辿っていけば?
一応伝承では。
言われています。
そういう人ってたくさんおるもん?
先祖は中国の偉い人でした、今は日本の武士ですみたいな人っていうのは珍しい話?
有名な例で言うと旗さんですよね。
旗さん?
旗さんってちご取ったらごめんけど、総理大臣もした旗さんの旗さん?
全然違う。
漢字も違う。
新の国の中国の旗です。
新の始皇帝の新?
その旗さんですね。
その人も元々は中国の人だった?
そうですね。旗さんは有名な例だと旗織りとかも新の始皇帝の新から来ているっていう。
本当かどうかわからないですけど。
っていう風なのがよく言われる話ですね。
だから元々は中国から来た人がおって、その人が平安時代の乱の時に侵圧する側として行けと言われて。
それが大蔵、春山に来るとした。
この大蔵氏、後に分かれて原田氏になるんですけども、
彼らは平安時代末期には平家型?平の清盛。
彼らに仕えていた家柄でして。
秋月氏の歴史を記した秋月家の本みたいには、
紀蘇義永、源頼朝のいとこに当たるんですよね。
京都を攻め上がる時の平家は安徳天皇を連れて下関とかこっちの方に逃げてくる。
その際に原田種直という人物がいるんです。秋月氏の先人だったという人物なんですけど。
自分の館を天皇の御所に提供した。
そういうふうに。
バリバリの平家型だったってことですね。
そうですね。
ですが平家も滅んでしまって、でも当時の原田家は平家型ですから、
処刑されるのかと思いきや許されて、
次は鎌倉幕府の自刀として活用される。
歴史で習いました。守護自刀の自刀ですね。
当時は筑前の国、宇都省、宇都島ですね。
宇都島の人に任命されます。
なるほど。
じゃあ、ずっとたどると中国から渡ってきて、日本で武士になり、平家型として戦い、
その後、鎌倉時代になったら宇都島にやってくると。
この秋月藩のご先祖様はと。
この頃に原田氏が秋月に領地を頂いて管理するようになって、
そこが秋月藩というところで、その名前を取って秋月氏と名乗るようになる。
そこで秋月の名前が出てきた。
なるほど。そういうことなんですね。
だから宇都島もやってました。隣ってわけじゃないけど秋月も治めてましたってことになるんですね。
この後、鎌倉時代から戦国時代が終わりくらいまでは秋月氏が秋月を治めることになっていきます。
ちょっと時代は後の方に行きますね。室町時代に入ります。
旅立り戦国山次郎ポッドキャストという名前が出ている大内氏中将に、当時の秋月種方という党首が接近してですね、
もともと少領主、畜前の国の少領主だったのが、ここら辺のちょっと名の知れた存在になって、
大内氏と大智氏の和睦にも仲介するような大きな存在になっていきます。
しかしですね、大内氏も末晴方の無奉によって勢力が弱まってしまうんですね。
当時の党首が吉高が自衛すると北部九州の勢力が大きく変わって、
武前にいる大友総理と大内氏に代わって九州進出を目指す毛利元内との間で対立が起こる。
この時秋月種方はどちらに味方したかというと、毛利氏の方です。
なので大友総理はそれを理由にですね、討伐を行い秋月氏の、実はここで一回転びてしまう、秋吹氏は。
ここを攻められるんですか、この秋月氏は。
ここも落とされて羽方も、その息子も、着南も殺されてしまいます。
ここで終わるかと思いや、
ここで終わってたらここは秋月っていう罪じゃなかったかもしれないですね。
ならなかったのが、羽方の地難にあたる羽座根が御家最高を目指して、
もう一度古書山城に入って、そこから大友氏への反旗を翻すんですが、また降伏してしまいます。
1590年分。
戦国時代のもう最後、本当に終わりの方になってくるんですね。
はい。
その辺りまでですか?
もうちょっと進む?
その辺りまで。
今日は。
ということで、ちょうど江戸時代が始まる一歩手前ぐらいまでの話ってことになるんで。
でもなんか、今まで結構戦国山城ポッドキャストは、戦国時代中心で話してきましたけど、
だいぶ平安から行くんですね、今回は。
そういう意味では。
有名じゃないですけど、結構名門の家。
そうですね。先祖代々の尺がちょっと、どうかしたら千年みたいな話ですね。
そうですね。
へぇー。何か今日、そりきりさん。
そうですね。本当、あきずき種田根本人じゃないか分からないんですけど、
おそらく保守山城を最初攻められて、
お父さん種方が亡くなった時っていうのは確か9歳ぐらいなんですよ。
ほんとはそこで、お兄さんだった方も亡くなって、
そこで本当は本人も死ぬはずだったんですけど、家臣と一緒に毛利に頼って逃げるんですね。
毛利で2年間ぐらい暮らして、元なりの息子である高本。
高本と義兄弟の地位をかわすほどだけに、毛利氏に厚い信頼を。
一方では多分、丹田の中でも絶対に大友を許さないっていう、
なんか反大友みたいな。
小さい頃の思い出として。
それで毛利氏から援軍ももらって、保守山も奪回し、
いろいろ攻めたり降伏したりを繰り返しながら多分ですね、
徐々に徐々に反大友みたいなものを作っていったのかなというのは。
なるほど。だから父ちゃんも兄ちゃんも殺されてるからってことですね。
はい。というのは、もちろん今までの秀吉に攻められる間に、
そういうのがあって、いろいろそういう柱があったから、
島津だったり牛蔵寺だったりやってたのかなっていうのはありますね。
なるほど。ありがとうございました。
次回は、保守山の話を中心に堀切さんに伺おうと思っております。
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ここまで聞いていただきありがとうございました。
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ありがとうございました。
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