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この番組は、西日本新聞で記者生活の大半をスポーツ取材で過ごしてきた大久保昌一さんが、アスリートの素顔や裏話、スポーツの可能性についてお話しする番組です。
こんにちは。番組の進行役で、福岡のニュースアプリ西日本新聞MEの横山です。大久保さん、中臣さん、前回に続きよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回は、2000本あんだの話だとか、400本類だの話とかいただきましたけども、
今日はですね、中臣さんが多分一番聞きたい、選手と記者は時々2人で飲みに行ったりするそうでして。
めちゃくちゃ羨ましいですね。
めちゃくちゃ羨ましいですよね。そんなことあるっていう話ですけど、大久保さんも国防監督と差しのみしたことがあるということで、
その話をちょっと今日は聞かせていただければと思います。
はい、わかりました。スポーツ記者、プロ野球の記者と選手っていうのは前回伝えたかもしれませんけれども、
信頼関係をどう築くか、その過程の中で食事をきっかけにすることも結構多くてですね。
僕の場合は、国防さん担当は目上の方なので、こちらからというのはなかなかなんですけども、格も違うんですけど。
スポーツ記者とプロ野球の選手っていうのは、大体大学卒業した記者だと22、23とかで、入ってきたルーキーと大体同年代なのでそこで仲良くなって、
じゃあご飯行こうよみたいな話から食事行って仲良くなって、それが年齢を通じて上がっていってというような過程を踏むことが多いんですけども、
僕はその30半ばで急に入ったということで、そういう過程があまりなかったんですけれども、
その中でもやはりキャンプだとか、遠征先ですね、そういうところはナイター、キャンプだとキャンプが終わって、
キャンプ休日の前日とかですね、キャンプ休日の前日だとか、遠征先だとナイターの真ん中の日だとか、
3連戦があればね、そういったところで食事を設定したりして、食事をする機会を設けたりすることが多かったです。
特に僕が担当した、コロナが挟んで今どうなっているかちょっとすみません、勉強不足なんですけれども、
その僕が担当した頃は、そういう形で積極的に選手と食事をする機会も設けて、
そこで取材じゃないですけど、エピソードを拾う、仕事を兼ねた。
重要ではありますね、仕事としても。
でもそこにメモを出すと仕事になっちゃうんで、よくそこでいい話だなと思って聞いた話を、
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ちょっとトイレに行くって言って、トイレにメモったりとか、そういうことをするような、そういう結構お付き合いをする形が多かったです。
ですけど、先ほど言ったように、ここは僕より目上ですので、
自分から誘うということはあまりなかったんですけれども、担当という形を取らせていただいていたので、
アリゾナの自主トレとかに行くと、そこの何日目の夜には一緒に食事しようみたいな日を設けてくださったり、
先ほど言った遠征先とかでも、食事しようやという感じで、誘っていただくこともあります。
そういうところでお話をするんですけど、逆にこちら側が2000アンダーだとか、400本類だとか、
そういう記念を決めた時とかに、こちら側からお祝いをさせてくださいという形で申し出ることもあって、
その中で、僕の中で忘れられないのが、国母さんが引退会見をなさった日のことなんですけれども、
その引退会見なさっていた日に、たまたまその前に2000アンダーを達成なさった、
そのお祝いをさせてくださいということを、私の方が申し出ていた時に決めていた日程がその日に重なったというか、
国母さんも2000アンダーを達成された後は、気持ちが振り子のように揺れ動いていて、
現役引退する、いやもうちょっと続けるという、そんな感じの時だったので、
わざとそこになくて偶然その日になったんです。
そういう引退会見があるというふうな話が旧団から発表されたので、
これはもう当然取材は取材しないといけないので、
そのキャンセルになるか、またさっきの場所になるだろうなと思って、
国母さんの方に連絡すると、いやもう待つからと言って、何時に終わるんだみたいな感じで言ってくださって、
必死ですね、早く仕事を終わらないとという仕事で取材をして、
国母さんは引退会見をなさって、そのまま球場を後にしていくんですけど、
僕はそこに球場にいるから、
まだ仕事が残ってますからね、引退会見は書かないからね。
そういうのをするというのは他社には言っていないので、
アイコンタクトじゃないですけども、早寄せよみたいな感じで終わって、
すぐ私が予約していたお店に行ったら待ってくださっていて、
覚えてます?
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なんでこんな日にお前と飯食わんとあかんねんって、笑いながらね、ある冗談で言って、
嬉しかったのが、何かの縁があったんやろうなと言ってくださって、
これは僕、前回ですかね、プロスポーツの取材に入ってやったことがなかったので、
ゼロからやってきたことが少しは国母さんが見てくださってたんだなと、
自分の中でもすごく嬉しくて、忘れられない夜になりました。
そこで話せる範囲でいいんですけど、そこで2人でどんな話をされたんですか?
そうですね、結局あまり正直覚えてないんです。覚えてないんですけど、
ただその日だったか後日だったかが定かではないんですけれども、
引退会見をなさる日、大野さんには事前に伝えるということで、
多分秋山さんもそうですね、秋山監督にも事前に伝えるということで、
9弾の方、ドームの方に国母さんはその日早く行って、
王さんのところに行って、引退の報告をなさったんです。
なさっている間に涙が国母さんあふれてきたらしいですね。
その時に王さんがハンカチをパッと出してくださったんですけど、
そのハンカチを拭いて汚したからすみませんみたいな感じになってたら、
王さんがハンカチを2つ持っていらっしゃることに気づいた。
なんで2つ持っているかというと、王さんくらいになられると、
滅相もないです、みたいな気を使われて、
ハンカチはいいです、みたいなことを言われることもあるようで、
そういうのを相手側に気を使わせないために、
いや大丈夫だよ、僕はハンカチが2つあるからこっちはいいよって、
私というのを国母さんからお聞きした記憶があります。
こういう配慮ができる人間に自分も、みたいなことを言って、
これを実践なさっているかどうかを確認する前に、
僕は担当になれるので、あれなんですけども、
そういったのがすごい覚えていらっしゃる。
王さんのその気遣いと国母さんのそういうのをちゃんと見ていて、
そういうのを忘れないというところの、
2人ともすごいなぁと思ったのがすごい。
飲み会の話、いくつか質問なんですけど、
ちなみにちょっと細かい話なんですけど、
国母さんと王国母さんって年齢的には?
年齢でいくと、僕が高校生で例えると1年生の時の3年生。
2後輩ですね。
ちなみに今回は2000本あんたのお祝いをさせてくださいということで、
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予約は王国母さんがされたということです。
結構選ぶの大変というか、選びますよね。
ただ国母さんはそこも器がでかいじゃないですけど、
選手によっては個室じゃなきゃダメだとか、
そういうのもあったりなんですけど、
もう多分そういうのを通り抜けてきたんだと思います。
僕がお会いした時にはもう全然そういうとこじゃなくてもいいし、
どんなとこでもいいみたいな感じで。
でも本当にどんなとこでもいいって。
いやでもそれなりに僕も探してですね。
でもすごくその頃住んでいらっしゃったご自宅と
そんな遠くないところだって気に入ってくださって。
ちなみにそこは柳田雄貴君とか中村昭君とかも、
もう引退している江川君とかもそこで食事をしたことがあるんですけど、
気に入ってもらって、まだ使ってるとか言ってたので。
ちょっと後で聞かないとですね。
お店の人も嬉しいよね。
次から次にホークスの選手を国母さんが連れてきてくれるよみたいな話でしょ。
すごいよね。
あとあれですね、飲み会の時の国母さんとの話っていうのは、
内容はともかく野球ばっかりの話じゃないですか。
それとも何気ない普通の会話するんですか。
もう本当にそこは逆に気を使ってくださってるんだと思うんですけど、
野球以外の話とかいろいろ本当に幅広くされるしされてます。
多分そういう流れの中で国母さんは本が好きで、
本が好きな縁で北方健三さんって作家の方と交流を持ってらっしゃるんですけど、
そういうお話も聞いたりもして、
そういうのできっかけで西日本スポーツに国母さんが
今読んでる本みたいな紹介する企画みたいなのを立てたりしたこともあります。
そういうことも今お話した話なんですけど、
国母監督の野球に対する向き合い方っていうのは
国母さんの目から見てどんなふうに。
もう向き合い、とにかく準備を怠らない方だなというのがありました。
前回ですかね、お話ししたかもしれませんけども、
2000アンダーを達成する過程の中で、
いろんな方から見た国母さんみたいな企画連載を、
カウントダウン企画をやった時の流れで、
球場に入るまでの動きをついて活かしてください、
みたいなことをやった日もあったんですけども、
そういう日も目の動体視力のところに目の動きを鍛えるようなトレーニングをやって、
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歯医者に行って、首縛るからですね、歯の矯正じゃないですか、
そういうのも行ったりとか、
試合に臨むまでにいろんな国母さんの中でできることをやった上で、
試合に臨んでいるというのを言葉とかでは聞いていましたけど、
実際にこれを毎日なさって試合に臨んでいるんだなというのを知れたのは、
すごく野球に向き合う姿勢というかですね、
本当に好きなんだなというところと、
あと国母さんおっしゃってましたけど、自分は不器用なんだ、すごく不器用なんだけど、
ただ一回それを飲み込む、一回自分の体に覚えると、
それを忘れないんだというようなお話をされていて、
まさにだから続ける能力というかですね、
これは自分が必要だと思ったことはやり続けるとか、
そういう姿勢というかいうのは感じましたですね。
今聞いた胴体視力のトレーニング、歯医者さんに行くというのは、
毎試合前に歯医者さんじゃない?
ではない、でもすごいスケジュールが完全に組まれてあって、
だから簡単に今日のお食事どうですかとか言っても、
まあ何々あるわとなっているような状況で、
すごくスケジュールが完全に、この時期にはこれをする、
この時期にはこれをするというのが目標があって、
それに逆算してこういうことをするというのが決まっていらっしゃる。
前回から言った大谷翔平選手にもすごく共通というか、
もうやっぱりこういう野球を好きな方はしつめて、
それをやりきる才能があるんだなというふうなことは、
そういうのを知れたのは本当にありがたかったというか幸運でした。
国分さんよくさっき言われたように読書結構されますよね。
めちゃくちゃ読みます。
それこそ誕生日だとかにプレゼントすることもあって、
そういう日頃そういうお食事に誘ってくださることもある。
そういう時も本をプレゼントすることもありましたけど、
そうですね、もう読んでた本とかもプレゼントしても、
たくさん読んでらっしゃいます。
なかなか野球選手でそんなに本を読む人って珍しいんじゃないですか。
イメージは確かにないよね。
改めてなんですけど、
今期やっぱりなんでこんなに1年目の国母監督が強かったんだっていう話を、
最後にお聞きしたいなと思っています。
本当に今シーズンの具体的な取り組みという部分については、
今タカバンをやってらっしゃる専門の記者が詳しいし、
僕なんかが言うことではないと思うんですけど、
国母さん自体のこういうふうに結果を残されたというのは、
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というところだけでお話できるとすると、
私が担当してた頃から国母さんは将来監督というのは目標の一つであるということを挙げられていました。
ただ監督というのは自分が選手の時のように結果を自分で生み出すものじゃなくて、
縁だとかいろんな要素が絡み合って、
なりたいからなれるというものじゃないから、
ただそのための監督を任せたいと思えるような人間にならんとあかんということはおっしゃってて、
それをもう多分ではないですけども、
準備を怠らない方だから、それを積み重ねてこられたんだと思います。
これはもうすごく世の中にも出てると思いますけど、
侍の監督をなさった時の、ご自身でもおっしゃってる失敗じゃないですけど、
そういう苦い経験だとか、監督をやる前に工藤さんの時にヘッドコーチで入られて、
それは弊社の記事でも出てますけど、ソース缶を食らったって弊社の記事が出てましたけど、
そういう経験もあって、二軍監督をなさって、
二軍監督でなさった経験を一つ一つ積み上げられる方なんです。
絶対にやったことを無駄になさらない方なので、
そういう経験を一つ一つ積み重ねていって、二軍で選手を育てて、
今年、今日の西日本新聞でも出てましたけども、
育成や二軍から活躍した選手がすごく多いっていうのも、
多分そういう積み重ねのことの成果であると思いますし、
あと、私が知っている中で後押ししたんじゃないかなと思うのは、
国母さんがその晩年、一番最後の年はもう自分だけに集中したいって、
自主トレは一人でやられたんですけど、その晩年の時は、
将来フォークスを支えていくであろう若手の選手を、
自主トレ一緒に来いやって誘ってるんですね。
アリゾナのアリゾナ。
その選手に自分のトレーニングを見せたりとか、
そういうトレーニングの仕方とかを教えてるんですけど、
それが、その教わった中の一人が、
例えば、今期代打の切り札的な存在だった中村昭選手もその人で、
誘われた当時はまだ一軍にも出場したことがない選手で、
高卒プロ2年目の時に国母さんから誘われてるんですね。
国母さんの見る目もそうですし、それに応えた中村昭選手も素晴らしいと思うんですけど、
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誘われて、本当に誘われたんですよって、
すごい中村昭選手が喜んでたのをすごい覚えてます。
多分、だからそういう恩返しの思いっていうのもあったと思うんです。
2軍からすごく選手が出たって言いますけど、
2軍の打撃コーチをなさっている赤嶋賢治さんという方も、
自主トレーニングに誘われてるんですよ。
そういう選手が育てた選手を国母さんが今一軍で使ってるっていうことは、
国母イズムじゃないけど、そういう国母さんの思いを知ってる人が要所にいるというのも、
一丸とまとめて今年は一丸となって戦うとおっしゃってたので、
その意味ではそういう方々、不責じゃないですけど、
そういうのも不責になってたのかなというふうに僕は感じました。
あと、ドームの広報の方だとか、ドームの演出の方だとか、
そういう方ともコミュニケーションを欠かしてなかったそうなんですよ。
それは僕はあと今年取材をして聞いたんですけど、
すごく楽天の仙台行ったけど、あっちの演出の方が良かった、
選手はあっちの方が盛り上がってこんな感じでしたよとかいうのを、
演出とか広報の方とそういうお話をなさったり。
そういう意見ってすごくありがたいですよね。選手目線、監督目線でね。
ありがたいし、裏方の方がおっしゃってたのは、
一緒に戦ってくれてるみたいな、自分、選手たちだけでやってるんじゃなくて、
全員でやってくれてるという、
こっちの方も目向けてくれてるんだっていうのが嬉しかったっておっしゃってたんですね。
嬉しいですよね。
本当に一丸となってやる体制というか環境を作ったのも、
今年の強さの一つなんじゃないかなと僕は思ってます。
もちろん戦術的なところは今やってる担当が一番わかってるので、
そこは僕は何も言えないですけども。
強いって国防の初年度なんでしょうけど、
結局国防さんって日本代表の監督もやったり、
二軍の監督やったり、ヘッドコーチやったりとか、
いろんな経験で今があるから、
結構1年目と言えども、いろんな経験値ありますもんね。
そうですよね。
いわゆる開幕してから、よう挑んじゃないってことですよね。
もうその前に、それこそ選手時代に若手をアリゾナに連れて行った時から、
言ったらそれが、
複製みたいな。
そういうことだよね。
当然当時はそれのためにやってるわけじゃなくて、
当然未来のフォークスを強くしたいって思いで、
そういうことされてるんですけど、
結果としてそれが不責任になっていくというのは、
というのも面白いなと個人的には思っていました。
来年からのフォークスにもめちゃくちゃ期待膨らむよね。
本当ですよ。
しばらくは負けないんじゃないかって思うもんね。
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期待ですね。
それこそ3回にわたって幸せな時間でしたけども、
中野さん改めて。
国防さんの人柄もいろいろ聞けたんで、
裏側も非常に貴重なお話を聞かせていただきまして、
ありがとうございました。
ありがとうございました。
こちらもそういうお話をする機会がいただけて。
また次回からはですね、
それこそ大久保さんが取材されてきた、
いろんなアスリートのお話っていうのを、
次々と聞かせていただきたいと思っておりますので、
よろしくお願いします。
ぜひよろしくお願いいたします。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
大久保さんの記事は西日本新聞とニュースアプリ
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本日はありがとうございました。
ありがとうございました。