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2025-07-27 12:51

26|秋月の名城・古処山城の秘密に迫る【秋月城編②】

この番組は、福岡県内だけでも1,000近くあったとされる戦国時代の山城の魅力を、現地探訪を交えて紐解き、熱く語り合う番組です。山城研究は地理学、歴史学、軍事学、地域経済学などいくつもの側面があります。かつて、その地で暮らした人々の息吹をあなたも一緒に感じてみませんかー。

小京都秋月に堅固な山城があったことはご存じですか。古処山城の歴史と構造について堀切さんに解説いただきます。

◆出演:堀切凡夫(お城映像クリエーター)、中山紘一郎(しかのすけ/販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:中山 紘一郎/ディレクション:坂本信博(報道センター総合デスク)、梁京燮(豆吉郎社長)

◆収録日:2025年7月13日

◆「空から攻める」堀切凡夫Neo2(YouTube)
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サマリー

このエピソードでは、秋月の古処山城に関する歴史や地形の特性を詳細に説明しています。また、城の構造や防御機能、その背景にある歴史についても考察しています。秋月の名城である古処山城や、その周辺に存在する小山城の数、未発見の可能性がある場所についても掘り下げています。さらに、ドローン映像を用いた解説や公演があり、地域の魅力を再発見する機会を提供しています。

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西日本新聞Podcast
西日本新聞 戦国山城Podcast
この番組では、福岡県内だけでも戦地核あったとされる、戦国時代の山城の魅力を、現地を歩きながらお話ししてまいります。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞 水戸 横山 智則です。
こんにちは、シロ映像クリエイターの堀切 常夫です。
こんにちは、西日本新聞の主科のステコと中山 光一郎です。
【秋月城編②】
古処山城の概要
古処山
引き続き、秋月のくず切り屋さん、カジカというくず切り屋さんからお届けしておりますので、
セミの鳴き声もひょっとしたら聞こえてるでしょうし、時々他のお客さんの声も聞こえてるかもしれませんけど、ご愛嬌ということで。
本当で言うと、この秋月のちょうど城下町から、たぶん1時間ぐらいでしょうね。
歩けば、古処山城跡に行けるんですけども、暑いんでふもとである。
ここからお届けしましょう。
分かりました。
残ったことあるんですか?
あります。2回ほど。
やっぱりその跡は残ってるんですか?
そうですね。大きく2つ分かれてますね、車内で。
でも素晴らしい意向が残ってます。
もうちょっと涼しくなったらそのうちに行きましょうか。
今日はちょっと、僕らにとっては予習編ということで。
それこそ、秋月城の歴史は前回鹿之助から聞いたんですけど、これとはまた別の文脈で古処山の歴史と古処山城の歴史というのもあるんですね。
城の地形と防御機能
そこら辺をちょっと今日掘り切りたいと思っております。
分かりました。
古処山城と言いますと一応概要を話しますと、古処山という山があるんですが、そこは標高859mありました。
その古処山城3丁と南側に伸びる京雅峰というお根があるんですけど、その2箇所に大きく展開している山城のことを古処山城と言います。
850mって前回高鳥山登りましたけど、あれが600m台であそこよりも高い。
かなりありますね。
鴻満山が900mですから、福岡の人なら分かる。鴻満山と同じくらい高い山って思ってもらったらいいんじゃないかな。
前、自分が以前登った時も冬だったんですけど、もう積雪で車が一瞬分かりにくいぐらい降ってたぐらい。
そうですね。
先ほど話が少しだけ前回の時に触れたんですけど、秋月城っていうのは江戸時代以降、秋月駒田藩が巨とした場所なんですが。
そうですね。そういう意味では前回鹿之助さんの回は秋月城が出ていきましたで、江戸時代の少し前で物語を終えてますけども、江戸時代になるとこの辺りは駒田藩になってくるわけで、駒田さんがここを治めてたってことになるんですね。
そうですね。江戸時代のところですね。保守山城はどちらかというと先ほど鹿之助さん言ってあった秋月市の精髄っていうのと一緒に歴史があったという形であります。
だから最初に原田種勝が鎌倉幕府が秋月の省を賜ってからここに、その時に保守山城と麓の巨館とかも一緒に作ったと言われています。
そうですね。歴史古いんですね。
そうですね。古いですね。大きくは保守山城は先ほどありましたけど、一番高い850メートル範囲の山頂部と南の部分と分かれていて、大きい違いは南の方はわりかしきっちりした平坦地がなくて、ちょっとだらーっとした感じの地形が続くんですけど、
ちょくちょく山城ポッドキャストでも出ている梅城空掘り群というのが、結構高床なんですよね。700、800メートル台にびっちりあって、これも縦掘りが場所によってはすごい長いんですね。100メートルくらい伸びているところ。
特助地理院が出している赤色立体図とかあるんですけど、それにもきっちり縦掘りの線がビーッと伸びているのが見えるくらいしっかり残っているんですよね。
もう一個の南側はそんな感じなんですけど、北側の方はもちろん梅城空掘り群もあるんですけど、平坦地が、そこに河原がいくつか落ちているんですね。
今も落ちてるもんね。
八幡城登った時も、普通にゴミでも捨てられたかのような雰囲気で落ちてますもんね。
朝、このポッドキャストの時に一回秋月の城下町を歩いてまいりましたが、ふもとで秋月神谷の表御門として使われていた黒門が伝承では、先ほどあった河原が落ちていた山頂部のところに建っていたのではないかというふうに伝えられているんですね。
そう考えたら、あの上にそれを作るということは、若干もしかしたらそこで生活をしていた可能性もあるのかもしれない。
なるほど。それこそ堀木さんよく、八幡城は普段の生活の時には実際は使っていなくて、いざ行くさあって言った時にあそこに建てこもる。
だから普段はあそこで生活していないところなんですよって話でしたけど、今回の古葬像については、そういう、というよりむしろあそこで今日構えてと。
そういう時代があったのかもしれないですけど、そういう側面もある。結構巨大な範囲を持つ城が取れていてね。
そういうことなんですね。
はい、そうですね。
一旦こんな話です。
そうですね、一旦そうですね。
八幡城としてはというと。
八幡城としては。
なんかしかのつけなんてことですか。
そうですね。明星カラボリングはそんな高い山にあって。
そうですね、そう。
昨日するのかなって思いますね。
そう思いますね、本当にですね。
そうなってくると、古葬像カラボリングってやっぱりつくづく、本当にどういう目的でやったのかってわからない気がするんですね、なんか。
二人で盛り上がってるのは、そんな高い山まで行ったら、空掘りとか建て掘りとか、なんなんて話をしたいってことなんですね。
そうですね。
もう少し低い山の平地から攻め、少し小高い丘ぐらいに攻めようとしたときは、そういうのがあったほうが守りやすいって理屈になるけども、
800m回るところだったら、もう攻めてくる前、そんなのがあろうとなかろうと、登山屋みたいな話で攻めてくるわけだから、
歴史的背景と文化
そんなに立派な掘りがいるんですかっていうので、二人も話してるわけですね。
そうですね。だから前回もお話しましたけど、古木さんとお話しましたけど、結構復興じゃないですか、威圧的な意味。
そこから見たときに、これだけの技術があるんだぞと見せつける意味もある。
かっこいいんだぞと、すごいんだぞと。
落とせないぞうちの城はっていう意味もあるんじゃないかと。
そうですね。だというのもありますし、前回行ったときも記憶してるんですけど、結構まあまあな斜面作ってるんですよ、急斜面っていうのは。
そこに落としてるので、そこが緩い角度が柔軟度もないような緩いところだったら、
そうやって縦掘りいっぱい作ってコースを限定させるっていうのがあるんですけど、
まあまあ急で登ってくるのもどうかっていうところで、
何十本も作るなんて、何なんだろうってすごい疑問に思うんですね。
なるほどね。何のために作ったんだろうお話なんですね。
何気にいろんな位置側面では語れない防御移行だなっていうのは、僕の中では謎に思ってる。
作らされる方はもっとそうでしょうね。
大変ですよね。
大将がこれって勇気にしよるけど、いると本当に思いますよね。
なるほど、今日はそのくらいで大丈夫ですかね。
あとは一応不随習とか、秋月の城下町は、戦国時代は巨漢があったぐらいで、
当然江戸時代にあった秋月ジニアとか、石垣化されることはなかったんですけど、
古処山城の周辺
町としてはあって、その周辺は、確かに最高所の古書山城があるんですけど、
南だったり東だったり、秋月の城下町を囲むように、
結構いくつも小さい山城が顕在してるんです。
そうなんですね。さっき、それこそ僕らも散歩がてら町を歩いたときも、
ちょっと小高い、今でいうと携帯電話の鉄塔みたいなのが建ってる、
あそこも山城だったと。
車がいくつかあるみたいになりました。
なのでそういう分だけ、この町を守る目的もあったのかもしれないんですけど、
まだまだありまして、一部ではまだ発見されていない、
おそらくそうなんじゃないかという考察されている場所もあるところでございまして、
そのぐらい、そういう江戸がまだ眠っている可能性がある場所でもあるかと思います。
なるほど。ありがとうございました。
はい。
最後に一つお知らせです。西日本新聞社では、西日本新聞民の法人会員様向けのサービスとして、
会社や団体の研修会に記者や講師対記者を講師として派遣いたします。
実際に取材データ情報を交えて、政治や経済、地域の課題など、
ご要望に応じてお話しいたします。
概要欄のメッセージ受付フォームからご連絡をいただければ取り返しいたします。
お気軽にお問い合わせください。
ちなみに堀切さんも公演とかするんですか?
最近ちょっとありがたくも、公演というかですね、
私のYouTubeに上げているドローン映像があるんですけど、
それをいつもは自分が調べてきて解説とかを吹き込んだりしてやってるんですけど、
あの解説の音声とかテロップを一切なしのを学芸人さんにあえて語ってもらうっていう機会があって、
ありがたくもいくつかそういった公演をさせていただく場がございまして。
それはYouTubeに上がってるんですか?それとも公演だけ?
公演だけですね。
そのイベント会場だけでそういったお話をするっていう。
だいたいお城の情報というか、そういうのは各自治体もそうですけど、
調査報告書というのがあって、それ以上のものとは結構ないんですけど、
逆にそういった場所でやることで、もしかしたらという部分を含めたり、
雑談っぽくできるというのもあるので、そこがまた逆に可能性の深掘りみたいなのができて、
そういうふうに公表らしくて。
なるほど。
調査報告書に書くということはそれは行政として、
史実をとしてそれる公のもの、オフィシャルのものになっちゃうけども、
そこには書いてはないんだけど、俺はこう思っとるとよという話もしてくれるってことなんですね。
若干そうですね。
ましてやドローンの映像っていうのは、ちょっと地上ではなくて数メートル高さで飛ぶだけで、
情報の角度が全然変わってくるので、
研究されている方からしたらたぶんいっぱいこの部分を説明したいというのが出てくるので。
なるほど。
集まっている方からしたら聞くのが楽しみな話になるので。
それこそ我々ポッドキャストですから、
映像はリスナーさんが想像していただかないといけませんけども、
逆にドローンの映像となるとそこは真逆で、
リアルにやっぱりちょっと俯瞰して見れるので。
それはそれで面白いですもんね。
ドローンの映像は映像なんですけど、
やっぱり現地のいった迫力とか情報の入り方には勝てないので、
逆にそれを機に行かれたって方もいるみたいで。
何重に重ねたあれがたまたまですけど生まれてるみたいな。
今後もたぶんそれでそういう場を通じて後ろの魅力を発信していければと思っております。
ありがとうございました。
ということで西日本新聞の広報力もよろしくお願いしますということを付け加えて、
今日は終了です。お疲れ様でした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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