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2025-07-20 14:11

25| 隠れた名族秋月氏。秋月城編スタート!

この番組は、福岡県内だけでも1,000近くあったとされる戦国時代の山城の魅力を、現地探訪を交えて紐解き、熱く語り合う番組です。山城研究は地理学、歴史学、軍事学、地域経済学などいくつもの側面があります。かつて、その地で暮らした人々の息吹をあなたも一緒に感じてみませんかー。

今回からのシリーズは福岡県朝倉市にある秋月城。鎌倉時代から戦国時代にかけてこの地を統治した秋月氏の歴史に迫ります。

◆出演:堀切凡夫(お城映像クリエーター)、中山紘一郎(しかのすけ/販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:中山 紘一郎/ディレクション:坂本信博(報道センター総合デスク)、梁京燮(豆吉郎社長)

◆収録日:2025年7月13日

◆「空から攻める」堀切凡夫Neo2(YouTube)
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サマリー

このエピソードでは、西日本新聞のパーソナリティが秋月氏とその歴史を探求します。特に秋月城や平安時代から戦国時代にかけての秋月氏の成り立ちについて詳しく解説しています。また、戦国時代から江戸時代にかけての秋月氏の動向や名門の由来についても深く探っています。

秋月城への旅
西日本新聞Podcast
西日本新聞 戦国山城Podcast
この番組では、福岡県内だけでも戦地核あったとされる、戦国時代の山城の魅力を、現地を歩きながらお話ししてまいります。
こんにちは、福岡のユースアプリ、西日本新聞2の横山智則です。
こんにちは、西日本新聞社の鹿之助こと中山光一郎です。
こんにちは、お城映像クリエイターの堀木光一郎です。
お疲れ様です。
お疲れ様です。
僕らは今、どこに来てますかね、というところからスタートですよね。
今、我々が来ているのは、福岡県浅倉市、秋月に来ています。
浅倉市の少し山の方、ということですよね。
久しぶりに堀木さんを交えての。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本気の現地探訪ということで。
実を言うと、今僕らは秋月の浄化町をぐるっと一周回ってきて、
秋月の名物のくず切りをいただき、お腹いっぱいになったところで収録と。
僕らの中ではなんとなく一周回っているんですけども、
秋月編としては今回が1回目でございますので、そこから行きたいなというふうに思ってまして、
どこから行きましょうかなんですけど、
秋月市とは?
そんな感じですか?
秋月という地名がありますけども、
そこに浜倉時代から戦国時代にかけてこの地を治めていた秋月市のお話は最初にできたらなと。
浜倉時代から秋月市はここにおらっしゃった、秋月さんは。
そうですね。順を追って見ていきましょう。
そもそも秋月市とはって話なんですけども、
時代は平安時代中期に遡る。
結構昔まで行くんですね。
この時に藤原隅友の乱というのがあるんですが、
これが有名な平野政門の乱と、
そこは何か聞いたことあるかもしれない。
同時期に起こった朝廷に対する反乱。
この時に藤原隅友は瀬戸内海から近畿地方にかけて反乱を起こすんですけども、
その際に討伐軍として指名されたのが大袋春実という人物。
彼は元々トライジンというか中国の後漢の皇帝の末裔にあたる人物で、武士でした。
彼を祖とするのが秋月市という一族なんですけども。
そうなんだ。じゃあ元々は中国の方?
そうですね。
秋月氏の起源
辿っていけば?
一応伝承では。
言われています。
そういう人ってたくさんおるもん?
先祖は中国の偉い人でした、今は日本の武士ですみたいな人っていうのは珍しい話?
有名な例で言うと旗さんですよね。
旗さん?
旗さんってちご取ったらごめんけど、総理大臣もした旗さんの旗さん?
全然違う。
漢字も違う。
新の国の中国の旗です。
新の始皇帝の新?
その旗さんですね。
その人も元々は中国の人だった?
そうですね。旗さんは有名な例だと旗織りとかも新の始皇帝の新から来ているっていう。
本当かどうかわからないですけど。
っていう風なのがよく言われる話ですね。
だから元々は中国から来た人がおって、その人が平安時代の乱の時に侵圧する側として行けと言われて。
それが大蔵、春山に来るとした。
この大蔵氏、後に分かれて原田氏になるんですけども、
彼らは平安時代末期には平家型?平の清盛。
彼らに仕えていた家柄でして。
秋月氏の歴史を記した秋月家の本みたいには、
紀蘇義永、源頼朝のいとこに当たるんですよね。
京都を攻め上がる時の平家は安徳天皇を連れて下関とかこっちの方に逃げてくる。
その際に原田種直という人物がいるんです。秋月氏の先人だったという人物なんですけど。
自分の館を天皇の御所に提供した。
そういうふうに。
バリバリの平家型だったってことですね。
そうですね。
ですが平家も滅んでしまって、でも当時の原田家は平家型ですから、
処刑されるのかと思いきや許されて、
次は鎌倉幕府の自刀として活用される。
歴史で習いました。守護自刀の自刀ですね。
当時は筑前の国、宇都省、宇都島ですね。
宇都島の人に任命されます。
なるほど。
じゃあ、ずっとたどると中国から渡ってきて、日本で武士になり、平家型として戦い、
その後、鎌倉時代になったら宇都島にやってくると。
この秋月藩のご先祖様はと。
この頃に原田氏が秋月に領地を頂いて管理するようになって、
そこが秋月藩というところで、その名前を取って秋月氏と名乗るようになる。
そこで秋月の名前が出てきた。
なるほど。そういうことなんですね。
だから宇都島もやってました。隣ってわけじゃないけど秋月も治めてましたってことになるんですね。
この後、鎌倉時代から戦国時代が終わりくらいまでは秋月氏が秋月を治めることになっていきます。
ちょっと時代は後の方に行きますね。室町時代に入ります。
旅立り戦国山次郎ポッドキャストという名前が出ている大内氏中将に、当時の秋月種方という党首が接近してですね、
もともと少領主、畜前の国の少領主だったのが、ここら辺のちょっと名の知れた存在になって、
大内氏と大智氏の和睦にも仲介するような大きな存在になっていきます。
しかしですね、大内氏も末晴方の無奉によって勢力が弱まってしまうんですね。
当時の党首が吉高が自衛すると北部九州の勢力が大きく変わって、
武前にいる大友総理と大内氏に代わって九州進出を目指す毛利元内との間で対立が起こる。
この時秋月種方はどちらに味方したかというと、毛利氏の方です。
なので大友総理はそれを理由にですね、討伐を行い秋月氏の、実はここで一回転びてしまう、秋吹氏は。
ここを攻められるんですか、この秋月氏は。
ここも落とされて羽方も、その息子も、着南も殺されてしまいます。
ここで終わるかと思いや、
ここで終わってたらここは秋月っていう罪じゃなかったかもしれないですね。
ならなかったのが、羽方の地難にあたる羽座根が御家最高を目指して、
もう一度古書山城に入って、そこから大友氏への反旗を翻すんですが、また降伏してしまいます。
島津氏との関係
やっぱり大友強いんですね。
大友は強いです。長者はめちゃくちゃ強い。
それでも高橋昭種という人物がいるんですけども、
彼が大友氏に反旗を翻すと羽座根もまた離反して反乱を起こすんですが、
この時ですね、大友氏は大群を秋月に送るんですが、
この時秋月種々は2000の兵を率いて、大友型の陣に突撃するんですけども、
2000では少なかったってことですよね。
圧倒的に少ない感じで突撃して、これを打ち破ることに成功して、夜襲を行ったんですけども、
夜打ちをかけたということですね。
そうですね。これにより秋月種の独立というのが果たされたわけで、
以後佐賀の隆三寿氏と手を組みながら勢力を拡大していきます。
隆三寿氏は沖天縄での戦いで戦死してしまうんですけども、
その後は島津氏と手を組んで、結局蓄税の中でも大勢力になって、
推定で言うと一施設には36万国。
かなりの蓄税の上の大部分を勢力化に収めることに成功します。
ですが、もともと大友型の領地だったわけですね。
大友型は島津家に追い詰められていく過程で、
豊臣秀吉に助けを求めます。
これは前々回でも岩屋城のあたりの話に繋がっていく話ですね。
あきずき氏は島津型なので、最初は徹底抗戦の構えを見せるんですけども、
結局は降伏してしまって、
徹底抗戦というのは大友であり豊臣に対する徹底抗戦ですね。
島津と一緒に戦うのとの姿勢を見せるんですけども、
結果的には降伏して、種々の神を提発して、
秋月氏の歴史
御坊さんで頭を丸めて降伏しに行くわけなんですけども、
結局どういう処分が言い渡されたかというと、
大友としてのあきずき氏は、立場は保全というか保障するけど、
あきずきからは出てってねと。
宮崎県、休河の国に行ってねと。
田舎の方にやられたみたいな。
なので、種々自身もあきずきという土地をものすごい気に入っていたそうで。
いいとこですもんね。
俺も見に行ってきましたけど、すごいいいところで。
出てきたくないって言いながらも、命令ですから行かなくちゃいけない。
ここであきずき氏とあきずきの関係は一度切ってしまうという形で。
戦国時代で言うと、出て行っちゃったっていうのがいつ頃になるんですか?
江戸時代への移行
1590年分。
戦国時代のもう最後、本当に終わりの方になってくるんですね。
はい。
その辺りまでですか?
もうちょっと進む?
その辺りまで。
今日は。
ということで、ちょうど江戸時代が始まる一歩手前ぐらいまでの話ってことになるんで。
でもなんか、今まで結構戦国山城ポッドキャストは、戦国時代中心で話してきましたけど、
だいぶ平安から行くんですね、今回は。
そういう意味では。
有名じゃないですけど、結構名門の家。
そうですね。先祖代々の尺がちょっと、どうかしたら千年みたいな話ですね。
そうですね。
へぇー。何か今日、そりきりさん。
そうですね。本当、あきずき種田根本人じゃないか分からないんですけど、
おそらく保守山城を最初攻められて、
お父さん種方が亡くなった時っていうのは確か9歳ぐらいなんですよ。
ほんとはそこで、お兄さんだった方も亡くなって、
そこで本当は本人も死ぬはずだったんですけど、家臣と一緒に毛利に頼って逃げるんですね。
毛利で2年間ぐらい暮らして、元なりの息子である高本。
高本と義兄弟の地位をかわすほどだけに、毛利氏に厚い信頼を。
一方では多分、丹田の中でも絶対に大友を許さないっていう、
なんか反大友みたいな。
小さい頃の思い出として。
それで毛利氏から援軍ももらって、保守山も奪回し、
いろいろ攻めたり降伏したりを繰り返しながら多分ですね、
徐々に徐々に反大友みたいなものを作っていったのかなというのは。
なるほど。だから父ちゃんも兄ちゃんも殺されてるからってことですね。
はい。というのは、もちろん今までの秀吉に攻められる間に、
そういうのがあって、いろいろそういう柱があったから、
島津だったり牛蔵寺だったりやってたのかなっていうのはありますね。
なるほど。ありがとうございました。
次回は、保守山の話を中心に堀切さんに伺おうと思っております。
最後に番組からお知らせです。
西日本新聞社では、西日本新聞民の法人会員様向けのサービスとして、
会社や団体の研修会に記者を講師として派遣いたします。
実際に取材で得た情報も交えて、政治や経済、
地域の課題などご要望に応じてお話をいたします。
概要欄のメッセージ受付フォームからご連絡いただければ、
私の方からお理解をいたします。お気軽にお問い合わせください。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
堀切さんの「空から攻める」はYouTubeで好評配信中です。
そして西日本新聞の白戦国救出ドローンは、
西日本新聞とスマホアプリの西日本新聞民で連載中です。
ご報告をお願いいたします。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
西日本新聞民です。
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そう、福岡の味方西日本新聞民。
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