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2025-04-09 17:24

24|育成出身初の大リーガー千賀選手と雁の巣とカニ

西日本新聞で記者生活の大半をスポーツ取材で過ごしてきた大窪正一記者が、アスリートの素顔や裏話、スポーツの可能性についてお話しする「西日本新聞スポーツ余聞」。

プロ野球ソフトバンクから育成出身初の大リーガーとしてニューヨーク・メッツに移籍した千賀滉大投手が、メジャー3年目を迎えます。1年目は野茂英雄さんやダルビッシュ有投手らに肩を並べる2桁勝利でしたが、2年目はけがに泣きました。3年目の復活を期待する大窪記者ですが、海の向こうで活躍する千賀投手を見ると、なぜか「カニ」を思い出すそうです。

◆出演:大窪正一(スポーツ記者/宗像支局長)、中富一史(販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)、音声編集:中富一史、映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2025年3月27日

◆12年前に取材した千賀滉大のプロ初マウンド【スポーツ余聞・大窪正一】
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1132119/

◆大窪正一記者の記事一覧
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Summary

千賀選手はプロ野球ソフトバンクの育成選手出身で、メジャーリーグのメッツに移籍した初めての選手として注目されています。高校時代から成長を続け、メジャーでも活躍していますが、怪我を乗り越える姿に期待が寄せられています。育成出身の初の大リーガーとしての千賀選手の経験と成長の物語が紹介され、ガンノス球場での思い出やカニの存在が象徴的に語られています。具体的には、彼の試合での体験や育成選手としての道のりが描かれています。

00:01
西日本新聞ポッドキャスト
西日本新聞スポーツ余聞
この番組では、汽車生活の大半をスポーツの現場で過ごしてきた大久保さんが
アスリートの素顔やスポーツの可能性についてお話ししています。
こんにちは、福岡のニュースアプリ西日本新聞民の横山智則です。
今日もよろしくお願いします。
西日本新聞社の大久保昌一です。よろしくお願いします。
西日本新聞社の中富一文です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
千賀投手のメジャー挑戦
今回はですね、プロ野球のソフトバンクホークスから
もう3年になるんですね。メジャーに席して3年目を迎える千賀投手の話です。
中富さんからまずですね、千賀投手とは?
横山さんにも分かるように。
簡単に。
千賀投手はですね、今32歳現在ですね。
プロ野球ソフトバンクから育成出身初の大リーガーとして
メッツに移籍した千賀邦大投手が現在ですね、メジャー3年目を迎えております。
1年目は野毛秀夫さん、ダルビッシュ投手裏に肩を並べる1年目の2桁勝利に到達しましたけど、
2年目は怪我に泣いております。
ホークス時代に育成コンビでバッテリーを組んだ同期の貝拓哉選手のチャレンジ。
いわゆる巨人にFAですね。
も刺激に3年目の復活を期待しているということでございます。
そうですね。
育成初の大リーガーってことなんですね。
そうです。
大久保さんが千賀投手を取材していた頃って言ったらいつ頃になるんですか。
そうですね。私が取材していた頃は、ちょうど14年前。
千賀投手の方が入団した時から、入団してどんどん上っていこうという時が取材時期でした。
入った時、育成が多かった年なんですけど、その中でも細かった印象があるんですね。
細かったので、たぶん球団の方もそう考えられたんでしょう。
体作りを最優先ということで、入団して4月から各同期の選手が試合に出たり投板したりという中で、なかなか千賀投手は投板することがなくて、体作りをしていたんですね。
初マウンドの思い出
その中で初めて2軍と3軍の交迫戦というか、2軍3軍戦なんですけども、2011年6月22日、これプロの初マウンドという形で上がったんですね。
これをちょうど私が取材させていただいたんです。
それこそYouTubeに載っている写真はその時の写真。
YouTube見ていらっしゃる方はわかると思うんですが、すごい歯を食いしばるような感じでピッチャー投げている投手。
細いですよね。千賀投手。ちなみに僕が撮りました。
大久保さんの目から見て、当時の千賀投手って輝くものがあったんですか。
輝くものっていうのは正直僕は不思議なんですけど、ただ印象に残っていたのは非常に素直でした。
非常に人の目をしっかり見て、聞いた話はしっかり噛み砕くようにじっくり聞くっていうのが印象に残った投手で、
だからたぶんコーチの話とか、コーチがこうしろという指導に対して、たぶん最初は吸収しようと思ったんだと思うんですね。
それこそ初投板はどんな感じだったんですか。
そうですね。初投板は14年前の6月なんですけど、三軍の2番手投手という形で投板しました。
最速がいきなり149キロ、140キロ台後半が連発でした。
速い速いと僕自身も思ったし、その1イニングだけだったんですけど、無案打無失点に抑えまして。
で、ファーボールも前投打者に出してたんです。やっぱり初投板ということで緊張してたんですけども、
もうその球の伸びとか勢いとか、そこをすごく感じましたし、
本人が投板前の緊張した表情から投板後に取材する時間があるんですけども、
なんていうんですかね、まだ高校生というか。
そうですよね、この間まで高校生の18歳ですよね。
ういういしい笑顔で楽しかったですって言って微笑んで、顔がもう今の中精悍なですね。
海の向こうで活躍する姿からしたらもうすごい大人になったみたいな。
そうですよね。
ちなみにここのマウンドは当時二軍の本拠地だった福岡市のガンノス球場。
当時はガンノス球場の方が二軍の本拠地で、ここで二軍戦も行われていました。
そうなんですね。ということで11年は三軍スタートだったってことなんですね。
三軍スタートでもうだからですね、これ投板しますよね。
投板してまだ試合は続いているんですけど、その後はバックネット裏がいわゆる汽車席もあるんですけども、
ガンノス球場は手狭なもので、後ろに汽車がいる場所と選手がいる場所とか選手がいるというのは要はスコアをつけたり、
あとスピードガンを測る係がいたりするんですけど、戦艦投手は投板終わった後、
いろいろもろもろの雑用を終えたらスピードガン係になってました。
雑用もしてるんですね。
次の投手の投げてる球を測る。測りをやっていて、横でやってるって感じですね。
やっぱり一軍の試合とはその辺りがちょっと違うんですね。
そうですね。逆に汽車は親近感がある。
近いですよね。
近い。距離がほんと近くて、特にガンノス球場はもうほんと手狭な分、距離が分けられないみたいな。
選手とメディアを分けられないようなスペースだったので。
ちなみに僕はあれなんですよ。二軍のガンノス球場でもアルバイトをボールボーイにしてました。
まじか。
一年生の役割なんですよね。ボール拾いとかもろもろやってたんですよ。
大学一年生の役割。大学とか高校一年生とか。
スタッフの役割。
なるほど。すごい。やっぱりあっちの世界はあっちであるんですね。
そうですね。
体作りと成長
育成でスタートして、当時なんですけど、2011年というのはある意味節目の年でして、三軍制スタートが2011年から本格的に動き出して、その選手を多く集めるという球団戦略もあったんですよ。
なので戦画投資っていうのは愛知がまがおり高校という高校で、皆さんたぶんパッと聞いて愛工大名言とか教営とかそういう学校が浮かぶと思うんですけど、そういう非常に無名校だったんですよね。
戦罪能力というのを評価されて、育成のドラフト4位で入団したんですけども、この妙ですね。この2011年の三軍制という、選手をとにかくいっぱい集めようというこの戦略がなかったら足らればなんですけども、戦画投資はプロになって、まずこの育成の場所に立ってない可能性もありますね。
そうか、そうですよね。
今思えばですね。ちょうどこの年でしたからね。だって背番号も128番ですからですね。どれだけ球団に期待されていないか、この時点では。
そうですよね。同期と言うと結構すごい名前が並ぶんですよね。
このシーズンはすごい当たり年と言われていて、育成ではない、通常のドラフトの2位に柳田裕樹選手がいましたし、育成もすごい当たり年で、育成5位、戦画投資より一つ下のランクに牧原選手、またもう一つ下に甲斐卓也選手。
甲斐卓也選手も育成出身。
そうですそうです。
育成の4位、5位、6位がフォークスの後の主力になるというですね、すごい黄金世代だったんです。
しかもみんな日本代表になったこと、経験ありますね。
本当ですね、そうですよ。
この当番して、先ほど言ったようにういういしい笑顔だったんですけど、でも体つき自体は入団会見とかとしたら非常に変わっていました。
すごい明らかに下半身が大きくなっていて、すごいね下半身大きくなったねみたいな話をすると、いやー持ってきた私服のズボンもきつくてなかなか入らなくなったんですよみたいなことを言ってて、
いや体重も増えたんじゃないみたいな話をしたら、入団当初の体重75キロだったんですけど高尚王ですけどね、多分もうちょっと低かったんだろうね。
8キロ増えたって言って、13キロまで増していて、全体的にパワーアップしたことで高校時代の最速は144キロだったんですけども。
そこまでないですよね、スピードとしては。
なんとか無名だけど潜在能力っていうラインの140キロ台は出てるということなんですけど、そこからもう最速がいきなり5キロアップして、本人に149出てたよって伝えたら、
え、早い!びっくりした!って言って、
潜在能な子だったので、すごい人ごとのように驚いてたのが印象に残ってますね。
先ほどから何度も言うように、YouTubeを見られてる方はわかると思うんですけど、ガンノス球場っていうのは住宅のそばにあるような球場で、
そのグラウンド自体はあんまり、その球場自体そんなに広くはなくて、
その汽車席と、その汽車席へ向かう通路のところでもトレーニングしないと、トレーニングする場所があんまりなかったんですよね。
なので入って行って、正面玄関入って、中入ったら両サイドにも荷物がいっぱい置いてあって、そこに例えばマットとか敷いて腹筋をしたりとかですね。
そんなことをしてる姿が普通に見えるような球場ですごい、戦画当初で言えば、すっごいこの6月ぐらい、むし暑い夏ぐらいですね。
とにかくですね、だらだらに汗かきながら泣きそうな顔して腹筋を何度も何度もやってる。
今また高知で戻られた倉野さん方が、この頃指導、戦画当初に主に当たってたんですけど、体作りをすごい。
とにかく体作れば、軸を作る、体幹を作れば、物になるじゃないけど体制するんじゃないかっていう指導方針で、それがまさにハマった選手だったんですよね。
支配下、支配下にならないことにはプロ野球選手とは言えないというふうな元物なのです。
千賀選手の育成と成長
一部の試合に出れないみたいですね。ガムシャラで。
入団2年目にはもう支配下登録、勝ち取りました。
これは早いですね。
早いです。育成ですからね。
一般の人でそういう流れで投板できるんだったりする。
いわゆる育成の方で支配下になるということは、イコール一軍で投板するチャンスがあるということなんですね、いきなり。
なので彼は最初は先発ではなくて中継とか球員の立場での呼ばれました。
年数まではちょっと覚えてないんですけど、ロッテ宣伝初投板じゃないと思うんですけども、非常に緊張をしていた。
覚えてますけどですね。
でもそこから球員から先発に転向して、もう皆さんどの方も知ってるオバケフォーという落差のあるフォークを武器にしても、もう瞬く間ですよね、スターに行った。
その後は瞬く間だった。
そうですね。停滞することはなかったですね。どんどんどんどん。
そうですね。で、思い出のそれこそ詰まった大久保さんも、戦画投手もでしょうけど、大久保さんも思い出がガンノスの勇者には詰まってるって話で。
今回ね、タイトルがいいですもんね。ちょっとこのタイトルに引っ掛けたらちょっとお話を。
そうですね。タイトル、戦画選手とガンノスとカニとさせていただいたんですけど。
すごい組み合わせですね。
私らとは一つですね。私。
なぜかと言いますと、ガンノス球場っていうのは海が近いんですね。
で、なおかつまだ今のような中国のように施設が整備されてないところだったので、当時はベンチまで、試合中はダメですけど、ベンチの中に入れたんですね。
ベンチのところに行って練習する姿を写真撮ったりとか、例えばコーチの話を聞くことが14年前ぐらいはできてたんですよ。
で、ベンチにいるとですね、なんか下でもモゾモゾモゾモゾ動くものがいるなと思って、何だと、え、何?と思ったらカニなんですよね。
カニが僕の前をずっと通ってて、よく見るとスパイクで踏まれたようなカニもいるんです。
だから何匹かすぐカニがよく出てきててですね。
なんかすごいもう二軍のグラウンド、当時が三軍が生まれたから、二軍三軍の選手がそこにいると見て、もう必死ですよね。
コーチたちも当然一軍に上げたいから猛烈な練習をしていて、ものすごい必死な姿が目の前で繰り広がれてるんですけど、下を見るとカニがトコトコトコトコっている姿を見て、なんかほのほのした気持ちになるんですね。
言ってみればカニはずっと横歩きしてるんですけど、その二軍三軍の選手は前へ前へ一歩でも早く前へ進んで、一軍の部隊へという選手に対してですね、そんなスムーズに前には進みませんよ、みたいな感じでカニがやってくるんじゃないのかなと。
横歩きをしてたんですね。
そんなふうなこういうような思いをガンノスで思ってて、なぜかなんですけど、戦画当初のたぶん初めて投げたマウンドを見た印象が強いからかですね、戦画当初が今でも海の向こうで当番すごい活躍する姿、映像を通して見るとですね、なぜかこのガンノス球場が浮かぶんですよね。
ガンノス球場とそういうベンチの中にいるカニが出てくるんですよね。だからすごいなんか私にとっても逆にいい思い出になって、もう当時のように戦画さんとして、もう遠いところへ行かれましたけども、そういう懐かしい思い出も思い出す戦画当初です。
ありがとうございました。今日は中田さんどうでしたか。
中田 今日のお話聞いてると思うんですけど、大谷投手、大谷翔平っていうのはやっぱりアニメのような投手。
ガンノス球場の思い出
アニメ以上だって。
現実味がないというか、いわゆる現実離れしてるんですけど、この戦画投手はここまでそこまで平凡で、そこからどんどんどんどん上がっていって頂点に立つという、これもアニメのような、しかも子供たちに勇気を与えるピッチャーだなと思います。
だからもう本当に育成のレベルが上がったというか、可能性を秘めた選手がこういうふうに出てきたっていうことで、すごい育成も期待されてるような感じにこれからなりましたもんね。
そうですね。育成の選手自体も、あ、育成で入ってもチャンスあるなというふうに多分思ったと思うんですよね。先ほど言ったように、牧原さんや貝さんやガーデンも活躍されてますしですね。
決してドラフト1、上位が活躍するとは限らないという、ちょっと意識的に改革した選手じゃないかなと思ってます。
なるほどですね。
そうですね。
さすが。
さすが。
ありがとうございました。エンディングの前に一つお知らせをさせてください。
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ここまで聞いていただきありがとうございます。大久保さんのスポーツ余分は西日本新聞とスマホアプリ西日本新聞MEで好評連載中です。ぜひご購読をお願いいたします。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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