2022-08-18 29:50

【655GMV】理想の自分を目指すストレス

超自我とノイローゼ

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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
ただいまですね、8月17日の20時36分です。
これ言うの、そろそろやめようかなと思い始めました。
今週いっぱいはですね、同じやり方をして様子を見て決めようかなと思っています。
でですね、今日は、疾病履読というのと帳字画というのを、両方ちょっと意識的に喋ろうかなと思っています。
このテーマは、できれば忘れなければという意味ですが、忘れなければといっても、意識の上では忘れていないんですけど、喋る意欲の方を忘れちゃうという状態なんですよ。
それさえなければ、同じテーマ結構続くと思うんですけどね。
で、帳字画と疾病履読というのを、同時に2つ扱わなくていいはずなのに、この2つを同時になぜか扱いたくなるんですよね。
1つ1つ行けばいいんだけど、1つ1つ行ってるとすぐどっちかはすっぽ抜けそうな気がします。
で、その前に、9月受信し、先日も言いましたけれども、働く人のための真相心理入門第2回をやります。
これは、今月か来月の8月か9月の私との60分対話を申し込んでいただいた方は、無料で参加いただけますと。あるいは無料でアーカイブをご視聴いただけますと、そういった内容になっています。
でですね、今これをやって割とこちらがありがたいことに成長になってきたんですね。今後ずっと成長かわかりませんけど、ここまでは私がイメージしているよりはいい感じで回っておりまして、大変ありがたいんですが、
ここで私はだんだんわかってきたんですよ。もっと疾病利得という問題と長寿がこれを取り扱う必要があるんだなということがだんだんわかってきたんですね。
で、もう一つ本当は大事なことにマトリックス、つまり本当のことは私たちは何も知っていないというのを、これをなぜ倉園さんがグッドバイブスですね、倉園圭三さんがまるで前提のようにまず喋っておくかというのが最近ようやく非常によくわかってきて、
私もこれを不意にいきなりまず前提として喋っておくか共通認識にして持っておいてもらわないといけないなということがようやくわかってきました。こういうのがわかるようになるのに2年ぐらいはかかるんだなというのを実感しています。
この話も深入りするとあれなんで、深入りしませんか?深入りしそうだな。私がこれを最初に強く意識するようになったのは多分5、6歳どっちかなんですよね。正確には覚えてないんですけど、5歳か6歳で。
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これはでも後日にしましょうね。幼稚園時代に年長に、今でもよく覚えているんですけど、おしっこ漏らしちゃって、この時の強い意識が、現実が夢であったらどうだろうということを猛烈に思ったのが多分一番最初のきっかけなんですよ。
その時私が出した結論と今持っている結論に大きな差はないんですね。現実が夢か、それとも現実そのもので夢ではないというのも、どちらも信念の問題であって、事実の何かをつかむことはできていないというふうに当時思ったんですよ。
それは今でも変わってないんですね、基本的に。今の方が洗練された説明ができるんだけれども、それだって人の借り物みたいな説明ばかりですからね。本当のことはわからないというのはそういう意味なんだと思うんですね。
本当のことはわからないのですけれども、ということはつまり私たちは現実に対して推論を重ねているという意味になっちゃうわけですね。
その推論を重ねていく中で、推論なんで現実とぴったり一致することはないわけですから、さまざまな問題が出てくるわけです。
中でも私たちが問題となっているのは、私は長らくヒステリーという表現、あるいはジゾイドという考え方で撮ってきたんですけど、その前にまずこれだなと思っているのが一つは超自画なんですね。
意外にこれが面倒だなって思いました。私は超自画の問題って自分の中ではそこまででかくなっていないので、でかいんですけどね。
でも一番私にとって問題なのはジゾイドであって、超自画じゃない、こんな言い方をしてわかる部分は伝わっている部分は少ないと思っているんですけど、
要するに超自画というのは理想の父親みたいなものなんですね。正しさですね。倉園さんがよく言うところの正しさですよ。
正しさというものは非常に厄介で、正しくない行いをしたやつは罰されなければならないと考えちゃうんですね。
これは本当に個人差がありまして、なぜなら父親なんでね。父親というのは実のお父さんであるケースも大いにありますが、全部が全部実のお父さんというわけじゃないですよ。
結構この正しさの中には羅王とかね、相当どうでもいいって言っちゃ怒られるかもしれないけど、相当いい加減な教えもあるんですよ。
でも教えを守っている人はかなり真剣に守っているんで、この教えが守られていないときは、そいつは罰されて当然だろうと。
で、罰されないのは本当に悔しいことだというのが、いきなりですね、妄想分裂ポジションにひた走るんですよね。
全然理性的でも良識的でもなんでもなくなっちゃって、あいつが罰されないなんて信じられないって、これいっぺんとになるんですよ。
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これはほとんどどんな人でもなるんですよ。しかもかなり賢い人でもなるんですよ。
だからオカルトになっちゃうっていうのも先走ってるんですけど、長寿がというのは極めてですね、脅迫症、脅迫神経症、耐人恐怖症、要するにエディプス水準以降というんですけれども、何度も言ってますよね。
分別がついた上での話として、この障害に神経症はつまり普通の人でもかかると、誰でもなるんだよっていうのがフロイトの言い分で、神経症水準っていう前にボーダーライン、線があるわけですよね。
その前は精神病水準なんですけど、こっちはそうそう誰でもボンボンなるものじゃないんですよね。
鬱でもうダメだみたいになるっていうのとか、統合失調症で私は四六時中あらゆる機械に見張られてるとかになってくる人はそう多くはないじゃないですか。
これもイメージされてるよりは実はずっと多いんだけど、そうそうこんな話にならないですよね。
つまりそれは精神病水準っていうやつで、そこに線があってボーダーライン。
そのより軽いのが軽いと言っても、この計帳もすごい難しいんですけどね。
でも一般最初のうちは特に軽いとされてたのがノイローゼ神経症水準で、ここにヒステリーとか脅迫神経症、ガスの元栓が気になりますとか、閉じまりしたかどうかがわかりません。
これとなぜ長時間関係あるのかと、でも長時間関係ありますよね。
なんとか何々しなさい。あなた何々しないとよくないんだよと。ちゃんとトイレはおしっこはトイレでしなさいと。
ほらさっきの出てきたじゃないですか。幼稚園時代の私の素相っていうのが長寿がとの絡みなんですよ。
ちょうどそのぐらいの年齢じゃないですか。
で、文化的にそういうふうにちゃんとしろって言われるのは、倉園さんの表現を使えば人間が作ったルールですよね。
別に犬猫だったらそこら辺でしたからといって恥ずかしいとか思う人はいないわけですよ。人じゃないね。動物はいないわけですよ。
人だけがそれを考える。文化的な水準なんですね。
で、これは言葉を操れる。幼稚園生だって言葉を操れますから。
物事を言葉で考える。現に私なんか信じてもらえないかもしれませんが、そんな哲学的なことを5、6歳で考えたというのは、どこかから借りてきたに決まっているんですよ。
言葉で考えるからそういうことを考え出すわけですよ。マトリックスを考え出すわけですね。
だから私、映画マトリックスを見たときにずいぶん今さらだなと思ったのを昨日のように覚えているんですね。
最後まで見ようという気にもあんまならなかったんですよ。
このテーマでは映画を作れるのは当然じゃないかと思ったんですね。
ビジュアルが非常に使えるわけですから、ビジュアルの向こう側には何があるんだろうっていうのは、私は記憶している限り5歳まで遡れると思うんですよね。
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それ以前ってことはないと思っているんですけどね。
まあ、背パツ待ってるからそういうことを考えるわけです。
塾に行くのが嫌だったときもこれを真剣に考えたんですよ。
果たしてこの塾っていうのは実在しているんだろうかとずいぶん考えたんですよね。
それくらい酷い塾だったんですよ、スパルタで。
その前にあれがあったな、スイミングスクールね。
これももう酷くてですね、ほんといつも考えてました。
スイミングスクールっていうのは実在してるのかなと。
これが実在してなきゃいいんだがって。
これおかしいんですよね、この考え方は。
すげえ酷い目にやってるのに夢も現実もないんじゃないかと思うんだけど、夢なら耐えられるような気がしちゃうんですよね。
感覚だけだから、イリュージョンだけだからですね。
夢イリュージョンですよね、絶対に。
そういう夢見てましたから。
プールでしこたましばかれる夢ってのを見てましたからね。
考えてみるとそれって損だとしか思えないんだけど、夢でよかったって思うのが面白いところなんですよ。
ちょっと脱線してますけど、要はノイローゼというもの、脅迫神経症。
神経症っていうのはノイローゼなんですよ。
だから脅迫神経症って言ったらこれは精神病ではないって意味なんですね。
ヒステリーも神経症の一種だし、耐人恐怖症も神経症の一種です。
この辺はすべて非常に超自画というものが強く関わってきていると。
フロイトの超自画の理屈はですね、大変分かりにくく私には思えて、
あの分かりやすい図で表現されているようなものでは全然ないような気がするんですよね。
超自画っていうのは父親的っていう風に考えてもいいんでしょうけれども、
エディプス水準以降だから、言葉が使えて、分別があって、
それを気にするというのは変だけど、やっぱりそこまでおかしくはない。
つまり、例えばガスの元栓を締めに何度も家に戻るのはおかしいけれども、
家から一歩も出られないとか、
何かに見張られてるとか、近所住人悪口言われてるっていうのに比べると、
なんかやっぱりありそうな、ちょっとした精神の混乱っていう感じはしますよね。
一つに超自画というものが猛威を振るいすぎているわけですよ。
先日ですね、だいぶ前にある女性に指摘されたことがあるんですね。
男性の痴漢の犯罪というものと、女性の万引きの犯罪は似ている気がする。
私はこれはすごい指摘だなと思って、
何かそういうものを本にまとめられないんだろうかと。
まとめられないんですけどね、私じゃ。
誰かまとめてないんだろうかと。
大江健三郎が似たようなことを書いてるんですけれども、
あの人はちょっと小説で書いちゃってますからね。
つまり目を盗むってわけですよね。
超自画っていうのは見張りなんですよ。
ちゃんとお前塾に行ったんだろうなとか。
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だから私が結局のところ、塾をサボりたくて夢なんじゃないかと思いたかったのも、
超自画に見張られてるわけですよ。
よく私が心を安らかに何かに没頭するには、
環境としての母親に見守ってくれていてもらう必要があるとか、
先送りもそういう観点で考えてるんですよね。
結局人が仕事に没頭できないのは、
見守ってくれている母親の機能が低下しているからっていうように私は今言いたいわけですね。
そんなものに見守っていてもらうという心の図式って本当なんですかって問われるんだけど、
それじゃですね、
例えば超自画みたいなものに見張られているっていう感覚は、
人はみんな持っているじゃないですか。
よくよくしょっちゅう話題になっていて、
私本当なのかよそれと思いながらも、
もう信じるしかないんですけど、
セミナーでバカな質問をしやがってと思われるのが嫌だから、
質問を人の前でできないっていう人は本当に結構いらっしゃるわけですね。
それってその人の心の中の話じゃないですか。
本当にバカだと思われているかどうかってわからないですよね、絶対に。
多くの場合、大してそうは思われていないと私は思うんですよね。
私なんかは人のことをそういう人に言わせると、
私はバカな質問をしている人を見るとバカだと思っちゃうんですって言って、
これは超自画なんですよ。
ジャッジしているじゃないですか、その人が。
そういうものを心の中に宿らせているからそう思うわけですよ。
その超自画にジャッジされていると思うわけですよね。
だから私たちは人が見ていなくても、
多分やりにくいことはやりにくいんだと思うんですよね。
誰も人を見ていなくても、結局自分の心の中に見張り番がいるんですよ。
この話なら通るっていうことはですね、
心の中に環境としての母親がいたっておかしくはないじゃないですか。
つまり超自画としての父親というものに見張られているっていうのが成立するならば、
環境としての母親に見守られているっていうのだって、
別におかしなことじゃないと思うんですね。
というか、いかにもありそうなことだと私なんかは思っちゃうわけですね。
そういうお父さんなりがいるから、
罪悪感と罰っていう表現で倉園さんがお話になってますけれども、
そういうのがとにかくいるから倫理みたいなものが成立する面もあるわけですよね。
というか、一般にそういうふうに考えられてきているわけです。
問題なのはそいつが無駄にパワフルになっていたり、
ほとんど現実には役に立たない機能を奮い続けている。
だいぶ前にこのポッドキャストでも、
うつせみの家というNHK特集を紹介したことがあるんですけど、
彼なんかはもう全くそのまんまですよね。
あんなに痩せ細ってるのに働かざる者を食うべからずだからって言って、
餓死しちゃうわけですよ。
これが長寿がの恐ろしいところなんですね。
役者の人がわざわざやってきて食べ物届けに来てるのに、
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それを食べもしない。
なぜなら心の中のお父さんが見張ってるからなんですよね。
お前に食う資格はないと。
その人自身がすでに50代ですから、
お父さんはもう亡くなっていて、
亡くなる直前もちょっと厳格な感じの人なんですよね。
非常に長寿がってのは難しい問題を引き起こすなと思うんですけれども、
そういう話を最近立て続けに聞いて、
それこそ100日チャレンジでも連発してるなというのが、
長寿が強すぎるにも程があるといった感じがするんですよ。
お利子も今お盆じゃないですか。
非常に長寿がというものが実態とずれている。
つまり実の父親とたぶん張ってない感じがするんですよ。
実家に帰るじゃないですか。
たぶんゆっくりしていきなさいとか言われるんだけど、
ゆっくりできないわけですよ。
長寿がが見張ってるから。
やっぱり100日チャレンジでやる。
これは一例ですよ。
そういう人がいらっしゃったってわけじゃないんですけど、
でも近い人はいっぱいいらっしゃいます。
お盆休みだからと言って筋トレをサボっちゃいけない。
心の内で見張られているわけですよね。
第二領域のやつをちゃんとやんなきゃいけないと。
そんなことを私とか成が言ってるわけじゃないんですよ。
それは社会の期待という言い方をしてもいいでしょうけれども、
やっぱり私は心の中でそういう価値基準と
ジャッジをする存在があって、
やらないということに罪悪感を持たされるわけですよね。
だから罰を加えると。
これが外に向くと、
あいつは正しいことを行っていないんだから、
痛い目を見るべきなのに、
いい目を見ているから天地を下さなきゃなのに、
だんだんオカルトになっていくわけですね。
そういう心の機能というのが、
私たちの中には間違いなくあるわけです。
それはほぼ無意識ですよ。
無意識だからこそ自分がジャッジして、
自分が罰創としているのに、
何か天罰のような、
つまり自分の外の力によって、
ジャッジされるべきだし、
罰されるべきだって考えるわけですよ。
その人を自分が殴りに行くっていうのは、
やっぱり何かちょっと違うわけですよね。
ここに長寿がというものが、
実に無意識の力だということが言えるわけですよ。
ジャッジの内容なり、
罰されるべきだというのがしっかり意識しているから、
どこが無意識なんだろうって思われるかもしれませんが、
自分と直結している感じがしないっていう点が、
無意識的だなっていうふうに私は思うんですよね。
この力がはなはな強いので、
当人にはストレスにしばしばなるわけです。
これがあんまり強いとね。
だってせっかく実家に来て、
お盆休み取って休んでいるのに、
なんでそこで筋トレしてにはならないのかと。
100日後に自分の肉体の変化といったようなものを
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迎えたいからだっていう話なんだろうと思うんですけど、
まずそういうのが理想だと思っている段階で、
非常に長寿がの理想的な話ですよね。
そしてサボると、
高いQOLの人生を送り損ねるぞっていうのも、
長寿がの声じゃないですか。
おそらくはね。
こういうものはストレスになるに決まってますよね。
余計なお世話だし、
早く寝たいのにそこで腕立て伏せとかを始めなきゃならない。
なんかちょっと変な感じをするじゃないですか。
ここに脅迫神経症的なものがあるんですけれども、
そういう長寿がの目を盗みたくなるわけです、私たちは。
四六時中そんなのに見張られて、
行動を規定されてたんじゃたまったもんじゃないと。
たまにはこいつの目を盗んで羽を伸ばしたいと。
目を盗むってどうやればいいんですかね。
長寿がというのは、昔そういう漫画の童話っぽい漫画を読んだ言葉ですよね。
部屋の中にある目がキョロキョロと見張ってるんですけど、
そいつを眠らせる魔法があるみたいなそういう話。
これは長寿がの目ってやつなんですけど、
その目をですね、盗んでしたいこと。
一つはそれが性的に出るんですよね。
それが男性の痴漢と女性の万引きが似た犯罪に感じられるっていう、
私はあれは鋭いなと思ったんですよね。
やっぱりそれは女性の性欲が長寿がによって徹底的に見張られている場合、
その目を盗んだ証として何か入りもしないものを盗んでくるわけですよね。
盗むことができるためには定員の目を盗める必要もありますけれども、
同時に自分の長寿ががをどこか掠めとる感激を縫うんですよ、多分。
長寿がが見張っていたらお前万引きなんかやめろっていうことで、
そういう行動を取れないじゃないですか。
長寿がが一瞬眠るのかな、なんだかわからないけど、
隙をついて万引きに成功すると、
この瞬間だけ私は自由になったという感じでストレスから思いに解放されるんですよ。
こういう話が戸畑海斗さんが書いてましたね。
こういう話は非常に多くあるわけです。
そこまでは行かないにしても、だからこそなんですよ。
第二領域なり筋トレなりが、
万引きとか痴漢に相当する行為になってしまったら最低じゃないですか。
私はだから先送りがあんなにも甘美なものになり得るというのが大きな問題だと思って、
問題なのは先送りの方じゃなくて長寿がの方だと思うんですよ。
これが明らかにおかしな行動を人に強いている面が多々あるわけです。
対人恐怖症というのもですね、
昔から言いますよね、知らないおじさんが怖いという表現があるじゃないですか。
幼い子の知らないおじさんが怖いと。
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フロイトがすごいなと思うのは、家族欲というもので全てがどこまでも説明できる部分があって、
知らないおじさんというのは家族じゃないという意味ですよね。
その幼児には家族しか見えていないわけですよ。
だから優しいお母さんがいないところに知らないおじさんがやってくるのが怖いわけですよ。
このまま大人が知らないおじさんを怖がると、
多分対人恐怖症というようなものが見えてくるんだと思います。
もちろん対人恐怖症には周知という部分があるので、
恐怖だけが説明対象にならないんですけれども、
でもやっぱり甘えの世界なんですよね。
つまり甘えられるお母さんがいないところで知らないおじさんに、
これは面白いんですけど、
イギリスの心理学の実験にもストレンジャーという表現が出てくるんですよ。
ちょっと違う文明で、
ジョン・ボールビーという人がやった実験だったと思うんですけど、
知らないおじさんをお母さんのいない空間で赤ちゃんと一緒にさせると、
大概の赤ちゃんは大いに泣き出す。
だけど全く泣かない赤ちゃんも中にはいるという画期的な実験だったわけです。
そういう赤ちゃんは将来難しい子供に育つ可能性が極めて大だという、
今だとこういうのもなかなか問題を含む実験ではありますけれども、
でも画期的な実験だったと思うんですよ。
こういうのが精神分析的な世界そのものですよね。
ストレンジャー、対人恐怖、これは神経症なので、
やっぱり神経症水準の話なんですよ。
でもそうは思わないじゃないですか。
対人恐怖症になった人からしてみれば、
見守ってくれるお母さんが心の中で機能していないから、
人が怖いんだなんてわからないですよね。
そういう説明を受けてもピンとこないかもしれない。
でもそういう面があっても不思議はないわけです。
もう一つの脅迫症、非常に有名な例で言うとカギ。
閉じまりに戻っちゃうと。
実は私もちょっとそういう怪我が時々あって、
すげえ頑張るんですよ。
その時によくよくわかるんですよね。
一つに長寿がすごく防衛を振るって、
ちゃんと戸を閉めるの。
ちゃんと戸を閉めなければ文化的にやっていかれない。
実際そんなことは早々ないですよね。
早々そんなことで空き室に入られたりはしない。
もう一つでも違う問題があるんですよ、ここには。
それが家に戻りたいという気持ち。
疾病利得なんですよね。
あんまり今日はこれを話す時間ないですね。
30分なんで、このワンカーはですね。
やっぱりこれは明日に回せばいいんだな。
でも7分で結構しゃべっちゃうかもしれませんね。
疾病利得というのはヒステリーがそうでしたね。
ドーラはお父さんに不倫をやめてほしくて、
言ってみれば病気になると。
でもその病気に自分が意図的になったということを
信じるのは非常に都合が悪いので、
無意識の働きで体がゲイゴーするという表現を
フロイトはとってますね。
体のほうが答えてくれるわけですよ。
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あ、そうか、病気になりゃお父さんは別れてくれるんなら、
よし病気になっちゃろうということで、
どこも悪くないのに病気になっちゃう。
無意識の働きとして非常に、
これはこれで画期的でしたけれども、
私はもっとややこしい例が非常に多いと思うんですね。
神経症には。
体のゲイゴーだけではないわけですよ。
だから精神分析ってある意味すごい。
フロイトがすごいっていう、そういう話なんですよね。
無意識がやることはなかなか、
手が込んでいて奥深いわけです。
私は結局何がしたいのか。
しょっちゅうガスの元栓を止めるなど、
あるいはですよ、
何がやりたいんだお前はと。
病気には決まって利益があるんだというのがフロイトの言い分で、
これはですね、
倉園圭三さんのグッドバイブスのセッションなり聞いていると非常によく分かるんですよね。
最後の最後になってくると僕らはですね、
自分が何のメリットもないと思えるのに、
頭では分かってますとか何度も言いながら、
怖いものにしがみつこうとしちゃうわけですね。
怖いんですと言いながら、
その怖さにしがみつくんですよ。
怖いものにしがみついていれば安心だという。
例えば奥さんとのこれから一回に降りて、
奥さんにこういうことを言われるだろうな、
こういうことを言われたらこういうふうに言い訳しようとか、
こういうことを全部シミュレーションしていくのはだいたいものすごく無駄なのに、
僕ら結構怖いとやめられませんよね。
徹底的にシミュレーションしておくと何か安心だみたいに思う。
これも脅迫症の一種みたいに思えるんですけど、
少なくとも非常に神経症気味だと
フロイトには言われると思いますね。
何のメリットがあって閉じまりを確認しに行くのか、
旅行の前段になって、
家から離れたくないっていう解釈を
ここに一つポンと持ってくると、
実にわかる、実に納得がいく、
しっくりくるケースっていうのがきっとあると思いますね。
私には非常によくわかる気がするんですよ。
だいたいライフハックが大好きとか、
いろんなタスク管理などが大好きという人って、
家から出たがらないっていうケースが
みんながみんなじゃないですよ。
でも家から出たくないって人はいっぱいいると思うんですよね。
できることならば、
これも倉園さんが言ってたんだけど、
自分のカプセルの中で生活したいとか、
Amazonなりが一番自分に必要なものを全部届けてくれて、
食事も全部賄ってくれて、
つまり人と全く会わずに必要なものは全て、
今これ聞いていて、
そう思う方少ないかもしれませんけれども、
聞いていない方で、私はいくらか想像がつきます。
そういう生活の何がいけない、
そういう生活を自分にさせてくれよっていう、
もう心の底から叫んでるような感じの方って、
私は何人か知り合いにも心当たりがありますね。
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こういう人がですよ、
あれかすのもとせんとか、
あれちゃんと家計簿つけたっけということで、
家に戻っちゃう。
実にありえそうなことだと思うんですよ。
心の底では家から離れたくないと、
それほど強く思っている人にしてみればですよ。
ここいろんな理由をつけては、
家に戻りたくなると。
何ならお腹が痛くなってみたりね。
これだとヒステリーですよね、身体症状出てるんで。
あるいは鍵のチェックをしたかどうかを見るために戻ってみたり。
とにかく家に引き寄せられるわけですよね。
そういう時にこの脅迫神経症というものが現れた。
表現として、
その人に何かを強いるというのかな、
何かを行動させるんですよ。
そういうことがきっとあると思うんですね。
ちょっと文脈が違うんだけど、
お母さんがどうしてもその子供を家に縛り付けておきたくて、
何か不意に用事があると思うと、
そのお母さんは何か用事を追いつけるとか、
体調を崩すとかすると。
非常に複合的ですよね。
複合的なヒステリーでもあるし、
脅迫症気味でもあるし、
とにかくそういうことをやられているうちに、
家から出ようとすると、
例えば靴が見当たらないとか、
非常にフロイト的ですけどね。
あるいは着ていく服がないという方が多くいらっしゃいますよね、
女性であれば。
非常にこの辺は家族ぐるみで、
そういうことをやらかしているというわけですね。
だけども、この種のことにはメリットがあるわけです。
そのお母さんなり、
家から出ていくのが怖いとかね。
あるいは、そういうお母さんを置いて家から出ていくと、
とても罪悪感を感じるとか、
ここには長寿が当然関与していますよね。
だから私はその脅迫症なりに、
脅迫症を見えたことをこの方はよく言うなと、
とても清潔にしておかなきゃとか、
きっちり家計をつけておかなきゃとか言っている方が、
家から出たくないというケースは、
そこに知らないおじさんというものに対する、
ある種の極めて強い難点でしょうかね。
昔あったんですよね、
なんとかちゃん誘拐殺人事件みたいな。
ものすごい知らないおじさんというのは、
恐ろしい存在だと。
ほとんど鬼みたいなものですよね。
そういうふうに見える見方というものが、
長寿がというものが、
長寿がですからね。
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