2022-08-11 28:22

【651GMV】グッドバイブス実践中!

3年前に比べれば圧倒的にいまがラクです
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今日はですね、現在8月10日の23時10分、まあ夜中ですね。
これを言ってみているのは、ただ、倉田の圭三さんのポッドキャストの影響なんですけれども、
これをいつ撮ってるかというのは言うのっていいなと思って、ただ、いいなと思っただけなんで、
今後もずっと続くかどうかわからないんですけれども。
そして一番の問題はですね、今までずっと言ってこなかったのに、わざわざ言うようにしてみたら、
もうグッドモーニングと言っているのに、撮ってるのは夜中になっちゃっております。
これですね、こちらの収録方式にしてから、掃除ですごく評判が良くて、妙に反響をいただくんですね。
で、これは困ったなと。ずっとこの方式が続けられるかどうかは、大変疑わしいのに、
もはやここから動かすのは相当難しくなったというのが、今ここなんですね。
何か考えようとは思っていますが、考えるためには機材を買うとかは絶対必要なので、
それをどう捉えるかだなというのが今、もっかい悩んでいるところですね。
先の話なんで、しばらくは確実にこれでいけるので、しばらくこれでいける間は悩まなくてもいいんですけど。
で、私この番組なんとか言いましたが、ご存知の方もたくさんいらっしゃると思うんですけどね、
もともとグッドモーニング・バイブスでした。
グッドバイブスの間にモーニングを入れてみたらいいんじゃないかという、非常に安易な思いつきでですね、
始めてみて、気が付けば650回を超えて、途中からグッドバイブスの話以外の話もしないとネタが持たなくなるので、
どうしようかと思ってたところ、GMVを変えずにグッドモーニング・ボイスと言っちゃえばいいじゃんと。
こうすると、なんとなく朝の言葉みたいな感じがして、座りがいいと思ったわけですね。
というわけなんですけれども、前身はグッドバイブスベースなわけです。
私自身はグッドバイブスを実践するにあたり、あれは実践しなければ何の意味もないと思っているので、
とにかく実践するにあたって、うまくいかなかったり、考えたことなどをお伝えするという番組に特化していて、
正直ですね、自分がグッドバイブスというものを身につけるに至るまでの経緯を喋っていればいいだろうと思っていて、
03:05
そんなに早くはないだろうなと思ったんだけど、このままいくと永遠に続きそうだなと。
それはそれでどうなんだろうと思わなくもないんですよ。
始めた頃に比べれば圧倒的に違うんですけれども、そうは言ってもまだまだ全く…
例えば、すぐ怒っちゃったりしてますからね。内心では少なくとも。
そして怒るというのが後々から考えると、いかに意味のないことなのかというのは痛感するんだけど、
それも全く、昨日もお話しした精神分析のカウンセラーそのものになってしまっている、
つまり考える能力が剥奪された状態に叩き込まれているという状態は何ら変わらないなと思って、
それはそれで残念なわけですね。残念ということもないんですけれどもね。
結局イリュージョンを見ている。後から思えばなんですけど、
例えばどんなひどい目にあっても、あれは夢だったということで夢落ちで落とせるじゃないですか。
その時に夢の中で見た奴がこんなにひどいことを言ったとか、そんなこと考えないじゃないですか。
それと全く同じなんだけれども、そうは思えないんですよね。
現実だと何か自分が現実にひどい目にあっているものは夢と等価にはできないという、
でも夢以外の何者でもない心理状態に入って、だいたい夢を見ている時はこれは現実だと思っているわけだから、
今の言い方はナンセンスな感じがするんですけれども、なんか現実に損をしてはいけないと思うんですよね。
だって夢で1億円を失うのと現実で200円を失うんだったら、現実で200円を失う方が悔しがるべきだって僕らは思っていますけど、
心理的ダメージはそうじゃないんじゃないかって思いますね。夢の中で1億円を失う方が痛いんじゃないかと。
でも私たちは特に現実主義的な人ほどですね、お金を失うとかいうことに厳しさを感じますから、
夢で何億円を失おうとなんてことはないんですよね。でも現実で200円を失うのはすごい大問題なわけですよ。
だけど多分死の直前になって所持金が500円以上あればですね、もう200円を失ったことはどうでもいいという話だと僕は思うんですよね。
あの世でもお金を使うって話は別ですけど、それはオカルトですからね、完全に。
何が言いたいかというとですね、グッドワイブスはざっくり言ってしまうとですね、
ひどい目にあったやつは全部イリュージョンでいいんですよ。本当にあれだっていうのはあると思うんだけれども、
私のごとき人生ではですね、腹の番状じゃないですからね、私の人生って。
06:01
これはイリュージョンとして除外はできないなっていうのは、本当に50年近く生きていて、
5件あるかないかですね、1つに死にかけたっていうのがあるんですけどね、
あれはちょっとイリュージョンとしては片付けがたいかなとは思ってます。
でも死にかけたのは死んだのと違いますから、あれも片付けてもいいんですけどね。
何かツイッターで同じ文脈じゃなかったかもしれないけど、
それはイリュージョンだというのは何も言ってないのと同じだっていう、
これはグッドワイブスに対する指摘ではなかったと思うんですけどね、
そういうのを読んだことがあるんですけど、そうかなって思いますね。
それはイリュージョンだというのが確信できれば、何も言ってないのとは違う感じがするんですよね。
夢というものをもっと重視してるって言うなら話は別なんですけれども、
夢で人を殺してしまったという夢を見て、僕はそれ何度かあってですね、
警察に追われていて、いやもう本当に大変だなって感じだったんですけど、
夢で良かったって思うんですよ。これなんですよね。
こう思うってことは、それは思い込みに過ぎなかったんですよね。
それが本当にイリュージョンだっていうのが確信できれば、
こう思うってことは、それは思い込みに過ぎなかったというのはですね、
排除していい考えだと思うんですよね。
その思い込みというものに重きを置く必要はないと思うんですよ。
ということは思い込みに過ぎないやつは全部覚えておく必要はないと思うんですよ。
この考え方って、私何度か言った通り、
これは夢じゃないか問題っていうのは、
それはつまり哲学的な話になっちゃうんですけど、
しょっちゅうだったんですよね。本当にしょっちゅうだったんですよ。
マトリックスな悩みなわけですね。
あれをなぜ現実の人生に生かそうという気に全くなってなかったのかが不思議だなと思っています。
ネットワイブスをどうしてそんなに実践して、
どうしてこの番組を600回以上も続けたくなったかというと、
一番やっぱり大きいのはですね、
これをやるようになってから仕事が圧倒的に楽になったし、
基本的には仕事上いいことしか起きないなという実感があるからなのです。
だからまだまだ不器用ではありますが、
タスクシュート語っている時の方がよっぽど自分はこなれているなと思うんですけど、
それはしょうがないんですね。
タスクシュートはなんだかんだ15年やってますからね。
グッドバイブスは倉園圭祖さんの本を読んで以来、最長長く見積もって3年ですから、
これでは差がつきますわね。
真剣度はあまり変わらずやっているつもりなんですけど、
いいことしか起きないというのは、
警戒するということをまずやめるように、
少なくともやめるようにしようと思っているわけですね。
09:03
これがいいことしか起きない、
僕の場合は多分直結している一番の感じがします。
要因として一番リラックスというか、
上手くいっている傾向に直結している。
上手くいっているというのが明示的かつ定量的なものがなくて、
トータルで見ると上手くいっているとか、
気がつくと腰痛がずいぶん柔らかくなったみたいな感じなので、
上手く説明するのがタスクシュートと違ってまた難しい部分があるわけです。
タスクシュートはタスクシュートで、
僕に言わせると難しい部分があるんですけどね。
上手く伝えるのは。
だからあれ、やれやれ私言うんですよ。
やっていればわかるようになるよという感じがあって、
わかってからやりましょうというのは、
グッドワイブスもそうなんだけどダメなんですよね。
これはやってわかるしかない事柄がとても多い、
大体のことってそうかもしれませんけどね。
先日本当に最新の倉園さんのコッドキャストで、
あくまでもこの発想は手段であって、
目的はクリエイティブであること、
あるいは想像性を発揮すること、
倉園さんは歌う、音楽やってるからという話があったんですが、
私は外して意外とそうじゃない、
意外でもなんでもないですけどそうじゃないんですよね。
タスクシュートもそうなんですけど、
これは手段であって目的ではないと言われるんですが、
私はそういうふうにはやらないんですよね。
タスクシュートを一旦目的化しちゃうんですよ。
そうすることで、
それにどっぷりはまり込めるというところがあって、
何かを判断するにあたって、
自分がオリジナルじゃないものについて、
例えば、確かにタスクシュートは手段であって、
時間の使い方を重要に考えたり、
タスクシュートは手段であって、
時間の使い方を上手にすることで、
本が書けるようになったんじゃないとダメだというのはわかるんですが、
それだと逆に言うと、
本が書けるようになりさえすれば、
何が原因だったかわからなくてもいいという考え方でもあると思うんですよ。
そうすると、結局タスクシュートを使い始めるといったって、
他の要素も全部動くわけだから、
なんで本がうまく書けるようになったのかわからないじゃないですか。
だから私はこういうものを自分の中で測定するときは、
必ず他の要因を一切排除して考えるっていう癖があるんですね。
これは皆さんに、誰かにお勧めするわけじゃないんですけど、
私はいつもそういう考え方をとる傾向があるんですよ。
やっぱりこれはですね、
幼い頃から宗教の家などに生まれるとそういうことが起こるんだろうな、
宗教って結局手段なんだか目的なんだかがわかりにくいものなんですよね。
宗教自体は何か人を幸せにする手段だという捉え方を、
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この観点をとる場合はですよ、
手段、目的、分析っていう、
それは人の思考の論理の考え方の一つだとされている心理学ではね、
そういう考え方をとるんですけど、
私はそれを両方同じにしちゃうんですね。
そうしないと結局それがうまくいかない。
結局それがうまくいくということによって説明しようとすると、
なぜなのかがよくわからなくなってくるケースが自分の感じでは多かったので、
基本的にはGood Vibesもそうなんですよ。
手段であって同時に目的でもあるような形で僕はやるんですね。
そうでなくても多分私はクリエイティブであるということに、
なんか知らないですけどですね、
昔からあまり興味を持っていないところがあるんですね。
これは、
それはいけないのかもしれないんだけど、
昔J松崎さんが同じような議論をされていました。
タスクシュートは手段であって目的はクリエイトすることだっていう、
そういうふうにさらっと言える人って羨ましいなという、
パチッと決まりますからね。
タスクシュートが目的ですっていうのは、
非常にツッコミどころが多いわけですよ。
自分としてもこの言い方は少なくともビジネス紹介でもダメだし、
世間受けも良くはないと。
ライフハックなんて所詮手段ですっていう方が
よっぽど形として座りはいいんだけれども、
どうしても自分はそうはならないんだなっていうのがあります。
だから私にとってはクリエイティブであることって
かなりどうでもいいことになってしまうんで、
でも昔からそうなんですよね。
クラノンさんの説明の中でこれ面白いなと
同じようなことを言っている哲学者がいたなと思ったんですけど、
例えば掃除をすれば綺麗な部屋を創造したと、
そういう言い方も面白いなと思うんですよ。
人が活動すれば何でもクリエイトできると、
面白い言い方だなと思うんだけど、
私は決してそういうふうな実感を全く感じないですね。
何でなのか分からないんですよ、自分の中でも。
一つはそうあってほしいとあまり思ってないからなんだろうな
っていう感じがします。
僕、これで即座に思い出すのが水泳なんですね。
この言い方をとれば、泳ぐというのは
自分の泳ぎを創造していると言えるんですよね。
クリエイトしていると。
確かにそういう感じすら泳いでいるときにはするんだけど、
実は私は全くそうでありたいとは思わないんですよね。
なぜなのかは分からないんですよ。
泳ぐのって私、大変難点ですかね。
非常に難しいですね。
僕、泳ぎってアンビバレントすぎて説明ができないんですよ。
15:00
何しろ、スイミングスクールの名前を出すのはやめておこう。
子供の頃に通ってたんですよ。
そこがひどいところで。
なんでなんだろうな。
泳ぎというものはスパルタとセットになりやすいですね。
一つにはスパルタで早く上手くなるからなんですよ。
泳ぎって一番って言われてます。
戦前の日本が一番強くなったのが水泳で、
島国だってことも関係あると思うんですけど、
根性論が一番通りやすいらしいんですよね。
私もまさにその根性論だけでやっているようなスクールで
行ってたもんですから、
そりゃ上手くなるわけですよ。
だけれども、楽しかったという思いではついぞないんですね。
全くないんですよ。
ただ、あそこであんまりしごかれたもんだから、
泳ぐってことに関してはですね、
今、物を描くのは近い感覚なんですけど、
それこそ呼吸をするように、
呼吸をするようにっておかしいんですけどね。
水中呼吸できないから。
だけど、息をするように泳げるんですよ。
なんて言うんですかね。
この話したことあるかもしれませんけど、
ただ私これ、何かの自慢話みたいに聞こえるかもしれないんですけど、
全然そうじゃないですよ。
かなり苦々しい気持ちで今喋ってるんですね。
ここまでになる理由、
どこにもなかったなと本当に嫌な思いしたんですよね。
吐くまで泳がせるってやり方するんですよ。
そこは。
今はしてないと思いますけどね。
吐くまで泳がされるんですよ。
吐くまで泳がされるんですよ。
本当に。
水とか入っちゃうんですよね。
子供がですからね。
だから息をするように泳ぐってことが、
どういうことかが自分はある程度分かるんですよね。
なんていうのかな。
水中を歩いているように泳ぐことができる。
目をつぶっててもまっすぐ泳げるし、
もうものすごく疲れていても泳げるんですよ。
全然いいことじゃないんですよ。
はっきり言って本当に。
しかも私は運動をするタイプの人間だとは自分は思ってないんでね。
だからここまでやらされたのは何だったんだって感じが抜けなくてどうしてもね。
抜けなくて、
どうしてもこれほどできるようになった得意なことが好きじゃないってのがありますね。
どうでもいいんですけど今は泳がないですからね。
泳ぐのって僕にとってはものすごい簡単なことなんで、
いつでもどこまででも泳げますけれども、
泳ぎたいと思うことはないんですよね。
ここはちょっと残念なところなんですよ。
一つですね、
どうでもいい話ですね。
一つ泳げないっていう方にごく簡単なアドバイスをすると、
完全に人は脱力したら必ず泳げます。
全く力を入れなきゃいいんですよね、泳ぐというのは。
不力で浮くんで人の体なんてものは。
でもこれ言われてもできるようにならないんですよね。
履くまで泳げばできるようになるんです、誰でもね。
18:03
クリエイティブかって言われるとね、分かんないんですよね。
泳ぎというのは私の中ではワカメが海の中でフニャフニャしてるじゃないですか、
波と全く一体化してるような感じがするんです。
私の中に意識的に何かを成してるって感じが全くしないんですよね、泳ぐってことは。
本当に息をするっていうのと変わらない。
ただそれが嬉しくはない。
早いとは思うんだけど、ある程度は競争したいとも全く思わない。
競争ってすごい、これも変な話なんですけどね、やたら競争させられたんだけど、
そこまで行くと水泳で競争するってすごい無駄な動きが多いんですよ。
あれも理にかなった動きをすればいいんでしょうけど、
私スキルではそこまで伸びていかなかったんで、
明らかに無駄なことをやるんだなって感じがするんですよ。
ただ泳いでれば、いつまででも泳いでられるのに、
例えば50mを何秒以内とかを目指しちゃうと、
どうしてもいつまでも泳いでられない泳ぎ方をしなきゃなんなくて、
それがすごく自己矛盾を感じる感じがしました。
平泳ぎが一番理に自分の中ではかなった泳ぎができるんですけどね。
クロールだとどっちかで息継ぎするじゃないですか、
あれもめちゃくちゃ訓練されて、
左右どっちでも完全に同じ形になるまで泳がされるみたいな。
どうしても僕はやっぱり左はダメでしたけどね。
右ほど上手くはやっぱりできない。
ヨタ話に近い話になってしまった。
なぜ今これをしているかというとですね、
水泳はこういうやり方を子供にするのがいいことだとは全く思わないんですけれども、
本当に恐怖教育そのものでしたから。
とはいえ、これ変なものです。
グッドワイブスで結局身につけているのの一つが脱力だと思うんですね。
脱力というのは別に力を抜くんだけど、
それは入れていた余計な力を入れなくするという意味であって、
ふにゃふにゃになるんですけど、
必ずしもふにゃふにゃを目指しているわけじゃないんですね。
水泳って本当そうで、脱力がきれいにできれば、
つまり何もしなければ浮くんだけど、
だから自在に泳げるんですけど、
あの感じを目指すんだなっていうのが、
全然グッドワイブスじゃない水泳で私が身につけていたことだったんですよ。
これをいつでもどこでもやればよくて、
特に仕事でそれをやればよくて、
クレームでなくてもちょっと行き違いが仕事上で起きると、
やっぱり力が入っているんですよね。
体のどこかに。
21:01
主に肩。肩の力を抜けているのは本当に正しいアドバイスで、
そのままでも一層思い出せさえすれば、
問題は半分は片付くなって、
問題は半分は片付くなって感じがします。
思いつかないんですけどね。
なぜかカチューにいるとき、何のカチューだか。
緊張感のカチューですね。
力を抜けばいいんですよ。
これがグッドワイブスでクラウドさんに私が、
結局何度も、何度も言われたわけじゃないんですけどね、
何度も教えてもらったこと。
つまりそれなんですね。
それによって何を失うかとか、
それによってどんな損失を被るかとか、
何が怖いのかとか、
行き着くところは全部同じで、
怖くなければ、損をしたと思わなければ脱力できるんですよ。
泳ぎの場合は非常に簡単なんですよ。
みんなが何で力を入れるかというと、
沈むという恐怖感があるからで、
沈む恐怖感があるから力を入れちゃうんですよね。
私このことは娘に絶対そうだろうなと運動得意じゃないですからね。
だから繰り返し繰り返し同じことだけ言ってたんですよ。
怖いと思わなければ泳げるようになるからと。
それができないんですけどね。
でも多少はなったんですよ。
やっぱり泳げるように。
割と早い段階で。
力を抜きさえすれば済むんでね。
別に足をバタバタするとか、
手を掻くとか一切必要ないっていうことが分かれば、
泳ぐのは簡単なんですよね。
自転車って割とそういうところはあるじゃないですか。
それとそっくりですね。
体のことはこれでいいんだけど、
心のことも実はこれでいいんですよね。
仕事のこともこれでいいし。
だから今非常に仕事するのが楽なんですよ。
つまり同じなんですね。
警戒するということは、
ひどい目に合わないようにする上で役に立つと思うんだけど、
逆に裏目に出てしまうと。
水泳でも沈まないように努力するというのは、
沈まないために役に立つようなんですけれども、
それが裏目に出るんですよ。
水泳に関しては私はもうそれは、
100%自明だなというのは知ってるんでね。
沈めないじゃないですか。
海では特にそうなんだけれども、
逆にじゃあ沈んでご覧なさいって言うと、
話早いんですよね。
まあ沈めないですよね。
特に海中なんかでは浮力強いから。
で、沈めないということはつまり浮くってことじゃないですか。
沈もうという努力をしても失敗するんでね。
これが分かっちゃえば海で浮くなんてホント楽で、
寝っ転がっていれば絶対浮くんですよね。
余計なことを一切しなければ。
あれはダメですよ。
ただ、浮くときは、
いわゆる沖に持っていかれるやつ。
そういう海では逆流が起こっている場面があるので、
24:01
泳げさえすればいいってものではないんですけれどもね。
だから海ってのは泳げる人にとってほど、
実は危ないところがあるんですよね。
なんか今日は泳ぎの話から抜け出てませんね。
私に死にかけたのは海でなんですよ。
泳げるからなんですね。
泳げるとですね、どうしてもあれに持っていかれるってことを
忘れたときが危ないんですよ。
自分が泳げるときに、
結構簡単に沖に出ちゃうんで。
泳げるから。
足が立つ立たないとかはどうでもよいことなんで。
どうせ、そこを歩くなんてことはできませんからね。
伸びたくんじゃないんで。
えっと、これが私がですね、
グッドワイブスをずっと、
660回全部じゃないですけれども、
喋ってきた最大の要因ですね。
気がつけば沈みかけて、
どうしてかというと、バタバタするからなんですよね。
なんだけれども、そこまで分かっててもしちゃうわけですよ。
それはやっぱり、泳げない人にしてみれば、
力抜けと言われてもできるもんではない。
怖いからですね。
同じじゃないですか。
結局、なんかちょっとした小さなトラブルが
仕事上の、
本出したら本出したで、
引税のことがあればあったで、
よく言われて、
本出したら本出したで、
引税のことがあればあったで、
よくよく月末ですって言われると、
よくよく月末って何月何日なんだと、
つい考えてしまうのは、
本出したばっかりだから、こういうこと言うんですけどね。
怖いからなんですよ。
それが9月末なのか10月末なのかは、
結構重大な問題だっていう話ですよね。
これが重大な問題じゃないぐらいには、
普通に収益を稼いでおけって話もあるんですけれども、
でも、その発想それ自体がすでにやっぱり、
沈む恐れなんですよ。
沈む恐れを抱かなければ、
たぶん沈まないんですよね。
これが泳ぎだと、
あんなに簡単にわかるのは、
これが肉体と物質の話だからであって、
そういうものが見えてこない、
はっきり見えない、
ただ生きるって話になってくると、
なんだか画然難しく感じるんだけど、
でもトータルで考えてみるとですね、
3年も経って、
このセリフも何度も言ってる気がしますが、
運命の差があります。
たった、
基本怖くないんだと、
怖いときは全部イリュージョンなんだと、
基本的に、
いざってときに僕が思い出せるのは、
まだこの2項目ぐらいなもんですから、
存在外であるとか、
一つ意識というのは、
もう少し僕が考える余力が出てきたときに、
初めて意識できることであって、
それが、
全く考えられなくなってくると、
できるのはせいぜい、
これはイリュージョンのはずだと、
そして、
力を抜けば、
沈まずに済むはずだっていう、
ただそれだけになっちゃう。
最近はそこまで、
沈み込んでいくことは、
だいぶ減ってはきましたけれども、
でも、
27:00
そのやっぱりだいぶ減るっていうだけでも、
楽なんですよ。
だから、
楽なんですよ。
これができてさえしまえば、
本当にタスクシュートを、
朝から晩まで守るなどというのは、
変な言い方ですけれども、
全部朝飯前なんですよ。
本当に。
今までもできてたことだからってことも、
僕の場合はあるんだろうけど、
多分、
あのようなものはですね、
書いてあることをやればいい。
しかも、
基本やることが書いてあるわけですからね。
その時間を計って、
どこに行けばいいっていうので、
何にも緊張せずにやるんだったら、
実に楽なことなんです。
ただ私は、
前ほど急がなくなったんで、
前に組んでいる通りのものを引き継いでますから、
全部やるのは、
結構時間内には困難になってきてます。
これも今頃撮ってますからね。
毎日が試行錯誤なので、
こういうものを導入してやれば、
特にそうなります。
毎日が試行錯誤なんで、
時間もこんな時間に
ずれ込んできたりもしますから。
でも、
非常に楽になったことは間違いないです。
緊張感というものが、
楽になったとは言いませんけれども、
くぶくりに減りましたね。
28:22

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