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2021-07-06 25:31

【GMV 411】言葉で伝わらないコミュニケーション

体験させられるということ
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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
土曜日の10日ですね、グッドバイブス勉強会というのをオンラインでやります。
これオンラインですからね、リアルじゃないんで、どこでやりますかっていうのは、Zoomでってことになります。
だから直前までお申し込みいただけるばかりでなく、お家でも聞ける。
実はですね、本当にこういう形式って、それがいいっていう方もいらっしゃるんだろうけど、どうなんだろうみたいに思うこともあったんですけど、
つい最近ですね、精神分析のセミナーというのを動画で見たんですよ。
それで、これはいいやと思いました。
ちょうどその日にはいけなかったし、あと娘の塾の創芸等々があったりしていけなかったし、
行くとなるとすごいなんか大変だなっていうのがやっぱり、ここから東京の北部まで出るってかなりの決断を要するんで、
これはいいわって思ったんで、そういう意味でも逆にですね、重いテーマを抱えている時ほどむしろいいかなって最近思うんですよね。
実は重いテーマを抱えているのに、自宅から一歩も出ないで問題を解決しちゃうということ自体がいいことなんだろうかっていうのはなくはないんですけど、
でも、とっかかりとしてはいいと思うんで、そういう意味でも3時からですね、やってますんで、よろしければチェックしてみてください。
一応繋がりがあるシリーズものなんだけれども、1回1回で完結もしているのと、過去の部分も動画で、これもですね、動画ってどうなんだろうと思ったんですけど、
今回は自分で動画を見てみて、やっぱり動画いいなと、つまりその時間いけませんでしたからね、私はやっぱり。
そういう意味でもいろいろいいなと思いましたんで、悪いもんじゃないよなっていうふうに強く思いました。
自分で買ってみてですね、そんなに安いもんじゃなかったんですけどね。
そういう意味ではGood Vibes勉強会はそんなに高いもんじゃないなと、自分が言うのはあれですが思い直したりもしました。
土曜と言えばですね、私は昔、ヨハシイツオさんという人とタスクカフェというのを毎月毎月やってたんですね。
毎月毎月100回もやるぞみたいな世界で、実際100回行ったんですけれども、思えば彼とじゃなきゃ100回はありえないよなと今思うと思うんですよね。
8年以上ですから、同じ看板で続けるのは結構厳しいものがあります。
Good Morning Biosってまだ1年ですからね、8年とかになるとそういうネタはどこから出てくるんだろうって思っちゃうじゃないですか。
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まして人がリアルにいらっしゃっていて、そこでいろいろやると。
ただ今から思うと最初は何らレクチャーがない会みたいなのから始まったんですよ。
あれはやっぱり、大橋さんとじゃなきゃ成立しなかったろうな、当時はっていう気がします。
週次レビューをする会とかいって、でも結構いらっしゃったんですよね。20名以上はいらっしゃった気がします。
週次レビューをする会って、それで朝の土曜に東京に集まるものなんだろうかみたいな。
しかも最初の頃どういうわけか、やだらと雨にぶつかるという。いくたびいくたび雨降ってるんですよね。
これでよく続いていたなみたいなのがいろいろあったんですけど、結構続いてたんですよ。
その時のことを思い出したんですけど、当時タスクシュートというやつで、今も昔もやってましたけれども、
1分以上後の行動は全部、少なくとも開始終了についてはその都度記録しましょう。
その都度大事なんですけどね。時間を覚えておいて後で記録するというのは、私は効果が半減とまでは言わないけど、
0.75ぐらいになっちゃう気はするんです。4分の1減ぐらいする感じがするんですよ。
これはいい加減な数字ですけどね。タスクカフェでタスクシュートというものについて質問を受けるわけですけど、
今の一番ホットな質問は、記録を取り忘れますという。これ大事なことなんですよ。
記録を取り忘れるというのは大事なことなんですけど、今日はその話じゃなくてですね。
当時のホットだった、僕の記憶している限り最ホット質問はですね。
すごい変な日本語だな。日本語になってないですけど、割り込みなんですよ。割り込みをどうするんだという話なんです。
タスクシュートに考えてみるとですね、割り込みをどうするんだって質問を持ち込むというのは、ちょっとある意味微妙なところもあるわけですね。
だって割り込みとタスクシュートは直接関係ないじゃないですか。割り込みが起こるというのは、それは職場とかお家で起こるわけですけど、
タスクシュートというのはタスク管理の基本的な時間記録をつけていくみたいなものですから、それいくらつけたからって割り込みが減ったり増えたりするわけがないですよね。
だから実はこれタスクシュートに関する質問でも何でもないと思うんですが、でも当時最大の質問はこれだったんですよ。
で、私はそれについてお答えしているうちに、ある面白い言語自体に一度だけぶつかったことがあって、
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割り込みが本当にひどいんですとおっしゃるんですよ。で、割り込みがひどいのは大変ですよねって他に言うことがないから言うじゃないですか。
で、全くそうなんで分かってくれてありがたいですみたいな感じで、なんか不思議な納得感の中で話が終わるんですけど、またやってきて、ちょっと佐々木さん割り込みがねえっていう話なんですよ。
これは当時はわからなかったんですよ。正直。これは何だったのかっていうのが、それなりに一生懸命頑張っていろいろお答えしてたんですよ。
割り込みの記録をつぶさにつけましょうと大変かもしれないけれども、もしかすると一日100回もつけるかもしれないけど、それなりに意味はあるんです。
それは今でもそう思ってるんですけど、でも実際には100回割り込みやって100回記録つけるのはしんどいよなっていう感じの話に落ち着くんですよね。
で、また帰っていくじゃないですか。で、またいらっしゃるんですよ。でね、上司も割り込むし、部下もやってくるしと。
で、そういうことを数度繰り返しているうちに、いかげん私も嫌になってきて、タスクカフェは当時レクチャーのない会だったんで、質問ウェルカムだったんで。
最初は質問を受けると嬉しいんだけど、だんだん同じ方に同じような質問を受ける感じになってるんで。
同じじゃないんですけど、ほぼ同じ質問を受ける感じなんで、いいかげん仕事だしみたいな感じになるわけですよね。
で、それがずっと続いたんですよね。3時間に近い状態でずっとそのやりとりみたいな感じになってますよ。
で、思うんですけどね、これを東映同一誌って言うんですよ。たぶん。
生ぬるいって精神分析している方には言われるかもしれないですけど、私のような職業で経験するレベルはこういう感じになると思うんです。
つまり、割り込みとはいかにきついものなのかを私が身をもって思い知らされているわけですよ、これ。
言葉では伝わらないんですよね、結局。割り込みは大変ですよね、そうですよねっていう、このやりとりでは伝わってないっていうことが、伝わってないですよね、結局ね。
相手の人が言わずとしていることは、これそれじゃ十分じゃないんだってことなんですよ。
で、お前割り込まれてみろと。で、現に割り込まれて見てるわけですよね、タスクカフェの間中。
なんかちょっと自分の作業するとすぐやってくる。なんかちょっとやるとすぐやってくる。これなんだよっていうことなんだと思うんですよ。
これを投影同一指定というふうに、カウンセリングの場で、というか精神分析の場でしょうね、起こるんでしょう、これのもっと深刻なやつが。きっと起こるんだと思うんですよ。
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最初は言葉で伝えようとしますよね、自分の聞いてほしいこと、知ってほしいこと、解決してほしいこと。
しかし、言葉で伝わるという時点ですでに、解決もできなければ知ってもらうことすらできないんですよ。
私は分かってなかったわけじゃないですか。割り込みは大変なんだ、まあそうだろうなとは思っても、まあ他人事ですよね。
これを無理やり自分ごとにさせられちゃうわけですよね。割り込まれて、割り込まれて、割り込まれてみると、割り込みというものはそんなもんじゃないんだよということを思い知らされるわけですよね。
思い知るまでは許してくれないわけですよね。これがつまり相談されているわけです。
で、なるほどなと今思うと思うわけですよ。今思うと。
当時はなんとなくなるほどなと思うことがあったんですけれども、何がそこで行われていたのかを十分把握できなかったんですね。
ところが、ここが一番ポイントだと思うんですが、十分把握できるはずは絶対ないんですよ。そこが一番大事なんですね。
十分把握できないということがお伝えされていたわけです。
つまり言葉では伝わらないということは、言葉に直らないような体験を伝えられているわけじゃないですか。
よく言いますよね。この漢字をうまく表現できないとかって言うじゃないですか。
以前ちょっと前の番組で東英ドイツ誌の話でロッテの応援みたいな話僕しましたが、
ロッテの応援なんか全然東英ドイツ誌になってないと言われるかもしれませんが、そんなことはないんですよ。
やっぱり伝わらないんですよ、言葉じゃ。
負けた時のあの残念な感じ、私が抱いているあの残念な感じと、入賞した時のあのなんかですね、
一日中泣いていても泣きたりないぐらいなんです。そんなことはしてないですが、でもその気持ちになるんですよ。
30年に1回ぐらいしか入賞しないチームですからね。
言葉じゃ絶対伝わらないものがあるんですよね、そこには。
そういうのってもう言葉じゃないもので、もし人に伝えようとしたらですね、言葉じゃないもので伝えるしかないんですよね。
それを伝えるために東英ドイツ誌っていうことが起こるんだと思うんですよ。
私は親に虐待されていたんですと、親はこんなこんなこんなことをするんですと、
いくら言葉で言っても相手はわかってくれてないだろうなって感じが残っちゃいますよね。
そしたらですね、そういうことも起こると思うんですけど、虐待しちゃうんですよ。
虐待されるってのはどんなことなのかを、あんたはこうやって知るんだよっていうことになると思うんですよ。
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それが臨床の場とかに入ってくるんだと思うんですね。
例えば無視されるとか、あるいは虐待までいかないにしてもですね、無視されるとか、
不安になるとはどういうことか、そういうようなことなんだと思うんです。
私は精神分析家じゃないんで、臨床の場でそういうのを経験するってことはさすがにもちろんありませんが、
夫婦間では起こるんですよね。
夫婦間ではやっぱり、うちの奥さんちょっと心配そうなところがあって、
いやもう心配でねって言うわけですよ。うちの子今出てきましたけど、心配なんだよねって。
あの、土砂崩れるかもしれないじゃない。いや土砂崩れるようなところ歩かないでしょって言っても、
これは言葉では伝わらないんですよね。そうすると何が起こるかと。
私も心配をさせられるようになっていくんですね。
私も不安にさせられるわけですよ。だんだんだんだん。
うまく説明できないんですよね。言葉で説明するのが非常に難しいんです。
体験させられるっていうのはそういうことなんだけど、
例えば、そうですね。どういうのがいいんだろうな。
例えば内職の仕事みたいなのがあるとするじゃないですか。
こう書いたんだけどこれでいいと思うとかって言われるわけじゃないですか。
これ心配だからですよね。で、いいと思う。本当にいいと思うとかって言うわけですよ。
そして、あなたがいいと言ったから、
出すんだからね。これでもしクレームが来たらどうしてくれるか。
喧嘩みたいになってくるじゃないですか。
でも一生懸命こっちも我慢しますよね。このやり取りのまま行くと、
言い争いになるから。で、だんだんだんだん押し込まれてくるわけですよ。
だんだんだんだん二重拘束見えたところに陥ってくるわけですね。
いや、二重拘束見えたところに陥ってくるわけですよ。
二重拘束見えたところに陥ってくるわけですね。
いや、いいと思うんだけど、何が起こっているか。
ここでいいと言えば、もう出してしまってクレームメールが来たら、
劣化のごとく怒られるみたいな。
で、そうすると分かった。じゃあちょっとコメント読むからって読むじゃないですか。
ほら、さっき言ったのいいって言ってたけど適当に言ったでしょみたいなこと言われるじゃないですか。
でも我慢して読むじゃないですか。いいと思うよって言うと本当にいいのね。やるじゃないですか。
僕不安になりますよね。諦める。これが僕は東映同一誌なんだと思うんです。
で、東映同一誌っていう表現自体はメラニック・ラインっていう人の発明というか発案だと思うんですけどね。
彼女の表現がまたフロイト派なんで、震っていてですね。
糞便をぶち込むみたいな表現で撮るわけですよ。
肛門サディズムの時期に糞便をぶち込まれると相手は汚染されるみたいなそういう性格じゃないですけどね。
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そういう表現でみんなそういうのを読むと大概の人はなんじゃこりゃって思うじゃないですか。
何のとんでも科学だみたいに思うんですけど、
あの感じって実は性改革だなって思うんですよね。
だって幼児ですからね。やっぱりそのぶち込んでるのは。
それは要するになんて言うんですかね。ファンタジーですよね。
そういう自分の汚いものをあいつにぶち込んでやれ。
あいつはおっぱいちゃんとくれないからとか無視しやがるからぶち込んでやれという空想をすると。
で、ぶち込まれちゃうんですよね。
例えば不安というネガティブなものをこいつにぶち込んで。
こいつにぶち込んで。思ってないですよそんなことはね。
思ってないけれどもそういう事態が起こってしまう。
その時に、ここはグッドワイブスみたいな話ですけど、恐れと不安を抱くじゃないですか。
抱かないでいられれば、いられればこれをフロイト派なのかな。
精神分析で時々心のスペースを確保するって言い方するんだけど。
そうなんですよ。心のスペースを確保していれば対応できるんですよね。
恐れと不安を抱かずに大丈夫だからって言えばいいんだけど。
こう押し込まれてくるんですよ。どんどんどんどん。
で、ついに心とスペースが無くなっちゃうんですね。私の側にも。
これが狙われているんですよ。
ここを目指されていると言うべきなのかな。
ついに心のスペースが無くなりました。どうだっていうことなんですよ。
私はいつもそういう気持ちでいるんだぞってことなんですよ。
ここに至るまでは許してくれないわけですよね。
心のスペース開けてるといやいや大丈夫だからって言っちゃうじゃないですか。
依然として大丈夫だという感じで返しちゃいますよね。
でも突き詰めて心のスペースを全く開けられない状態になると不安でいっぱいになりますよね。
恐れと不安でいっぱいになる。
そうするとおかしな行動を僕もとらざるを得なくなりますよね。
ここが目指されているところなんですよ。相手にしてみれば。
これが私の気持ちだぞっていうかそれが私の気持ちなんだぞっていう風に言われているわけですよね。
この段階に至ると普通の喧嘩になるしかなくなるんですよね。
もはや喧嘩になるしかなくなるみたいな。
つまりどうしようもない状態にさせられる。
さっきの割り込みですよね。
いやもうやめてくれよって言っちゃダメじゃないですか僕は。
だって割り込みはちゃんと記録してタスクシュートに乗っけてこれが心のスペースですよ。
心に余裕があれば対処できる。
でも心に余裕がなかったらあんた対処できるのかって問われているわけですよ。
私はそこに対して常に何としてでも頑張って心に余裕があれば平行線を辿っているわけですよね。
心に余裕がなくなるといやもうやめてくださいとタスクカフェだけどもうあなたの質問は十分わかりましたけど無理です。
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これを言わせたいわけですよねある意味。
それがつまり割り込みには対処できないという問題にどう対処するんだという問い合わせなんだと思うんですね。
昨日ちょうどコンテインって私話したんですけどコンテインって入れ物なんですねコンテナだから。
心のスペースっていうのはやっぱりすごく大事な概念としてあってそれがなくなっていく。
コンテインできる人がどこかにいないと破綻するわけですよね。
幼児の心のスペースはとっても狭いのですぐコンテインがいっぱいになっちゃってうわーって火がついたように破綻しちゃうわけですよね。
でもお母さんはそれを見ても大丈夫だからおむつを取り替えるのかおっぱいをあげるのかそれとも涼しくしてあげるのか。
これは全て心のスペースがあって初めて発想が効くと。
でもやってもやってもやってもダメだということになるとお母さんもだんだんいっぱいに糞便をぶち込まれるわけですよね。
だんだんいっぱいになっていく。ここを狙われているわけですよね。
それが幼児としては目指すべきポイントなわけですよ。
これが私の気持ちなんだぞと。そんなこと考えませんよ幼児はね。
でも臨床だったら当然そういうことは起こり得ますよね。相手は大人なので子供じゃないのでね。
どうですか分かりましたかと。分かっちゃダメなんですけどね。分かっちゃ絶対ダメなんだけど分からせたいわけですよね。
分かんなきゃダメなんですよね。こういうところにあるんだと思うんです。
だって本当に相手の気持ちが分かんないんだったら対処方法とかっていうのは所詮要するにエソラ事になっちゃうんじゃないですか。
でも本当に分かってしまったら対処できないってことになるじゃないですか。
そこでどういうことが起こるんだろうってことなんだと思うんですよ。
私たちは昔の親子関係とか夫婦関係ではここを乗り切れませんでしたけど、
あなたとの関係ではここを乗り切ることができるんですかっていう問いなんだと思うんですよね究極的には。
やっぱりだから割り込みとかもそうで、ここを乗り切らないといけないんだと思うんですよね。
何らかの形で。その時に事前に考えておいた答えは多分役に立たないですよね。
これ事前に考えておいた答えが役に立つということになってくると、この話最初から成立していないんで、
コンテインできないギリギリのところに来た時にどうコンテインするのかっていうのも今ここで答えを出すしか絶対ない。
だから、グッドワイフスになっちゃいますけど、他人が大事なんですよこの話は。
自分一人だったらこういうことは起こらないし、他人が持ち込んできて初めてそこで答えを出すべく
コンテインがギリギリいっぱいになるというところでどうするかをその場で何とかすることができるかどうかっていうなんていうんですかね。
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昔ドイタケオさんは精神分析というのはハラハラドキドキなんだって言ったらしいんですけど、そういうことなんですね。
ハラハラドキドキ。事前にこういうQ&Aがあって、割り込みはこうですって答えるだけで一切ハラハラドキドキしない。
でもたぶん、たとえ精神分析では全くないんだけど、タスク管理であろうとライフハックであろうとそういう部分がないとおかしいんだと思うんですよ。
っていうことがここの数日ずっと僕が考えつつ考えてる話なんです。
結局コンテインする、できない場合もないわけじゃないですが、コンテインするという話になるのは考えるってことなんですけども、考えてあげるんだよね。
スペースがないのに代わってスペースを作って考えてあげるんだけれども、だいたい事後になるんですよ。
その時には考えつかない。その時に考えつかないというのはまさにその時に持ち込まれてしまった時に僕もいっぱいいっぱいにさせられてしまって考えつかなくなる。
考えつかなくなるということはある意味実現させられているわけだから考えつかない。
考えつかない。後で考えつく。ああ言えばよかったんだみたいな。
あれがそういう体験が大事なのだと思うんです。それが心のスペースというものの重要性を自分に教えてくれるから。
後になるとその人と離れてみるとなんかふっと考えつくんですよ。ああ言えばよかったじゃんあの時と。
それは事後になると心のスペースが開くからなんですよね。こういうことって夫婦間ではよくありますよね。
夫婦間でも家族間でもよくあります。娘との関係でもあります。娘との関係はそこまで深刻なやり合いにならないですけど私の場合。
それでもやっぱりこう力がかかってきてうってなるわけです。うってなるしか言いようがないんですよねこういうのって。
本当にだって虐待とかされてきましたみたいな話だったらうっとなるとかしか言いようがないんですよね。
ひどいことされてきたんですでは伝わらないじゃないですか。で何とかして伝えたいわけだから。
だからこう繰り返しになってくるわけですよね。その割り込みの時みたいに繰り返し繰り返しそれを。
だから多分精神分析中のものすごい回数のセッションを重ねるんだと思うんですけど。繰り返し繰り返しそういうやり取りをしている中で現れてくる。
そういう伝えようとしているものある意味コミュニケーションなんですけれども。
コミュニケートできない内容をコミュニケーションしようとしている時にこの種の現象が起きてそこで何とかこうコミュニケーションを諦めないみたいな。
だからそのさっき私大橋さんとだから100回できたって最初の方で言いましたけれどもその100回とかは割と大事だと思うんですよ。
諦めたくなることってあるじゃないですか。諦めないってことはそこで何て言うんですかね。
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何て言えばいいんですかね。やっぱり心のスペースを作るべく頑張るっていうようなところがありまして。
一気殺は色々起こっちゃうんだけれどもそして一杯になりそうになることも起こるわけですよね。人間関係だから。
だけれどもそこでこう何とかスペースを少しでも何とか確保するかできなければ後になって確保し直して少しまた角度を変えて頑張るみたいな感じにするか。
そういうことをしているうちに何かこう乗り越えられない問題を乗り越えられる何かを手に入れていくっていう感じなんだと思うんですよね。
部分的にしかグッドバイオスが出てきていない話だったんですけれども自分としてはこういうことってあるんだろうなと思うんです。
そしてその時には必ず反復しちゃわざるを得ない。反復するということ自体がコミュニケートになってたりするってこともあるので。
今だから質問する方みたいに私に質問してくれる方が同じような質問を繰り返し繰り返し投げてこられるっていうのはすごく大事なことだと思うようになってます。
こうやって答えるとかああやって答えるとかその都度その都度一生懸命答えるのは大事なんですけど本当はそういうことじゃないんですよねきっと。
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