1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. もっと「正規のプライベート」..
2025-10-22 48:04

もっと「正規のプライベート」が必要だと思う【1268】

けんすうさんが、自傷行為として「寄付する」のには驚いた。
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サマリー

このエピソードでは、精神医療におけるカウンセリングの重要性とその役割について議論されています。特に、プライバシーの扱いや精神分析と他の医療行為との違いが焦点となり、適切な支援を受けることの重要性が強調されています。日本では正規のプライベートな心理相談の場が不足していることが問題視されています。心理カウンセリングの中でアセスメントの重要性が取り上げられ、話を聞いてもらえる限られた環境の必要性が語られています。このエピソードでは、自傷行為やその背後にある心理について深く考察され、寄付行為や過食・挙食などの異なる行動が人々のストレス発散に関連していることが探られています。また、公的なカウンセリングやプライベートな空間の必要性についても視点が共有されています。正規のプライベートの必要性と個人の自立についても考察が進められ、喫茶の場を通じて家の重要性や中間領域についても触れられています。

天候と日常の話
おはようございます。 ライフハックからの精神分析、第1268回をお送りします。
10月22日水曜日、7時49分です。
ものすごく風が変に強くて、雨が降ってですね。 ここ3日間で気温が10度ぐらい変わりまして
半袖しか出してなかったんですよね。 が、一転してもう2枚長袖を着込むという、超変な格好になっちゃってるんですけど
寒いんですよ。とにかくね。こうも急に。 だってちょっと外を見るとですね、まだうちの
庭にはですね、めちゃくちゃ細くてちょっとどうかと思うようなナスが、ナスですからね。あれ夏野菜なんで。
でももうどう考えてもナスがなっていて良い感じの風景ではないんですよね。 一歩間違えるとここはこんなんじゃなんないだろうけど
なんか緑でも降り出しそうな雰囲気っていうのが、すでに北海道では雪みたいな話ですけど。 なんかこう秋とかはないなっていう
なんていうんですかね、こう残暑の後に冬が来るみたいな感じですね。
はい、えーと
昨日は、まぁタイトルの話なんでおっしゃってるわけですけど、 だから視聴者さんが妙に少なかったりするんですけど、あの今日は
まあ普通にいつも通りの話に戻そうと思っておりまして、いつも通りの話というのはですね、まあ
まあまあ3ヶ月チャレンジと精神分析みたいな話ですね。 で、えーとこのタイトルも長持ちしなさそうだなそういう意味ではと思いながら
ライフワークからの精神分析ね。 でもまあライフワークから入ってきていることは確かですからね。
しばらくはこれでいきましょう。 そうそう、あのね、さっき
僕この本いい本だなぁと思うんですけど、松木さんの本でもしかすると一番好きな、 いいんではないんですけど好きな本、松木邦彦さんの草原舎から分析実験の進展
もうなんかタイトルからしてこうパッと見で買うっていう人は少なさそうな。 僕はすぐ買っちゃいましたけど、分析実践の進展
3300円。 まあ
中身にしては安いですが、まあ3000円高いわけですがね。
はい、あのちょっとその中でもですね
地味なところを引用したいんですけど
でもこれ完全に僕はですね、中身としてはですよ。 中身としては
あの 最近非常に話題になっている
カウンセリングとは何か、遠畑海人さんのですね。 ちなみに僕この今のこのこう
なんていうんですかね環境がめちゃくちゃ良くなっているのはやっぱエアポッツなんですよね。 このエアポッツ
あんまり面白くないんでお勧めしてないんですけどね。代々的にというか表だって表だってやる ことはこういうことにしたいんだけどお勧めするとか
なんかやってて面白いかどうかってアップルがお勧めしとけばいい話じゃないですか。 これでも私オンラインで
私たちじゃないですよ。正規の診療さんがやるのは絶対これやった方がいいと思いますね。 自由度が全く違います。これは
iPhoneだからってことは当然あるにしてもBluetoothのこの接続域がほぼ完璧だっていう。
開けて出せばどのデバイスでもアップル製品のデバイスならどのデバイスでも使ってる方に 切り替わるんですよ。これが正解だろうって思うんですよね。
全然Bluetooth設定とかしなくて良くなるんですよ。 はい余談ですね。
この本の100ページにですね、精神医療の内と外っていうタイトルで
つまり戸畑さんは偉いなって僕思うんですよね。まずその話をちょっと軽くしたいですね。 ライフハックっていうものはある意味そういう精神なんだけどなと
これじゃ伝わらないと思うんですけど、読みますね。 精神分析臨床化が抱え続ける苦悩の一つは医療。
より細かくは精神医療との関係である。 それは精神分析の創生当初から苦しまれていたが、苦しまれていたって面白い表現ですよね。
苦しまれていたが今日も変わらず深刻である。 これだけでこれへの答えがその答えの出し方がどうたらこうたらっていう批判はあると思うんですけど
とはいえこれへの答えの一つがカウンセリングとは何かなんですよ。 だからあの本はすごいやっぱり
正しいなあっていうか立派だなあっていうかそういう、だってですね出せないですよこういうふうな問いを。 当初から苦しまれていたことに答えを出そうっていう気になるだけでも偉いと思うんですよね。
で本に出しちゃうという、しかも公断写真書だったっけ。 その普通の普通に流通している本ですよね。決して今後出版さんとかじゃないっていうことなんですよ。
僕らが普通に手に取るじゃないですか。僕は今後出版さんの棚にましぐらに本屋に行ったら行くけどそういう意味ではなくて
なんとかフェアとかされていて入った途端に目につくところにあの本があるじゃないですか。 そこがやっぱりすごいですよね。
長らく問題だったというか今日でもなお問題なんですよ。 この問題は見ようと思えばホームページで心理関係のところですけど普通に目にする苦しみなんですよね。
まあとにかく苦しまれていたわけですよフロイトの昔からですね。 飛ばしますけど
要するに身体の医者がやっていることと心の医者がやっていること、つまり精神分析家がやっていることは似ていると。
似ているのと異なるところを出していてこれはもう全くこうだろうと思うんですけど、似ているところはいいんですよ。
要するに患者さんが来ますよねと。お医者さんが話を聞きますよねと。 一度に一人しか見ませんよねと。普通そうですよね。個室で対応しますよねと。
でお金を払いますよねと。その都度その都度繰り返しきますよねと。 こういうところは似てますよねと。まあ似てるんだと思うんですよね。
開業の心理関係にも。異なるこっちが大事ですよね。 例えば異なるって書いてあるんですよ。異なる丸。
例えば精神分析では病者の体に触れない。そうですよね。 触れると大問題だと思うんですよね。
触診という用語があるように、病者の体に触れない臨床医学はありえない。 だから精神分析に造形の深い精神科医の中には、触診の必要性を強調する人が少なからずいる。
まあいたんでしょうね。私はちょっとちょっとここがイメージできないんだけど。 この人たちは一時的に精神科医なのである。つまり医者だってことですよね。
そしてこの理由から精神分析科は面接中には席を立たない。 この理由だけじゃないと思うんだけど立たない。医師は必要に応じて診察中に動く。
もう一つ例を挙げよう。こっちの方が大事だと思うんですけど。 その病者と出会う時には精神分析臨床科は一人でそこにいて、病者と出会い、第三者、例えば看護師や助手がそこに同席すること、必要に応じて出入りすることは決してない。
これは私は今日の話に直結させたいんですけど、これが大事だと思うんですよね。 フロイトの場合でさえ大きな犬が出入りすることはあったとしても人が出入りすることはなかったようである。
まああの昔の話だからね。しかもフロイトは実験的に始めた人なんで。 この本もここだけでも買う価値あると僕は思うんだけど。
つまりですね、プライバシーの扱い方が違うということなんですよね。
私はつくつく思うことがありまして、でもその前にこれへの答えを出しているのが一つがカウンセリングとは何かなんですよ。
つまりこれだけだと、この似ている部分と違う部分があるっていうだけだと精神分析の側の立場は著しく弱いんですね。
なぜかというと、効果がはっきりしないじゃないですか。 何してんだかもよくわかんなくなっていくじゃないですか。
そこに第三者が立ち会わないとなってくると密室じゃないですか。 しかも料金は高い、保険が効かないということもありますけど、長い時間をかける、お金もかかる。
よく言われている通りのことですよ。 要するに何やってるのかさっぱりわかんないし、効果があるのかどうかも疑わしいということになって立場は悪いわけですよ。
そこに公認のものが作るということは、ことさらにその立場の重要性というのを強調しなければならないんだけど、常にそれは微妙な目で見られている部分があるわけですよね。
ということをカウンセリングとは何かにちゃんと書いてありましたよね。 だからああいう本がこれへの答えを出していて、フロイト以来苦しまれてきた問題に対するあれは一つの答えなんだ。
だからその答えに茶本をつけるのは実に簡単なことなんですよね。 だってもともとそういう議論はあったわけですからね、激しく。
だから本当はそうじゃなくて、ああいう答えを気に食わないということであればですね、出すといいんですけど、それはなかなか難しいんですよ。
出せる立場に立つこと自体が難しいんですよね。 普通はやっぱりお医者さんが書くじゃないですか。本をお医者さんが書くと売れますよね。
プライバシーの重要性
本を臨床心理師が書いてもなかなか売るのは簡単じゃなくなり、本をノラカウンセラーが書くことはそもそも難しいっていう、そういうもう最初からそういうアドバンテージと有利不利はあると思うんですよね。
まあ面白くない話なんでこの辺はすっ飛ばしますけど、 つまりプライバシーの問題っていうことがここにはあるというか、それがすでに一つの重大な特色だっていうふうに私思うんですよね。
よく言うじゃないですか、話を聞くだけでしょうと。 問題なのは2つあって、その話聞いてもらえますか、本当に誰かに聞いてもらえますかっていう問いがあるんですよ。
話を聞くだけでしょって言っている人で、おそらく心身とも健全だという方はですね、話を聞いてくれる人がいるんですよ。
それも他の人には話せないような話を聞いてくれる人がおそらくいるんですよ。
しかしいないんですよ、多くの人は。少なからぬ人がいないんですよ。 話を聞いてくれる人がいない。もちろん普通の話は聞いてくれますよね。
でもちょっと微妙な話は結構聞いてもらえないもんです。 そしてかなり微妙な話になってくる。
本音が完全に入り乱れるってことになってくると、全然話は聞いてくれる人がいない。 これが全くいないと僕はすでにその人は病み始めかねないと思うんですよね、心を。
で、さっきの話に戻るわけですね。 後ろに看護師がいる。助手がいる。そこで話せるのかって本当にってことが起きるんですよ。
いやそもそもお医者さんは長々と話は聞いちゃくないですよね。 50分だ1時間だ話を聞いてくれるお医者さんなんてまずいないです。
下手すると50秒ですよ本当に。 私だって昔アトピーですごい苦しんだという話をしてますが、
あの時だってお医者さんが話を聞いてくれるのは秒ですよ秒。 絶対1分は聞いてくれてないと思いますね。
もう名だたるですよ。 日本最高峰と言ってもいい大学の病院のお医者さんが。まあまあそんなもんですよ。
で、でね、
しかしそれは、あからさまに体の病気が目に見えて、 それは診断で病名もつけられて、うちに繰り返し来なさいと言われてそうですよ。
だから大学時代の私みたいに、いや感謝できなくて、1000人にも女の人に声かけちゃって、全員に全く相手にされませんでしたっていうこの悩みを誰に聞いてもらえるかと。
少なくとも医者は絶対聞いてくれないですよね。そんな話。 で誰に聞いてもらえるのかってことになった時に話聞いてくれるだけでしょっていうのは
鼻肌どうかと思うんですよね。 でもですね、
これは後ほど気になる人がいればですが、ホームページで確認していただければいいと思うんですけど、 心理カウンセラーは医療行為はできないとあっさり書いてあったりするんですよ。
結構、それは公認心理師、臨床心理師のページにちゃんと書いてあります。 改定してないだけっていうケースもあるかもしれないけど、結構ちゃんと書いてあります。
正規のプライベートの不足
医療行為がありませんとか医療行為はできません。 できるのかできないのか私はすごく微妙なところだと今思うんですけど、できないって言わなきゃいけないのかもしれませんね。
僕は公認心理師じゃないからその辺のニュアンスの細かさまではもうわかんないです。 お金取って相談を受ける我々は正規のもので、非正規は危ないからやめとけっていうことは書けますが、
医療行為ではないって同時に書いてあるんですよ。 とするとですね、
大金払って医療行為としての相談をしたい人は一体どこ行きゃいいのかっていうことになると、実はないんですよ。
少なくとも日本では日本語で日本人が正規の相談師として、心理相談師として、そういう職業はないかもしれないけど、話を医療行為として、
治療行為として話をし合うという、会話をするという、そういう場所はないんですよ。
それってどうなんて感じがしません?私すごいそれってどうなのかと思いますね。 まあ保険が効かないのは有名ですけど、単に保険が効かないだけではないんです。
あれはそもそも治療行為じゃないってことになってるんですよ。 あれはじゃあ何行為なんだっていう。
で、ここに至るとさっきの苦しまれてきた理由がかなり鮮明になると思うんですよね。
我々は心の病ですというのを、そもそも私ここですごい疑問に思うんですけど、カウンセリングとは何かでも、
えっと、戸綾隆さんがアセスメント重要だってすごい書いてるじゃないですか。そうだと思うんですよ。
てか私は正規の人が非正規と分ける部分は安全性と倫理性の話じゃなくて、アセスメントの有無だろうってぐらいに思うんだけど、
アセスメントは医療行為じゃないのかっていう疑問が普通に浮かびません。 だって、病名を診断するのって医者陣のやる仕事じゃないですか。
病、あなたは脅迫神経症ですとか、あなたはうつ病です。うつ病ですからね。言って、いいのにそれは医療行為ではないのかっていうね。
じゃあ逆に言うと医療行為はしないのにアセスメントはなぜするのかっていう、アセスメントは診断でしょ日本語では。
どう考えたってそれは何かがねじれまくってるだろうって思うんだけど、まあその辺どうなさってるのかはわかんないですね。
でも私は心理カウンセリングを、正規のですよ。受けに行って脅迫症ではあると思うとは言われた。
これは診断じゃないのかなと思う脅迫症ではあると思う。僕一時一句正しく引用してますよ今。
記憶している限りね。私は脅迫性神経なんだ、心の性質はあるという、そういうニュアンスで伝えられましたね。
あの山崎孝明さんとお話し受け上がっている時に時々こう、これは youtube でも彼喋ってたからいいと思うんですけど、
あのハップというものに対してある種アンチテーゼを出している戸畑海斗さんがね。山崎さんがっていうふうにはおっしゃってなかったと思うんだけど、
戸畑海斗さんはアンチテーゼを出しているようにおっしゃってたんですね。つまり平成のありふれた死に療法はアセスメントもせずにただ何か万全とっていうのかな。
えーと、ではお話を伺いましょうになってしまうと。しかしですね、医療行為でもないのにアセスメントして、しかし治療はしなくて、ただお話を伺いましょうは批判の的になるけれど、
アセスメントはする、治療はしない、話は聞く。これは一体、じゃあ話を聞きましょうでいけない理由って何なんだろうなっていう、まあ今は
あのDSMみたいなチェック表って多分あると思うし、何なら心理検査とかをすると思う。ここがだって強調されてますもんね、やっぱりね。
正規の人がここを強調したいと思うのは当たり前だと思うんですよ。だって治療もできず、保険診療もできないのに、
えーと、アセスメントはできますってなってたら、もうアセスメントするのが正規なんだって言うじゃないですか普通に。
あ、そうかアセスメントをしないからあいつらノラなんだなってここで区別しなかったら、もはやどこで区別するんだよってことになっちゃいますからね。
まあだから僕らは、僕らっていうのはつまりノラカウンセラーという立場で僕が喋るならば、実にこういうことを平気で喋っていられる気楽な立場なわけですよ。
だから批判するとアンフェアだなとは思うんですよね。ただ一方でどうしても最終の問題残りますよね。
後ろで看護師さんが聞いているところでできない話ってあるじゃないですか。結局第三者が聞いていたのでできない話ってあるじゃないですか。
これができる場を扱えられるのが正規のカウンセリングであるならば、やっぱり話を聞くだけではありませんって言うべきでは僕はないんじゃないかなって思う。
まあ言いたいことはありますけど、話を聞くっていうことをもっと強調してもいいはずなんだと思うんですよね。話を聞いて漏れないんですよ。
あのうつぱんにあったじゃないですか。電話しても何か2週間後になります。あそこは精神肺炎の電話だったと思うんですけど、何とか相談室とかも○○とか××とか書いてあって全部名前伏せられてましたけどね。
もうあんなに起死年齢強くなって辛いと。どうしたって話をまず聞いてほしいと本人はニーズとしては発信できないかもしれないけどニードとしてはもう話を聞いてほしいんですよ。
ここに誘導するしかない。だから話を聞きましょうっていう導入は私はあんまり塞がないでおいた方がいいと思うし、話を聞くだけですっていうことはないと思うんだけど話聞きますよっていうことを一義的に強調しないと何しろですねこの創生当初から苦しまれてきた問題の一つには医療行為ではできないというふうに定義されがちなところにあると思うんだけど
一方で精神科医という人たちがそんなに話聞いてくれるのかどうかは大層疑わしいんですよ。大層。なぜお前にそんなことが言えるっていうかと、私は家族が党後視聴症でずっと通っているけどちっとも良くならないのでその病院に話を聞きに行ったわけですよ。
でも極力私の話なんかは聞かないように聞かないようにそちらの病院ではやっぱり扱われるわけですよ。ご当院の委任状を持ってきましたかとかそもそもあなた本当に身内ですかとかいろんなことを言われて、でも私は院長先生と2回話をしましたけど1回目に話をしてさせてもらっても受付で2回目にはやっぱり別に委任状をしかも1ヶ月できれば1ヶ月しないものを用意してもらっても、
用意してやってこいって言われるもんなんですよ。しかもそのところの別にディスリタイルじゃないんですけどやっぱりそういう気持ちにはなるんで、ホームページ見るといつでもお気軽にご覧ください。超ウェルカムですって書いてはあるんですよ。でもまあそういうもんですよと僕は思います。
お金を取れるようだろうとなんだろうと、私みたいな人間がいちいち来るのは邪魔だし、多分先方からすれば。一方でしかし客はウェルカムですって言うに決まってるじゃないですかホームページではね。そういうもんだと思いますが、ここで難しいのは、だからといって話を聞きたいわけでは決して話をしたいわけでも聞きたいわけでもないわけですよ。別にそんなので大した金額取れるわけではないですしね向こうからすれば。
長くて15分はいかないな。10分ですね。やっぱりね。もちろん第三者が聞こえる状況ですよね。せいぜい一応個室ではありますけれども、そのお医者さんの後ろは一定の大きさの病院ですからね。お医者さんの後ろは看護師さんが行き来しますが全然興味はなさそうですけど行き来はしますし、つまり相当センシティブな話でも、親とは筆談しかしませんとか。
親に殴りかかりそうですとか。何ならiPhoneを何台も叩きつけますとか。そういう、まあこんなのはセンシティブでもなんでもないんでしょうけれども、センシティブな話でも絶対に密室で話されているわけではないですよね。
で私はですよ、ライフハックの人だって、というかこれはライフハックからのなんでね。ここで密室を作るべきだと思うんですよね。
いやだから正規のお医者さんが作れないと言うし、正規の心理師さんは医療行為ではないと言うから、医療行為として我々は本当に秘密の話を50分も1時間も60分も聞いてもらえる場所はまだ持ってないってことです。
ましてそれをやっても保険は聞かないってことです。極めて特殊な何かになるっていうことですよ。
この環境なんですよ。我々がいる環境と。居酒屋でするってことはできますよ。あのずっと先送りしちゃってたみたいな。今年も確定申告で全然間に合わなかったんだよねみたいな。
でその後家に帰ると本人としては結構深刻な気持ちになるのかもしれないけど、この種の話は結局秘密の空間で真面目に取り上げられることは絶対ないってことなんですよ。ある意味では。
だから私はなるべくなるべくですよ。真面目に密室に近い形で取り上げるっていう方向で場をあつらえているんですけどね。
それが何になるのかっていうことと、それも非正規じゃんって話なんだけど、だって正規のものにそういうものがないんですよ。
あるって言うんだったら、あるはずはないんだよな。定義上治療行為でないっていうのは治療行為だと言ってはいけないってことだと思うんで。
だから正規の心理士さんが話は聞いてくれますよ。ただそれは治療行為じゃないってことですね。
心の病気をアセスメントして、その心の病気を治すためにカウンセリングという手段を用いている正規の存在というものは、実は存在しないのではないか疑惑が。
心理相談の環境の課題
ただしこれは多分グレーです。このように言い切ってしまうことはどうかと思うんです。
ただ見つけようと思ってもなかなか見つかるものではありません。治療行為ですと歌っているところは治療行為をなさっているのかもしれませんよ。
でもそしたら正規の人だってグレーなことをやることになっちゃうじゃないですか。もしそれがダメだってことになっているならばですよ。
どっちみち保険は利かないってことなんですよ。お金はかかりますってことですね。
保険聞いたってお金はかかっているんですけどね。国が肩代わりしてくれているというだけであって。
こういう話をつらつらと述べてきたわけですが、何でもいいんですけど、本当に全く何でもいいんですけど、
さっきケンスーさんの話、私ケンスーさんの話よく聞いてるんですよ。
なんでかっていうと聞いて面白いんですよ。やっぱりお上手だなって思います。本当にですね。
とても真似できないああいうものって。簡単にできそうな感じでやってるけど、簡単ではないなってやっぱり思いますね。
別に話の内容自体にさほど興味があるわけじゃないんだけど、聞いてるってことはやっぱり聞けるってそういうことなんだなと思う。
この僕のこれなんて話に興味なかったら多分誰も聞かないと思うんですよね。話に興味がある人誰が聞いてると思うんですよ。
私はケンスーさんの話って興味なく聞いてるんでこれやっぱすごいなって思います。
中でたまに興味のある話が出てくると非常にありがたいわけですよ。だって聞いてるわけだから興味があるほうがいいじゃん。
さっきの話、興味があって自称コインについて語られてたんですね。
ある専門家の精神科医の方がダイヤモンドオンラインだったかな?で自称コインについて書いてたのを読んでケンスーさんもそういえば自称コインってやるけどって言いながらやっぱ彼はですね、健全で前向きだなって思うんですよ。
偉いなって思います。自称コインとして彼は寄付をするって言うんですよね。なんてすごいんだって思います。
自称コインが寄付なんだ。お金を寄付するわけですよ。しかも自分にダメージが残るぐらいの金額がいいって言うんですよ。自称コインだから。
自傷行為の心理
やっぱり彼がそうなるのか本当にってこの話聞いてると思うんだけど、むしゃくしゃして自分を傷つけたくなると。
でもリストカットするというのはやっぱりダメージが厳しいと。そこでお5万円を寄付するんだって。えーって感じじゃないですか。ラインファックですよね。
つまりやっぱり自暴自棄になってるから自分を痛めつけたくなるんだと。そういう心理にはなるんだと。信じられないですけどね。こんな話聞くと。
でも物壊したりすると後で物が壊れてしまうと。だからせいぜい断捨離にしようと。ちょっと大事な物を捨てると。
でもそうするとダメージは残るけど部屋がきれいになると。もっといいのが10万円とかを寄付すると。
それは自分に痛みを与えてるんだけどその時はそれが快感なんだと。この辺は自称的な言い分ですよね。
しかし後になって冷静になってみると10万円寄付して自分いいことしたなと思えて気持ちもいいと。いやー人間できてるなと思いますね。僕はそんなにできてない。
だから妻と喧嘩をするとかそういうどうしようもないことをしますがそれはしょうがないですよね。そんなに人間できてないんで。
で僕が思ったのはその自称行為の話で精神科の方もそういう自称行為というのはストレス発散とかするんだけど自分に板手を与えるんだってそういう。
だからその中には過食もあれば挙食もありリストカットもあればアルコール依存もありそういうケンスさんのように寄付をされるという方もいらっしゃるという話なわけですが。
僕はその話を聞いてだがそうだそれはもう全くその通りなんだと思うんですがしかしやっぱりだから私はサンチャレをやるんだなって思ったんですね。
つまり同じ挙食をする過食をするでも理由が違うんですよ。
畳にはそれはいっぱい物を食べてるとか全然物を食べないとかリストを切るとか一つ一つは自称という言葉にくくられていくんでしょう。
酒いっぱい飲むとかなんなら寄付するとかでもケンスさんは寄付をする。
ある種の人はパンをいっぱい食べる。全然行為として違うじゃないですか。
行為が大幅に違うところにはやはり大きな違う理由というか動機がある。
そして僕はライフハックをやっている人も自称というタスクを行っている可能性。
タスクシュート的に言うとねアクションをすべてタスクという名称に切り替わるんで。
自称というタスクをやっている可能性が十分あると思う。
これは時間の無駄だとか辞めるべきなのに辞められない自分に罪悪感。
まあそれが自称行為の罪悪感らしいんですけどね。
私はでもそこになぜそれをするのかというストレス発散という言葉では足りないと思うんですよね。
だからそれを聞く必要があると思うんですよ。
例えば頭の中で今でっち上げてみたんだけど、でもそういう話読んだような気もするんですけど
娘が吐くと。食べ物いっぱい食べてから吐くと。
ストレス発散としての行動
でもそれは私が昔体にいいから食べなさいと言ったものばかりだ。
この話どっかで読んだんだよなというお母様の悩み。
これは自称にまつわる悩みですが、これってちょっとダイエットの話。
ケンスさん先ほどダイエットっていう話をされたんですけど、ダイエットではないですよね。
これはお母様の教育に対する非常にどれほど自分が傷ついたかという自己愛的な傷つきの話をしてますよね。
しかもご当人は食べさせた、いわば加害者として話をされてますよね。
僕はもうこれだけ一つとっても、これと寄付とリストカットはそれぞれ全く意味が違うと思う。
意味があるんですよ、行為には。
そしてその意味を理解しようという人がいないと、当人は理解しようという気はないんですよ。
実はダイエットだとか言っていて、めちゃくちゃ物を食べて吐いてるのかもしれないんですよ。
でも本人は本当にそれダイエットだと思ってるのかもしれない。
ただそれを母親が見ると、この子が吐いてるものは全部昔私が無理にして食べさせたものだってことに気づいたりするわけですよ。
でもどうしていいかも分かんないじゃないですか。
私があんなことをしなければっていう後悔だけがそこにあるかもしれないじゃないですか。
そこにはいろんな意味があるわけでしょ。愛もあるわけじゃないですか。
っていう話をするところが、なぜ公的にそれこそ保険聞かせてやるところがないんだってこと。
こういう話を例えば学校の先生に相談するとかありだと思うんですけど、夫に話をするとか当然ありですよね。
でも夫が話を聞かないとかそういう話になってきたりしますよね。
その話結局誰が聞くんだっていう話を、
私は一番最初の冒頭で引用した松木邦博さんの分析実践の進展の中に書いてあったことだと思うんですよね。
これを結局お医者のところに我々は最後持っていきますよね。
しかしお医者さんは少なくともガッチリ50分プライベートな空間を集えて話を聞いてくれたりはしないんですよ。
そもそもどういうふうにしてこの話聞いてほしいかってあるじゃないですか。
今の話を無理やり繊維で体に良いものを食べさせたりしたお母さんは多分カウチに寝ながらこの話をしたいとは思わないと思うんですよね。
なんとなくですけど。
なんとなく対面で椅子があってテーブルはなくていいと思うんですけど、膝を交えて、もちろん触身はいりませんよね。
話を聞いてほしいってことだと思う。
まずはとりあえず解決策はいると思うんだけど話を聞いてほしい。
そういう意味ではあの遠畑海人さんがやっている形ってのは非常に私はいいなと思う。
あの遠畑海人さんがやっている形が極めて近いなと。
あの人の臨床のエッセイ風にまとめている本を読んでいるとやっぱこういう風にやってほしい感じの人って多いだろうなとは思うんですよね。
だからそこでやっぱりポジションを確立されているわけだけど問題なのはポジションを確立しなくても同じことができる人はいるはずなんだから
そこに正規の公認心理士とか臨床心理士というものをセットする意味っていうのがあるんじゃないかなと思うんですよね。
これは社会的なものなんですよね。
だから私はそうするべきだと思うし、ぜひ今回のこの公認心理士にみんななっていて、カウンセリングとは何かがこんなに売れている今度こそですね。
これが我解しないでほしいなと思いますね。
あの日本のこれに関する歴史は極めて危うい歴史だったような気がしますからね。
だからこう私からするとですけど別にだから占いがなくなるとかそういう話では一向にないと思うんで
そもそも占いってよくなぜここで持ち出されるんですけど比較の対象じゃないだろうって思うんですけどね。
占い師にこの話持ってかないでしょ。
違う話なんですよ占いに持ってかれる。
まあ普通は恋愛だと思うんですけど旅先でね。
絶対これねその比較の対象が間違ってると思う。
そういうことを論じてるんじゃないと思うんですよね。
で今の話の続きを言いますと自傷には様々なパターンがあり、ライフハックと言われているものの中に自傷が入ってるんだというのが私が言いたいことなのね。
ライフハックからの精神分析っていう文脈ではそれが私は言いたいことなんですよ。
自傷が入ってるはずです。
だけどそれは多分当人は自傷だと思ってないし誰にも相談されてないでしょう。
おそらく。
それを繰り返しているがために滞っている業務はたくさんあるんだけど一切スルーされているその因果関係については。
滞ってる方は自分のやる気が足りないと思ってるし自傷のタスクは自傷だと思われずにバリバリ行われて私は今日もこれをやってよかったみたいに思われてるだけのような気もするし。
そういうことは十分あり得ることだし。
で、それを相談する相手は相談する動機も持っていない。
相談する相手も実はいない。正規という意味ではですね。
非正規だって滅多にいないんですけど。
だから私は話を聞くだけですとは言わないまでも話を聞くんですというのは言った方がいいと思いますし
そこがなるべく趣味が確保されていると。
確保されてないってことがさっきの松木さんの本の話の中にあったわけですからね。
第三者が聞いてるじゃないかっていう。
看護師は医者から見て第三者ではないんじゃないかっていう気もしますがとにかく二人っきりじゃないっていうことですよね。
公的なカウンセリングの必要性
母子関係ではないってことですよ。
私の観点ではですね。ここに母子関係というもののメタファーが用意されなければいけない。
お母さんにだけはできる話がある。だって子宮の中にいたんですからっていうことですよね。
まあ話が精神分析側に大きく逸脱してるんだけどそれはまあ私の趣味なんで。
これを聞いてる人はそれを聞くことになるんです。必ずね。
ここが私のある意味プライバシーですからね。
第三者は誰も聞いていない。
まあみんな聞いてますけどね。不思議とこういうもんなんですよ。
これかわいはやまさんどっかで書いてた気がしますけど。
第三者は誰も聞いていない二人だけの秘密は意外と世界中に漏れていくみたいなそういう。
あれは影の現象学だったかな。
まあそういうことがさらっとエッセイ風に書くのがあの人の芸風なんで。
そういう風に書かれていたわけですね。
で、もうおしまいにしたいと思ってるわけですけれども。
35分も経ってますし。どっからどうやって今の話で35分も経つんだろう。
結局危険であろうとなかろうとないわけですから他には現段階では。
そのうちあるようになると僕は信じているというか希望を持ってるんですけど。
僕だってユーザーの立場ではありますからね。
ユーザーとして今真理認証使ってるわけじゃなくてもあるわけですよ。
だからそれは絶対正義っていうものがあったほうがいいに決まって。
正義があるから非正義の意味も出てくるんだと僕なんかは思うんで。
みんなが非正義になっちゃったら非正義の特色なんか何でもありの世界であるってだけになっちゃうんで。
いわゆるみそもくそもないみたいな世界になっちゃうんで。
そうでないほうがいいと思うんですよね。
非正義は肩見せまくったって特色出せますからね。正義がいらっしゃる以上。
だからいいと思うんですよね私はね。
この流れというものが持続していき発展していき健全な方向に向かうというのは。
少なくとも今は依然としてあまり健全だとは思えないわけですね。
例えば挙食・過食みたいな話もあるわけで。
例えばですけどライフハックやってたってタスクシュートやってたって
このタスクやりたくないなちょっとコーヒー飲みながらお菓子でも食べようって。
これは私は自傷ではないかもしれないがもう十分取り込みっていう話になってきているし
お母さんを取り込み始めている。なんならミルクが欲しいわけですよ。
お母さんを取り込むというのはいろんな意味があると思うんですよね。
お母さんがその家の長寿が兼ねている。つまり父親も兼ねているなら
自分が正しいと思いたいからコーヒー入れに行く可能性は結構相当十分あるわけですよ。
しかもこれは大人の香りってやつがしますからね。
これを始めてしまうとですね。いやいいんですよ全然。
仕事前にコーヒー入れる。全然いいんですよ。
ここで余計なことを考えるべきでは全くないんだけど
正規のプライベートの必要性
しかしミルクでもあり大人の味でもある。それを入れるということはですね。
マイルドになるべく言いたいわけですけれども
少なくとも対抗していますよね。
自我心理学的に言うところの対抗が始まっていますよね。
私は自分が対抗なんていくらでもするんで
ただ物を投げて大人に投げたくなっているだけの状態に
夫婦喧嘩の最中とかになっちゃってるんで完全に。
いやもうそんな対抗なんてあるに決まってるじゃんと思うんですけれども
会った方がいいとか会っていいとかそういう話をしてるわけじゃないですよ。
後でのダメージがない方がいいんでコーヒーとかを飲んだって
配数によってはいいとかにダメージいくんですけど
何が言いたいかというとですね。
良い悪いっていうか貝不貝っていうものを
心の中で組織化していくということは
めちゃくちゃプライバシーなことだってことなんですよ。
今回の話に沿って言うならば。
この場合のコーヒーは人とは飲まないんですよ。
喫茶店でコーヒー飲むのとの意味は大きく違うんですよね。
でもあれも結構一人で飲んでいるぜみたいな顔してるじゃないですか。
でも私は喫茶店でコーヒー飲むときは
マスターがいるとか女の人がいるとか
なぜ両方いるのかっていうね。
私両方いると思ってるんですよ。
でもマスターだけの空間というのもいいとは思うんですよ。
何が言いたいかというとあれは家だってことなんですよ。
つまり事象行為に限りなく近い部分があるということなんですよ。
コーヒーを入れるというのは全然マイルドじゃなくなってしまった。
事象って何なのかというと
さっきのお母さんが娘が吐くものは
私があげたものつまりミルクを吐くって言われてるわけですよね。
私が拒絶されてるんだと。
しかし拒絶は必要じゃないですか。
なんで拒絶が吐くという不健全な子になるかというと
早すぎるからなんですよ。
食べ物を拒絶するというのは
自分が食べ物を取ってこれるようになって後の話だから
普通は成人後であるべきなんですよ。
成人後に母親を拒否したときは
決してその人は吐くという形を取らないはずですよね。
事象とはつまり母親の体を傷つけたいわけですよ。
子宮の中であれば完全にそういうことになりますよね。
つまりそれは私には私のホームがある。
あなたのホームから出なければならない。
これ僕本能に近いと思うんですよね。
この本能がくじかれるとき非常に難しい問題が起こるわけですね。
喫茶というのはつまり父親と母親がいる他の家に行っちゃうわけじゃないですか。
非常に中途半端な行動ですよね。
自立とは言いがたい。
結局第二の依存先を探して元の依存先から出てるに過ぎない。
しかし僕は自立とはそういうことだと思うんです。
自立が依存先を増やすことだというのは全くそうだと思うんです。
僕らは第一の家から出て自分の家を作るときに
実は第二の家を必要とするんですよ。
これを中間領域って言うんだと思うんですけどね。
奇跡ですけどね私は。
私は自分は中間領域を作りたいんですよ。
よくカフェに寄るような感じで
研究室に来てくださいとかって書いている大学の先生っていらっしゃるじゃないですか。
探せばありますよそれはホームページ絶対に。
僕はそういうところには絶対行きたくないなって思うんですよね。
私入り乱っていた大学の先生二人いるんですけど
うち一人は僕にフロイト全集をくれた人なんですけどね。
彼はいつでも来ていいように言うけれど
コーヒー出したりは絶対しないんですよ。
自分はコーヒー飲んでるけど。
ああいうのが僕は正しいスタンスだとよく思う。
けじめをつけろって話っても全くないですよ。
そうじゃないんですよ。
そうでなくても既に中間領域。
だって僕は絶対あの人お父さんでありおじいちゃんであると思ってたんで。
まあおじいちゃんだと思ってましたけどね。
中間領域なわけですよ。
自分の父親という微妙な出来の心情差派みたいな政治的な話をした場合
別に十分ものを考えていたんですけど
僧侶ですからねやっぱりね。
でもあの心情差派のすごくこう
ある意味偏見に満ちたものの考え方から抜け出したかったわけですよね。
だから大学の先生の研究室ってすごい良いわけですよ。
完全にエリプスなんですよこれは。
補完値の息子になってやるってことですよ。
幸いその先生はものすごく複雑なものの考え方をする先生だった。
だってフロイト選手僕にくれるんですから
どっか頭おかしいじゃないですかある意味。
だからそういう先生だったから
やっぱり喫茶に模倣したりはしなかったんですよね。
既に彼は自分ところが中間領域だぐらいのことは
十二分に認識されていたと思うんで
僕はもちろんわかってなかったけど。
家出少年なんです私は。
家出少年がカフェに模したところに行く必要はないんですよ。
てか行けないんですよそんなところ。
家出少年にコーヒー出すことはないんですよ別に。
だからコーヒーは自分が飲んでるところに
ただ来るわけなんですよ。
それで十分なんですよ。
それ以上やると何かに模したものになっちゃうから
僕は多分行きたくなくなるんですよね。
もう一つのところはもうちょっと古ってて
なるべく来るなって言うんですよね。
それはそれで一つの対応だと思うんだけど
行きにくいっすよねさすがにやっぱり僕も
そこまで家出してなかったんで。
もっと家出してれば来るなってところにもっと行ったと
でもあの先生は相当変靴だったんでどうかと思うんで
でも来るなってところに行くんですよ。
そうすると歓迎されるんですよ。
ライムに畑に捕まえてにそれにキャッチャーインザライですね。
あれに似たような場面がありますけれども
あれそっくりだなって私あれは読んで
先生これはつまりそういうことかって
そのフロイトをくれた人は
これは君より子供っぽいだろうとは言われたんですけど
同じことだよねっていう話ではあるんですよね。
自分はキャッチャーインザライよりは先行ってるのかなと
あの時思ったんですけどね話がちょっとそれてますが
だから中間領域ってすごく大事だってことなんです。
中間領域はやっぱり僕は正規の中間領域があるべきだと
今のような時代は辛いんで
だから家出をしたくなるんだけど
中間領域とその重要性
家出たところで世の中がこうもシステマティックになってしまうと
道端で寝てるわけにはいかないんですよね。
だからやっぱり行き場を失うと
どうしても新宿の歌舞伎町でみたいな話になっちゃうんで
あれはやっぱり何するんだろうな
まだ準備不十分にやることじゃないですか。
この番組でもお話しした通り
いそくからヤンキーの人たちっていうのは老けちゃうんですよ。
酒飲んでタバコ吸って喧嘩して
人から金を巻き上げるってのは
全部お父さんがやってることを
若者らしく急いでやるとああいうことになる。
それで一罪なしたりするのは不可能に近いじゃないですか。
だし体へのダメージも変に高くなってしまいますしね。
いそくからそういうことが起きるわけですよ。
セックスを早くやるとかですね。
すべて老けてしまうわけですよね。
自立が早すぎるわけです。
それは家があてにならないからそういうことになるんでしょうけれども
我々だって自立を急ぐってことがしょっちゅう起こりますから
だから一気にここで自分が仕事をするのを大量にやって
毎月100万円ずつ稼ぐぞみたいな
自立急いでるわけじゃないですか。
ある意味死期を早めるわけですよね、これをやるってことは。
だってアーリーリタイアってそういうことじゃないですか。
早く退職し早く老後を迎えれば
老後がうんと長くなるかもしれませんけど
私は死期が早まるような気がするんですよ。
だから僕は極力一生働いていい
これはちょっとどうかと思う
これはモラトリアムなんですけど結局長く働きたいっていうのはですね
私はモラトリアムなんですけど完全に
もともとモラトリアムな人間なんで
遅いわけですよ私は
だってヤンキーとかにならなかったしね
それはだって私が人生の中で
タバコも酒も飲んだことも吸ったこともないですってことじゃないんで
セックスもしたことあるんで
つまり遅いわけですよ私は
遅いとヤンキーじゃなくなるだけなんですよ
遅いと坊やがらないわけですよ
でどっちがいいとかどっちが悪いとか
社会的にはまあ後者の方がよく見えるんですけど
それはそれだけのことですよね
ライフワークってものの中には
これが完全に含まれてますから
間違いないですから
だからこのコーヒーを入れるっていうことをやろうとした時に
検討してもいいことだけど
こういうことばっかり検討してると
知事として進まないしめんどくさくてしょうがないので
さっさとやっちゃったって別にいいわけですよ
そんなこと考えずに
ただ常に私は
考えられていない考えを考えるっていうね
Think and sort sortなんですけど
これもやっぱりですね
Thinkingかな
あの私はいつもいつもいつも
念頭に置きたいなという感じはしますね
だから私はたぶん
サンチャレがサンチャレないと
僕はもうやってれないんだろうなっていう感じが
結局Thinking and sort sortっていう
考えられていない考えを考えるっていうことは
タスクをただやっちゃダメなんで
ダメな感じがするんで
タスクってただやったほうが効率的なんですよね
どうしたってね
タスクシュートとかをやってても思うんですけど
間髪入れずにやるっていうのはある意味効率的なんですよ
ただこの効率っていうのはやっぱり
行動化というものをどうしても
必要とするんですよ
アクティングアウトを
やっぱ考えずにそれを行動に移してしまうってことをやると
それによって少なくとも
タスクは実行できますからね
それによって生産性が本当に高まるかどうかは
大いに疑問であったとしても
タスクは実行できますから
ただしそういうことを繰り返してると
コーヒーばっか飲んでたりするんですよ
気がついたらですね
それはやっぱり僕は中間領域の欲しい
自称講演に近い何かに
だんだん近づいていきかねないと
行動と考察のバランス
だからコーヒー飲むのやめましょうね
話では全くないですからね
僕もワイン酒飲んでますし
2杯ずつぐらいは
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