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2025-06-25 18:48

35|ホークスの負けを願った夜 榎下陽大さん

西日本新聞で記者生活の大半をスポーツ取材で過ごしてきた大窪正一記者が、アスリートの素顔や裏話、スポーツの可能性についてお話しする「西日本新聞スポーツ余聞」

今回のタイトルは、ある意味でシビレます。「ホークスの負けを願った夜」。昨年、大窪記者が書いた記事の見出しです。なぜ、元鷹番記者が? 深い理由があるんです。

◆出演:大窪正一(スポーツ記者/宗像支局長)、中富一史(販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)、音声編集:中富一史、映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2025年5月19日

◆大窪正一記者の記事一覧
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サマリー

ポッドキャストのエピソードでは、元プロ野球選手の榎下陽大さんについて語られています。彼の高校時代や大学での成績、プロ入り後の経験が紹介されており、特に榎下さんの思い入れや野球の夢を追い続けた背景が深く掘り下げられています。また、榎下さんのプロ初勝利の瞬間を振り返り、その日にフォークスが負けることを願ったエピソードも語られます。さらに、榎下さんのキャリアやロッテでの通訳としての活躍についても触れられています。

榎下陽大についての紹介
西日本新聞ポッドキャスト。
西日本新聞スポーツ余聞。
この番組では、記者生活の大半をスポーツの現場で過ごしてきた大久保さんが、アスリートの素顔やスポーツの可能性についてお話ししています。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞民の横山智則です。
今日もよろしくお願いします。
西日本新聞社の大久保翔一です。よろしくお願いします。
同じく、西日本新聞社の中富一文です。よろしくお願いします。
今日はね、さすがに中富さんも知らんやろうと。
元プロ野球選手。もう今の時点でね、元プロ野球選手。もう名前言います。
榎下陽大さん、知ってますか?
あのですね、プロ野球に入って、日浜に入ってからそんなに大きな成績って残してないんで分かんないんですけど、確かドラフトで93代から行ったのは知ってます。
さすがですね。
野球ファンって、これ普通レベルなんですか?
いや多分普通ですよ。
フォークスファンだから、今何て言うとフォークスの1番から9番ぐらいはみんな知っとるし、いわゆるピッチャーでもよく投げるピッチャーよく知っとるぐらいじゃないんだよね。
野球ファンはですね、ドラフトから見るんですよ。なんなら甲子園から見るんで。
そうね。
いや確かに。
心強いですね。
日本新聞社の社員同士で酒飲みに行ったら、何人か野球好きがおったら、とてもついていけない話になるよね結構。
その方々って結構話してる時の顔ってすごい幸せそうですよ。
いやそうです。
いいですか。
今日はですね、タイトルがですね、もう痺れるんですよ。
大久保さんが書いた記事の見出しなんですけど、フォークスの負けを願った夜、いわゆるタカバンの大久保さんなんですけども、元タカバンのですね。
が、いわゆるフォークスの負けを願った夜っていうタイトルの記事を書かれてまして、そこの主役が今回の主役であって江下さんということになるんですけども、ちょっと今日はどんな話になるんでしょうか。
ありがとうございます。非常に温めていただいて。
あの私思い入れのある選手の一人なんですけど、あの九州ってご存知のようにスポーツまず盛ん中で野球ってもすごく盛んですよね。
でソフトバンク以外に指名される九州出身の選手ってすごく多くいるんですよね。
僕はその選手たちがタカバンだったんですけど、どうしてもおっしゃるようにドラフトから僕も気になってたのでフォークスに来るかなとかいうのもあったんですね。
そのフォークスを結果的にじゃないチームに行った九州ゆかりの選手ってすごい気になっていて、もうどうにかして光を当てたいなと思ってて、それで実は企画をした時が東京運動部の時代にありまして、そのプロ野球強度勢ファイルみたいな感じですね。
選手を九州出身だけどフォークスじゃない選手遠く離れた地で輝くそんな選手を紹介していくというようなコーナーを作りまして、例えばあの福岡市出身で少年時代に以前収録でお話ししたあのフォークスのジュニアチーム。
あそこに所属した当時はDNAの保守だった高城修斗さんとかですね、例えば糸島市出身でプロ6年目ね、季節6年目で勝利初勝利当主になった当時阪神にいたその方は福岡大出身なんですけど、知らねた博和さん。
こんな方多分ちょっとマニアックすぎるかもしれない。
マニアックですね。
こういう方を西日本スポーツというのがやっぱりスポーツ新聞なんでまだ許容範囲だったので、こういう方々を紹介させていただいて、計27回ぐらい連載した。
そのどの選手にもまあもちろん愛着あったんですけども、皆さんやっぱり例えば阪神だったら関西ですね、こういうところに取材に行くと福岡のメディアがまだ見てくれるんですかみたいな、歓迎してくれる方が多かったですね。
やっぱりそれだけ逆に言えば福岡愛がみんな強かったということで、すごい楽しい取材だったんですけど、その中で今もうちょっと付き合いを続いている1人の選手が冒頭にお話しさせていただいた、その九州産業大から日本ハムでプレイした江下さんなんです。
高校時代の成績と経験
出会いというのがもう江下さんとは20年ぐらい前で、鹿児島工業の1年生の時。
すごいですね。
丸刈り頭のね、かわいい。
もともと動画を見てる方はわかると思うんですけど、もうちょっとこれは大人になった姿なんですけど、すごい男前。
イケメンですね。
だからすごく高校時代もかわいい、川崎君に負けないようなかわいい高校生だったんですけど、1年生ながら鹿児島工業高校のエースでだったんですよね。
1年生で。
その時からちょっと注目選手ということで取材させていただいてたんですけど、雑談をすると英語が好きなんですよって。
当然この頃なんて注目されてるとはいえ、プロ中とこまで行ってないので、将来は海外で暮らしたいんですみたいな英語勉強してとかそういう雑談をしてて、そうなんだみたいな話をしてたんですけど。
本人はプロに行くっていうのがまだイメージできてない頃でしょうね。
そうですよね、1年生やし。
英語が好きで、なんか親御さんが見てる外国英語の映画とかが、そういうのが家にあったの、それ見て英語に興味を持って英語の勉強頑張ってるんですみたいなことを言って、すごいああそうなんだ、かなうといいねみたいな話をしてたら、
実は2006年、高校3年生、江下くんが、くんと言ってしまいますね、この下シーンで。江下くんが2006年夏の甲子園の初出場の原動力になったんです。鹿児島工業が初めて甲子園に行くときのエースピッチャー。しかもこの年っていうのはですね、ゆうちゃん。
斉藤由紀。
半甲長寺。
半甲長寺と同学年の年で、ベスト4まで、甲子島工業は進出して、ゆうちゃんと試合をしてるんですよね。
そうですか、早稲田実業。
はい、早稲田実業と。
それは僕も知ってます。だということは、馬羽くんともってことでしょ。
田中雅宏。
そうですね、その台なんですね。しかもベスト4に行ったということの実績があって、高校日本代表にまで江下くん選ばれてるんです。
で、まさに横山さんがおっしゃった、その高校日本代表には同学年に、馬羽くん、田中雅宏と、いて、そういうのでアメリカに行ったんですよね。
で、その時にはやっぱり、その英語が好きだっていうのが頭にあったから、え、アメリカに行けてよかったねと、その日本代表としてって言ったら、帰ってきたら、いやあ、レベルが違いましたって。
あの辺りに、馬羽くんだったら、ゆうちゃんだったら、の投手、あ、プロに行くっていうのは、こういう人たちなんだっていうふうに思ったらしくて。
ちょっと結構野球はもう僕、本格的にやるのはもういいかなっていうふうに思ったらしいですね。
特に、その田中雅宏投手って1年生の時から活躍してますからね。
そうなんですね。
多分その時からもレベルが違ったんでしょうね。
全然違ったって言って、同じ高校日本代表にいるのが恥ずかしいぐらいでしたみたいなことを、でも活躍はしたんですけど。
そうなんですね。
ただやっぱりそういうふうにみんな、周りのみんなは、いや、でもここ日本代表に選ばれるぐらいなんだから、やっぱり力あるんだよってこともみんな説得して。
じゃあ英語の教員免許、英語勉強したいんだったら、そういうのを取るってことをしながら野球もやったらいいじゃない。
野球がじゃあ二の次ぐらいでもいいから、野球を続けたほうがいいよみたいな形で入ったのが九州産業大学だったんです。
で、大学に入って英語の勉強を最初は優先して、ただその九三大ってすごくいいのは、僕本当に指導がいいなって思うのは、
野球部はその野球だけやりなさいじゃなくて、野球優先じゃなくて勉学しっかりやった上で野球もやりましょうと。
なのでその時間も時間を分けて、人数が多い大助隊っていうのもあって練習時間を分けるから、要は授業が終わった後しっかり練習ができるという。
エノシタ君にとってはすごく合っていた大学だった。野球だけせえというような、仮に野球だけせえという大学はないと思うんですけど、
野球優先だみたいな、もっとしっかりやれみたいな大学だったら多分野球は続いてないと思うんですけど、続いていて。
金力、ウェイトトレーニングは結構力を入れてたらしくて、ウェイトトレーニングをすることによってどんどん急速がアップしていって、
大学4年生になる頃には150キロぐらい出るようなピッチャーに。
多いですね。
まさに中富さんがおっしゃったように、九三大で大活躍。
大学で活躍することでもうプロ中になって、
プロ注目されているようになって、自分自身もプロの世界というのを意識し始めた。
意識し始めたら、自分の好きなチームというのはやっぱり自分の母校の先輩がいる、よくしてくれていた川崎君がいるソフトバンクに入りたいと思っていたらしいんですね。
でも結果としてはニホンハムが4位指名して、その時僕、榎下君と話したんですけど、いや悔しいですね。
プロ入り後の挑戦
でもニホンハムさんにはありがたい、とってもありがたいですけど、ソフトバンクには取っておけばよかったと思わせるという、したいですね。
そういうことを言って、実はドラフト会議の翌日、大学野球の九州選手権というのがあるんですけど、そこでノーヒット、ノーロス。
すごいですね。
すごいですね。
意地を感じました。
なるほど。
でもなんかこう、いろんな複雑な気持ちがある上で、嬉しいのは嬉しいですよね、もちろん。
もちろんそうですけど、でもやっぱりそういう思いをつけたんでしょうね、ノーヒットドランスで。
日本ハムに入るんですけど、やっぱり日本ハム入るとやっぱりプロの世界って厳しい世界なので、二軍がやっぱり二軍暮らしが中心になったんですね。
で、当時僕、さっき言ったように東京運動部に行って、東京にいたので、日本ハムの二軍って千葉にあるんですよ。
千葉の釜ヶ谷市っていうところにあって、近くだったもので定期的に食事したりして、
頑張ってるみたいなことを言うと、やっぱりこういろいろ大変だっていうような話も聞いたりして。
当時、そういえば大谷翔平さんもちょうど二軍にいて、ちょっといくつか、何歳か下だったかな。
一緒にやってて、どんな選手みたいな話を、もう結構成り物言いで入ってますよね。
二刀流やるんだみたいな。やっぱりストイックやったらしいですよね。
もうすぐどっか遊びに行ったりせずに、立ってでしたよみたいな話を聞いたりしながら、
江下陽大の初勝利
じゃあ、でも自分も頑張ろうねみたいな話をして、やってて、プロの壁にもがいてるんだなと思ったんですけども、
ようやく日の目、チャンスが生まれてきたのが、プロ3年目の時だったんですね。江下くんが。
僕はまだその時、ソフトバンクの取材には行っていて、本拠地には福岡にはいなかったんですけど、東京運動部だったので、
関東の試合だったり、北海道の試合とかは取材に行ってたんですけども、それが僕は忘れもしない。
江下くんプロ3年目の2013年10月4日です。これがフォークス戦だったんです。
初当番が。
初勝利をあげるという試合ですね。
当番はそれまでにもあったんですけど、基本的に中継投手なので、なかなか勝利投手というのはそういう立場だったんですけど、
日本ハムが3点を追う8回。3点を追う8回に先発投手は、実はこの時大谷翔平投手。
大谷翔平投手の後を受けて2番手で当番して、内川誠一さんを空振り三振。
松田信弘さんが強烈なライナーを叩き放ったんですけど、ピッチャーライナーを転げながら取って無視点に抑えたんです。
マウンド降りたら直後に日本ハムが逆転した。これで勝利投手の権利が生まれたんです。
ここで僕はフォークスの取材、フォークスの応援で言ってます。
なんですけど、この勝利投手が生まれた瞬間で、時効ということでご容赦いただきたいんですけど、
フォークスこのまま負けてくれ、フォークス負けてくれ、そしたら江下くんが初勝利になるみたいなことを願った夜が、
それが先ほど横山さんがご紹介してくださったフォークスの負け、願った夜ということで、この日だったんです。
このまま実は僕の願いが叶ったので、フォークスは負けまして、フォークスの負けは勝利投手はイコール江下くん。
ここで江下くんのプロ初勝利。その話をちょっとまとめて記事にしたのが、
動画にはあるようなこのプロ3年目縁あるソフトバンクフォークスから初勝利という江下要題として、
こういうのをこちらにつながるということですね。
ロッテでの活躍
なるほど。
もう夜、ジンギス館で祝杯をあげました。江下くんとですね、おめでとうということでですね、時効だということで。
たかわんでございます。
たかわんながらフォークス、日本ハムの勝利をお祝いするということで。
江下くんはプロ7年間で通算2勝1敗ということで、ポテンシャル通りの力というのは出しきれなかったのかなと思いました。
ただ2017年に現役引退した後は、得意な英語はずっと勉強してたんですよね。
日本ハムにいる時にも、外国人投手と英会話、俺が日本語を教えるから英語を教えてよみたいなことでやり取りして、
生の英語を勉強してた、そういうのが生きたんでしょうね。
多分そういう姿を日本ハムも見てたんだと思うんですよ。
旧団職員になって、まずはアメリカの、向こうの現地の状況を勉強してきなさいと派遣したりしてもらってるんです。
そういう活動を経て、ご家庭もご家族も持ったりすることもいろんなこともありまして、
今はロッテの方に移って、ロッテの方で通訳兼国際業務に携わるという仕事をしてて。
珍しいですね。選手でその役割ってなかなかないですよね。
だからやっぱり不倫になってますけど、高校1年生の時に英語を使ってそういう道に行きたいという将来の夢っていうのは2つ叶えてるんですよね。
すごいですね。
人間性もいい子なんですね。
そういうこともあって、今もロッテの方で活躍してますし、
ちなみにこの放送というかこの配信があるのは6月末ですね。
6月の一応、下旬の予定ですね。
ちなみに6月27から29日千葉なんですけど、MAXはロッテ戦なんです。
もしかしたらテレビとかそういう動画等でベンチの中が映るかもしれない。
その時に江下君というのは通訳でいるので、通訳で映るかもしれませんので、
このお話を聞いてくださった方にはちょっと注目してもらえればなというところでお話をしましたし、
今日江下君のお話をしたかったのはですね、
こういうふうに毎年プロの門を叩くプロ野球選手、九州から旅立っている選手って多いんですよね。
なのでもちろんフォークス、地元球団として応援してますし、応援してるんですけども、
そういうふうに九州ゆかりの選手っていうのも、ぜひ放送でたぶん言うときとかあると思うんで、
実はこの何々選手は福岡の出身でとかそういうことを聞いたりしたら、
結構その選手もその瞬間は応援してあげてほしいなという思いがあって、
そういう象徴としてちょっと江下君のお話をさせていただきました。
ありがとうございました。高畑さん今日はどうで。
やっぱ九州出身の人、僕もフォークスファンなんですけど、
九州出身のプロ野球選手って結構注目してて、やっぱり甲子園だったりもあるんですけど、
意外と大阪等に行ってても福岡出身とかもあるから、そこまでするとやっぱ出身の人って多いんですよ。
だからそれも含めて注目したら楽しいのかなと思う、面白いのかなと思いました。
そうですよね。でも全然違う。
でもそれにしてもそんなフォークスに行かなかった選手までよく知っとるねと思いながら。
本当にできればフォークスに来てほしいなみたいなのも結構ありますよ。
それがあっちに行ったかどっちに行ったかっていうのですね。
ありがとうございました。ここまで聞いていただきありがとうございます。
大久保さんのスポーツ余分は西日本新聞とスマホアプリ西日本新聞MEで好評連載中です。
ぜひご購読をお願いいたします。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
18:48

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