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2021-10-12 38:35

【GMV 474】ジゾイドの時代を生きる

ライフハックのコスパが悪いと感じられる時
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
まもなく明日ですね、10月13日ですから。
つい顔色をかがってしまう私を手放す方法という本が、
技術評論者さんから出ます。
すでにマルゼンさんとかに置かれているという情報もあるんですけど、
たぶんAmazonで入手するには安いということになります。
私がびっくりしたのは、1週間以上前から電子書籍での販売がスタートしていて、
先行で販売していたんですけど、ここが逆転するのってやっぱり珍しいなとは思いました。
その分ある意味、紙の書釣り部数は抑えめなんですけど、
著者によると思うんですけど、私のような世代で、
しかも技術書よりの本を書いてきた人間の場合は、
今後このケースは進んでいくんだろうなというふうに、なんとなくですけど思います。
Kindle系というのは、さまざまいろんな難しい問題を含んでいて、
ここでこの話を延々する気はないですけれども、
簡単に電子書籍先行販売とか、電子書籍中心でというわけにはいかないんですよ、さまざまありまして。
でもそういう流れがいよいよ始まったんだなという感じは受けました。
まず考えられないことだったんですよ。
もちろんやろうと思えば既に入稿データ等があるわけだから、
Kindleを先行に出すということは容易にできたんですね、今までも技術的には。
でもまず絶対しなかった。
あえて1週間から1ヶ月遅らせるという方がむしろ普通でしたね。
それはやっぱり紙で出すのが先でなければいけない非常に多くの事情があり、
その状態は今思って本当のところ変わってないと思うんですけれども、根本的には。
まず何よりも電子で出そうと紙で出そうとAmazonで買われる以上、Amazonだけが儲かるんですよ。
この構図が崩れない以上、崩れるはずはないと僕は思うんだけど当面はですね。
崩れない以上、紙の販売を後に回すというのは一つのリスクになるんですよね。
書店さんはいわゆる要するにリアルでリッチを持っている書店さんは、
まず電子札はいくら売れても何もならないし、紙だって自分のところで売れない限りはダメなわけですから、
ここで私は出版社さんとの立場が違うとよく思うんですけれども、特に今はですね。
そういうもろもろありつつ電子が先に出ました。
03:00
紙は明日出ますと、よろしくお願いします。
で、ヒステリーという話を昨日したんですが、ここから本題ですけどね。
ヒステリーと僕がもう一つライフハックの方に、ライフハックの人って変ですけどね。
ライフハッカーっていう、それこそ電子媒体もありますし、マガジンですね。
ライフハッカーさんにお伝えしたいのはジゾイドっていう概念なんですね。
これもライフハック大好きだからみんなジゾイドとかそういう話ではないんです。
ただ、今の時代やっぱり技術よりに人が進んでいくと、どうしても私たちはジゾイド的にはなりやすい。
時代がジゾイドを押しているみたいなところもあると思うんですよ。
そもそも言葉の問題っていうのが常にあって、
ジゾイドっていうのは、それこそDSMっていうのを昨日紹介しましたけど、
アメリカの精神病理学のマニュアルがあります。
それは症例主義というか診断主義というか、要するに症状を中心に見ます。
なぜそうなったのかは考えないことにしてあります。
ここに常に精神分析に対するアンチ定性が含まれていると思うんだけれども、
そういう風に教えてくれた先生もいたわけですしね。
いずれにしても母子関係がどうだとか、エリプス的な話がどうだとか、
そういうことではなく、とにかく症状だけを見る。
これは現在だけを見るとかではないんですよ。症状だけを見るんです。
ここはすごく重大なところですね。
普通私たち病気の原因って見ちゃうじゃないですか。探ってしまいますよね。
先生、今日下痢でお腹が痛いです。
昨日何食べましたかってなるじゃないですか。
そうではないんですよ。下痢だけを見るんですよ。
ここがDSMのすごい重要なところ。厳密にはそうなってないですよ、多分。
世の中のどのカウンセリングを受けても絶対に症状しか見ないっていう人は、
そこまで原理主義的な人って多分少ないと思うんですよ。
実際には気が付けばですね、お母さんとの関係とか、
そういう非常に精神分析的な方向に行っているケースの方がごくごく多いと思いますけれども、
普通だと思いますけれども、基本的にDSMは少なくとも成立の段階では、
私が習ったのは3番の頃ですけど、バージョン3ぐらいの頃ですけど、
バージョンとは言わないのかな。今は第5ぐらいになっているんですけどね。
改定されているんですよ。それで病気も増えているんですね。
症例主義と言います。例えばヒステリーはなくなっちゃってますけど、
ジゾイドとかも、私はジゾイドって絶対に母子関係というものを考えなければ意味がないものに思えるんですが、
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そういう考え方はしません。
例えば私のような人間が特にアメリカ留学中では、
ジゾイドパーソナリティディスオーダー、つまり分裂症、人格障害というふうに判断されました。
私はかなり典型的にそうだと。まず孤独癖がある。空想癖もある。
そして非常に表情の変動に乏しい。
僕がアメリカに行くと余計ですね。表情の変化に乏しいと見なされるわけですね。
そしてなんか挑戦とした感じがする。挑戦としてないんですけどね。
いろんなパーティーとか行くと不意に一人になる。
英語力の問題もあるんで様々なんですが、そういうところがあります。
そういう色々なものが揃ってくると、少なくとも一つ表に見えているものとして分裂的であるというふうに見なされるんですね。
分裂的というのは英語読みにしたりドイツ語読みにしたり様々ですが、スキゾイドとかジゾイドとか。
私たち日本ではよく文庫とかでお好みさんがジゾイド人間とか書かれていましたし、
和田英樹さんという数学暗記だけ有名な人もジゾイドの話を、ジゾイドという言葉で確か本を書かれていたような気がします。
和田英樹さんは物の多い数の本を書かれているので、別に不思議ではないんですけど。
しかもあの方は古風土だったと思いますね。専門は。
古風土もすごい面白いと思うんだけど、古風土は自己心理学とかに行っちゃったんですよね。
あれはアメリカにいる方で、一度はアンナフロイトの下で自我心理学、要するに精神分析のアメリカ派の会長とかもやってたはずなんですけど、
多分何かあってもっと強烈になって、あの人自身はすごい穏やかで謙虚な方だと思うんですけど、
でも何かすごいことがきっとあって、自己心理学とかを作り出したんですよ。
そういう話もあったりして、そっちは面白いんだけど、古風土で一世を風靡したんですよね、和田さんは。
アドラーが流行る前ですね、古風土の話をバンバン書いて、日本ではこういう傾向がありますよね。
かわいいハヨウさんがユンクを持ち帰ってきてバーッと広めて、和田さんが古風土の話を始めてバーッと広めて、
嫌われるユウキとかでアドラーがバーッと広まって、全部フロイトは古いって話みたいなのの対極に出てくるんだけど、
ほとんどフロイトと同時代人なんですよね。そこが非常に引っかかるというか、フロイトとユンクほぼ同時代ですし、
初代精神分析協会の会長ですもんね、ユンクは。アドラーもフロイトに誘われて、
自分はフロイト派じゃないぞという紙をポケットに入れていて、それを言われるたびにこれを取り出して、
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違うんだということを証明して回っていたって話があるぐらい。古風土はフロイトの弟子だし、
全然新しくなったと言って、それらの人が出てくるというのは、織田信長も古い、これからは豊臣秀吉だというぐらい、
あんまり新しくなっていない感じがするんだけれども、そういうところがありますよね。
この次出てくるとすると誰ですかね。私としてはウェニコットとかが流行ってくれると面白いと思うんですけれども、
多分、クラインとかが流行るとはもはや全く思えないんですよね。
でも、ああいう本が売れるように書くというのは、本当に至難の技だと思うので、
ウェニコットが誰でも面白く読めるように書くとなってくると、ほとんど骨抜きになってしまうような気もするし、
つまり一番おいしい部分がほとんど水っぽくなっちゃうという感じはするし、
逆にでも、あのまんまのものは出てますけど、8000円とか7000円とかでほとんど誰も読みませんみたいな雰囲気になっちゃうし、
本当に難しいです。アドラはもう長らくそういう位置づけでしたから、アドラの本がなかったわけではないんですよね。
ただ、もう未出処分1万円みたいな時代がずっと続いていて、唐突に嫌われる勇気でガッと売れたけど、
確かにアドラの言ってることに違いはないよなみたいに、そういう言い方をする人はちょっと批判が欲しいんですけど、
ああいう仕事ってすごいですよ、本当に。コフートもそうです。和田秀樹さんのコフートも。
たぶん和田さんが書かれてなかったら、コフートの理論なんてほとんど誰も知らないんじゃないかっていうレベルですから。
で、あれを読むとコフートがわかるようになるかというと、そこはまた別の問題なんですよね、という感じはします。
で、何の話をしてたかというと、そうそう、だからジゾイドなんですよ。
ジゾイドも結構、お好みさんの本とかがあって、ジゾイド人間とか、今はあんまり読まれてませんけど、文庫化されてますからね。
つまり、この文庫化っていうのも大事だと思うんですよ。
やっぱり、岩崎さんとか岩波さんとかで出ていて、8000円だ、9000円だで、中古になってると14000円だとか、買わないですよね。
そこに何が書かれてるのかもよくわかんないような本だった場合、まあ買わないと思うんですよ。
これやっぱ980円とか、今文庫も紳書も高いですけど、でも7、800円とかだったらですね、優に買えますもんね。
この差は大きいと思います。
で、ジゾイド人間もそういう本が出てますけど、今ではやっぱりお好み圭吾さんのジゾイド人間とかを読む方は少なくなってきていると思うんですけど、
今は非常にあの本はですね、僕はいいなと思うんですよ。
あんまり極度に薄まってないですし、その分難しく感じられるかもしれないんですけど、
特にすごい良い仕様だと思ったのが、UFOの中にいる人とか、スターウォーズ、あの人やっぱりいろんなものをうまく例えるなと思うんですけど、
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スターウォーズを例に出していて、いつもこうロボットがついていると、あれがスマホに例えられているんですよね。
そして本人はUFOに乗ってたり、ロボットを従えている限り、それこそ最強で価値マックスに見えるけれども、
UFOから一旦出てしまって、しかもロボットを取り上げられて、つまり本人だけになってみると価値最低で最弱になってしまうんじゃないかと。
そういう怯えがあるということをまず書いているんですね。
ここの、一体自分はどっちなんだというところで、大きな亀裂があることを人をジゾイドに例えているわけです。
私はこれは秀逸だと思ったんですね。
そういう感じってあるじゃないですか。
能力があって、スキルを持っていて、特に知識ですよね。
知識を持っていて、そこにあるものはまず何よりも情報収集のための装置なんですよ。
でかい装置。そしてその装置は情報を与えてくれるんですね。
何より精神分析的に言うと、ここに母子が一体になっているわけですよ。
その母というのは要はUFOなわけですよ。
UFOという人工的な環境カプセルが母なんですよ。
ここが非常に現代的で、本人は赤ちゃんのままでいいわけですね。
そこには二者関係というのは微妙ですが、ロボットとの二者関係、三者目がいないんですね。
そして三者目を排除するということがこのスタイルで生きていく上ではとびきり大事で、決して人とダイレクトにはやり合わないと。
必ずやり合うとしても画面越しであったり、テキスト越しであったり、何でもいいんですけれども、
いざとなったら画面を消せるというところがポイントなんですよね。
そういうふうに生きるということで、外在する者に対する強い不信感と不安感というものが、不信と恐怖があるというふうに考えられているわけですね。
だからできれば外在してほしくない、この辺はそれこそマトリックスじゃないですか。
子宮の中にいる赤ちゃんとしては、できれば何も外在とかはしていてほしくはないわけですよね。
生後間もなくの母子関係というのも同じで、母親が外在するものであっちゃいけないというのがポイントなんですね。
母親というのは実は外でお酒を飲んでいるとか、実は自分のケアをするのは面倒だと思っているとか、
そんなことを赤ちゃんが察知しようもんならトラウマなわけですよ。
これと全く同じ構図がUFOの中の人間にはあって、外にいているものは大変怖いわけですよね。
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そこで何をするかというと、ケアする私というものを用意するとか、何でもいいんですよ。
偽りの事故ってやつですね。フォールズセルフってやつで、スマホもそうだし、
しかもスマホも自分がスマホを使うようじゃダメなんですね。自動で応答してくれないとダメなんですよ。
フォールズセルフはそこが非常に大事で、借金玉っていう方が書いた、
発達障害の自分でも仕事ができるようになったすごい仕事術だったかな、非常に売れましたよね。
あの本に書かれていた通りです。挨拶をするべきだと、狸の置物だと思っていいから挨拶をしろと、
狸の置物に頭を下げておけばいいじゃないか、これがフォールズセルフですよね。
偽りの事故というものです。偽りの事故は何のためにあるのか、本当の私を守るためにあるはずですよ。
この亀裂が問題なんです。偽りの事故そのものがない人って今時いないと思うんです。
ただ、それを面と向かって書いた本がものすごく評価が高いというところが優れて現代的だと思うんですね。
現代では評価されるわけです。
ということは、現代では人が非常に自然的であるということについて、
賞賛とまではいかないかもしれないけど、多分に推奨しているところがあると思うんですよ。
偽りの事故と本当の事故の間の断裂ですよね。分裂ですから。
この断裂が強いということが分裂ということになるわけです。
人から見て徴然としているとか、表情が変わらないとか、動揺しにくいように見えるとか、
孤高のような感じがするとか、孤独であるとか、全部そこから来ると思うんですよ。
自分というもの、本当の自分というものはフニャフニャっとしていて、
強靭じゃなくて傷つきやすい、そういう自分をがっちり守る、ケアする私、
現実的容力が極めて高い、これ人によりますよ。
あんまり偽りの事故せっかく用意しているのに挨拶が下手だとかあるんだけど、
スキルは伸びていきますから、そういうスキルというのは。
そしてそういうスキルを伸ばすということこそがまさに生きるということです。
というのがやっぱり現代的だと思うんですよね。
そのスキルがあんまりうまく伸びないならば、機械に手伝ってもらいましょうというのが
非常にライフハック的だと僕は思うし、そのことをお好みさんは一生懸命書かれていて、
それがジゾイド人間ということになるんだと思うんですよ。
あれですね、敗戦で価値観を失ったとか、いわゆる父親というものを失ったって
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父亡き時代的な話と絡めてあるんで、そっちに引っ張られそうになるんだけれども、
それよりはやっぱりこの本当の私を守るという文脈が大事だと思うんですよね。
そして本当の私には快適なこと以外何もさせない、だから心良いの快ですよ。
立心弁義のやつですね。
あれがまさにどういうライフハックであっても一つ目指されているところだと思うんですね。
この例外があるとすると、知的生産系かな。
だから知的生産系の方々というのはですね、ライフハックからスピンアウトしつつあると思うんですね。
あれは梅沙男さん以来の学者趣味といったら怒られるかもしれませんけれども、
本を読みノートを取り、必ずしも大学教授はやっていないんだけど、
本を読みノートを取り、そのノートをいっぱい溜めていき、シャッフルすると。
もしかすればEイコールMC異常が出てくるんではないかみたいな、そういう希望の方向に向かっている感じがしてですね。
必ずしも快適にいきたいということが目指されていないと思うんですね。
でも時代の数学は快適にいきたいですから、知的生産は格好良さそうだという意味で、
そういうのをですね、古いノートのトジとか、そういうのも好かれるんだけど、
カードに書いたやつに線を引っ張っていくんじゃなくて、そこをiPad miniでやるというのが憧れるという路線だと思うんですね。
必ずしも快適じゃないですよね。結構面倒くさいことをわざわざやっている感じがあります。
ここがライフックと合わない部分があって、つまり快じゃないというところが合わない部分があって、
快楽派というのかな?違うな、快適派ですね。快適派は多分私は二通りに分かれると思うんですよ。
とりあえず現状のままでいいんだけど、いろいろと不愉快なことがあると。
上司は怒鳴るし、いろいろあるじゃないですか。
人と性的関係に入りたいと思えば、それはそれで傷ついたり恥ずかしい思いをしたりするとか、さまざまあるわけですよね。
だからそういうことを一切極力省いて快という方向に向かうためには、一番いいのはUFOに乗っかって、
面倒くさそうなことは自動応答をさせておくべきなんですよ。
面倒くさそうな人が来たら勝手にこう、はい、何度か留守にしておりますっていう風に言ってくれる。
これが偽りの事故のさらに延長線にあるものをですね、ライフハックとかガジェットが代行してくれる世界。
多分僕はこれはですね、今の人々がたった一人でUFOに乗っかってるというのでは寂しいので、
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家族とUFOに乗っかってるっていうのが理想とされているんだと思うんですけど、一つの理想だと思うんですね。
この形で、なるべく有効的な人とのみ、しかもその人たちが有効的に対応してくれる場合のみ、
態度、自分というものが一応出ていくと。つまりそれが本当の自分も一緒にくっついていくと。
ただ必ず偽りの自分がですね、この偽りのっていうのは批判的に言ってるように聞こえると思うんですけど、
それは多分ウィニコットが名付けたんですけど批判的に言ってるからだと思いますね。
この偽りの事故というものが肥大化するのが分裂症だということですからね。
このずっと先にいわゆるスキゾフェルニア、ジゾイド、スキゾイドっていうのはSCHで始まる単語ですから。
スキゾフェルニア、つまり昔精神分裂病と言われていて、今統合失調症と言われているものが本当にあるのだろうかっていうのはあるんですけど、
でもこの説明は大変良いと思うんですね。
一番大事なのは外傷というものをはっきりと説明できている気がします。
僕はトラウマというものを実は世の中の人は、世の中の人はというか、いろんな発説、カウンセリングとかあるんですけど、
トラウマであるって言った瞬間に突然そこに価値観を勝手に導入している気がするんですよ。
そういう意味でフロイトってすごかったなって思うんだけれども、
フロイトは昨日お話ししたヒステリーの、ヒステリーというのは外傷、トラウマというのをすごく重視していたし、
おそらく関係があるんですけれども、
少年ドーラというのを出していて、少年ドーラの本を読むとチクマンから出てますけれども、
いきなりお父さんが不倫している相手の、お父さんがあるケイ夫人という女性と不倫しているんですね。
ケイ夫人には当然夫がいますよね、不倫だから。
そのケイ氏というのがドーラに言い寄るんですよ。
これがトラウマになっているっていう、おそらくそうなんですけれども、
なぜトラウマになるんだって問うんですよね。
ここを問わなすぎる気がするんですよ、現代社会っていうのは。
こういうところに勝手な価値観が決定されていて、
いやそれ矢に決まってるじゃんみたいになっちゃうんですよね。
でもフロイトはそうは考えない。
年頃の美しい女の子がケイ氏はかっこいいってことに書いてあるんですよ。
わざわざね、注釈で書いてあるんですよ。
フロイトっていうのは本当にえぐいところがあると思うんですけれども、
ケイ氏と会ったことがあるんだけど、彼は立派な風貌をしていて、
女性には嫌われないはずだってわざわざ書いてあるんですよ。
そのケイ氏に言い寄られたりして、ただ嫌悪感しか湧かないとすれば、
それはステリンっていう書き方なんですよ。
こういう風にでも探っていかないと訳わかんなくなってしまうんですよね。
何をもってトラウマであるかが自明だっていうことを
カウンセラーが言えるはずはないと思うんですよ。
24:00
どんなにひどい目に遭っていたとしても。
だからトラウマという体験はどういうことなのかという風に、
ウィニコットは少なくともすごく追っかけている感じがして、
私ここに非常に関心したんですよね。
何かというと、言い寄られたからトラウマになりましたとか、
トラウマにならない人となる人の差は何なのかとか、
このドーラの話は非常にさらにこみ入っていて、
推理小説を読むみたいなんですけど、ケイ氏は自分に言い寄ったことはないと。
ドーラというのは、結構わいせつな本とかも読んでいる女の子だから、
空想したんだという風に言って、しかも父親はそれを信じることにするんですね。
この辺は実に複雑なんですけれども、
ドーラが起こるのは無理はないとつくづく思い知らされます。
でもこれでもフロイターは非常にねちっこく追っかけていくので、
これが本当に空想である可能性もずっと意識しつつ追っていくんですね。
この辺はすごく私は興味深いと思います。
だから彼はいつしか神的現実という言葉に巡り合えたんだと思うんですよね。
ドーラの空想であろうと、実際にあったことであろうと、
そこは重要じゃないんだということですよね。
社会的には重要ですよね、ここは。
今なんかすごい問題になるじゃないですか。
本当に言い寄ったのか、ドーラの空想なのか、全然意味が違います。
でも精神分析的に言うと、本当に言い寄られたのか、空想だったのか、
大した違いじゃないですよね。
どっちであってもトラウマになり得ると、そういうことですよね。
だからトラウマというものは自分が作り出している面があるということになりますよね。
非常に僕は重大なポイントだと思います。
ただこの段階で実証主義みたいなのからは、
だんだん相当距離ができてしまう感じもしますよね。
トラウマが空想でのトラウマになるというのは、
実証科学的には多分受け入れがたい話だし、
よっぽど込み入った理屈が、だから精神分析の話はよっぽど込み入ってくるけれども。
そういうふうに、どうしてそれが外傷になるのか。
私なんかもよく思ったんですよ。
自分が分裂気味だとか言われるのはよくわかるんですけど、
それはつまり人が怖いということですよ。
なんだかの意味で。
だって自分を守っているわけですからね。
偽りの自分を使って、
偽りの自分なの、タスクシュートなの、
ライフハックなの、仕事術なの、
使いまくって自分を守っている。
本当の自分は決して傷つかないようにしているのは、
かつてひどいことがあったからなのか、
っていう言葉を考えてみると、
そんなにひどい目にあってないんですよね、私の感じでは。
これをどういうふうに考えるだろうっていうのは、
非常に困難なところなんですよね。
どういうふうに考えるだろうっていうのは、
非常に長らく僕の中の疑問としてありました。
多分僕が自然とですね、
27:00
河合俳夫さんの本とかを割とむざぼるように読んだ記憶があるんですけど、
ついにこの疑問は解決できなかったんですけどね。
私が当時知りたかったのは結局、
なぜ自分は傷ついたとか、傷つきやすいと思っているのならば、
いつ、どのようにして傷ついたのか、
なぜそれは傷になるのかということを知りたかったんだと思うんです。
でもユング派、白雪姫とかヘンゼルとグレーテルの解釈、
面白いし、何か近いところに来ている感じはするんだけど、
よくわからなかった、自分について適応しようとすると。
結局それはフロイトまで行かないと、
フロイトよりユングのほうが行っているという考え方もあるので、
そこも難しいんですよね。
でもやっぱり私はフロイトでわかるようになったし、
フロイト、クライン、ウィニコットというラインで理解できるようになった気がするんですよね。
自分のトラウマというもの。
これ累積外傷という言葉もあるんですよ。
少しずつ傷つくと。
でもドーラのようなケースを見ると少しずつじゃないし、
なんかこう、イエローカード2枚でレッドカードみたいに、
そんなに単純なものでもないような気がするんですよ、トラウマというのはね。
で、フェアバウンという人がいるんですけど、もう一人。
彼もヒステリー・カエレとか書くんですけどね。
その話は明日ぐらいにできればいいかなと思いますが、
この傷つくということを、何て言うんですかね、
そういう経験は当然あってですね、
予感でもいいんですよね。
例えばそうですね、私の母が、
私が3歳ぐらいだと仮定してください、3、4歳。
女の子と仲良くしていると機嫌が悪くなるみたいな。
あり得たと僕は思うんですよね、母の性格から言って。
推測ですよ、そういうことがあったと思い出すのは無理ですが、
あり得たと思うんですよ。
それは累積外傷になり得ると僕は思うんですね、僕の性格から言って。
僕は母親っ子でしたからね、なんだかんだと言っても。
で、そういうことなんですよね。
そういう時に偽りの事故を作り出してしまう。
母親の起源をセンサーする自分というものを作り出してしまう。
これがいけないわけです。
で、これはどうして母親なのかということなんだけど、
要するに私たちいつもそうですけれども、
他人が外在するということがよく分かっていないわけですよ。
まして子供は、よく子供は自己中心的って言うんですけど、
僕はあの言い方は賛成できないですよね。
子供は他者が外在していることを十二分に理解していないっていうのが
良いところだと思うんです、せいぜいだと思うんです。
メラニー・クラインとかミニコットって人は全く分かってないってそこを言うんだけど、
30:00
僕はそれは分からないなって思ってるんですよ。
ミニコットは全く分かってないとは言わないのかな。
でもクラインは全く分かってないって言うんですよね。
幼児は丸ごと空想的って言うんで、
空想ってことは現実があることが分かってないって意味ですよね。
分かってないのは確かなんですよ。
私は大人になる今でも分かってないなって思うんです。
この傷つきの話で言えば、最近売れた4コマ漫画の並べた
そいつ今頃パフェでも食ってるよっていう有名な本があるんですよ。
これは何を言ってるかというと、
あなたにとっても嫌な思いをしたらしいんだけど、
あなたにそうやってガーって言ってきたそいつは
今頃あんたのことなんかすっかり忘れて
パフェでも食って楽しんでるよって言ってるわけですよ。
相手は外部にいるんだよって言ってるわけですよ。
これが受けたということは、私たちはこのことをよく知ってるんですよね。
人は外部にいるのに、自分の内部にいるように思い違えた時に、
私たちのその傷つきなどといった苦しみは止め戸がなくなっていく。
ずっとその人は私のことを詐欺すんでいたり、
バカにしていたり攻撃しているような感じを自分の心の中に抱いている。
でもその人はもうあんたのことなんて忘れてるんですよって言ってるわけじゃないですか。
つまりその人にはその人の生活と人生があるんですよって言ってるわけですよ。
あなたのことなんて考えるのはほんのちょっとなんですよと。
パフェより大事じゃないんですよという話をしているわけですよね。
で、それは事実ですよね。
子どもがどうして傷つくのかというと、外在するからなんですよ、親が。
親には親の人生があって、自分のことばっかり気にかけてくれてるわけではないわけですね。
でも親は自分をいいように扱う感じがあるし、自分の価値観をバッチリ押し付けてくる。
それは親が自分のためだけに存在してくれている限りにおいては十分受け入れられる話なんだけど、
親には親の都合があってそれをやられたんではたまったもんじゃないよねって言ってるのがエリプスコンプレックスだしアジャセコンプレックスなんですよね。
特にアジャセコンプレックスはそうですよね。
そこで外傷を私たちは得るといろいろあるわけですよね。
でも最悪の場合はもしかするとお母さんとしては帰ってこない、男とどっか行ってしまう。
最近そういう漫画を読めましたけど、めちゃくちゃ傷つくじゃないですか。
で、傷つくではもはや済まないですよね。
生死にかかってきてしまう。
だから外在してもらっては困るわけですよね。
でも外在し得るというときに子供にできる最大のことは親の起源を伺うことなんですよね。
モニタリングする。
ここで外在と分裂の原因になるわけですよね。
外在を予感したときにその子は自分を分裂させる。
すっかりくつろいで親まかせる。
この分裂をなぜか今の世の中を進行させる方向に圧力が向いているような気がすると。
少なくとも私の知る限り、ライフハックは紛れもなくそれをやるというふうに思うわけです。
33:04
人並みに自分を分裂させる。
自分を分裂させる。
自分を分裂させる。
自分を分裂させる。
自分を分裂させる。
ライフハックは紛れもなくそれをやるというふうに思うわけです。
人並みに生きるためのタスク管理みたいな、さっきの人並みに仕事ができるようになる仕事術も同じですよね。
これは人並みにできるようになるということは、
人の顔色を伺うということと多分完全に同じところに向かうと思うんですよね。
だから狸の着物にも挨拶するわけですよね。
人と上手くやるということがテクニックになるし、
それは何のためかというと自分を守るためであると。
その大元の原因は母子にあったはずだと。
多分対象関係論みたいな話。
クラインとかミニコットとかフロイトですけどね。
そういうことの見方、そういうものの見方ですよね。
そういう比喩の線弁をつけた感じなんですね。
これを僕らは知ってていいはずだと思うんですよ。
自分と母親の関係がどうであったかを思い出そうって話じゃないし、
まして、思い出すのはいいと思うんだけど、
ましてその解釈を人にしましょうねって話じゃないです。
あの人ジゾイドっぽいよねとかいう話をしてもしょうがないんですよ。
そういうことではなしに、このラインに沿って
推し進めて大丈夫だろうかと思うケーキになると思うんですね。
きっかけになると思う。
怖いからやってるんであれば、
どうにかしてその怖いのはやめられないのかって、
やめるのはライフックの方じゃなくて怖がる方だと思うんですね。
怖いからUFOに乗っかってる。
でなければいいと思うんですよ。
安全だからここはと。
快適ってのもそうだと思うんですよ。
不愉快な目にあるのが怖いっていうことは占い師だと思うんですよね。
別に外に出たって快適なはずなんですよ、怖くなければ。
だけど怖いことはもう自明になっちゃってるから、
外に出たら快適なはずはないことになっちゃうんですよね。
そこをなんとかできる。
少なくともそこについて考えるってことをしていく。
知識を持ってていいはずだって思うんですよ。
これが進行していくと
何のために自分はこれをやってるんだろうっていう話になっちゃうんですよね。
その時に全く違う観点しか見出せなくなるんですね。
何のために私は一生懸命ライフハックやら挨拶やらやってんだろう。
このコストパフォーマンスがひどく悪くなった時に
ライフハックってコストパフォーマンスを気にしますから
1分単位で記録をつけてみたり
36:02
エヴァノートの整理を必死になってやってみたり
対人関係のスキルとかコミュニケーションスキルを一生懸命伸ばしてみたりしている。
これがとても虚しいと感じた時に
なんで虚しいのかの答えがあると思うんですね。
だってそれは偽りの自己がやってることだから
本当の自分が満足することとは関係ないんだから
虚しいに決まっているわけですよね。
この虚しさをサムデイリストとか埋めてくれるはずないよね
ということがまず第一歩になるんじゃないかなということ
そういうのが昨日のヒステリーの話とセットで
僕の中では重要な2要素だと思うんですよね。
さっきの男性のヒステリーっていう
何かというと
多分性的なものを持っている
多分性的なものを含めて
男性同士の競争世界にどっぷり浸り
しかもこの偽りの自己で総力を挙げて頑張るということを
ずっとやっている人がですね
不意に抑鬱的になっていくというのも
全然不思議な話じゃないと思うんですよ。
今のような話を全て含み込んでいくと
これがですね
何て言うんですか
では抑鬱になったから抗鬱剤を飲みましょうというのは
やっぱりですね
僕には他の言い分があるはずだと少なくとも
知っておいて飲む分にはしょうがないことはあると思うんですね。
民剤とか自粛民道乳剤とかを含めて
緊急の対処としてですね。
ただこのアンチテーゼ
要するに精神分析を完全に排除した上で
そういうことは一切考えることなく
民剤と抗鬱剤を飲むのがベストだっていうのは
本当なんだろうかって思ったとしても
不思議はないじゃないですか。
僕はそういうことを
飲む上でも意識しておいた方がいいんじゃないかって
ここは難しいところは多分にあるんだけれども
ブログで書いたりすれば炎上しそうな内容だなと思いつつも
飲む分にはいいかなと思ってる。
だってこれを言う人が誰もいなくなっていくとですね
あんまりそれはそれでいいことじゃないような気がしますよね。
38:35

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