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おはようございます、グッドモーニングボイスです。 今日はですね、いい加減
どうして自分が
グッドバイブスと精神分析に今こう
喋りまくって、で未だにタスク習得にどっぷり
ハマってるというよりは 使い
混んでるってところなんだけど なのかという話をまとめておこうと思いました
6月4日にですね、田島菜武さんと クロストークをやりますので、その時にこの話が出せるかどうか
私のその時の心境次第ですが こういう話になれればいいのかなぁとも思ったりしています
もっともその 当日はですね、違う
違うというかその 動画を使ったり、田島菜さんとやる情報発信の話にもつなげたいから
いろんなコンテクストで見せ方変わりますが、でも主軸はここかなとは今は思ってますね
うーん まずタスク習得なんですよ
なぜなら時系列からしてそうだからですね タスク習得は
僕の基本的なライフハックってですね 辛かったんですよね
何が辛いかというと、ちゃんとしなければいけないのが辛いんじゃなくて ライフハックが確立しないという辛さが私は結構あったんです
ツールが不十分だったということも2000年前後はあったし だから面白かった面もあるんですけど
割と私は本当にちゃんとやりたかったんだけど、ちゃんとならないんですね
で非常にその辺が厳しかったんですけど、タスク習得はそれに対して一つエポックメイキングで
完全に私の問題の主軸を解決してしまったんですよ 例えて言うならばタスク習得って自家用車なんですね
今の生活って自家用車抜きでは難しいところが、まあだいぶもう今は変わってきつつありますけど都市圏では
やっぱり地方では無理だし、無理ではないにせよ難しいし 1980年代多分無理だったと思うんですよ
でまさにそういう感じで自動車に相当するもので 無いと相当厳しい回し方を余儀なくされていたんですね
で私にとっては今やだからタスク習得はもう一つの解決案で 私実はあの頃
以前のって言ったら非常におかしいんだけど、クラウドの系統さんがまだIT系の方だった時代
IT系の方だったってやっぱり変だな とにかくそういう頃に
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ノズビーとかGTDとかのあるいはエバーノーとかですね 話してたんですけど僕の感じではもうすべてそれらはアクセサリーで
僕の中ではですねこう カーがタスク習得なら
それらはカーアクセサリーなんですよ。それは今でもそうなんですけど えっとでもタスク習得の話って結構来学ではしてないんですよ
大橋さんとやるタスクカフェとかになると一気にそっちしか話さないんですけど 外で呼ばれてタスク
ライフハック系の話するとなるとドロップボックスだの、ツイッターだの めちゃくちゃカーアクセサリーなわけですね
全然こう中核の話を僕は一切してないなっていう感覚の中で 例えばノズビーの話をするとか
それはどうなのかとか聞かれて答えるとかいうのはもう本当にこう その車の話をそっち抜けにして
例えばですけど
ETCの話をするみたいな。私の中でそうなってて なぜならタスク習得抜きでは他のものは僕にとっては一切意味を出さないんだけど
タスク習得の話はしてないからそういう風になってたんですね それぐらいタスク習得っていうのは僕にとっては
最終解決案というか最終解決地点にいたという感じが猛烈にあった それがもう2067年の出来事なんですよ
以降のライフハック系の話というのは面白くて大好きでやるんだけど アクセサリーであることに違いはなくて
正直別にドロップボックスがあろうとなかろうとエヴァノートがあろうとなかろうと大した問題じゃなくて
タスク習得があるライファーも最大級だったんですね 僕の中で99.9対0.01ぐらいなそういう比率で
頭の中ではあったわけです これがタスク習得だったんですね
なんでそこまでそうだったのかというと ライフハックというものは私がそういうふうに何か取り憑かれているある意味
ライフハックが出来てなかった時からGTDとかものに手を出しては無理やりライフハックをしていたのはですね
仕事中も
結局これが母親なんですよ こう言うとさも母親はライフハックお母さんで
コンピューターおばあちゃんって昔ちょっと話題になってたんですけどそういう人かと思われるかも しれませんけど全くそうではないですね
価値観の問題でしかないんですよ うちの母は今ダニラクラクスマホとかでしかもその設定を私にやらせて
はっきり言ってわけわかってないわけですよ ただ母は
ライフハックとお金があれば生きていけるというちょっとトラウマみたいなのがあってですね
母方の祖父がなかなか厳しいというかちょっと無茶な人でね とにかくそのライフハックとお金がないと人間は生きていけないんだという価値観を根底に抱いている人なんですね
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でもライフハックは全然わかっているわけじゃないんですね その母のその強い感覚を僕は
強いというか無意識の感覚を
完全に入って入れ込んで それによって私はライフハックであり
同時に恐れで困ったと なぜならそれらがきちんとしてないとやばいことになるっていう
恐怖観念のようなものがずっとありましたから でタスクシュートがその問題を解決したからもう私はタスクシュートと共に生きていくみたいな
一歩間違うとタスクシュートで生きているみたいな感じ あのほらアメリカでトレーラーハウスってあるじゃないですか
あれに近いんですよね タスクシュートの中でなら生きていけるぐらいな感じになってたわけですよ
だからタスクシュートの話ならいくらでもできるしタスクシュート一本で全然いけます みたいな話もポンポン出るわけですね
なぜなら私の感覚がそうだからなんですよ あの他のツールがないとやりにくいじゃないですかとかが興味がわからんですね実は
他のツールあってもなくても趣味で使ってる感覚から全く変わってないから今でもtik tik とか
スクラップボックスとか使ってるんですけど根本的にはそれらはなくても大丈夫だっていう 感覚がはっきりあるわけですよ
なくて困ることは何もないただ面白いから使う でもタスクシュートはなくて困るんで面白くて使ってるわけじゃないから
あの全然こう僕の中では温度が違うんですね本当にこう 何の比喩もできないですねえっとあえて言うならばライフハックというのは僕に
とっては 家の掃除をするツールでタスクシュートは家なんですよ
そういう差があるんですね でそれで推してきたわけですしかも仕事にもなんだし
さっきも言った通り仕事は全部タスクシュートでやってるわけじゃないんですけどね ドロップボックスとかそういう話をしないわけにはいかないんでね
えっとタスク管理とか gtd とかも私の中ではそんなに大きな存在ではないにしても ネタとしてはやっぱりそういうものも大事で
タスクシュートの話をしたいんだけどだいたいそうじゃない話をしなきゃなんだとなると これが仕事なんだなと思ってやってるみたいなところがあったわけです
ところが ここが限界に来るんですよ
これがまた話としてややこしいんですけど僕は多分そういうもんだと思うんですよね ミッドクライシスというのはですね中年の危機という
つまり一つ一つはそれでいいんですよ だから困っちゃうんだけど一つ一つの価値観としてそれはおかしくはないんですよ
ただそれをいつもいつもそれを蓄積していくと8やがて困ったことにぶちぶつかると それにぶつかったのが割と最近なんですよ
ね2018 17 18
あたり 多分それ前から入ってきていたと言えばはいまあ常に入ってきていったと言えば言えるんです
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けど多分2015かなくらいかなぁ 雲行きが非常に怪しくなってきたというのは
でなぜ雲行きが怪しくなるかというとそれは その価値観だけで押していっちゃうからですね
私で言えばそのつまり母方のライフハックとお金で生きられるんだという 1回1回はいいんですよ
例えばこういうことですよ時間は大切にしましょう これだけが何も問題ないじゃないですか別に
えっとお金があったほうがいいよこれもこれだけならなんてことはないわけですよ こういう非常に素朴でなんて言うんですかねえっときちんと
家計簿つけようねみたいな別にそれはそれでいいんですよ これで生きていくからいけなくなっていくんですよね
こうやってお金は大切に時間も大切に家計簿ちゃんとつけましょうみたいな私の場合は 時間本をつけてますからね
でえっと記録もきちんと残しましょうとここでずっとしていってぶち当たっているわけですね ぶち当たったわけですね
どうしようもないことになっていくんですね非常にこれが分かりにくいわけですよ 1回1回の判断としてはそれで別に問題ないことをやってるわけで
ただ問題にぶち当たるとしたら何をそこですし始めるかというと 一層それでやっていこうとするんですよ
より一層お金を大事にしより一層時間を大事にしより一層細かい家計簿をつければ なんとか乗り切れるだろうという気がしちゃう
それでやってきたわけだからやっぱりこう うまくいかなくなった時ほどそっちにすがりたくなるわけですよ
ここで完全に行き止まりをというかもうなんていうんですかね苦痛になったんですね その行き止まりの家計簿をつけることが苦痛になったんじゃないんですよ
明らかにこの方法でやっていっても えっと辛くなるばっかりだというこの事態に苦痛を覚えたんですね例えばまあ
時々話しますがジンマシン なんかやたら吹き出すみたいな
でこれ家計簿をいくらつけててもジンマシンは消えてくんないわけですよ だから家計簿がつけるのが辛くてジンマシンが出てるわけじゃないんで
これは家計簿をつけるのをここが怖い嫌だとなんとか辛いところなんですよ やめてもタスクシュートやめてもジンマシンは消えてくんないんですよ
これがミッドクライシスなんですね それらの前に
使ってきた 成功法則にのっとっても成功しないんだけどそれをやめだからといって
現状の苦悩は去ってくれない こうなってくると大変なんですよ結構ね
そしてなんか悪いことがやだらやってくるわけです これらが一つ一つはそのじゃあ一つ一つタスクシュートやってたせいなのかと
例えば妹がどっか蒸発してしまったんだけど妹の蒸発とタスクシュートはっきり言って何の関係もないわけですね
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だけれども私の生きてきた方針自体は関係がないとは言えないんですよ こういう形でやってくるんですね
直接的にはうちの母との戦いだったわけですけどね妹にとっては でも母は結局そのライフハックと
金銭って それを辛抱しているわけでもそれを人に主張するわけでもライフハックなんて知らないですからね
わけでもないんだけどそういう価値観が滲み出ているわけですね そして僕はうまくいってるじゃないですか
そこが母のその根底に一つある感覚であって これが妹には当然面白くないわけですよ
家族関係ってのはその辺がすごい難しいですよね距離が空いてれば そんなことはどうでもいいことになるんだけど
兄弟だからやっぱりどうしても妹からすると 私と仲が悪いわけじゃないからここまた難しいですけど
私の存在が気に食わないというわけじゃないんだけど 私がうまくいってるということははっきり言って気に食わないわけですけれども
じゃあ私が失敗すればいいのかというとそうもいかないですよね そうすることによって妹は何のメリットも受けないわけですから
これもさっきのジムマシンと似てるわけですよ ある方向性が気に入らないからといってそれをやめればうまくいくっていうわけでもない
つまり行っても戻ってもダメだっていうこの状態は厳しいわけですよね という話があちらこちらで噴出して私は日中もさっちもいかなくなった時期が
2017、8その辺なんですよね とにかく事態が悪化しかしないんですよこれが
私の観点ではね ここで私がまず目を向けたというかこれなんだろうなと思ったのが精神分析なんですね
なぜならこれは結局どう考えても母親との葛藤だから こういうとまた非常に誤解を招きそうなんですが
母とは喧嘩してたわけでも葛藤があったわけでもないんですよ でもこれは私の中の母性と女性の問題で私にとっても長らく続いてきた
極端に言えば高校卒業前 中学卒業もしかすると前からもう始まってたんですね
母性と女性という私の弱点というか もうなんかこう難病みたいなものなんですね
非常にこうだから母性でライフハックだったわけですから これはグッドバイブスの言葉を使っちゃいますけど簡単に話をしたいから
分離なんですね なぜ分離なのかというとライフハックで分離なんですよ
つまりこれは人の助け人の力を借りたくない いざとなった人を切ってでも生きていきたいっていうそういう感じなんですね
ちなみに私はの葛藤和夫さんが当時ちょうど非常に話題になった本 断る力を出した時強い違和感はあったんですね正直言って
ここで本の批判をしたわけではないんで申し訳ないんですけど話を簡単にしたいんですね
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私は仕事をなるべく断らないようにしてきたつもりなんです
私はその一方でタスクシュートというものをやってて
タスクシュートっていうのはですね その人の心の中の何か方向性を一つ示唆するところがあって
一つとてもアンビバレントなものがあるなっていうのがあったんですね この話すると長くなるんでダメだな
あのつまり非常に簡単に言ってしまうと仕事を切ったりすると時間が空くじゃないですか
でもこの考え方っておかしいなと思ったんですよ えっとそもそもこれは仕事をする何かをする
その時間のやりくりをするためのツールであって 仕事を切って時間をあげてもどうにもならないわけだから
どうにもならないというかそれが本末転倒なんでそんなこと言うならば何もしなければ時間は 空くわけじゃないですか
ということはタスクシュートいらなくなるわけじゃないですか えっとそういうことを考えさせるところのあるツールなんですよ
そういうこの攻め際を考えてみるとなるべく切らない方がいいよなっていうことを 暗示しているようなところがあるんですね
タスクシュートにはいろんな側面があるんだけど私はこう例えば先 タスクシュート自体がそういうことを教えるってことは絶対しないですよね
だから先のプランを立てておけば立てておくほどそのズレの収集が手間がかかるようになっていく
1日目と2日目では1倍と4倍ぐらい差があってだからなんかこう 逃避急須的なんですよ
もう5日後とか話にならないぐらいめちゃくちゃになっていく これが私のその見通しの甘さというものをよく示していて
見通しを無駄に立てると無駄でしかないっていうのを何となく暗示されている気がしてくるんですね
そういう中で やれ東北の震災が起きてみたり
コロナが起きてみたり いろんなことが起きてみると全然先が分かってないのに先が分かっている顔をして生きているみたいな話も出てくるわけですね
いずれにしてもそのライフハックでは生きていけないっていうのが2018年頃がいろんな出来事で紛失してきた問題で
その時私は母親ってものに行き当たるなと そして女性ってものに必ず行き当たるなっていうのが私の問題なんだなと
今度クロストークする橘さんが面白いこと書かれてたんですよ 非常に面白いブログだと思ったんですけれども
たまたま読んだんですけどね そのクロストークとはまた別に
女性と今 縁があんまりなくて潤いがない生活を送っているっていうことを書かれていて
自分は今まで常々女性に対して全てをやってあげるから代わりに冗長的に満足させてほしいっていうものを求めてきたと
これは私の解釈ですよ ブログ読んでいただければそういうブログ見つかると思います
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割と最近のノーセカンドライフっていうブログにあった記事です
食事を作ったり全部自分がやるから代わりに冗長的に自分を安定させてほしいっていうのが自分のアプローチだった
私その意味はすごいよくわかる気がする 私はあんまり他人さんほど徹底的にできない人間ですし
全部やるとかめんどくせえとか思うからそんなことはやってられんと思うんですけれども
彼なら全部やりそうだなって感じがするんですよ でも私はこの観点が私にとってはやっぱり私の弱点そのものだって思うんですよね
つまりこれが私の女性と母性の問題ってやつで 私も同じようなことを考えがちになる
これはつまり母親だって思うんですよ私は 環境としての母親にしてほしいことはニーズの提供ってこの番組ではよく言いますが
私がNである Nというのは何かというと甘えさせてほしいってことなんですよ
これはもうほぼ同じことを同意さんが言ってるからほぼ確実だと思うんですけど
Nっていうのは同意さんじゃないかな別の人ですね でもほぼ確実だと思うんですけど
とにかくNという究極形は何かというと甘えさせてほしいんですよ これNなんですよ
なぜならばNっていうのは不快であり満たされてない思いであり 本人が何だと自覚できないものであり
言語で提供するということができないんですよ
Nというのはつまり喉が渇いたのか寝たいのかわかんないって話をよくしますけど
このわかんないというのは非常に大事なんですよ 甘えさせてほしいんですって言ってしまったらもうわかんないじゃないですか
わかってない証拠なんですよ甘えさせてほしいっていう言い分は 甘えさせてほしいとは言えないんですよね
何かこう満たされないんだってこれが甘えなんですね 甘えさせてほしいんですってはっきり明示して
じゃあ甘えさせてあげましょう これじゃ全然甘えさせることにはならないんですよ
だから甘えさせてほしいというのが私たちの根底にあって その根底にあるのはどういうことかというと一人では生きられないっていう意味なんですよね
そんなことは日頃は認識できないほど私たちは人に寄っかかってるから だけれどもあまりにもその状態がなくなって誰も周りに本当にいなくなって
明らかに誰も助けてくれない時にこのNが自分の中にあるっていうことが 強烈に感じられる瞬間があるはずなんですね
そういう経験をもしかすると一生せずに生きていくことができる人もいると思うんですが 私はそれでも死の直前にはこれを必ず人を意識することがあるはずだと思います
私経験ないからわかりませんが 死ぬってことはそういうことですよね
ある意味では今生きている全ての人とのある意味縁が切れるって意味なんで その瞬間の孤独感ってのはあると思うんですよ
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それがつまり甘えだと思うんですね 私は田島さんがおっしゃってたのはそういう意味だと思うんです
だからすごくそこにはこうなんていうんですかね ドライなか渇望感があるなんて
私もあれとほぼ同じようなものをなぜか10代の後半から20代の後半まで 延々10年間近くあれに非常に苛まれてきたんですね
そこを私は表面的には割と田島さんと似て ライフハックでやり過ごそうとしてきた
私中途半端だからライフハックさんですね 料理もします家事もしますお金も稼ぎます何でもやりますってこと
私は全能的に能力が高い人間じゃないから 約束は守りますとか言われたことは忘れませんとかそのレベルしかできないわけですよ
それでもその点頑張りますみたいなそういうライフハックなんですね 母がそれで満足したんですよきっと
つまりこれは母性と女性の私の問題なんですね こういう問題にマッシュぐらいに取り組んでたのは間違いなく精神分析だってことは私は知っていたわけです
ドイさんの本も読んでたしかわいい早尾さんの本は多分もう200冊ぐらいは当時すでに 読んでたわけです違和感あると思いません私ライフハック系の出ないにせよこれまで書いた本
ユングもかわいい早尾さんも多分一言ぐらいしか一言入れてるか入れてないかぐらいだと 思いますね
フロイトは多分出してない徹底的に抑え込んできたわけですね 書きたかったんですよもちろんでも絶対に帰ってはいけないんだという
これ完全に水毛なんですけれども絶対これを書いたら自分のえっとなんて言うんですかね 執筆人生に悪影響を与えるって思ってたんですね
絶対私は行動科学と論理療法と認知行動療法しか書かないあるいは社会心理学 とにかくこうライフハック界の人たちが科学的って言ってくれそうなものしか絶対書いちゃ
ダメだと思ってたんですよ あえて書くことができるとしてもまぁちらっとお好み警護さんとかね
ダメだと思うんですよ ユングとか絶対書きたくなかったんですよ
見る人が見ればオカルトだって言いますからね間違いなく そして極めてよく知られているからなぜか日本では決して有名な人じゃないんですよそれほど
世界的に言うとね だから私はアドラーも触れないようにしてきたんです
アドラーも多分僕はアドラーを原文でも何冊か読んでるし 嫌われる勇気の元になっているような話もアメリカでですけどね
ほぼ読んだんですけれども アドラーはたとえどれほど売れても売れない場合のことを考えなきゃいけませんからね
100万売れちゃえばこっちのもんですよそりゃ だけれども私アドラーが100万売れるなんて全く想像もできませんでしたから
アドラーもまあウィリアム・ジェームズすら控えるようにはしてました そっちの方が好きだったんですけれども
なんかそっちに触れちゃいけないと思ってて とにかく抑え込んでたわけですよ
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家の中でこっそりとフロイトを読んで安心して 話をする時は必ずエリスの話をしたり
それこそスキナーですね スキナーとか
まあそういうことなんですよ ヴァン・リューラとかね
こっちの話をしとけば受けがいい そしてそれは確かに当たってたんですよ
例えば私が認知リソースとか言うと当たるんですよね あれをライフハックの初期の方の本でも書いたんですけれども
認知リソースとかダニエル・カーネマンとか かなり早い段階から書いといてMPとかね当たるんですよ
そういう意味では自分の感覚っておかしくはなかったんだろうなと思うんだけど 正直言ってやっぱりそういうことなんですよね
こういうことを繰り返しているうちに自分は病気になっていったというか 袋小路に追い詰められていくことになったわけです
まあどうしても長くなるんでね この続きを明日あたりに 明日できなくてもキンキンやりたいと思っています