だって夫婦の不中を完璧に治療する医者っていうものがいるわけがないじゃないですか。
普通に考えてもそんなことはあり得ないですよね。
だから夫婦の問題だって正式のカウンセリングにかかった方がいいですよと正式の方が言うのは当然です。
私はそれに対しては1%も反論はないんですけど、しかしながら夫婦の問題について介入するのの医者がおり、
存在する占い師がいるのはこれも至って当たり前のことだろうと思います。
永久にいなくはならないでしょう。
占い師という占い師を強制収容所に連れてって電気出航を与えるとかすれば1人もいなくなるとは思いますよ。
でもそういう問題になってしまうということですよね。
これは昔の創始家なんかが言っていた話に似てますよね。
最近ある国の王様が言った、創始家なんか忘れましたけどね、
最近は受賞というものが多すぎると。受賞っていうのは要するに今で言うPhDみたいなものですね。
受賞が多すぎる、博士が多すぎるというわけですね。
いやいや、本当の受賞以外はみんな死刑っていう法律を出してみてくださいと王様に。
受賞は1人もいなくなります。そういう話なんですよね、これはね。
こういうことを言ってても私はしょうがないと思うんですよ。
それでは何にも得るものないじゃないですか。本当のとか言い始めてみたところでね。
で、こういう話をひとしきりしてですね、どういうところに話が向かっていくかというと、
つまり、接触障害になって当然様々なアプローチがあるわけです。
対象関係論というのはそのうちの一つであり、もしかするとある種の観点からすると、
野の医者に近いものかもしれません。精神分析などというもの。
生まれたときは間違いなくフロイトは野の医者以下ですよ。
あのヤバい占い師の、頭のおかしな占い師みたいに多分思われたと思います。
だってウィーンでは、その後のナチスドイツのおそらくというか確実にそのせいですけど、精神分析消滅しちゃいましたからね。
ほとんどの、ほとんどのじゃなくてほぼ殺された人以外は全部、フランスかイギリスかアメリカに逃げました。
だからこそフランスはラカンハだけれども、イギリスで英国精神分析協会だったと思います。
そしてアメリカで自我心理学と。みんなユダヤ人が逃げた先ですよね、これはね。
そしてその戦勝国です。ここで精神分析が流行ったというのは、そういう歴史なんですよ。
ナチスドイツがむちゃくちゃ流行ったから。だから有名な話ですけど、アメリカでは医学もその後進んだし、
農科学は著しく進んだし、精神分析も大いに進んだんですよ。
全部アメリカにいいところ持ってかれたんですよ。追い出したから、ドイツから。そういう話ですよね。
ということは決してその本国、創始者の国であった、当然ウィンですけれども、
メラニ・クラインだってハンガリーの人だったと思いますけど、ちょっとこれも適当なこと言ってますが、
いずれにしても、東西冷戦の頃の、いわゆる東欧の方の国の方で発展した発想だったんだけど、消滅しちゃったわけですよね。
むちゃくちゃなことやりましたからね。こういう歴史の話もいろいろしていきたいわけなんだけれども、
でも私が念頭にあるのは常に、仕事がはかどらないという話です。
そして仕事をする気にならないとか、自分自身に不安がある、これですよね。
この話が本当はしたいわけです。そして接触障害というのはもちろん、今手元に接触障害の本があるせいもあるんだけど、
接触障害という問題っていうのは結局親子関係というものをものすごく色濃く反映してくるじゃないですか。
私は接触障害の本を読んでいて、つくづく思い出すんだけれども、給食って残す子が多かったよなーってことなんですよ。
あのね、私は小学校6課年で、給食って1回しか残したことないですよ。6課年で1回ですよ。
ものすごく私は病弱だったんで、何かと言うと休むんですよ。何かと言うと熱を出し、何かと言うと休む。
一番ひどかったのが幼齢菌感染症ってやつでも本当に死ぬんじゃないかと思った。あれ小学校2年だったと思いますね。
そういうでも病気にめちゃくちゃかかるんですよ。だから何が起こるかというか、どんなことが起こるかというとですね、
大人の権威って言えばすごいんで、食べると強くなるっていう神話のようなものがあった。本当に。
食べさえすれば元気になって健康になって強くなる。めっちゃ僕は健康になりたかったので、ご飯残さなくなったんですよ。
どんなに嫌いであっても。全然口に合わなくても。で、今思うとちっともいいことはなかったんですけれども。
好き嫌いしてるやつの方がよっぽど健康なんじゃないかなって気がするんだけど、僕はもう好き嫌いでもしなくなったんですね。
それはそれで得たものはあるんですけれども、だからどうやっても人生って得るものはあるなと思うんだけども、
まあそれにしてもつまらないことをやってたもんだなとも思うんですね。
で、こうやって食べる子供の観点からすると、それはそれは給食ってみんなよく残してますよね。
うまくなかったってのは分からなくはないんですけどね。放食の時代にね。
本当に残すよねっていうのはありました。
今思うと、少なからぬ女子はやっぱり既に食欲をコントロールしにかかってたなと。
男子はね、まだあの頃はそこまでいかないんですよね。ある意味ね。
食欲をコントロールしてまで親からの自立というものをですね、無意識に近いですね、女子もね。
だからこの触れないというのがもう絶対大事なんだと。
確かに心療と心身医療ですね、心の医療、精神医療と身体医療は似たところがあると。
1対1で患者を見るし、患者と先生がいるし、ある意味病気を治すために2人が会うと。
で、決定的に違うのは体に触れるか触れないかっていうところだっていう。
この話は私は非常に大事だと。
だからレズ風俗の人が言ったところは、
心療ですから、心の病に関するカウンセリングだから絶対ハグはしてくれない。
ここでハグをしてしまったら台無しですよね。
フロイトが、転移性恋愛について、まさに転移性恋愛ですよ。
医者と患者、法治で言えばね。
フロイトとおそらく女性の患者が恋に落ちると。
ずっと毎日毎日会っていて、先生は私の言うことを何でもわかってくれる素晴らしい先生だ。
ちょっとボーダーっぽい、ヒステリーっぽい患者さんが来れば、絶対恋愛状態に入ってしまう。
唯一私のことをわかってくれる素晴らしい先生ってのが、唯一私のことをわかってくれる素晴らしい男性ってものに変わってしまう。
そしてここでハグしちゃったら、キスとかしちゃったらもうアウトですよね。
すべてがぶち壊しになる。患者と医者じゃなくなっちゃいますからね。
医療行為ではなくなってしまうんですよ。
単なる駆け打ち一歩手前になってしまうわけですよ。
このことを書いてフロイトが、なんかこうドックレースにソーセージを投げ込んでしまったら、
もうドックレースはぶち壊しでしょうっていう風に書くんですよね。
ところで、なぜそこにソーセージって書くんだお前はっていう話なんですよね。
フロイトっていうのはやっぱり必ずエグく書かないと気が済まないようなところがおそらくあるんでしょうね。
接触障害の話に戻るわけですけれども、
接触障害というものはもちろん一つのパターンをしてなんですけど、
でも昨今Xでもなぜか急に話題になった不登校にしてもですね、
やっぱりベーシックなところに、一番根底のところに、
子どもは親を喜ばせようとしすぎるぐらいしているっていうことを忘れてはいけないと思うんですよね。
特に親子関係がうまくいってる場合はともかくとして、
うまくいかなくなった時は子どもがやっぱり必死になってしまいますよ。
私も子どもの頃のことを思い出すと、
やっぱり30過ぎた頃のしっかり落ち着いてしまった頃に比べるとですね、
子どもの頃は子どもってのは親が好きだよなぁとすくずく思いますね。
とにかく親に褒められようという、親にいい顔をしようとしすぎるんですよね。
だから今思うと、やっぱりね、これを言うのはちょっと心身に寄りすぎかなぁと思うんですけれども、
やっぱり私は親の希望をかなえて病気になってたんだなぁと思うんですよ。
だって私50になって50になってですよ。体力がこうも衰えて、体力の衰えははっきりわかります。
階段登りきったところで少し息切れしますからね。
考えられないことです。昔だったら私にはね。息切れするんですよね。不思議だなぁって思いますよね。
まぁでも不思議じゃないのかもしれない。昔は人生50年だったわけですからね。
で、風邪1年で1日もひかなくなってきたんですよ。
今思うと子どもは気をつけないからっていうのはあるにせよ、
私みたいに年から年中風邪ばっかりひいてたのは親の期待に応えてたんですよね、私はね。
ここはめんどくさくなるんです。
やっぱり私は病弱で頭が良くて優等生でっていう、ある種の親の想像通りの子どもを演じてたんでしょうね。
全く無意識ですから。
嫌じゃないですか。結局親の願望を叶えるために熱39度出して。
親だってそんなの意識してるわけじゃないから、何お前また風邪ひいてめんどくさいとか言われてしまうわけですよ。
こういうやりとりも含めて親の期待というものに応えてしまうんですよね、子どもは。
間違いなく私にはそういうところはありました。
自分は病弱だと信じきってましたから、親同様に。
親も私を病弱だと信じきってた。
未だに言うんですよ、それをね。
もうやってられないっていうか、もう付き合ってられないからね。
いやいやいや、私は健康なんだよと。
で、これもまた思い込みってものが怖いところで、健康なんだって思い込み始めたら全く病気をできなくなったというのかしなくなったというのかね。
そういうふうになったわけですよ。
これほどまでに子どもが親のやっぱり願望を叶えてしまう。
今思ってもですね、やっぱり子どもって危ういっていうか可愛いっていうかそこら辺が難しいんですけど、
3、4歳で歩くのがやっとになってくると、やっと歩けるようになってくると、
親がですね、めんどくさがりですからね、親なんて。
せんべい取ってきてとか言ったら、はじかれるように飛んでってせんべい取ってきてくれるわけですよ。
で、これが中学2年ともなればですね、もう何そんなめんどくさい、自分で取ってきてよって必ず言われますよ。
これはやっぱり必要ですよね、絶対に。
同じようにはじかれるように飛んでって取りに行ったんじゃまずいですよね。
どこからどう見てもそのまんま一人で生きていけるようにはならないですから。
親が言ったことは100%真実ですっていうがままに動いてちゃダメなんですよ。
だから反抗期ってものが出てくるわけだけれども、それは親目線で言ってる話ですよね。
子どもは別に反抗してるわけではない。
親は子どもに自立してほしいとも思ってるわけですから、アンビバレントにならざるを得ないわけですよね。
ここに親大好き度があまりにも強く、しかも親が親目線というものがですね、意識してる方面しかなかった場合、ここが大事ですよね。
意識してる部分っていうのは、やっぱりいつまでも子どもは親の言うことを聞いていてほしい。
これ意識してる部分はそうでしょうよ。
そりゃあね、はじかれるようにせんべい取ってきてくるほうがかわいいですよね。
だけどこっちしか意識していないということになり続けてしまうと、それはやっぱり困りますよね。
無意識の方では親はやっぱり自分先に死ぬと思ってるわけですから、少なくともこれは無意識じゃないよね。
自分多分先に死ぬよなっていうのは無意識とは言えない。
でもとにかく無意識では親は子どもに独立してほしいと思ってるわけですから、こっちの願望も子どもは叶えようとしてくれてるわけなんで、どうしたってここは葛藤が生じます。
親が大好きであればあるほど、親が意識的に望むことと無意識に望むことが分かれてくる。
だって永遠にずっと親べったりで、永遠に自分であることもできずに、永遠におんぶして、永遠にバナナの顔をむいてあげてってのは困るわけですよ。
それを望んでないでしょ、親のほうだって。
やっぱり学校にはいってほしいと思ってるわけでしょ。
でも私が言ってる通りに学校に行ってほしいっていうことが永遠に続くということになってくると、これやっぱり一生赤ちゃんでいなければいけないってことになるわけですよね。
一生一次原則で生きていかなきゃならないってことになるわけですよね。
二次家庭でも生きていてほしい、現実原則も受け入れてほしいということになってくる。
自分が死んでも一人でお金を稼いで、どっかでいい人見つけて子どもまで育てろってことになってくるとですね。
やっぱりこれはですね、親が言ってる通りに動くっていうのではまずいわけですよ。
ここでめんどくささってものが出てくるわけですよ。
親が何かを言うたびに実にめんどくさいわけですよね。
親が何かを言うたびにこの二つを同時に満たさなければいけない。
親が言った通りに動きながら親からは独立するっていうことを成し遂げなければならないわけですよ。
これをややこしくしたのがエディプスコンプレックスってやつなんだと思うんですけれども。
この感情は当然ありますよね。
それが子どもなりに、子どもというのはまだ未成熟なんでどっちにしてもですね。
子どもなりにこのジレンマを解き明かそうとした時にですね、学校どうするのかっていう問題が一つ出てくるわけですね。
親の言う通りに学校で全てうまくやりたいんだけど、学校では全てがうまくいくわけではないっていう事態に直面した時に、
いかないという独立精神っていうものが当然生まれてくるわけですよ。
私は私の判断で学校に行かないということが、むしろ親も望んでる親からの独立という私のコントロール、私が人生をコントロールするっていう方針の一つとして、
非常に単純ですけれども、いかないという選択がここで無意識のうちに現れてくるんですよ。
すっごいこれはややこしい葛藤になりますよね。
でも当然ですよね。もう少し手前のところにフィーリングに対する拒否があるんですよ。
だってフィーリングしている内容がまずかったらやばいじゃないですか。
親というものが完璧であればいいんだけれども、完璧ではないから先に死ぬわけでしょ。
完璧ではないから病気になったり、人によっては寝込むってことが起きてくるわけですよ。
親は完璧ではないので、親が言ってる通りのものをひたすら食べまくってちゃまずいわけですよね。
フィーリングってのはエサやりですけれども、やっぱりこの私はエサをただいいダクダクともらってはいけないっていうことになってくるわけですよね。
ここで食に対するコントロール欲求というものが出てきたとき、食べたくないものを食べるというのはですね、
非常に面倒くさいことになってくると思うんですよね。
その人の主観というのかな、心情の中で非常に面倒くさいことだと判断しなきゃならないし、食べたくもないわけだから。
でも食べないというのは親の望むところではない。
でも何でもいいなりになって食べるのもまた親の望むところではない。
親の望みは叶えたい。実に面倒くさいですよね。
この面倒くささがもう少し大人っぽく現れるとどうこうなんだろうし、子供っぽく現れるともう少し違った形になるんでしょう。
いずれにしても子供っぽいとか大人っぽいというのはあんまり意味のないことであって、そのとき社会がその年齢に応じて何を望んでくるかと。
ただただ食べることを望む社会がね、子供に食べることを望む年齢もあれば、学校に来るってことを望む年齢もあるでしょうから。
だからこの番組で、この番組じゃないけど、前にお話ししました通り、飛行という少年たちはすぐ年齢を上げていくんですよ。
おじさんがやりたいことは高度がやるとですね、不良少年になっちゃうわけですね。
酒飲んだりタバコ吸ったり、悪態ついたりするっていうのは、なんかある意味おじさんがやってることなわけですよね。
車の運転してみたりですね。
お父さんになったりすると全然どれも必ずしも大好きで面白おかしくやってるわけじゃないんだけど、なぜかあれが先取りするとかっこいいかどうか、大変だから疑わしいと思うんですけど、かっこよく見え始めかねないというところがあるわけですよね。
つまり社会が要求する通りの行動をとっているだけだと、自分が自立するっていうことに、これもまた社会が望むことですからね。親が望むことでもあって。
で、こういう話を全部含み込んで考えてくれているのが私にとっては分析的な話だったわけです。
大人びた女子児童さんなんかはやっぱりめんどくさいって言ってたんですよ。
あれは鮮烈ですねやっぱり。非常に鮮烈でした。私はそういう子を簡単に好きになっちゃってたんですよ当時。
分かります?大人っぽく見えるわけですよ。子供の目からしてみるとね。めんどくさいって言って鉛筆も握らない。
でも鉛筆を握るのがめんどくさい感触ってもう皆さんはご存知あると思うんですよ。
僕はスプーンを自分の口にもとに運ぶのがめんどくさいという感触は知りません。生まれて一度も持ったことがない。
それは多分食べ物に対するリビドウが強いんでしょうね。愛が強いんでしょうね。
でも鉛筆を握るのがめんどくさいと思った瞬間は私にだってもちろんあります。
これが人の独立ってことじゃないですか。だから女子児童は正しかったんですよ。ちょっと早いけどね。
さっき飛行少年の話しましたよね。彼らも正しいんですよ。無理やりだけ。
太いズボンを履いてタバコ吸うのは自立なんですよね。
非常に拙速気味なのでうまくいってはいないけど自立に違いはないんですよね。
私はある種の彼らのできることができないんですよ。
例えば大人と交渉するとかが当時は全くできない。大人の言いなりになることしかできないんですよね。
そっちの方が褒められるし社会とうまくやっていきやすいんで。
ただいずれ言いなりになるってことには限界が来るわけです。
なぜなら言ってこなくなってくるからね。
だって大人というものは最終的には完璧な存在なわけではないですから。
例えばここにあらゆるエディプスというものにはあらゆる野の医者がいるっていう問題と同じ問題があるわけです。
野の医者っていうのは自立した存在でしょう。下手不足かもしれないけれども。
言いなりになることができないから野の医者になってるわけですよ。
言いなりになることはいつかどこかで必ずできなくなるわけです。
例えばすべての医者完璧ではないと私さっき言ったんで、
医者の言いなりになってても病気は治んないという事態をいずれは引き受けるしかなくなるわけです。
だって医者は不老不死の存在を作り出すことはできませんからね。
アトピーという病気は治すことができない。
治すことができないけど正式の医者に従っていなさいっていうのはやっぱり
言いなりになっていたら永遠にひたすら治りもしないのに
大学病院とかに通ってよくわからない検査を続けて
よくわからない結末を迎えるわけですよ。
松本邦博さんが接触障害の本で
誰もこれを身体の課題だとは考えてもいないのに
つまり接触障害って心因性のものだということは
すべての医者が分かっていたように見えるのに
ホルモンバランスとか一生懸命そういうものを測定していたという
とても不思議な光景があったと書いてたんだけど
そういうことが起こるんですよ。私も全く同じ経験をしました。
アトピーの時に身体中の血を抜くのかぐらいな勢いで
大量の血液検査をして血の中にあるなんとかなんとか
という物質とかの量あるいはダニが入っている量とかを
測ってはいやオタクの血液中には
少しだけダニが多いですねみたいなことを言う。平気で言う。
で私は頭がおかしくなってたんでその頃は腹が立っていたんで
私の部屋をひたすらバルサンと開くみたいなことをやってたわけですよ。
全然良くならない。当たり前なんですけどね。だって心因的なものなのに
身体の血の中をいくら綺麗にしても無駄ですよ。そんなに綺麗にはなりませんけどね。
つまりこういうことっていうのは社会込みで文化込みで起きることで
起きることはどこかで人は結局は自立どんなに自立するのが嫌で
どれほどいいなりになって頑張っていたくてもいいなりになるってすごい大変ですからね
1日10時間ぐらい勉強しなきゃならなくなりますからいずれは親のいいなりになって頑張って
いるってことはそういうことを意味しますから全然楽じゃないんだけどでも頑張っていいなりになる
わけですが人によってはどっかでやっぱりドロップアウトするわけですよいつかは絶対しないわけにはいかない
私のように結局相当長時でからドロップアウトすると野の医者になっちゃったりするんですよ
後になればなるほど社会に対する反抗心というのはむしろでかくなっていくわけですよ
10代であればタバコ吸っとけばすぐ話だったのに40代でそれをやるから野良カウンセラーになっちゃうわけですよ
そういう面であるわけでしょどう考えてもねそういう面があるからこそ私たちは面倒くさくなるわけです
どっかで必ず面倒くさいという気持ちを引き受けないわけにはいかなくなっていく面倒くさいって
飛行少年が福井とするセリフだったじゃないですか面倒くせえってなんか面倒くさい以外の恋がないのかぐらい
面倒くさがってるじゃないですかあれはとっても意味があると思うんですよね
拙速だけど早すぎるけれど面倒くさいんですよどこか必ず
例えば正式のカウンセラーになる臨床心理師になる今で言えば公認心理師になる
つい最近ですねエックスに面白い一覧表があったんですよ
難易度の難難難しいのと簡単な職業の職業別四角一覧みたいなのがあって難しい優しい
医者になるとか難しい一番難しいのはパイロンで練習が低い安いこれだと当然ですね
低い高い高くて優しい方がいいじゃないですか高くても難しいのが医者とパイロットなんですよ
低くて優しいのがなんだったっけなあるんですよね
でこれ良さそうだなっていうところにクレーン車のなんかクレーン車技師みたいなのがあって
比較的高くて四角を取るのはとても優しいみたいなそうなんだって思ってすごい勉強になったんですよね
で当然私はですよ公認心理師と臨床心理師どこに入るんだろうと練習は低い高いで
どの辺で難易度高い低いどの辺で多分割に合わないやつなんじゃないかなと思ったんですよ
難しくて練習安いってやつねところがそうじゃないないんですよ臨床心理師と公認心理師はない
まあ比較的新しい資格だからないのかもしれないけど私が探した限りなかったですね
びっくりしましたないのかと公認会計士とか税理士とか弁護士とかもちろんありますよ
でそれこそクレーン車なんとかもあれば栄養士もあれば福祉士もあるわけですよ
本に心理師がないわけですよ白いなぁと思いました私はの医者がばっこするみたいなことを言いますけれども
そもそも公認心理師ってなんか世の中には認識されていない世界なのかと
このなんか冗談みたいなマトリックスの表の中にそもそも公認心理師はないと世の中にあるんだけど
あれになるのはめんどくさいですよ大学院を卒業してしかもその後でなんかよくわかんないけれども試験やって知りませんけどね
お金もかかるし年数もかかるししかも上のところはなかなか普通に食べていくのも難しいというようになってます
めんどくさいというのはですねいいなりになれないということなんですよ独立しなければいけないっていうことが背景にあるわけです
この年になって独立するっていうのはやっぱり少なくとも年収で少なくとも300万は稼ぐっていう意味になるでしょう
妻子持ちであればそれだけは済まされませんよね そしていいなりになるっていうのは両立しないんですよ
これは私はあの 接触の話でもいわゆる不登校でもそうですしめんどくさいという言葉が運搬さない頃から
それこそ宮崎駿さんのこれはクラゾン経済のグッドバイブスの話を聞いている時によく出てきたんですけれども
宮崎駿さんはあのコンテ描くときねめんどくせえめんどくせえと言ってるとああいう大化のおじいさんから
そうだな10歳ぐらいの少年少女までひたすら皆さんめんどくさいを大合唱していらっしゃるわけですね
それはいいなりになってはいられない 独立しなきゃなんないでも独立するのは簡単じゃない
だからそして私は独立といいなりを両方同時に求められている むちゃくちゃじゃないかとめんどくさいではないですかと
食べることからそれこそチューインガムから何とかまでじゃないですけど食べることから 芸術作品を作ることまですべての分野においてこれが煽ってるわけですよ