2021-10-13 25:35

【GMV 475】顔色はイリュージョン

イリュージョンとは自分の作り出しているもの
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
本日、Amazonで発売された本が発売されました。
10月31日に出版記念セミナーを開催します。
かなり久しぶりに、一般公開でリアルセミナーを開催します。
しかも、クラゾンのケイゾーさんをお招きしています。
連日このCMをしておりますが、参加者さんがあまりおかしくないです。
オンラインの時みたいに、ギリギリになるまで待たれる感じがします。
特に紙の方は、まだこれから入手という方もいらっしゃると思います。
出版記念ですから、本を見るまではわからないと思います。
あとは、効果の問題です。
会社に行くのが怖いとか憂鬱だという人には、5000円は破格だと思います。
あくまでも、セミナーなり本なりが意味を持った場合だけです。
読んでセミナーまで行ったけど、翌日も会社に行くのは同じように怖いというのは意味がない。
それだったら、どんなに安くてもやる価値ないということになるわけです。
そこだと思うんですよ。
絶対に自分のような人にとっては、会社は怖いところであって、
誰のどんな本を読もうと、何の話を聞こうと怖いんだというふうに信じられているならば、
なかなかその問題は取り除きがたい。
そこにポイントがあるかなと思います。
今日はその話をせっかくだから、公式にはしたいんですけれども、
短くまとめたいんですが、
なぜなら、私はこれを本を書いている間ずっと考えていたことなので、
こういうことを延々としゃべり続けると、果てしなくなるんですよね。
一方で、一応頭の中にはまとまっているので、タスクシュートとかと同じで、
やろうと思えば非常にコンパクトになっちゃうんですよ。
これ僕、また達成していますけど、不思議だなとよく思っていて、
よく知っていることほど本に書いてみると、すごい短く済んじゃうんですね。
見つくなって感じがするんですよ。
そして、大概それをやると全く伝わらないという、
タスクシュートでよくやっちゃうんですけど、非常にコンパクトにしてしまうんですね。
03:02
どこもかしこも自分の中に無意識に近いところまで入り込んでいることってそうで、
わざわざこれを説明する意味ってあるだろうかと思っていくと、
ほとんど説明する意味のあることはないような気がして、
それをやって意味あるのっていうような情報になっちゃいがちなんですよね。
私はそういう本が実は一番いいんじゃないかと思うんだけれども、
商業向きでもビジネス書向きでもないです、こういう書き方をしちゃうと。
あれですよね、仏教は一切は空であるって言うんだけど、
何にもならないのとほとんど同じで、ようやくのしすぎみたいなことが起こる。
この本もそういうことが起きそうかなと思わなくもないんですけど、薄いですからね。
でも今回の本はつい顔色をうかがってしまう私を手放す方法、
タイトルは長いですが、長く書くのだけは避けようとは思ってたんですよ。
だって人が怖い、会社に行くのが憂鬱だ、自分の配偶者すら怖くなる、
人の顔色をうかがってしまうという人に向かって何とか対善みたいな、
呼びたくないじゃないですか。
速攻性というのは違うかもしれないけど、
さらっとは読んで効果があるというのが一番いいはずで、
大量の情報を仕入れたところで問題になってくるのは、
翌日係長の顔を見ると顔色をついうかがっている自分がいます、
こういう問題なのに600ページもあるような心理学的情報を得たところで、
何もならないと思うんですよね、それでは。
というわけで、短くしたいという工夫に思いました。
162は言ってしまったかもしれませんが、切りたいというのはずっとあって、
160から192の間で16足すとなると176とかそういう数字が出てくるんですよね。
そのあたりを目指したいかなと思っていました。
極論言うと、僕の力量では無理だったんですが、
極論言うと100切れればベストなんじゃないかと、むしろ96ページとかね。
カット、必要なことだけが書いてあって、読むと即納得できるっていうのがいいと思ったんですけれども、
そういうわけにはいきませんでした。
何しろ条文始めにと一緒だけでも96に収まるような展開にはできなかったので、
まあまあ普通の厚さになっています。
でも200は無いはずです。
この問題、つまり怖い問題というのは、実は全員ではないかもしれませんけれども、
怖い問題は腹が立っているという問題が一つあると思うんですね。
06:06
この腹が立つが非常に僕の中ではシステムを言い出すと複雑なんですが、
ごく簡単に言ってしまうと怒られていることが悔しいってことだと思うんですね。
日本で一番日本語でわかりやすい言葉を言うと。
実は今回ちょっと引用した土井武夫さんの甘えの構造に悔しいっていうのが出るんですね、言葉として。
この悔しいというのと欲打つがすごく関係して語られていて、悔しいっていうのは過去のことじゃないですか。
GOOD VIBESで言うと過去はないからイリュージョンっていうところから責められるんですが、
何にしても過去のことですよね。
欲打つ、打つ病っていう問題はすなわち後悔の病っていうところがあるんですね。
後悔と罪悪感。
罪悪感はGOOD VIBESでおなじみの罰とセットですね。
罪と罰はセットで。
罰があるから違って、罪があるから罰したいわけですよね。
その罰する対象が自分になった時、最も人は欲打つ的になると思うんですね。
私に罪がある、だから私を罰さなければいけない。
これの一番極端なパターンが既死念慮ですよね。
自分を死刑にしようというわけじゃないですか。
だから死ななきゃいけないという話になってくるわけですよね。
黒い罪みたいなものが自分の中にある。
打抜的か自抜的かってよく言う話があるんですけど、
これは精神分析にもあるんですが、
罪をどこに見るかってことなんですよね。
罪を見ないのがいいし、GOOD VIBESでも罪はイリュージョンですって話してるんですけど、
これはすげえ大事で。
なぜならば罪というものを外に見てしまうと、そいつを罰さなきゃいけなくなるわけですよね。
ここで問題が起きるわけですよ。
相手が私に理不尽なことを言ってきたから、相手は人に理不尽なことをしている。
この男を罰さなければならないとかになるんだけれども、
罰せねえって問題が普通に発生するに決まっているわけですよね。
罰さなきゃって思うのに罰することができない。
そうすると罰することのできない自分に無力感を抱くっていう流れになっていて、
会社に行くのが憂鬱ですよね。無力なわけですから。
その上、相手に怒られるようなことをした自分にも罪を見ると、
だいたいこれは同時に、片方どっちかにはっきり見るというのはすでに非常に病理っぽいんですけれども、
だいたい両方に見るわけですよね。
コンパスの針と鉛筆みたいなもので、2点に同時に罰、罪を見るんですよ。
09:01
そうすると両方同時に罰さなきゃならないという感じがするんですね。
私も悪かったけど、あいつも理不尽だから両方罰しようと。
でも相手のことは罰せないんですよ。そして自分のことは罰せますよね。
だから自分は苦しくなり、しかも無力感を抱く。
このパターンがたぶん、私が今回先輩さんとかHSPっていう方向けに、
そして応用するに人が怖いっていう人に向けて一番書いたところのポイントだったんだろうと思います。
実は怒っていると。でも怒りを表出できないので、怒りは自分に返ってくるしかなくなってしまう。
そもそも怒っている相手の対象だと思うんですけれども、
対象、つまりそこに悪いお父さん、自分のお父さんですよ。
自分のお父さんの気に食わないところに似たものを、例えば先輩なりに見出すと。
言ったときにはもう自罰なんですよ、完全に。
その先輩のことをどれほど腹立たしく嫌悪しているつもりでいても、
だってお父さんの、自分の中にいるお父さんのイメージもちょっと違うんですけどね。
もうちょっと根深いものがありますが、そういう思い出にまつわるさまざまなもの、
全部自分の中にしかないんで、お父さん自身はもう全然老いてしまっていますからね、たぶんね。
たぶんもっと昔見ていたお父さん、つまり自分の記憶ですよね。
自分の記憶を叩きまくっているということは、自分の脳内を叩きまくっているのと何ら変わらないので、
これがですね、よく僕の解釈でいうところの過去というイリュージョンを抜粋するときは、
必ず自分だけを傷つけると、あの本の中でも繰り返し書いたことのポイントなんですね。
クレームからの、プレイマーから何かメッセージを受け取ったとか、全部同じなんですよ。
メッセージを攻撃しているつもりの人は、全部自罰になっちゃっています。
だってメッセージって人じゃないし、メッセージそのものを攻撃するとかできないじゃないですか。
今時はメールですからね、火で焼くとかもできないじゃないですか。
メッセージというものは自分の頭の中にあり、頭の中にあるということは脳が作り出しているクオリアであって、
これを攻撃するということは、自分を攻撃すること以外の何物でもないはずなんです。
だからクレーマーを攻撃しているつもりでいるとか、あるいは自分の部下かもしれっかしたくだらないミスを攻撃しているつもりでいるとか、
全部どうしてもそういう実感は私たちに湧きにくいんですけど、自傷行為でしかないんですよね。
これはちょっと考えればすぐ僕は納得いく話のはずだと思いながら、自分でも頻繁にやっていて、これなんとかしたいものの一つです。
何と言ったって、もしもそのクレーマーの人が生死不明だったりするじゃないですか。
12:06
出した人はもしかするとお亡くなりになっているのかもしれない。
なのにクレームメールに苦痛を感じるとすると、それはもう人としての実態が、これは架空の話ですよ。
人としての実態がそこにないのに、メッセージにだけは恐怖感を覚えたり嫌悪感を覚える。
大体両方と同時に覚える。絶対自分を攻撃している以外の何物でもないんですよ。
他の人の脳内にはないもの。出し主も送り主もすでにお亡くなりになっているとするとですね。
生死が分からないんだったら、この事態に何にも違いはないですよね。
相手が今どういうつもりにいるのかも分からない。相手が怒っているに違いないとか。
相手がクレームを出した人は自分を苦しめようとしているに違いないとか。
全部イリュージョンですよね。つまり全部自分の空想ですよね。
自分の空想を攻撃するということは、自分を攻撃している以外の何物でもないと思うんですよ。
つまり、潜在であり、自分が恐れていると思っているという時に、
どうしても起きてしまうことは、精神的な絶え間ない自傷行為であって、
自分をひたすらひたすら攻撃していることになってしまう。
だから非常に辛いわけですよね。
ここに罪の概念と罰の概念をさらに持ち込んできてしまったら、
しばらくは心の平安なんて得ようがないですよね。
そしてそれをいくらやったところで、相手を精神的に罰ロードできないと思うんですよ。
やっぱり我々はネンパとかが使えるわけではないので、非常に読み取りにくいものではありますが、
この自罰をやっている時は、我々は何ら怒るのかやっていないんですよね。
ひたすらニューロンを動かしているから脳内の、自分の脳内のこれは働きでしかないわけです。
相手のイメージを持っていても、相手に関する様々な情報を持っているつもりでいても、
それは全部自分の神経伝達物質の流れと電位差を利用した神経の働きでしかないわけです。
自分の中に悪いものを作り出し、自分でそれを攻撃し、自分でその痛みを引き受ける。
これをただただ繰り返している。
たぶんこれを目に見える形で納得した人は、人を攻撃することを直ちにやめると思うんですよね。
だってこれ人の攻撃になってないですから。
これをやって何かすっきりしたりリベンジした気になるとか、
一番多いのが将来の何かに備えている気になる。
僕はナンセンスの極みだなと思うんですよ。
ただただ自傷行為を繰り返しておいて、
それが将来の何かに対する備えにはならないと思うし、
自分をとにかくひどく弱らせる結果になる。
15:02
ただこの弱らせるはですね、幸いなほどに物理的な攻撃は含んでないんですね。
たまに本当に自傷になってしまう方が、だから怖いんだけどいますが、
それを間接的にやるケースもありますよね。
食べすぎるとか、飲みすぎるとか。
その飲みすぎるというようなものが副陽系、つまり何らかの神経に直接、
その方がすっきりするんだけど、神経に絡むようなものであるカフェインとかね、
そういったものであるとですね、
全く自傷が精神的なものでは済まなくなるし、
身体攻撃的なものになったから非常に損だと思うんですけどね。
そういうことを一切目に見える形で自分に示されればですね、
多分私はすぐやめると思うんですね。
なぜならば攻撃したい対象は全く傷つかず、
自分のことだけはひたすら傷つけるっていう、
これが三徳で見れば損だと思うんですよ。
たとえこれでですね、将来の家康に備えるということが少々できたとしても、
私これを自分でやるのは実に損くさいと思う。
これをやるぐらいだったらですよ。
これをやるぐらいだったら、
人に直接何か言われた方がマシだと思いますね、私は。
これ全くせずに済むならば、
人に面倒くさい調子で、
本当に面倒くさい調子でごのごの言われた方が楽なんじゃないかなって最近は思います。
私のこれまでの恐れていたものを直に考えてみると、
本当の意味で倉園さんが言うところの何かを失ったことはないんですよね。
ただ嫌な思いをしたと。
この嫌な思いの100%ではないんだけど、面倒向かって言われたものを含むと、
90%以上は自分で自分を苛んでいることに間違いはない。
どんなに嫌なことを言われても、
アンケートでどんなに今思い出しましたけど、
例のこんな程度の孔子を呼び上がってみたいな、
あれを読んだところでなんてことはないじゃないですか。
ただ読むだけですよね。
全然嫌な気持ちにならないのは無理かもしれないけど、
自分で自分のことを攻撃したり、
これによってこういう不利益を被るとか、
このことを人に知られて、
私これ喋ってますけど、
人に知られてこんな嫌な思いをするとかを、
自分の心の中で妄想さえしなければ、
もうちょっと今風に言うと、
自分のニューロンを使って、
カリウムプラスナドリウムイオンを使って、
自分の神経の器上を興奮させさえしなければ、
私がこう思うのってメリットなんて、
本当にたかが知れてる。
18:00
ほとんど何にもないに等しいと思うんですよ。
現にアンケートの結果はああだったけれども、
あれ全体としては担当の人は、
もちろん仕事上の付き合いだからってことはあるけれども、
いいお話でしたとおっしゃってましたからね。
つまり、私が本当にそれによってこう思ったデメリットって、
事実上ないと思うんですよね。
こんなっていうひらがなを読まなきゃいいんですよ。
こんなっていうひらがなを読んだところで、
ここをうまく説明できてないんですよね。
今一つの事例があったから、
これをピックアップして見ているんですけど、
なんて言えばいいんですかね、これは。
ただ記号を読んだだけに違いはないはずなんですよ。
このこんなを読むのも神経の仕事です。
だから神経が動いて、神経が回して、
私の中の闘争本能をかきたてる物質を血中の濃度として高めたわけですよ。
でもそれによってこんなを書いた人のところに、
斧を持って首斬りに行くことはできないじゃないですか。
それをするのはまずいということももろんあるけど、
そもそもアンケートですから、
相手がどこにいるのか、どういう名前なのか、
性別はどっちなのか、知らないんで、できないわけですよ。
斧を持って戦いに行くためにこの器上は動くんですよ、体内ではね。
心拍を高めるとか、それを持て余すんですね、言ってみれば。
そして自分自身を攻撃していくと。
これをやめれば、これをやめることさえできればですね、
あのアンケートなんて別に読む必要すらないわけですよね。
読まなきゃこういうこと起こんないですけどね。
つまりイリュージョンだってことなんですよね、要するに。
もうちょっとウッドワイブスで言えば、
一つ意識の方に行く話なんですけれども、
一旦私はですね、そこまで行かないでも、
まずは自分で自分に起こらないことだなって思うんです。
で、その前に怒ってることに気づくってことだなって思うんですよね。
恐れてるとしか思ってない人は、
自分がどんだけお怒りになってるか、お分かりになってないと思います。
これは読者さん向けで、一定の読者さんに私は意識して喋ってるつもりで、
もともとは私のような人間ですが、
怒っているんですよ、自分は。
まずそういう事態に踏み入れてしまっている、自分に腹を立ててしまってるし、
もちろん威嚇的だと思っている相手にも怒っていて、
しかも無力である自分に怒っていて、
理不尽な攻撃をしてきているという罪にも怒っていて、
その罪を正せない自分に罪を見て、それも怒ってると。
怒ってるんですよね、四方八方で。
まずこれを自覚することかな。
21:00
これを自覚しないと怒りを止めるという発想にならないような気がするんですよね。
ただただ人を避けるという発想になってしまう。
このイリュージョンの中に一つ大事なものがありまして、
大事なものは本当はないんですけどね、イリュージョンだってことに。
大事なものがありまして、イリュージョンを現実のものにしてしまうというのがあります。
これが本の中で必ずしもはっきり書いてないんですけど、
これを書くと非常に大変めんどくさいことになるので、
書くのが難しいということですね。
人を見たいように私たちは見ると。
書いてますよ、多少ともね。
人の顔色を伺うんだから、この人は嫌な人だって思ってるんですよね。
そういうふうに私たちは見ているうちに、
事実上は私たちにとっても現実はない。
私たちはついつい誰もがこの課長はこういう嫌な男だと思ってるに違いない。
それは客観だって思ってるんですけど、主観に決まっているわけですよ。
そういう視点で見ると、そういうふうに見えてくると。
甘えと言うか、
甘えと言うか、
甘えと言うか、
甘えと言うか、
甘えと言うか、
甘えと言うことを出したのは、
そういうふうに見る見方をやめてしまえば、
その恐怖感は最初から嫌悪感でもいいんだけど、
ないものにできる。
昔、ヴィクトル・フランクルって有名な人がいるじゃないですか。
夜時に書いた人ですね。
アウシュ・ビッツに入れられて、帰ってきて本を書いた人ですよ。
あの人について、
これはジゾイド人間で、
ヴィクトル・フランクルさんが書かれていることなんですけど、
今の時代は理想というものを
認めない時代に入ってきているから、
フランクルに会ってもですね、
がめつくてひどい人だったっていう人もいたと、
こういう話あんまり出てこないですよね。
彼は立派な人だったと、ものすごく立派な人だったということに
しちゃってますから、
ここにイリュージョンが実はあるって話なんですよ。
私たちは彼はもう理想的な超人みたいにしちゃってますからね。
こういうふうにしか見ないわけです。
ここがイリュージョンが現実を作り出すという
一つの、僕はすごい大きな事例だなと思ったんですよ。
だけれども、お好みさんに言わせると、
つまりポストモダンですよ。
理想というものが失われた時代だから、
あんなにすごいように見える人でも、
その人を脱、価値化する人もいるんだという事例を
紹介しているんですね。
僕はあんまり読んだことがないです。
ほとんどの人が死んじゃうようなところで
生き残るような人は、中でよっぽど
生き延びるために、
なんて言えばいいんですかね、
競争相手を蹴り落とすようなことを、
蜘蛛の糸のカンダダですよね。
してきたから生き延びられたんだっていう人も
24:02
結構いるんですっていう話を書いてるんですね。
これもイリュージョンですよね。
つまり、そういう見方をする人にしてみれば、
どんな人だってそういう風に
振る舞っているように見えると。
一方でリベラルな人からすると、彼はもう完全に
理想的な人間そのものであって、
人格書の鏡みたいですよね。
これもイリュージョンですよね。
僕らは結局そういう風に見るわけですよね。
自分が見たいように人を見ると。
自分の直属の上司とか、
当然そういう風に見ますよね。
上司からしてみれば最低の上司だし、
最高の上司だと思う人からしてみれば
最高の上司なんですよね。
イリュージョンなんだけど、
そういう風にしか見えないんですよ。
すごくそれが客観的だっていう感じがするんです。
これ、いくらイリュージョンだと思っていても、
頭でイリュージョンだと言うだけではダメなんで、
ここを転換する経験をたくさん持つに限ると思うんですね。
だから僕は甘えっていう言葉を出したんです。
これを通じて、2点3点するうちに
自分はイリュージョンでこの課長を見る見方を
決定してるんだってことに気づくと思うんですよ。
これができるようになったら多分、
人の顔色なんかうかがわなくなると
私は思うんですよね。なぜなら、
自分が作り出している顔色をうかがっているだけだから
っていうことなんです。
25:35

コメント

スクロール