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2024-02-20 52:37

「なりたい自分」を捨てるワケ【GMV938】

「あるべき姿」が私たちを窒息させる。
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
2月20日、火曜日、7時35分ですね。
昨日はちょっと落としてしまったんですが、その話は後ほどするといたしまして。
間もなく、この話もちょっと後ほどするとしてですね、
とりあえず間もなくJ松崎さんが帰国されるはずなんですね。
私の知る限り、今頃飛行機に乗っていても不思議ではない。
ちょっとよくわかんないけど、不思議ではないはずで。
長旅なんでね。
帰ってきてすぐに超積極的に彼と家でも動けるかというと、
分からんと思う、微妙なところだと思うんですけど。
もう来週の土曜日には、出版記念パーティーと。
もうちょっとこれは忙しいなーって感じが。
多分彼からすると、あっという間に、
相馬島のように日本を滞在は過ぎていくだろうなと、
私のこう、海外生活経験からすると、
1ヶ月というのは本当に一瞬って感じなんですよね。
本当に一瞬って感じなんですよ。
2週間とかは、だったら帰ってこない方がいいぐらいな感覚があるんですね。
帰ってこられた側からするとそうでもないんだけど、
帰る側からすると、2週間とかって本当、
何のために帰ってきたんだろう?ぐらいな感じになっちゃうんで。
でも1ヶ月もね、やっぱり1年ぐらいはいないと、
本当にやり残したこととか、やり残したことなんてないんですけど、
まあまあ、いろいろ感覚的に。
そもそも、なんていうのかな、
やっぱり全環境の変化って、
人間の時間間隔を大いに狂わせるんですよ。
1年ぐらい海外に多分住んだことのある人は、
みんな経験してると思うんですけど、
時間の進みが早いんですよね。
そのために、1日というものの、
なんていうのかな、変化量が多すぎて、
とてもじゃないけどついていけないって感じが私はありました。
しかもですね、これはドイツの人は分かんないけど、
僕はアメリカのすごいどいなかだったんで、
最初に行ったところが、
慣れてしまうと時間の進みが異常にゆっくりになっちゃうんですよ。
空間もでかいから。
例えば日本に帰ってきてすぐに僕が、
これは完全にギャップに困惑してるんだなっていうのが、
あまりにも空間が小さすぎて、
自分がでかくなったような気がして、
気持ちが悪かった時期があったんですよ。
あまりにも小さいだろうみたいなね。
部屋とかもあまりにも小さいじゃないかっていう感じが、
田舎にいたからなんですけど、本当にね。
空間を無駄に使うんですよ、アメリカ人って。
03:02
無駄だという認識はないんだけど。
例えば日本の人って、
キッチンの中に冷蔵庫が絶対にぴったりしたところに置いてありますよね。
ぴったりしたところにしか置けないからなんだけど、
絶対ぴったりしたところにあるじゃないですか。
アメリカの一般的な家庭とか、
自分もそうしてましたけど結局、そうなってるんで。
家具と冷蔵庫の間が空いてるんですよ。
変に空いてるんです。意味が全くなく空いてるんですよ。
どうしてそこを詰めないんだって日本人的には思うんだけど、
アメリカ人って離しておくんですよね。
空間が空いてるから。
それってすごい不便なわけですよ、日本人の感覚からすると。
変に空いてるから。
それも汚れるし、しかも行き来する距離も長くなるわけね。
だからすごいあれは不便だなって思ったんですよね。
で、私、今となっては、そういう名前なのかもわからないけど、
マイナリッジっていうアパートっていうのかな。
平屋の集合体みたいな、アメリカには普通にいっぱいあるんですけどね。
そこのところから歩いて出るのはちょっと困難なんですよね。
何言ってるのか自分でもちょっとわかりにくいんだけど、
マイナリッジのアパートから出るとなると、やっぱり徒歩で、
モンピまでたどり着くのに40分くらいはかかるんですよ、これがね。
で、そっから学校まですぐなんだけど、車で行けば。
でも学校まで歩くとなると、やっぱり家から1時間かかっちゃうぐらいな感じなんですよ。
1時間半ないかなみたいな。
でも学校の中に入ってからもまた広いんで、
結局なんだかんだ1時間くらい、こういう世界に住んでると、
日本があまりにも凝縮されて、凝縮されてって感じですね。
あれがもう気持ちが悪かったんですよね。なかなか慣れなくて。
またぐと、やっぱり巨人なんですよね。またぐと郵便局とかついちゃうっていうのは、
なんか気色悪いなーって感じが、この感触はかなり長いこと拭えなかったですね。
帰国してからね。でもすっかり慣れるんですよね。
すっかり慣れると今度アメリカ行くと小さくなった日がきっとするんですよ。
余談ですけどね、完全に。
これはそういう人がみんながみんなそうなってるか知らないですけど、
でもまあありましたね。
今日だから出版記念パーティーが3月2日です。ひな祭りの前の日です。
こちらぜひですね。これはオンラインじゃやれませんから。
もう多分ここで登壇してしゃべるとかそういう話では全然なくて、
懇親会がずっと続くみたいな感じになるというのをJさんは想定していらっしゃると思いますので、
認定トレーナーの方も、なんかわりと遠くから集まってくださる方もありがたいことにね、
06:01
結構いらっしゃるようなので、ぜひできればここで一度会して楽しく過ごすことができるといいかなと。
なんかJさんに至っては、また凝縮するなと思ったんだけど、
お昼からランチから認定トレーナーの人と集まれる人ね。
カラオケ行くみたいな話まであって、このカラオケってすごいなっていつも僕思っちゃうんですけどね。
カラオケってこういう時に当たり前のように出てくるんですよね。
私なんかカラオケって行かない文化の人間なんで、そういう文化があるのか知らないですけど、
カラオケに行くっていう発想がまず出てこないと言いますか、
全然普通に出てくると思うんですけどね。
僕に出てこないだけでね、そういうわけで。
だからコロナでカラオケが行けなくてもう本当死にそうだみたいな、
テレビでそういうことをおっしゃってるおじさんおばあさんとかいたじゃないですか。
あれがもう全く不思議で、カラオケが行けないっていうことと行ける人生に違いが、
僕はもう思ったことがないんでね。
あーって思ったんですけどね。
まあいいや、そんなことはどうでもよくて。
3月2日ですね。よろしくお願いします。
で、なぜ今こういうふうにぐちゃぐちゃ意味もなく喋ってたかというと、
テーマがいまいち思い出せなくてですね。
本出ますから今週の土曜日に。
しばらくは先送りとタスクシュートの話に集中しよう。
もちろん僕の言うことなんで、そうは言っても明日になったら違う話をしてそうなんだけど、
でも集中しようと思っております。
でですね、あ、そうだ、でもやっぱり今日はすぐにその話には入れず、
昨日そのなぜ落としたかという話をしますと、
ジェームス・ザキさんは帰国直前だったんで、
この時間に、まさにこの時間にミーティングしてたんですね。
通常はもっと違う時間にしてるんですけども、
その時間とかになってくるとたぶん彼は飛行機の中とか海の上とかになっちゃうんで、
それはやめにして昨日この時間にしたわけです。
で、乗ってるはずだって言ったのはですね、
結構ヨーロッパって今、まあまあいろいろありますよね。
難民問題とか戦争とか、まあそれらは連携、連動してますけど、
でまあ、政治は不安なわけですよ。
政治が不安定だとストライキが起きるわけですね。
政治的に進んだるところがあるところは、だいたいみんなそういうところありますよね。
で、まあ日本も敗戦直後にゼネスト問題、ゼネスト運動があって大変大騒ぎになったと思うんですけど、
僕はそんなことは知りませんけどね。
まあ飛行機が飛ばない可能性があると、それはなかなかすごい話だなと思ったんだけれども、
まあそういうわけでですね、もしかして今日の飛行機には乗れないのか、乗ったとしても飛ばないのか、
09:06
というわけで日がずれるかもしれないということだったわけですね。
で、それでまあちょっと話し込んだ、あまり関係ないんだけど直接は話し込んだわけです。
で、話しているうちに、そうかなるほどやっぱりその話しないとなぁと思うようになりまして、
どの話かというと、JAさんのブログなり今回出た本にもある話なんですけど、
要はどうして彼がですね、一旦そんなにこう活動が停止するほど、停止してたんですけどね、一時ね。
落ち込んでいたというか、この話はあのセミナーでも出てくる話なんで別に、
ここで僕が喋っても構わないと思ってるから喋ってるわけですけれども、
まあこの本に書いてあります。始めにのところ、終わりに?始めにだな。
序章に書いてあります。時間よ早く過ぎ去ってくれという、JAさんの文句から始まるやつですね。
で、彼がそれをそういうふうになったというか、そういうふうになったのは今時みんなすごくなりやすい話だと思うんですけど、
これがですね、時間管理とか関係なくはないと思うんだけど、ライフハックとかそれこそタスクシュートとかですね。
で、こういう話に巻き込まれるというのかな、
というのは私は本質的にあまり関係ない話なんじゃないかなって思うんですね。
特にタスクシュートは人によっては真逆に作用するんで、正反対と言いたいんですけどね。
そうなんですよ。JAさんのなったようなこととタスクシュートって直接何の関係もないんですね。
タスクシュートは逆算するツールではないので逆算機能持ってませんからね、はっきり言って。
大橋製造さんが会社員時代にタスクシュートの原点になるようなものをちょちょっと自作したみたいな話があるわけですよ。
これは私の本にも書いていただいている内容なんですけれども、
なぜあなたのタイトルがそこ思い出せないというのは、なぜ仕事は予定通りに終わらないのかみたいな、
技術評論者さんから出している緑本と通称呼ばれている、
どっちかというと白の方が多いような緑本ですね。
あの本にあります。
それは非常に簡単な話と言えば簡単な話でして、
要は大橋さんがたくさんの膨大な量の一つの仕事を、
あれは書類仕事だと思うんだけどわかんないけど、
とにかくそういう仕事が任されたというふうにある話ですね。
実際自分は今これをどういうペースでやってるんだろうというのを知ろうとして、
タスクシュートの元みたいなものを作った。
12:01
例えば書類であれば、書類じゃないかもしれないけど、
なんでもいいんですよ、データベースで宣言について23分で終わってるなみたいな、
そういう宣言23分で終わんないか、ものによりますよね。
そういうようなことですよ。
それを計測したという話。
これタスクシュートの原点ですよね、間違いなく。
ここに逆算ないんじゃないですか。
全体で10万件あるから毎日何件ずつやろうというのが逆算の発想ですよね。
この発想を普通に多くの人が取ると思うんですよ。
でも大橋さんという人はここら辺が僕は非常にユニークだと思うんだけども、
そういう発想を取らないんです。
一緒に仕事をしてて、彼はまずこの発想を取らないなっていう、
ごく自然に多分彼はそうはしないんだと思うんですよね。
まず自分がやる、それを記録していくんだっていう発想なんですよ。
ここに逆算っていうのはないんですよ。
順算っていうことはちょっと最近あって、
これを僕はどう考えようかなと思う。
順算って言うけど、何一つ算出、ギリギリ算出してるか、
順算と逆算というほど意味が逆になってないってことはあるんですよね。
要するに計算しないんですよ、別に。
ただ順次第に、順送りでやってるだけであって、
計算をしてないんですよね。
僕はご多分に漏れず普通に逆算するタイプの人間だったんですね。
それしか発想しないんですよ。
一番僕のやった中でも逆算っぽかったのが、留学の最初のときです。
最初のセメスターって言うんですけど、1学期目。
これがもう逆算したんですよ。
英語の教科書800ページとサブテキスト全部合わせて300ページくらいあって、
一教科ですよ。一教科だけなんだけど、1000ページ超えちゃうわけですね、どう計算しても。
計算するまでもなく。
普通に積み重ねれば1000超えてるのは確実なんですよね。
これをほぼ100日で何とかすると。
そうすると1000だから1日最低10ページ英語を読む。
僕は読めないわけですよ。
どうやっても1ページ読むのに1時間かかるから、
10ページ読むなら10時間かかるわけですよ。
これを全部読むことによって何が起きるかはわからないわけで。
広告等の試験もあると言うし、プレゼンの試験もあると言うし、
しかも当然普通の筆記試験もあって、いわゆる中間期末の試験があるわけですよ。
その間にもやたら試験があるわけですね。
サイドリーダーもできれば読めと。
それについてのレポートも提出しろと。
英作文ですよね、これはね。
できないじゃんって感じになるわけですね。
で、私はこれを逆算したときに、逆算すると絶望しかしないなということがわかったわけですよ。
1日10時間英文読むだけで終わっちゃうじゃないですか。
で、まさか10時間英文読めないんで多分ね。
途方に暮れたわけですよ。
で、結局のところ私は逆算して途方に暮れるっていう毎日を数日過ごしたわけですね。
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逆算して途方に暮れる。
途方に暮れてないとは何もしないわけです。
逆算するとやっぱり途方に暮れるしかないわけですよ。
これで僕は行き詰まった。
すぐ行き詰まったんですね、留学して。
もうセメスターが始まった瞬間に行き詰まっちゃったわけです。
なんかあり得ないなっていう感じでね。
だけどよく考えてみるとですね、
一つわかったことがあったんですよ。
逆算すると途方に暮れるんだなということがわかったんですよ、私は。
だからそのときに、たぶんそのときタスクシュートっていうのは知らなかったけど、
そのときに結果としてですね、
ここは途中のプロセスをすべて走るって結果として僕はそのセメスターが終わり、
次のセメスターが終わったときに授業でAが取れるようになったんですよ。
不思議だったんですよ。
特に2回目のセメスターは一応3教科取ってたと思うんですよね。
ちょっと記憶定かじゃないか。
でも3教科取ってた。
3つAだったと思うんですよ。
非常に驚いた経験だったんですね。
これは1年後に起きたことなんだけど。
逆算すると途方に暮れるんだけど、
結果としては1日10時間ぐらいはA文読んでたけれども、
しかし1日10ページはいかなかったんですね。
大抵の日いかなかったんですよ。
で、わかったんですよね。
1年後にはっきりと。
逆算してちゃダメなんだっていうのがわかったんですよ。
順算したというのはおかしいんだけど、計算はしてないんで。
逆算はしなかったんですよね、もう2学期目は。
意味ないから。
逆算するっていうのは僕を途方に暮れさせるだけだったから。
逆算しないっていうのを私はそのとき学んだんですよ。
そのとき何をしたっていうのは学べなかった。
そのときただただ、何だろうな。
得当たり次第やったんだけど、逆算だけはしなかったんですね。
そのときやったことの大半はわけわかんないことで、
ほぼ無意味なことだったんですよ。
ほぼ無意味じゃないんだけど、無意味なことがいっぱいあったんですよ、その間には。
だから覚えてないんですよね、はっきり言って。
今喋れないのは、そのプロセスがちょっとしたいって思われるかもしれないけど、
そのプロセスは、昔ブラックジャック、手塚治虫さんの漫画でね、
彼が言うんですよね。
君は一体どういう風に手術してるんだって偉い先生に言われて、
そうですね、ヤクザのチャンバラですよっていう。
無我夢中で切りまくっているんですみたいな。
それで手術やられてもなって感じもするんだけど、
僕もそういう感じなんですよ、あえて言うなら。
ヤクザのチャンバラなんですよ。
とにかくやれることは手当たり次第に何でもやったんですよね。
そしたら三つ目だったみたいな、そういう話なんですよ。
で、間にあったことは一つも覚えてないとまでは言わないけど、
物が動くぼんやりとしか覚えてないんですよね。
だから説明がすごい難しいんですよ。
説明することはできるんだけど、意味がないなって感じがするんですよね。
18:02
本当に意味のないことを、っていうか、意味のないことをいっぱいやっていた記憶は何かあるんです。
しかもそれもキレキレにあるんですよ。断片化しちゃってるわけですね。
睡眠もわけわかんない状態で、寝たり起きたり起きたら英語を読んでみたいな感じで、
食事を適当に牛丼作っては英語を読んでみたいな、そういう世界だったんですね。
とにかく私にできる能力のその辺が限界だったんで、そうしてたとしか言いようがないんですよ。
タスクシュートあったらよかったなと今は思うんだけど、
それはつまりタスクシュートというのは逆算はしないってことなんですよ。
ここからが今日のテーマなんですけどね。ようやく思い出したんですけど、
Jさん昨日ツイッターで連答もされてましたが、要するにですね、
あれをやったらまずいっていう話とタスクシュートは根本的には関係ないんですよね。
つまりあれというのは、昔ですね、昔でもないんだけど、
グッドワイブス、むっちゃけそうだっていうのを倉園圭三さんとやってたんですね。
YouTube。あそこで面白い言葉が、倉園さんはよく面白いことをおっしゃるんだけど、
なりなさい自分っていうのを表現されたんですよね。
あれは普通、なりたい自分はこれだって洋服をかけてみると面白い表現なんだけど、
今では普通に一般用語みたいな顔をしてますけど、なりたい自分になりなさいって言うじゃないですか。
2つとも入っちゃってるんだけど、そういう本あるんですよね。
なりたい自分になりなさい。結構そんなに最近の本じゃないですよ。
割と昔の本だと思う。
なりたい自分になりなさいだった気がするなぁ。
まあいいや。とにかくそういうなりなさい自分。
で、この昔のですね、昔のつっても僕が子供の頃ぐらいの、せいぜいその程度の昔なんだけど、
その頃よく言われてたことには、我々の自由ってのはなりたい自分VSなりなさい自分だったんですよ。
どっちかしか選べない感じだったんですね。
意識高い系とかって言いますけれども、そういう世界で言われてることってこれしかなかったんですよ。
なりなさい自分はダメだと。なりたい自分になれと。これだけだったんですよね。
ホンダ総一郎さん、ホンダ技研の創始者かな。
彼がやりたいことをやれっていう本を書いてますけど、
まずそのものズバリなんだけど、これだったんですよね。
我々の時代って、自由といえばこれを意味していた。
やりたいことをやれ。なりたい自分になれっていうやつ。
で、うちくんもではないんだけど、昨日Jさんとそういう話をしたわけです。
で、ツイッターで彼はそういう連登していた。だからあれはよっぽどの経験だったんですよね。
なりたい自分になるぞっていう風に彼は確かにそういう話をされてました。
2010年頃からね、断続的にその話を集中的にして、
それで彼は割と知名度がついていったんだと私は記憶しているんですね。
21:00
これもすごいざっくりとしてるんですけど、その間いろんなことありましたからね。
僕はそういうことを、何て言うんだろう。
あんまりはっきり意識しない人間なんですよね、もともと。
なりたい自分になろうとかって真剣に考えることはない。
ないところがあるんですよ。
一つには多分、やっぱり何種でしょうね。
これは既視だなとしか言いようがないんですよね。
僕、アイデンティティって言葉を信じることがやっぱりなかったんですよ。
エリック・エリクソンっていう人がこの言葉を非常に広めて、
いつも思うんですけど、ナルシシズムもそうなんだけど、精神分析用語なんですけど、
精神分析用語って広がると異なる意味になって戻ってくるんですよね。
ナルシシズムって自己愛どっぷりうぬぼれが強い人みたいに、
もうそうなっちゃったから仕方がないんだけど、
そういうつもりで使った用語では多分全くないなって思うんですよね。
うぬぼれ、うぬぼれや、とは関係ない気がするんだけど、しょうがないですよね。
もう今さらそんなこと言っても。
エリック・エリクソンが言ったのはそういう意味ではないんじゃないかって思うんだけど、しょうがないですよね。
私の概念は定義を簡単に説明するのは困難な用語なので、
多分そんな言葉は現実に、当時意図したような意味とは全く違う方向に突っ走っていくのを避けられない。
ナルシシズムってなんか、そもそもよく誤記されてますからね。
シズムって書かれてますからね。
ナルシスですから、あれもともとの語源にはナルシスが入ってるんで、
ナルシスは人の名前ですからね。
うぬぼれや、というのとは違う感じがするんですよ。
うぬぼれてはいるんだけどね。
だからある方に教えられたし、それは本にも書いてあったんだけど、
ナルキストス病っていうような言葉が、
そういうようなつもりで、多分ブロイトは考え出した言葉で。
アイデンティティっていうのも、エリック・エリクソンが考えたときは、
彼がユダヤ人であるということとすごい深い関係がありまして、あれは。
でも彼の国籍が曖昧というか、曖昧っていうのは勝手にそういうだけの話なんだけど、
そういうこともあって、アイデンティティ。
アイデンティティってことと関係があると思うんですよ。
なりなさい自分だの、なりたい自分だのっていうのは。
よく自分とは何者かって話とすごく関係があると思うんだけど、
やりたいことをやりましょうっていう話も、やりたいことをやるのはいいんですけれども、
四六時中やりたいことをやっていて嬉しいわけじゃないじゃないですか。
一見嬉しそうなんだけど、やっぱりこれよっぽど簡単な例がいいと思うんで。
例えばケーキ大好きですって言っても、
24:00
一日中ケーキ食べてたら多分吐きそうになると思うんですよね。
つまりアイデンティティっていうのは、人がアイデンティティっていうことをなぜ考え出すかというとですね、
結局やりたいことをやるのはいいんだけど、
やりたいことをやり続ける条件というものを同時に整えたい、
というか整えなきゃって思っちゃうと思うんですよ。
まずケーキをずっと食べ続けるという話になってくると、
ケーキが好きですでは進まなくなってきます。
ケーキ早食い選手権みたいになっちゃうじゃないですか。
一歩間違うと。
そのためにはまずお腹を空かせて、できれば筋トレもして、
消化能力を高くしてみたいな、もはや単なる訓練になりますよね。
パン食い競争とか見てると僕いつも思うんですけどね、
最後絶対地獄でしかなくなって、パン好きとか好きじゃないとかどうでもよくなるんだけど、
ああいう光景をしばしば見ますよね。
大好きなことをしましょう的な話だと。
私テレビゲームオリンピックみたいなのってあるじゃないですか。
ビデオゲームオリンピックみたいに言うんですか。
わかんないですけどね。
あれもすごいなって思うんですよ。
韓国とかがすごい進んでるんですよね。
もう完全に1日中ゲームを最高のガジェット類を揃えてやるわけじゃないですか。
朝から晩までで。
明らかに私あれは辛いなってか、見てるだけでも辛くなってくる。
好きだからって言って、そればっかりやってられるもんじゃないですよね。
つまり、やっぱり現代というのは一般的に言っても、
サバイブっていう話でも当然そうなるんだけど、
資本主義なので、つまりそれはお金を稼ぐっていうことのさらに向こうには、
生きていくってことがあると思うんですよ。
生きていくっていうのは、要するに持続的にできるって話があって、
だから好きなことをするってことになると思うんだけど、
持続的に好きなことをやり続けるっていうのは、
結局好きでもなんでもなくなっていく傾向が強いですよね。
そこで人は問い始めるわけですよね。
この問いが始まった時は僕はもう全然ダメだと思うんだけど、
本当に私が好きなものは何なんだろうって問いが発生しちゃうんだと思うんですよ。
僕もこの20世紀、21世紀生きてきたから、
この問いを自問せずにはこられなかったんですよね。
自問はさせられてたんですけど、
やっぱりしばらく考えるうちに嫌だって考えるようになったんですよ。
なんでそんなことしなきゃならないんだっていうふうに思うんですよね。
私は東京ライフ研究会でも、
この問いがやっぱりその問いに来ちゃうんだなって思って、
ベックさんとエフタさんですからね。
当然そういうふうになるんですけれども、
佐々木さんだって自己実現というものを求めたことあるでしょうってことをエフタさんに問われて、
やっぱりこの人とはいつもこの問いについて喋ってなきゃならないくらい、
27:07
いつしかなるなっていうのをしみじみと感じたんですね。
私はもうその問いは20代でやめにしたんですよね。
28くんあたりでやめることにしたんですよ。
だから都米したんですよ。
29のとき、8かな、アメリカで留学した記憶があるんだけど、
そのときやめたんですよね。
やめようとこれについて考えるの。
私の冷蔵んでているっていうのかな、
存在理由みたいについて考えるのを一切やめようって。
Jさんのツイートを見ていると似たような年齢なんだなと思ったんですけど、
やっぱりこの問題について考えてしまうんですよね。
なぜならしつこくその話がその辺でされているから。
自由に生きられるということになってくるとですね、
好きなことをしたいと思うわけですよね。
自由に生きられるから刑務所で行きますみたいな。
まずそういう発想には普通はならないじゃないですか。
自由に生きられるんだったら、
なるべく自分がやってて気分がいいことや、
心地のいいことをしようってなりますよね。
ここに大きな問題の一つがさっき言ったように、
そればっかりしているのが好きとは言えない。
それはやっぱりそれをやるのが好きなことは好きでしょうけど、
例えば私リンゴ食べるの好きでしょうけど、
食べるものは全部リンゴになりましたとかったら、
やっぱり地獄のようになっちゃうわけですよね。
だからここから先を突き詰めないのがいいだろうって思うわけですよ。
アイデンティティの話を読んでも、
それこそ今のような話って現代思想には、
現代と言ったってそんなについ最近じゃない現代思想なんですけど、
デリダとかね、ドゥルーズとか、フーコーとか、
マルクスとかも当然ここに入ってくるんじゃないかと思うんだけど、
そういう人たちの読んでも言ってることは大体全部そういう話なんですよね。
ざっくりこういう話を読むには千葉雅也さんとか、
もうちょっと前で言うとソフィーの世界とかを、
しかも後ろの方を読むといいと思うんですけれども、
ざっくり書いてあるわけですよ。
はっきり言ってフーコーとか、僕あれですからね、
読んだ本はありますけど、
生と歴史だっけ、なんかよくわからなかったんで。
ただなんとなく、このこと言ってるよなってのは感じるんですよね。
絶対このこと言うことになると思うんですよ。
資本主義で自由主義で自由に行きますってなったときに、
ある種の選択の余地があるような感じがする生活をしていれば、
間違いなくこれを考えさせられる。
僕やっぱり一番これを考えさせられたのも中学高校だった気がする。
進路を決めるって話が出てきますからね。
仮にここでアウトローとかドロップアウトするという選択をしても、
30:01
もうそれは一つの選択になっちゃうんで、
いや俺ドロップアウトしますから関係ないですからって言っても、
すでに関係付けられてるからドロップアウトになっちゃうわけじゃないですか。
それはアウトなんだっていう話じゃないですか。
どれも選びませんというのは悪い選択をしましたよというふうに、
勝手に定義付けられてしまうじゃないですか。
だから全然自由じゃないわけですよね。
昔に比べると過酷じゃないかもしれないけど、
過酷じゃないというのは無知で打ったりはされないとかそういう話でしかなくて、
過酷じゃないかどうかだって分からないと思うんですよね結構ね。
昔本当に過酷だったというのをお前知ってんのかと言われると、
実はよく知らないのかもしれないなって思うんですよね。
昔の人の方が、いやあんた大変だねって言われるかもなって思うんですよ。
僕の生き方を昔の人が見たらね。
分かんないですけどね。
とにかくそういうわけで、
好きなことを自由気ままにはできない。
好きなことをやれっていうのは、
本田総一郎さんの本読んでもそう思うんだけど、
めちゃくちゃストイックに生きろって話になってるわけです。
それは結局、好きであるものは得意であるようにならなければならないっていう構造に、
無理やり叩き込まれるからですよね。
ゲームの選手権がまさにそういうことですよ。
うちの子だって今のようなテストが迫ってくると、
スーパーマリオやりたくなるわけですよ。普段しなくてもね。
こういう意味ではやりたいんだけど、朝から晩までスーパーマリオやれと。
スーパーマリオでジャンプをするやつで金メダルを取れと。
取れなかったらお前はここから放り出されるみたいになってしまったら、
同じじゃないですか結局。
それは英語の勉強でもマリオの訓練でも一緒ですよね。
全然変わらなくなると思うんです。
だから私はこのカラクリとの関連の中でしかどうせ、
アイデンティティっていうのを社会で言っても意味ないと思うんで、
自分のアイデンティティについて自分だけで考える分にはまだしも考えなければね。
だけれども、世の中であなたは何が好きですか。
あなたは何者ですか。あなたは何が得意ですか。
っていうのに対する答えを持つという意味で、
なりたい自分なの、なりなさい自分なのっていう話をしていても、
しょうがないなっていうふうに思ったわけです。
私は無印良品の最近、アトピー出なくなったのをいいことに、
バーンっていうのを食べてるわけですよ。不揃いバーン。
かき揚げ塾でも食べていて、みんなに笑われたりするんですけれども、
バーンも食べてるわけですね。
でもやっぱりバーン好きですって言ったからといって、
バーン好き人間とかにされて、バーン好き選手権みたいなのをやりたいとは全く思いませんからね。
あれは1日1個で十分ですよ、私にしてみれば。
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1日1個以上は食べられない。後で気持ち悪くなるんで。
だから本当にそれについて言及するのは、あるいは頭を悩ますのはよそうって言ったんですよね。
それは結局はこの話に載せられるに過ぎなくて、
だから私本当はタスクシュートの人ですみたいなのを言うのも、
本当に仕事になったから、理事とかにもなったから、そういうことにしておきますが、
みなりに言及しない方が本当はいいんだろうなと。
やっぱりそうすると僕らは変な後ろめたさを持つじゃないですか。
タスクシュートについてありとあらゆることを知っている人でなければならない。
そうなったら便利とか好きとか関係なくなっちゃうわけですよ。
このことをツイートでJさんはもっと整然とね、
僕みたいにこういう散発的に喋りまくるとかじゃなくて、
整然と書かれてたわけですよね、昨日。
でも同じ話です。
要するになりたい自分もなりなさい自分も、
未来の像なんですよ。未来のイメージ。
そこに自分を向かわせるという未来のイメージになってしまう。
しかもそこはストイックにするほどいいんだっていう、
なんて言うんですかね。
言うならば人間社会の一つの原理なんですよね。
そういう人の方が役に立つ。誰かのね。
だからそういうただ好きなんじゃなく、
ただ気ままにやるんじゃなく、思い出したようにやるんじゃなく、
例えばやるなら毎日やれとかあるじゃないですか。
ブログとかでも毎日書けみたいな。
そこに習慣化って話になっていくわけですよ。
つまり同じことを繰り返せってことですよ。
同じことを繰り返せってことは、
お前はそういう人間として同じことを繰り返したら認知してやるってことですよ。
これを人はアイデンティティと呼んじゃうんですよね。
その辺のことは風光という人が書いてますよね。
彼はしかもこれを刑務所との兼ね合いで書くあたりが、
非常に現代思想家だなって思うんですよね。
これは要するに、ちょっと言葉は厳しいかもしれませんけど、
一種のファシズムだよっていう風に彼は言ってるわけですよ。
アイデンティティを規定させられるなどというのは、
刑務所に例えてるわけですからね。
つまりそれは罪人扱いだよねっていう話をしているわけです。
ここにちょっと風光の話になっちゃうんですけど、
これは戸畑海斗さんの話からちょっと来てるんですけどね。
結局、昔昔中世で、17世紀くらいなのかな、
刑務所というものが発明されたと。
もっと前からあったと思うんだけど、
でも近代的な刑務所っていうのはね、そういうものだと思うんですよ。
千と千尋の神隠しを思い出しますよね。
彼は彼女千にされてしまいましたよね。
人間番号にするんですよ。
強制収容所とかでお決まりのパターンですよね。
記号と番号にします。名前を取っちゃうわけですね。
36:02
もちろん管理しやすいからです。
ちなみにこれ面白い話が、このPodcastで一度喋ったことが、
一数度喋ったことがあると思いますけど、
戸畑海斗さんがこれは鋭いなと思ったんですけど、
ハワイアンセンターとかでも同じことやるよねって話をしてるわけですよね。
僕ら番号にされるじゃないか。
それこそ1000番とかでキーホルダー渡されて、
これでこちらに靴を入れてください。
つまり外に出るんだったらお前その番号返せよって話なんですよ。
つまりそれは自由自在に外に出られるところが大きな違いですけども、
やってることは変わらないよねってことなんですよね。
あれ絶対そのうちチップつけて電子化されて、
番号無くす奴いるからね。
僕とかノーノード無くすんでバカだって、そういうところは。
失くしましたみたいなこと言うと面倒くさい奴だなって顔を一様にされますよね。
あの番号で全部管理してあるわけじゃないですか。
食事もこれでできますと。
でもそれは外から食事を持ち込むなってことですよね。
持ち込むなってことでもありますよね。
そのお金は全部プレジットカードから落ちるから、
全く向こうにとってはいい商売なんですよ。
これ何を意味するかというと、
管理しやすいってことなんだけど、
ここを一歩突き詰めていくところが空港ってすごいなって思ったんですよね。
多分彼は20世紀中洋かその以前の人なんだけど、
もうはっきりと21世紀の社会のことが分かってんなっていう、
その部分に関してはってことなんだけど。
つまりアイデンティティを番号にして管理しやすくするということは、
あれなんですよ。
近代的な刑務所の最大の一つの特徴が、
法みたいなの立てて、
総学業みたいなの使って広場に囚人が自由にある程度ね、
刑務所の囚人が自由に行動しているように見えるんだけど、
一点から一人か二人がいれば、
全部見張れるような位置関係にあるわけですよね。
つまりこっち側に半円に近い形で世界を伸ばしていけば、
ある一箇所からある程度の距離に広場があって、
その塔から全域が見えるようにしていれば、
囚人たちの行動は全部見渡せるわけですよ。
でもこれがファイアンセンターでも、
同じようなことが実現できちゃうわけですよね。
今度はICチップみたいなのを使って、
よく分かんないですけどね。
どこに誰がいて、何食ってて、
いくら使ったのかも全部分かるわけじゃないか。
でもそれは便利でと支配っていうことはないんだけど、
監視ってこともないんだけど、
お客さんとしてもそうされていたほうが安心だっていう人は
いっぱいいるわけじゃないですか。
風光は自由からの闘争という言い方をしましたけど、
不自由なほうが幸せなんですよ、一方が違うと。
だって鍵なくしたりするバカがいるからね、私みたいに。
靴もどこにあるのか分けませんみたいな、
そういう、これ何を言ってるかというと
逸脱行為ってことなんですよ、結局はね。
逸脱しなければしないほどスムーズに管理できて、
39:01
スムーズに管理できればできるほど便利で、
風光が言ってるのはその先なんですよ。
ということは監視する人間って実はいらないよねっていう話を彼はするんですよ。
ここが現代的でやっぱり天才的だなって思ったんですよね。
20世紀の最初のほうにこれを言うのってすごいの。
つまりその塔から監視するわけで、
17世紀には人いたって思いますよ、もちろんね。
人いて双眼鏡みたいなの見てたんでしょうね。
あるいは目のいい人が見てたと。
しかし、その人本当に必要かって話なんですよ。
統治される側が不自由なほうが幸せだとか心地いいとか感じ始めるならば、
その塔に人いらないじゃないですか。
で、大事なのはその塔に人がいるかいないかが分かんない状態にすることなんですよ。
ほうが、ほうからは見えない。
でも、ほうのほうを見てもそこに人がいるのかいないのかは完全としない。
この状態が一番恐ろしいですよね。
つまり監視社会ってのはこうやって作り出せるって話を風光はしているわけですよね、きっと。
まあなかなか意地の悪い人だなとも思ったんですけどね。
つまり見えないということは、でも見えないからといっていないとは限らない。
いるかもしれない。
だから脱走とか逸脱行為とかがしにくいわけですよね。
つまりハワイアンセンターだってそうなんだけど、別に人が管理しなくてもいいわけで、
AIとかが管理すればいいわけで、
でも人はその中で逸脱行為を自ら慎むようになりますよね。
だって不便だから、そういう逸脱行為をすることによって、
自分が不便をこむるから、
だからそういうことをしなくなる、鍵なくさなくなる。
こうして自己規律というものができてくるわけですよ。
アイデンティティと自己規律が今の時代は間違いなくセットですよね。
日々筋トレをするとか、毎日同じ行動を繰り返すことによってですね、
自分は管理されやすい人になることによって、
快適というものが手に入るように。
そういう方向に多分世の中って向かっていくんですよね。
向かっているし、今も猛然と向かっている気がするんですよ。
Amazonとか使ってると思うんですけど、
自分多分記号番号になってんだろうなって気がするんですよね。
あれって別に監視してる人が、
なんかジェフさんとか知りませんけど、
偉い人が一人で全ての人を監視してるはずがないじゃないですか。
あれは絶対人がいないように作り出されていくんだと思うんですよね。
これってすごいことだなって思うんですよ。
私たちはなりたい自分とかになろうとするわけじゃないですか。
自己規律によって。逸脱しないですよね。
なりたい自分になるために、
なんかね、外に行ってナンパして、変なドラッグやってみたいな。
大概そうはならないんですよ。
なりたい自分になるために、英語の勉強をして、
なんなら中国語の勉強をして、プログラミングをして、
腕立て伏せをしてってなるじゃないですか。
すんごい不思議ですよね。
42:01
でもこれは全然不思議なことではないんですっていうことを、
風光って人は言ってるわけですよね。
彼の本の中かはちょっと思い出せないんですけど、
でも間違いなくこの種のことは言ってるんですよね。
これJさんが昨日ツイッターでツブヘってたのと同じなんだけど、
結局は良いアイデンティティと悪いアイデンティティというものができてくるんだと。
世の中にはね。
つまり、こんなものは元々なかったはずなんだけど、
逸脱行為はあったに違いないですよ。
古代から、中世以前にも。
つまりなんかタッチションするとか、知らんけど。
そういう逸脱行為はあり、で、それを起こった人もいたでしょう。
だけども、逸脱するアイデンティティなんてものはなかったわけですよ。
よっぽどひどいことをすれば、もちろん隔離ってされてたんだと思うんですけど、
この一箇所に隔離するべき人たちを集めて、
それを監視するというシステムを作って以来、
我々はそっちに向かってるんですよ、人間は。
これ不思議で何でもないと思ってる人が世の中いっぱいいらっしゃるんでしょうけれども、
森博さんが千年女王でしたっけ、
あれは珍しく新庁から出ている作品の中で書いてましたけど、
どうして犯罪者をあなたたちの国では閉じ込めておくんですかっていう、
どうしてって言われても日本人はすごくそこで、
え、やって危ないじゃないかっていうと、
だけどその人が殺した人はその人がその時殺さなければならないと思った人であって、
その人が外を歩いてるからといって他の人を次から次へと殺すと思いますかっていう、
この女王に聞かれるっていうシーンがあるんだけど、そういうことなんですよね。
その人は逸脱する、危険な行為をするというアイデンティティを持っているんだっていう風に、
我々は見なすようになるんですよ。
つまり習慣とか性格というものは、
同じことを繰り返す何か原点みたいな、
そういう一般的なこれはすごい危険な思想なんだけど、
そういう、なんつうんですかね、
そういうものを持ってるんだってことにされちゃうんですよね。
それがその人をしてそういう行動に借り立てるんだみたいな。
そんなことって別にエビデンスがあるわけじゃないし、
実証されてるわけですらないじゃないですか。
でも僕らそれを不思議だと思ってませんよね、明らかに。
じゃなければ刑務所ってものすごく不合理なものになってしまうと思うんですよ。
これを我々はでもやってるから、
良いアイデンティティという、つまり、
なりたい自分とかなりなさい自分というものを目指せという話になっていて、
目指せる人というのは、
そういうもともと自分らしさみたいなのを持って生きてるんだっていう話にされているんですよね。
だからJさんがなったみたいな活動不能状態に陥るんですよ。
僕はこれとタスクシュートは直接の関係はないと思うんですよね。
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ほぼ真逆だというのをこれから主張したいんですけど、
少なくともタスクシュートっていうのはこれを意味しないっていうのはあるんですよ。
なぜならなりなさい自分像というものを置くべき場所があそこじゃない。
だけど世の中的にはあるんですよ、そういうものが。
良いアイデンティティを目指しなさいというね。
そのために自分を追い込んじゃうわけですね。
良いアイデンティティを目指して朝4時半に起きるみたいなものを作ってしまうんですよ。
そうするとその人は4時半に毎朝起きられる人にならなければならなくなるんですよね。
いつかそういうのを最初は習慣化とかセルフマネジメントみたいなもので実現していき、
最後は自然とそういう人間として生きていくことができるっていう、
そういう発想を持つようになるんですよ。
しかもそこには相互監視があるんで、途中で言った風光の湯、
こっちからは見張られていることがわからないと言うようなものがある。
あるじゃないですか、SNSとかにね。
それは松本成長さんの書くアザブの老人とかで言ってるわけじゃないんですよ。
相互にやるんですよ、僕らはね。
だから権力者は必要ないってことなんですよね、この機構。
そこが風光の言ったすごい先進的な話なんですね。
ここの話のどこにも実は独裁者みたいなのがいらないんですよ。
ただただ相互に、あの人は何者かになれたよね、あの人は脱落したよねっていうのを
SNSでお互いに囁き合うというような形を取るだけで、
みんながその良いアイデンティティというものをめいめいが勝手に持って、
勝手にセルフマネジメントを始めて、勝手に自分を管理し始めてくれるから、
あとはもうその管理システムさえあれば、
どんどん自立的にその方向に向かっていくという話なんですね。
私たちはそれをすでにその実験場に入ってきていて、
いろんな言葉を使ってはですね、
作手とか親ガチャとかいろんな言葉を使って、
相互管理を日々スマートにスマートにやるようになっているんじゃないでしょうか、
みたいなことを現代思想化を継承ならすっていうんですかね、
そういうふうな話を書いているわけで、
私は要するにそれに抵抗しましょうっていうか、
極力ポイしましょうっていう話をしているわけですよ。
なぜならその先をやっていくと、
多分やっぱり人間はそういうふうに生きられないんだなという、
正気を失っていくなっていう感じがするんですよ、すごく。
このやり方で成りなさいアイデンティティを目指していくとですね、
必ず、必ずというかまずそういうことはできないか、
できても自分にものすごく万力で力をかけるような真似を心に対して、
せざるを得なくなっていくので、
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どっちにしても苦悩が増えるばっかりだという感じがするんですね。
あるいは自分の自由がものすごくなくなって、
気がつくとつまり動けなくなるんですよ。
全く自由じゃなくなるから。
つまり逸脱という、
発想それ自体が多分ナンセンスな気がするんですよね。
まして逸脱するアイデンティティなどという、
つまりこれは良いアイデンティティを持てない人は、
悪いアイデンティティを持った人にさせられてしまうっていう意味で、
それは嫌だから、みんな揃ってというのかな、
少しずつ自分に負荷をかけていく。
そうして動けなくなっていくわけですよ。
なぜなら良いアイデンティティってものは多分ないからなんですよね。
これは完全にそれこそイリュージョンなんだと思うんですね。
かつてあったことがないわけですからね。
あくまでもそれは未来に置くものじゃないですか。
なりたい自分もなりなさい自分もどっちも未来にあるということは、
今は持ってないっていう意味ですよね。
今持ってない私が、空想で作り出した私に、
この話はいつもと同じところに落ち着くんだけど、
なれっこないわけですよ。
だから、ただそれを我々はなれっこないではちょっと済まないような、
社会機構をなんとなく形成しつつあるので、
だからそれに我々は結局内心不安を抱える。
だって明らかにそれは不安ですよね。
結局自分を見張ってるんだか見張ってないんだかも分からないような、
相手を意識しながら日々自己規律に励むっていうのは、
全然気分のいい生き方ではないような気がするわけです。
それがたとえそこにいるのがハーモニー・ハンセンターだったとしても、
ハーモニー・ハンセンターの話をしてるわけじゃないんですけどね。
これは遠畑海斗さんの影響をまともに受けてるにすぎなくて、
なるほどと思ったからなんですけど、
実際ハーモニー・ハンセンターは監視してるわけではないんでね。
これは僕らの社会の暗優なんですよね。
それがこういう僕らに寝深い恐怖を与えている。
実際この番組に出てもいる人多いと思うんですよ。
安崎出現多いなみたいな。炎上して大変なことにならなきゃいいみたいに思う人がいると思うんですよ。
これがまさに監視されている真理ってやつなんですよね。
誰が監視してるか分かんないじゃないかっていうのがまさに風光の塔なんですよ。
塔の中で誰がいるか、そもそもいないかどうかすら分かんない。
この状態って結局ある種脅迫神経症的な真理をあらゆる人にインストールしていく。
だから僕はこの番組は好きだらけであればあるほどいいぐらいに思ったんですよ。
後僕はツイッターでもそうしたいんだけども、
どっちでもいいことなんで、あえて挑戦するって話じゃないんでね。
明らかにそういうことを言いながらそういう話をしている人もいますけれども、
51:02
私はこれは喋り言葉、これもデリだっていう人の話が出てきそうな部分なんですけど、
一旦ここは省略しますけど、
喋り言葉だからこれでいいんじゃないかと。
書き言葉になってしまうともっとめんどくさい話がやっぱりいっぱい出てくる気がするんですよ。
だから喋って、記録には残ってますけどね、
喋っての話がこれも出現っていう部分で、
やっぱりみんなそういう部分、そういう流れというのかな、
そういう方向性というもの、
やっぱり塔の中に誰もいないんだけれども、
そこから監視されている真理だけは作り出されているっていうこの話。
私はそういう方向とパスクシュートは幸いほぼ逆だ。
なぜならばあるがままの自分だけが最終的に記録に残っていくように、
あれはなってますから。
あるべきっていう、なりなさいでもなりたいでもどっちでもいいんだけど、
未来の自分の要素っていうものは必ず書き消えていくように作られて、
そういうふうに作られたからそうなってるわけじゃないんですけれども、
結果としてそうなりますからね、あれだったら。
やっぱりあれの中でも逆算思考に固執しない限りは、
なりなさい自分の方を重視しなければいけないというのは、
あのメソッドの中には一つもないんですよ。
これからはそっちの話をしていければいいのかなとは思っています。
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