライナスの毛布で、
一番精神分析の話で有名なのはライナスの毛布なんですが、
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一人でいられる能力という独特の言い回しを使って説明しているのが、
私は一つ意識に一番近づいている感じが精神分析の話の中ではあります。
一人でいられる能力というのは、子どもが一人で私はお昼そばにできるよとかいう話では全然なくて、
全然ないから独特なんですが、2人以上でいるにもかかわらず一人きりだって感じられる能力ということなんですね。
一つ意識なんですよ。だいぶ違う感じがあるかもですが、一つ意識なんですよ。
2人でいるのに1人でいると感じられる能力なんで。
例えば、最近で言うと藤井聡太さんがすごいですけど、将棋。
あれ2人でやるけど1人でいますよね。
すっごく根を詰めてやってみるとわかると思うんですけど、相手の存在とか消えちゃいますよね。
相手の存在が消えてしまったら将棋にならないんですよ。
だから2人でいることは間違いないんだけど、1人になれるんですね。
こういうことをミニコットは言ったんだと思うんです。
ミニコットの話っていうのは、パラドキシカルに書くことが多くてわけわかんなくなることが多いんですけど、
将棋っていうメタファーを持つようになってからよくわかる気がするんですね。
内側でもあるけれども外側でもあるとかいうのが有名な言い回しなんですが、
将棋って本当に脳内にまさにあって、常に脳内でコマを動かしてるんだけど、外側にもありますよね。
ルールがありますよね。人工的なルール。
角とか前に進めないじゃないですか。
でも前に進んではいけないっていうのは、勝手に決めたことですよね。
コマはすでに人間が作ったものですけど、斜めにしか行けないんですよ。
絶対にそれを守りますよね。競馬とか極めて奇妙な動きをするじゃないですか。
チェスのナイトもよく似てるんで、ああいうのってどこかに起源があるのかもしれませんが、
とにかく非常に不規則な動きをしますよね。
ああいうことに決まってますよね。
誰が決めたんだとかいうのは今更誰も問題にしないですよね。
必ずそういうふうにするものだと。
昔子供の頃に喧嘩が強い子がいて、その子とよく将棋したんですけど、
面白いなと思ったことがあるんですよ。
そういう子って平気でルールを変更するわけですよ。
最初やってた頃は僕の方がだいぶ強かったんで、最初やってた頃は彼はよく変更してたんですよ。
俺の駒だけは角が後ろに動けるみたいな、そういうことを平気でやってたんですけど、
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それでも僕は勝てるんですよね、小学校2,3年の頃は。
ところがその子が強くなってくると、絶対にルール通りにやるんですよね。
僕は非常に面白い現象だと思いました、当時。
小学生でもこういうふうになるんだと。
この子は腕力があるから、別にルール改変は認められるわけですよ。
そこに先生とかいるとダメですけど、いなければその子がルールですから、変えられるんだけど、変えなくなるんですよね。
あれは僕は今思えばエリプスだなって思いますね。
そういうことをイニコットは言ったんだと思うんですよ、ルールというものが存在すると。
誰がそのルールを決めたんだということは問わないことになっているとか、そういう表現をとるんですけど、
そうなんですよね、お孫子とってそうじゃないですか。
これは泥団子じゃなくて肉団子ということにするルールなんですよね。
そういうことだと思うんです。
そういうことを通して、人は二人いようと三人いようと一人きりになれる。
そういうときがそういう風でなきゃいけないという言い回しなんですね。
私はあれが一つ意識というものだとある程度考えていて、確かにそういう風になるんだなと。
例えば娘といるときには達成しやすいんですが、娘は例えば松盛やっていると、
私は本を読んでいる。
でも一人きりなんだけど二人でいるんですよ。
明らかにこれは一人きりでいるときとは感覚が違うんですよね。
すごい面白い現象があると思うんです。
これがところができないというケースがたた起こるんですね。
二人になってしまうわけです。
恋人同士とかって多いと思うんですよね。
二人で楽しもうみたいな話をするじゃないですか。
一人になれないんですよ。
どうしても二人でになってしまう。
そうすると二人ともいいときはいいんですけども、
どっちかの機嫌が悪くなると、この二人がすごいややこしいことになりますよね。
で、一つの非常によく用いられる、このときに非常によく用いられる、
ここがやっぱり私の考え方で話がややこしくなっていくポイントなんですけど、
一つ意識のほうに一つ意識のほうに、
話の焦点を結べばいいんですけど、
私はバラバラ意識のほうに話の焦点を持っていきがちなので、
話が小難しくなった上になんかちょっと不毛な感じがされると思うんですけど、
趣味に近いものだと思って、これを聞いている方は諦めていただけるとありがたい。
要するに防衛というやつなんですよね。
ここで出てくるのが多分フロイトが有名明明した防衛なんですよ。
ディフェンスなんです。
ディフェンスですからね。
まさにバラバラ意識で自分を守るためのディフェンスなんですよ。
二つ特に僕はその恋人関係、二者関係でして、
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親密な二者関係に起こるディフェンスで、
僕がよくやっぱり確実に多いと思うのが、
マニック、相敵防衛。
もう一つが東洋ドイツカですね。
この番組でも散々お話しさせていただいて、
この番組でも散々お話ししている東洋ドイツカ。
この二つだなと思います。
彼女なり彼氏なりの機嫌が悪くなると、
映ってくるじゃないですか。
どうしたのとか言うじゃないですか。
別にとかっていう、
漫画でもすぐに出てくるセリフがありますよね。
あれやってるうちにどんどん賢悪になっていく。
あれは東洋ドイツカだと思います。
自分の心理状態を相手に電波させることができてしまう。
それもちょっとしたやりとりの中でそういうことができる。
怒ってるのとかっていうセリフはすでにダメじゃないですか。
こうやって東洋ドイツカがどんどん人口をするわけですよね。
これが一つのコミュニケーション手段として使われて、
絶対これは一人になれないんですよ。
ああいう時に、しかし嫌になってきて一人になろうとしますよね。
この一人になるは、さっきの親密な時に一人になる一人とは全然違うんですよ。
絶対一人になれてない。バラバラ意識なんですよね。
相手がいることを強く意識している。
これがミニコットの引きこもりといった表現ですよね。
相手から自分だけを引き離そうとする。
二人でいるんだけれども一人になっていく。
だから東洋ドイツカから始まって引きこもっていく。
引きこもっていく。
この時に使うのが、ミニコットはその表現をあまりとっていないと思うんですけど、
装的防衛だと思うんですよね。
とっているのかな。そこはちょっと後ほどまた本を読んだりします。
マニックディフェンス。
ディフェンスなんですよ。
ついた手を立てるという表現はあったと思いますね。
これは社会的引きこもりの場合には、
部屋についた手を立てて、本当についた手を立てるという方がいらっしゃいますから、
ついた手を立てて引きこもる。
一見その人は一人きりなんですけれども、
その人の心の中ではそうじゃないんですよね。
社会から進出、進出って言うんですよね。
これを進出って言うんだと思うんですよ。
進出されてくるからついた手を立てて、
ディフェンスを立てなければならない。
非常にすごいと思うんですよね。
心理的なものが物質的なものに置き換わっているわけですよ。
これを物なんですよね。
この心理傾向がはなはだしく病的になっていくと、
例えば先生、私の頭をレントゲンで撮らないでくださいね、
みたいな表現になっちゃうんですよ。
考えが映ってしまいますから、みたいな写真にね。
これが物化したときの人の心理的な捉え方なんですね。
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これ結構有名で、レントゲンで撮られると私の考えがバレてしまうっていうあれですね。
あれといっても、そういう表現が時々本に読んでいると、
精神病理学の本を読んでいると出てくるということです。
引きこもろうとするときに、相的防衛というのを使うんですけど、
このときに相っていうのは、つまりいいお母さんは悪いお母さんで、
いいお母さんのときはいいけど、悪いときはアタックするわけですよね。
いいときはいいんだけど、悪いときはアタックして破壊すると。
これが相ですね。つまり関係を破壊するんだけれども、
破壊したということがわかっていないと。
つまり相手が二個になってしまっているので、
いいときのやつは自分と仲良くするけど、悪いときのやつは破壊して、
またいいときのやつのところに行こうっていう、そういうわけにはいかないんですよ。
普通に恋愛したり、私たちのように生きている人間は、
悪い方を破壊すると全部破壊することになるということに気づいているので、
相そのものにはならないんですね。相打つみたいにはならないんですよ。
その手前のところで止まる、踏みとどまれるということです。
そのときに相的防衛というのを使うわけですね。防衛のためだけに相状態を使うと。
恋愛でこれをやると微妙ですよね。相的防衛でそのときだけ自分が引きこもって、
不機嫌な相手を凍っておくとか言うんだけれども、
既にそれはある種の攻撃にもなっている。
ディフェンスなんだけど攻撃にもなっていて、一歩間違うとその関係を壊してしまいますよね。
壊した後その人がああいうときにもうちょっと情報しておけばよかったとか何とか思うならば、
欲打つポジションということになります。
欲打つポジションの欲打つとはこういう意味ですね。
私たちはみんな欲打つポジションに大体入ることはできる。
つまり正常なんで言ってみれば。
壊すときは分裂ポジションに行っちゃうかもしれないけど、
欲打つポジションに後でも必ず戻ってくるということ。
そこに悲しみがあるという言い方をするんですが、
相的防衛を用いたときは後で修復するつもりでいるわけですよね。
そこが相と相的防衛の違いなんですね。
相だと修復するつもりは全くないということになるんですが、
相的防衛の場合は後で修復するつもりはあるので、
これがですね、興味深いんですよ。
恋愛関係で見ると分かりやすいとは思うんですけど、
これがですね、日常のそこかしこで割とパッと現れるんですね。
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私はやっぱりセミナーとかの特に後でこのことをすごく感じさせられるケースがありまして、
公演とか行ってもそうなんですけれども、
たまにそういう方がいらっしゃってですね、最初はものすごい混乱したんですよ。
初めて会う方じゃないですか、デート会の相手とかとは違うわけですが、
先生の本は大好きでよく読んでいますとか、
言っていただくと話を始めますよね。
でも話を始めているうちに不意にその方が気分を害したようになってですね、
パッとその場からいなくなっちゃうというケースがあるんですね。
必ずこういう時に私が思うことは、
なんかまずいことを言ったよなっていうことなんですけど、思い当たらないわけですよ。
そういう時に後から考えると、この人はすごく相的防衛を使っているんですよ。
ということがやっぱり分かったりするのが、
こういうのを読んでいる時に、私はこれを病理という風に考えるよりも、
コミュニケーションとして、なんか独特のコミュニケーションスタイルと考えると、
分かりやすいなと思うことがあるんですけど、
本当にうまく説明できないコミュニケーションのケースってあるんですが、
その時によく東映同一化と相的防衛っていうのはよく使われるなって思うんですよね。
でも、あっけに取られるんですよ、まず。
だいたいそういうことが起きるんです。
え?って感じなんですよ。
で、その人は帰ってしまう。
さっきまでやたらとこう、いろいろとよく言ってくれてたのに、
しかもすごいにこやかなんですよ。
すごいにこやかってところに相ってものがよく現れてるんです。
軽相ってやつですね。
軽い相状態。
すごく陽気な感じで、にこやかによく笑っていて、
ふいにちょっと影がさした感じになって帰っちゃう。
パッと帰ってしまう。
よくわかりましたからとか言って帰ってしまう。
急いでるのかなとかって思うじゃないですか。
そういう言い方でもあるんですよね。
とにかくその時、距離を空けなければ守れない何かってものをすごく意識されたんだと思うんですね。
いきなり一つ意識だったのにバラバラ意識にバッと変わるんで、
こっちがドギッとしますよね。
これがやっぱり防衛ってものの力なんだなと思うんですよ。
この話はちょっと続きがあってですね、
そういう人とは必ず後でトイレでバッタリ会ったりするんですよ。
ここが抑鬱ポジションのポイントなんだと僕は思うんですね。
妄想分裂、つまり妄想打つ人格が乖離するレベル、
昨日お話ししたボーダーのレベルまで来ると、
多分その人は本当に帰ってしまうと思いますし、
もっと厳しい対応で、
先生に失望しましたみたいなことをパッと言って帰られると、
本当に帰っちゃうと思うんですけど、
抑鬱ポジションにいる我々はそういう態度には出られない。
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なんかすごいこんなこと言うやつはダメだって思ったかもしれないけど、
古傷みたいなものに当たるわけですよね。
私が何か喋った、多分なんてことはないんだけど、
その人にとっては非常に問題のあることを喋ったということがあって、
影がふっと刺したんだけれども、
関係を破壊するってところまではいかない。
距離を一旦取りたくなるんだけど、
後で必ず抑鬱が戻ってきちゃう。
つまり後悔するわけですよ。
その時にトイレで会うという選択がしたくなるんだと思うんですね。
これもやっぱり恋愛で見ると分かりやすいんですけれども、
後でですね、さっきはごめんとかって言うじゃないですか。
あれなんですよ。
ただしこれが恋愛関係じゃないから、
そういうわけにもいかないので、
トイレで偶然出会うわけですよ。
この偶然はアレンジメントってユングが言うんだけど、
アレンジメントと言うにはちょっとしょぼい事例ですけれども、
でもアレンジメント感があって偶然出会うんですよ、本当に。
多分間違いなく無意識まで含めて考えれば必然的なんだと思うんですけど、
やっぱり偶然出会うんですね。
なんかこう元気のなさそうなその人が不意に現れて、
またさっきのように何事もなかったかのように
楽しく会話が再開するみたいなことが起きるわけです。
私はこういうのが何度か体験があって、
同じ人じゃないですよ。
何度か体験があって、
これはマニックディフェンスってものだったと今思えばですね、
すごく当時はやっぱりキョトンとしてしまいました。
こういうのってたとえ知識があろうと、
その時に思い出せないものですし、
巻き込まれている時っていうのはとかく分かりにくいんですよ。
やっぱりショック受けますからね。
え?え?え?って感じがするじゃないですか。
なんか本当にまずいことしたいに違いないみたいに思う。
こう思うっていうのもこのマニックディフェンスってものだったと今思えばですね、
こう思うっていうのもこのマニックディフェンスの非常に大事なポイント。
こう思わせたいわけです。
そこは東映の5日なんですね。
単なる東映と言ってもいいかもしれませんけど、
こういうふうに私に反省させたいというのは間違いなくあるわけですよ。
昨日お話しした脱価値化ってやつですね。
最初理想化されてるじゃないですか、ある程度私は。
すごい良い本ばっかり書いてみたいな、
そういう理想化されてるわけですよね。
セミナーでも喋って、この理想化非常に大事です。
私の喋ってることではない可能性もあるわけですよ。
別人の書いた本って意味じゃないですよ。
その人にとって良い部分だけが極めて強調されて読み込まれてるという意味です。
理想化なんですね。
でも私はこの方の頭の外側に実在している人間なので、
その人が望まないことも喋っちゃうわけですよね。
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これが現実に出会うってことです。
現実に出会うとトラウマが起こる。
こいつはこんなことも言うのかと。
理想化していた範疇にはないことが出てきてしまう。
それが現実なんですよね。
だから僕は傷つくっていうのはまずい。
まずいんだけれども大事だと思うんですよ。
これどっちかだけってことはあり得ないんですよね。
将棋の話を前にしたことがあると思うんですけど、
一人だけで将棋やってる時、絶対できないことが負けるってこと。
負けると傷つくじゃないですか。
だから強い人とやる必要があるわけです。
自分だけでやってるとどうしてもできないことがあるんですよね。
自分の最前種以上の手は出てこない。
必ず自分より強い相手とやると、
その外側があるってことを思い知らされる。
これが傷つくってことだと思うんですよ。
ミニコットが言ったやつですよね。
累積外傷にならないように傷つく必要があるみたいな、
そういう言い方をする。
最初に読むとわけわかんねえって感じがするんだけど、
わけわかるんですよ結構。
そういう体験を何度かすると、
マニック・ディフェンスに出会うと、
傷つくわけですよ、お互いに。
後で後悔してトイレでばったり合う、
そういうパターンになることが多いなって感じがします。
もう一つ、軽相ってよく言ったもので、
すごいその方は、
大概そういう方はめちゃくちゃ笑うんですよね。
本当によく笑うんです。
時と場合によっては、
自分はお笑い芸人みたいに見られてるんだろうかっていうぐらい、
何喋っても即笑うんですよ。
そのうちですね、
なんかとっても寂しくなってくるんです。
これもマニックに出会った時のよく感じることで、
自分の話は全く無視されてる感じがする。
褒めたたえられていても同じですね。
常によく言い、常に笑ってる。
だからいい対応しかされてないんだけど、
明らかにもうその笑いもその称賛も、
自分と関係なく行われているような感じがするんですよ。
で、不意に影がさしてどっか行っちゃう。
ものすごくですね、
無視されてるっていうのは、
こういう感じだなっていうのを痛感します。
でも後でそんな遠くまでは行かないんです。
ちょっと距離を空けるんです。
会場の外に出てるとかね、
後で必ず出会うケースが、
僕の感じでは100%でした。
後で必ず出会うんですよ。
こういうコミュニケーションスタイルっていうのがあるなっていうのを、
私は何度か職業柄って面もありますけど、
経験させてもらっていて、
やっぱりディフェンスの形式の一つなのかなと。
自分が本当の意味では傷つきたかなと。
自分が本当の意味では傷つきたくない。
あるいはそういう傷に触れられたくないっていうものを
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強く意識しているとき、よく打つポジションなんですよ。
決して人格交代が起きたりはしないんだけれども、
こういうスタイルで何とか人との関係を乗り切っていくと。
そういうスタイルがものの中でも特に典型的なのが、
遠衛同一化と双敵防衛。
もうこの二つがすごく品質っていう、
これをずっと続けている方は、
本人にやっぱり非常に寂しいので、
絶対一つ意識になるのは難しいですからね。
常に二人でいるっていう意識で、
いざとなると水泥だですね。
引きこもれるっていう状態を維持しているわけで、
いらっしゃるわけですから、
そこのところが多分年齢を重ねていったときに
一つ問題になって、
時々診療内科とかに行かれるんだろうなっていうイメージはあります。
そのときちょっと困るじゃないですか。
私何も問題ないんですよ、母ってことに絶対なると思うんですよ。
プロの人は多分分かると思うんですけども、話聞いて。
何を訴えればいいのかこれって分かりにくいですよね。
別に人間関係だって全く破綻してるってわけじゃないですし、
なんかちょっとこう、
よーく話してないとそういう自覚もなかなか生まれないと思うんですよね。
話し込んでいるうちにちょっと不愉快なことがあるから
距離を取るんだけど、後でトイレでばったり会うとかそんな話しないですよね。
それはあくまでも精神分析みたいなもので、
こうやってある意味、
凝った解釈を頑張ってしようしようとしている人間の話し出すことであって、
なんか寂しいんですぐらいな感じだと思うんですよね。
主相って言うんですけど、そういう訴えとしては。
主に訴えるのは主相ですけどね。
ないんだと思うんですよ、主相が。
なんか人とうまくいかなくてみたいになる。
私も人に相談すると言われるとそういう言い方になっちゃうと思うんですよね。
だから、ある意味それの何が問題なんだろうぐらいな問題なんだけど、
これが30年とか40年とか続くとつらいと。
たぶん私の感じでは1年、2年でも十分な時間がかかると思うんですけど、
つらいとは思うんですけれども、
ただこれは人間関係がことごとく破綻するとか、
すぐに離婚になっちゃうとかそういう話とは違うんで、
曖昧な感じがあって、微妙な感じがあるんだけれども、
なんかこのパターンにはまるみたいな、そういう訴えなのかなというふうに思いますね。
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