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2023-07-28 35:26

迷惑がってるとつらくなる【GMV820】

「甘え」と「迷惑」の親密な関係

サマリー

主人公の気持ちや移動する環境について話され、1周年記念やオフラインイベントの告知、ツイッターやサブスタックなどのデジタル媒体の考え方についての悩みも話されます。再生数が昨日あまり伸びなかったことがそのほとんどの原因だと言っていますが、それは多分にイリュージョンで、見ている時間帯の問題も多々あると思います。自立について考えながら、甘えと迷惑の関係についても探究します。迷惑がられることでつらくなる意味はあるかもしれませんが、ニュートラルには何の意味もありません。様々な要素が絡み合い、突然違うやり方を試すことで混乱することもありますが、周りに迷惑をかけずに自立することが大切です。

迷いと環境の変化
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
7月28日、金曜日の朝8時40分ですね。
はい、あの、ちょっとですね、実はまだなんですが、迷いがありまして、
なんていうか、
何を喋るかで迷っているという、多すぎあるんだけど、
いまいちはっきりしないって感じがありまして、まあ迷いがあるんですね。
迷いがあるというのと、いつもと環境が違いすぎて、
あの、割と、なんていうんですかね、喋りやすくないというかな。
多分、喋りやすくないというよりは、環境が違っていて、
えーと、ちょっとこう、戸惑いがあるみたいな感じなんですけども、
えーと、まあそんな感じですね。
あとですね、あの、まあいいや、とりあえずまずはお知らせ、お知らせを先にすることによって、
えーと、これを聞きたい方は、いやでもお知らせを聞かなきゃなんないというのが、
僕がちょっと発明したわけじゃないんですけど、全然発明じゃないんですけど、
こう、ライフハックなんですよ。まあね、ハックでもないね。
通常これ最後に来るじゃないですか。
ちょっと多分そこだけを聞かないという、まあ結局同じなんだけど、
えーと、先に聞いていただくということを、今ずっと考えてやってきたつもりではあるんですね。
今度から、なんかこの話は後でしようと思ってたんですね。
えーと、明日ですね、100チャレの1周年というのをやるんですね。
これはまあお知らせではないんですけど、
えーと、100日チャレンジ、ちょうど7月20、まあ実際に23日だったのかな、
100日チャレンジ1周年というところで、
まああの、めでたくですね、3期も卒業生の方、先日卒業式やりましたし、
3期ってことはちょうど300日じゃないですか。
だから365日がまあ1周したと、現在第4期突入中なんですけれども、
えー、ということで、1周年記念というのを明日、まあオンラインですけどね、やる予定でおります。
うーんと、だから、えー、まあこれを聞いていて100日チャレンジやったことあるよという方はですね、
いらっしゃると思うので、ぜひ1周年記念もご参加いただけると、無料なのでありがたいです。
で、翌30日に八丁堀で、えー、東京来伯研究会の、
これで何をしゃべるかもまだ迷いの最中というですね、
えーと、せっかく虎拳なんで、虎拳だからなんだって言ったらないんだけど、
えー、スライドを用意していこうかなと。虎拳だからスライドを用意するっていうのも、
えーと意味が結構、考えてみると不明だなと思うんですけど、
まあまあ、虎拳らしくやっていこうと。
そうすると、やっぱり事前にしゃべることを決めないわけにいかないんですけど、
なんかしゃべる25分くらい前に、まあでも決まったらですね、スライド捨てちゃえばいいんで、
あのー、話としては簡単なんですけどね。
あのー、まあまあ、とりあえずスライドぐらいは用意していこうかなという風に、
ちょっと思った、思ってはいます。
あと、全然全く関係ないですけど、広島東洋カープが、えー、東洋カープなのかな今は、
分かりませんが、10連勝で主位になりましたね。びっくりですね。
あのー、最近のフェナントレースって、野球詳しくないからすいません、
あのー、差はいくつあっても分かんないですよね、全然。
10ゲーム差ぐらいはひっくり返る、昔だったら10ゲーム差とかは、
まず絶対ひっくり返らないことになってたんですけど、
最近なんかこう、ペースによってはすぐ、すぐではないんだけど、ひっくり返るんで、
あのー、まあ、下位の方の応援してる人は希望を持てるし、
あのー、上位の方も全然安心できないという、今千葉ロッテ2位なんですけど、
いい位置につけてるんですよ、例年になく。
全然、いつ5位ぐらいの楽天あたりが一気に来るか分かったもんじゃないので、
あのー、昔、なんて、僕やらない分かんないんですけど、競馬みたいだなって思ってたんですよね。
なんかラストの直線で一気に抜かれていくみたいなことが、ポンポン起こるんで、
あのー、まあ、それだけ楽しめるとも言えるし、
えー、地域のチームが上位にいるときは不安で仕方がないというね、
安心のファンの人なんて今年絶対もういけると思ってたと思うんですけど、
もうあっさりこうですからね、しかも抜いていったのがDNAとか巨人じゃなくて広島というね、
もうだから何があるか分かったもんじゃないなっていうふうに思っていて、
まああれですね、先のことは分からないとグッドワイブスで言いますが、
まあこれはすごく文脈が違う気がするんだけど、
まあ本当先のことは分かんないなと思いますね。
はい、30日にトラケンやります。
えっとあとですね、11日山の日に先送りを極限まで減らすタスクシュートの考え方。
この、あのー、告知してなかったんで、
あ、でもこの告知してる場合じゃないんですね。
その場合に、明日で締め切りとなります第3期の3ヶ月チャレンジ、
枠にありますので、よろしければぜひご検討、まだ間に合いますんでお願いします。
だから山の日の話をまだずっとしてなかったんですね。
はい、えっとまあそんなもんですね。
デジタル媒体の考え方の悩み
そしてですね、今ちょっと検討しているのが、
えー、サブスタックというサービスなんですよね。
でもこれを、えー、すげえやりたいとかじゃなくて、
あの要するにこう、ツイッターが今騒動になってるじゃないですか。
別に僕は、だからやめるという気はないんですけど、
えーとさすがにあのブルーを一瞬試したんですけど、
月額980円で今ブルーを試す気にまでは、
えーとね、あの、マスクさんの考え方が僕にはまだよくわかっていないので、
ここでブルーやりたいという気にはなかなか慣れなくてですね、
やめちゃったわけですが、
その時に思い出したんですよ。
サブスタックに確かノーツっていう、多分盛り上がってないんじゃないかと、
まああの、英語では盛り上がってると思うんですけど、
日本語では盛り上がってないんじゃないかと、
密かに思っているやつがあって、
あ、そういえばあれにメールマガジンみたいなニュースレターっていうんですかね、
あの出せるのっていうのを思い出したんで、
ちょっとそっちの方でこう、告知みたいなものをまとめていくという、
告知まとめられてもね、告知が常にメールで届くということが、
果たして望まれるのかっていうと考えちゃうんですけど、
自分だったら例えばなんですけど、
東方カイトさんのいろんな告知がまとめてメールできますって言ったら、
たぶん登録するんですよ。
だからこれはやっぱり、メールだからウザいとかじゃないなっていうふうに考え直して、
だいたいあの、なんていうのかな、デジタル媒体ですから結局その、
何なら鬱陶しいとかって本当はイリュージョンそのものじゃないですか。
ツイッターで読むときは鬱陶しいが、メールならいいとかその逆だとかっておかしいと思うんですよ、本当は。
そこに大した違いはないはずだと。
今本当に大体に何使うかみたいな話、盛り上がってもいますけど、
で僕も好きだからそういうの読みますけど、
実際にはね、タイムラインのトップにXって書いていいよとスレッツって書いていいよと、
何の違いもないだろうっていう気もするわけですよ。
そこで結局ね、私がやっぱりよく一番目にするのはノーセカンドライフの立場で、
ノーセカンドライフってあんまりメインじゃないのかな、立場の竹下さんなんですよ。
なんだかんだ言ってよくやってくるやっぱり投稿数が多いってことなんですよね。
そしてこうトンカツとかの写真がどんどん出てくるわけですけど、
あれ別にスレッツでトンカツの写真見ようとXで見ようとですね、
Facebookで見ようとそこに何の違いもないはずで、
Xだから許せないとかはないんですよね、別にね。
ちょっとスレッツだと長文が出てきて、長文になると彼はあれなんですよ、
格闘技の話が実は好きなので、アントニオ・イノキとかの話がガーッと流れていて、
これ結構長くアントニオ・イノキは読まねえなと思って読まないわけですけど、
あれはね、僕が別にやってですね、チュバラっていうのの話を延々2000字ぐらいで書く。
ほとんど読まないと思うんだけど、別にいいじゃないですか。
Twitterだとそれが980円かかるとか、今Twitterじゃないですね、
Xだと280円かかるとか、もう極まりないなと思うのでやってないわけだけど、
そういうところをいろいろビジネスとかに絡んでくるから、
ある種の人にとってはどこで出すというのが意味があるんですけど、
読むだけのことを考えてみると、どこで読んだってあんま変わらないと思うんですよね、正直言って。
そういうわけで何になるのかっていうのは、
多分にみんなが結局何に落ち着くのかっていうのに左右されるとしか思えないんですけれども、
でもね、みんなでこぞって引っ越すということはあんまりないと思うんですよね、正直言って。
みんなが一斉にスレッツに行っちゃうっていうのも一時的にはあるかもしれないけど、
なんだかんだめんどくさいじゃないですか。
だから今回のXは驚かされはしましたけれども、
どうなるのかは結局みんな次第だと思うんですよ。
みんなもみんな次第だと思うんですよ。
だからこういうときって社会心理学力がすごい好きなんですけど、
結局インフルエンサーとかさまざまな極めて複雑な動きに合わせるような、
みんながお互いの顔を見るみたいなね。
そういう何と言っても、
例えば特に実はインフルエンサーと言われている人ほどそうなると思うんですよ。
だってインフルエンサーっていうのはインフルエンスしているからこそインフルエンサーなのであって、
俺が行くところにみんな来いみたいなことを言っても来なければそれまでじゃないですか。
だから一見したところインフルエンスしているようで、
実はすごいインフルエンスされている感じもするんですよね。
こんなのはもうそこら中で言われていることなんでどうでもいいんですけど、
まあまあそんなことを考えつつ、
サブスタッフでもまたみんな同じことを思っていると思うんですけどね、
また親先を増やして誰か嬉しいでしょうかみたいなのがあると思うんですよね。
そういうことも考えてしまうからなかなかグダグダしているのは、
要するに何をしゃべるかをまだ決めてないからなんですけども、
腹をくくって腹くくる必要は全然ないんだけど、
昨日の続きにしようと思っています。
なぜここで実はこうやってグダグダしていたかというと、
昨日の再生数の伸びについて
簡単で昨日の再生数がえらい伸びてなかったという、
それがほぼ全ての原因なんです。
でもこれは多分にイリュージョンで、
見ている時間帯の問題とかも多々あると思うんですよ。
夏も暑くなったし、夏休みも始まったし、
私のやっている時間もマチマチになってきているし、
しかも再生数とかは自分が見るタイミングですごい違ったりするんですよね。
やっぱりなんだかんだ夜10時以降って伸びるんですよ。
私が見るのが9時半とかだと当然少ないですよね。
11時半とかだと非常に多いみたいな。
でもそれって微差なんで、
私がこれ多分再生数がすごい人でも同じだろうな、
すごい人ならもっとそうなのかもしれないという気がしますね。
だから昨日の続きをしゃべればいいわけですけど、
甘えの意識について
よく思うんですけど、人間って意味づけが好きなんで、
世の中ニュートラルに見ているつもりなんですけれども、
僕らみんなニュートラルには絶対見てないわけですよ。
甘えって結局そういう話だなって僕はよく思うんですね。
甘えでも、それこそそうだな、愛でも、これはいいんですけれども、
つまり自分が見ている世界はニュートラルであるっていう風に思っちゃってるんですけど、
実はそこに好き嫌いがすでに織り込み済みなんですね。
意識もされないレベルで、だから無意識なんだけど、織り込み済みなんですよ。
だから甘えているという自覚は全くないんだけど甘えていて、
それが満たされないときにそのことに気づくべきなんですね、たぶん。
子供はそこに気づけない、それはしょうがないんだけど、
そして気づくことができないときは、それはそれでやっぱりしょうがないんですけど、
気づけるんだったら気づいた人が気づくべきなんですよ。
これだいぶ最初の頃にですね、倉園恵童さんがユットバイブスのセミナーの中で、
最初に僕が聞いたのはセミナーだったんですけど、
たぶんセミナーで聞いたんだと思う、CVの。
気づいた人が最初に動かなきゃならないから気づいた人が少し損をするような気がすると。
それはイリュージョンなんだけどそういう気がするって話されてたんだけど、
それが全く同じなんですよね。
なんかね、この環境としての母親って言葉もそうなんですけど、
甘えさせるのが親の役割だとして甘えるのが子供じゃないですか。
甘え毒みたいに思われるんですよ。
でも甘え毒っていうのはよく議論になっちゃうわけなんですけれども、
全然甘えてる方は心情的な得ってまずしてないんですよ。
甘え毒だって感じている間は、
要するに快楽原則の世界に生きてるんですけど、
この快楽原則って言葉はなかなか微妙な言葉でして、
快楽原則で生きてる人って苦しいんですよ。
相当苦しいんですよね。いつも苦しいんですよ。
なぜならいつも不快だからなんですね。
快楽原則って人間の心では面白くて、甘えが意識できないって言ったじゃないですか。
甘えが意識できないってことは甘えから快を得てはいないんですよね。
得てるんだけど、得てる自覚がない快ってのは快にならないんですよ。
ありがたいことですって言葉は非常に、
これもドイさんが多分指摘してたと思うんですけどね。
ありがたいことですってのは宗教チックな言葉なんですけど、
非常に甘えの文化ってものをよく反映している話なんですね。
甘えというものに気づいて初めてこれはめったにないことだって言えるわけじゃないですか。
ありがたいことだって言えるわけじゃないですか。
だからご飯が食べられてありがたいことですって言うってことは、
その人は自分の甘えに自覚があるよっていう、
まあなくてもこの言葉出ちゃうんですけどね。
そういう意味だったと思うんですよ。
でも自覚がない人はあって当たり前だと思ってるから当たり前なんですね。
そこに快はないんですよ。
もしないと不快だけあるんです。
だから快楽原則の人は苦しいと、
これは精神分析の本を読んでいるとよく出てくるんですけどね。
快楽原則で生きている人はつらいんですよ。
これが被害妄想的な心理状態、
つまりいつも自分を被害にあっていると言っている人がいらっしゃったら、
この人はかなり苦しいだろうなってまず思ってあげるのが正解なんですね。
いやこの人いつも被害妄想だわって思うのは、
厳しすぎるんですよ。
ここがカウンセリング的物の見方ってやつだと思うんですよね。
快楽原則で生きている奴はずるいって思うってのは、
その人自身が快楽原則に引きずられている感じなんですよ。
快楽原則幸せだろうなって思うってことは、
快に無自覚になるってことを意味するんで、
不快にだけ気づく人になっちゃうんで、
不快にだけ気づく人生って明らかに不快だらけになるじゃないですか。
だからこれは全然得はしないんですね。
でもどうしてもね、この部分って僕ら持ってますから、
先にグッドバイブスやりなさいとか言われるとカチンとくるわけですよ。
私は人生で不愉快な上にばっかりやってるのに、
さらに人の面倒を先に見なければならないというのは、
ひどい話じゃないでしょうかってことになるわけですよね。
これは不快、快楽原則、快感原則かな。
快感原則で生きている人がこの話を聞けば、
当然そういう反応を呼び覚まされるんですね。
子供がよく、今わかんないですけど、
昔、学校なんかであなた譲ってあげなさいとか先生に言われると怒りはしなくても、
子供は素直だからね。
泣きそうな顔になりながら譲ってあげたりして、とても偉いんですけどね。
子供っていうのは快感原則で基本生きてるから、
譲ってあげる言われはないって絶対思うんですよ、コーヒー牛乳とかね。
コーヒー牛乳とか、僕もとても譲ってあげられない子だったんですけど、
今思えばめちゃくちゃ譲ればよかったなと、
これはいかにも大人な考え方なんだけど、
あれはとても体に悪いんですよね。
コーヒー牛乳という名称の水飴ジュースですからね、ああいうのは。
あんまり学校って快感なことって多くはないもんだから、
どうしてもああいう貝丸出しみたいなものに引き寄せられるんですよ。
虫が光に寄せられるように寄せられちゃって、
男子12人くらいにじゃんけんして、
勝ってコーヒー牛乳1個多くもらうとかやってたんですけど、
僕の肌とかめちゃくちゃ良くなかっただろうっていう感じがしますね。
ああいう時僕じゃんけんで結構勝てるんですよね。
あれにも何か訳があるんだと思うんですよ。
同じようなメンバーばっかり勝ってますもんね。
最後に勝ち残るのはいつも似てるんですよね。
まあそういうどうでもいい話なんですけど、
快感原則というのは不快だってことですね。
この快感原則が不快だということは、
僕らがものをニュートラルには見られないという、
一番良い証拠の一つじゃないかと思うんですよね。
よくここに注射しては迷惑ですっていうような張り紙とかあるじゃないですか。
迷惑注射っていう言葉があるじゃないですか。
この甘えの世界ではですね、
特に日本人はこの点すごく文化的に、
だから甘えの文化って言われちゃうんでしょうけど、
甘えの文化と迷惑の意味について
そうではないと思うんですよね。
この種の考え方は世の中のどこにでもあるんだけど、
日本人はこれによく気づいてるだけだと思うんですよね。
迷惑って甘えのある意味対義語ではないんだけど、
ついに近い概念だと思うんですね。
あれも仏教的な多分言葉だと思いますね。
迷うに惑うですかね。迷いに惑うか迷惑。
そうですよね。迷いに惑う。
生産という言葉とよく似てますよね。
考えてみると意味不明な言葉ですよね。
産んで産むってどういう意味なんだろう。
迷いに惑うって完全に幽霊みたいですよね。
迷ったなってやつですよね。
だから迷うというのは甘えられてないっていう意味なんですよ。
ところが本当は惑っちゃいけないんですね。
甘えられてないということは、
あ、そうかって思えばいいだけなんですよ。
自分が甘えられてませんっていうことになったときには、
つまり道路っていうのはですね、
そこに整然と空間が空いていて、
人が渡ってちゃいけないとか、
車が止まってちゃいけないっていうことは別にないわけですよ。
そうですよね。
そこがすっきり空いているべきだってのは甘えですよね。
現実というのはそうなってなきゃいけない理由はどこにもないわけで、
そこを狸とかが渡っている可能性はあるわけです。
この辺は田舎なんでね。
子連れイノシシとかが横切っていることもないわけじゃないんですよ。
見たときすごい恐ろしくなります。
子連れのイノシシとか。
どうすんだよと思いましたけどね。
襲われるじゃないですか。
車の中にいたとはいえ、迷惑なわけですね。
これは迷惑だと感じるというのは、
甘えている証拠なんですね。
物をニュートラルに見ているならば、
道路に狸がいると。
ただそれだけなんですよね。
よく倉殿さんがお話になる表現をとれば、
そこに意味は何もないわけです。
ただただ狸が道路の上にいるというだけなんですよ。事実としては。
だからただただ、
例えばですけれども、
大きな車が道に止まっているわけです。
決して道を塞いでいるわけではないです。
塞いでいるというのは意味付けですよね。
意味をつけている。
ましてそれが迷惑駐車だって、
完璧に意味付けになっていますよね。
これは僕らが、
空いているべきだ。
空いているのが当然だという、
甘えをそこに見ているからというのかな。
なんて言えばいいですかね。
とにかくそこになくて当たり前だという、
そういう感情を持っているわけですね。
感情というか考え方を。
これが甘えであって、
つまり物事というのが、
いつもそう見えているのが、
僕らはそれで当たり前だからニュートラルに見ている。
道路が空いています。
当然ですよね。
当然じゃないですね。
みんながそういう風にするように、
頑張っているから空いているわけですよ。
だからそれは、
甘えと迷惑の考察
要するに、
甲斐なわけですよ。
そこから甲斐を得ないといけない。
ありがたいことだという風に思っておくのが妥当なんだ。
そうは思わないです。
当たり前だって思いますよね。
だから僕らはそれをニュートラルだと思ってしまうんですよ。
で、ニュートラルじゃないから、
それをでっかいトラックが、
ドーンとあると、
道を塞いでいるよ、
という風に考えるわけですよね。
そして迷惑駐車だと思うわけですよ。
この見方は、
すごくバイアスがかかっているということです。
すごい偏見なんですよ、これは。
そこの空間を塞いでいてはならない。
それは道路交通法では、
そう決まっているケースも多々ありますが、
実際に現実にそういうことが
起こり得るわけで、
あってはならない現実だとかっていうのは、
おかしいわけですよ。
しかも僕らは、
あるべき時にはないと起こりだし、
ないのが当然の時にあると起こる。
これがつまり、
ないのが当然のトラックがあったから
起こるわけじゃないですか。
迷惑だと。
逆に、
いてくれて当然のお母さんがそこにないと
起こるわけじゃないですか。
不在の母親対象ですよね。
つまりそういう風に、
僕らはいつも世の中というのは、
私にとって理想的であって、
当然だっていうような、
考え方というものをですね、
見てるわけです。
見ようとしてるわけですよね。
僕ももちろん当然そうなりますよ。
これから完全に解放されるっていうのは、
なかなか、つまり、
この状態、
この状態は抑圧ポジションなんだけど、
徹底的に抑圧ポジションで
いられるわけではないということです。
世の中を徹底的にニュートラルに
見ているわけじゃない。
やっぱり僕の都合に合わせて
見よう見ようと頑張ってしまっていて、
その都度その都度、
ある意味痛い目に合うわけですよ。
迷惑駐車に道路を塞がれたとか、
今一緒にいてくれるべき人が
まだ来ていなくて腹立たしいとかね、
夏暑いのに待たされてるとか、
全部被害的ですよね。
受動的な表現と言いますよね。
慣れているっていう。
塞がれているとか、
邪魔されているとか、
遅れ遅刻されているとか、
すべて受動的なんですよね。
僕らは、
自分の中心にものを見ているということ、
こういうときには、
おおむね、
忘れてないんですけど、
忘れようとしている。
だから特に、
何ですかね、
アクチャル編じゃないですけど、
マスクシュートとかに書いてあると、
これから電光を
涼しくヘアをしてですね、
万能を廃して書こうとした
この瞬間に、
電話がかかってきて、
割り込みに邪魔をされたとか、
思うわけですよ。
これも100%甘えですね。
そうでなければ、
現実がイケになってなければ困るんだけど、
そうでなければいけないという
決まりはないわけですから、
それこそそこに、
割り込みの電話がかかってこようと、
向かいの人がいきなりどなり込んでこようと、
道路交通法で決まってるわけじゃないんですよ。
そういうことをしちゃダメですよと。
私がこれから、
皆さんの原稿を書くときに、
声をかけてはなりませんとか、
日本国憲法とかに書いてないわけですよ。
いいわけですよ、そういうことが起きても。
ところがそういうことが起きてはならないと思ってるから、
やっぱりこう、
自分は
迫害された。
言ってしまえばそういうことですよね。
迷惑なことをされた。
だから甘えと迷惑は
対になると思うんですね。
よく空気を読めない
っていう話をするときも
同じですね。
世の中が、日本ではそのことを
よく言うわけですね。
迷惑な行為という、
つまり他の人にとって迷惑な
行為をしてはダメですよってのは
どういう意味かというと、
例えば道を塞ぐようなところに
ホイッと
車止めといちゃダメですよ、迷惑ですよ
っていうのは、人を甘えさせてあげましょうね
っていうことじゃないですか。
つまり、
必ずしも法律じゃないですよね。
それは犯罪ですよとは言ってないですから
迷惑ですよと言ってるわけですから。
迷惑ですよっていうのは
つまり
甘えさせてあげ損ねますよ
それをやっちゃうという意味ですよ。
道を開けてあげましょうとか
席を譲ってあげましょうとか
席を譲るっていうのは
ちょっと迷惑ってなんないんだけどあれですよね。
いわゆる
優先席に座るのは迷惑行為とかね。
あとはよくあるのが
僕がそれを見かけるのは
なんか
都内のトイレには
あれもそこに段があるのはどうなのか
と思うんですけど
そう書くんだったら
段があるわけですよね。
目の前にちょうどおあつらい向きの
そこに飲みかけのジュース置いていかないでください
迷惑だからってやつですね。
あれですよ。
あれはつまり清掃の人たちを
甘えさせてあげましょうと。
これ医療にもよりますか。
そうは書きませんけどね、絶対。
だからやっぱりでも
道を塞ぐのが一番
例としてはいいですよね。
道を塞ぐと迷惑だと。
迷惑だというのはつまり
迷惑の心理的な側面
そこに通りがかった車が
迷い惑うわけですよ。
霊界を迷うようにですね。
成仏できないわけですよ。
成仏するというのはそこを通過していくんですけれども
成仏できず
迷い惑っちゃうわけですよ。
甘えられないと人は迷い惑っちゃうわけですよね。
だから迷惑なんですよ。
これはつまり
何を意味しているかというと
迷い惑うやつが
本当は悪いんですよ。
これは日本の文化では
多分受け入れられないんだけど
究極的にそういうこと。
だから僕は宗教チックと言ったんですよ。
宗教的にはそうだと。
ここでやっぱり迷ったり惑ったりするんじゃなくて
ここで自分は
甘えようとしてたんだけど
甘えられなかったんだなと。
だから
自分が環境としての母親になって
ここで
自分のやろうとしていることを
滞りなくやるために
一手打とうと
考えられるから
自立っていうんだと僕は思うんですよね。
これを考えられないんだったら
子供ってことなんですよ。
いいんですよ別に子供だって。
甘えられず迷惑だって言ってるだけでも
いいんですけれども
できるんだったらやりましょうと。
そこに損はないはずなんですよね。
お互い甘えさせ合いましょうねって言っている
文化圏に生きているのであれば
そこで
迷い惑ってるんじゃなくて
自分の甘えを
ちゃんと成立させるために
自分にできる部分は
手を打ってやりましょうという
基本それだけのことで
いいはずなんですよね。
これで甘えの世界というのは
ちゃんと成立すると。
ここで迷い惑ってて
大きな声を出すとか
クラクションをずっと鳴らし続けている
というのは結局
迷惑声に対して迷惑声で返す
って話になるんで
これ動向法的に多分ダメですからね。
道塞いでいるトラックがあるから
邪魔だということで
クラクションずっと鳴らしている
っていうのは多分
クラクションっていうのはそういう理由で
鳴らしてはいけないことになってたと思うんで
動向法的にダメだと思うんですよ。
それではうまくいくかどうかは
わかんないじゃないですか。
迷い惑ってるだけじゃないですか。
結局のところで。
だから迷惑があるという
迷惑
なんていうんですかね。
甘えが満たされなかったとき
迷惑がってるだけであると
快感原則から出られなくなってしまうんですよ。
快感原則から出るということが
自立なんだけど
自立するっていうのはつまり
フロイト的な用語を使うと
自立原則に乗って
そういうことですよね。
現実原則ですよね。
道の前にトラックがいて通れないんだから
道変えるとか。
現実原則です。
ここで損をしたとかいうことで
損をするのは許せないから
ここで頑張ってクラクション鳴らすとか
現実的じゃないわけですよ。
だから現実原則ではなくて
それは快感原則だっていう話になるわけですよね。
これが甘えと迷惑の
関係で語るとさっきみたいになるかな
という話なわけですね。
最終的には
現実原則のほうが楽だと思うんですよね。
やっぱり。
ここで損にこだわるという
結局
私はそれは迷いの
一種だと思うんですけど
そうして得をすることが
そんなに楽だとは思えないんですよ。
これはもう
カウンセリングでは出てくるんですね。
必ず出てくると言って
頑張っちゃうというのが
言ってみれば
病なわけですよ。
病と迷惑ってすごい
心理的な話ですけどね。
いい関係だな
っていうふうに
よく私は思います。
これはですね、昨日喋った話の
延長線にあると思うんですけど
昨日の話が受けなかったような気がする。
僕は再生数を見て思ったのが
迷いって思ったわけですよ。
迷惑だと思ったわけじゃないですけどね。
甘えられてないってことなんですよ。
この甘えってのは
そういう意味なんですよ。
数字が45再生とか
いつも100あるのに45とかで
あるのは
意味は別にないわけじゃないですか。
そこに何の
100が45だから
意味の付与
20分の9だっていうような意味はあるけど
ニュートラルには何の意味もないですよ。
ここに意味をつけるんですよね。
だから今日のようなのが
最初がグダグダになるとか
少しずれるとか
熱いせいがあって
必ずしもそれだけでずれてるわけじゃないし
場所が変わってるのも
熱いせいであって
いつもの場所ではできないから
ここでやってるというだけでもあるんですけど
それにしても何にしても
意味はつけてしまうんですね。
意味をつけると
甘えというものが
成立しにくくなったときに
迷惑だと思うわけじゃないけど
これではだめなんだ
これではだめなんだ
やり方変えなきゃいけないんだなと
不意にそんなことを思っちゃう。
その不意にそんなことを
思っただけでは
やり方変えるってそもそも何をするのって話
いつものやり方じゃないやり方をしようとすると
わけがわかんなくなってしまうわけですよ。
しかもその
再生数が減ったというのだって
果たして減ってるのかどうかも
ちゃんと調べないと
わからないわけですよね。
ちゃんと調べてわかるかというと
ちゃんと調べてもわからない気もすると
そもそもそんな意味はないのかもしれないですよ。
みんなもう暑くてですね。
夏休みも始まってですね。
ポッドキャスト聞いてる場合じゃないのかもしれないですよ。
いろいろある場合ですよね。
そこにもね。
だから甘えの話をしては
甘えと自立
ウケないとかいう
意味付けをするのは
はなはだこう
つまり
快感原則なんですよね。
これはまさに快感原則なんですよ。
100あると
これで100あると快感というとそうじゃないんですよね。
100あると
100かーみたいな500じゃないのかみたいな
500とかないんですけど
思う程度なんですよね。
すごい快感だわとかって別に
思わないんですよこれが。
それが45になると
急にこううってなる
うってなるっていうのか
うってならないんだけどね。
僕はこういう時にもる癖があるというか
うまくしゃべれないから変な言い方してるんですけど
でも
小さな不快は発生する。
100だと何も感じないのに
小さな不快が発生するとすると
完全にバイアスじゃないですか。
ここ現実原則的に
いくならば
そんなに500にしたいなら
ちゃんとなるように手を打てばいいわけですよ。
それこそ冒頭言ったとおり
サブスタッフ使うなり
スレッツ使うなりそうしたからだって500にならないでしょうけど
それこそYouTubeでも
発信するのにね
研究会の北信也さんが
動画も撮って
ポッドキャストでも
音声を抽出してってやっていて
結局なんで僕がそれをしないかというと
めんどくさいからじゃないですか。
僕は面倒だなとかって思ってるから
そういうことをしないと。
ここでも快感原則が働いてるわけですね。
めんどくさい
不愉快だと
そんなことを俺がさせられる言われはないぐらいに
そうは思いませんけど
そういう風に思いかねないからやらないわけであって
現実原則にのっとって
ちゃんと
それこそ他のYouTuberさんが
抽出するやり方とか
動画配信してくれてるんだから
見て調べてやれば
できないはずがないんですよね。
それはできるんですよ。
それを結局しないで
500にならないかなと思うのって
これってオカルトじゃないですか。
結局そういうことなんですよ。
自立って
いう話ですよね。
甘えてていいんですよ。
何度も言ってる通りですね。
別に甘えてていいんですよ。
甘えているんだったら
なんていうのかな
甘えのまんま
現実がならなくても
少なくとも
この歳で正気であるということは
それに対して
暴れたりしないと
暴れはしませんが
そこで暴れるというのでは
周りの人が
迷惑をするわけですね。
ところが本当は
もっと究極的に言うと
周りの人は迷惑が
出る場合ではないんですよ。
私を甘えさせてくれればいいわけです。
こういう話って文化的には
成り立たないじゃないですか。
だから僕途中で宗教チックって
言ったわけですね。
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