2022-01-10 39:50

【GMV 531】関係から離れるなら現実を確認する

夢見る人に罪がないのはお互い様
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
今日は成人の日なんですよね。
また、オミクロンとかいう話も出てますけれども、
式が無事行えるといいかなと思います。
私は一応、成人の日に、当時は浅賀に住んでたんで、
浅賀市民会館というところに集まって、結構懐かしい人たちと出会ったんですよ。
私は中学、違う所に行っちゃったんで、地元じゃなかったんで、
地元の友達となると、小学校が同じじゃないと、友達じゃないわけですよ。
知り合いじゃないわけですね。
だから、必ずしも皆が皆、再会を喜んでくれたかどうか知りませんが、
もう覚えてないんですけどね、今からもう30年くらい前か、
そういうのが、ああいうのの醍醐味なのかなと思いました。
相当懐かしい人と会ってですね、小学校じゃなくて、
幼稚園時代の友達とその日飲んだ記憶があります。
間違ってるかもしれませんけどね、何しろもう古い話なんで。
でも、幼稚園時代からの友達というのが一人いて、
彼今どうしてるんだかちょっと定かではないんですけれども、
どうして生きてるんだろうと思います。
とりあえず、そういう人と再会できると楽しいです。
それと関係があるようなないような話なんですけど、
久しぶりにですね、ラテに感謝とか、
この番組冒頭でやっていたようなものを、
よく話題にしていたようなのを読み直していたんですね。
一番ここでも話題にしたあれですよ、
ドコンジョガエルの娘。
あれを読んでも全然ドコンジョガエルを読んだことにはなんないなと
最近思ったんですけれども、
この辺の話を読んでいて、つくづくですね、最近思うのが、
ある意味難しい話かもしれないんですけれども、
マニック、マニックだけじゃないけどもマニック。
ローゼンフェルドって人かなが一番追求しているんですけど、
要は破壊的ナルシシズムってやつですね。
これがまず気をつけるべき第一かなっていう風に、
そして結構これで人は苦しむよなと思うんですね。
私もそうです。
どういうことかというと、要するに
なんていうんですかね、
想像的なあるいは健康的な、想像的ないかな、
03:03
クリエイティブなものを壊していくという、
これはどうしてこうなのかっていうのは非常に難しいんですけれども、
これの研究を頑張ってやった人が上手くいってるとも言い難い気もするんですけど、
ローゼンフェルドって人だと思うんですね。
想的防衛って時々私がここでしゃべってるない話なんですよ。
要するにこれは一つの形式です。
いろんな形がありますけど、要は関係を壊していくんですよ。
機会があるごとに壊しちゃうんですね。
これにすごく注意しておく必要があるなと。
なぜかというと壊すときは、
壊す以外のオプションはあり得ない感じがしちゃうんですね。
そのときについでに関係ない関係まで壊しちゃうケースがあるんですよ。
全部が全部マニックとは限らないんですけど、
マニックは多いなと思うんですね。
マニックっていうのは想的って言うんですけど、
要はそうなんですよね。
元気な感じがするんですよ。
虚勢って言葉がぴったりなんですけれども、
怒るわけですよ。
怒るんです。
お前なんか必要ないんだよっていう態度なんですよ。
なんて言うんですかね。
ある意味すごく自律的で、
自律的で何かロジカルな感じの雰囲気を帯びているケースが多いですね。
私の知る範囲では。
でもそれは私の知る範囲の傾向なのかもしれない。
とにかく君がいなくても私はやっていけるんだからっていうのが一番根底にあって、
離婚する時にもこれが出そうな気がするんだけれども、
悩まないんですよ。
この種の性格というのは。
性格っていうのかな。
心境ですね。悩まない心境なんですよ。
困らないんだから私はっていう心境なんですよ。
だから元気なんですよね。
後で困るんだけどね。
悩まないんです。
悩まないというのが一つの特徴みたいな感じで、
そういうことで悩んでも仕方がないっていうニュアンスもあってですね。
ライフハックをやっているような人で言うと、
人の助けは借りないからみたいな感じもあるんですけれども、
自分はそういうことでは困らないからなみたいなそういう感じ。
そういうウエットなものが切り離されていくそういう雰囲気で、
組織とかコミュニティとか集団とかを破壊していくパワーなんですよね。
パワー。
破壊していく原理みたいな感じなんですよ。
06:02
会社で、新橋で飲んで会社の悪口を言うみたいな、
時に出てくる元気さです。
これで会社が壊れるとは思えないんですけれども、
そういう元気さがあるわけですね。
なんでこういう元気さがあるんだろうっていうのを、
ローゼンヘルドが一生懸命なるシズムの方から頑張って起き起こそうとしているんだけど、
わけわからない読み物になっているんですよ。
この観点と精神分析に触れていくとかなりよくわかってきて、
そういうことをこの人は言いたいんだなっていうのがわかるんだけど、
パッと見、ちんぷんかんぷんで、
なんでこういう書き方をするんだろうぐらい、
わけわからない読み物になっているんですね。
要するに彼が言いたいのは、
治療設定っていうのがそういうものなんですね。
精神分析を受けに行く、
カウンセリングを受けに行くというのは、
一つのコミュニティなわけです。
二人だけでも。
患者さんと先生がいて、
そこで治療同盟とかって、
昔の言葉では言ったりもしたんですけど、
一つのそこで目的と組織ができるわけですね。
二人ですけどね。
二人でこの病気をやっていこうっていうわけじゃないですか。
ところがそこでマニックが出ちゃうわけですね。
あるいは対抗的ナルシシズムといったりもするんですけど、
要するに治療を阻害する要因ですよね。
この治療はダメだ、役に立たないから壊してやる。
その時に患者さんは、
あんたなんかいなくても私はやっていけるんだからっていう態度を取る。
というケースが多々あるわけじゃないですか。
ありそうなもんですよね。
こうすると治療が壊れますよね。
だけれども精神分析の人っていうのは、
ある意味まさにこういう人をこそ相手にするわけだから、
ここを何とかしなきゃいけないわけですよ。
普通の人間関係であれば、
あんたなんかいらないんだから、
私一人でやっていけるんだからっていう風に言われれば、
そうっていうわけで離れるわけですよね。
ここで壊れるわけですが、
精神分析である以上、
ここで壊れてしまったのではダメなんですよ。
ここをこらえないといけないと。
こういう時によく似たようなケースって、
集団ではよく出てきますよね。
集団っていうのは結局、
みんなで何かいいものを作りましょうとか、
私も今何度も失敗しておりますが、
昔はタスクセラピーというコミュニティを作っては失敗して、
今チェンジ図というので一生懸命やってるわけですけど、
結局こらえなきゃいけない時っていうのは、
何か壊すのが正当な、
はっきりとした理由が出てくるものなはずなんです。
離婚する夫婦はお互いに正しいことを言っていると思います。
これはもうダメ、解消するしかないよねっていう話になっていると思うし、
周りが聞いていても、
対外の人は同意できると思うんです。
ある意味所詮他人事ですしね。
09:00
だから解消することはとても大事です。
それも簡単なんですよ。
そこの理由がまるでなってないなというケースもあるんでしょうけれども、
対外はまるでなってなくはないんですよね。
それなりの理由はきちんとあるわけです。
問題なのは理由の方じゃなくて、壊れるということなんですよ。
この話はヒステリーの話にも多分通じていて、
ローゼンフェルドもそういうような話を書いてますし、
精神分析ってそもそもヒステリーが起源ですから、
悪いオッパイ悪いオッパイなんですよ。
集団ってそういうものですよね。
治療だってそうですけれども、
つまりみんなでこうやっていこうっていう時には、
いいものをみんなが見るわけです。
チェンジ図みたいなものでもそうです。
この有料の読み物のサービスをみんなで作ろうという時には、
いいものを見るんだけれども、
そこから後で出てくるいいものと悪いものが
混在しているはずなんですよね。
同居しているいいものだけ、
あるってことは普通はないから、
分関係を考えるとすぐ分かるんですよ、これ。
最初は相互に理想を見るんだけれども、
理想的でない面は絶対出てくるから、
そしてそれが理想的でないといった時の諸誤さが、
例えば私で言えば、
シャ文字を鍋にどう入れるかという角度が問題だったりするわけですよ。
それを問題にするということがそもそも理想的でないと
感じる側もいるわけじゃないですか。
そこで悪いものを見るわけです。
いいものを見たときは集合するけど、
悪いものを見たときは破壊するという
このパターンを適用しちゃうんですね。
この悪いものを見たときに破壊するというのは、
理不尽じゃないので、すごく理にかなったことなので、
元気なんですよ、その人は破壊する時には。
破壊力みたいなものを持っているわけですね。
これを最近読んだだから、
ドコン・ジョガエルの娘はこればっかりだなと。
登場人物みんなこれだなという感じなんです。
みんな元気に怒っているわけですよ。
めちゃくちゃ怒っているわけです。
お父さんも怒っているし、ドコン・ジョガエルを書いた人ね。
娘の夫も同じ。
何かというと、傷ついたって言って怒って破壊するわけですね。
最後の話が、最後の方6回の話が
7巻で頻発してくるんですけど、
傷ついたから怒るっていう時の言い方がすごくなっていって、
何か言われたから傷ついたって最初は言うわけですよ。
言われたことについて傷ついたから、もう別れるしかないみたいな。
ここのところがまたすごいんですけどね。
すぐに別れる話になっちゃうんですけども。
ドコン・ジョガエルの娘の人がよく思い出してみて、
12:03
何か言ってないからって言うんですよね。
言った言わない論争がまず始まるんだけど、
その後のセリフがすごくて、
たとえ君がそれを言わなかったとしても、
僕が傷ついたことは事実だ、ここにこだわるんですよね。
つまり、傷ついたという事実が重大であって、
何が起きたかはもうどうでもよくなっちゃうわけです。
だから別れるしかないと。
こうなってくると、
やはり自分の気持ちに正直にいきましょうっていう、
あれが破壊するための非常にうってつけの理由になってしまうわけです。
これをローゼンフェルドはしつこく描いてるんですよ。
夢の中で、
どうして集団でいろんな登場人物が出てきますよね。
全部自分の心の中だから、自分ですよね。
集団でいろんな登場人物が、
いろんな形で、
例えばスーパーで万引きしている人がいるんだけど、
それを見て見ぬふりをする自分がいたみたいな夢の報告が出てくるんですよ。
これって不思議じゃないですか。
これがどうして対抗的なシズムみたいな話になるんだろうと。
しかもいかにもフロイトの夢判断的な話なもんだから、
相変わらずこういうことばかり描くんだなと思ってたんですけど、
要するにそういうふうに自分の心の中だけで起きている悪事を、
自分の心が見逃すというのはどういう意味を持ってくるのかってことを、
ローゼンフェルドは描きたいわけですよね。
さっきのもそうですよね。
傷ついたということが大事なんだっていう話。
最初は何々と言われたから傷ついた。
これだったら外敵事件に対してトラウマが起きたんだけれども、
そうじゃないっていう話になってくるわけですよね。
自分が傷ついたことが重大なんだと。
あなたがそれを言ったかどうか問題じゃないんだってことになると、
もう心的現実が全部だって話になってます。
これはナルシシズムの典型ですよね。
自分の夢の中で起きたことで、
簡単に言うと夢の中であんたは私に悪口を言ったから、
もう別れなければならない。
これは心の中でこの人と別れたいという気持ちが、
勢力を持っているわけです。
心の中で、自分の心の中で、
相手が自分に悪口を言ったことにして、
そして別れるということが重要な意味を持つっていうのは、
そういう意味ですよね。
完全にそこに相手がいてもいなくても関係なくなっているんですよ。
こういう話が出てきて、
非常に非常にあのナルシシズムの話とほぼ一致する。
だけれども、普通こういう風に人は言わないですよね、なかなか。
でも同じなんだと思うんですよ。
15:00
あなたがこれを言ったから、私は傷ついたっていう。
この話に関連して、事実があるにもかかわらず、
それは事実としての説明になっていないというのがあって、
それも非常に興味深かったんですが、
やっぱり別れ話が出るとき、
君はこの部屋に水槽を置いたって言うんですよ。
僕がどれほど傷つくか分かっているのは、
水槽なんか置かなかったはずだって言うんですけど、
これ水槽を置いてから何年も経って、
後の話になっているんですよ。
これは事実は一応あるんだけれども、ないも同然ですよね。
関係ないんですよ、事実というものは。
こういう話をすると、それは相当変わった人で、
自分は事実に基づいて傷ついたり、そうでなかったりするって、
私たちは考えるんですけれども、
僕はそうじゃないと思うんです。
この心の構造っていうのは、
事実があるかないかはあんまり関係なくて、
多分夢でも傷つくんですよ。
夢を見て、私が例えば大橋さんなりの夢を見て喧嘩をしたと、
大橋さんとやっていくのはもう無理だって考えるっていうのは、
おかしいんだけれども、
私たちが現実にやっていることも、
多分これと全く変わらないんですよね、
心の中の動きとしては。
というのが、ローゼンフェルドが一生懸命書いている
ナルシズムと治療に対する疎外要因。
つまり、カウンセリングとか精神分析っていうのは、
こういうことが起こるように仕向けていくんですね、きっと。
同じ人と何度も何度も会って、
しかも結構生々しい話をそこで1時間にわたってがっちりするものだから、
どうしても治療している人に対して、
どうしても治療している人に対する妄想ってものが膨らんでっちゃいますよね。
あの先生はこう思っているんじゃないかとか、
特に精神が不安定な人はこれをやめられなくなりますよね。
そうして治療を破壊しにかかるっていうのは当然あると思うんですよ。
でも、その治療を破壊するのも同じじゃないですか。
おそらくその治療をする精神分析の人は、
そんなことは言わなかったりやらなかったりする。
少なくとも治療を破壊しようという勇気はないわけですよね。
それによってお金をもらっているわけだから。
だから患者さんに特別な悪意を抱いたりする理由は何にもないわけですよね。
でも患者さんの方は多分いろんなことをするんでしょう。
例えば、そのカウンセリングの先生に対して、
嫉妬をさせるように外でわざと恋人を作ってみたり、
様々なことをするんだと思うんですよ。
全部破壊したいんですよね。
その治療同盟というやつを。
治療同盟という言葉、やられてくるんですけど、
私はすごい互換としては違和感があります。
治療同盟というのはこういうことだと思うんですよ。
治したいという自分の中の願望と、
この病気を治すには及ばないと思っている自分。
ダイエットとか禁煙とか禁酒とかの時に、
これはつきものですよね。有名な話で。
お酒をやめたいと思っている自分と、やめたくはないと思っている自分がいる。
18:03
痩せたいと思っている自分と、痩せたくなんかないと思っている自分がいる。
必ずいるはずなんですよ。
ある方向を望む人格と、そうなってない以上、
逆方向を望む人格がですね。
これが目に見えやすい、そういう死壁みたいなのは、
それはそれで面倒ですけども、
別として、目に見えないそういうものってありますよね。
仕事をしたいんだけど仕事をやめちゃいたい自分みたいな。
そういう問題があって、つまり、
自分自身がヒステリーの原型みたいなものなわけですよね。
良い自分、悪い自分なわけです。
こうやって分けるから、悪い自分をやっつけるっていう考え方になり、
逆に悪い自分に逆襲されてしまうわけですよね。
マニックってのはそういう感じがあります。
悪い自分っていうものがすごく元気になる。
ここに良し悪しを持ち込まなければ一番いいんですけれども、
治療してそれを治そうというからには、
良し悪しはすでに持ち込まれちゃってるわけです。
やることは意外と、少なくとも精神分析でやることというのは、
良し悪しをそんなに簡単に区別しないところから多分、
少なくともしないってことを含んでいくんだと思うんですが、
行動療法なんかは割とそうでなくて、
悪い自分というのを徹底的にやめさせるっていう方向を取ったりもしますよね。
だから折り合いが悪いんですよ、ある意味では。
話が飛んでるんですけれども、
ラテに感謝の中でこれほど鮮明ではないんですが、
でも実はもっと深くて厄介な感じっていうのがありまして、
あのラテに感謝の主人公は、何度か言うんですけども、
すごい大金持ちの人なんですね、最初は。
もうほとんど世界でもトップクラスぐらい恵まれた人です。
白人で男性で広告代理店の重役で、ないものはないわけですよ。
イエル大学出ていて、まさにアッパークラスの中の最頂点みたいな人ですが、
それが転落していって最後はスタバでトイレ掃除をするという展開なんです。
これがまた非常に興味深いなと、僕が勝手に興味深いと思っているのが、
ドコンジョウガエルの作者の人も駅のトイレ掃除を最後じゃないな、
しているところから始まるんですよね。
転落人生みたいな話なんだけど、その過程がすごいなと思うんですよね。
200ページにわたってやっていることは、自己破壊そのものなんですよ。
会社クビになっていきさすだけは、さすがに自分が悪いのかどうかわからないんですけど、
その他のことは全部自己破壊なんですよね。
これってどういうことなんだろうと思ってしまうんです。
総的防衛というほど、このラテに関しての人は育ちがいいから、
悪行憎悪を振りまいたり、盲目ばかり言ったりはしないんですよ。
21:01
そんなに空元気で破壊してはいかないんだけど、確実に自分の人生を破壊しているんですね。
いろんなやり方で。
まるで無意識に自分の人生を壊すのが趣味ぐらいな感じで、
ありとあらゆる機会を捉えては、自分の人間関係を減らし、あるいは壊し、
娘とか奥さんとか会社の仲間とかを少しずつ削り取っていって、
最後には何もなくなってしまうんですよ。
家もお金も何にもなくなるんですね。
イギリスの城に石鹸したような人ですからね、
家とかお金とかを失うなんて考えられないんですけども、
しかもこれといった事件が1つは会社をクビになることなんですよね。
でもこれも即座に全てを失うというような話ではないし、
これが最重要ではありますけどね。
もう1つが不倫して、それがバレて離婚するっていう、
これが2つの重要な事件で、これ自体がすでに自己破壊的ですよね。
しかもこれ会社クビになった後の話ですからね。
会社にいる時にやるならまだわかるじゃないですか、僕の考えですけど。
会社にいる時に自分が重役で、金に何も困ってなくて、
社会的地位も十分あって不倫するっていう話はまだわかるんですけど、
そういうのを一切失った後で不倫したら、
バレたらめちゃくちゃヤバいことになるのは致命ですよね。
しかもその相手との間に子供まで作るんですよ。
でもその相手は、相手がアッパークラスの男だと思ってるから、
これアメリカでは常識的な話なんですけど、
思ってるから不倫したのであって、
無職の男だということがわかったらすぐ捨てちゃうわけですね。
こういう風にして人間関係が少しずつ少しずつ消滅していくっていう、
あのなんかですね、最初読んだ時はここまでは感じなかったんですけど、
実にすごい感じがするんですよね。
非常に僕が先進分析的に読むようになったから、
この人どういう夢をこの間見てたんだろうってつくづく思いました。
同時並行的に下場で少しずつ少しずつ上手くいっていく、
上手くいっていくって言っても基本的にはバリスタなんですけど、
上手くいっていく流れというものがあるから救われているような感じがするんですけど、
基本救いのない話なんですよ、ほぼ。
ラテに感謝で売れたからいいようなものの、
すっごいヤバい話にも読めるんですね。
で、そのでも全てを作り出しているのは当人のですね、
総的防衛らしくは全く見えないんですけど、
でもやっぱり奇妙な感じの自己破壊なんですよね。
奇妙なナルシシズムなんですよ。
24:00
自分の状態というものに対して少しずつ確実に壊していく。
それがただドコニョガエルの娘にあるような
ドラマチックで激しいやり方ではなくて静かに進行していく。
でもどっちも同じことをやっているんですね。
つまり自分にとって一番大事な人間を要するに
ピースから外していくような真似を繰り返すんですよ。
でもですね、これ一つ一つを見ると
どうしてもそれ以外の道はないように見えるんですよね。
よくない人とは距離を空けましょうって言うじゃないですか。
この時にみんな距離を空けるのは当然であり正当であり自然だって思ってますよね。
ドコニョガエルの娘はそうです。
この人と縁を切るのは切るべきだよなっていう感じの切り方をするしかないんですけど
でもやっぱりですね、よく考える必要があるんですよ。
人のアドバイスを受け入れる形をとっているんですね、この時私たちは。
しかもそれもSNSとかあるいはそこら辺のビジネス書道といってしまっては
自分がそういうのを書いているくせに申し上げないんですけど
こういう時に人のアドバイスを鵜呑みにするのはどの程度受け入れられる話なのかと思うんですね。
人と縁を切るのはリアルじゃないですか。
だけれどもSNSとかでそういう人とは距離を置いた方がいいって話はほとんどバーチャルですよね。
僕らはそういう人とは縁を切った方がいいとか距離を置いた方がいいという時に
何の声に従っているんだろうということなんですね。
グッドバイブスだからこういう話をするというのではないつもりなんですよ。
それじゃあったら同じ話になっちゃいますからね。
距離を置いた方がいいという人がいる一方で
クレドノさんのような人がいるから迷うではダメな気がするんです。
リアルというものを見に行くというのはやっぱり自分で見に行かなきゃいけないと思うんですね。
少なからぬ本にこういう時は判断力がなくなっているから
そういうふうにしのほど考えていないで黙って縁を切るべきなんだみたいになるわけですよね。
お金奪われるとか怪我を負わせられるという時はそれでもいいかなと思うんですけど
それであっても一応現実を確認してからにした方がいいと思うんです。
何の声に従っているかつまり人とのピースを外すという時には
もう答えはだいたい決まっちゃっているんですよ。
こいつは許せないってことなんですよ。
判断が終わってしまっているんですね。
あとはもう縁を切るかどうかの問題だけが残っているケースになっているんですよ。
27:00
このケースが自分に親切にしてくれて優しくて
物もわかって理不尽なことをしないんだけど切るなんて人はいないんですよ。
いるかもしれないけどまあいないです。
切る時はやっぱり到底耐えがたいと。
このコミュニティは解消する以外に道はないと。
私タスクセラピーを解消した時そう感じました。
これはもう無理だ。
で、無理なんですけど。
無理だっていうのが正しい答えなんだけど
そこでちょっと確認する必要があるんですよ。
いろんな意味で。
そうしないと結局ピースを外す時に私たちはマトリックスなんですよ。
現実を見ないんですね。
現実だと思うんですけどね。
でもそうですもん。
例えば妻に鍋の中に入っているシャ文字の角度について
しのことを言われた時は分かりたくなるっていうのはありますからね。
で、この時に私が分かりたくなるというのは
事実に基づいているつもりになっているんですよ。間違いなく。
でもそうではないんですよね。
大げさだなとは自分でもその時に思います。
ここで離婚が読み入るというのは大げさだなと。
この声なんですよね。
外の声をのみにするっていう時に
これも精神分析の用語ですけど
凶暴って言うんだけど
凶暴っていうのはいかにも何か違う言葉がないのかと思っちゃうんですけど
私の中で関係を破壊したいという欲求があるんですよ。
ここが問題なんですね。
問題というのはどういうことかというと
じゃあ関係を破壊しないことは正しいのかとか
関係を破壊しない方が幸せになれるというエビデンスがあるのかと言われると
ないんですよ。そんなもんは。
ここに難しさがあるんです。
一体全体そこで我慢するとか
我慢するんじゃないんですけど
我慢するとか堪えるとか
そうする根拠は何なんだと
自分がそんなに環境を破壊したがってるのに
その気持ちに沿ってはいけないのに
どうしてなんだという話になってしまうと思うんですね。
そんなものはないんですよ。
根拠みたいなものがあるというふうに僕は思わないんですね。
治療同盟とか破壊するための凶暴とか言うんですけど
つまり二つの人格があるわけです。
ここの関係を継続していこうという人格と
壊してしまおうという人格とあって
どっちに従うべきなのかというのの答えは
僕はないと思うんです。
グッドバイブス的には一つ意識を選択するのが当然なんですけど
ここを当然というには心情的にはかなり無理がある心理って
やってくることがあります。
そうでなかったらそもそもローゼンフェルドが
あんなに一生懸命頑張って治療同盟を維持するには
30:01
どうしたらいいかということを書かないと思うんですよね。
破壊されてしまうんですよ。
特に患者さんの気持ちになってみればですね。
だけれどもだいたい患者さんは破壊していいことは起きないわけですよね。
一人で十分にやっていけるというのが本当であれば
私あなたなんか必要ないですからというのが本当であれば
そもそもローゼンフェルドのところに行ってないですよ。
私たち精神分析ってまず受けないじゃないですか。
で、そうやっていろいろ考えていくと
ここはもうゴブゴブだと思うんですね。
継続なのか破壊なのかがゴブゴブだってなった時に
何するべきなのかというと
自分の中で破壊したいと思っている人格の声
これに従うかどうかっていう判断に最後になると思うんですね。
外からの話を鵜呑みにするっていうのは
結局実際に外の話なんか聞いちゃいないと思うんです。
この自分が破壊したいという気持ちと
その外の声をくっつけ合わせているに過ぎなくて
そうやっちゃダメだと思うんですね。
別れるにしても継続するにしてもやらなきゃいけないことは
自分がどうしようとしているのかということを
つまりこういう時ほどですね
外部から強制されているような気にしかならないんです。
この観点が間違っていると思うんですよ。
自分の気持ちに素直に言う割には
自分の気持ちは葛藤しているにもかかわらず
葛藤という事実を見ようとしないんですよ。
気分が悪くなったって方に素直なだけなんですね。
で、外から来ていると僕らは思っているわけですね。
奥さんに何とか言われたとか
タスクセラピーのメンバーがこうこう言っているとか
外から原因が、外に原因があると思っているわけです。
そしてそういう時は解消するしかないよっていう
外の声に耳を貸すかどうかっていう話にしちゃってるんですよ。
またそういう時に一つ意識だから分離してはいけないと
蔵園さんが言ってたみたいなことを考えようとする。
こうやって外から外から外からって考えようとしている時が
この種の心理の一番特徴的なところだと思うんです。
僕らがトイレに行くとか食事をするって時は
絶対そういう風にはしてないと思うんですね。
自分が何したいかっていうのを中心に考えていると思うんです。
急に外の話になって急に迫害妄想的になった時というのは
自分が全然ない時というのは決まって何か夢を見ているんです。
このことをよく示してくれているのがラテに感謝なんですね。
全部外からの何か事件が起きたように見えている。
本人にはそう見えている。
でも悪夢を見ているような結果になって
あれはたぶんやっぱり彼はですね
長らく夢を見ていたんだと思うんです。
ドコンジョガエルの娘でもそうですよ。
よくよく読んでいくと
だって一番最後の方になっていたっては
33:00
旦那が言うのはつまり
君が何と言ったかは問題じゃない。
僕が傷ついているのが問題だ。
これは夢を見ようと妄想をしようと何でもいいんですよ。
自分の心理状態が傷ついたら
もうそこ、その関係、そこにある関係は
どんな関係であっても
破壊する以外の道はなくなるんですね。
この心理状態おかしいと思うんですよねやっぱり。
だけれども僕らが関係を破壊する時には
決まってこれに近い精神状態というものが
常にマニック、常に創的だとは限らないんですけれども
何かこうですね、破壊しにかかるものがあるんです。
これが、じゃあそういうのが脳のどこにあるのだ
みたいな話になると
出ないんで困るんですけれども
あるんですよきっと。
これがあるかないかっていう話は
本当にややこしいんですけれども
僕はきっとあるんだろうと思うんです。
ただ、これがですね
破壊しなければならないんじゃないか
分かれなければいけないんじゃないか
って思っている時には
そうは思えないんですよね。
何かむしろエビデンスが足りないような気がしてくるんです。
継続する方がいいという主張に対しては
実際よくそうなるじゃないですか。
誰かと誰かと喧嘩していて
猛烈にその人が怒っていると。
で、その怒っている人に
まあまあ向こうの言い分を持って言ったら
その関係も壊れますよね。
誰かが怒っていて
こいつを切り離そうとしている時に
同意しない部下みたいなのは
一緒に切り捨てられかねないですよね。
こういう夢を僕らは見るんだと思うんですよね。
その時には
自分の味方をしてくれないなんて
信じられないんですよ。
それくらいの真理になっているんだから
だからマニックなんですよね。
ものすごくこう
元気いっぱいのように
なってしまう。
この元気は
破壊するまでのものなので
破壊すると目的がなくなってしまうので
その後は
ショボンとしちゃうんですよ。
だから相鬱って言うんですよ。
この場合は。
相鬱は多分鬱病の鬱とは
別のものなんだと思うんですよね。
相的になって破壊して
破壊した後で
相の部分がなくなった上に
関係もなくなるから
鬱っぽくよく鬱っぽくなっちゃうという
この相鬱なんですよね。
鬱っぽくなった人は寂しくなるから
また新しい関係を築きに行って
このパターンを繰り返すと。
これが相鬱のパターンなんだろうと思うんです。
だからいわゆる鬱病とは
すごく違う鬱の使い方なんだと思うんです。
っていう話を
久しぶりに思い出して
48年も生きていると
これやらかしちゃうんですよね。
親にだってやりかねない。
親にやるっていうのが一番多いかもしれない。
思春期とかにね。
私はそういう経験はありますから
娘にやられてもしょうがないだろうな
と思っているんですけれども
36:01
親っていうのは多分
そこをこらえるから親なんだと思うんですよね。
そこをこらえないと
家が破壊されちゃうじゃないですか。
ただ実際にそこが
すごく難しくなりやすいところであって
つまり自立の問題っていうのが
そこに必ず出てきますから
マニックの問題って
自立の問題と多分関係があるだろうな
と思うんですけれども
いずれにしても
中年になったら
もういい加減この問題から
解放されてもいいと思うんですよ。
いろんな自己正当的な理由って
つまり自己正当っていうぐらいだから
ナルシズムなんですけれども
いろんな自己正当的な理由が
出てきちゃうんですよね。
その時にどうしても
継続することにおける
自分のこう
本当は飲み込むではないんだけど
その時には飲み込む感というもので
いっぱい溢れるので
飲み込むって感じになるんですね。
こういう感じを
すごくドコンジョウガエルの娘では
上手に描かれていたから
何度も話題にしたんですが
ただ上手にいくら描かれているとしても
あくまでもそれは
表現なんですよ。
表現として上手く描かれているのであって
その時の心情じゃないんですよね。
怒ってる人は
サタから見ると
ああいうすごく馬鹿げた
怒り方をしてるんだけど
絶対にこれ以上正しいことは
ありえないみたいな
感じで怒ってるんですよね。
それが外から見ると
あんななんですけれども
今思い出したんですけど
オットーグーで殴るのをやめたい
マンガもそうでした。
あの奥さんも
絶対に自分が正しいんですよ。
だからオットーグーで殴るんですよ。
これでいなくならない夫って
偉いんですけれども
どうしても
自分の外に
全原因ができてしまう。
もしかすると
それに近い現象が
起こることもあるんですよね。
自分の全原因が外側にあると
まずそんなことは
ありえないんですけどね。
夫は殴られるほどのことは
何もしてませんでしたからね。
でも当人にとっては
自分に一つの原因もないんですよ。
これが実は変なんですね。
全責任は相手にある。
怒らせた全原因は相手にある。
だから絶対悪が外にあるんだけれども
そういうケースも
しかもそれに近いケースも
あり得るんですけれども
人はですね
本当のところ
自分がやりたいことをやるのであって
そういうふうに
外部から100%強制されて
行動しないものなんですよね。
その時にすごく不思議な
行動の仕方になっている。
それがすごく
夢を見ている感じと
39:01
よく似ていて
ロゼンフェルドはその夢を
ありえないぐらい若い
いろんな夢を聞いては
ことごとくその夢を
本にしている。
まあ精神分析の世界では
わかんない。
出てくるのかもしれませんけれども
あれいくら読んでも
わけわからんっていう
人の夢の話ですもんね。
なんですがまさにこういう
だから内面としてはまさに
あんな感じになっている。
万引きを見逃している自分
みたいなそういうやつですよね。
何か自分の中で
極めて後ろめたいことを
する人格みたいなものが
暗躍している感じっていうのが
いろんなことは結局あるんですけれども。
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