国保さんが2戦アンダーを成し遂げるシーズンというのが、僕ちょうどフォークスの担当で、
なおかつ国保さんの担当だった以前、昔にちょっとそういうお話をしたことがある。
1話目とか2話目がその話をされてる。
そうですね、その時僕がフォークスで国保さん担当ということなんですけど、
まさにその2戦アンダーを達成するのを盛り上げるためにですね、
私自身その企画を打ちまして、2戦アンダーのカウントダウン企画というのをやったんですね。
証言国保ひろきみたいな形で、いろんな人から見た国保選手というのがどういう存在なのかというのを追っていくということで、
結果的に25、6回連載させていただいたんですけど。
25人の方が国保選手、当時選手を語ると。
1回目に王貞治会長のお話聞いたり、青岳大、もともと国保さんって青岳の出身なんですね。
その時の当時の監督でいらっしゃったり、高校が和歌山成林高校、そこの高校後の監督でいらっしゃったり、
あと青岳とフォークスで後輩だった井口さん。
井口選手は青岳も一緒ですね。
あと工藤さん。工藤さんは実際にフォークス巨人時代に先輩になりますね。
例としてですね。
あと巨人時代の先輩として桑田さん、桑田増美さん。
またこういったお話もいつかちょっと。
桑田増美さんか。
桑田増美さんにもお話聞いたりして。
やっぱり僕の小学校の時のヒーローは桑田だからね。
そういう連載をさせていただいたんですが、その連載でやはり僕は最後。
最後2000アンダー達成の時に締めるのは誰かと思ったら松中さん。
やはり一緒に歩みを歩んだ二人ですね。
ということで松中さんのお話を記事で触れさせていただいたお話をちょっとさせていただきたいんですけど。
松中さんっていうのはすごく大打者になられましたけど。
1997年の入団から2年間というのは社会人時代金属パッドだったんですね。
なので木製パッドとの違いに苦しんで。
実は2年間ぐらい二軍暮らし長かったんですよ。
同期ではさっき言った井口さんだったり。
あと今西日本スポーツの評論家もしてくださっている柴原さんが同期でいらっしゃって。
実はその同期の方が先に一軍で活躍するような感じの中だったんです。
なので松中さん自身焦りもあって苦悩もあって。
そういう状況だった。
その時に救いの手を差し伸べたのが実は国保さん。
国保選手の方が少し先輩?
先輩です。
国保さんがですね。
二軍でちょっと1ヶ月ぐらい調整することがあったそうなんです。
これは松中さんのお話になってますね。
その時に松中さんを何とか打たせようと。
本来の力を発揮させてあげようじゃないかということで。
その当時は二軍監督が石毛さん。
打撃コーチが橘さん。
この方々と国保さんが3人で松中さんの打撃フォームを熱心に研究してアドバイスを続けてくれたそうなんです。
そういうこと実はあったらしいんですよね。
松中当時選手が入団して間もない頃。
1年目2年目の頃です。
まだ一軍で活躍できない。
なかなか目が出ないという時にそういうことがあったそうなんです。
それは松中さんから教えていただいた。
その成果があったんでしょうね。
翌年にレギュラーに定着。
先ほどから何度も言っている平成唯一の三冠だった。
大打者へどんどん成長していくんですけど。
そのあの時の気遣いというのは今でも本当に感謝しているということを松中さんはその時取材でおっしゃってくれた。
チームに次ぐ国保さんに次ぐような大打者になったんですけど。
ただやはり成長すればプロなのでやっぱりライバル心も非常に芽生えたそうです。
国保さんから四番を奪うんだという気持ちが強かったとおっしゃってますね。
でキャンプとか春キャンプとかの打撃練習では国保さんって猛練習が有名だったんですけど。
国保さんが練習を終わるまでは自分は絶対に辞めないと決めている。
だからすごい恩義はあるけど同じプロとして同じ舞台に立ったら実はそれを上回るぐらいの成績を出すことが逆に恩返しだぐらいの気持ちだったんでしょうね。
非常に激しくライバル心を燃やして2人とももちろん国保さんも松中選手に負けるわけにはいかないという思いですね。
そういうことで2人で2人の代名詞といえばやっぱりホームラン一発ですよね。
このMK4と言われてました。YouTube見ていらっしゃったらわかるかと思うんだけどこの2人がホームランを打った試合の。
これはKM4になってますね。
国保さんからですねホームランを打ったということもそのコンビのホームランというのはこの取材した時点ですので。
でもこの年が国保さんがシーズンを引退なさるシーズンになりますのでほぼこれぐらいの数字で終わってると思うんですけど。
その時でシーズン2さん39回松中さんと国保さんが2人がホームランを試合中にですね。
この試合の勝率は34勝5敗。
すごいですね。
すごいですね。
やはり2人の問い合いでチームが成長していくというのは間違いないですよね。
それにしてもその8割の勝率もだけど39回40回ぐらいは2人揃ってのホームランの試合があるってことでしょ。
だからどっちかが打ったらどっちかが負けない負け地と打つんでしょうね。
気持ちの部分でやっぱあるんじゃないですか。
すごいよね。
なのでもうそういうぐらいやっぱりそれぐらいホームラン国保さんが打ったら自分もみたいなお互いにこう意識し合うんで。
やっぱり意識し合いがすごい強いので周囲からはこう仲悪いんですかって聞かれたこともあるんだそうです。
それについてのアンサーとしてはそんなことはないと笑ってらっしゃいました。
あまり話さなくても分かり合えるんですよと。
お互いに照れがあるんだけですよというようなことをおっしゃってました。
国保さんにはちなみに2000アンダー国保さんが達成して祝福メールを松中さんが送ったら当時松中さんはちょっと一軍から外れていた時期だったんですけども。
その時国保さんから返ってきたメールにはお前がベンチにいないと寂しいやないかと。
かっこいい。
そういうようなメッセージがあったり。
要は二人じゃないと分からないライバル関係というのがあったんだと思うんですよね。
国保さんが巨人にトレードで出た時は松中さん大活躍しますし、出た後ですよね三冠王になられたら。
そうなんですね。
だし国保さんは国保さんで巨人で40分を打ったり、巨人の4番を打ったりとかですね、首相になったりとか。
お互いやっぱり競い合うのはチーム離れても一緒だし、僕国保さんに聞いたこともありますけどもやはり巨人に行って戻ってきましたけども。
巨人時代もやっぱり松中選手の活躍っていうのはやっぱり刺激になってきた。
そうですよね。
やっぱ一番のある種仲間でありライバルだっていう二人相関のね。
それを松中選手がすごいなとアスリートとしてすごいなと思えたのは、
まあ要はそれを国保さんが私を助けてくれたアドバイスくれたっていうことを別に隠してもいいわけじゃないですか。
だけど国保さんには恩義があるということを言って、その上で二人には関係があるんだということをお話ししてくれて。
僕は正直ちょっと勉強物がそういうことがあったのは知らなかったので。
二人にはそういう関係がもともとそういう松中さんが代打者になる途中にはそういうのもあったということがすごく新鮮だったので記事にちょっとそこは触れさせていただいたということですね。
でその二人が最初に戻りますけども6月3日に対戦というかチームとして対決する。
間違いなく僕意識してないって仮に言っても意識してると僕は思うんです。
松中さんはきっと自分が指導した選手が打ちまくってフォークスをやっつけて欲しいと思ってるであろうし
国保さんは当然カイリュウジンだけど指導者としてもまだまだ自分の方が上なんだみたいなんですね。
国保さんは去年監督になられて松中さんはまだ打撃統括コーチですのでですね。
そういうまだまだ監督の違いを見せるんじゃないかというそういう思いを試合で結果で見せるんじゃないかなと。