その中で初めて2軍と3軍の交迫戦というか、2軍3軍戦なんですけども、2011年6月22日、これプロの初マウンドという形で上がったんですね。
これをちょうど私が取材させていただいたんです。
それこそYouTubeに載っている写真はその時の写真。
YouTube見ていらっしゃる方はわかると思うんですが、すごい歯を食いしばるような感じでピッチャー投げている投手。
細いですよね。千賀投手。ちなみに僕が撮りました。
大久保さんの目から見て、当時の千賀投手って輝くものがあったんですか。
輝くものっていうのは正直僕は不思議なんですけど、ただ印象に残っていたのは非常に素直でした。
非常に人の目をしっかり見て、聞いた話はしっかり噛み砕くようにじっくり聞くっていうのが印象に残った投手で、
だからたぶんコーチの話とか、コーチがこうしろという指導に対して、たぶん最初は吸収しようと思ったんだと思うんですね。
それこそ初投板はどんな感じだったんですか。
そうですね。初投板は14年前の6月なんですけど、三軍の2番手投手という形で投板しました。
最速がいきなり149キロ、140キロ台後半が連発でした。
速い速いと僕自身も思ったし、その1イニングだけだったんですけど、無案打無失点に抑えまして。
で、ファーボールも前投打者に出してたんです。やっぱり初投板ということで緊張してたんですけども、
もうその球の伸びとか勢いとか、そこをすごく感じましたし、
本人が投板前の緊張した表情から投板後に取材する時間があるんですけども、
なんていうんですかね、まだ高校生というか。
そうですよね、この間まで高校生の18歳ですよね。
ういういしい笑顔で楽しかったですって言って微笑んで、顔がもう今の中精悍なですね。
海の向こうで活躍する姿からしたらもうすごい大人になったみたいな。
そうですよね。
ちなみにここのマウンドは当時二軍の本拠地だった福岡市のガンノス球場。
当時はガンノス球場の方が二軍の本拠地で、ここで二軍戦も行われていました。
そうなんですね。ということで11年は三軍スタートだったってことなんですね。
三軍スタートでもうだからですね、これ投板しますよね。
投板してまだ試合は続いているんですけど、その後はバックネット裏がいわゆる汽車席もあるんですけども、
ガンノス球場は手狭なもので、後ろに汽車がいる場所と選手がいる場所とか選手がいるというのは要はスコアをつけたり、
あとスピードガンを測る係がいたりするんですけど、戦艦投手は投板終わった後、
いろいろもろもろの雑用を終えたらスピードガン係になってました。
雑用もしてるんですね。
次の投手の投げてる球を測る。測りをやっていて、横でやってるって感じですね。
やっぱり一軍の試合とはその辺りがちょっと違うんですね。
そうですね。逆に汽車は親近感がある。
近いですよね。
近い。距離がほんと近くて、特にガンノス球場はもうほんと手狭な分、距離が分けられないみたいな。
選手とメディアを分けられないようなスペースだったので。
ちなみに僕はあれなんですよ。二軍のガンノス球場でもアルバイトをボールボーイにしてました。
まじか。
一年生の役割なんですよね。ボール拾いとかもろもろやってたんですよ。
大学一年生の役割。大学とか高校一年生とか。
スタッフの役割。
なるほど。すごい。やっぱりあっちの世界はあっちであるんですね。
そうですね。
育成でスタートして、当時なんですけど、2011年というのはある意味節目の年でして、三軍制スタートが2011年から本格的に動き出して、その選手を多く集めるという球団戦略もあったんですよ。
なので戦画投資っていうのは愛知がまがおり高校という高校で、皆さんたぶんパッと聞いて愛工大名言とか教営とかそういう学校が浮かぶと思うんですけど、そういう非常に無名校だったんですよね。
戦罪能力というのを評価されて、育成のドラフト4位で入団したんですけども、この妙ですね。この2011年の三軍制という、選手をとにかくいっぱい集めようというこの戦略がなかったら足らればなんですけども、戦画投資はプロになって、まずこの育成の場所に立ってない可能性もありますね。
そうか、そうですよね。
今思えばですね。ちょうどこの年でしたからね。だって背番号も128番ですからですね。どれだけ球団に期待されていないか、この時点では。
そうですよね。同期と言うと結構すごい名前が並ぶんですよね。
このシーズンはすごい当たり年と言われていて、育成ではない、通常のドラフトの2位に柳田裕樹選手がいましたし、育成もすごい当たり年で、育成5位、戦画投資より一つ下のランクに牧原選手、またもう一つ下に甲斐卓也選手。
甲斐卓也選手も育成出身。
そうですそうです。
育成の4位、5位、6位がフォークスの後の主力になるというですね、すごい黄金世代だったんです。
しかもみんな日本代表になったこと、経験ありますね。
本当ですね、そうですよ。
この当番して、先ほど言ったようにういういしい笑顔だったんですけど、でも体つき自体は入団会見とかとしたら非常に変わっていました。
すごい明らかに下半身が大きくなっていて、すごいね下半身大きくなったねみたいな話をすると、いやー持ってきた私服のズボンもきつくてなかなか入らなくなったんですよみたいなことを言ってて、
いや体重も増えたんじゃないみたいな話をしたら、入団当初の体重75キロだったんですけど高尚王ですけどね、多分もうちょっと低かったんだろうね。
8キロ増えたって言って、13キロまで増していて、全体的にパワーアップしたことで高校時代の最速は144キロだったんですけども。
そこまでないですよね、スピードとしては。
なんとか無名だけど潜在能力っていうラインの140キロ台は出てるということなんですけど、そこからもう最速がいきなり5キロアップして、本人に149出てたよって伝えたら、
え、早い!びっくりした!って言って、
潜在能な子だったので、すごい人ごとのように驚いてたのが印象に残ってますね。
先ほどから何度も言うように、YouTubeを見られてる方はわかると思うんですけど、ガンノス球場っていうのは住宅のそばにあるような球場で、
そのグラウンド自体はあんまり、その球場自体そんなに広くはなくて、
その汽車席と、その汽車席へ向かう通路のところでもトレーニングしないと、トレーニングする場所があんまりなかったんですよね。
なので入って行って、正面玄関入って、中入ったら両サイドにも荷物がいっぱい置いてあって、そこに例えばマットとか敷いて腹筋をしたりとかですね。
そんなことをしてる姿が普通に見えるような球場ですごい、戦画当初で言えば、すっごいこの6月ぐらい、むし暑い夏ぐらいですね。
とにかくですね、だらだらに汗かきながら泣きそうな顔して腹筋を何度も何度もやってる。
今また高知で戻られた倉野さん方が、この頃指導、戦画当初に主に当たってたんですけど、体作りをすごい。
とにかく体作れば、軸を作る、体幹を作れば、物になるじゃないけど体制するんじゃないかっていう指導方針で、それがまさにハマった選手だったんですよね。
支配下、支配下にならないことにはプロ野球選手とは言えないというふうな元物なのです。
一部の試合に出れないみたいですね。ガムシャラで。
入団2年目にはもう支配下登録、勝ち取りました。
これは早いですね。
早いです。育成ですからね。
一般の人でそういう流れで投板できるんだったりする。
いわゆる育成の方で支配下になるということは、イコール一軍で投板するチャンスがあるということなんですね、いきなり。
なので彼は最初は先発ではなくて中継とか球員の立場での呼ばれました。
年数まではちょっと覚えてないんですけど、ロッテ宣伝初投板じゃないと思うんですけども、非常に緊張をしていた。
覚えてますけどですね。
でもそこから球員から先発に転向して、もう皆さんどの方も知ってるオバケフォーという落差のあるフォークを武器にしても、もう瞬く間ですよね、スターに行った。
その後は瞬く間だった。
そうですね。停滞することはなかったですね。どんどんどんどん。
そうですね。で、思い出のそれこそ詰まった大久保さんも、戦画投手もでしょうけど、大久保さんも思い出がガンノスの勇者には詰まってるって話で。
今回ね、タイトルがいいですもんね。ちょっとこのタイトルに引っ掛けたらちょっとお話を。
そうですね。タイトル、戦画選手とガンノスとカニとさせていただいたんですけど。
すごい組み合わせですね。
私らとは一つですね。私。
なぜかと言いますと、ガンノス球場っていうのは海が近いんですね。
で、なおかつまだ今のような中国のように施設が整備されてないところだったので、当時はベンチまで、試合中はダメですけど、ベンチの中に入れたんですね。
ベンチのところに行って練習する姿を写真撮ったりとか、例えばコーチの話を聞くことが14年前ぐらいはできてたんですよ。
で、ベンチにいるとですね、なんか下でもモゾモゾモゾモゾ動くものがいるなと思って、何だと、え、何?と思ったらカニなんですよね。
カニが僕の前をずっと通ってて、よく見るとスパイクで踏まれたようなカニもいるんです。
だから何匹かすぐカニがよく出てきててですね。
なんかすごいもう二軍のグラウンド、当時が三軍が生まれたから、二軍三軍の選手がそこにいると見て、もう必死ですよね。
コーチたちも当然一軍に上げたいから猛烈な練習をしていて、ものすごい必死な姿が目の前で繰り広がれてるんですけど、下を見るとカニがトコトコトコトコっている姿を見て、なんかほのほのした気持ちになるんですね。
言ってみればカニはずっと横歩きしてるんですけど、その二軍三軍の選手は前へ前へ一歩でも早く前へ進んで、一軍の部隊へという選手に対してですね、そんなスムーズに前には進みませんよ、みたいな感じでカニがやってくるんじゃないのかなと。
横歩きをしてたんですね。
そんなふうなこういうような思いをガンノスで思ってて、なぜかなんですけど、戦画当初のたぶん初めて投げたマウンドを見た印象が強いからかですね、戦画当初が今でも海の向こうで当番すごい活躍する姿、映像を通して見るとですね、なぜかこのガンノス球場が浮かぶんですよね。
ガンノス球場とそういうベンチの中にいるカニが出てくるんですよね。だからすごいなんか私にとっても逆にいい思い出になって、もう当時のように戦画さんとして、もう遠いところへ行かれましたけども、そういう懐かしい思い出も思い出す戦画当初です。
ありがとうございました。今日は中田さんどうでしたか。
中田 今日のお話聞いてると思うんですけど、大谷投手、大谷翔平っていうのはやっぱりアニメのような投手。