はい、わかりました。国保さん就任、これ1年目リーグ優勝、2年目リーグ優勝、こういうふうに勝つということに関して素晴らしい結果出してきたんですけども、国保さんもいろんな山あり谷あり、いろんな苦労をなさいながらここまでたどり着いたというふうに思うんですよね。
その中の一つのお話として、巨人時代、国保さんが巨人に行かれた時のお話をちょっとしたいかと思うんですけども、国保さんは2003年のオフに、これ前代未聞と言われる無償トレードの形で巨人に移籍したんですね。
そこの時に、多分国保さん自身、結構負傷してリハビリ中だったという中で、フォークスの顔という存在ですね。それがそういう形で移籍するという形になって。
ちなみに無償トレードって、ちょっと話を止めてあれなんですけど、要はうちも強い選手をあげるからあんたところからもちょうだいとかなくって。
それが通常トレードなんです。ただ、金銭で交換に国保選手が巨人に行ったってことなんですね。
それが無償、ゼロ円ということで、要は国保選手がそのまま巨人に行くということになってですね。そういう経緯もあって、多分ご自身の心の部分とか、すごくショックというか不安もあったかと思うんですけども。
国保さん、ゼロ4年行かれて、ゼロ4、ゼロ5、ゼロ6、この3シーズン巨人で過ごされたんですけど、そこで371案だ、94本類だときっちり結果を残しているんですけど、この巨人時代、すごく私が、巨人からフォークスに戻ってこられて、私がフォークスの担当してたときに、
国保さんとお話しする際に、よく名前が出てきたのが、高橋よしのぶさん。巨人時代のお名前をよくお名前を出されて、すごく好きな選手だと。かわいいと言ってました。
同世代、少し下ですか、高橋選手。
そうですね、高橋選手が1975年生まれですので、国保さんが1971年生まれですので、少し弟分ぐらいなんでしょうけども、すごくかわいがってらっしゃった。そういうことをお話をされてたんで。
逆にその高橋よしのぶさんから見た国保さんはどんなイメージがあったのかというのを、僕取材に行ったことがありまして、そのお話ちょっとさせていただくんですけども、とにかくすごく高橋よしのぶさんと国保さんが近づいたエピソードがありまして、
2004年、その遺跡した年ですね、その最初のキャンプがグアムだったらしいんですね。グアムのキャンプのその初日、そこでストレッチを練習前にしてたらしいんです。
国保さんは来たばっかりの新チームだから、ちょっと要領も得ないし、これまでとあってが違うから、芝風天然芝のそのまま寝転んでやってたんですけども、普通常各自1枚ずつマット敷いて汚れないようにするんですけど、国保さんも天然芝そのまま寝転んでたんですね。
そしたらその高橋よしのぶさんが気を利かして、遠慮していたのなら嫌なんで、そのマット持って行ったそうなんですね。そしてその国保さんはその気遣いにすごい、ああって心打たれたそうなんですね。
すごいこういう気が使えるんだなと思った。実はその、ただ自分は芝の上でやりたかっただけやってなかったなとはおっしゃってましたけどもですね。そういう何気ない行為が自然にできる高橋よしのぶさんのことがすごく、そこでも一気に好きになったそうなんですね。
本当に後々ずっと後にも振り返っても、例えばその僕国保さんの2000案だが決まったか何かの時のお祝いですかね。ちょっと忘れました。とにかくなんかこうちょっと集まりがあった時に国保さんと高橋よしのぶさんが同席するようなイベントというか会があったんですね。
そういう時に国保さんお話しされてたのを覚えてるのは、なんか高橋よしのぶからそのドレスコードというか服装はどうされますかって聞いてくる。その要は被らないような服装の色とか。国保さんと被らないようにするようにそういう電話をしてくる。
そういう男性じゃ珍しいですよね。なんか女性だったらね赤いドレス赤いドレスで被るとちょっとなりますけど。
そういう気遣いとかできるやつやったよとかいうような話で、お前も見習えと。そういうような記憶がありますけど、それぐらいなんか気遣い、気配りのできる選手っていうのが関心になって、そこから国保さんも話しかけてやり取りするようになったそうなんです。
で、高橋よしのぶさん自身、国保さんに対してはとにかく勝つためにどうするか、それを常に考えていた選手だったというような印象が強いですね。国保さんが巨人時代っていうのは結局その3年間3位5位4位という形で上昇を宿命づけられた巨人からすればちょっとこう、
あんまり結果が出てない時期だったんですけど、よく国保さんから食事に誘われたら野球談義になってどうしたらチームが浮上するんだとか、そういう話を国保さんがすごい熱を帯びてされていたっていう印象が強いと。