バロックの導入
はい、特集.カルチャープログラム NOIZ NOIZ NOIZ FM、パーソナリティの暗黒編集者大久保淳です。本日はこの第3回になりますけれども、暗黒ワクワクワク者小学2年生の後藤守さんをお迎えして、この洋書がヤバい第3回をお送りしたいと思います。今日はどうもよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
第1回がハリー・スミス、第2回はゴシックだったわけなんですけれども、今回は何でいきましょう。
今回は、前回みたいにテーマもんですね。今回はバロックです。
バロック。
僕のマイブームですね、バロック。寝ても覚めてもバロック。夢見る内容もバロック。自分のミドルネームもバロックみたいなぐらいバロックなんですよね。
ミドルネームつけましたか。
音をバロック守るネームなんですよ、今は。
国字音楽誌って本を僕書いたんですけど、あれはアフロマニアリズムってテーマだったんですよね。
マニアリズムとバロックってはすげえ近接概念なんですけど、要するに60年代の美術史とかでは異端芸術でしょ、みたいな。
雑な認識であったんですけど、オタクとサブカルすげえ分ける人っているじゃないですか。
うかあさんですけど、アイドルと仕事できるのがサブカルでできないのがサブカルチャーとか、いろいろうかあさん分けてるんですけど。
ただ、うちの後藤英子って批評家がいますよね。
うちの母親ですけど、あの人が、いやー、あんたもうオタクみたいなこと言わないでそんなーって。
俺何やってもオタクなんですよ、基本的には。
母親から見たら全部オタクで。
つまり世間からしたらオタクとサブカルの違いはどうでもいいんですよね。
要するに世間に興味ないものを掘っている人だという感じで。
バロックとマニュアリズムの対比
変な詳しい人くらいの感じですよね。
その意味では、バロックとマニュアリスムの違いなんて世間からしたらどうでもいいことナンバーワンだから。
なるほど。
当事者であればあるほどこだわってしまうという山入れですね。
デスメタルとブラックメタルみたいなね。
そうですよね。
そういう当事者にしかわからない屈折した心理っていうのがありまして、
でも僕は非常に簡潔にバロックとマニュアリスム分けられると思ってて、
バロックを一言で言うとバカですね。
バカ。
なるほど。
バカに。
バロックとマニュアリスムの違いは、
バロックとマニュアリスムの違いは、
ちょっと用意しなかったけど、
エフェニオドールスって人が20世紀の初頭にバロック論中のを書くんですけど、
スペイン人です。
この人。
この人。
この人が、
この人のインタビューを聞いて、
この人のインタビューを聞いていて、
この人がインタビューを聞いていて、
この人のインタビューを聞いていて、
20世紀の初頭にバロック論というのを書くんですけど、スペイン人です。
この人が、バロックは17世紀に出てきた芸術という感じじゃなくて、
もう歴史的に繰り返されてる悪趣味カルチャーですって言っちゃったんですよ。
それが結構バロック復活宣言みたいになって、
バロックっていうのは、ある種古典主義的な語りができたら、対抗軸として出てくるものだっていうことですね。
だから歴史的に常数的に繰り返していくっていうバロック感で、
これはグスタフル・ネホッケが書いた、迷宮としての世界もマニュアリスムがグルグルサイクルしてるって感じで。
古典主義との対立としてマニュアリスムっていうのを打ち立ててる本ですけど、
そこでマニュアリスムとバロックの違いっていうのはどこになってくるんですか。
あのね、マニュアリスムはやっぱり主に知識と書いて出地主義って感じですけど、
つまり教育の問題が入ってくるっていうか、難しい言葉で言うとマテーシスとエンジニアリングが入っちゃうっていうか、
今日、高山博史が授業中に配るプリントを用意したんですけど、
高山さんってこういうプリント授業中に配るんですよ。
これ、高山さんの配ったプリントの中では悪名高いポケモンが入ってるやつですね。
ポケモンの会社に注意されたんじゃなかったっけかな。生徒が勝手にSNSにあげて。
これですね。
まあでも教育で使うのは著作権使用とは扱いが違うはずですけどね。
これは高山さん明確にバロックを狙ったページフェイスなんですけど、
要するに文字の説明が全くなくて、絵でガンガンガンガンってくる感じ。
裏側もあるんですけど、逆に漫画の説明をインフォグラフィックスにしてるんですけどね。
高山さんがどっかで知ってきたやつなんですけど、こっちはマニュアリズムと言っていいですね。
つまり、両方ともビジュアルを最大限に活用しているのですが、
こっちはマニュアリズムで、やっぱり人に何かを叩き込むとか教育するとか、
知的な喜びが入ってくるわけですよね。
エンジニアリングの操作が入ってくるわけで。
松岡誠吾さんの情報工学の工学の部分が入ってくるわけですよ。
ちゃんと整理させる。こっち整理されてないわけですよ、あんまり。
バックがこっちなの。
どっちが楽しいかっていうのが、この人のセンスを問うというところがあって。
高山さんなんかはやっぱりバロック嫌いってずっと言ってますよね。
気持ち悪いっていうか。
今日紹介する本の一冊に関してはもう吐き気が、ヘドが出るって言ってましたね。
それぐらい高山さんはバロック嫌いで、要するに知性が介入しない領域って嫌いだって言うんですよ。
早速本を紹介したいと思うんですけど、いきなりこの本行きましょう。
The Triumph of Vulgarity。
タイトル、俗悪の勝利。
これやばいっすよね。
これ、実は僕が生まれて初めて習得した要書なんですね。
これはやばくて。
副題がロックミュージック in the Mirror of Romanticism。
ロマン派としてロックミュージックを読み直すみたいな本なんですが、
ちょっと狂ってて、オカルト思想で全員がつながっていってしまうっていう、
全員がフラットな民主主義を達成してる。
この本で言ってるけど、ライブとか行くと何万人単位で一平面にいるわけじゃないですか。
階級とかもなんもなく。
あれが俗悪の勝利だっていう本ですね。
俗悪でみんなつながろう、俗悪でみんな平和になろう、みたいな。
そのロマン派のオカルトビジョンを、ロックは再び20世紀に蘇らせたみたいなので、
いろんなロッケンロールを辿ってる本なんですけど。
高山さんに大学院で入ったときに最初に教えてもらった本で、
要するにロッケンロールっていうのはバロッケンロールなんですよね。
俗悪そのものなんですよね。
そこにはやっぱりマニアリスム的な計算が入ってこないんで。
タイルとしても後期ビートルズ以降ですよね。
まあそうですね。
あそこはやっぱり音響実験の世界に入っていくんで、
あそこからようやくロックがマニアリスム化していくんだけど、
基本的にロックはバロックですよ。
洋書の紹介と考察
なんで、このね、サイモン・レイヨルズっていうマーク・フィッシャーの友達が書いた本ですね。
ポストパンクジェネレーションです。日本では知られてる人ですね。
野中桃さんが役者になってますけど、その人が書いたショック&オウっていうグラムロック論なんですよ。
すごいバツでしょ。
顔うつねーみたいな感じですよ。
これの中にバロックンロールって章があるんですよ。
第9章、バロックンロール。コーヒーグラムみたいな感じでですね。
要するにグラムロックみたいな化粧をベタベタで、厚底ブーツで、
ジェンダー創作的な世界線っていうのはやっぱりバロックと呼ばれるわけですよね。
音楽的にもわりとバブルガム感のあるものっていうか。
そうですね。だから非常に表層的ですね。
ポップカルチャーそのものをバロックっていうふうな傾向もあるんですよ。
これも今僕が非常に読み込んでる本ですけど、
ネオ・バロックっていうウンベルト・エイコのディセスジュの人が書いた本ですね。
オマール・カラブレイズって人が書いたネオ・バロック。
80年代ぐらいにイタリア語で出たやつの英訳なんですけど、
これは要するにポップカルチャー全部ゴミでバロックだって本ですね。
バロックやべえみたいな感じで、エイコが序文を書いてますけど。
これね、パラパラって読んで、
俺、あー面白いなって思ったのはね、
The Etymology of Fragmentっていうコミ出しがあって、
フラグメントっていうのは松岡誠子さんのフラジャイルっていうやつなんですけど、
語源が一緒なんですよね。
なるほど。
フラグっていう部分が。
松岡誠子さん、ユギーカの特集がありましたけど、
ありましたね。
荒又さんと高山さんの対談の中で、
松岡さんのフラジャイルっていうのは、「壊す」っていう意味があると、フラグのところには。
ある分類を壊した、分類不可能なものを意味するのではないか、
パラドクサなんじゃないかってことを言ってたんですけど、
これすごい発見で、
バロックって、エイフェニア・ドールスがバロックとは何か一言で要約してて、
カモノハシだって言ったんですね。
カモノハシだと。
つまり、鳥のようなくちばしがついていて、
ビーバーのような胴体で、何故か刈爪がついてて、
後ろ足の毛爪には何故か毒があって、人間を殺せるんですけど、
哺乳類なのにカモゴを産むし、
その赤ん坊にミルクを飲ませるんだけど、
何故か乳首がなくて、体中からニュッて乳液が出てくるっていう。
何よりも衝撃なのが、ブラックライト当てたら光るんですよね。
へー。
しかも理由がわかってないんですよね。
へー。
この辺りがやっぱりゴミですよね。
そう。
やっぱりネットに誹謗中傷書かれてる生き物なんで、
神が深夜のノリで作った生き物って、
学者の脳を狂わせる再現、チート生物とか書かれちゃうんで。
まあでも、ブラックライトで光るって言われると、
途端にグラムロックとの親和性が見えてきた感じがしますね。
でしょ。だからそういうプラスチックな感じですよね、バロックっていうのは。
で、それをギンネはパラドクサって呼んだんですよね。
自然の体系っていうその分類システムの中に入らない、こぼれちゃうもの。
バロックって言ったらそこに、ギンネの分類図の中で二重の形線で囲まれたところにある化け物たちだって言ったんですよね。
化け物たちだと。
なんでこの本がフラグメントとか断片って言葉にこだわる、
壊すって言葉に語源的には連なる、パラドクサに連なる概念を持ってるっていうのは、
俺の中で繋がりがあったんですよね。すごい。
博覧狂気の怪物誌っていう僕がやってる、今連載やってるやつのテーマがバロックだから、
今日やってるっていう感じなんですよね。
なるほど、はい。
こんな感じですね。
これは最初にあげた《賊博の勝利》っていう本に書かれたカーニバルカルチャーってものですね。
ジェームズ・トゥイッチェルっていう人が書いた本。
これ、副タイトルがすごくて、トラッシング・オブ・テイスト・イン・アメリカ。
アメリカの趣味のゴミ屑家ですね。
この本の中にパワーフレーズがあって、ゴミのカーニバルっていうね。
つまり20世紀の以降のアメリカの文化は全部ゴミだって言った本ですね。
すごいですよね。
ゴミだって言った本の最後が、メタルの人たちの写真が。
おー、なるほど、はい。
この著者の考えるゴミっていうことですよね。
ゴミ屑。
この本の序文が、The Triumph of Valkyrieって名前がついてて、
ロバート・パティソンって人が書いたさっき紹介した本の印象なんですよね。
なるほど。
これ、すごい象徴的で、実はこれ俺、チェンソー・マンロンを書くときにこの本すごい使ったんですけど、
マドイル・マンガシって本の最後に入ってますけど、今日ほら。
牧間さんで、はい。
牧間さんのエッチなカール・アンジェリー姿のやつを聞いてるんですけど、
やっぱりそれはもう、僕自身がゴミであるってことを証明するっていうか、
バロックとマニエリスムの関係
ゴミがゴミを語らないと説得力がないってことですよね。
この本は非常に面白くて、この本の著者の人って吸血鬼っていうかゴシックの専門家なんですよ。
吸血鬼っていうかゴシックやってた人が必然的な経路として、ゴミの研究に行ったわけですよね。
なるほど。
何を意味するかっていうと、ゴシックもゴミってことですよね。
なるほど。より俗悪なほうへっていうか。
スーザン・ソンタグのキャンプ論のキャンプのルーツは何かってところに、
ゴシック小説の間奏のオトラント城基幹と書いてあって、
さらに遡るとパルミジャニーノが書いた突然境の地場像であると。
やっぱりマニアリスムであると。
なるほど。
その2つが、専門の僕はキャンプっていうかゴミだと。
ゴミの専門家であるとジェフしている。
だからそれをさらにジェームス・トゥイッチルさんは裏付けてくれてるわけですよね。
なるほど。
ゴシック研究者の人がゴミを研究してると。
なるほど。
これもバロックの文脈に入りますよね。
目の前に日本語の本がありましたね。
いろいろと本を探してるときにこれ出てきたんですけど、
なんでこの本を見せてるか、ダンディ。
この本を見てたら、過剰への抵抗。
過剰と無って書があったんですよ。
つまり、過食とか情緒であるとか装飾とか見せびらかしとか、
そういうのがバロックなんですけど、
それに対してダンディってのは抵抗していく、そり落としていく文化なんですよね。
切断していってスタイルとかダンディを見せていくっていうか。
どっちかと言うとマニアリスムなんですよね。
だからすごい綺麗な言葉で言うと、
バロックはコレクトとセレクトっていう二つの身振りがあるとしたら、
コレクトのほうに重心があるのがバロックですね。
セレクトのほうに重心がいくとマニアリスムになってきます。
だから僕ね、
宇川直人が菊地成吉っていうのはバロックマニアリスムの概念そのものだと思ってるんで、
宇川さんがバロックで、直人がマニアリスムで、
この二人がスタジオボイスで対談してる号があるんですけど、
これ菊地、宇川じゃなくて、マニアリスム、バロックって変えればいいのにと思いましたもん。
概念同士が理人化されて喋ってるんじゃないかと思ったんですよね、どっちで言うか。
その分け方はすごい分かりやすかったですね、個人的には。
菊地さんと僕対談した時に、
これからの文化を削り落としていかなきゃいけないんだっていうようなことを言ってたんですよ。
もうこれ以上余計なものを入れていかない。
もうミニマルに削り落としていくのが大切だって言って、
宇川さんは逆にどんどん増殖していくっていう感じで。
なんていうんですかね。
それを踏まえた上でこの本をお見せしようと思うんですけど、
これは極北ですね。THE DIGITAL BUNDAKAMMA。
Bundakammaっていうのは僕はいろんなところで、方々で話してますけど、
日本語にすると驚異博物館。渋沢達彦は洋威博物館。
怪しい異なる都会で洋威博物館なんて翻訳しましたけど。
まあもうこの部屋ですよ、この部屋。
要するにヨーロッパの貴族の人たちが昔、大航海時代が始まり、
世界中の賃品を一つの部屋に集めた収集所だと。
それをBundakammaって言ったりして、ミュージアムの原型なんですけど。
そのBundakammaっていうのは今のオタクとかコレクターとかそういう人の部屋に俗学化して映ってるわけですけど、
そのBundakammaが今一番有効なマスターメタファーになってるところってどこかって言ったらネットの世界でしょって言ったのがこの本。
インターネットの世界こそがY札そのもののBundakammaじゃないかと。
だから、さっきパラパラ見てたら、
俺パラパラ見てばっかりなんですけどね。
読んでもいるんですよ、パラパラ。
Bundakammaって称号があるんですけど、
Googleの検索バー、あれこそがBundakammaだって書いてありますね。
へー、なるほど。
ここの検索バーのスペースこそがBundakammaであると思う。
だから、これ日本語文献だからお見せしないけれど、
高山博史先生がお役人になったときに、
バーバラ・スタフォードのビジュアルアナロジーって本があるんですけど、
あれなんかもう全面的にそのテーマで書いてるんですよね。
インターネットこそがバロッカの再来であり、Bundakammaであるっていうことですね。
過剰でありY札であり。
だからそれこそが人間と人間をつなぐ技術になるだろうっていうふうなことを90年代に予告してるんですよ。
これよく読むと、スタフォードってマニエリスムのことすごい批判的なんですよね。
なぜかっていうとマニエリスムっていうのは、絵画を見ていただくとわかるんですけど、
例えばマニエリスムの絵画の肖像画とか見ると、本を持っているんですよ。
で、本の間に指挟んでる絵がいっぱいあるんですよ。
これ何を意味してるかって言ったら、私は今本を読んでる途中だとか、
顔も全然笑ってないっていうか、ものすごい硬直したポーズをとっている。
マニエリスムっていうのは、やっぱりそういうスタイルを決めていくっていうことなんで、
切断の見ぶり、制約としては、
絵を見ることによって、それを作ることによって、
そういう絵の意味があるんですね。
だから、絵を描くときに、絵を描くときに、
スタイルを決めていくっていうことなんで。
だから、切断の見ぶり、制約とって言葉を言い換えると切断になるわけで。
なるほど、そうですね。
だから、ある種、浅田明をマニエリスムと呼ぶことはできますよ。
浅田明さんの口癖って切断じゃないですか。
そうですね、うん。
それに倣って菊池さんも切断していくわけだけど、
あのラインのマニエリスムっていうのは、やっぱりことごとくネットと相性悪いですよね。
菊池さんってネット嫌いでしょ、基本的には。
まあ、そうですね。
SNSも激しくバカにしてるのは、やっぱりその、
切断っていう見ぶりが前傾化してくるダンディーっていうか、
マニエリストたちにとって一番俗悪な空間だからですよ。
ただ、やっぱりそれが、なんていうのかな。
つまりマニエリスムとかダンディーっていうのは共感よりも反感が欲しいんですよ。
ダンディーの簡単な定義として、反感に快楽を感じる人たちなんで、
相手にショックを与えるっていうのが僕がよくやってることですけど、
まずこれ、人様と話すのにサングラスとかまず反感を買うでしょ。
これはマニエリストの称号ですよね。共感なんて求めてないわけですよ。
インターネットの文化的影響
みなさんが驚く顔が好きなんですっていうね。
高山さんがよく授業中言ってたな。
僕のサングラスどう思う?先生がこうやってサングラスかけてしゃべるって、
教育としてまずいって思わない?
これがヨーロッパの何百年を決定してるってこと言ってる?って。
系統を威嚇しまくってましたけど。
まあマニエリストもそういう愛嬌はあるのだが、
ネットの世界とはとにかくやっぱり相性よくないと思う。
スタッフオードはそこを危惧したわけですよね。
僕もすごいそれはよく最近思っていて、
やっぱりいいねいいねの世界なんでね、SNSというのは。
みなさん共感を求めてますからね。
あれをやっぱり悪く言うと、
インターネットっていうかネットの世界は黒魔術で、
そこから撤退した本の世界の白魔術の撤回の世界に
引きこもろうという態度決定に入っていくわけですけれど、
僕もそう思った時期もあるんだけど、
ちょっと浅いかな考えだった気がしてきたんですね。
書物バーサスネットの構図って人取りがちなんで、
白魔術で確かになるっていうか。
だからポール・バレリーっていう知識人がいますけど、
あの人はまさに純粋知性って言われる人ですよね。
科学的な知性なんですよ。
強雑物とかわい雑なものは一切排除して、
あの人が理想としたフォルムって貝殻ですから。
固くて気化学的で美しいっていう。
だから、よく西洋のそういう気化学的知性のラインとして、
デカルト・ニュートン、バレリー、
その間ぐらいにマラルメっていうラインがあるんですけど、
つまり書物っていうのがもう完璧な気化学的な宇宙で白魔術なんですよ。
そこには下界の汚いものは入ってこれないっていう。
それの劣化コピーがカマグラ分子とかだと思うんですけど、
今のは汚かったことにしてください。
そういう感じでですね、なってるんだが、
エイフェニア・ドールスのバロック論、見事な一両があって、
バロック、ポール・バレリーの反対概念って一両があるんですよね。
バレリー的な白魔術に対しての黒魔術がバロックなんで、
インターネット空間そのものがバロックなんですね。
純粋知性みたいなものに対してもっとわい雑なものというか。
だから英語だと、雑のことミセレニアスですとか言いますね。
だからインターネット論、デビッド・ワインバーガーさん家の人が書いたインターネット論があるんですけど、
タイトルがEverything is Miscellaneousって書いてあって、
全部わい雑って意味ですよね。
インターネットのカオスみたいな副題でしたけど、
松岡聖吾さんが法約の千夜千冊書いてますね。
そんなもんって、やっぱりネットって1968年のいわゆるリベラルっていうのかな、
カウンターカルチャー初じゃないですか、インターネットって。
だからやっぱり個人主義の力とかわい雑の力っていうのは言葉を入れる空間なんですよね。
インターネットの流れなんて。
だけど、最近ミスズ処方からポール・オトレっていう人の表伝が出たんですけど、
あの人はプレインターネット構想を作ってた人なんですよ。
印刷世紀前半にインターネットの原型みたいなシステムを構築してた、忘れられた赤学なんですけど、
それを書いたトマス・ライトさんだったかな。
その著者が、68年以降のインターネット世界がディストピア化してると、今。
こんなに個人主義を施していた空間がこんなに対立の場になって、
世の中がこんなひどいことになると、誰もおそらくネットを作った人は思ってなかったと。
だからこそ、プレインターネット構想を模索しましょうみたいな内容の本なんですけど、
あり得たかもしれないオルタナティブなインターネットがあるんじゃないかみたいなことを、
ポール・オトレから考えるみたいな本なんですけど、これも発想としては白魔術ですよね。
そうですね。
ただやっぱりそれは原理的にきついだろうという感じがするんで、
このわいざつなネットの黒魔術空間をどう活用していくかってことでしかないんじゃないかなっていう、
僕なりの今の現段階での考えがあって。
だからアロックに注目したのってのは、インターネットとどう共存していくかっていう意味があるわけですよ。
俺今回すっげえ真面目じゃん。
すごい真面目ですね。
古典と現代の対照
しょうがないんで。
いやいやいや。
やっぱり僕の教養がにじみ出てしまいますね、今日は。
やっぱりこう、最近のメインテーマに。
やっぱり前回の気合入ってない感じはよかったんですけどね。
適当に流してる感じ。
とりあえず本いっぱい見せるだけっていう。
あれも好きなタイトルなんですけどね。
そういう感じでですね。
それもあって、宇川直博さんが中心に来る本だってことになってるわけですよね。
なるほどね、アロック本は。
確かに。
まあなんか、あの人がインターネットみたいなもんですからね。
いや本当ですよ。
鴨の橋ですよ、本当に。デジタル鴨の橋。宇川さんそのものですよ。
もう俺、4冊目の本の書類とかも結構考えてスケッチとかしてるんですよ、自分で。
鴨の橋の上に宇川さんがこうやって乗ってる、
バロックの視覚文化
ヤドカリと戦ってる怪獣大戦争みたいな、ポール・バレリーと戦ってるみたいな。
種村聖博が魚、ミシンの帽子みたいなかぶってる写真があるんですけど、
種村聖博にヤドカリの帽子でもかぶせるかとか、いろいろ考えてるんですけど、
怪獣大戦争にしようよって思ってですね。
貝殻こそがポール・バレリーであり、幾何学的な知性であり、バロックの対立物だって言いましたけど、
バロックの点がかかればですね、貝殻だってバロック化しちゃうんですよ。
この本見てください。シェル・ショック!
おー。すごいでしょ。
第一次大戦で銃弾で耳にやられちゃったり、
PTSDになっちゃったりした昇降軍のこと、シェル・ショックって言いますけど、
これ文字通り貝殻のショックですね。
なるほど。
シェル・ショック!すごいですよ、マジで。
ヨーロッパの貝殻ベダベダ貼り付けた気持ち悪いやと一発目の貝殻で作った顔面とかですね。
なんかアルチンボルト的な。
そうです。つまり、そういう幾何学的で美しいと思われてた貝殻を、
実はグロテスクのアイテムにしてたんですよ。
ウンダーカンマンは実は貝殻でいっぱい集めてたんですけど、
こうやってベタベタ貼り付けると、結構美しいっていう価値観ではなくて見にくいっていう本になってた。
それを暴いちゃった本で、こんな感じでね、表紙にもなってた。
これ貝殻をベタベタ貼り付けちゃうみたいなもんで。
これ、1行目に引用されてるのがポール・バレリーの言葉ですね。
バットホワイノットワンモアターンみたいなのが書いてあってですね。
なんでもうひとひねり入れないんですかって。
うまいこと言ってますよね。
要するにポール・バレリーっていうのは、この著者もたぶん理解してると思うけど、
一番バロック的なものと遠いはずなんだけれど、
意外とこのバロック的な文脈に答えることもできるってことですね。
なるほど。
だから、うかわさんが浜辺で貝殻を拾って、耳に当てて瞑想してるっていう姿は思い浮かびませんけど、
浜辺でポルノを撮ってた人です。ポルノジミタBV撮ってた人ですからね、西海岸で。
やっぱりなかなかバルター・ベンヤミンみたいにね、人のいなくなったパッサージュを、
貝殻だけ残ったヤドカリに叩いて、それを耳に当てる。
さあ、何が聞こえてくるだろうっていうですね、ベンヤミン先生の伝説的な美文がありますけど、
うかわさんには縁がないわけです。
そうですね。
うかわさんはいっぱい集めちゃうわけです、こうやってね。
だからやっぱり、この方がやっぱり友達が増えますよね。
うわー、やっべーって。
ブンダーカンバーの何が重要かっていうと、社交的なんですよ。
ブンダーカンバーっていうのはおしゃべり空間で、つまり貴族とかの人が、自分の部屋ですからそれ。
人を呼ぶためにやってるみたいな。
おいおい、あの上、天井のワニ見てよって言って、すごくない?って。
やっば!って来た人と話すわけですよ。
でも俺はこんなの持ってるんだよって言って、えー、今度見せてよっていう感じになってくんで、
つまりブンダーカンバーっていうのは、そういうふうに対話っていうのを原理にしてるんですよね。
それがミュージアムになってくと、しゃべるなってなるわけですよね。
だから僕もよく怒られます、美術館に。
一緒に行った人とベラベラしゃべるから怒られます、うるさい人。
お前らうるさいから黙れと。
ただ、その制度っていつできたの?とか。
そもそもブンダーカンバーがミュージアムの原理だったはずなのに、
そこで対話空間ってのがあったんですけど、なぜそれが今抑圧されてしまっているのかとか。
そこを問い直すのがバロックですよね。
なぜ美術館の人はしゃべれないのかとか。
なぜ一方的に見るだけなのか。
それをバーバラスタフォードも問うたわけで、インターネットもやっぱ対話の空間なんですね。
だからバロック的な原理を持っていないとここで生きれない。
マニエリスムの態度、切断とか遮断とか仮面とか甲冑とか、
そういうモチーフに行く人ってのは、やっぱりこの電脳のアンフォルムなふにゃふにゃした鴨の話みたいな空間はついてなっちゃうわけで。
なんでブンダーカンバーを鍛えましょうってことですね。
ちなみにこれパトリック・モリエスっていう著者が書いてるんですけど、
これ日本語文献ありますね、この人。
ビニールですね、まだね。用意してない。
荒又博史さんが帯文書いてる。
みなさん覚えてますか、30リットルゴミ袋に入れましょうね。
これ、奇想の陳列部屋っていう日本語の本もパトリック・モリエスが書いてて、
翻訳もされてますんで。
バロックについて知りたいんだったら、
そしてブンダーカンバーについて知りたいんだったら、この本をお買い上げになると良いですね。
荒又博史さんが開けたから、ページとページが湿気で貼り付いてますね。
やばいっていう。
またちょっとその、ビオトープぶりが。
バロックと現代文化
やっぱりこの部屋の問題点は湿気なんだよね。
湿気でやられちゃうというですね。
今の絵柄の流れでですね、こんな本、最近届いた本です、本当にこれ。
ファンタジーファーニチャー。
これはですね、高山先生の奇想の狂言っていう名著があるんですけどね。
これの中に、この関東論考が、ユギーカの悪趣味特集ありましたよね。
悪趣味大全かな。
菅義偉先生が編集した伝説の本ですけど、
あの論考がこれに入ってるんですけど、
その悪趣味論、高山さんの悪趣味マニフェストの中で紹介されてた本です。
つまり、家具のグロテスク。
グロテスクな家具。
なるほど。
高山さんが紹介してたあの本は、一体どういうものが紹介されてるんだろうと思って見てたらですね、
こういう感じです。
ほー、なんかトゲトゲの椅子みたいな。
だれだろこれ。刺さるだろこれみたいな。
クローネンバーグ映画に出てきそうな。
これとかクローネンバーグ映画に出てきそうでしょ、これ。
これもう本当に人を痛めつけるために発明されてるんじゃねえのみたいな。
このトゲ椅子みたいなのも大量に出てきますしね。
テーブルもまたグロいっていうね。
つまりこの本は、何を言いたいかっていうと、
20世紀初頭にバウハウスっていう運動がありましたよね。
ゴスバンドじゃないですよ。
わかってますよ。
バウハウスっていう運動がありまして、
いわゆる機能性の高いミニマルな家具とかアートとかを作っていった運動ですね。
反バウハウスですよね、これは。
つまりさっきのこれ、カフェですよこれ、家具。
逆立ちして股間に頭があるこのおっさんの足。
足のここに物を置くんですよ。
ああ、そうなんだ。
面積狭っ!って思いますね。
すごい無駄の多いカフェです。
これバウハウス的にはないでしょ、こんなありえない状態。
そうですね。
やっぱりバウハウス基本的にはシャープで直線的なものですからね。
真逆ですよね。
座ったら刺さる椅子なんていかないじゃないですか。
刺さって刺さった状態で外に出ちゃったりする人もいるでしょ、だったら。
いやーだから、なんて言いますか。
アロックっていうのは反機能性ですよね。
このタイトルが象徴するようにファンタジーの領域なんですよね。
いやーもうこの本もやっぱりうっとり見ちゃいますね、僕なんか。
ある種これも全部ゴミ文化ですよね、一種の。
まあ、実用性の反対っていう意味ではそうですね。
フランスファンにくっつけたみたいなやつとかね。
なんなのこれっていうね。
ヨーロッパの貴族ってやっぱり悪趣味なんだよね。
お金持ってる人ってとことんこうなってくんだよね。
やっぱり。でも嫌いになれないっていうね、それ。
まあこういうね。
クマさんの椅子もあるっていうね。
クマさんの椅子もある。
このクマがリアルに掘ってありますね。
そうなんですよね。
バウハウスにはいつも必要ない家具ばっかりが紹介されてるこのファンタジーファーニッチャー。
ブルース・ニューマンさんという人が書いた本ですね。
これなんかフランス語訳も出てましたね。
でですね、最初に本来なら紹介したほうがよかったような本がありました。
これですね。
スティーブン・チャロウェイさんって人が書いた。
タイトルがバロック・バロックですね。
大切なこととは2回言いますってことですね。
いわゆるバロック・バロックと。
なるほど。
スティーブン・チャロウェイさんっていうのは、僕昨日、あれ一昨日か。
ビアズリー展に行ってきたんですよ。
おーはい。
三菱一号美術館の。
あそこでビアズリー周辺作品みたいなのを展示してたんですけど、
書像元を見たら、このスティーブン・チャロウェイさんの書像物だったりしましたね。
へー、じゃあコレクター的な人なんですかね。
そうですね、ロココ美術みたいなのも持ってたみたいだったな、確か。
この本は、バロックをいわゆる我々の知る、さっきまで見てきたようなバロックに加えて、
ファッションとか映画の世界とかにもバロックを広げてる本ですね。
たとえば、この映画って、映画秘宝の手筆の大熊さんだったら知ってるでしょ、これ。
何でしたっけ、これ。
赤い靴ですね。
マイケル・パウェル&…
やべ、もう一人の名前忘れちゃった。
マイケル・パウェルって誰だっけ。
あ、プレス・バーガーね。
作った伝説のオペラ映画ですけど、これとかですね。
残酷党なんかも入ってますね。
これすっげえデカい図版なんですよね。
これ見てください。
象ですね。
象バロックですよね。
エレファントバロック。
これ何をしてるとこなんですか。
象の前で女優さんがポーズをとってるという。
これ誰なんだろう。
これやっぱり、意味もわからずに見てるってあたりがオレバロックでしょ、すごい。
全然手が介入してないわけですよ。
なるほど。
うわーやっべーって。
つまり、バロックを象徴する単語ってやばいだね。
やばい。
あーなるほど。
頭働いてないわけですよ、バロックで。
やっべーって。
そういうとこでもうかわさんにつながってくるわけですね。
そうですね。
フランクザッパが現代音楽聴いてるときに言いそうな言葉ですよね。
やっべー。
セシル・ビートンの写真ですね。
だからセシル・ビートンとかリチャード・アビドンみたいなファッション写真家の中にもこういうバロック的なイメージを持ってる。
あとあれですね、こういうふうに宮廷的な高空間っていうのもバロックに入るんですけど、
やっぱりバロックっていうのは浮遊感とか幻想感とか、そういう要素を持ってますんで、
嘲笑してくるエルグイヤコの絵画みたいに天空志向なんで、
ロココの軽やかさともつながってたりするんで、
こういう優雅なドレスカルチャーも入ってくるんですよね。
なんて言ったって、ドレスで思い出しましたけど、ジュル・ジュルーズが書いたヒガっていう本がありますよね。
ジュルーズのバロック論ですけど、衣服とかにあるこのヒガですよね。
この折りたたまりってグニャってなって、これに彼はバロックを見たわけですよね。
だからやっぱりそういうヒガ文化みたいなのは当然入ってくると。
現代思想とバロック
あれだけ読んでわけわからなかったバロック論もないですね。
僕の4冊目ではあんまりお世話にはなりませんね。
あれやっぱり現代思想の人がバロックってなんか言ったぜーってだけですよね、たぶん。
荒渡さんとか高山さんとか本当に読んでんのか、あんなわけわかんない本。
何が楽しいのかな、あれって感じですけど。
ジュルーズジャンなんか見てないだろうとタカオクって発言してるわけですけど。
ジュルーズもなんだっけ、生誕100周年とかで最近は話題になってますけども。
えっと、あれ?今年ですか?
そうそうそう。
あ、今年なんだ。
それで川出消防がいろいろフェアとかをやってますよ。
いや僕もちょっと貢献したいな。
なぜならジュルーズが飛び降り自殺した日に生まれたんですよ、僕。
おお、そうなんだ。
11月4日生まれなんですけど、ジュルーズ先生が飛び降り自殺した日にオギャード生まれましたんで。
生まれ変わりかもしれないと。
そうですね。ただね、渋沢達彦が死んだ次の年に達年で生まれなんで、渋沢達彦の生まれ変わりだって詐欺を働いてもいるんですよね。
なるほど。
ケースバイケースでジュルーズか渋沢かって感じですかね。
それで飯の種になればいいんじゃないかってことで、こんな適当なやつに喋らせてるんですよ、僕はね。
それでですね、そろそろ終わりですね。
ああ、はい。
今日最大のでかい本ですね。
でかそうなやつが出てきましたね。
ディスコのレコードのサケットを集めた本です。
おお。
なんでこれを見せたのかっていうのは、うかはさんとのつながりもあるんですけど。
まず最初に写真というか図版を見ましょうか。
あ、やべ。今一瞬見せようと思ったやつが、
チクビの超クロースアップで、チクビのシワも見えるぐらいですごいハエが止まってるってやつだけど、これは見せられません。
それはちょっとそうですね。
ディスコのレコードのジャケットってあんま思い浮かびませんよね。
うーん、それこそ12インチ文化でジャケットがないんじゃないかくらいのイメージだとしますけど、まあでもそれをハウスとかになってからなのか。
黒メガネがいっぱい出てくるんですよね。
黒メガネ美女とか黒メガネダンディがいっぱい出てくる。
面白くてですね。
あとやっぱエロネタがとにかく多いですね、ディスコのジャケットは。
なるほど、まあでしょうね。
そうそう、これを見せたかったんですよ。
なんかこれもディスコのジャケットらしいんですけど、
うかわさんが作ったみたいに見えません?
そうですね。
ガースのうかわさんですよね。
本当にびっくりしたんですよ、これ。
めっちゃうかわさんグラフィックじゃんとか思って。
こんな感じでですね。
やっぱりディスコにあるんですかね、うかわさんも。
リップルっていうバンドのサンズ・オブ・ザ・ゴッズっていう1977年のバンドみたいですね。
これが一番この本の中で美しいと思ったジャケットですね。
おー、なるほど。
スティッキーフィンガーズ。
こんな感じでですね。
ちなみにこれ出てるのはソウルジャズブックスってところで、
ロンドンにあるソウルジャズレコードってありますけど、あれの出版部門ですね。
あそこの出版部門って、音楽誌をビジュアルで整理した本みたいなのを結構出してるんですよ。
音楽誌をビジュアルで整理しましょうみたいな、結構編集センスのいい本を出してて。
これはね、たまたまなぜかメルカリに一人だけ出品してる人がいて買いました。
ソウルジャズレコードもね、もともとわりとリーシュー専門レーベルみたいなところですからね。
やっぱりそういう発掘の過程で出版企画も生まれてくるみたいなところあるんでしょうね。
発掘レーベルっていうのはやっぱりアーカイブ的な役割を持ってるから、やっぱり書士文化とか書物文化につながりますね。
そうですね。
ダストトゥーディジタルっていう、こっちはフォークとかカントリーブルース系の復刻レーベルありますけど、
あそこもやっぱり超でかいブークレット好きですもんね。
なんで俺ディスコ店だかっていうと、ブンダーカンマーの話とつながってくるんですけど、
やっぱりクラブ空間こそが人間ブンダーカンマーでしょって思ったわけですよ。
僕にとってドミューンっていう空間自体がブンダーカンマーなんですよ。
あそこにはやっぱり何でもワイザスなものを詰め込められるわけですよね。
なんていうのかな。ブンダーカンマーがとにかく重要なメタファーであるのは、
僕たちっていうのは何かしら優先系というか直線的なナレティブをしますよね。
いくつかの例書を集めて、これとこれとこれでこうなんだっていうような論法を取ってるわけですよ。
それで一冊の本になると。それをみんな直線的に読んで納得してるわけですけど、
ただ、バロックとかガキんちょですよね、一緒の。
だから前回大久保さんが、コリマスは映画が嫌いなんだと俺が言ったら、
キャリムラスイーヒーがどうなんだよとかなんか、腹立つこと言ってきましたけど。
言い方はしてないですけど。
なんだって、ガキとか言ってきましたけど、僕に。
あの感じで、ブンダーカンマーとかバロックの原理ってのは変なものをいっぱい持ってくるんで、いろんなとこから。
あなたの言っている論法を覆す変な証拠とか、
もっとよく追い上げていく要素ってのは無数に無限にあるんだっていうことを言うわけですよね。
だからつまり直線的なナレティブっていうものが、実はフィクションだってことをアバックルシステムなんですよ。
あらゆるところにものはある。真羅万象ってのは大行なんじゃないかな。無限なんだから。
今あるナレティブとか、今あるイデオロギーとか、今あるオピニオンとかいうのは全部加工というか架空というか、建設中のものでしかないわけですよ、全部。
ブンダーカンマーってのはそれを教えてくれるってことをバーバランスだ放題って言ったんですよね。
なるほど。
だからドミューンっていうのも、何か一つ結論があるわけじゃなくて、毎回流動的に変わってますよね。
そうですね。
古い人呼ぶ人。
あれこそやっぱり、うかわさんが雑多なものを集めてきてはそこに人を呼んできている空間ではあるわけで、そういう意味でもブンダーカンマーっぽいですよね、確かに。
だからやっぱりブンダーカンマーは事故を誘発するんですよね。
それがクリエイティブな事故であれかしってことですよね。
だからなんていうか、そこらへんを鍛えるためにはやっぱりディスコをブンダーカンマーに見立てるような姿勢も必要ですよね。
やっぱり70年代のブラックスプロイテーション、例えばアビー、ブラックエクスシストとか見ると、最後吸血鬼化したアビーをディスコで精配するんですよね。
ディスコ空間で悪魔バレーしてるんですよ。
ルディレイ・ムーアーとかもディスコ・ゴッドファーザーとか映画出てますからね。
要するにあの時代ディスコって何でもありの晴れの空間だったわけですよね。
何でもありのメタファーというか。
だからブンダーカンマーが夢見てるのもそういうことですよね。
あらゆるものがそこには入り込むことができるっていうね。
ある種のおもちゃ箱というかびっくり箱みたいな。
それがネットであり、ディスコでありということですけど。
アフロフューチャリズムの重要性
あと2冊です。
これはブラックカルチャーを特集するときに出してもよかったんだけど、一緒に見せちゃいましょうね。
アフロフューチャリズムの図録です。
これね、スミソニアンミュージアムでやった、2年前ぐらいにやった展覧会だと思いますけど、
とうとうこういうふうにアフロフューチャリズムも、
美術館で本格的な展覧会がいっぱい組まれる大メジャーなムーブメントになったってことですよね。
これ以外にもいっぱい出てますしね。
あれですね、やっぱりロゴがP-FUNKっぽくできてるし。
やっぱり色彩感がいいね、すごい。
あとね、この本が画期的なのはね、
黒人のギタリストをすごいフューチャーしてるんだよね。
フューチャリズムとしてフィーチャーしてると。
なんでこれ見せたかというと、
黒人音楽誌って本でアフロマニエリスムだと言って、
アフロフューチャリズムとは違うのだということをすごい強調したんですよ。
それはやっぱりアフロフューチャリズムがアロックだからですよ、どっちかっていうと。
なんていうのかな、マニエリスムってのはやっぱり後ろ暗さを持ってるんですよね。
やっぱりバロックって今話して、景気いい話ばっかりしてるじゃないですか、俺。
まあそうですね。
景気がええやつやでって思うじゃないですか。
バロックってのはやっぱり、国家が文学におけるマニエリスムの中で、
バロックとマニエリスムって称を立ててるんですけど、
これ区別するのは本当に難しいと言うんですよ。
つまり古典主義とマニエリスムだったら対立はわかりやすいんだけど、
バロックとマニエリスムってのは区別がつかないことが多いんだけど、
ただバロックってのは権力思考だって言うんですね、すごい。
あと安定思考だとかね。
あと宣伝的だって言うんですよね。
で、誇張ばっかりやる。
誇張法。つまり、うかはさんのエクスラメーションダーっていう、あれがバロックなんで。
マニエリスムっていうのはあの誇張を嫌うんだよね。
誇張も使うけれど、ちょっとそこに変形が入ってくるっていうか、
それはやっぱり宣伝とか、自分をこう全面に出していくスタイルから一歩身を引くっていう、
隠れる思考が入ってくるんで。
バロックってね、すごい景気のいいバブリーな、サイバーパンクな、キラキラな、
フューチャーヒスティックな感覚なんですよね、すごい。
だからやっぱりインターネットの原理にもなってるわけで。
で、僕が国字音楽誌を書いてる時は非常に暗かったですから。
世相も今も暗いですが、あの時の僕のコロナ禍だったですね、そしてね。
あーそうか。
家にずっといたもんで、その感覚が出てて。
だからアフロマニエリスムとアフロフューチャリズムっていうのは、
実は似てるようで結構対立概念ですよってことを言いたかったんですよね。
映画におけるバロックの美学
僕の本音の感想でアフロフューチャリズムとアフロマニエリスムの区別が大してつかない、
意味がないって書かれたんで、うるせえバーカと思って今出したんですね。
これ最後です。
フィルマーズ・ザ・サブバージョン・アート。
天服芸術としての映画。
これね、著者がアモス・ボーゲルさんって人で、
ブニュエルの親友なんですよね、この人。
この本はね、タイトル通りで、エクストリームな映画をビジュアルでとにかくガンガンガンガン見せるっていうもんで。
例えば何があるかな。
この本の編集方針とかページフェイスをバロックと呼びたいという感じですね。
こういうページの絵を。
はい。
これバラの草列入ってますね、松本俊夫くんって。
おー、なるほど。
うかわ先生の師匠ですけどね。
そうですよね。
今日は本当にいちいちうかわさんに話がつながりますね。
うかわさんがバロックですかね。これ何なんですか、この映画。
それもなんかうかわテイストが急に見えてきますね。
全部うかわさんですよね。
とりわけうかわさんになってくるのはもうちょっと後かな。
やっぱりこのね、料理皿に女の人の生首乗ってるとかですね。
何なんだよ、この映画。
1970年のロン・ジョバンニーっていうやらしいですね。
とかですね。
これやっぱり、この本僕辛くなった時によく見ちゃうんですよね。
世の中に頭がおかしい人いっぱいいるんだなっていうのを学ぶということですね。
元気の出る一冊っていうことで。
景気のいい本ですよね。
この映画はよくわかんないですけど、なんかこのエッチな映画見たいなっていうところで見せてるだけですね。
女の人が半身むき出しでサッカーボールの上に乗ってる。
何なんだ一体これはと。
そしてその下では、給水ポットから水を直飲みしてる女の人とかですね。
とにかく、これは女性力がM字回帰で見える。
うわーだめだ、ちんこがもう全面的に。
今僕が見てるページは、書物を突き破ってちんこがむき出しで方形ちんこが出てる写真が見せられないですね。
石原慎太郎よりだいぶパワフルな感じで。
後半結構ねえぐくなってきましたね。
肛門からうんこが出るところをそのまま映してるとか。
こういう面白い本がありますよというので。
バロック時代の思想
ちなみにこの表紙の映画ってわかります?
いや、何だろう。
これはですね、マカベイエフって監督の
WRオルガズムの神器っていう、ビルヘルムライヒの思想をまとめたカルト映画がありまして。
実は多くは語りませんが、
僕は実はこの映画について近々、マカベイエフについて傍聴で喋ることになってるんですけどね。
今なぜ?っていうね。
特に理由もなくマカベイエフのトークをすることになると思います。
まあそういう感じでですね、非常に悪趣味でわい雑で、景気が良くて。
ただ、やっぱり人をつなぐ、そして直線的なナラティブを否定する、
非常にインターネット時代を生きるタクティクスにはなる思想がバロックですと。
ということで今日はいろいろと紹介してみましたけど。
あと、事前のメールのやり取りでラメルジーの話をするって言ってたような気がするんですけど。
まじで?
確かに俺、昨日15時間ぶっ続けてラメルジーの話を書いて、
寝たのが今日の昼の3時半とかだったんですよね。
徹夜っていうか、徹朝までしたというか。
ラメルジーに関しては、次回単独でやっちゃっていいかなと思うんですよね。
ラメルジーのバカデカい、今見せましょう、スカッシュ。次回予告として。
僕の家にある一番でかい方の人数。
ヒップホップ界の最も来てる人ですけど、
この人に関する論考を6000字先ほど書き終えて、
それは前編、中編、後編の前編ですけどね。
全部で2万字ぐらいになるんじゃないでしょうか。
なので次回は、ヒップホップ界の忘れられた偉人と言いますか、
鎌の橋というか、ヒップホップというか、
その人をケツの穴まで全部見せちゃうみたいな感じになると思います。
はい。ラメルジーはもちろん宇川さんとも縁のある人なわけなんで、
そういう意味でも次回につながる感じっていうことで。
友達ですからね。日本に呼んだ人ですからね。
その辺りの話は次回しましょう。
ラメルジーの考察
そうですね。はい。
そしたら最後にお知らせみたいなものとかがあれば。
お知らせね。
広島いこふが俳句で関わってる、フィンランドのイサイユシラって監督の、
《決戦ブラッドライン》っていうタイトルで出る映画が今月4月に公開するんですけど、
はい。来週とかですよね、確かも。
これのパンフに僕書いてます。
おー、なるほど。
こうしてますね。
ニコラス・ウィンギング・レフンぽいとか、ジョン・カーペンターぽいっていうことの秘密は何なのかってことですね。
あれね、100分の映画なんだけど、98分間ぐらいサントラがあるんだよね。
だからほぼずっと音楽が流れてて、クラブのシーンも出てくるんですよ。
レコードに針落としてぐるって回るシーンとかまでわざわざ入れてて、
すごいクラブっぽい映画なんですよ。
なるほど。
あんなに音楽ずっと鳴ってる映画、久々に見たぐらい。
そこを楽しんでもらいたいというような文章を書きましたんで、
映画史上初めての踊れるフィルムノワールでしたね。
フィルムノワールなのになんかずっと気持ちいいんですよ。
ぜひクラブ空間であの映画を流せばいいと思いますけどね。
頭くちゃくちゃに潰してくれたり、盛り上がると思うんで。
なるほど。
あとやっぱり、有史鉄線をこんなに残酷に使った映画は歴史上なかったと思うんで、
鬼田篤史さんに見てほしい。本当に。
電流爆破デスマッチどころじゃない残酷な使い方をしてますんで。
なるほど。
そういう感じですかね。
はい。じゃあちょっとそれはね、
映画とパンフと合わせてお楽しみくださいという感じで。
ですね。
はい。
じゃあ今日はこんなところで、それではまた次回お会いしたいと思います。
今日はどうもありがとうございました。