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2025-04-02 21:01

23|【柔道】「伝説の20人抜き」の天才柔道家・羽賀選手が引退

西日本新聞で記者生活の大半をスポーツ取材で過ごしてきた大窪正一記者が、アスリートの素顔や裏話、スポーツの可能性についてお話しする「西日本新聞スポーツ余聞」。

柔道男子の2016年リオデジャネイロ五輪100キロ級銅メダリストで、20年の全日本選手権も制した羽賀龍之介(はが・りゅうのすけ、宮崎県延岡市出身)選手(33)が1月20日、現役引退を発表しました。大窪記者はリオ五輪を現地で取材したこともあり、思い入れがある選手のひとり。
金鷲旗大会での伝説や、屈辱の世界選手権など…。今回も、大窪記者が語ります。

◆出演:大窪正一(スポーツ記者/宗像支局長)、中富一史(販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)、音声編集:中富一史、映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2025年2月20日

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Summary

羽賀龍之介選手の引退について、彼の柔道人生や伝説の20人抜きが取り上げられています。大会での記録を振り返りながら、彼の挑戦や挫折を通じて得た経験が語られています。伝説の柔道家、羽賀選手が引退を迎え、彼の柔道での実績やその後の活動について話されています。柔道界における彼の影響や、引退後のコーチとしての新たな挑戦も紹介されています。

羽賀選手の引退とその影響
西日本新聞ポッドキャスト
西日本新聞スポーツ余聞
この番組では、記者生活の大半をスポーツの現場で過ごしてきた大久保さんが
アスリートの素顔やスポーツの可能性についてお話ししています。
こんにちは、福岡のニュースアプリ西日本新聞民の横山智則です。
今日もよろしくお願いします。
西日本新聞社の大久保昌治と申します。よろしくお願いします。
西日本新聞社の中富一文です。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
今日はですね、柔道のお話です。
だんだん幅広くなってきましたね。
そうですね。
スポーツ余聞ということで、
いろんなスポーツが紹介できればというところなんで、
今回取り上げさせていただくのはですね、
1月に現役を引退した柔道の選手なんですが、
宮崎の延岡出身でですね、
2016年の私が取材に行ったことをよく言うんですが、
リオデジャネイロオリンピックの100キロ級の銅メダリストの
羽賀龍之介さんですね。
もう引退されてるんですよね。
この方についてお話しできればなと思っているところです。
この方をなぜ取り上げたかというところなんですが、
まず一つは先ほど今言ったように、
私リオでこの方を取材したので、
オリンピックを決める過程を見て思い出があるということと、
西日本新聞社においてもなかなかこの方というのは、
縁があるというかゆかりのある選手で、
そこも含めてご紹介できればと言っています。
伝説の20人抜き
西日本新聞社主催しているスポーツの大会として、
金鷲旗という、これは夏場ですね。
そうですね。
柔道の高校生の柔道の全国大会。
そうなんです。
金鷲社員のときに研修で金鷲旗、玉龍旗をとりあえず行って、
スタッフというかというところでやりました。
お手伝いですし。
分かります。
覚えてますよ。
こちら選抜大会だとか出場権を争った大会とかではなくて、
エントリーすれば参加できるというところもある全国大会というのが特色の一つで、
なのですごい出場エントリーチーム多いですもんね。
そうですね。金鷲旗と玉龍旗が続けて同じ時期にあるんですけど、
どうかしたらホテル取れなくなる問題が出るぐらいの大会ですね。
その時期は非常に福岡の真ん中に高校生が増えてますね。
大会なんですけど。
それもでかい高校生が増える。
でかい。
その大会、この金鷲大会ここでですね、伝説になっている伝説の20人抜き。
これをやられたのが、この羽賀さん。
そうなんですね。
20人抜き。
これ20人抜き、何がどういうところで20人抜きになるかっていうのをご説明してもらっていいですか。
まずですね、引退会見で様子を見てたんですけど、
すごく取材した当時を思い出して、それで、
あ、羽賀選手といえばということで、この今20人抜きを思い出したんですけど。
もちろん、このもちろんというか、私が記者時代にこの20人抜きというのは私取材してないんです。
時期的にですね、取材してないんですけど、
振り返れば東海大相模校の1年生で出場した時の金鷲期なんですけど、
基本的に一人で団体の勝ち抜き戦なので、
要は負けるとか引き分けがない限り、勝ってたらずっと
勝ち抜くんですよね。
勝ち抜いていきます。
だから一人でそのチームを全部倒しちゃうってことを、この方は4チームされたってことをですね、
4チームを倒して史上初の20人抜きになるってこと。
1団体は5人。
そうそう。
5人の4チームだから20人。
はい、5人制の団体戦なのでですね、
もう負けるか引き分けるまで戦い抜くんで、抜き勝負と言われててですね、
これがなかなか団体戦なので目立つことがない中で、
この抜き勝負は結構金州紀の名物という感じですね。
ですよね。
これちなみになんですけど、伝説の20人抜きっていうぐらいなんで、
大体みんな何人抜きが。
そうですね、新聞の記録とかでは5人抜きとか、
つれば一人でそのチームをみんなやっつけたっていうことですね。
とかであれば結構すごいな。
大きな見出しになるのは大体毎年5人抜きとか、
高校の何々選手かみたいな。
なるほどね。
そうですね、なので20人抜き。
本人にこの時のことを振り返ってもらった、
それこそリオデジャネイロオリンピックを目指す際の取材の過程で、
昔のことも振り返っていただいて、
20人抜きの話を聞いたんですけども、やはりすごいきつかったそうです。
きついですよね。
当たり前なんですけど。
体力的なところもですね。
そうですね、皆さん高校中学で柔道されたことありますか?
柔道もあるし、剣道も一応授業とか。
授業で。
授業でちょっとした。
あれ一人試合しかするだけでもかなりきついですよね。
そうですね。
それを全然レベルは段違いなんですけども、
それを思い出して20人ってもう考えられないなと思ったら、
やはり経年とか、正直脱水症状みたいな感じになりながら、
悪力とかですね、かなりいるんですね。
相手をグッと引きつけないと技ってかけられないので、
相当体力的にも力がいる勝負で。
それは1年生の時でしょ?
そうなんです、1年生なんですね。
なのでやはり体に動きが染み付いているからこそできたんだと思うんですね。
でもやはりあれが、あの乗り越えた自信、やり遂げた達成感、
これっていうのは柔道人生の中でやっぱり大きかったっていうことは振り返ってくださっていてですね。
挫折からの復活
それこそ余談だよね。
1人で1年生が20人抜きしたら、他の子試合1000万万になっちゃうんですよね。
4試合勝ち抜いてるとき、その人しかやってない。
そういうことになりますよね。
ないまんまずっといっちゃいますもんね。
そうなんですよね。
逆にでも。
これも余談ですけど、20人抜かれた方も大人になったらいい?
見上げ話じゃないですけど、実は17人目なんで。
確かにね、名誉ある。
そうですよね。
5人抜きだったらですね、いろいろあるかもしれませんけど、
20人抜きの中の記録の中の1人っていう。
そうかそうか。
かなとかちょっと思ったりもして、
西日本新聞の主催の大会が、そういう飛躍のきっかけになったっていうことをおっしゃってくださったのはですね、
なかなか嬉しかったなという、個人的にもですね、思った記憶がある天才ですね。
天才柔道家って言っていいと思う。
そうなんですね。
1916年から始まった歴史ある大会で、そこまでそういう記録が出てなかったわけですから。
そうなんですね。
そうなんですか。
そうなんですそうなんです。
でも未来のスターだと注目されて、こう終えられて、名門と言われる東海大の柔道部行って、また柔道で有名な朝日架成、そこに入られて非常にブレイクされている選手なんですか。
ただやっぱりアスリートってどの方もやっぱり挫折とか、いいことばかりじゃないんですよね。
ただそれを国母さんの時の回にもお話ししたかもしれないけど、その逆境の時こそ生き様の見せるところじゃないですけど、
そこをどう乗り越えるかでアスリートって一川も一片川も向けていく姿を私たちも取材して経験していて、それが羽賀さんもありまして、
羽賀さんこの2014年の時に全日本柔道連盟、全柔連が基本的に世界選手権の出場枠じゃないですけど、階級別なものですから、基本的には全階級にもちろん追い上げと言われる柔道なんで出すんですけど、
2014年全柔連が当時この日本代表が全然世界で勝てなかったのが男子100キロっていうんで、そこが羽賀さんの階級だったんですけども、そこに2014年は出場させなかったことがあったんですよ。
もう世界選手権に派遣しませんと。そうなんです。
権利はあったけど派遣しないっていう。
出場させても、その良い悪いは別としてメダルは取れない。プラスそういう選手の雰囲気を促すですね。
なるほど。
こんな調子じゃ日本の英芸、100キロ級無差別というのはやっぱり重量級というのはやっぱり柔道の花じゃないですけども、その日本としてはエースが数々山下康弘さんの無差別とかですね。
それか井上恒生さんが100キロ級だったんです。こういうエースと言われる方々が出た階級ですので、やはり日本としてはプライドのある階級なので、そんな無様な姿は見せられないということもあって派遣を見送った。
その見送ったのこれ初めてだったもので、これはその当時はこの階級では派遣さんがやっぱり第一人者という言われていた方だったので、かなり本人としてもやっぱりきつかったとおっしゃってましたですね。
その一番手として世界選手権に派遣されないような日本代表になった。これなかなかきつかったらしくて、実際にこれロシアでその2014年の世界選手権行われたんですけど、濱田選手は研修団の一員みたいな感じで観戦させられる。僕からしたら侮辱じゃないかなと思うんですけどね。
他の階級は出てて試合は出るはずだったのが、見学して行くって辛いですね。
なおかつ濱田さんがおっしゃってましたけど、他の代表選手の柔道技のクリーニングだしたり座る場所を雑用したり雑用をしたり、裏方仕事もしないといけなかったらしくて。ある意味出て負けるより悔しいですよね。
悔しいですね。
多分それは狙ってたとこなんだと思うんですよね。実際本人も本当に悔しくて、これをエネルギーに変えないともったいないと思ったと。取材で当時の悔しさをよく振り返ってらっしゃいましたけどですね。
だからこそなんですけどね、いろんな柔道だけの稽古だけじゃなくて、スピードスケートの長野五輪で金メダリストになった清水博康さんっていらっしゃると思うんですけど、この方に下半身の使い方、スケートってものすごい太ももを。
太ももすごいですもんね。
下半身の使い方、要は体の使い方を学んだり、そういうことをされたんですよね。肌さんっていうのは、もともと相手を跳ね上げる、内股っていう技があるんですけど、腰の間に足を入れて跳ね上げるような技があるんですけど
要は下半身が非常に重要になってくる技なんですけど、その持ち味を切れを磨き上げてですね、リオ五輪には出用権を実際に得られたと。リオ五輪は金メダルは残念ながら取れなかったんですけど、大メダルだったんですけどもね。
でもこの男子100キロ級のメダル自体がですね、シドニー五輪井上浩成さんが。だいぶ古い話で。
実は金メダルを取られて以来、日本勢としては4大会ぶりのこの100キロ級ではですね、メダルだったんですね。
それは本当に不審だったんですよね、そのメダルが結局。
だからそう、派遣見送りとかもあったということなんでしょうけどですね。本当に挫折、挫折、悔しさを糧にしたという。そのちょうど過程を取材させていただいたんで、すごく運が良かったなと思っていますですね。
羽賀選手の柔道キャリア
ラグビー好きの私からすればですね、ちょっと面白いエピソードがありましてですね。濱田さんが、実はですね、ラグビーの日本代表監督からスカウトされた。
柔道の選手がラグビーに、ラグビー選手としてスカウト。
そうなんです。実はですね、そういうことがエピソードがありまして、2015年3月、2016年がリオオリンですからですね。その前年の時ですね。東京に国立スポーツ科学センターって言って、代表がよくそこで合宿したり、強化施設ですね、日本代表が練習する。
柔道だけとかラグビーだけではなくてってことで。
国の方が、要はスポーツの強化を目的に作られた施設が東京の方にあるんですけども、そこにまず濱田さんが稽古でやってたんですね。
その時当時ラグビーの日本代表指揮してたのがエディ・ジョーンズヘッドコーチで、実はもう今もまだ2度目の日本代表のヘッドコーチを務めていらっしゃるんですけど、当時が1回目のヘッドコーチだったんですけどですね。
その方がですね、羽賀さんを見てですね、羽賀さん当時186センチ100キロ、体で、筋肉の質もすごい良いんですよね。ガチガチの筋肉ではない、柔軟性のある筋肉、ちょっとまだ専門的だなと。
そういうバランスの良い体を見てですね、実際に本当に冗談まじりだとは思うんですけど、ラグビーしないかと。
言いたくなる回答ですね。
言いたくなるラグビーしないかと、これをかけたんですよ。で、羽賀さんは後から聞いたんですけど、東京オリンピックがあるんで、東京オリンピックまでやって、それが終わったら考えますと。
これまたちょっと面白いところがあって、実はこの年ですね、2015年って秋のワールドカップで日本代表が優勝候補の南アフリカを破って、世紀のスポーツ史上最大の世界のバンクロワースであったことがあったんですよ。
2015年?
15年なんです。
15年前か。
五郎丸選手が。
ありましたね。
あれ、そうなんです。15年なんですけど、あり得ない話ですけど、そこでもしかやりますって日本代表に言って、そしたらこの世紀のバンクロワースの中に羽賀さんがいたかもしれないです。
すごいですね、そうなってたらね。
そこでバンクロワースして、その後翌年柔道は柔道で、ちゃんと一流でとか言ったら、おっしゃらせたかもしれないですね。
そうですね。
一流です。
そういう面白いエピソード、羽賀さんにはありましてですね。すごく記憶に残っている選手の一人だったんですけど。本人東京オリンピックが終わったらと言ったんですけど、その終対戦と考えていた東京五輪は出場を逃しちゃったんですけどね。
引退後の新たな挑戦
それで引退かどうかも、そこでもちょっと悩んだりされたそうなんですけども、実際続けられて。
柔道ってやっぱりその日本では、小さい選手が大きい選手を倒すのが結構美徳じゃないけど、そういう日本人の感覚があって。
体重無差別で争う全日本選手権というのが毎年開かれてるんですよ。結果的には体の大きい選手が優勝していくんですけど、羽賀さんは100キロ級なんで、無差別100キロもどんどん超える選手の中では、それはめちゃくちゃ大きい方ではないんですよ。
そうか、100キロでもですね。
100キロ超っていうのがあるじゃないですか。
100キロ超級の世界選手権とかであるぐらいですね。あるんで、その一番大きいサイズではないんです。サイズというか、階級ではないんですが、2020年の全日本選手権を制したりですね、そういう自分の柔道家としての存在感というのはずっと示し続けられててですね。
前10年のアスリート委員として普及活動とかなさったりですね。現役時代からですね、畳の外でも貢献が大きかった選手ですので。
で、1月引退会がなさりましたけど、今度朝日架線のコーチとして就任なさったんですけども、4月ですね。4月からはドイツの方にコーチ留学、なんかドイツにはプロリーグがあるそうです。
勉強不足で知らなかったんですけど、あるそうで、そこに留学する予定らしいですね。
で、次は日の丸を背負う選手を育てたり、ゆくゆくは監督になってほしいなというような、僕個人的にはですね、そんな思う選手の一人としてちょっと紹介させていただきました。
ありがとうございました。中富さんどうでしたか。
私は恥ずかしながら柔道ってオリンピックの時だけ見るんですよ。で、優勝したとかって選手っていうのはその前まで経緯みたいなとこは見るんですけどテレビとかで、ただこうやって引退までとか今どうしてるっていうのはあんまり追ったことないから新鮮でした。
柔道って、柔圧もすごくて、日本のOEAゲイとされていて、おっしゃるようにオリンピックしかっていう方、これも普通だし失礼ですけど、結構そういう方が多いし、ここで結果出さないといけないっていう思いもすごく強くて、
実際ですね、リオで他の長瀬選手、長崎の出身の方がいたりしたんですけど、その方も3位だったんですけど、取材してもですね、金メダルじゃないとですね、結構喜ばない柔道は、柔道の日本代表はですね、金メダルじゃないとですね、なかなかですね、笑顔が出ないんですよね。
最終的に金メダルじゃないと、負けたっていうところで終わっちゃうから、そういうことなんでしょうね。
そうなんですね。一番じゃないと、というのが柔道。他の競技だとですね、やっぱりメダル取れたらやったって感じなんですけど、柔道はそういう空気感がすごい競技の一つですね。
そうか、そうでしょうね。柔道がオリンピックではそれ見て一番そうですか、結局。
そうですね、柔道。一時期はレスリング。
確かにインタビューとか見てたら、やっぱ柔道の選手は金メダルじゃなかったら泣いてたりしますもんね。
そうなんです。下手したらすみませんみたいなことを言う方もいらっしゃいますもんね。
その銀道ではっていうんですよ。
そうそう、期待に応えられなくてもみたいなことを。僕からすれば、その規定を見てるだけにですね、素晴らしいことだと思うんですけどね。
ありがとうございました。エンディングの前に一つお知らせです。西日本新聞のポッドキャストにまた新しい番組が誕生しました。番組のタイトルは星野松本のしゃべりーよ。番組では記者たちが就職活動や新人時代、プライベートの生活などザックバランに喋ってます。毎週火曜日配信です。よかったら聞いてください。
それではエンディングです。ここまで聞いていただきありがとうございます。大久保さんの記事が読みたい、この番組を応援したいと思っていただけましたら、西日本新聞もしくはスマホアプリの西日本新聞MEのご購読をお願いいたします。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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