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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
いいタイミングで雨が降ってくるんですね。
雨が降ると、庭に水まきをしないで済むと、これをやるから熱中症になったりするんですよ。
結構、真夏にやっていて分かってきたんですけど、
年のせいもあるんでしょうけどね。
何にも動いてるわけじゃないから、
テニスとかやってれば、それはもう敵面に酷いことになるけど、あれはまあ分かってる感じじゃないですか。
この灼熱の中であんなに走り回ればですね。
それはもう汗びっしょりだし、体温も急上昇ですが、
庭に水まくって、結構ホース持ってぼーっとしてるだけなんで、大丈夫そうに思うんですけど、結構グラグラするんですよ。終わった後に。
いいタイミングで雨が降ったなと。
今週の土曜日にグッドバイブス勉強会がまだ結構残席ありますので、よろしければオリンピックの合間にでも参加いただけると幸いです。
これですね、今回で7回ぐらいになるのかな。
過去の動画も入手できますので、決してそう高いお値段じゃないと思うので、
グッドバイブスの倉園圭三さんの運営している公式サイトの方からお求めいただけますので、こちらもよろしければ是非ご検討ください。
過去やってきたやつ、私も最近仕事の合間合間に見てたりするんですけど、
いろんな方面からのアプローチを繰り返しているんで、
繰り返してるというか展開してるんで、
どれかを別に意識しなくても、グッドバイブスというのは何々してはいけないということは、
実際のところ別にないんだと思うんですね。手放すという言い方はしますけど、
例えば私なんか今でもそうですが娘を攻撃しちゃったということはあるわけですよ。
その時にもうグッドバイブスではなくなったとか思って、
宗教的な話で特に戒律みたいなことになってくるとそういうふうになるんだけど、
そういうのはないんですね。理由は非常に単純で、今ここしか現実はないからなんですよ。
過去に何かをしてしまったとかいうのは既に存在していないんで、ここ非常に大事だと思うんですけれども、
だから僕は宗教的な戒律っていうのを、宗教ってほとんどの宗教が、
恐らく全ての宗教が、でも全てというのは言い過ぎですけれども、ほぼほぼの宗教が今ここしかないことは言うんで、
本当に今ここしかないならば、基本戒律というものはほぼ無意味なものになるんだと思うんですね。
それはある選択をする時にだけ意識づけされてればいいわけで、
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やってしまったということであれば、もうそれ記憶の産物ですからね。
そういうふうに捉えればいいと思うんですよ。別に攻撃してしまうとか、攻撃は手放した方がいいんですけど、まだやってないならば。
やってしまったならば、もうそれは存在しないんだから、速やかに忘れるというのがいいと思うんですよ。
ある意味ではですね。なんかですね、だんだんグッドバイブスでこういう話だからとか、ああいう話だからということが積み重なってくると、
これ積み重なるということがすでにおかしいんですけどね、積み重ならないんで、私たちは本当に観念に弱いと思いますよ。
積み重なるとかって言うと、本当に何かが積み重なっているという感じをいらんちゃうんですよね、感覚的には。
でも積み重なってないんですよ。火山灰とかとは違うんですよね。
一切積み重なってないんで、そういうことについてあれこれ悩まない方がいいと思うんですね。
一番良くないと思うのは、クラゾノさんが攻撃は良くないと言ったから攻撃をするのを我慢してるんですけど、辛いです。
全然グッドバイブスからかけ離れてしまうんですよね。
これはあらゆる、僕は宗教で言えることだと思うんですけど、この戒律を守ることによって何か正しい側に立つみたいなことをやっていると、
多分その宗教の一番基本的な理念に反していくような感じがします。
それはまあ、宗教じゃないんですけどね、そもそもグッドバイブスは。
僕が最近このことに絡んで考えるのはですね、
何になにしちゃいけないということに僕らは囚われるんですが、
例えば、CMができないみたいなのを久しぶりに最近また読んで、自分のCMができないみたいなのが、
あれはCMをするのは正しくないという正しさがあるから、そういう戒律が自分の中にあるわけですよね。
そしてCMをすると、あさましい人だと思われるという思いがあるんですよ。
前にですね、倉園さんがぶっちゃけ相談の中で、この図はいいなと思ったんですけど、非常に素朴な図式なんですけれども、
要は他人の思い、心の中というものを選択することなんですが、
自分自身の心理状態が他人の顔みたいなものとダイレクトに結びついている、電気の糸みたいなもので結びついているわけですよ。
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こういう感覚の人って多いよなと。
私もともとあまりこの感覚というものは強い方ではないし、好きでも全くないので、この感覚に訴えられたときは基本無視してたんですね。
多いというのは分からないではないんですけど、やっぱりこれ現代的だなとも思うんですけどね。
あえて言うと内的対象みたいな話に繋がっていくんでしょうけれども、内的対象でもなんでもないですよね。
ただの顔のイメージですよ。
こういうふうに自分はこうやると思われるんじゃないだろうかみたいに思うと、自分の評価が下がったような気がすると。
イリュージョン満載なんですけどね。相手の顔というのがまずイリュージョンだし、自分が思い浮かべているものですからね。
それによって自分の価値が下がるというのもイリュージョンだし、そこが結びついているというのもイリュージョンなんで。
イリュージョン×イリュージョン×イリュージョンぐらいな感じなんですけど、これで人生をやっていくというケースが少なからずあるんですよね。
先日、交通安全運動の時に取り上げてほしいようなぶっちゃけ相談の動画があって、これもそうだと思うんですよ。
クラクション鳴らされると怖いとか腹が立つとか、そういうやつですよね。
ATMでモタモタしていると後ろからなんかにらまれている気がするとかもそういうやつですよ。
イリュージョンですからね。にらまれているとかいうのはイリュージョンなんで。
にらんでいないというのもあると思うんですけど、そもそも後ろを見ていないでしょ。
だから間違いなくイリュージョンなんですよ。本当に不愉快な気持ちでいるかもしれませんよ。
でもそれは、なんていうんですかね、この話はいつもそうですよね。
本当にこう思われているかもしれない、その最悪の部分を想定してテキパキと動けば安泰だという考え方なんですけど、もうすでに全然安泰じゃないんですよ。
内心でそういうふうに思っている瞬間からずっと安泰じゃないですよね。
どうしてこれを思って安泰と言えるのかというのがよくわかんないんですけれども、
とにかくそこから来る最悪の事態というものを、
最近アダルトチルドレンという言葉をTwitterでよく見かけるので、
アダルトチルドレンで問題になっているのはこればっかりなんですよね。
昔親にそういうふうに言われたという記憶が、
これもイリュージョンですが、内的対称みたいな話だなとつくづく思うんですよね。
話が脱線しまくっているのも相変わらずですが、
私この通俗心理学って、これは専門家がこういう言い方をしているわけですけど、
通俗心理学という言葉で扱われている概念を何かにまとめていきたいなと時々思うことがあります。
余計な趣味的な仕事だなと相変わらず思うんですけど、
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アダルトチルドレンとか、昔流行ったモラトリアム人間とか、ああいうやつですよね。
モラトリアムはエリック・エリクソンの正式概念なので、
ここが正式とか通俗とかいう権利がどうして正式の側にあるんだろうと思わなくもないんですけどね。
鏡の法則なんかもどっちかというと通俗という側に入れられると思います。
あと超有名なのがジョハリの窓も通俗ですね。
結構いっぱいあります。かなり有名なのもありますよ。
まあいいんですけど、
強依存というのも少なくともDSMに強依存は載ってないと思うな。あるのかな?
同じ言葉がちゃんとあったりするから余計困るんですよ。
ナルシシズムもそうじゃないですか。
そもそも死が1個抜けているやつは通俗的に使われている感はあります。
ナルシズムとかって言うんですよね。死2回ですね。
それはまあいいんですが、
アダルトチルドレンみたいな話。
要するに自分が見張られている感じを抱く。
CMをすると、あ、こいつCMしやがってとかいう顔が多分その人の心の中に浮かんで、
自分が嫌悪感を持たれたという思いに苛まれるみたいな、
そういうよくあることなんですが、
私はあんまりないんだけどね、これが。
だから実際にこれをあるんだぞ、あるんだぞって言われていると、
この人の中ではさぞあるんだろうなって思うという感じが残るぐらいなんですよ。
その部分はいいんだろうかとは思うんですけどね。
僕だからいいのかな。
つまり人にどう思われるっていうことが全てになると、
今みたいな矛盾が絶対どこかで発生しているとは思うんですよ。
何にもある意味言えなくなるじゃないですか。
少しでも嫌悪感を持たれるようなことは一言も言っちゃいけないような気がある意味するんですよ。
なぜ目の前の人間には言っていいことになっているんだというふうに時々思うわけですよ。
それはどう思われるかは本当はわからないわけですからね。
どんな意見でも本当はそうなんで、本当に一言も発せなくなるはずなんですよね。
これをとことんやってしまうと。
すごいとんでもないことがあり得るじゃないですか。
例えば今日目高に餌をやりましたっていうだけで嫌悪感を持つ人がいるわけですよ。
そうすると誰かに目高に餌を今日やったってすらすら言えなくなるはずなんですよね。
本当に相手の嫌悪感によって自分が貶められていくっていうことが真実起こり得るっていうふうに考えるのであればね。
多分その人もそんなふうには思ってないです。
これ不思議なことに気を許せるとかっていうじゃないですか。
気を許せる相手はいいというふうに考えられているんですね。
僕はある意味逆だと思うんですね。
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気を許せる相手の機嫌をわざわざ損ねるというのは
かなり遠くにいるツイッターの人の機嫌を損ねるより
実人生によっぽど悪影響を与えうるんじゃないかと思うんだけど
だいたいこれも逆になります。
顔も見たことのない人の怒りを買うとかいうことのほうが恐ろしい感じがするんです。
理由もある意味単純でして
今回の土曜日のヘッドバイブス勉強会のテーマでもある
イリュージョンを非常に膨らませやすいシチュエーションだからですね。
ツイッターって不思議だと思います私は。
あれはFacebookよりも僕の感覚ではですけど
昔ちょっと流行ったGoogleプラスとかよりも
なぜかイリュージョンを膨らませやすいようなところがあるSNSだという気がします。
でもこれは僕の感覚かもしれません。
Facebookの方が酷いという人も中には絶対いるでしょう。
いずれにしてもSNSとかのほうが実際の人よりも
この事態を容易に発生させやすい上に悪化もさせやすい気がするんですよね。
ACみたいなアダルトチルドレンみたいな話にもよく出てくるということですね。
先日からお話ししているトエドイツシ、トエドイツカだな。
トエドイツシって言うとそういう風に訳されていることもあるんですけど
ドイツシとドイツカはやっぱり違いますからね。
私はよく言う例で言うと
発砲塞がりな状態を吹き込まれている感じなんですよね。
吹き込まれている感じ。
作り出されているから。
多分今はあんまり精神分析の世界でも言いませんが
古典的な時には普通に言っていたのが
糞便を叩き込まれるとかって言うんですよ。
お母さんに糞便を叩き込むみたいな用事ですからね。
自分がどういう動き持ちでいるかを相手に投げ込むというわけですよね。
汚染とか言う言葉も使いました。
この辺に単純に精神分析が嫌われる理由なんですけど
環境供給という言葉が
私このやつでも言ってますけれども
お母さんから環境供給される赤ちゃん
比喩ですからね。
私たちが実際には世の中から環境が供給されているって話ですよ。
でもこの比喩を肉体的にしないと
実感が遠くなっていくっていう問題があるから
良いおっぱいとかって言うわけですよ。
良いおっぱいっていう言い方が
必要以上に品がない感じがするんだと思うんですけど
赤ちゃんなんで
お母さんからの環境供給とかいう
そういう概念では程遠い感じがするんですね。
だから良いおっぱいになっちゃうんですよ。
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良いおっぱいというのが高い給料ですよ。
高い給料をもらえるときと
Twitterでもよく出てくるじゃないですか
夫は我慢がならないけど
ATMだと思えば少しは我慢できるって
生々しいですよね。
あれも良い夫と悪い夫がスプリットされているわけですね。
分裂しているわけです。
その分裂しているというのは
まさに自分が分裂しているんですよ。
夫がATMになる瞬間はないわけですから。
その邦画みたいなものは
良いおっぱいの時代からあったんだよっていうような
だけどそれは費用なんですよ。
その時代に自分が戻るとか
その時代の記憶がそういうものだったとか
言っているわけではないんです。
ただ人間はそういう風に考える能力を
どこかで身につけたし
割とそういうことをしょっちゅうやってますと
それをしょっちゅうやることによって
自分が苦しんでいくんですと
いう話を適切なタイミングでできればいいんですよね。
カウンセラーがやっていることって
原則はそういうことなんです。
どうにもこうにもならないんですという時には
必ず自分が何かをやらかしているんですよ。
心の中で。
どうにもこうにもならない状態というものが
自分の心から作り出されているということを
全く同じシチュエーションに
カウンセラーが立たされてしまったとしても
あるいはカウンセリングの真っ最中に
来談者さんとカウンセラーの2人が
2人がそういう気持ちにさせられた時に
そこで何らかの形で何とか持ちこたえて
だから一番いいのが
持ちこたえた上で解釈をするということなんですね。
持ちこたえるっていうからには
やっぱり同一化みたいなものが
多少はいるじゃないですか。
私は家の中に虫が1匹でも出ると
家に入れませんってただ言われても
私の場合に家に虫何匹もいるなっていう
これではダメなんですよね。
何にもならないわけです。
虫のことは気にしないでおきましょうでは。
カウンセリングにならない。
つまり伝わってないっていう問題なんですよね。
どうしてその人はそんなに虫が怖いのかというと
さっきのスプリットみたいなので言うと
たぶんいいおっぱいがあるということは
悪い何かこうおぞましいものも
赤ちゃんの頃に恐らく意識する日がやってきたわけですよね。
例えばうんちはおぞましいみたいに感じた瞬間があったと
そういうおぞましいものの中に虫が含まれたんですよね。
そういうことはよくあることですよね。
私も子供のときは全く気にならなかった。
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ミミズとかそういうものでも平気で捕まえて
虫カゴに何匹も入れられていた
そういう時代だったんですよ。
朝霞とかも結構田舎でしたからね。
でも今はできないんですよね。
しかも自分がこうやって眺めていると
よく見ているとすごい何か
土曜日の話にこういう話が出るかわからないですけど
僕はいつも見るんですよ。
そういうすごい不気味なものを見て
何を自分はここに見ているつもりになっているんだろうと
さっきのダイレクトメッセージとかCMで打ちまくったときに
人が思うだろうという思いの顔っていうのがきっとあって
私はそういうのも見てみたいんですよね。
自分がとっても不気味なものを見たときに
何を見ているんだろうと
明らかによく見てみるとミミズではないんですよ。
ドってことはないですよ。
ムカデとかでかいやつだって
ドってことはないですよ。
よく見るとドってことはないです。
例えばゴムでできているおもちゃでも
すごいカナキリ声を上げる人っているじゃないですか。
何かを見ているわけですよ。だってゴムですからね。
何を見ているんだろうって思うんですよ。
昔あのくだらないですね。
正月になると文房具屋さんとか大きめの文房具屋さんとか地方の行くと
そういうタランチュラとかの模型とかを入れた福袋とかを
一個一袋500円とかで
あんなものよく500円とかで買ってましたけど
買ってたんですよ。僕も。
で、あれ見てみると
中に母がすごく悲鳴を上げるんで
すごい面白くてめちゃくちゃ遊んだんですけど
要するにただのゴムなわけですね。
あれ一体私は今の方が気持ち悪く見えるから
何を見ているんだろうと。
端的に言うと死の世界というものはそこに見るんですけど
もちろんゴムのクモのおもちゃとかに死の世界はないんで
全然そういうものはないはずなんだけど
だからイリュージョンなんですけれども
つまりこういうものを見るんですよね、その中に。
見るわけです。
こういうものがあるわけですよ、世の中には。
なぜあるか、自分が作ってるからあるわけですよ。
これに気づいてもらえればいいわけですよ。
同一化されたときに
いっちもさっちもいかないのは自分が作ってるからなんですよ。
そのことにまず自分も作ってみて
その苦しみの世界の中を入ってみる。
それが同一化のときに起こる現象なんですよね。
カウンセラーも入ってみる。
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でもこれをやってるのは自分なんだということが
分かれば大丈夫になるはずなんですね。
タスクカフェのときに割り込みを
僕は同一化された話を
これは良い例だと思って思い出すので
よく喋っているわけですけど
何度も何度も質問に来ると
30秒に1回ぐらいは来ると
その人が質問していることは
全部割り込みに関わることであって
私が伝えられていることは
つまり割り込みがこの頻度で来たら
仕事にならんだろうと
その辛さを思い知れというわけなんですね。
思い知ってこれはダメですねって言ってしまったら
その人は伝えることはできたけど
解決せずに帰らなきゃいけないじゃないですか。
だから基本的にはそういうわけにはいかないんですよね。
私はそこで持ちこたえなければいけないんですよ。
そこで土俵際で頑張らなきゃいけない。
私がやらなきゃいけないことというのは
つまりこの状況に対して
どの程度自分が原因になっているか
自分が原因になっているというのはあれですよ。
自分が原因になっているというのは
これ全部閉めると暑いんですけどね。
放送とかちょっと考えてほしいですよね。
自分が持ちこたえて解釈するという
自分が原因になっているというのは
決して自分が好きだらけでいるから
あるいはいい顔というか
上司の人とかそういう人にいい顔をしているから
割り込まれるという話をしているのではないんですよ。
そういうふうに自己原因で取られるから
ややこしいんですよね。
そうではなく割り込みと言われているものや
自分の仕事ができないという思いですよね。
作っているのはそういう思いなんですよ。
もうちょっと端的に言ってしまうと
さっきの例で言うと
割り込みにムカデが気持ち悪い
気持ち悪さみたいなもの
多分違うものだと思うんですけど
投影するからいけないんですね。
すっかり割り込みに投影されているものが
嫌なものになってしまったために
それが来るだけでも
自分はひどい犠牲になっているという感じを
抱いちゃうんですよ。
私抱いたんですよ。
タスクカフェでそういう感覚をですね。
これを伝えることができれば
多分少し変わってくると思うんですね。
つまりイメージという言葉になっちゃうんですけど
割り込みに対するイメージが悪すぎる。
その悪すぎるイメージというものは
自分が投影しているイメージに決まってますから
だからそれを投影するのをやめると
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何か上司がやってきたということに対する
見え方が変わっていくはずなんです。
そこが私が多分少しはできていたことで
相手の人が来ても100%嫌なことだと思わずに
済ませるということが少しはできていたことで
これができればですね
いいわけですよ。多分なんとかなると。
そういうふうな話を手放すと言うんだろうなと思います。
今しがたったことだからついでに言いますと
累積外傷みたいな話になりますけど
今のこの熱中症アラートが聞こえてきたたびに
洗面台のところを全部閉めたわけじゃないですか。
こうしてある種の出来事に対するイメージというのは
悪くなるわけですよね。
これをしないってことなんですよ。
悪くしないってことなんです。
ウェルカムにするって話じゃないじゃないですか。
今の役所からのお知らせが
街中に響くというものに対する
今私はイメージが最悪なんですよ。
これはもう小さな小さなですが
外傷なんですよ。トラウマなんですよね。
こうやって私は外で声を出すということに対して
一つ悪い意味付けをするイリュージョンを作るという経験をもとに
こういうことを積み重ねていくうちに
ムカデが死の世界の象徴みたいに見え始めたり
他人にCMを出すということ
他にATMで待たせるということ
他にクラクションを鳴らされるということを総称して
自分へのバッシングのように感じたり
つまり人の顔と自分がネガティブに評価されるということを
結びつけるというようなことを始めたり
全部そういうことを自分の心がイリュージョンを作り出しつつやっていくこと
これから解放されるということですよね。
そうしないと
ガンジガラメになっていくうちに何にもできなくなる
途中僕が言った通り目の中に餌を飲みましたってことすら言えなくなる
全部それも自分の心で今みたいに作り出していることの
累積によって出来上がることで
しかもその累積は実は最初に言った通り何にも積み重なってないから
本当は一瞬で消えるはずなんですよ。過去はないわけですからね。
ACとかの話でもそうなんですけれども
親がそういう口うるさい親が心に住みついてしまったんです
でもあの説明をいつかやめなきゃいけない日が来るはずじゃないですか
その親御さんは本当は住んでないんで
住みついてしまったんですっていう説明を一旦しておきながら
アダルトチルドレインですからね
心の中にあの小さな子供がいます
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それも自分自身のことを言ってますよね。小さな子供
いないわけですよね。実際に
過去にそういうことあったかもしれないけれども
それは過去にあったことで今あることじゃない
そういうふうにして後で捨てなきゃいけないわけですよね
だったら今すぐ捨てちゃった方がいいんじゃないかってことですよね