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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今日は珍しく、投稿につき添ったことはありますが、比較的時間が余裕があって、余裕があると悩むというですね。
ブログってこうなんですよね。
カチッと決まったものをただそのまま書けばいいということは、どんな場合でもまずないですけど、
カチッと決まったものをそのままきちっとしゃべればいいということだったら、多分こういうことはしないと思うんですよね。
なんかもっと違う形にする気がします。
ここはダラダラグダグダと固まらないものをしゃべるっていうところにしておきたい。
そういうところでないと、多分必ずどこかで終わるよねっていう感じがします。
そういう意味で非常にブログと似ています。
その前に、ぶっちゃけ相談というのをやっていて、これはもう少しこれよりはカチッとしてるんですけど、
クラゾンさんがいるからね。
相談がつきつつありまして、昨日一つあったのかな。
でも私の考えではですね、グッドワイブス聞くと何もかもすっきりしたような気がするんですよ。
これは腕のいいカウンセリングを受けると同じパターンが生じるんですけど、
だからといって、この話もどこかでまとめたいんですけどね。
だからといって、例えば家庭内不安がきれいに収まるとか病気がいきなり治っちゃうというわけにはいかないんですよね。
治った気がするのとしないのとでえらい違うんですけど、
治った気がするのと治るのとは全然違う話で、残りはあると思うんですよ。
そういうことをほじくり出すことは別に全然ないんですけども、
あればお寄せいただけるといろんな意味でういういかなというふうに思います。
特命っていうのが非常にいいところだと思うんですよね。
自分じゃわかっているんですけど、人にはわかんないじゃないですか。
悩み相談のひとつ非常に難しいところは、
昨日そうだ、知人がアベマTVというやつに出ているのを見て、
こういう形になってしまうのを人は当然普通やがるよなというのがひとつ感じたんですよね。
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相談者ってすでに立場的に問題を抱えている人とそれを癒す人みたいに別れ方をするじゃないですか。
でもあれって本当は疑問的で、答えている人も多分同じような問題で悩んでいるんですよ。
その人はただ相談者になるのか相談され者になるのかによって立場的に上下が発生するようなイメージになるんですよね。
だから私はカウンセリングというのは基本的には密室で行うことになっているし、
外に持ち出すべきものではないと思うんですけど、精神分析というのはカウンセリングというのとはすごい違うところもあると思うんですけどね。
いずれにしても匿名というのはひとつの特殊性であり、完全匿名性ですので形かなというふうに思います。
仮に我々に誰であることがわかったとしても、多分見ている人には決してわからないというところがあると思うので、
その辺も一つ考慮の上、投げてみていただくことがあったら投げてみていただければいいかなと思います。
さっきまでグダグダと考え込んでいたんですけど、しゃべってみてパッと固まってきつつあるのが、
ひとつトラウマということについてしゃべってみようかなと。
フロイトの理論の大きなポイントのひとつにトラウマがあると思うんです。
そういう表現をとっていないので、そういうふうに思われていないんですけど、
エディプスコンプレックスというのはつまり、原初のトラウマ体験みたいなところがあると思うんですよ。
要は恋人に裏切られるっていうのはトラウマになりうるじゃないですか。
これを幼児のうちに恋人兼親である母親ですね。
ただしこの母親はもう人によって捉え方が様々ですけれども、
理想化された何か特殊な存在であって、実の母かどうかは学派によってはほぼどうでもいいような感じにも感じられます。
とにかくトラウマなんですよ。
だからこの番組で先々日ぐらいかな、喋った通り、
その母が表現すると魔女とかヤマンバとか実に恐ろしい体験になるわけです。
だって恋人がヤマンバになるんですから最悪ですよね。
そういうことをしかもゼロ歳児とかが体験しちゃうと。
重大なトラウマなんですよね。
お父さんが虚勢恐怖ですからね。
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ちんちん切るみたいな恐ろしい体験ですよね。
お母さんが好きだとちんちんを切られるとか論外じゃないですか。
これがやっぱり彼が言わんとしていたことだと思うんですよ。
この理屈が正しいとかじゃないんですよ。
これのすごいところはこれがいろんなところをですね、
いろんなその後の人生の病理を示唆するんだって言ってるところなんですよ。
そういうことをよく考えついたなと思うんですよね。
それ以前に誰もそういうことを考えている人がいなかったように見えるんです。
哲学とかいろんなものがあるじゃないですか、ヨーロッパには。
だけど全然そういう話になってないような気がするんですよ。
お母さんが好きだとえらいとんでもない目に会うぞと、
火あぶりになるぞみたいなそういう恐怖感って一回でも持つとですね、
その後の人生に何か見つけてそれが飛び出して消えるっていうのって実はですね、
洋の東西にあるんですよ。アジア性コンプレックスも似たところあるわけじゃないですか。
お母さんがすごい信用していたのに、いいお母さんだと思ってたのに、
実はとんでもないことを考えて嫌がったと。それが許せなくなるって話ですよね。
こういう人間関係っていうのはいろんなところで出てくるわけですよね。
だから虚勢恐怖っていうのがトラウマになるんですけども、
トラウマになるというのはつまりトラウマ体験が過去にあったってことなんですよね。
だからここが事実と何の関係もないんですけれども、
子どもは昔のことを忘れちゃうんだって言うんですよ。
これはすっごく斬新だなと思うんですよね。
私たちよく言うじゃないですか、トラウマがあると記憶を喪失すると。
あれはそういう現象の説明になってるんですよね。
実際にはエニプスの恐怖があったから2歳児以下のことを子ども、我々思い出せないっていうのは事実に反しますけど、
フロイトは別に事実について喋ってることは言い難いんですよね。
彼はそれを事実として規定しようと頑張った形跡も見られますけれども、
それは私が思うに不毛な努力でしたが、
そういうことではなくて、例えば大地震とか見回れると、
あるいはものすごいショックな出来事があると、
その周辺の記憶が封印されると。
このカラクリは脳科学にもあるんですよ。
なぜ封印されるのかもだいたい分かってるんですね。
だからそういうことは起こるんですよ。
ただそれが全人類においてエニプスコンプレックスがあったから、
2歳以下の記憶が曖昧になるというのはデタラメですよね。
問題になってくるのはこのトラウマ体験が記憶を抑圧というのは全然正しくないですよね。
記憶をですね、アーカイブするんですね。
09:02
フロイトが多分考えてたことっていうのは。
アーカイブしてみたり、スプリットしちゃうと。
それが将来の、あるいは人生の様々な局面で妄想的に人がなったり、
分裂的に人がなったり、分裂的に人がなったり、
分裂的に人がなったりするという話なんですね。
こういうものをヒントにして、
クラインだとかウィニコットだとかいう人がだいぶ洗練させていったっていう感じがするんですよね。
で、その中にフェアバーンって人がいて、
この人が実は分裂ポジションという言葉を最初に使った人で、
メラニー・クラインがそれを私は不要して、
妄想分裂ポジションとかっていう名前にしちゃうんですけど、
もともとフェアバーンって人は何でもかんでも分裂なんですよ。
何でもかんでも分裂であるという風に考えるんですね。
分裂するのもやっぱりですね、トラウマのせいなんですよ。
これはですね、あり得ることだと非常によくあることだと思うんですね。
すっげえショックなことが起こると、
なんか人が分裂したようになっちゃうっていうのは、
畳で見てもそれと分かりやすい人っているじゃないですか。
本当に会社でひどい目に遭うんで、
会社にいる時の人格と家に帰った時の人格が全く別物みたいになっちゃう人とか、
あるいはすっごい明るい人だとなんかすごい厳しいことがあって、
妙にもう塞ぎ込んで全然別人のように、
この別人のようになっちゃうみたいなところが、
すごく分裂気味っていうことを意味すると思うんですけど、
そうなるにはなんかあったっていうことになるわけですよね。
で、そのなんかあったなんですけれども、
全人類になんかあったことにしないとですね、
この種の理論ってある意味成り立たないので、
全人類にあったからエディプスなんですよ。
で、クラインっていう人はさらにそのエディプスをもっと昔にあったんだってことを言い出してしまう人で、
プレエディプスみたいな言い方をするんですけど、
0歳1歳にもエディプスあるんだみたいな、
あるかもですよね。
お母さんとお父さんというとんでもない奴がいるという考え方。
ただ私は自分の子育て経験から大変疑わしいなとは思うんですけれども、
なかったと言い切るのも難しいです。
そういうことはあり得なくもないですよね。
で、フロイトの理屈から言ってですね、
最初のトラウマ体験はとにかく重大問題なんで、
これを生まれてきたその瞬間に見出すっていう考え方があるんですよ。
母子一体だったのに切り離されるじゃないですか。
これが最初のトラウマ体験になるんだと。
だから生まれてきた人は全員トラウマ持ってんだっていう考え方ですよね。
へそ脳を切られる体験です。
これをエディプスと見出すっていう人もいるんですよ。
結構聞く話なんですね。
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何にしても何かトラウマがあっただろうと。
つまりそれ何が問題なのかというと、
外界から、つまり現実に直面しちゃうのがダメなんですよ。
現実に直面するって厳しい話じゃないですか。
だからウィニコットのような人は、
現実に人は直面しないんだっていう考え方を取るんですよね。
私が野球を見てる時みたいなもんですよ。
野球というのは野球のルールの世界にいるじゃないですか。
おままごとってウィニコットがしつこく言ってた。
そういうことなんですよね。
ままごとは現実じゃないですよね。
そういう意味では人は夢を見続けている。
もし夢を見られなくなったら、
もうそれは正気ではないっていう考え方を取る人たちもいて、
これはすごくやっぱり分かりやすいなとは思うんですよね。
人は夢を見てますよね。
例えば嫌な人々といい人々。
それはその人の勝手な夢ですよね。
一番分かりやすいのが私は爺とかだと思うんですよ。
家に爺が出ると大騒ぎするじゃないですか。
この辺でもフロイトの考え方の中の
どっちを取るかみたいなのってあるんですよ。
対抗とかって言って、
その人はもう子供に帰っちゃうんだ。
そういう見方をすると分かりやすいですよね。
爺を見た途端に子供みたいになっちゃうお母さんって
いっぱいいるじゃないですか。
少女時代に戻ってるみたいに。
かなきり声を上げるみたいなね。
一方でそうではないんだと。
部分的にポジションが移るんだみたいな考え方の、
これがクライーンのような考え方ですけど、
部分的に分裂ポジションに行っちゃうんだと。
この方が僕は説得力があるなと思うんですよ。
例えば爺見て東大出ていて、
ものすごい賢いのに、
つまりその頭の良さ自体は失われないのに
爺見た瞬間に、
もう全くそこの部分だけは
強烈に知性が働いていない人みたいになっちゃうという、
脳みそどっか飛ぶのかなみたいな感じがするんだけど、
脳みそどっか飛ぶわけじゃないんですよね。
だから急にその時だけ妄想ポジションに入ってしまって、
そこに投影されているものを見るっていう風に
投影されているものを見るっていう方が
僕には分かりやすいんですよ。
そこにどんどん悪がすごい投影されているわけですよ。
安定ですかね。
ラブクラフトの悪魔みたいなのと、
ヤマンバみたいなのと、
その他諸々の悪いのが全部ここに投影されるから
めっちゃ怖いんですよね。
これも先日申し上げた通りで、
幼児時代に苦しい思いって絶対するじゃないですか。
お腹空いたっていうのはめちゃくちゃ苦しいですよね。
お腹空いたという風にも言えないので、
そのまま放置されて死んじゃうかもしれない。
非常に恐ろしいですよね。
その時に必ず妄想が働くっていう考え方を取っているので、
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つまり、これもまた非常に独特なんですけど、
コンテイニングかな、そういう考え方があって、
非常に単純なんですけど、
私たちは思考内容を作り出すと思っているじゃないですか。
思考すればアイデアが出てくるみたいな、
インスピレーションみたいなのが頭から、
よくプレゼンテーションのスライド作るやつあるじゃないですか。
頭からビックリマークがポーンと出てくると。
あれが嘘だっていう考え方がありまして、
私もそれは非常に納得がいくんですけど、
私も思考でアイデア閃くとかは全然信用しなくなってるんですが、
もともとそんなのが信用できるとは思えなかったんですよ。
そうじゃなくて、
アイデアじゃないな、
考えられるべきことっていうのはそこら辺に漂っていて、
それを掴むのが考えだみたいな、
それを入れ物として、だからコンテインっていうんですけど、
入れ物に入れるのが思考するってことなんだっていう考え方がありまして、
私このほうが非常に説得力を感じるんですよね。
そういう感じがするじゃないですか。
赤ちゃんがギャーと鳴いてると。
なんだかわからないんですよ。
でもそこには考えられるべきことがあるんですよ。
お腹空いたのかなっていうのは、
考えられるべきことを誰かと考えてあげるわけですよね。
お母さんですよ、多くの場合。
でも今ならば、育児してるのはお父さんかもしれないし、
おばあちゃんかもしれない。
とにかく誰かが考えてあげるんですよ。
代わりに、考えられない人に代わって考えてあげるんですよね。
これをコンテイニングって言うんですけど、
私は思考ってこういうふうに使われているケースが
最も普通だと思うんですよね。
脳が思考内容を作り出すみたいなもので、
すげえ嘘臭い感じがします。
だからこうやってですね、
漂っているというのかな、そこに何かがあると。
で、この何かがある状態ですっごい辛いわけですね。
だからイリュージョンが出てくるわけですよね。
妄想が出てくるわけです。
この時に作り出した形って必ず恐怖と、
だから要するにヤマンバなんですけど、
自分を攻撃、苦しめる悪い奴がそこに
イリュージョンされるに決まっていると思うので、
お腹が空いた、おむつが不快だ、
いっそイリュージョンが出てくるわけです。
お腹が空いた、おむつが不快だ、
一切そういう概念を持つことができないので、
何かこう悪い奴が自分を攻撃しているという妄想を
最初に抱くわけですよね。
で、この妄想の対象にGとかがなりやすいわけですよ。
クモとかね、なりやすいわけですよね、ヘビとか。
だから非常におぞましいものなんですよ、それは。
で、これをATMだの、鏡だの、通気口だの、換気扇だのに認めるという人は
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大変な目に遭うわけですよね。
それを見た瞬間に、おぞましさでいっぱいになっちゃって、
それについて考えるということができない状態になる。
だから自分は考える能力を持っているんだけど、大人だから。
考えるということができない状態になる。
部分的に対抗するみたいな感じなのかな。
クラインのような考え方ってそうなんですよね。
部分的に対抗しちゃう。
部分的にある部分が思考、何て言うんですかね、それについて思考する。
だから僕はそれについて思考するのが思考であって、
それは先にあると思うんですよね。
思考があって、思考内容がそこから飛び出してくるみたいな、
プレゼンの絵みたいなのはナンセンスな感じがちょっとしますね。
これをやってくれるのがカウンセラーじゃないですか。
例えば昨日見たのはまさにそうだったんですけど、
悲劇のヒロインになっちゃうんですよっていう、
この悲劇のヒロインになっちゃうというのは、
わかりやすい話じゃないですか。
劇のヒロイン症候群とかありましたけれども、
これが思考されるべきことですよね。
お腹痛いんですよっていうやつだよね。
何だかわかんないわけです。
考えるという能力もあって、
考えるという能力も今はもう発揮できない。
分裂ポジション、妄想ポジションかな。
妄想ポジションに入ってるわけですよ。
本人は知性があるから、
全面的に妄想ポジションにいるわけじゃないんですよ。
ほとんどはちゃんと歴史的ポジションにいるんだけど、
だからお腹が空いたんだったら、
いや3時間食べてないからお腹が空いたんだと、
ちゃんと経緯が考えることができるから、
ご飯食べようとか、何かをつまもうということになるんだけど、
ある種のことについてはですね、
うわ、蜘蛛だみたいな、
一切何かができなくなってしまうわけですよね。
ただただ投影すると、
悪い蜘蛛がいる、私は殺されるみたいな、
そういう何の理屈にもなっていないようになっちゃうんで、
代わりに考えてくれる人が、
旦那さんとかいて、
いやいや、この蜘蛛を刺すわけじゃない人、
これが考えるってことじゃないですか。
考えられるべきことがそこにあって、
代わりに考えてくれる人がいて、
何とかしてくれると。
刺すわけじゃないから、外に出せば済むとか、
そういうのはすべて、経緯について考えられる人が、
代わりに考えてくれるわけですよね。
だから持ち込むわけですよ。
だから最初に僕、ぶっちゃけ相談の話したんですけどね、
持ち込んでくださいってことです。
クラゾノさんが、
放送分裂ポジションとかに入らない方なんて、
考えてくれる、こういうことなんですよ、
話の流れとしては。
あの、ぶっちゃけ相談じゃないや、
だからその、悲劇のヒロイン症候群か、
これは非常に考えるべき人が考えれば、
すぐ考えつくことなんですけれども、
まあまあ、悲劇のヒロインになっちゃうんですとか、
ツイッターで悪口言われると、
もうなんかずっと読んじゃうんですみたいな、
そういう話があった時に、
21:00
経緯について考えることはしなくなると。
妄想ポジションにもうどっぷりですって風になっちゃったら、
他人に考えてもらうと。
持ち込んでですね。
そうすると、相当が先にあって、
つまり考えられるべきことが先にあって、
考えるっていう人たちが周りに登場して、
その人たちが一生懸命考えて、
経緯を考えてですね、
これは害はないんですという話に落ち着くはずなんですよね。
で、その時に、
それができなくなる原因っていうのはトラウマなので、
トラウマを私たちは生まれつき抱えていると、
理屈的に抱えるのか、
子供がいきなり世の中に出てきた時に、
うわ、空気厳しいみたいにして感じるのかわからないんですけど、
そういうことを言い出したのがフェアバーンという人なんですね。
で、フェアバーンは人はそういうわけだから、
トラウマを抱えていて、
トラウマを抱えているということはどういうことかというと、
現実に直面するのは嫌だと、とにかくね。
この話はもういろんなところで出るんですよ。
バリントみたいな人とかフロイトみたいな人も
一時愛とか一時家庭とか、
この一時一時言ってるってことは、
つまりここは大丈夫なのかっていう問いが
そこに立ってるってことです。
生まれてきちゃいましたけど、
やばいんじゃないんですかっていうその問いが、
例えばバリントでいうと、
日本ではドイタケオさんと考え方がとても似ていて、
ドイ…
タケオだよね。
甘えの構造ですよ。
いや大丈夫なんだと、
甘えていいんだということが分かれば
普通にやっていけると。
だから一時愛なんですよね。
その甘えみたいなものが。
基本的信頼とかいう表現を取ることもありますが、
全部同じです。
つまりいきなり現実に直面しなくても、
いきなり現実に直面したら大変なことになっちゃいますよね。
前に何だっけな、
アマゾンかなんかの未開部族の話で、
育てられない子が、
女の子が生まれちゃって、
育てられないんだったら森へ帰すと、
その時シロアリーグニが埋葬してくれるみたいな言い方をするんですけど、
これが現実に直面するということであり得るわけですよね。
だから現実に直面するというのはあまりにも大変なことなので、
普通はそういうことはないようになるというのが、
甘えであったり、一時愛であったり、
様々なわけですけど、
フェア・バーンみたいな人は、
そうは言っても現実の出てきた瞬間にトラウマを抱えることはあるから、
そうすると何かしなくちゃなりませんよねと。
これが病気なんですよっていう考え方なんです。
やっとここまで来た。
つまりこのフェア・バーンっていう人に言わせるとですね、
もうウェニコットが言うみたいに、
まず夢を見て自分を包むとか、
お母さんが環境を提供して自分を包むとか、
24:00
なんでもいいんですけども、
ダイレクトに現実と直面しなくて済むようになっているっていう、
この部分を、
なってないケースをまず捉えてですね、
そういうふうになってないから、
私たちは病気を使って、
その現実と直面しないで済むようにしているんです。
そういう考え方なんです。
これも本で読むと分かりにくいんですけどね。
僕がだから昔、
昔というかこれも最近ですけど、
ゾエさんっていう漫画描かれる方と、
中心倉みたいな話をしたとき、
男の子だからといって、
簡単に現実に直面させるということを、
俺7、8歳の話ですよ、
0、1歳じゃなくてね、
7、8歳でもいいから、
外に出て刀振り回せみたいなことをやると、
いろいろと問題が起きるような話をしたことがあるんですよ。
私が抱えている問題っていうのは、
そういう問題なんだと思っているんですけど、
これもまた非常にジゾイドになりやすいんですよね。
スキゾイド的な、分裂的なですね。
分裂っていうのは要するに、
ある意味対処方法なんですね。
フェアバーン的に考えると、
この分裂のいろんな対処方法のバリエーションが
病気でしかなくて、
そういう意味では、彼に言わせれば
全部病気はスキゾイドなんですよ。
この考え方も、
何か理にかなっているような感じってあるんですよね。
いろんなモデルがあるっていう感じなんですよ、これは。
このいろんなモデルがあって、
うまい説明ができるような、
スキゾイド的な、
スキゾイド的な、
スキゾイド的な、
モデルがあって、
うまい説明ができそうなモデルを
使えばいいじゃないか的なのも、
僕はすごく安直で無理があるなと思うんですよね。
ぐだぐだ今日は喋っておりますが、
ある程度時間に余裕があるせいですが、
よく言うんですよ、
タスクシュートとかGDDとか、
この人ごとに合うのが、
合うやつを使えばいいのであって、
どれがいいと言うんではないみたいな、
私この考え方って苦手で、
そうなんですけどね、
そうなんですけど、
でもやっぱりそれを言っておけば
済むもんじゃないだろうとも思うんですよ。
合う合わないが、
そもそも誰にでも分かるだろうかって
思うところがあって、
ちょっと使ったぐらいで分かるだろうか
っていうのもありまして、
これもいろんなモデルがあるんですよ、
ウェアバーンだったり、クラインだったり、
多分そうなんですよ、
部分的に正しく部分的に間違ってる
みたいなのもあると思うんですけれども、
だからといって、
合う部分を自分に当てはめて考えれば済むって
ほど簡単なもんではないと思うんですよね。
何にしても、
このウェアバーンの考え方っていうのは、
トラウマがあり、スキゾイドっていうものを
まず人は言ってみれば、
現実対象の武器みたいにして使い始める。
そのバリエーションにいろんな病気がある
という考え方、精神病の話ですね。
結局それってトラウマの大元、
27:01
人は現実と対面することなんですが、
特に現実というのは対人ですよね。
だから人は怖いと、
人は怖いので、
その人との関わり方というものに
いろんなスキルを扱うと、
このスキルというものが、
つまり病気なんだっていう捉え方です。
壮的防衛って話をしましたけど、
これが一番、僕なんかはよく
割と見るかなって思うんですよ。
対人関係は苦手ですと、
そこで壮的防衛というものを
使うんですよね。
付き合うに値しないやつだから、
俺から切ったんだよってやつですよ。
これを言いまくっていけば、
人と付き合うことによるトラウマというものを
回避できるわけですよね。
お母さんを信じていましたけど、
お父さんが虚勢を養いに来るんで
とても恐ろしいですっていうような、
こういうとんでもないことにならないように
するためには、
要するに人と深入りしなければ
いいわけじゃないですか。
そのためにはどこかで撤退しなきゃ
ならないんですよね。
そうすると人間関係なんで
ちょっとでも嫌なことが起こるじゃないですか。
必ず自分と全く意見が同じや
同じではないところが出てくるとか。
今回の例えばオリンピック、
やるべきだと思ってたけど、
この女の子はやるべきでないって言ってると、
切り捨てよっていうことになった時に、
こういうくだらないことを言うやつは
俺にふさわしくないっていうことで
切り捨てるわけですよ。
これはスキルだって考えるんですね。
ヘアバーンは。
人間関係で深入りすると
嫌な目に合うので、
適当なところで切り上げるのに
最も都合のいい考え方を持つと。
非常に面白い発想で、
こういうスキルを身につけると、
その人は脅迫的に
このスキルを繰り返し繰り返し
使うようになりますよね。
なんかこの人いっつも
同じことやってんなって感じがするわけですよ。
いろんな女の子と付き合うんだけど、
すぐにあいつは
ろくなやつじゃなかったとか言って
切り捨てるっていうのを
ぽんぽんぽんぽん繰り返してると
他の人にはこれでもう60回目じゃない
その話っていう感じがしてくるんですよ。
だけど確かに
こういうことって
あるなって思うんですよね。
これはいわゆる
行動科学で言えば
ランダム教科みたいなやつで
報酬がある。
つまり、振り捨てる時には
振り捨てないんですからね。
報酬があるという行動を
人は繰り返すわけですね。
これで大体のことは
説明できるんじゃないかっていう風に
考えたんだと思うんです。
例えば、脅迫症的に
人付き合いを
うまくやるっていう
考え方もありますよね。
わりと日本の文化って
これをやるんですけれども
やたら儀式化するわけですよ。
全く同じことを繰り返すようにすると
そうすると
何時から何時まで話をしましょうと
何時になったら
30:01
バチッと切り上げて
別れましょうと
非常に儀式めいてるわけですよ。
最初の挨拶はこうしましょうみたいな
毎週土曜日にやりましょうみたいな
そういう風に
徹底的に儀式化して
深い付き合いには
絶対至ることが
起こらないようにする。
これはさっきの相的防衛と違って
関係を破壊せずに
済むというメリットがあると思うんです。
その代わりに何かの
物足りなさが
常に残るような感じにもなって
しかもそれが味があるんだみたいな
発想になっていくんだと思うんですよ。
その人との関係では
必ず割り勘にするとか
食べに行くものも
常に同じものを食べるとか
およそ恋愛には向かないと思うんですね。
何から何までやることが
先に決まっていて
その通りに順次行われていて
合うのがつまり
ロボットでもいいような
相当的というふうに
彼は言うんですけど
こういう人間関係にするケースって
すげー多いなって僕は思いますね。
うちほんと実家は寺だったんで
寺というのは
いろんなお寺の
集まってイベントやる
みたいな時があるんですよ。
こういう時はほんとこれが
徹底的に出てきて
8時何々何年何々
喋ることも全部決まっていて
昔の日本人っていうのは
ほんとこれが得意でして
どうこうどうこう
全部決めていくんですよね。
これで人間関係を処理していくわけです。
これもまた多分
フェアバーンに言わせれば
非常にスキゾイド的であって
つまり人間と深く関わるのは怖いから
そうやって誤魔化すということになるんですよね。
日本の文化にはこれは多分にあると思います。
だからフランスの精神科医が
日本の文化というのは
文化全体が脅迫的だっていうふうに
言ったことがあるんですけど
そういうところを指してるんでしょうね。
ただ日本の文化は
これの一種カウンターバランス的なところで
だから夜お酒飲んで
めちゃくちゃこうやるんですよ。
全然きちんとしていない状態ってものを
反対側に持っておかないと
多分これだとすっごいやってられなくなるんだ
と思うんですよね。
だから割とお葬式できちっとやった後に
酒をやたら飲むという
ある種の考えからすると
非常にわけのわからない文化っていうのは
こういうところに多分あるんだと思います。
あとあれですよね。
ボーダーライン的な人もいますよね。
これは想的防衛とよく似てるんですけど
何かにつけて相手をすぐ理想化して
この人こそ私の理想の上司だって言っておきながら
1ヶ月ぐらいすると
最悪の上司だってことにして
無視切ると。
これを繰り返すっていうやり方もありますよね。
これも深く付き合うということ
しないっていうのが前提にあるんだと思うんですよ。
33:02
で、あともう一つがトラウマから来るんで
当然恐怖症っていうのもあります。
これはもう対処方法なのかっていう感じもするんですけど
ひたすらひたすら逃げると。
とにかく人と付き合うということを
基本的には避けると。
ギリギリミニマムでやるのはしょうがないんだけれども
簡単に言うと会話もしない。
目も合わせない。
挨拶もしない。
できれば早く帰るみたいなあれですね。
これも一つのスキルなんですね。
ヘアバーンからすると。
これはすごく誤解を招くことがあって
なんかこうやって女性が
ひたすら対人を避けているような女性を
妙に好む男の人もいるじゃないですか。
で、その人は多分ですね
ここに深い考えがあるような
女性だと
思っちゃってるんだと思うんですよね。
お先に失礼しますみたいな。
早く帰らないといけないでとか
言ってるんですけど
ただ逃げてるだけなんですけれども
いや、なんかこれはすごくいい人で
育ちが良くてみたいな
勝手にこうイリュージョンを
たくましくする人を
呼び寄せてしまうんで
この辺がユング派の人たちが
これは非常に表層的ですけど
アレンジメントっていうのは
こういうところなんだろうなと
そういうところに追っかけられるような結果を
これがかえって招くんですよね。
多分これは
そういう深い考えとか
深い思いがあるとかではなく
ただただトラウマを避けるということを
恐怖症というやり方でやってるんだと。
フェアバーンならそういう言い方をするだろうなと。
こういう風に行くんですよ。
行くっていうのは考えてるんですね。
で、この考え方で行くとですね
結構いろんなことが説明できるんだよと
やっぱり根底にあるのは
スキゾイドそのものだと思うんですね。
脅迫的な形になってるのか
恐怖症的になってるのか
それはどれも同じだってことに
多分なるんだけれども
分裂というものは
やっぱり非常に仮面的になるわけですよね。
これはウィニコットも
同じようなことを言ってますけど
偽物の事故っていう言い方をしますけど
要するに本物の自分というものを
さらけ出さないようにするわけじゃないですか。
怖いから。
そうすると常に表面的な自分というものが
そうだもう一つあった
ヒステリーというんですよね。
今あんまり言われてませんけれども
特に女性の対人戦術として出てくるわけです。
男の人をひたすら
ちょっとだけ性的に挑発して
持ち上げて持ち上げて捨てると
これを繰り返す。
これも絶対安全なわけですよ。
深い関係には決して至らない。
告白でもされようもんなら
必ずごめんなさいというみたいな
でも付き合う。付き合うというのかな。
付き合う前の段階までいく。
それを延々繰り返すわけですね。
全部ポイントは繰り返すってところにあるんです。
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ランダム強化だと思うんですよね。
これをやるのが何か快感になっていくんで
繰り返し繰り返し同じことをやるんで
しかもこの戦略が絶対安全だと思っているから
本人はしかもなぜそれをやっているのか
よく分かってはいない。
この辺が非常にフロイト的だと思うんですよね。
つまり無意識に動かされている
という言い方もできるし
覚えていないようなトラウマに
突き動かされているという言い方もできるんですよ。
要するに本人はそれを
全く中流でやっているつもりになっている。
例えば自分は魅力的な女性だということを
確認したくてこうしているとか
そう思うことも十分可能だし
そういう説明でも良さそうな女の子ですけれども
何となく私は
反復脅迫的という方が
説明として合っている感じがするんです。
延々こういう話をしてきたのは
要は現代というのは
すごくスキゾイド的だと思うんですよ。
やっぱり。
とにかくトラウマに直面したくない。
一つには
これはグッドワイブス的な発想になっちゃうかもしれませんが
なっちゃうというのもおかしいですけど
借りてきているという感じがしますけど
これだけ世の中を
人間にとって快適にしてきているので
せっかく得たこの人生の中で
トラウマになるような現実に直面したくない
市内で住むような
現実環境を構築したいと思う人が
少なくとも構築に近づけるだけの
例えばお金を稼ぐ能力だったり
あるいはそういう知識だったり
知識大きいと思うんですけどね、この場合
スマホとかITとか
それこそ家屋の建て方とか
あるいは住むべき土地とか
そういうものに対する情報収集力が高い
そしてある程度はお金を稼げる自信もある
となった時に非常にむしろ
不安と焦りが出てくる面もあると思うんですよね。
せっかくここまでできそうなんだから
現実なんかに直面する人生は
歩みたくないって思うじゃないですか。
この場合の現実というのは
地位とか雲とかですよ。
あるいは
ツイッターとかで嫌なことを言ってくる人とか
全部そういうものを排除でき得るという感じが
してきている中で
自然と的になりやすいと思うんですよ。
トラウマに遭うような目には
絶対遭わないぞという感じですね。
そうすると
非常に防衛的になりますよね。
ここが難しいところなんですけど
なぜかというと
最初の感じが
快適というものからスタートした時に
快適というのが
人生マイナス不快という式だった場合
やっぱり
まず考えてしまうのがむしろ
悪いイリュージョンだと思うんですよね。
この2点が人間の厄介なところですけど
39:00
家建ててみて
地位が入ってきたらどうしようみたいなことを
考えるじゃないですか。嫌いであればね。
ツイッターしてもそうなんですけれども
何でもそうですよね。
侵入される感じというものを抱くと思うんですよ。
そうすると防備は完璧にしておきたいという風になっていって
その分イリュージョンは
強くなると思うんですよね。
イリュージョンの方が。
最終的に問題になってくるのが
ジゾイドなんで
やっぱり
なるべく
カプセルを厳密にするっていう感じになっていくんだろう
と思うんです。
ここが
一番
面倒くさいところですよね。
もともと
大人スキルだったっていう
病気が大人スキルのようだっていう風に
考える人がいるほど
トラウマは嫌なんですよ。
要するに
襲われるわけですからね。
このトラウマの癒さ加減というものが
何に由来しているのか
本当は分かりませんが
アジア性コンプレックスなのか
エディプスなのか
生まれた時の感じなのか
お母さんがすげー怒ったのか
分かりませんが
あるんですよね、きっと何かが。
それを思い出すということが
とにかく
生涯に一度でも
もう今後会ってほしくないと
思うわけですよね。
今後100度や200度は
あるはずなんですが
それが
ランダム強化に
つながるんですよ。
このやり方をしている限りは
大丈夫っていう
かなり微妙なやり方に
訴えると
これとグッドバイブスが
当然バッティングするわけですよね。
今日はそういうところまで
持っていこうと思ってたんですけど
一応持ってこられましたが
取り上げれば
もうバッティングしてますよね。
自分が本当に傷つくことはないとか
一切の攻撃を恐れる必要はないとか
明らかに言っていることが
真逆になっているじゃないですか。
スキゾイドの考え方と
私は今スキゾイドの時代だと思うんですよね。
非常に進展
そういうものが発達してきた。
それによって物質は発達されてきているし
人間関係の技術も
それに
対処するように
対応してきている。
このことは昨日
アメバTVを見ていて感じたこと
アメバだよね。
今感じたことなんですよ。
スキゾイド的人間関係というものが
今の時代は非常に
言い方をマイルドにしていますけど
心理学みたいなものも
心理学者みたいな方も
ゲストでいらっしゃったし
非常にいろんな形で巧妙に
要するに
なんて言えばいいんですかね
気にしないで生きていけるような
人間関係を環境として構築しましょう
みたいなノリなんですよ。
気にしないで生きていけるというのは
気にしないってこととは違うじゃないですか。
42:00
気にしてってことじゃないですか。
気にするべきものが
外にはないわけじゃないって
言ってるわけですよね。
だから気にしないで
住むような何かを構築しましょう
っていう関係を構築しましょう。
これは私はスキゾイド的な
フェアバーンならきっとそう言うと思うんですよ。
スキゾイド的な
技術の一環だって思えるんですよ。
非常に恐怖症的なものもあるし
回避的な点ですかね。
そして非常に
総的防衛的なところはあまりないですね。
それに訴えずに
住むぐらいにしておけって感じがしますからね。
そういうものを感じさせられて
これがこの技術を確立していく過程では
ランダム強化が必ず発生するんで
もうそれはグッドバイブスを選択したくなくなる
大きな理由になりますよね。
恐怖症的なのでもいいですよ。
常に人間関係を儀式的にしておきたいって思った時に
儀式的というのは既に計画的ですから
未来のことは分かりませんとか言っている話と
相入れないわけですよね。絶対に。
そういう風になるほど
ここに選択方向が全く逆なだけに
しかもある程度反っているように見えちゃう部分があると思うんですよね。
快適ということと平安ということが
よく似ているような感じがするんだと思うんです。
快適というのはやっぱり不快というもの
不穏ぐらいですよね。
そんなものが外部にあるんだっていうニュアンスがあります。
グッドバイブスでいう平安というのは
そういうこととは全く違うんで
不安なものがないってことを信じろみたいなところがありますから
信頼するって話ですよね。
だからその辺で相入れがたい方向性が提示されていて
一時的にそれを採用しても
ランダム強化されている方向に戻りたくなるというのは
当然のことだろうなということを
つくづくトラウマということから考えてみました。
トラウマの原因は本当に
明々の精神分析科がいろいろ考えて考案してくれたものであって
そのままだとは思えないところも多々あるんですけど
ただ確かにそういうふうにしてきてますよね。
異向対象みたいなものもそうだし
おままごとみたいなものもそうで
環境が提供されているとも言えるし
エリプスそのものが日本にはないと思うんですけど
でもエリプス的なことは当然ありますよね。
人に裏切られるみたいな
これらのことに対して
恐怖感というものが確かなものなんだって思っていながら
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取った技術とグッドバイブスというのが
同じ方向を向いているはずは
それはないよねっていうことでしかないんです。
今日の話はね。