存在とは
サマリー
このエピソードでは、精神科医としての経験や小説を通じた感情的影響について話されています。また、陰謀論的視点や患者との対話、うつ病や双極性障害に関する専門的な議論が行われています。精神科の診断や治療の実情が語られ、特に長期入院患者の扱いや、患者と医師のコミュニケーションの方法が論じられています。地域に戻れない患者の問題や、精神医療における医師の責任についても触れられています。このエピソードでは、精神的な健康とその治療についてのさまざまな視点が示されています。特に、配信活動を通じて医師としての経験と患者の視点を共有し、互いに支え合い、考えを深める意義が議論されています。配信を通じて自己表現を追求する過程や、他者評価から自己評価への価値転換の重要性も論じられています。特に、過去の経験が自己開示の動機に影響を与え、存在承認や行為承認についても深掘りされています。このエピソードでは、亡くなったおばあちゃんへの感謝の気持ちを通じて、生きることの価値が考察されています。存在の承認が他者との関係にどのように影響を与えるかや、自分自身の存在価値を確認するための視点についても話されています。
祝日の過ごし方
それでは放送を始めます。
信仰は私、刺身ちゃんです。どうもよろしくお願いします。
2025年3月20日、木曜日、14時5分。
自宅から生配信です。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
今日は一応祝日で、木曜祝日ってあんまり経験がないですけど。
個人的には非常に助かってます。月下水と働いて。
だいぶ疲れも溜まってたので、木曜休めるのは本当にデカいね。
朝からダラダラしてます。
昨日も結局配信した後も夜更かししちゃって、
なんか1時過ぎぐらいには寝れたんですけど、起きたのが6時ぐらいで。
なんかそう、すごい眠くて朝。
で、なんか動画見たり本読んだりゴロゴロして寝たりで。
来たよ、どうも。そうなんですよ。
で、今に至るとなんかもうずっと家でゴロゴロしながら。
冷蔵庫ももう空になってきてるんで、そろそろ買い出しに出ないといけないんですけど。
そんな感じのグダグダとした祝日を過ごしてますが、皆さんの調子はいかがですか?
木曜のこの時間って全然配信に馴染みがない。
なので、もしかしたら来る人はほとんどが初見かもしれません。
あまりにもちょっとコメントが流れなかったら空気を読んで、枠を閉じようかなと思います。
精神科医の読書と影響
そう、ちょっとチャレンジ枠ですね。
普段とは違う人が来て、普段とは違う話ができたら面白いかなと思ったんですけど。
こんにちは、どうも。1号さんどうもです。アイテムどうも。
なんか新しいイベントが始まったのかな。なんかゲームのコントローラーのアイテム。
ありがとうございます。
まあ、図書館から借りてきた本も溜まってるしね。どっちも片付けなきゃな。
先生こんにちは、どうも。こんにちはです。2号さんどうも。
コントローラーさんごプレゼントどうもです。
今日は何の話をするか。
全く白紙の状態。
先生はどんな本を読みますか?
そうだね。小説はあんまり読まないかもしれませんね。
なんか東の敬語の小説を買って読んでるんですけど、なんかこうかわいそうなシーンが出てきて。
中学生の女の子が死んじゃうシーンなんですけど。結構心が重くなりますね、やっぱ小説って。
最近はなんだろうね、ちょっとやっぱ精神科医として頑張らなきゃっていう思いがちょっとずつ出てきて。
精神医学系、精神病理学系の本とか。
あとその精神科医が書いていらっしゃる一般書ですね。
岡田敬先生の愛着障害と複雑性PTSDとか。
あとそのディジーズマンガリングの疾患権限の社会学系の本とか。
うつ病というものは実は製薬会社によって作られてるんだ的な陰謀論的な本も普段あんまり読まないんだけど、一応読んどこうかなって。
そういうのをコリコリ読んでますね。
高校時代に松本成長にハマって。
読みやすさはどうですか?
その間にちょっとチャットGPT起動しましょうか。
小説の感情的な影響について。
精神科医として日常的に患者さんの苦しみを聞く立場であることと、小説のフィクションとしての悲劇を読むことではどのような違いや共通点を感じますか?
また小説の感情的な影響をどう処理しますか?
面白い。一気読みしてしまうほど。松本成長ね。
なんかね、確かに患者さんの話を聞くことは小説を読むことみたいって思うかもしれないですけど、
実際そんなに人間って自分の人生を有弁には語れないし、
自分の体験、その体験の生々しい感覚とか手触りをそんなにありありと描写できないんですよね。
なので小説を読むと極端にきれいに書かれてるんで、ちょっと日常の心霊とは違うなっていう感じですね。
認知症を一つとってみても本人はもう言葉が全然飛び飛びで、どういう状態なのかっていうのももう外側の表質からね、判断するしかなかったり。
周りのご家族に聞いても結構大抵その配偶者の方も高齢ですから、話がまとまらなかったりって感じで、
一体何が起きてるんだろうなーって原病歴とかね、とっても小説ほどの解像度でクリアに見えてくることっていうのはあんまりないですよね。
推理系なんですね。
精神医学系の本を読むことが増え精神科医として頑張らなきゃという思いが強まっているそうですが、
それらの本を読むことでどのような具体的な行動の変化や心霊に影響が出てきますか?
心霊には直接は関わらないですけども、たくさんの言葉をとりあえず仕入れておくって感じですかね。
例えば妄想っていう言葉を一つ取っても、精神科医が使っている意味での妄想と一般人のね、
一般で使われている妄想の意味って全然違うので、
なんとなく理解してる風になっちゃっているものをもう一回ちゃんと学問として捉え直すっていう感じですね。
妄想にもね、一時妄想と二次妄想があって。
やっぱり統合主張症の勉強をしてるんだったら一時妄想かなとか。
あるいは、認知症の周辺症状にも妄想って出てきますけども、
それとその統合主張症でいう妄想っていうのはどういう違いがあるのかなとか。
なんかフィーリングでやっぱり言葉を使わないことをちょっと最近はちゃんと心がけてますね。
一応指定医のね、取得を目指して頑張ろうっていうことにはなってきてるので、
まあちゃんとそれらしい、大学病院とかでやってたことをもう一回ちゃんとやり直そうって感じですかね。
最近のその精神科のコンビニクリニック化によってもう精神科医の質がすごく下がっていて、
話を聞いて、なんとなくうつ病だからうつ病じゃねとかって言って診断書を連発してるっていう状況があるんですけれども、
そういう質の低下にやっぱりちょっと抗うというか、自分はちゃんと精神科医なんだっていうふうに胸を張って言えるように
ちゃんと勉強しなきゃなって思いは結構あります。
陰謀論と診断基準
コントローラー3個プレゼント。ありがとうございます。
陰謀論的な視点をどう捉えるか。
うつ病は製薬会社によって作られたという陰謀論的な本を読んでいるとのことですが、
精神科医としての立場からそのような主張にどの程度の説得力を感じますか。
また陰謀論的な視点を持つ患者と対話する際、どのようにバランスをとって説明しようとしますか。
陰謀論にもすごいグラデーションがあると思うんですよね。
それなりにきちっと取材していって、その取材の先にこういう見方が、仮説が可能なんじゃないかっていうのは
陰謀論というよりかはジャーナリズムですよね。
綿密な取材の下に、確かにこの可能性はありそうだねって。
そういうジャーナリズムから、もう本当に急に思いついちゃったみたいな
IQが境界知能の70代とか80代前半ぐらいの人たちを狙っているような
明らかにくだらない陰謀論というものもあるじゃないですか。
そういうものも含めてかなりグラデーションはあるなと思いますね。
で、製薬会社によって鬱病とか躁鬱病とかの患者が増えていると。
あるいはその診断基準によって発達障害が今爆発的に増えちゃっていて、精神改良は暴走してるんじゃないかみたいな見立てには
一理あると僕は思っているので、そういう視点も持とうって感じですね。精神界として。
心理学系、精神分析系の視点と精神病理学系の視点と、あと社会学系の視点。
この3つはちょっとバランスよく接種したいなって感じですね。どれか1個に偏っちゃうと、かなり物の見方が偏るので。
私も境界知能です。553どうもありがとうございます。
そう、境界知能の方は結構生きづらい世の中ですよね。
きちんと保護されるわけでもなく、悪い奴らが結構騙してきますからね。
すごく流暢性バイアスって言うんですけど、めちゃめちゃ流暢で分かりやすい言葉を使って詐欺に惹かれてきますから。
ある程度の知能がないとこの人嘘ついてるなとか、わからないじゃないですか。
その嘘が見抜けず、何かいつの間にか不利な条件で契約させられたりとかしてることもあると思うんで。
このSNSの時代、特に今は難しい時代ですよね。
相極性障害には一型二型と分けられてるんですか?違いは何ですか?と。
相極性障害には確かに一型と二型って分かれてますね。
細かく言うと色々あるんですけれども。
俗に言う、だから僕らがイメージする方、層があって鬱があってっていう波がありますよね。
深幅が上にグイーンと基盤が上がる時もあればギュイーンと下がっちゃってみたいな。
そういうものが一型ですね。
もちろん一が最初に発見されてるので、その典型的なまさに層鬱としか言いようがないものが一型ですね。
細かくは診断基準を見てほしいんですけど。
それ以外のグイーンと上がってる時期があるのかどうかよくわからないけれども鬱気はかなりはっきりとある。
みたいなものが二型ですね。
だから反復性鬱病とかとかなり連続してるのかなと。
逆に言うと反復する鬱病っていうのは相極性障害の二型なんじゃないかなとか。
そういう視点で治療者は見ますね。
鬱病が何回も何回も反復するっていうのは
やっぱり短い継続のエピソードを見落としてる可能性があるんじゃないかなとか。
だとすると抗鬱剤はあんまりピタッとはまらないので
リチウムとかバルプロ酸とか
なんかそっちの方の薬の方がいいのかな。
気分安定薬の方がはまるのかなとか。
常に考えはしますけどもね。
休憩中です。どうもです。
でもここら辺って僕もね、あんまり論じられるほどまだちゃんとはわかってないんですよ。
そもそも相極性障害の二型っていうものが存在するのかどうかっていうのを
否定するというか、かなり怪しいっていう風に見てる精神科医もいるので。
多分また何年後かにはここら辺の診断基準って変わっちゃってね。
今一生懸命一型と二型を覚えても全く違う分類になる可能性もありますから。
二型がずっと二型って。
二型が二型って変換されてるね。まあいいや。
次の質問は二型に関する質問かもしれません。
騙されやすいですし記憶力も悪くて空気が読めなくて苦労しています。
なので自分で判断がつかないときはやっぱり信頼できる誰かを見つけることが大事ですね。
自分で全部をね、物理とか科学とか医学とかを全部理解することってももちろん普通の人では無理ですけど、
業界知能の人にとってはもっと無理なので、
そこそこ頭のいい信頼できる人を何人か見つけるっていうことが大事ですね。
そういう人たちは何人からか意見をいただいて、
その3人でも4人でもね、その意見に共通している部分を信じるっていう。
そうすると極端に騙されることは少なくなるんじゃないかな。
例えば僕なんかスマホのことをほとんどよくわからないんですよ。
その店にある一番いいやつくださいみたいな、
そういうバカみたいな注文しか僕できないぐらい音痴なんですけど、
スマホに詳しい何人かに質問してね、こういう用途でこういう感じのが欲しいって言って、
その3,4人が出してくれた答えの共通の部分だけを抜き取っていつもだいたいスマホを買ってますね。
まあそうするとiPhoneになっちゃうんだけど、結局。
結局iPhoneの一番最新版になっちゃうんですけど、
まあいいんじゃないかなという決め方で。
僕も何でもかんでも全部詳しいわけじゃないんで。
だから知識を見抜けなくてもね、嘘を見抜けなくても人を見抜ければ何とかなるんじゃないかなって。
信頼できる人を見抜く力は最低限必要でしょうね。
教えてくださりありがとうございます。
情報が飛び飛びになりがち。
そうですね。診察の場面では患者自身が体験を言語化するのが難しく、
また情報が飛び飛びになりがちであるのに対し、
小説は極端に綺麗に書かれているという指摘がありました。
では、精神科医としてフィクションのように明確な物語を求めすぎることが診察に与えるリスクは何だと思いますか?
うーん、明確にしすぎようとするとすごく余計に時間もかかっちゃうし、
うつ病の…何て言うんだろうね。
結局何とか病ってわからないんですよね。精神科は答え合わせができないんです。
だから様々なごちゃごちゃしたエピソードの中から、
直感的にうつ病としてこの人は見ていった方がいいだろうなと思って、
うつ病のエピソードを拾うわけですよ。
でもうつ病の治療がうまくいかなかったり、
あるいはその患者さんが治療の途上でまだ言ってない話が出てきたりすると、
これはそうつ病のエピソードとしてまとめた方がいいかもなって言って、また原病歴を作り直すんですよ。
そこが他の科と違うところですね。
診断の再構築
だから統合主張症とかのつもりで聞いて、統合主張症のつもりで原病歴を書いたとするじゃない?
でも別の医者から見たらこれ統合主張症じゃなくてこれASDだよなって。
発達障害の人なんじゃないかってなったら、もう一回原病歴を取り直して発達障害のエピソードとして書かれる。
原病歴が書かれるっていう感じですね。
だから例えば小学校の頃とか中学校のエピソードが原病歴の中にたくさん取り入れられて、
社会に出てからも同じようなエピソードがありますよねっていう見せ方で診断を作り直しますよね。
診断の根拠となる患者さんの体験というものも精神科医のフィルターによって一旦くぐり抜けて、くぐらして、
精神科医から見た綺麗な物語に作り変えられてるんですよ。
紹介状とかもそういう感じなんで、紹介状を読んでも全く実物を見てみたら違ったっていうこともよくあるので、
僕はあんまり紹介状をそんなに深くは読まないですね。
今何されてる方なのかなぐらいは見るかもしれないけど。
そういうまゆつばものなんですよね、精神科の物語って。
でもすっごく難しいのが、統合失調症とかもう40年とか50年間入院されてる方、
新たにもう1回なんだろうな、書類を作り直そうってなった時に、
もう40年前とかの本人も覚えてないし、本人も意思疎通が難しいしってなると、
過去の手書きのカルテを引っ張り出してきたり、
あるいはその手書きのカルテの一番最初の記載はもうないからさ。
何か別の先生が書き足してったものを参照しながら自分が書き足すっていうことがあるんですけど、
そうするともう訳わかんない原病歴ですね。
僕はなんかそうやって次出し次出しで、
いろんな先生が一文を足していくみたいな原病歴は僕すごく気持ち悪くて、
読んでいて結局何を書いてるのかよくわからないんですよね。
長期入院の現実
だからつまらないです。
で、書いてあることも大したことじゃない。
昭和何年何月何日に1回目の医療保護入院をして退院した後、また幻覚妄想状態になり、
昭和何年何月何日に2回目の医療保護入院をした、みたいな。
もうなんか時系列でただ事実が並んでるだけで、
結局この人何病なんだろうっていうのはよくわからない原病歴があってね。
こんにちは、どうも。
40年入院とかそんなに長期間入院できるものなんですか?
8号さんどうも。
そうですね。
精神科の場合は治療して治して返すみたいな。
外科で例えば手術をして、
で、術後リハビリも行って、
で、そろそろ家に帰れそうなんで退院みたいなさ。
回転率はほぼないですね。
入院して結局家族も受け入れ拒否をしたりとか、
あの、絶縁されたり。
で、地域もあんまりこう帰ってきてほしくない。
本人もせっかく先生方とか看護師さんたちと顔なじみになって、
薬もうまくいってるし、
ここだったらお風呂も入れるし、ご飯も出てくるし、
出るモチベーションがないっていう感じのことを社会的入院って言うんですけれども、
医療目的ではなくてもう生活目的に入院されてる方が日本には結構いるんですよね。
20数万人ぐらい。
なんとか厚労省はその数を減らそうと。
まあ先進国でなんかめちゃめちゃ多いので入院数が。
イタリアとかだと1万人ぐらいしかいないので、
日本だとなんか20数万人、24、5万人ぐらいいるのがおかしいっていうふうに世界から避難されていて、
厚労省もなんとか減らそうと頑張ってるみたいです。
なかなか地域に戻れない日本の難しい実情があるみたいです。
コミュニケーションの重要性
ふわっちめぐりしています。
私は障害者施設で働いてますとも。
地方の精神科病院でまったり働いてます。
そうでしょうね。家族にとっては病院に入ってもらった方がいいんだろうなと。
なんかしばしばその精神科医が患者さんたちを閉じ込めてるんだっていうふうに言いたがる人権意識の高い、
意識高い系の弁護士の団体ってあるんですけど、
実情をよくわかっていらっしゃらないんだと思うんですよね。
別に僕らは退院できるなら退院させたいしっていう感じではあるんですけど、
むしろ今もう病床が足りなくてどうやって退院させたらいいかなってことを真剣に悩んではいるんですが、
なかなか進んでいかないんですよね。
日々精神保険福祉士さんと相談しながらこの人退院できないかなとかやってるんですけど、
なかなか難しいと。
精神科医の言葉と学問の再構築。
日常的に使われる妄想と精神学的な妄想の違いを再確認するなど、
学問的な言葉の正確さを大切にしているとのことですが、
そうした姿勢を持つことで診療の現場での患者さんとのコミュニケーションにどんな影響があるか。
いやあんまりないです。
患者さんとはあくまで日常語で話をするんで。
最近現状どうですかとか、現状という言葉が日常語になっちゃってる時もありますけど。
僕はなるべく日常語で、最近なんかお父さんの声聞こえてきます?
夜会ってるんですか?とかそういう聞き方をしますね。
もちろんそのお父さんはもう亡くなってるんですけど。
精神改良の妄想とか診断基準の影響とかね。
患者さんが陰謀論的な視点を持って診療に疑念を抱いた場合、
どのような対応が医師として適切だと思いますか?
完全に否定するのではなく、適切に寄り添いながら医療の信頼性を担保する方法で、
実際の臨床経験を踏まえた考えを聞いてみたいです。
なんかめちゃめちゃ難しい面接の質問みたいだな。
だから、医療不審みたいなものを抱いている患者さんなり、あるいはご家族なりが来た場合でしょう。
あんまり無限にはできないからね。
こちらとしてはなるべく科学的な根拠に基づいて説明はするし。
っていう感じですよね。
それでもなんかあいつに騙されたとかね。
言ってくる人って一定数いますからね。モンスターペーシェントとか。
両親とかご家族とかも狂ってる場合ありますからね。
そういうのはでもどの業界にも一定数いるものだと思ってますけども。
なので必ず、
医者として保険診療をやる上では、
保険、胃売積って言うんですけれども、
その保険には入っておこうっていうふうに常に思いますね。
裁判になった時に弁護士費用が出るっていう保険があるんですけど、
僕怖いんで必ず入ってますね。
この業界はやっぱりすごいクレームつけてくる人たまにいますから。
ちなみにフワッチで配信するにあたっても保険に入ってます。
一応訴えられてもいいように保険に入ってるんです、僕。
で、弁護士さんに相談できるようになってます。
あと開示請求とかの誹謗中傷対策で一応保険には入ってます。
コントローラーを3個プレゼントしました、どうも。
なので言葉で言い返すとか論破するとかではなく、
粛々とこちらは正しい方法でね、
弁護士さんに相談するっていうのが一番いいんじゃないかなって思いますね。
誹謗中傷されたらそれを誹謗中傷で返すんじゃなくて、
普通に裁判を起こすっていうのが一番効くんじゃないですか。
ちゃんとGPTが止まっちゃったな。
こんなことあるんや。
とりあえず30分経ちましたけども、一枠かな。このまま延長していきます。
今僕が見ている病院で見ている患者さんももう50年ちょっとぐらいかな。
もう入院してから。
50年って言うと最初にもう入院日が1970年代とかですよね。
そっからずっと入院されてる。
そうなってくると社会ももう全然変わってるし、
70年代はスマートフォンとかインターネットとかね、
なんかGoogleとかなかったでしょうから。
今さら外に出て生きていけるのかっていう話ですよね。
なるべく外に出していこうっていう気持ちももちろんわかるんだけどもね、
現実にはそういう戸惑いはあるでしょうね。
その方は何歳ですか。
80何歳だったと思う。
80半ばぐらいですね。
だからその方30代の頃に入院なさった。
今の病院の前の病院ですね。
やっぱりもう50年以上経つと病院も建て替えられたりしてるので、
旧病院の頃からずっといる方で、
今では信じられないんだけど、
温泉旅行とかもあったみたいです。
すごく牧歌的な時代で、
お医者さんと看護師さんと患者さんでみんなでバスとって、
温泉旅行とかね、慰安旅行ってあったらしいです。
とか運動会とか。
なんかいろいろそういうレクリエーション的なことが盛んだった時代みたいですね。
あとなんか定期的に年に何回かみんなで焼肉行ったりとか。
今ではちょっとその感覚ないですけどね。
患者さんとみんなで焼肉食べるっていう。
でもそれがやっぱ精神科医療の要だったのかもしれないですね。
薬でどうこうっていう時代ではなかったからさ。
今みたいにいい薬がなかった時代なので。
とにかく関係性を築いて家族みたいにお互いケアしていくっていう。
大らかな時代ですね。
あと院内でも普通に煙草がOKだったんで、
みんなで、だから医者とか看護師とか患者さん同士で煙草吸いながらマージャンやったりとか。
かなり緩い時代だったみたいですね。
それで精神療法2とか取ってたわけでしょ。
飲料加算。
すごい時代だよね。
初見です、どうも。
じゃあ最後まで病院で終わることになるのでしょうね。
男性、女性。
まあ男性も女性もいらっしゃいます。
そう、最後はもう先生に見とってほしいっていう覚悟が決まってる人たちですよね。
病院で一番歴古い先輩でしょうね。
そうでしょうね。
もう1番か2番くらいだと思う。
でもこの病院に100歳を超えてる方も実はいらっしゃるんですよ。
その方がもしかしたら一番古いかもしれない。
まあ入院時期によりますけどね。
ちょっと調べてみます。
昔の精神科ってどんなもんなのか、
なんかタイムマシーンがあったら見てみたいね。
その焼肉行ったり温泉行ったりさ。
裸の付き合いですよね。
先生のちんこ意外とちっちゃいなとかさ。
そういうなんか時代の精神科医療ってどんなもんだったんだろうなって。
ちょっと気になりますね。
今はどっちかというと薬の量がどんどん増えちゃって、
患者さんたちももう寝てるような感じです。
日中いびきをかいてもうずっと寝てるような。
治療というよりかはもう鎮静ですよね。
まああんまり暴れたり怒鳴ったりしないように、
もういびきをかかして1日中眠らせちゃうっていう。
まあそういう科学的拘束とか薬物的拘束って言いますけど。
薬を増やすことによるある種の身体抑制ですよね。
薬の副作用で太ってしまうんですが、
困っています。
先生は太らないと言いますが、むくみがひどくて。
まあそれはね、結構薬の調整の部分なんでね、
やっぱり主治医の先生のご判断が大事かなと思うんですが。
そこら辺をもう少しちょっと具体的にね、
具体的にむくみのどこがひどいとかっていうのをもう少し伝えてみたりとか。
あともう一方で、
薬の副作用じゃなくても人間結構太っていく部分はありますから。
やっぱ活動量が減るだけでもね、普通に太りますからね。
やっぱ正月太りって言葉もあるぐらい。
なので、まあ普通に常識的な意味でどうやってダイエットするかっていうのも大事かもしれませんね。
薬の副作用の場合もあるんだけど、薬の副作用でと言いながら、
ダイエットを全くされていない患者さんもいるので、
両面が大事かなと思うね。
またその薬の副作用にすることで自分自身の人生をコントロールしているという感じが削がれちゃうからね。
薬だけに頼らなくても自分である程度、例えばむくみを改善したりとか、
運動量を上げることによってちょっとお腹周りのこうね、たるんだ感じをもし、
よくできるんだったらちょっとこう、自己効力感というかさ、
自分で自分の人生をコントロールしている感じがちょっと高くなるじゃない。
自己管理と入院の実態
そういう比率もやっぱりちょっとね、こう自分でやる比率も上げていくっていうのは大事かなと思うんですけど。
医者も万能ではないし、薬も全く万能ではない、万能から都道、都道、ほど遠いので、
ある程度自分で頑張るっていうことは大事かもしれない。
えーと、こんにちは。初見です。どうも。統合視聴症で治療中です。どうもです。
昼並み30か。確かに、てかだるくなりそうだね。
イメージはつくんだが、まあそうするとちょっとね、なんか激しいトレーニングっていうのじゃなくて、
ちょっとした日常動作かね。
洗い物をするとか、そういうちっちゃなところからでいいと思うんですけどもね。
元気なときは筋トレをしている。あ、素晴らしいですね。
じゃあすでにもうやった上での話なんだね。そうかそうか。
もう少しじゃあ先生との話し合いがね、こう必要かもしれない。
社会的入院と放送人権の事例まで。
でも今言ったその50年間入院されてる患者さんってもうあの、もちろん強制入院じゃないんですよね。
任意入院にもう結構前に切り替わってるんですよ。
だから本人の意思で入院されてるんですよ。
別にあの精神科医が出ちゃダメだって言って歯がいじめにしてるわけではなく、
普通にもう帰る場所もないし、
もう何なら家族よりもね、もうその病院スタッフの方が長い、
お馴染みっていう感じになるんで、
任意入院に切り替えても別に退院したいってならないですね。
まあ稀に何か30年とか40年とか入院されてても、
未だにこう激しくもう暴れまくって、
身体拘束とか隔離されてる患者さん稀にいますけども、
その結構激しめのね、病院とかに行くと、
うちみたいなもう万世紀の田舎のポンコツ病院だともうあんまりいないですね。
医者と患者の視点
そんな激しい人は。
なのでほとんどはもう死亡単位ですね。
この病院内で亡くなられて。
それももう自然な経過です。
後縁性肺炎とか、まあ慢性心不全とか、
まああとコロナで亡くなる方はね、この2,3年かなり多かったですけど、
そういう自然な経過でもう寿命を全うされてます。
ADHDから来る鬱になり10年付き合っています。
なるほどね。
生きづらさはあるよね。
僕としてはね、なんかこの配信を医者と患者みたいなこう治療関係にしたいわけじゃなくて、
僕もねどっちかというと患者寄りの感じで今話してるんですね。
まあ精神科医でもあるんだけど、元患者でもあるので、
僕はあの鬱とか早鬱の方だったんですけども、
あとまあ自己判断にはなるんだけれども、そういうパーソナリティ障害の方ですね。
親がそんな感じだったんで、まあ自分にもその怪我あって、
割と今生きづらいんですけれども。
なのでなんか答えを求めるんじゃなくて、なんか僕と一緒に考えてほしいですね。
僕も患者側から結構ね、ここで医者ならぬ、医者らしからの発言をしながら、
患者としていろいろもがいてるんですよ。
なのでぜひ同じなんか問題意識を共有して、
みんなでどうしていったらいいかっていうのが考えられたらなっていうのがあります。
一応そういう隠れテーマがあります。
そこがね多分一般的な精神科医YouTuberとの違いだね。
彼らは治療者として啓蒙活動してますよね。
こうやったらいいですよ、ああやったらいいですよとか、
それつらいですよね、でもこういうふうにやったらきっとよくなると思います、
みたいな医者からの発言なんだけど、僕は医者になる前から配信してるんで、
やっぱ患者的な発言なんですよね。
両方の言葉がわかっちゃうんだけど、
医者の発言もわかるし、患者の発言もわかるし、
でもどっちかというと患者寄りで結構話したい方ですね、ここの配信では。
普段医者をやらされてるんで、そこで飯食ってるんだけども、
配信内でも医者やりたいとはあんまり思わない。
なのでみんなで当事者になりながらとか、当事者研究ですね。
昼並み30飲みながら一体何キロ痩せられるんだろうかって僕も興味があるし、
ぜひ研究をみんなでしていきたいですよね。
何が一番効率的に痩せられるんだろうとか、薬を飲みながらでも。
ウォーキングができれば一番いいかなと思うんですけど。
あ、一番ではないか。
ウォーキングはあまり痩せないですね、はっきり言って。
基礎代謝を上げてった方が痩せ方としてはいいと思うので、
やっぱり筋トレ。
室内でちょっと腹筋とか腕立てとか、
腕立ても膝をついてやる腕立てだとそんな深くないですから。
そういったところからでいいと思うんですけど。
幻聴がずっと聞こえ結婚して引っ越しをして、
環境に慣れずに接客業を病気を隠して働いて再発して先生から注意されました。
一人が怖くて。
薬を飲みながら、でも社会に溶け込んで結構生きてる人もいますけどもね、患者さんにも。
なかなかハードモードには違いないですけれども。
よくやってますよね。
先生と相談しながらやっていきましょう。
働けなくて配信活動をしています。いいんじゃないですか。
なんかたびたび配信って精神にとっていいですかって聞かれるんですけど、
13号さんにとってどう思います?
配信したことによってメンタルって安定してます?
それともやっぱ辛いなとか荒らされたりもたまにするじゃないですか。
あと人が来ないっていうのが僕一番辛いような気がするんだけど。
荒らされるときはコメントがまだ盛り上がってるけど、本当に辛いときって無風のときというかね。
誰も一人も来ない、安置さえ来ないときは結構辛いんじゃないかなと思うんだけど。
2級の精神障害者手帳保持。了解です。
みんなと話せるしお仕事としてやってます。素晴らしい。
僕もそういう風にアドバイスしようかなと思ったけど、もう何の必要もないね。
職業としてやるのが一番いいと思います。
えーっと、OK。
精神科の診断ね。
長年統合出張症と診断されていた人が発達障害の可能性が高いと言われる場合、
治療や自己理解の変化にどのような心理的困難が生じるのか。
ちょっと難しい質問だな。
社会的入院。
配信では、医者としてではなく患者側の視点から話したいとの意向を示しましたが、
そうしたスタンスを取ることでリスナーとの対話にどのような違いが生まれると感じますか?
うーん。
ま、医者として話すときもあるんだけど、患者側の自分を召喚して話す。
で、僕の場合あんまり仕事としてはやってなくて、
もう仕事としては完全に破綻してますね。
もう赤字を垂れ流してるんで。
15年間くらい。
全くマネタイズできてないし。
ただそれでもね、なんかね、精神療法的に自分は意味がある部分もあるかなって。
もちろんなんか傷ついて嫌だなって思う瞬間もあるんだけど、
こうやって人に語ってるっていうことは何かプラスに作用はしてるみたいですね。
なのでそういう患者側の視点から話してますね。
というかそれができない、ただ医者として語り続けなさいって言われたら
僕は多分この配信やめると思いますね。
配信活動の重要性
あまりにもその無駄すぎて。
だって医者として普通に働いたら時給1万円以上発生するじゃないですか。
それをこんなところでね、油を売って、
なんか自分の商品的な価値をね、泥沼に捨ててるようなものですよね。
なので医者としてはできるだけ配信したくないね。
非常に無駄だなと思っちゃう。
精神科医YouTuberが治療的な視点から啓蒙活動するのに対し、
同事者研究の形で対話をすることの意義は何だと思うのか。
僕は対話というか自分の話を聞いてほしいって感じかな。
僕としてはこういう世界観で捉えていて、
それをリスナーの皆さんも理解した上で、別に同意はしなくてもいいんだけど、
それをベースに何か新しい質問とか、あるいは僕に対する批判というものを待ってますっていう感じですね。
あんまりここで他の方の同事者研究、その方の研究成果を僕が聞くみたいなのはあんまり興味がなくて、
全部自分本位なんですけど、僕がやった研究に対するリアクションを期待するという感じですね。
それを受け入れられないと、
お前はずっと自分の話をしているただの自己顕著欲の塊だっていう反論に関してはもう全部ブロックですね。
ちょっと時間がもったいないなと思っちゃうんだよ。
そこにあんまり生産的なものはないような気がするんだね。
そしたらTikTokフォロワーが1500人。すごいね。
一般人ではないね、1500人は。
刺身さんの声は癒される。
寝れないのに寝れそうで。
睡眠導入に使ってください。
アーカイブとかも結構公開してます。YouTubeと、
あとPodcastで。
僕としてはなんか話、まあそうね、
そういうアーカイブを垂れ流しながらBGMとして使っていただくのが一番嬉しいかな。
話の内容は全く聞き入れず、
なんとなく声がする。
スヤーみたいに寝ていただくっていうのが嬉しいかな。
そういうふうに利用してもらえたら幸いです。
医者をしていく上で、配信も先生にとっては大きなものですか、大きなものですね。
そういうふうに断言できるのは、
3年前かな、2年ちょっと前ぐらいに、
僕はデマを流されたんですね。
ネット上でデマを流されたんじゃなくて職場でデマを流されたんです。
おそらく悪意のあるアンチだと思うんですけれども、職場を特定されて、
配信活動についてあることないこと、事実と事実じゃないことも含めてデタラメを流されて、
結局職場に呼び出されたんですね。
その職場っていうのが大学病院なんですけれども、
僕が大学病院に勤めてたときに大学病院に特定されて、
自分の指導医の応弁とかに呼び出されて、
で、3者面談したんですよ。
で、このことはもう教授も全部知ってますみたいに言われて、
何?っていう。
そこで面談させられて、別に配信活動やめろとまだ言われなかったけど、
まあいろいろなんかどんな活動してんの?みたいなこと全部ねほりはおり聞かれて、
まあ誤解は解けて、いや自分は別に犯罪に手を染めてるわけでもないですと、
っていうことを伝えて、別に何のお咎めもなかったんですけど、
まあ僕としてはなんかちょっと気持ちも悪いし、
っていうことで結局もうその大学病院も辞めて、
まあ医局も抜けて、同窓会も全部抜けて、
完全に今フリーターみたいな感じなんです。
フリーター医師ですね。
そのときに頭を下げて配信活動をやめて、
すいませんでしたね。
みなさん先生方にご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。
今日をもって配信活動をやめて、
医療の方に専念してまいりますっていう風にすることもできたんですよね。
だからそこにすごく大きな二股に分かれた道があって、
医者としてもう配信やめて一筋で頑張っていくっていう方向と、
あとはまあ大学病院の方を辞めて、
まあどっちかというとライブパフォーマーとしての道ですよね。
まあ医者もやるんだけれどもフリーター医者になっちゃうと。
でも自分は配信を続けていきたいから配信を取るんだっていう、
この究極の選択を迫られたんですよ。
それが2022年の8月なんですけど。
そこで僕は後者のね、
いや自分は医者としてやっていくよりも、
やっぱり配信活動が自分の人生の要なので、
もうそれは絶対に外せないっていう道を選んだってことですね。
そのためだったら医者としてのキャリアを捨てても良いという決断をしたわけです。
だから僕はもう覚悟が決まってるんですよね。
そこら辺の配信者と一緒にされたくない。
僕はもうある程度人生を犠牲にしてでも、
この活動を続けていくことに意味があるっていうふうに思ってやってます。
覚悟が決まっちゃってるんですよね。
いろんなものを犠牲にした上で今やってるので、
だから非常にそれだけ大きなものってことでしょうね。
なんか単純にストレス解消になるとか、
趣味でやってますっていうんじゃない、
自己表現の重要性
まあある種のライフラインなのかなっていう、
食事とか排泄とか交接とか交接、セックスとかと同じで、
生活、人生になくてはならないものの一つですね。間違いなく。
そういう意味で自分は精神療法的に意味があることなんじゃないかと。
精神療法にはなりきれないけどね。
精神療法と呼ぶにはあまりにも危険な行為なので、
こういうね、自分の人生を自己開示して知らない人に見せるっていうのはちょっと危険ですからね。
いきなりブスって刺されちゃうこともあるし、
こないだのね、高田のババの死傷事件みたいに。
危険な行為ではあるので、決して僕あんまり人にはお勧めできないんだけど、
でも僕にとってはこれが非常に意味のあることなんじゃないかなと。
精神療法ではないけれども、それに近い何か価値があるものだと思って、
当事者研究してる感じですね。
その価値っていうものを人に提示できるように、
その経験をずっと続けてる感じですね。
周りの人はね、「なんでそんな医者のキャリアを棒に振って、
意味わかんないことやってんの?」っていうふうに全く理解できないと思うんですけど。
でもなんかあの、こないだの令和のトラじゃないけども、
スグレルよりも異なることの方がなんか自分にとって非常に意味があったのかもしれないですね。
えーと、統合失調症で養子を褒められることが多く、美容とダイエットを頑張ってる。
おお。
養子を気にしすぎてしまって。
やっぱり評価が他者評価ですよね。
人から認められて嬉しいっていうふうに。
常に他人に審査されるような形での承認ですから。
で、それもまあね、現実的に言うと、
年齢とともにまあ難しくなってくるじゃない。
今はね、「綺麗だね。」って言われても、ちょっと50年後に、
半世紀後に、
綺麗だねって言ってくれる人がどれだけ残ってるかっていう問題がありますから。
まあどっかでね、他者評価から自己評価に
切り替える瞬間はどっかで来るんでしょうね。
まあそれは人生においていつ来るかわからないですし、
人によって違うんでしょうけど。
まあそれでもなんかこう見にくくね。
年取ってもずっと整形をし続ける人っているけども、
まあ僕はやっぱどっかでなんか価値の転換がやっぱ必要になるんじゃないかな。
つまり、人からね、こう承認を供給してもらわなくても、
自分で自給自足できるようになる。
例えばなんだろうな、
僕だったらコーヒーを飲んでる瞬間ってすごく幸せなんで、
いいコーヒーを1日1杯は必ず入れようっていうふうに頑張るとか。
まあこれは他者の承認が全く必要ない孤独な営みなんですけども、
まあそういう孤独な、
でも自己満足っていうのをやっぱ増やしていくって感じかな。
どっかでね、別に今じゃなくていいと思いますけど。
そのために今、猶予期間なんじゃないですかね。
まあある程度美容みたいなね、美に対して自信も終わりのようだから、
それはある程度こうマネタイズして、
資産としてね、貯めていって、
ある程度お金に買えるなら買えて、
でもどっかでその価値の転換をしてね、
華麗に変身を遂げていくことも大事かなって。
そうやってなんか人間も昆虫みたいにさ、
サナギから、サナギじゃない幼虫からサナギになって今度成虫になってみたいな、
芋虫から蝶々になるみたいな華麗な変身がやっぱり必要なんじゃないですかね、人間って。
僕にとってはそれがだからこう医者ではなくてやっぱ配信者になろうっていうのがなんか、
こうサナギを突き破ってね、自分が今羽を広げている状態になってるのかなって。
そこになんか変身のすごい大きなターニングポイントがあったような気がするね。
まさかそういう感じで究極の二択としてね、迫られるなんて想像もしなかったけど、
でも常々自分が思ってることをそこでもうバシッと決めたって感じだね。
まあ医者としてはもうポンコツなんだけど、やっぱなんかこう表現していくっていうことは大事なんじゃないかな。
それはお金にもならないし、他者評価にも全く繋がらないですけどね。
でもなんか100人いたら1人ぐらいが立ち止まって話を聞いてくれたら、それで十分なんじゃないかなって。
自分にとって生きていく上で必要なものだったと気づきましたね。
他者評価からの解放
最近はこうやってAIを使って、僕の話をAIに読み込ませて、
AIに質問を考えさせてっていうことができてきたので、
まあ万が一ね、今ここにいらっしゃる方が来年再来年に全員いなくなってたとしても、
まあなんとかなり立つね。僕はAIとずっと対話をし続けられるんで。
配信はなんとかなり立つし、まあそれでも最悪いいかなって今思ってる。
まあできれば人がいてくれた方が嬉しいですけどね。
でも大事なことは承認を受けることではなくて物語ること。
人生というものの物語をずっと紡ぎ続けることだと思うので、
なんとかなりそうだね。人がいなくてもとりあえずは。
そうですね。対話ではなく自己表現。これですね。
リスナーとの対話よりも自分の話を聞いてもらうことに重点を置いているというスタンスを明確にされていますが、
その価値はどう考えていますか?
特に自己堅持欲の塊と批判されることに対してブロックをするという方針を取られているとのことですが、
それは配信の目的に対する明確な線引きがあるからでしょうか?
そうですね。僕自身の表現を邪魔するものは全部抵抗勢力なんで、消すしかないっていう感じですね。
彼らに別に承認を受けたりとか褒めてもらおうって全く思ってないので、
ただ邪魔な人という感じで消すだけですね。
一番効率的に消すっていう。
で、自己表現の場としての配信が長期間続いている理由をどう捉えていますか?
これは分からないけど、これは分かんないまま言うんだけど、
幼い頃に自分の話を聞いてくれる人がいなかったからっていうのはすごく大きいような気がするね。
自分自身について語ることは恥ずかしいことであり恥ですね。
自分の無能さを人に見せびらかすなんていうのはもう一番バカがやることですよね。
だって自分の弱点を教えちゃったらゲームでは勝てないですよ。競争では勝ち残れないですよ、そんなやつ。
自分これができないんだよねって言ったらそれを他人に責められて終わりですよ。
デスゲームではまず最初に死ぬ人だと思います。
僕は割と幼い頃そういう価値観の中に多分生きてきたんだと思いますね。
今はそうやって真逆のことをやっている。
自分の一番弱いところを毎日毎日脅迫的に晒し続けているっていうのは、
自虐的にやり続けているっていうのはもうその時の反動だと思うね。
子供の頃自分の弱音を吐けない、誰も聞いてもらえない、でも頑張るしかないみたいなさ。
優れるしかない。医者として頑張っていくしかないんだ自分は。
誰よりも高い成績を取って優秀な自分として頑張って生きていくしかないんだ。
っていうことの今真逆をやってますから。
優れるんじゃなくて異なってますし、黙るんじゃなくて喋り続けてますし、
孤立するんじゃなくて、できるだけ人の中に入って自分を晒すってことをやってるので、
その時の幼少期の頃の体験が大きいかもしれないですね。
だからそういうものを封じ込める勢力っていうものは過去の母親とか父親とか、
あるいは過去の周りの人に近いですね。
僕の本音を伺おうとする人が現れたら、
そいつらはやっぱ消すしかないんですよね。
急に?
まぁやっぱセックスですかね。
急に?
急にバカになったね。
いやちょっとそういうなんか恋愛の相談って苦手なんだよね。
急に偏差値が、恋愛偏差値ちょっと低いんで。
ちなみに僕元カノが元リスナーです。
もともとニコ生で配信してたんだけど、そのリスナーと付き合って、
とんでもないいろんな人生、ちょっといろいろ面白いんだけれども、
えらい後悔して結局別れたんですよ。
それまでに5,6年くらいかかったんですけど。
だからリスナー期間を経て、友達期間を経て付き合った。
でもあんまり幸福な関係ではなかったですね。
セックスをしたら恋人になれるのかな?
いやそんなことはないです。
すいません今すごい口からデマカセを言いました。
ちょっとAIに聞いてみたいですね。
評価の呪いとその影響
今実際にそういう方がいらっしゃるってことですよね。
お友達の関係が長く続いていて。
なんかその友達なのかな?恋人なのかな?みたいなドキドキ感を味わいたいんだったら別にそのままでいいと思いますし、
いやもう私に残されている時間は少ないみたいに思うんだったら、
早めに告白するとか、相手のシーンをやっぱり確かめるってことじゃないですかね。
少なくとも告白するってことはこちら側も気持ちを打ち明けることになるんで。
向こうにも伝わりますよね。
それでちょっとそういう感じじゃなかったって言われたら振られますよね。
そっから何回かアタックすればいいんじゃないですかね。
ラグビーみたいに。
何回か潰されて、
でもこうずっとタックルし続けるみたいな感じでやっていくしかないんじゃないかな。
ちょっとパワープレイですね。
さっきまで繊細な心の話をしてたんですけど。
急にパワープレイっていう。
ちょっと恋愛偏差値が低いんですよね。
すいません。
パワープレイしか今思いつかないな。
とりあえず何回か告白したらいけるんじゃない?みたいな。
振られたら悲しい。
あーそれが大きいのか。
なるほどね。
そうするとちょっと認知行動療法とか大事かもしれない。
だからあなたの本当の問題っていうのは
友達から恋人になることではなくて
やっぱ自分が好きな人にNOと言われることが怖いっていう問題ですよね。
そうすると自分の存在価値そのものが全部否定されて
もうこの先生きていけなくなっちゃうっていう問題だ。
恋愛の問題ではないね。
だとしたら私の守備範囲ですね。
振られたら悲しいか。
振られたら治療お願いします。
うーん、そうね。
まあ振られた日…そうね。
で、あなたがうまくいったら多分この配信に来なくなっちゃうんで。
どっちかで言うと振られてほしいなって気持ちに今なってるんですけれども。
どうなんだろうね。
たった一人の人間によってそんな価値って決まるのかね。
さっきのね、美容の方もそうでしたけど。
そんな他者によって自分の価値って決まるかね。
やっぱ承認ね、2種類の承認があって。
存在の承認と行為の承認ね。
行為っていうのはこのね、何かをするとか。
行為、行動の行為ですよね。
で、何かをしたことに対する評価。
いやあなたすごいね、ね。
髪綺麗だねとかさ、こう肌綺麗だねとか。
何かこうね、クレンジングか何かわかんないですけども。
そういう日々の努力を褒めるっていう形の、褒められるっていう形の承認ってありますよね。
あなたよくこれ頑張ったね、よく腹筋割れたねっていうのも全部行為の承認ですよね。
医者になってすごいね、もう行為の承認なんですよね。
あなたの努力は素晴らしいと。
自己管理は徹底してますよと。
きっとおそらく休みの日も絶え間なく頑張ったんですね、努力したんですね、すごいですねの承認だよね。
でもそれってやっぱり永久には続かないですよね。
ずっと勉強し続けられないし、ずっと美しく言い続けることはできないし、頭良く言い続けることはできない。
どっかで調子崩して太っちゃう時もあるし、もうお肌ボロボロの時もあるし。
そうすると今度ね、歯車が逆に動き始めるんですよね。
綺麗だね、良かったね、かわいいねって言われてた人が急に太り始めてブスになったら、今度これが呪いになりますよね。
自分を励まして頑張ってきたプラスの循環ではなくて、今度ネガティブな循環、マイナスの循環になり始めて、それが呪いに変わるんですよね。
なので何かを頑張っているから人から評価されるのが嬉しいっていうのは、オロハの剣なんですよね。
これ逆回転になると今度あなた殺しますから。
存在の承認と感謝
だからやっぱりそう、承認の中でもやっぱ存在の承認なんじゃないかな。
うーん、いてくれてありがとうねって。
僕最近あのおばあちゃん亡くしたんですよ。
もう89歳のね、もう本当に長生きした方だと思うんですけれども。
おばあちゃんが亡くなって、で、棺の中におばあちゃんが入っていて、
まあすごく綺麗だったんですよね。
まあ僕の想像よりもちょっと小柄だったんですけども。
農管士の方がすごく綺麗にしてくださって、お花がたくさんあって、
そこにね、なんか生前大好きだったワンちゃんの写真とかたくさんあったりして。
で、まあおばあちゃんがいなくなっちゃった。
で、人がいなくなった時に、本当になんかありがとうっていう言葉しか思いつかなかったんですよね。
なんか最後お前ね、なんかこう紙に書いて、おばあちゃんに渡してとかっていうのは母からこう紙とペン渡されて、
その時に何書こうとかさ、
最近調子どうですかみたいな話は書けないじゃない。
自分がたりとか書いてもしょうがないんで。
なんかね、何書きますかって言われたらありがとうしかないんですよね。
いや本当に今まで一緒にいてくれてありがとうとかね、
ちっちゃい頃おばあちゃんとなんかカッパ寿司に歩いて行った時は本当に思い出されて、
いやああやってね、一緒についてきてくれてありがとね、おばあちゃんありがとねっていうのもありがとうしか思いつかなくて。
なんかそれがなんか僕存在の証人なんじゃないかなと思うんですよ。
あなたが死んだ時に周りの人って結構悲しむと思うんですよ。
あなたのご家族とかね、お友達とか近しい方って。
それってつまり、常日頃あなたが持っている価値なんじゃないかと。
でその価値が失われたから周りの人は悲しいわけだよね。
死という形で振り返った時に、その人って偉大だったなとかすごいなっていう形であると思うんですけど、
それが存在の価値であり、証人なんじゃないかなと思うんですよね。
人は生きているだけで実は少なからず誰かいろんな人の心をちょっとずつ満たしてるんじゃないかな。
だからその方が突然亡くなった時にぽっかり穴が空いちゃうんですよね、残された側に。
あなたはその穴を埋めてるって考えることもできるんじゃないですか。
僕はなんかそういう自分の価値の見出し方っていう結構大事なんじゃないかなと思うんですよ。
人から綺麗だねとかお肌綺麗ねとかっていう証人もいいんだけど、
何にもしなくても、デブでもブスでも肌ボロボロでも誰かの心の穴をちょっと埋めてるはずなんですよね。
全くね、死んでも悲しまれない人っていないですから。
やっぱ何かしら生きてるだけでそこそこいろんな人の穴を埋めてるはずですから。
そういう自分の存在価値の確認の仕方は大事なんじゃないかなと。
恋愛相談と何の関係もないかもしんないけど。
だから仮にたった一人のね、自分の好きな世界で一番好きな人から承認されなかったとしても、
でもあなたをきっと承認してくれる人とかあなたがいてくれてね、
嬉しいと思う人は他にもたくさんいるはずだからそのことをちゃんと思い出すっていうことかな。
僕がいなくなったらね、リスナーはちょっとぐらい悲しんでくれるでしょうね。
なのでそれが僕の存在の価値ということになります。
僕もね、リスナーが死んだらちょっと悲しいね。
行為の承認と自己ルール
おそらく、死んだだろうなっていう人が何人かいるんですよ。
15年間も配信してるとすっごく熱心にほぼ毎回一番を取るような熱心なリスナーが死んだ気がするんですよね。
ある時、急に連絡が取れなくなって、
あ、死んだんだなって、その時結構やっぱり悲しかったですね。
どう生きたらいいか、わからない時はどうしたらいいでしょうか。
まずその観念みたいなね、考えの世界から一旦離脱して体を動かすことじゃないですかね。
精神とか思考が今ぐるぐる回っちゃってると思うので、
汗をかくとか、あったかいお湯に浸かるとか、
そういうフィジカルをメインになさったらいかがですか。
部屋を掃除するでもいいし、
頭のぐるぐるがね、こう全然空回りしちゃってる時は、
体に注目なさったらいかがですか。
体のケアをしっかりするとか、夜しっかり寝るとか、
今日の夕飯について一生懸命考えてみるとか。
まあ実際にスーパーに行っちゃった方が早いですけど。
行為の承認から存在の承認へ。
行為の承認は裏を返すと呪いになるんですよね。
例えば、何でも一人で頑張ってすごいね、
何でも一人でできるんだね、頑張ってるねすごいね、
って褒められて育った子供がいるとしますよね。
こういう子供っていうのはこの内部の中にね、心の内部に
一人で頑張らなければならないという自己ルールが出来上がるんですよね。
だってそういうふうに褒められて育ったわけだから。
そうすると何が起こるかっていうと、本当に人に頼りたいときに
頼れなくなって、うつ病になって死にます。
極限まで行くとね。
だから人から褒められて、それが自己ルール化しちゃって、
それが上手くいかなくなったときに今度それが呪いに変わるんですよね。
かつて上手くいって、自分の誇りだった者が自分を殺すんですよね。
あの行為の承認って。
ありがとうございます。
僕も最近調子良くないんでこの後ちょっとジムに行って
少し歩いてこようかなと思います。
あとね、すっごい今お腹が空いてきたな。
お昼ご飯食べてなかった。
すっごく頭がいいねとかさ、何でもできるねって褒められて
ずーっと優等生で来ちゃった人っていうのは
それが今度自己ルールになっちゃうので、自分の中の前ルールになるので
例えば医者になって研修医になって、これどうしたらいいんだろう
わからないっていうときになかなか人に聞けないとか。
なんか聞きづらい。
何でも知ってるねっていうキャラで来ちゃってるから
なんか人に聞くとか教えてもらう。
どうやったら人にうまく教えてもらえるんだろうとか
なんかそういう風に考えられないんですよね。
自分のルールに反するんで。
でその結果、すっごく優秀だったのに
なんか研修医になったり医者になったらすっごいポンコツな人ってのは
多分そういうことなんだろうなと思いますね。
何でも自分で本を読んで頑張ってきた人って
医者になるとわかるんですけど、本にほとんど何も書いてないんですよね。
ほとんど現場で先輩からなんかお酒を飲みながら教わるとか
結構そういう職人の世界なので医者って。
こう机の上で頑張ってきた人が突然劣等生に変わるんですよね。
その優秀だったやつが。
でなんかひとったらしのよくわかんない酒の強いやつの方が
意外と出世したりする。
そういうことがね、なんか物を言う世界なんで。
自分のルールをね、ちょっとこう
変えていくっていうのは結構大変なんですよ。
自分の存在価値の確認
うまくいってるうちはいいんですけどね。
さてちょっといろいろ話はあるんですけども
そろそろちょっとお腹も空いてきたんで。
死を通じて築く存在価値とは。
亡くなったおばあちゃんの棺の前でありがとうという言葉しか出てこなかったという話がありましたねと。
このありがとうはおばあちゃんが特別な行為をしたからではなく
そこに存在してくれたこと自体に向けられたものだったのではないでしょうか。
その通りですね。
では私たちは生きている間に自分自身の存在価値をどうやって確認すれば良いでしょうか。
他者からの評価とは別に
自分の存在が誰かの穴を埋めていると実感するために
どのような視点が必要だと考えるか。
自殺をほのめかすことですよね。
でもそれはあんまりしてほしくないかな。
そういう形で自分の価値を測るっていうのはちょっと困りますからね。
周りも相当心配するだろうし。
もう少し穏やかな価値の確認の仕方はしたいですけど。
直球で質問されると答えるのが難しいな。
コントローラー3個プレゼントどうも。
さしみちゃんは何十代ですか?
30代です。
詳しい年齢は非公開です。
自傷精神科医の自傷30代です。
存在の価値をどう確認すれば良いのか。
すごく間接的というか直接的ではないんですけど
僕猫ちゃんが好きで、猫を撫でている時に
その猫ちゃんって別に経済活動的にほとんど何の役にも立たないんですけども
なんなら僕ちょっと猫アレルギーなんでね。
むしろ経済的にマイナスなんじゃないかなって気もするんですけど。
そうやって何か物をめでている時じゃないですか。
だから猫ちゃんを自分の腕の中で抱いているんだけれども
本当はその猫ちゃんに投影されている自分自身を抱いている可能性があるんですよね。
抱いて欲しかった子供の頃の自分自身を抱いている可能性がありますんで
そうやって自分自身の価値というものを確認することもできるんじゃないかな。
何かをめでるっていう形でね。
別に猫じゃなくてもいいです。犬でもいいし。
あるいは好きなフィギュアでも石ころでも何でもいいんですけれども。
あるいは推しのアイドルでも何でもいいんですけど。
そういうものを推しながら人はその存在価値を感じながら
実はそこに自分自身を投影していて
自分自身もそうやって誰かに愛されているんだなっていう幻想を満たしているんじゃないかなと思います。
なので何かをめでるっていうのはいかがですかね。
はい、ということでじゃあそろそろ終わります。
今日はもう夜は多分配信しないです。
明日夜当直なので当直中にちょろっと配信するかもしれません。
はい、お疲れ様でした。
01:21:20
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