この方はですね、そもそもは1980年代の南海フォークス時代からフォークスに関わっていらっしゃって、打撃闘種などもなさって、肩をちょっと壊された後は用具担当みたいな形に転身なさって。
用具担当。いわゆる試合とか練習とか、遠征の際の用具の準備とか管理を担うようなことを長くなさって。
バットだったりボールだったり、そういう話?
あれってそれぞれでも選手が持っているやつは、もう選手が持っているやつって。
基本持ってるんですけども、例えば本拠地ではロッカーに荷物置いてますよね。
遠征に行くとか、春季キャンプ、宮崎に行くとなった場合、その道具出しますよね。
その道具を運ぶ役は、また選手は高校生みたいに自分で担いでるわけではなくて、
その球団の方に預けて、それを運んでもらって、練習の日にはもうそれがそこにあるというような状況になる。
この過程をするのが用具担当というところです。そういうのがいらっしゃるんですよね。
そういう試合、練習、遠征の際の用具の準備と管理だから、例えば今2月のキャンプ中でしたら、
選手はもちろん室内、自分で個人的に練習したいという人はバッと持って帰ります。
基本的には必要な以外のものは用具担当が管理してくださって、練習の時には自分の道具があるという状況になってるんですね。
それを長くなさってた方なんですけども、この方は国母さんとの関わりというところでお話ししたいんですけども、
まだフォークスが宮崎の前にコーチでキャンプやってた時もあったんですよ。
こっちでキャンプやってた時があるんだ。
でも小さい頃はだいたいコーチのイメージですね。
コーチのキャンプの時がちょうど国母さんが現役選手で新人で入られた時がまだコーチのキャンプだったんですね。
国母さんって練習の虫とかすごく練習量が多いということで有名だったんですけども、
国母さんがそのコーチキャンプでその新人の時ですよね。
全体練習後に新人ですから、ベテランなれば例えば後輩にちょっと練習手伝ってとかボール球出しを手伝ってとか言えるかもしれないんですけど、
新人ですのでそんななかなか言いにくいところもあるんだと思うんですね。
だからちょっと手伝ってもらえませんかと国母さんが声をかけたのが金岡さんだって。
用具担当ですから球場にいるわけですからね。
最後管理するわけですからね。
いるのが金岡さんだって。
声かけてその当時新人だった国母選手ですね。
もうそのみんな帰った後も居残り練習。
ロングティーってボールを出してもらってこれをバツンと遠くに飛ばす。
そういう練習の補佐役として手伝いを金岡さんはそこから始められました。
500球から600球くらい打ったりしてたらしいですね国母さん。
全体でみんなで練習があった後に個人的にですね。
金岡さんとはそういうフォークスの高番時代に親しくさせていただいたこともあって、
話を聞いたこともあるんですけど、
すごくひたむきさに国母選手のひたむきさに心を打たれて、
自分が良ければということで手伝ってたんだというようなお話しされて、
そういう練習の相棒みたいな感じになって、
それがいつしか国母の恋人ということで呼ばれるようになった。
これ要は今回記事とか番組にあたって、
大久保さんが勝手につけたわけじゃなくて、やっぱりそう言われてるんですね。
要はそういう国母さんの練習の相手と言えば誰って言ったら金岡さんという。
本来の業務は用具係じゃないですか。
それを選手の手伝うっていうのはやっぱりプラスアルファの仕事にはなるんでしょうけど、
でもそれだけ国母選手当時に付き合ってたってことですよね。
人柄にも惚れたというようなことを金岡さんおっしゃってました。
僕が高番記者時代に金岡さんから聞いた2人の仲の良さを示すエピソードを話したいんですけども、
国母さんがそのシーズン限りでの現役引退を発表したのが2012年なんですけど、
2012年の8月に発表されてたんですけど、その後も当然シーズンが続いてやってて、
9月30日の日本ハム戦でホームランを2本打ったんです。国母さんですね。
引退を決めたのはホームランバッターとしての力が落ちてきたというところもあったから、
ホームランはなかなか打てないんじゃないかと国母さん自身思ってたような晩年ですね。
だったんですけど、1試合に2本のホームランを打って、もうその時に国母選手は金岡さんに試合中ベンチ裏に下がったついでに、
最後のホームランが出たと握手しに来てくれたんだよって金岡さんおっしゃってて、
日頃から国母さんは金岡さんのことカナさんカナさんと呼んでたんですけど、
すごく愛情深いというかですね、やっぱり日頃から交流が深かったからこそ自分の喜びを伝えたい相手が、
試合中のちょっとアンダーシャツ着替えたりとかそういうちょっとベンチ裏に下がる時があるんですけど、
そのタイミングを見計らって来てくれたんです。
ちなみにその前年なんですけど、2011年に通算400本塁打を国母さんが達成した際も、
実はその野球用具の控室に国母さん駆け込んでるんです。
そういうことをしたかったんですけども、その時はですね、僕が聞いた話では金岡さんはちょっと別の用事をして、
ちょっとそこにいなかった。なんで今回は見れてそういう握手というかそういうのができてよかったなというところをおっしゃってますし、
その9月に2本打ったけどもまだまだ打てるからって葉っぱをかけたという話をされて。
最後の試合というわけじゃないからですね。