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2023-06-26 46:32

先送りの4パターン【GMV805】100チャレ編

人には罰したいという欲望がある

サマリー

本ポッドキャストでは、話し手が100チャレンジについて語り、タスクシュートノートやAnkerのヘッドホンマイクセットの使いやすさについても紹介しました。先送りには4つのパターンがあり、焦点は罪悪感に置かれました。また、先送りから逃れる方法や、自罰や多罰から生じる不安や依存的な行動が先送りの原因であることも話されました。最後に、先送りが良い結果を生むこともあると述べられました。

00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
6月26日、朝の7時23分ですね。
梅雨なのか梅雨を明けたのかわからないよ。
まあ、梅雨明け宣言出てないから梅雨なんでしょうし、真夏にしてはまだちょっと過ごせるっていう感じはありますけど、とはいえ昼は暑いですよね。
真朝はまだ全然いける感じなんですけど。
でもここでもこうやって喋ってると、熱中消耗度に入っていくんで、これ暑いんだよなやっぱりと思うんですけど、でも梅雨は明けてないんですよね。
非常に独特な感じがしますね、今年は。
今週同様ですね、もっと楽に仕事するタスクシュートセミナー。
この中で私は、この際だから喋ろうと思ってることが、今日喋ることとも絡むんですが、先送りしないというのについて、もっとタスクシュート的に話せることがまだまだあるなというのを、
最近、逆日チャレンジ影響なんですけど、考えたんですね。
まとめてみると、あんまりこういうことをまとめていなかったな、ちゃんとっていうのに気がつきまして、ここで全部喋ろうと思いました。
あとですね、今手帳編を100日チャレンジでやってますが、ノートっていうものに何を書くかというのも、タスクシュートを使ってると割とユニークに決まってくるっていうのにも気づいたんですよ。
これタスクシュートをやってる前提だから、今までノート術としての話では一切こういう話はしてきませんでしたけど、
タスクシュートベースで考えるとノートって必然的にこうなっていくはずだっていう形があるんですね。
この話もなお盛り込めれば、もうちょっと盛り盛りになってしまうんだけど、そうは言ってもタスクシュートを前提とするオンラインセミナーですから、
おそらくタスクシュートを全く聞かないっていう人はいらっしゃらないと思うんですよ。
だからタスクシュートの説明は、現状私がどうやってるかは喋りますが、割とコンパクトにしてですね、
ここからベースにどうしてこれで先送りというのを防げるようになる。
これはもう僕は確実になるとは思っているんですね、ちゃんとやってれば。
もう一つが、それによってどういうノートができていくか。
私大したノートは全然作ってないんで、ノート術っていうことのものではないんだけど、
タスクシュートノートっていうふうに一つ考えてみることはできるなと。
タスクシュートがベースにあるという前提のノートって、こういう形にならざるを得ないといったものがですね、
出来上がるんだなと私は思ったんですよ。
これプロジェクトノートとはすごく僕は違うものだと思うんですよね。
言うならば、リアルログノートみたいな、そんな感じになるんですよ。
リアルログとそのままコメントを取っていくっていうのともまたちょっと違うんですけど、
ノートからですね、過剰なログ部分を排除して、
先の未来に関する関わるノートはほぼ極力入れないようにすると、
どういうノートになるかっていうのが一つの試行実験があるんですね。
僕これだなって最近思うんですよ。
これをプロジェクトごとに分けるとかをしなければですね、出来上がるんですよ。
常にそれは更新されてなければならないものなんですけど、
ある程度の広がりがあって、そうなんですよね。
ちょっと抜線するようなんですけど、
これはアウトラインで作るのが一番手っ取り早いように思うんですよ。
ところが私、これをアウトラインで作ってうまくいった試しがないんですね。
タクさん、タクピリオドっていう方が書かれているですね。
TAKピリオドですね。
シェイクのノート術みたいなアウトラインに関する話が盛り込まれていて、
紙の本でも商業出版でも出てるんで、
技術評論者さんから確認していただければいいんですけれども、
私、あれを読んで、なるほどなと思ったんだけど、
やっぱり私には合ってないんですね。
タスクシュートノートの使い方
アウトラインでノートを、タスクシュートのノートを作るというのは。
今はそれに相当するものはEvernoteにあるんだけど、
これちょっときちんとした形にしてみようと。
普通に小さなものになるはずなんですよね。
ある程度の大きさになっちゃうかな。
でもそんなに膨大なノートにはならないはずで、
というのは一定期間以下のログはつけといてもいいんですけど、
外しちゃってもいいんじゃないかなって思うんですよね。
幸いEvernoteは可能ですからね、やろうと思えば。
これは別にEvernoteでやらなくてもいいはずで、
それこそアウトライナーでやってもいいと思うんですけどね。
私はなんだかんだEvernoteでやるのが楽なんだなということに
最近気づいて、やむを得ずなんですが、
ちょっとお高くなった料金を支払っているわけですね。
お高くなったと言いましても、さすがに僕でも支払える料金なんで。
確かに高くはなったんですけど、
その分僕は今Twitterブルーをやめてしまってるという、
このぐらいせせこましいことをせざるを得ない状態に依然としてありますが、
だから本当はEvernoteもやめちゃおうかなって本当に思ったんですけどね。
意外にやめられないんですよ、これがね。
いわゆるノートの事情もありまして。
そんな感じで、そういうお話もしますので、
1日にいらしていただけると幸いかなと。
いらっしゃると言ってもオンラインなんで、ご参加いただければありがたい。
今日はその流れで100日チャレンジ編をお届けしようと思っております。
月曜日です。
いつもGood Vibes編から週始めるし、
僕はそれがいいんじゃないかと思ってるんですが、
なかなか思った通りに現実を運ばないという現状が。
あとそうだ、一つこれは言いたかったんですけど、
このAnkerのですね、今僕が使っているヘッドホンマイクセットはとても素晴らしくて、
ヘッドホンマイクセットと先送りの反省
Ankerって何が素晴らしいのかなと思ったんですが、
私の考えではですね、
探知能力が絶大に高いんですよ。
そこなのって思われるかもしれないけど、
もちろんマイクの性能が良いってことも、
ヘッドホンの性能が良いってこともありますが、
私どんなにヘッドホンの性能が良くても、
特にこの暑い時期に耳を覆うせてヘッドホンをかけたことは全然ないんですね。
もはや極力耳に何かは入れないように。
年齢なんですよね、これもきっとね。
以前はそんなこと気にもならなかったんですけども、
耳につけてるのは鬱陶しいと思うようになって、
一切入れないようにしちゃっているんですよ、必要がなければ。
今だから暑いなって思ってるんですよ、耳を覆ってるから。
でもこれは非常に良いんですよね。
Bluetoothの探索機能って、一般的に低いやつは
いつまで探してるんだろうっていう感じがするじゃないですか。
本当にカーステレオとかひどい時はiPhone全く探知できなくてですね、
繋がることになってるはずなのにっていう感じで、
いつまで経っても繋がらないんですよね。
あれなんですよ、ファームウェアのアップデートをバッチリやっておいても
全然ダメだったりするんですよね、本当に。
非常に納得がいかない代物もたくさんある中で、
これは本当にファームウェアなんかは全然してますけど、
しなくてもですね、手近にあるやつを必ず見つけ出してきて、
きっちりした名称で、このきっちりした名称っていうのも大事なんですよね。
Bluetooth製品っていっぱいあるから、きっちりした名称できちっと必ず即繋がるというのが、
そこは一番の売りじゃないと思うんだけど、
やっぱりこういうところが利便性にはすごく関わってくるなとは思います。
繋がるって言ってるものが繋がらないと困るんですよね、結局。
そんな感じで、ちょっとAnker製品のCMが、
これはアフィリエート入ってませんから、
あと多分使うっていう人はマイクを必要とするような方だとは思うんで、
これを聞いてる方にはどのぐらい有益な情報だったかわからないですけど、
いいと思います。
では、無日チャレンジ編ですが、
先送りの考え方
さっき途中も話しかけた先送りなんですね、問題は。
今日は先送りをゼロにするというのをテーマとして掲げてますが、
それで、先日ご質問いただいてこのことをはっきり考えるようになったんですよ。
でも佐々木さんは先送りやっちゃったとしても、
それはOKですって平気で言うじゃん、それはどうなのっていう話なんですけど、
これはもう非常に単純で、
やってしまった先送りについて一切何か考えるべきではないと僕は思うんですね。
この話は今日の話に少し、少しどころか割と絡みますね。
やる前が大事なんですよ、先送りなんても。
ゼロにしたけれどですね。
やった後にこれについて反省するのは、
私は100回やって一理なしだと思ってます。
だから絶対にやらない方がいいと今は思ってます。
ログをレビューすれば先送りなくなるんだったら、
私はその線は捨てないです。
ログレビューしても先送りはなくならないと僕は思う。
だからログレビューというのは全くこの件では有効ではないと。
特に時間が空いてしまったやつはダメですね。
やるならば先送りした直後に先送りをレビューして反省するなら、
そこで取り戻せるはずなんですよ。
いやいや気を取り直してやろうってことになるはずなんですよ。
これができないようなログレビューに意味は全く認められないんですよ。
なぜなら多分違うことを始めてしまうからですね。
まずこれが一つです。
これはあくまでもオプションであって、
そもそもログレビューをすることは先送り対策には僕はならないと究極的に思うんですよ。
ただこれをタスクシュート協会と100日チャレンジで言ってることと
愛に矛盾すると言うならば、混乱するならば私の話は最後にとっておいてください。
同情もなくなったら佐々木の話を聞いてみると。
講座はJさんの話を優先させて、それが何を意味するにせよ。
つまり何を意味するにせよっていうのはですね、
私は彼と私の言ってることは矛盾してないと思ってるんです。
でも聞く人が矛盾していると感じるならば、もうそれは矛盾しているんですよ。
聞いた人の理解ではそうなってるわけだから、理解では足りないとかいう話をしてるわけじゃないですよ。
人は一つの話を全く同じようには聞かないんです、絶対に。
昔これはね、バージニア・ウルフという小説家が言ってたことなんですよ。
一人の美人を描写するには最低25人に描き手が必要だ。本当はもっといりますよね。
だから100人100様の物の見方があるんですよ。
先送りのパターンと問題行動
私は矛盾しないと思うものも矛盾しているのかもしれないんですよ。
客観的な事実があると思ってはいけないんですね。
こういう哲学めいた話がどうして必要になるのかというと、必要になるからなんですね。
必要になるんですよ、こういうことは。
で、先送りというのはですね、私は昔、
グズの人には訳があるという本が、僕はあれ画期的な本だったと思うんです。
先送りをですね、人格障害のポイントから見てるんですね。
極めて早い時期にそういうものが出たんですよ。
今では人格障害、パーソナリティディスオーダーというのは少しも珍しい概念ではなくて、
ビジネス書でもわんさかで出てしまったんですけど、僕あれはあんまり良いことじゃなかったと思うんですけど、
世の中の流行りにケチつけても仕方がないので流行ってしまったんですからね。
しょうがないんですよ。
ただ、あの人格障害というカテゴライズを先送りのパターンにはまってるっていう風に検討して、
心理学者が先送り対策の本を書いたという意味では、
あの文春文子さんだったと思うんですが、あれは画期的な本だったと私は思うんですね。
あれは非常にお世話になりました。
こういうアプローチを取れるんだなっていうのは、やっぱり当時は多分2000年より前だった。
今から見るともう四半世紀前なんですよ。
あれは非常に画期的だったと思うんですが、
今ではこのアプローチはやっぱりさっき言ったような意味でも避けた方がいいと思うんですね。
まず人格障害をここに持ち出してくること自体がどうかと思うのと、
先送りをする人のパターンになっちゃうんですよね。
その人はこういう人だから先送りをするんですっていう、
そういうアプローチにどうしてもあれだとなってしまうと思うんですよ。
先頭の良い内容なんですが、
先頭から始まっていきなりもう性格分類のためのアンケート調査が入っちゃうんですよね。
あれは引きが強かったとは思うんですけどね。
だから本としての成功という意味では良い本だったと思うんですけれども、
これを人のカテゴライズにやってしまうっていうのは、
最終的にはちょっとあれかもしれないなという感じは僕は抱くと。
で、冒頭が完璧主義者のグズ人間って書いてあるんですよ。
この人間はやっぱりカテゴライズしちゃうんですよね。
完璧主義者って言ってるのはですね、
オブセッシブって言いたいんだと思うんですよね。
多分ですが脅迫症型の人格障害だろう。
そういう先送りのタイプがあるよと。
ここのタイプ分けは先送りそのものに向けるべきだと思いますね。
人の人格とかをこれで分けるのではなくて、
人格障害のカテゴライズはいわゆるDSMというですね、
そういう精神障害バニュアルにもあるんで、
これはもう世の中にそういうものがある以上、
これにも極めて権威が高くなっている以上、
これにもケチつける気はないんだけど、
これを先送りの人のカテゴライズに当てはめる必要はないと自分は思います。
先送りというのを繰り返される先送りだけは問題にして、
つまり私が言いたいのはこういうことなんですよ、もう一つ。
さっき先送りしても全然構わないと言ってしまうというのは、
先送りというのは1度や2度やったからってなんてことはないんです。
ここもJさんそういうことは言ってたと私は思うんですね。
同じ繰り返しになるところからケースによっては、
社会行動としての問題行動にはなり得る。
ややこしいこと言ってるようですけど、
要するに繰り返して約束を破るのはちょっと問題が起こりますよねという程度です。
この繰り返しにパターンが見えてくるんですね。
人のパターンではないんですよ。
先送りのパターンなんですね。
先送りには私は特に問題にするべきというか、
問題にするべきはこの4つのパターンだというのを、
はっきり意識するようになりました。
1つ目が4つあるというのは、4つとも同じような原因なんですが、
1つ目が一番分かりやすい形を取りたいので、
1つ目は特殊ですが、多発としての先送り、
つまり他社を罰するために先送りをする。
これが一番問題行動になるだろうな。
しかもこれを繰り返すパターンですからね。
繰り返すというケースが一番問題になる。
これはそういう人だからやるんじゃなくて、
そういう人だからやるんじゃないと私は思うんですよね。
そういうパターンがあるんだと思うんですよ。
簡単に言うと、
人に頼まれたことを先に送ることによって、
その人にリベンジしちゃうんですね。
こういうことは起こるし、ちょっと起きてるんですよ。
ここにちょっと僕は精神分析を絡めたいんだけど、
あんまりややこしくなるかもしれないので、
今日はそこまで行くかはありませんが、
まずとにかく意識してほしいのは、
これは茶を罰してるつもりになってるんじゃないか、
という先送りです。
この仕事を可能ならばやらないことによって、
頼んできたやつに意思返ししたいんじゃないかと、
頼んできた人を攻撃したいんですね。
非常に短期的に言うならば、
割り込みを放置しておくっていうのも、
この種の先送りに私は数えられると思う。
これも一度やりるならしょうがないですよ。
忙しいのかもしれないですね。
でも毎度毎度毎度毎度これをやるというのは、
大きな問題だと思うんですね、ある意味では。
子供を巻き込んだ先送りのパターン
これは一番わかりやすいので言うと、
子どもの頼み事を全部これをやるっていうケースがあるんですよ。
限りなく精神的にはニグレクトに近い状態を生み出すんですね。
子どもがあれやってって言うと、
昔の親って割とそうでしたけどね、
後でと言ってしない。
これを1000回とかいうオーダーでやる。
こういう先送りがあるんですよ。
旅行を連れてってまた今度ね、みたいな。
これを繰り返し繰り返しやると。
ここで言ってるのは子育て論では全くないので、
これと同じ心理が相手が上司であろうと、
奥さんであろうと旦那さんであろうと発生し、
しかもこれが無意識に潜り込むことがあるんですね。
自分では必ずしもそういう意識はないんだけれども、
この先送りをすることで復習心を遂げると。
結局相手がやってほしいことはいつまで経っても実現しない。
ざまあみるみたいな感じ。
これ多罰としての先送り。
まずこれを先送るときに、
僕は最初に意識してみるといいと思うんですね。
というのは多分この意識を持ってやってると思ってる人は、
ほとんどいらっしゃらないと思うんですよ。
やっぱりめんどくさいなというのが先送りの原因だと思ってるし、
どちらかというと多罰よりは自罰で、
自分は先送りなんかしてダメ人間だみたいなことを言うんだけど、
でもこういうふうな隠れ身を使って他人を罰してるというケースは少なからずあるんですね。
だからこれをしないことによって一体誰が困るんだろうという観点で見てみてほしいんですよ。
その人を実は困らせたいと思ってないか。
少なくともその人好きになれないなと思ってないかということを考えてみてほしい。
例えばよく世の中で言われる、実は私は全然ないんだけど、
確定申告の書類を用意しない。
これは用意する相手を好きかどうかというと嫌いだって思ってる人は少なからずいらっしゃると思うんですよね。
税務署嫌いだみたいな。
いや別にそんな全然不思議な話じゃないですよね。
税務署のために書類用意するなんてのは先に送ってやりたいと思っていても、
そんな別に不思議なことではないと僕は思うんですよ。
だからあの作業が大変というよりは、これによって税務署というものに対してリベンジを果たせると思っているというのが、
実はさっきの子供がどっか連れてってって言ってる。
つまり子供の頼みを聞いてあげないということは、子供にどこか憎しみを抱いていても不思議はないと思うんですよ。
これも僕はですね、こういう話をするとひどく罪悪感を持って子育てになってしまうっていう話をされる方が結構いらっしゃるんですが、
私はそれがどうしていけないのかがわからない。
私は非常に子供のことが好きですが、子供に憎しみを抱く可能性というか、憎しみを抱くなんてことはしょっちゅうありますよ。
なぜなら好きだからですよ。
愛と憎しみの関係と先送りの心理
これはよく言う話ですよ。いわゆる好きの反対は無関心みたいな話ですよ。
でも好きの反対は憎しみでもあるんですよね。
好きだとどうしてもそういう態度、そういう気持ちっていうのは生まれてくると僕は思うし、
私の親はしばしば私を憎んでたと思うんですよ。
これはもうしょうがないことだと思うんですよね。
私はそのことに傷つく理由はないと思うんですよ、やっぱり。
2歳とか3歳の時はダメですけど、傷ついちゃいますけど、
もう10歳過ぎてからは親が子供を憎む可能性はある意味ではですね、非常にチンプな例えをするならば、
いやもう寝てたいのにさ、なんでこの雨の中病院に連れていかなきゃならないわけっていう憎しみが抱かれ、発生し得るじゃないですか、当然。
で、その場合、子供を病院に連れていかないで済むならば、この憎しみに発生する理由がないんですよ。
これが完全に赤の他人でですね、3キロ先の誰々さんが病気になりました。
雨の中起きて病院連れていくかって連れていかないですよね。
これは結局のところは愛情の対象だから腹が立つってやつであって、しょうがないと思うんですよ。
ここがね、ことさら問題になるっていうのは僕にはちょっとよくわからないところがあるんですよね。
ドステフスキーが得意中の得意としたテーマで、ある意味ドステフスキーの小説って全部このテーマで読み解けるっていうレベルなんですよ。
レベルっていうか、レベルは高いんだけど、要は愛と憎しみの区別がつかなくなるっていう、
これは本の中で自分のテーマについてバンバン書いていくから、愛と憎しみについて区別がつかなくなるってしょっちゅう書いてるんですけど、
そんなほど書かれなくたって、あの人の小説読めばですね、それのオンパレードじゃねえかって感じが、
よっぽど彼自身はこれで悩んだんだろうなと思ったんですけど、
後でいろいろ読んでみるとロシア人ってそういうところがすごい強いみたいな、
ものすごくこう、なんて言うんですかね、愛情を、
ロシア人のエモさと罰する欲求
ロシアって言うとなんかちょっと違う、連想されちゃうかもしれませんけど、ものすごいですね。
昔の小説読んでるとこう、なんて言うんですかね、エモいんですよね。
日本人の想像するレベルをはるかに超えて激しいんですよ、その種、その傾向が。
そういう人々なんだろうなって思います。
あれだけ寒いからなんですかね。
私はいずれにしてもああいう日本の人ってあんま見たことがない。
エモい人は日本でもいっぱいいますけど、ロシア人とそれってのは、
もうなんか完全に日本だったら正気とは見なされないだろうなっていうレベルで、
みんなこれやってますよね、割と。
だからそれがテーマになるのはわかるんだけど、
僕はもっと穏やかにこの問題は対応できると思うんですね。
まあいいや、とにかく話がちょっとずれましたが、
多発としての書き送りというのを一応意識してみると、
これは僕は全パターンではないと思うので、
常にこれが出はまるとは思いませんが、
それでもこれを意識してみる価値はあると思いますね。
2つ目がこれをひっくり返したやつなんですね。
自発としての書き送り。
これはもう大いにですね、
これからやろうとしていることがめんどくさい人。
そのことを面倒だと思ってしまう自分に罪悪感を抱き、
そうなって自己分裂を引き起こして、
全くやりたいと思えなくなってしまうという、
それについて考えただけでも気分が重く沈む。
多分ですね、そういうことを何度も言いますが見越してですね、
先ほく100日アレンジでは1分でも着手すると、
特にJさんがあれほど強調しているわけですね。
1分でも着手するというのを強調するというのは、
何回も言った記憶がありますが、
1分すら着手できないという事態を、
いつか認識しなければいけないから。
そんなことが起こるとするとですね、
感情的な要素がそこにはまり込んできているのは、
ほぼ間違いないと思うんですよね。
1分着手なんて普通にマイルドにやってたら、
よほどひどく苦しみを与えられることでない限り、
やれるに決まっていますよ。
そんな、
確定申告の書類を用意するのに、
1分着手するのもできないなんてことは考えられないですよ。
極端な話、銀行コーナーでプリントアウトとかすればいいんですから。
それはしないって人もいっぱいいらっしゃると思う。
なんならPDFを出力するっていうのでもいいんですから。
多分それが、分かりませんけどね、
推しのイケメンの写真とかならするじゃないですか。
何の苦労も。やること全く変わらないですから。
あるいはボタンを押すだけですからね。
押しもしないですよね。クリックするだけなんで。
できないはずがない。これができないというのは、
やりたくないんですよ。どこかの理由で。
やりたくない理由が2つあって、1つは他者を罰したい。
でなければ自分を罰したい。どっちかなんですね。
自分を罰するということは、
自分に罪の意識があるに決まっているわけですね。
自分、何か悪いことをしたから自分を罰するんです。
これが、長寿がって言いたいんですけど、
この言葉は一旦飛ばしておいて、
とにかく自分が何か悪いことを思った。
思ったんですよ、この場合。ほとんどは思った。
ないしは先送りした。だから私としては、
過去の先送りをほじくり出してですね、
それについて反省するのはダメだと思うんですよ。
ここで罪悪感を持つから、自分を罰したくなり、
結局自分を罰してしまって、
自分はダメな人間だとか、信用できない。
これは大きいと思うんですよね。
今日はこのタスクをできたけど、
明日はやれるか信用ならないから、
ここで集中しようとかいう変な、
自罰と他罰による先送り
これを人は過集中と呼んでるらしいんですが、
全然これを過集中と呼ぶ理由はないと思うんです。
これはただ不安になってるというだけなんですよね。
不安心理で何か熱っぽくなっちゃってるっていう感じがします。
熱くなっちゃってるって感じがしますね。
本を書くときとか全然いらなくて、
むしろこういうのは邪魔にしかならないので、
こういうのを一つ一つやめていく。
だから多罰か自罰かっていう風に考える。
自罰の場合、絶対悪いことをしているって意識がそこに入っています。
何らかの悪いことをしているから罰するんですよ、自分を。
責めるんですね。
だから何回も先送りしてるとかいうカウントしちゃいけないと私は思います。
それは自罰を生むって必ず生みますよね。
何回もしてしまっているっていう言い方をしてるだけで、
それはもう自罰ですよ。
嫌な思いをしてるわけだから。
やったことが悪いと認定して、嫌な思いをして、
自分を責めてもっと嫌な気分になるというのが、
全部タスクに絡んじゃうんですね。
こういうことをかけらほどもしない方がいいと思うんです。
やることはそのように、
自分を罰するとか他人を罰するとか、
罪の意識を持つべきだとか持つべきでないとかいうことと
何の関係もないことなんですね、もともと。
そういう話をする私はドライだとか言われるんですけど、
言葉ドライで済むんだったら、この種の話はドライに徹するべきだと思います。
やろうとしているのが確定申告の書類だの、
掃除だの、どっかの整理だの、
メールでの返信だの、
いかなる理由でも感情的になることにメリットはないので、
なってしまうんだって話をされるんですよね、ここで。
だからこそ私はそこのまず罪悪感にだけ焦点を当てるべきだと、
焦点化するべきだと思うんですね。
人は罰したいという欲求を持っているっていうのを忘れないようにしたいところ。
4つのパターンのうち最初の2つが自罰と他罰、つまり罰なんですよ。
罰したいんです、そういうところがあるんですよ。
罰すると何かが良くなると思ってしまっているんですね。
これを何とかというか、これを自覚しないと、
いきなり嫌な気分にだけなった気がしちゃって、
このタスクをやろうとするたびに嫌な気分になるからできないという、
そういう流れになってしまうんですね。
罰する欲求と不安
そうではなくて、自分は処罰意欲を持っているんだと思ってもらいたいですね。
それを罰したいと思っているんだと。
その人の対象の中に自分も含まれるんだと。
だから何かにつけて罰を振りかざしたがっていて、
自分で自分を罰すると自分が傷つくんですよ。
そうしてやる気を失うと。
この流れを片時も忘れないようにすれば日送りなんて自然となくなると思うんですね。
今の私のような話にも納得いかないという風な言い方で私を罰したくなるんですよ。
そういうケースが多々あるんですね。
それぐらい僕らの罰したい要求というのは根深いんです。
この根深い罰したい要求は、
元を正せば罰するとうまくいくっていう、
罰するとすっきりとことが片付くというんですね。
実際、怒らない話という話をすると必ず反論出ますもんね。
子供が危ないことをしたらどうするんですか。
これは子供を罰すれば危ないことをしなくなるという意味で、
良いことが起きるっていう風に思ってるじゃないですか。
かつて罰された時もそうやって自分で納得したということがあったと思うんですよ。
私が危険なことをしたから親は怒ってくれたんだと。
ありがたいことだと。
そうして処罰意欲というものを肯定的に捉えるじゃないですか。
そういうことをすると必ず次に起こることがですね、
罰はいいことだっていう感情を抱くようになるってことなんですよ。
罰すれば事態がすっきりと片が付くっていう風に感じてしまうんですね。
実際私は娘が怒るってことは、今特にほとんど全くしないですけど、
3、4歳の頃には怒んないとダメじゃないっていう、
ここに相手の人が言ってくださってるのはですね、不安だってことなんですよ。
あなたの子供がそれで危険な目にあって死んじゃったりしたら不安じゃないか。
変な食べ物を食べてお腹壊したりしたら不安じゃないか。
毒キノコとか食べちゃったりしてね。
あるいは、ろくでもない人になって将来犯罪でもやる不安はないのかとか。
例えば私はうちの娘が何時間もゲームして奥さん怒るんだけど、
奥は基本的に怒らなくても全然いいという風に思うんですよ。
やっぱり怒るというのはですね、不安なんですよね、この場合は特に。
こういう時に怒ってじゃあ勉強を始めますみたいな、
なかなかうちの子はそうはならないですけどね。
勉強を始めますというと、何かこういいことが起きたように僕らは感じるわけですよ。
安心してしまう。
だから安心が欲しくなると何かを罰したくなるという変な癖がつくと思うので、
お子さん怒るか怒らないかはここでは論じませんから、
ここはもう各々の子育て論で行かれればいいと思うんですけど、
先送りに関しては罰は基本的にはさっきも言った百害あって一理なしだと思いますね。
罰によって自分の先送りがなくなるというぐらいだったら、
もうとっくに世の中から先送りってなくなってますよね。
だって先送りと自責の念ってもうワンセットですもの。
自責の念を抱くということはすでに罰されているということなので、
この話は先週何度かした話なんで繰り返しませんが、
自責の念を抱いたとか罪悪感を抱くというのはすでに罰されたということなので、
これで先送りがなくなるならもうなくなってるから、
先送りの本なんて一冊たりとも売れないんじゃないかっていうぐらいな気がします。
でも僕のだって先送りだけをテーマにした本が累計で30万本売れたんで、
いかにこう罰というのが何の役にも立たないかということをこのテーマに関して、
効果ゼロだと思いますよね。
ここまでが2つのパターンですね。
残りの2つはここから派生するんですけれども、
当然のことながら罰される不安、あるいは罰する不安というのがあります。
だいたい税務署罰したところで税務署は許しちゃくないんですよ。
税務署に意思を返したところで税務署は許してはくれないんですね。
奥さんの頼みだって同じで、
頼んだ用事を先送り先送り先送りして、
欲打つ不安と先送り
その時はいい気持ちになるかもしれませんが、
いずれ良くないことが起こるという不安が起こるじゃないですか。
これを専門用語で欲打つ不安と言うんですけれども、
いずれにしてもこの不安が非常にその人の気持ちに重くのしかかってきて、
いわゆるこれは先送りを繰り返すことが不安だから先送りを繰り返してしまうという心理状態。
これを生むんですね。
結局これは自罰と多罰から来るものなんで、
新しいパターンとして検討しなくてもいいようなものなんですが、
実際にはもうここまで来てしまってしばらく経つとですね、
元々の何でこの不安が発生したのかを見失うんですね。
カウンセリングとかで臨床心理の専門家であれば、
欲打つ不安の何たるかはよく知ってるから、
この人はどこかで自罰したなんて必ず分かるんだけど、
僕らは素人なんでそんなことは分かんないですね。
一歩間違えるとただ不安になってる気がしちゃうんですね。
漠然とした不安とかって言うじゃないですか。
これらはおそらくそのルーツが見えなくなっている不安というのはですね、
すべてさっきの自罰か多罰を元に持ってるんですけど、
もうあまりにもそれを過去にやり、
しかも繰り返しすぎて分からなくなっちゃっていると。
欲打つ不安的になっちゃってると。
ただ非常にはなはだしい方に至っては、
今日頼まれました、それだけで不安になってしまうんですよ。
今日仕事を頼まれた、納期は1ヶ月先だと。
自分はこれをずっと先送りにして、締め切りを破って、
上司にすごい嫌味を言われて、
死にたい気持ちになるんだろうなというのが一気に走ってしまって、
それだけでもうその仕事に見るのも嫌になってしまうという事態が起こるんですね。
これは非常に極端なケースですけれども、
それに近い、つまり自己不信と他者不信と、
世の中の宿命の不信と、そういうものが一気に紛失してしまうんです。
思うにこういう方にですね、
とって仕事術なりライフハックはしばしば福音になる2つの理由があります。
1つはライフハックを語っている人というのは、
そういう心理を何らかの形でやっぱり整理をつけてから本を書くので、
本を書けるって事はそういう事なんですよ。
やっぱり一冊の本を欲打つ人の中で書けっこないんですよ、今言ったような事情で。
つまりまず本を書いている著者のトーンというもの、
まあ編集さんの手も入ってますからね。
それが上手く書けているとか、
まずく書けているという事が関係なく一冊仕上がったという事は、
一定の楽観主義というのがそこに楽観的な感じというのがですね、
そこに漂ってるんですね。
だから読むだけでまず落ち着くという効果があるんです。
僕はビジネス書で一番確実に得られる効果の1つはこれだろうなと思ってます。
特に横座の入口付近にいて、
あまりこう著者に食ってかからないというタイプの人が素直に読むとですね、
何となく不安だったのが何となく何とかなるんじゃないかという気分に持っていかれると。
そこで書かれている方法論云々というよりは、
そこにある長所なんですよね、1つの。
やっぱり本一冊書き上げるには数ヶ月から、
ケースによっては1年以上というスパンで同じプロジェクトを完成させなければならない。
ここにはですね、結局楽観、ある種のほぼ無責任な楽観みたいなものが必須なんですね。
なければ多分これ書かれなかったら労働に迷うんじゃないかとか毎日毎日思っていて、
本を書けるものではないんです。
あるいは書き上げられるようなものではないんですね。
自罰と多罰から生じる不安
書き上げたってことはやっぱりそこには楽観的なムードってものがその人の心にありまして、
それを読めばですね、横座の一番効果があるんですよ、効き目があるんですね。
で、プラス、他の抑圧不安に対してライフハックが有効ということはですね、
つまり先の見通しを得られたような気がするからなんだと思うんですよ。
今までさっき言ったような、ホラー映画みたいな、
毎日毎日書き送りし、毎日毎日ゴミをどんどん貯めてって、
ゴミ屋敷の中で相手にされなくなってロトに迷うに違いないみたいな、
そういう非常に極端でむちゃくちゃなストーリーの代わりに、
きちっとエヴァノートなりのアレンダーを使って、
この日にこれをやる、この日にこれをやる、
なんかなんていうんですかね、きれいですよね。
代わりに見るイリュージョンが、気分がいいわけですよ。
これだけでも有効なんだろうなと思う。
ここの方法の云々では、多分ここはないんだろう。
だからそれでうまくいくならそれでいいんですけれども、
さっきも言いましたが、まず多抜を何としても防ぐっていう、
こっちの方が本当は有効なんだけど、今喋ってて地味だなと思ったんですね。
地味なのは具体的に何かをするってことがないからなんでしょうね。
でも多抜をしないっていうのは具体的に何かができるんですよ。
今言ったように多抜が一番最初に来て、
これが私たちの不安を大いに煽るんですね。
当然なんですよ。
なぜなら人を攻撃してるから、逆襲をされるかもしれないという不安なんですよ。
これをやめましょうということですね。
不安であるならは特に。
最初私はよく自罰をやめれば不安から逃れられると、
それは当然そうなんですけれども、多抜をやめないと当然無理ですよね。
だから実はここで100日チャレンジでしばしば僕が毎度毎度は言いませんが、
割り込みと考えるのはやめて、
これはフラザノヘゾって方のGood Vibesでお話しされていたことなんですけど、
割り込みと考えるのはやめて、なるべく依頼には速やかに対応すると。
そうしないと先送って攻撃することになってしまうので。
そういう意識って働いてるはずなんですよ。
こいつの後に回そうみたいな、何割り込んできやがったんだみたいなそういうね。
この意識が最終的には自分の欲望を生み出すんですね。
生んでしまうんですよ。人を攻撃したんだから。
逆襲されるという不安が、そこ賢でそれも発生するじゃないですか。
そこ賢で先送りにすれば。
だからまずそちらの対応をするようにすると。
そうしていけばですね、そんなに逆襲される理由はなくなっていくわけだから、
むしろ行為をもって迎えられるじゃないですか。
そうすれば人から依頼されたということが、
将来の自分の欲打つに直結するのだということはありえなくなると思うんですね。
これが罰というものを手放す、非常に大きな罰ですかね、
他に変えがたいものだと思います。
LIFACだとその方法が確実に有効でないとその人にとって作用するということが確信されないと、
多分効果を実質生むのは難しいと思うんですね。
欲打つ不安に苛まれている時にはどんな方法もほぼ効果を発揮しないので、
僕は先に欲打つ不安を何とかするべきだと思うんです。
だから自罰と多罰をやめていきましょうと。
多罰は当然先送りになるし、自罰も当然先送りになるし、
両方合わせると不安でですね、長期的に手のつかない状態というのを作り出すので、
これをやめると、これが3つ目のパターンですね。
ルートに罰があるのを見失っているという状態、あるいは麻痺してしまっているという状態です。
あんまりにも罰を繰り返しすぎていて、もはや罰しているという意識が全くないまま、
反自動的にやっているような感じがしている。
でも罰は必ず罰したいという欲望とともにやるものなので、
無意識にただ自動的にやるなんてことはないというふうに思っていただいていいと思うんです。
最後のここの派生系なんですが、最後のがちょっと違っていて、
抑鬱不安から逃れるために死壁に走るという、依存ですね。
一番極端なのがアルコールだと思うんだけど、このケースは少ないと思います。
そんなに深刻な話じゃない。
でも抑鬱不安というのは非常に嫌なものなので、
先の先の方でどうせ怒られるんだろうみたいなのがいい気分のはずはないので、
そしてそれを見るたびにそう思うから、それを見る代わりに読みたくもない漫画を読むという話が始まるわけですね。
これが4つ目の原因ですね。
死壁と言いたいんですけれども、依存的な何かですね。
非常にマイルドに言いますと、被害者意識、
この言葉がすでに全然マイルドじゃないです。
依存的な行動と先送り
でも被害者意識が依存症的なものを生むということです。
これは先送りの中でも一番特殊な形に見えるもので、
先に何かを送る代わりに何かをするんです。
やってることが立ち向かいに行くとかだと自分でも分かりやすいんだけど、
まず依存かどうかが分かりにくいものを選ぶケースと、
最も分かりにくいのは代わりに何かの仕事をするというやつなんですよ。
死壁としての仕事っていうふうに私はよく思うんですが、
要は例えばそうだな、原稿書きたくないので、
あるいは原稿を書こうとするとよく不安に苛まれてしまうので、
原稿を書く前にメールチェックしようとか。
これでメールチェックを、仕事なので分からなくなってしまうんですよね。
これで完全に自分が何をしているか。
僕はこれは依存に近い何かだと思うんですけれども、
メールチェックをして、やれやれ自分仕事してるし、
サボってるわけじゃないなっていう報酬を得てですね、
まんまとやりたくないことというか、
意識すると不安になるやつを意識せずに置くという、
一種の現実逃避なんだけど、
逃避先が仕事ときているために、
現実逃避というふうに本人が意識せずに済んじゃってるというやり方なんですよ。
いろんな仕事をすることで肝心の仕事はしないっていうね。
こういうのがあります。
これのですね、もっと極端なバージョン。
これを岡野潤さんがコミックでも書かれてるんですけど、
仕事をわざわざ取ってくるんですよ、これのためにね。
自分がしなければならない仕事をしたくないがばっかりに、
他の人の仕事を引き受け始めるという。
これはですね、フリーランスの場合しかし、
本当にそれがいけないことかどうかはもう分からんのですよね。
だから先送りは先送りそれ自体が悪いとは言えないと僕は思うんですけども、
例えばそうやって取ってきた仕事で、
先送りの可能性
いやいやそっちがメインの収入源になるほど素晴らしい仕事で
うまくいっちゃってるよっていう場合もあり得るんですよ。
会社員の方の場合はそういうことは起こらないかもしれない。
サラリーが決まってるから。
でもフリーランスならいくらでもこんなことはあり得るんですよ。
絶対やらなきゃいけないと思っていたあの仕事を先送りにずっとしていたら、
違うところで大儲けしてもともとのはいらない仕事になっちゃったっていうのがあり得るんですよ。
で、それが悪いことかっていうとそうは言えないと思うんですよねやっぱりね。
だからアクチャレに参加している方にもフリーランスの方も個人事業主の方も
実業家の方もいらっしゃると思うんで、
ここはこれ自体が先送りすることによって全てがうまくいきましたというケースが起こり得ますと。
私は現にそういう経験をしたことがないわけではないので、
これに関してはですね、そういうこともあり得ると思っておいていただければいいかなと思います。
罪悪感と行動の関係
ただあからさまに死壁に走っていると、
例えば私の場合極端に言うと、
現行化企画内からファンザ見てますみたいなのは、
掃除で問題行動という風にならざるを得なくなっていくことが多いと思います。
大事なのはここでもやっぱり罪悪感のやつで、
自罰をするからこれをしたくなるんですね。
自罰されずにすぐ何か甘い対象に飲まれる。
これが後々時期の変を生みがちなんですよ。
現行化区代わりに5時間ファンザ見てたわみたいな。
みんなこの言い方をしているだけでもう罪悪感じゃないですか。
つまりこの言い方をしている段階でも自分を罰しちゃってるんですね。
その後にじゃあ5時間見たから戻って、
現行化化ってかけないんですよね、この場合。
これが1分も着手できないのからくりなんだと思いますね。
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