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おはようございます。働くメンタルをとり戻す精神分析的ポッドキャスト1108回をお送りします。
昨日1回お休みいただいたんですが、11月18日水曜日、朝の10時14分です。
まあそろそろ冬季ということで、少しね、時間が動き始めましたので、
まあ、だからこういうふうに休んでみたり、10時になってみたりしているわけです。
今日はですね、東中野というところに行きまして、厚さんという方とですね、すると厚氏さんかな、厚さんと通称ハンドルされている
あの、夫婦関係学ラジオでおなじみの方なんですけども、そちらの方とコラボすることになっております。
ですので、まあ今日は最終告知ということになります。 もちろん交通費はかかりますし、なんかドリンクとかは飲んでいただく必要があると思うんですけど、
セミナーではありませんので、お値段はかかりません。
17時から開始の雑談という場所なんらしいんですけどね、なんかポッドキャストの聖地だと教えてくださった方がいらっしゃったんですけど、
そちらに来ていただければ、私たちと合流することができます。できるはずです。
実は私はそこがどういうところで何をする、どんな感じか、よくわかってないんですけど、まあすごそうなところだぐらいのホームページみたいですけどね。
それだけなんで、あのー まあ
もしご都合あればですね、来ていただけるとありがたいです。
で、なぜこういうことをすることになったか、運びになったかというのを、少しだけ今日はお話しするに留めたいんですが、まあ後で、もうあと5時、7時間後ぐらいにはそこで喋ってるはずですからね。
似たようなことを。
夫婦関係学ラジオのアツさんという方がやってらっしゃる諸々の活動を見ておりますとですね、基本的なアプローチはともかくとして、発想は私のそれとかなり近いところがあるんですよ。
発想が近いっていうか、問題提起しているポイントが近いという感じですね。
端的に言うと、夫婦関係が良くないと、まあいろいろ仕事なり家事なり、もう人生全体が暗くなるよねみたいな、そういう感じなんですよ。
私は言ってみれば、そういう夫婦関係のみならずですが、そういったことの先に、
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いわゆるこう神経症、重度のとかパーソナリティ障害とか、
様々なですね、精神症と言われているものは、そういうところ、心臓も含めてですね、心の患いというのはそういったところからの延長線にあるものだと思っているんですね。
でも、ここから先話が一気にややこしくなるんですけど、それは外的な事件がその人の心を患わせるっていう意味でわかりやすいんですけれども、
それって、フロイトが一番最初に考えた考え方とほぼ変わりはないんですよ。
つまり彼はね、フロイトという人は、実にすごく常識的なラインから入ってったんですよ、この心理療法という世界にですね。
あの、今主流となっている症例診断主義って言うんですけれどもは、極めて直感に反する、
あの、ある意味画期的な考え方なんですよ。ほぼ逆なんですね。普通に考えればフロイトのようになるんだろうと僕は思うんですよ。
そしてフロイトのようになっていったところ、そこには一筋縄ではとてもいかない問題が山積していたわけですよ。
フロイトはドイツのプロフェッサーであり、医者であると、それはもう当時としては凄まじいところに最初からいる人で、
そういう人が心の患い、つまり人生相談みたいなものですよね、にまっしぐらに入っていくと、
その素養があった上にやる気もふんだんにあったからなんだろうけれども、そこからすごいところに入っていけたわけですよね。
でもそうしていくうちに、およそ人生相談の域では済まなくなっていくわけですよ。
そして最初は常識的な線から入っていったものが、だんだん非常に一般には分かりにくいものに一気になっていって、
精神分析といったものが、要は創出されるわけですね、クリエイトされたわけですよ。
さらにその人たちがですね、もう本当全然人生相談でもなんでもなくて、子どもの精神病だとか統合失調症だとか、
相談に来ている人は、そもそも何を相談に来ているのかを知らないみたいな人たちまで見るようになっていくとなると、
何か出来事が、つらい出来事があったから、それが心の患いになってますみたいな話では、つまりいわゆる人生相談で、
よく普通に考えられる常識的な範疇では全然済まなくなっていくわけですよね。
そこから精神分析というのは、ある意味深みにハマっていくんですよ。
でもまあ一方で、その深みにハマっていくやり方は、もちろん論文があったり、本が出てきたりするんですけど、どんどんどんどん分かりにくくはなりますよね。
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最初は、夫婦仲が悪いんです。仕事が手につきません。それはつらいですね、みたいな話で良かったのかもしれないんだけど、
およそそんなことでは済まなくなってしまうわけですよね。
例えば、いつも気死燃料があってたまらなくて家から一歩も出ていませんみたいなのは、
最初は何かあったのかもしれないけど、もはやそういうランクを全然超えてしまってますよね。
誰とも家の者とは口を聞かず、筆談で済ませてすでに20年が経過してますみたいな話になると、話が全然違ってくるじゃないですか。
それだって人生相談かもしれないけど、普通人生相談でそういう人ばっかり来るっていう感じではならないですよね。
それは病院って感じがするわけですよ。その人は病院行きたくないかもしれませんけどね。
で、私は今回のアツさんとガイに話さってるのは、つまり人生相談に近い話だなと思うわけですね。
で、ちょいちょいこの番組では話題にしてますし、別にこのアツさんがそうだとは決して言うつもりはなくて、私がそうだってことなんだけど、
野良カウンセラーという概念があります。最近民間療法と言われているものをこう呼びかえてるだけだなと僕は思ってるんですけど、
東方カイトさんはもう少しオシャレに、野の医者、まあそれがオシャレかどうか知りませんが、野の医者とかいう表現も作り出されましたけれども、
そのまま彼はあれを作ったと言っていいんじゃないかと思ってるんですけどね。何にしてもこの野の医者、民間療法、野良カウンセラーといったものはですね、
えーと、僕は現段階では、まあなんていうんですかね、流星を誇るだろうなってなんとなく感じているんですよ。
まあ別にこれは予言でもなんでもないので、外れても知ったこっちゃないんですけど、まあ人によってはこれを消滅を極めるとか言ったりするんでしょうね。
まあ難しい言葉で書けやしませんけどね。読むことはできてる。で、つまりね、なんでかっていうと、
常識的には人生相談というのは、なんかひどいことがあったんです、ひどいこと言われたんです、心が患ってます、憂鬱です、落ち込んでるんですよっていう話で良かったはずなんですよ。
しかし、この話はたちまち、もう一、二歩先に一気に進んでしまうんですね。いや、そもそも本当にそんなことあったの?っていう。
この辺のことは夫婦関係学ではそれほど重視されないかもしれませんが、
アチさんの現状になさっている規模で考えれば、おそらくこの線はすぐに遭遇するか、すでに相当数遭遇されているか、後者の気がしますが、それは僕は聞いてみないとわかんないし、
今日それを聞くことができるかどうかもわかりませんが、そんなことはあるだろう。 一方で私はビジネス書なので、
もう少しですね、なんていうのかな、ありきたりでありそうなことに入るわけです。 夫婦仲が悪いというのはかなりプライベートじゃないですか。
そろそろホイホイというのも変ですが、そこら辺に行って公的に聞くっていうことがなかなか難しいと思うんですよ。 だからカウンセリングに近づくと思うんですね。
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個別、個別、個別になっていくと思うんですよ。 一方であの私が昔大橋哲夫さんとやっていたタスクカフェのようなところである。
もうビジネスの話はできるわけですよ。 取引先の人がちょっときついこと言うんですと、これ別にそんなにプライバシーに定職しないじゃないですか。
会社名出すとかははばかられますが、別にこういった話をタスクカフェでするのははばかられるかというと、
はばかられはしないと思うんですよ。 ちょこっと何かを伏せるだけでも十分なんですね。
何が言いたいかというと、つまりセミナー向きだったってことなんですよ。 当然私たちもセミナーをしてました。
何が言いたいかというと、個別セッションはしておりませんでした。 もちろん個別セッションに近いケースに持ち込む場合も私は多かったんですよ最初から。
それはつまり、この話はここだけを切り取って聞いたところで、いい対策は出てきようがないと思ってたからなんですね。
その一般論として役に立つことがその人に役に立つということは、その話は一般的な回、あるいは対応の仕方があると。
新入社員ならまだしも、会社で悩んでいることに対する一般回があるならば、それがタスクカフェでなければ聞けないとは考えにくいところがあるわけですね。
もちろんタスクシュートを使っている人間にだけ見えることとかはないわけではないかもしれないんだけれども、
そういうのにスポットうまいことハマるということは簡単に済むわけではないんです。
ところが簡単に済むように見える対応策がないわけでもないんですよ。
まずここのところにビジネス署なり、これだってある種の私は民間療法に限りなく近いとは思うんだけど治療してないだけでね。
結局のところ困りごとに対策を打ってるわけだから、これ自体は野良カウンセリング的な側面であるわけですよ。
カウンセリングでないのは1対1でやること、個別具体的パーソナルな話に踏み込んではまだいないからっていうだけなんですね。
で、なんで対策がある、そして対策が一般的に知られてもいる、なんならネットにあるにもかかわらずそれが有効でなかったり採用できなかったりするのか。
ここに現状私が思うビジネス署の、ビジネス署でなくてもいいんですけれども、いわゆる仕事術、
なんならコーチングとかビジネスカウンセラー的な人たちの活躍の場があるんですよ。
5分ダッシュかけましょうとか、そういう上司の人があまりにも詰めてくるようなこういう対策がありますとか、
そういう対策をお話ししてもですね、採用できません。ないしは私の状況がそれを許しませんっていう人はいらっしゃるわけです。
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かなりの数。いらっしゃらなければ多分この種の人が具体的に存在し、セミナーやったりカウンセリングやったりする需要はゼロになってしまうでしょうね。
でも実際にはそうは決してなりません。
うつパンというのを以前紹介したことがありますね。うつになってしまった辛そうなパンダさんがいたので、
じゃあライフハック的にいきましょうと。日光の光を浴びましょう。朝方生活にしましょう。体に良いものを食べましょう。散歩に行きましょう。
人とほがらかに会話しましょうみたいな。知りませんけど。睡眠は7時間以上取りましょう。それを全部やったけど全然良くならなかった。
そりゃそうですよね。これで全部良くなるのになぜこううつ剤というものがこの世にあるんだってことですよ。
つまりライフハック的なものというのは一つには採用したとしてその人の事情にはマッチしないというのと採用することがそもそも不可能である。
最近アツさんがですね、夫婦関係学ラジオの中で、奥さんが5年から帰ってきたシーズンですからね。
その時に旦那さんは家事育児を全部やって決して言ってはいけない言葉があると。
いや本当大変だったよって言っちゃダメだと。この辺からはネタバレっていうのも変だけどこれはライフハックですよね。
こういうことをアツさんは語られているわけですよ。でも僕はですね、僕はっていうか、これをいくら語ってもある意味アツさんは決して食いっぱくれることはないっていうか
夫婦関係カウンセラーやってる人たちはこれ言えれば大きな違いがあるっていうのが嘘なわけではないですよ。
しかしこれを言えば夫婦関係というものがすべて円満に解決するかというとそうはいかないよねっていう人は必ず一定数残る。
ここに個別に話を聞いたりセミナーに行って質問したりする必要性っていうのが出てくるわけです。
あのあれですよ、受験対策によくあるじゃないですか、下敷きみたいなのがあって、いい国作ろう鎌倉ワークみたいなのがもうなんかびっしりと埋めてある。
これ1枚覚えておけばバッチリだからみたいな。そうはいかないじゃないですか。まあそれを1枚覚えておける人もどれだけいるんだって話が一つあるけれども、
あれ1枚覚えておけばバッチリなんてことありえないじゃないですか。でもあれが勘どころであることに嘘はないですよね。
最近X見てるとよくああいう1枚にまとまっている、憂鬱になってきたらこれだみたいなのとか、これをやっておけばお金の節約は間違いない百科譲みたいなのありますけど、
まあそういうものはですね、出す方としてはいくら出してもさほど痛くはないわけですよ。 あれやったからといって事態がすべて解決するというふうにはならないのと、それをそもそもできないっていうのが残ってくるからですね。
例えば今の忘年会で大変だったよって言わないっていうのはいいんですけど、果たしてそれができるのか。言っちゃったらどうするのか。いろいろあるわけですよね。
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で言えないってのは何なんだってことがあるじゃないですか。いやそれは言えないのはもうお前夫として終わってるよ腐ってるよみたいなことになるかもしれないけど言えないものは言えないんですよ。
僕がよくこの番組で言ってる発砲塞がりってのはそういうことで、すべて拒否されるっていうのがあるんですね。これはもうビジネス賞とか、いわゆる仕事術系でもいくらでもあるんですよ。
今回もタスクシュード総決算2024やってましたけれども、やらせていただいたんですが、ニーテイトレーナーさんたちが個別の島に行っていろんな人たちの質問を受けたりすると。
多分僕はその中にいろいろ方法があるし、実際そういう方法を取られると思うんですけど、聞かれたことに答えたからといって、それで相手が納得し満足し、明日から事態がガラリと変わりましたというふうにはならない例があったに違いないと思うんですね。
なぜそうなるかというとその採用、その提案は採用されないからなんですね。やればいいのは分かってたって、やるとは限らないじゃないですか。
それが私たちのいろいろな事情、そこにパーソナルな事情ってものがあるわけですよ。
やればいいだろうとか黙ってやれみたいな言葉って何のためにあるのか。やるのはちょっと前に流行りましたよね。いつやるの今でしょうとか。
ああいう言葉そのものが流行るということは、方法が採用されるわけではないということを、私たちは長い歴史を持っているわけですよ。方法は採用されない歴史をね。
フロイトはかつてつまづいたのが有名な例がありますよね。彼はしょっちゅうつまづいてるけれども。
朝礼堂羅という有名なつまづきがありますよね。 フロイトが言った通りに堂羅がしてれば、多分何らかの会案自体は大きく進展し改善したと思うんですけど、問題なのはフロイトはその時に人生相談、説教おじさんになっちゃうってことですよ。
これをやってもうまくいかないっていうのは今ならば、それこそ野良カウンセラーでも多くは知ってると思うんですね。もちろんコーチングの方も心理療法家は有に及ばず知ってると思うんですよ。
だってですね、これで肩がつくならば、だいたい肩がつきますよ。 もちろんこれでは到底うまくいかないような非常に難しい事例もあるでしょうけど、
だいたいこれを外からなら、しかも年季が入っているドイツでプロフェッサーしているお医者さんじゃないですか、人生経験も豊富でいろんな相談を受けてきた人ならば、
17、忘れましたけど、思春期の少女がある種のお父さんの浮気で悩んでる。 言えるべきことなんてあるに決まってるじゃないですか。そしてそれを採用できれば事態は良くなりそうですよ。
採用できないんですよ、でもね。 この採用できないってところから精神分析ってものに、つまり人生相談から
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2歩も3歩も前へ進んでいくっていう事態が進展したわけですよね。 フロイトはなんで自分つまずいたんだろうって考えたところから精神分析が創出されていくわけだったと思うんですよね。
私はそれを参照しようとしている人間なんですね。 アツさんの夫婦関係学ラジオっていうのもきっとそういう世界に入っていかざるを、
というかすでに入っていかれていらっしゃるかもしれないし、わからないんだけど、しかし私は間違いなく入っていかざるを得なかった組なんですよ。
途中、今は主流として逆アプローチになっていると申しました。 つまりこの一般的な常識的アプローチというものが精神分析というある意味沼に入っていってしまったので、
いやいやあれはやっぱりダメだったよという一群の方々が当然いらっしゃるわけです。 その時に何を始められたかというと、始めた人たちはそういうつもりはなかったかもしれませんけど、間違いなくそうなっていったところに、
普通の身体医療の真似にすればいいんじゃっていう発想になってたんですよ。 これが逆アプローチと僕が今勝手に名付けているものであり、
ライフハック的アプローチでもあります。 つまり身体医療的アプローチで心に迫っていく。
基本的に心はスルーする。面白いんですけどね。 心の患いだったはずなんで、心はスルーするんですよ。そして体を治す。
ないしは行動の修正をする。まさにそうですよね。心が患っています。 取引先の人が暴言吐いて死にそうなので、毎日酒で何とか紛らわしてるんですけど辛いです。
わかりました。お酒やめましょう。これは行動にアプローチしているわけですよ。 でもお酒やめるだけでは、取引先の暴言が、じゃあ転職先を探すとかね、いろいろあるわけですよ。
言われても大丈夫なようにアサーティブネスを身につける。すべて行動の修正に向かっていくわけです。
同時によく眠れるように睡眠導入剤を処方しましょう。 これも体へのアプローチです。
つまり体にアプローチし、行動を修正し、認知ってのはギリギリなんですけど、認知も最近は特にそうですけど、非常に認知神経科学的に認知にアプローチする方法。
人間はコンピューターになぞらえているので、認知というものの処理の仕方をもう少し本人にダメージを与えない形に直していくという考え方を取るわけですよね。
これも今何をやっているかは厳密にはわかんないんで、やや適当に喋ってるんですけれど、でもこれも多分行動と体にアプローチする。
つまりそれは偏向な体づくりみたいな世界とすごくよく似てくるわけですよ。
これはいわゆる人生相談からの転移みたいな、人生相談からその人の夢の世界に巻き込まれうんたらかんたらというこの沼にはまった方法を諦めて、そういうわけわかんない方法に向かっても無駄だから、
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無駄かあるいは怪しさいっぱいになっちゃうんで、もっと科学的で目に見えるところにおいて問題をすっきりと扱っていこうっていうアプローチなんですよ。
これが現在の主流のアプローチなんですよ。さっきお話ししましたけれども、このアプローチはですね、今あらゆる分野で確実に採用されています。
なぜならばもう一つにはその沼だと多くの人が精神分析について感じたことが1986、70年からあったということが一つ。
もう一つは精神分析というのは素人が手を出しちゃダメだみたいな、どちらかというとそういう言説が現在も本読めば出てきますから、つまり我々は一歩間違うと人生相談すら受けられない時代を生きてるんですよ。
こうなってしまったらですね、もう身体行動アプローチの方しか残されてないとも言えるわけですよね。
だから世の中の流行も相まってなんだけれども、ライフハックからコーチングから仕事術からすべてがですね、この方向に向かっている。この方向ならば一つには誰にも文句は言われにくい。
そりゃそうですよね。例えば仕事が手につきません、わかった。取引席がどうのとか、心がどうのとか、ストレスがどうのとかを一切言わず5分間タイマーかけてダッシュしましょうと。
これにケチつけられるかって話ですよ。これは医療ではないですよ、もはや。全然ね。報道にアプローチしてますけどね。心は完全にスルーしている。
パーソナルなところに一切タッチしていない。これにケチつけるとなってくるともう相当嫌がらせのる領域に入るでしょう。
だからみんなこれをこぞって採用しているわけです。なんでこれこぞって採用しているのっていうふうに感じる人がいらっしゃるかもしれないけど、
それは我々が人生相談的アプローチが怪しいとか、それは野良カウンセリングだとか言われているうちにそんなこと言われるのは嫌なんで、しかもそっちを言われた上にそっち採用してもいいこと起きる感じがしない。
儲かりもしないんで、みんなが一斉に、まあみんながなのかは知りませんが、これを考えた人がまず最初に考えるようになったのが認知行動療法的な方面で、
しかも正規であるっていうのは大学院出たり、煩わしいんで、そんなことしなくったってですね、行動を変容するっていうことを言うだけだったらですね、習慣を変えるとかね、これは別に資格いらないだろうって話。
現に国はその資格を別に課していない。ビジネス書にアドバイスめいたことを書くためには、公認行動療法士である必要がありますとか、そういうことは言わないわけですよ。
あるいは公認コーチでなければダメです。国家という意味ですよ。だから私たちの時代は、言ってみれば、まず第一にライフハック的な行動変容型のアドバイスというものをする人たちが主流になっているし、そうならざるを得ないという状況があるわけです。
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ただ私は、そこで心をスルーするとかいうのは、自分の性質として受け入れられなかったので、こっちには踏み込むと非常に嫌な目に合いそうだなと思って躊躇してたんだけど、ここであれですよ、プラザ特計層さんのグッドバイブスがあって、非常に嫌な目に合うというのは、佐々木さんのイリュージョンですから、まあそう彼は言ってないんだけど、要するにそういうことにしておいて切り替えたんです、私はね。
だから嫌な目に合うかどうかなんて知ったことはないなと、嫌な目に合うっていうことが、まあこれはこの先にいろんな話がまたあるんですけど今日は飛ばしますけれど、嫌な目に合うというのがイリュージョンなのかそれとも投影なのか、そういうことはその後度考えていくことにして、舵を切ってしまったわけです。
野良カウンセリングと言われようと民間療法と言われようと、それはその時だと、今のところまだそういう罵診を強烈に受けてきているわけじゃないですしね、それを受けるようになったら受けた時にまた考えようということに切り替えたわけですよ。
で、一旦そういうふうに切り替えてみると、また改めて見えてくる話としてですね。つまりこれは、いわゆるフロイトは常識的な人生相談をしたんだなと、僕はこれを切り替えてから気づいたんですけど、そういう常識的なアプローチをしたいと思う人は当然私だけじゃないよねってことに気づかざるを得ないわけですよ。
行動変容主義というもの、症例診断主義というのはわかるんだけど、現に我々も取ってきているし、今だって全く取らなくなったとかいうわけじゃないんですけど、それはそれなりに常識的なところがありますからね。
だって、先ほどの夫婦関係学のアツさんの忘年会から帰ってきた奥さんに、と言ってはいけませんってこれは行動変容的アプローチじゃないですか。なんなら感謝の言葉を述べましょうっていうのも、感謝をまず心の底からしましょうとは言っていらっしゃらないですよね。奥様の心で本当に感じていることは何なのかを分析的に見ていきましょうとは言ってないですよね。
つまりこれは行動変容的なまずアプローチを取られているわけですよ。行動変容的なアプローチというものは一般的なアドバイスとしてはもはや常識なんですよ。それをまず考え出すっていうことが我々のムーブメントなり仕事なりになっているわけですね。
私はそうではない方向に向かうということはどういうことが起きるかというと、一般的なアドバイスは何もできないってことになっていくんですよ。現に私はそう思ってるんですけれどもね、おおむね。だからこれを何回も何回も聞いてくださっているという方がいらっしゃっていて大変光栄なんですが、私はほとんどここで具体的なアドバイスってできてないじゃないですか。
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何にもないじゃないですか、僕が言ってることの中に。先日たまたま3ヶ月チャレンジの中で出てきた話を受けて、このポッドキャストはまさに月曜日に話したんですけど、その中で僕が言ってることは発砲下がりになった人にできるアドバイスは何もなくて困ってるって話を僕がしたに過ぎないんですよ。
あんたただ困ってるだけなんっていうことですよね。現にそうなんですよ。僕はただ困ってるだけなんですよ。この困ってるってことが私は非常に重要な意味があるとは思ってるんだけど、私がただ困ってるってことに何のアドバイスも有効なライフハックもないじゃないですか。
つまり私が向かっている世界ってのはそういう世界だし、そういう世界に入るってことは著しく不利だとは思います。全然メリットが見えてこないな。これでもいいと思えるようになるのには相当手間暇かかってるんだけれども、これでもいいというか、信じられないわけですよ。
一般的なアドバイスに意味があるというのが、私にはもう理解もできなければ納得もいかないという状態に入ってるんで、だから私は行動変容と認知変容と認知の修正、メタ認知みたいな話はしないと決めてるわけです。
まあ、破ることはありますよ。それはあります。ここはまあいっかみたいなのありますよ。ここはちょっと行動修正でなんとか乗り切ろうみたいな話をすることはあります。割と頻繁にあるかもしれない。ただそれをライフハックですと言ったり、リストアップしたりしたいとはもう思いません。
それだって個別なんですよね。この状態でこの方ならそれで今はいいかもみたいな時にそれを喋るっていう、これも私の勝手な恣意的な判断が入るんで、何ら客観性があるとは言えないんですけど、まあでも他者が言えることもあるよねみたいな話ですよ。
だから僕はそういうものとして忘年会のシーズンになったら奥様にこう言いましょうっていうのは全くありだと思うんですよね。ただ結局仕事が手につきませんとか、そもそもそういう感謝の言葉を述べるのは嫌ですとか、嫌ですっていうのは文学計画でどうされるか知りません。
嫌ですって出たら私は、私の土俵だというか、嫌だって言葉が出たらもう一歩だみたいな感覚は得ます。
それを言いたくないです。私は家事育児が大変だったと妻に言いたいです。これを言ってほしいって思います。本音ならね。そうじゃないのもいっぱいあると思うんですよね。これが僕は今の時代に、なんていうんですかね、影のように身を潜めてしまった、そしてなんかこう、とても嫌な事態が進行していると思っている一つなんですよ。
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だから私は今これをやってるんだろうと思うんですよね。確かに精神分析なら出てくると思うんだけど、精神分析でなくともこれは出てきうると僕は思うんですよね。
常識的とは言えないかもしれませんが、つまり本音で語るって言葉が世の中にあるじゃないですか。単に本音で語るだけでなく、かなりシリアスなところに踏み込まざるを得なくなるんだけど、でもこれは私は人生相談の範疇だと思ってるんですよ。
転移まで行く必要はないと思うんですよね。転移かもしれないですけれどもね。とにかく言いたくない。これが言えるかどうかってことなんですよ。一つには1例です。言いたくないなんて言っちゃダメじゃないですか。ダメだってことに今の世の中ってなっちゃってるじゃないですか。
僕はここがこの今のライフハック的っていうこの世界の病んでる部分だなって思ってるんですよ。昔の昭和のお父さんが王房だったって簡単に言うんだけれども、王房だったのかもしれないんですけれども、そのお父さんを見てきた子供が言いたくないことってあるんですよ、奥さんにはね。
これをXでは炎上しちゃうし、何言ってんだお前って話にしかならないんだけど、その何言ってんだを言うってことが大事なんですよ。人間ってのは。本音を言うっていうこととこれは必ずしもマッチする話、あのイコールじゃないんですよね。
本当の自分っていうのと偽りの自分って言ったときに、偽りの自分というのは諸星術って言ってるんではないんですよ。どっちかっていうとそれしか出せないよねって言ってるんですよ。ミニコットは僕感じるところではね。
偽りの自分と本当の自分がこの話には一番近いと思うんですけれども、本当の自分がどこにも表現できてないってことが問題。本当の自分で生きていかなきゃダメだとは言ってないんですよ、別に。ミニコットは。僕が理解する限り。奥さんに言いたくないんです。
っていうところからが始まりだと思うんですよ。それが本音ならですよ。別の理由があるのかもしれない。言いたくないんではなくて言えないのかもしれない。奥さんに違うことをもう言っちゃったのかもしれない。何でもいいんですけど、それがそもそも言えないでしょうと私は思うんですよ。
夫婦間契約であれ、タスクシュートであれ、ここが常識的な線だろうと。これを言うのが当然だろうと。それを気づかなかったんならしょうがないけど、気づいてしまったらそれを言うでしょうっていうその話がありますよね。どんな話でもあります。
例えば終了予定時刻が夜の2時です。それは行けないよね。夜の2時になってしまったら辛いですよね。明日朝6時に起きなきゃいけないんでしょう。それでは睡眠時間が足りませんと。何とかして削りましょうと言うじゃないですか。これはさっきの奥さんのに対応するタスクシュート例として出してるわけですよ。
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2時はいけないって言うじゃないですか。上がりましたと。どうしてもこれ削れないけどこれ削ります。30分だけでも素晴らしいじゃないですか。1時半には寝ます。でもその人はなんと驚いたことに1時半になって1個削ったのにその後にテトリスを通信対戦でやっちゃいました。
テトリスやって気づいたら3時過ぎてました。それ絶対ダメだろうみたいな話になるんじゃないですか。僕はそうではないと思うんですよ。そのテトリスをやった自分ってのが何よりも着目するべき自分であって注目するべき自分ですよ。奥さんに育児大変だったって言ったらダメだよと。
あれほどものの分かった人にちゃんとした意義があるアドバイスを聞いたにも関わらず言えない。それだけは言いたくない。ここがその人の最も僕は注目するべきポイント。そしてそれを多分言えないんですよ。僕にすら言えない。
佐々木さんにすら言えない。佐々木さんなら良さそうじゃないですか。こいつは何言っても大丈夫そうな人間ですからね。そう思って扱ってほしいんだけれども、佐々木さんにすら言えない。テトリスをやってしまった私はもう滅んだ方がいい人間だからもうさんちゃれもんやめますとかそうなるんですよ。
不思議とですね、人はフォールスセルフ偽りの事故でしか生きてはいけないと思ってるんですよ。そう思わせるほどの力がフォールスセルフにはあるんですよね。あるはずなんですよ。偽りの事故っていうのは本当諸星術じゃないんですよね。
あの、借金玉さんが、何だっけあれ。あったつ生涯の僕でも食えるようになったすごい仕事術の中で仰っていた。あれではないってことなんですよ。狸、部長に頭を下げなさいと。まあそれは確かに諸星術ですね。それはそれで偽りの事故です。いいじゃないですか。狸の置物に頭下げておきましょうよと。
お礼を言っておきなさい。ごめんなさいとすぐ言いなさいと。それは諸星術。私はそれはやめられると思う。やめたくなったらですね。そんなことやりたくないんだよとも言えると思う。でも僕様に感謝の言葉を述べなさい。いやー感謝したくないっす。いや感謝はしてますよ。でも感謝したくないですっていうのは言いにくいと思う。人にも。
ネトリスを3時までやっちゃいました。絶対しなきゃいけない仕事を1時間分削って、それに2時間は乗せしてネトリスでやっちゃいました。何ならずっとその間ファンザ見てました。僕はやりますよ。そういうこと。そしてその自分を愛する。絶対それが必要だと思います。
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それこそがトゥルースセルフですよ。本当の事故。本当の事故が立派だとか誰も言ってないですよ。少なくともミニコットは絶対言ってません。だって本当の事故というのは地球にいた赤ちゃんのことなんですよ。ある意味ではね。
あの時に偽りの事故なんて作る必要ないですから。地球にいた時のあなたなんですよ。立派とかあり得ないじゃないですか。裸官房でお母さんの中でうんちしたりおしっこしたりしてるんですよ。それだけですよ。何が起きてるのか分かんないでお母さんのお腹とか蹴飛ばしてるんですよ。
あったそれだけの存在です。その存在がやってることがちゃんとしてるとか、理にかなったことをするとか、誰もそんなことを期待しないじゃないですか。そんなことを期待しちゃいけないんだと思うんですよね。私はね。そんな赤ちゃんがお母さんありがとうって言う?
私あのカーネーションあげて母の日にやった時にすっごい気持ち悪くなったんですよ。うち母子は極めて健全な家だったと思う。私はあの時にカーネーション、幼稚園でね先生がそれやれっつーからやったわけですよ。すっげー気持ち悪くなった。両手で差し出すのが嫌で片手で出したんですよ私は。
少し病理かなとは思いますよ。でも私はそうであるべきだとまでは言いませんが、そうであって叱りだと思うんですよね。それが本当の事故ってもんだと。そういう事故が夜の3時までテトリスをやっちゃうんですよ。
それでいいとは言いませんが、その自分は消せないしなくせないし、尊重しなければいけないんじゃないかなというような、そういう人間が今日東中野で喋るというわけです。