実は九州以外にもですね
駅にこういった跡が残っているところが実はあって
全国各地関西とか関東にもあるんですけど
関東で一つですね有名なところがあって
今YouTubeご覧の方にはちょっといかつい天狗のお面というか
石のモニュメントがあるんですけど
この駅ご存知ですか?
存知あげないですね
これはですね東京の方だと中央線の終点で有名な高尾駅
高尾山の天狗伝説にちなんだもので
ホームに鎮座してるんですけども
別にこれは特段戦争とは関係のないものなんですけども
実はこのホームにですね屋根があるんですけど
ホームの屋根の一部はですね
昔の古いレールをそのまま柱として活用して
レールって頑丈なので
普通に屋根を支える柱とか梁とかだったら全然使えるんです
なので別にこれは高尾駅に限らず九州の駅でもですね
佐賀の鳥栖駅とかもそうなんですけど
古いレールを活用してホームの屋根を支える柱とか梁に使ってる例はあるんですけれども
その高尾駅のホームにあるレールの一部にですね
不自然にえぐれたところがあるんですよね
これはですね高尾駅が米軍機の機銃射射を受けた時の
弾が当たった後だというふうに言われてまして
実際ホームにはちょっと今回写真はちょっとないんですけども
これがその銃撃を受けた後と
されていますというような案内があったりとかするんですけれども
こんな硬い鉄の古いレールを活用したものですけど
レールが金属がえぐれるぐらいの威力があるっていうのは
これを見てすごくわかるなって思いますね
だから本当高尾駅今でこそ中央線の快速電車の終点ということですけども
ただ今立地してるのはやっぱり東京の郊外なんです
都市部じゃないんですよ決して
都市部の外れと言ったら失礼ですけど
そんな感じ決して都心の駅ではないんですけど
ここも同じように中央本線という路線自体が昔からですね
東京と長野とか松本とかですね
そういった内陸部を結ぶ要所というか
重要なルートだったっていうのはあるんでしょうけども
とはいえそういったとこも狙われたんだっていうのはですね
しかもホームのすぐ上の柱ですから
当然その下には人がいたかもしれないですしね
ちなみにこれも戦争とは直接関係はないんですけれども
高尾駅のこのレールを使った柱でもう一個ですね
ちょっと余談ではあるんですけどご紹介したいものがあって
このホームのですね真ん中にですね
レールを活用した柱が立ってるんですけども
基本的にほとんどの柱はですね白く塗装されているんですが
一部ですね塗装がないところがあって
なぜこれ塗装がされてないのかというと
実はですねここにレールの製造された時の刻印が残ってるんです
その刻印を読み解くと1902年に
九州の八幡製鉄所で作られたレールだってことが読み取れるんです
なぜ1902年のレールが貴重なのかというと
八幡製鉄所でこういった鉄の製品の製造が本格的に始まったのが1901年なんですけども
その翌年に作られたことがわかると
しかも1901年製のレールっていまだに見つかってないらしいんですよ
多分どっかにあるのかもしれませんけど
ただもうだいぶ古いですし当時そんなに生産量がなかったので
もうこの世に存在しないのかもしれませんけど
少なくともこの高尾駅のホームにあるこのレールの柱は
古いレールを使った柱は八幡製鉄所の当時のマークと1902っていう
どっかに書いてるんですか
ちょっと見えづらいですけど確かに数字で書いてあるんですよ
なのでこれが減損が確認されている最古の八幡製鉄所のレールだ
国産レールだというふうには言われててですね
ただですねこれ高尾駅なんですけど実は長崎県の佐世保線の三河地駅にも
1902年製のレールがあってだからどっちが先にできたかわからないんですけど
ただ西暦年ベースでいうと長崎県の三河地駅の待合室に使われている
そのレールの部材も日本国産最古級のものだというふうに
言ってもいいんじゃないかなというふうに思います
ちなみにこの高尾駅の写真も中原さんが撮ったんですか
もちろんです
この哲学の旅で使っている写真は基本的に私が現地に足を運んで撮った写真ですので
高尾駅に1902年の八幡製鉄所の柱レールが使われているのもすごいんですけど
それを見定めて撮影しているあなたもなかなかすごいさすがてっちゃうんだなという
この時確かですねちゃんと事前にJR東日本さんに取材の旨を伝えて
その時まだ取材記者だったんで話を通して公式に撮影させてもらったものですので
なるほどですね
という形で他にも今回ご紹介してない駅は他にもですね
戦争にまつわる駅は他にもあるんですけれども
一方で国外にも第二次世界大戦というくらいですから
世界各地で戦争が行われた時代があるんですけども
やっぱり駅が被災した跡が残っているところがあって
それがこちらなんですけどどこかわかりますか
どこでしょう
ちょっと洋風な感じが
ごめんとですねヨーロッパのペルリンにあるアンハルターという駅の跡なんですよ
ペルリンというとやっぱりですね第二次世界大戦中は
ナチスドイツでヒトラーがいたところなんですけれども
当然やっぱりですねアメリカとかソ連とかですね
イギリスからすると敵国の首都ですから相当な爆撃を受けてるわけですよね
でその後はペルリン市街地でですね
そういった戦闘が繰り広げられたので
このアンハルター駅も戦争が起きる前までは
長距離列車がですね国際列車がたくさん発着する大きいターミナルだったそうなんですけども
戦時中の爆撃とかですね戦闘によって
立派なファサードを持っていた駅もですね崩れ落ちてしまって
今はもう正面ファサードの壁一枚だけがほぼ残ってるような状況になって
これ先ほどの写真の裏側
裏側の方ですね
この駅の近くにはですね防空壕もあって
その防空壕は駅の利用者の方が避難するための巨大な防空壕だったという風に
当時訪ねた時にですね解説されてたんですけども
こんな感じでやっぱりこう街中にこれほど大きなですねモニュメントが残ってると
今はここに駅はないんですよ
もうホームも全て撤去されてないんですけども
こういったものがあるとやはり駅が重要拠点だったから爆撃されたのかなとか
そういうことも思いを馳せられるなというふうに思います
ちなみにこの写真撮ったのは2013年で今からちょっと12年ほど前ですので
今もしかすると少しまた変わってるかもしれませんけども
でももし今もあるんだったらぜひこれからもですね
歴史を伝えるために残してほしいなというふうには思います
この企画の中で中原さんがそのものとして戦争を語り継ぐものが残っていけば
っていうのをおっしゃったと思うんですけど
私も取材する中で80年経っていてさすがにものそのものを風化したり
守る人がいなくなって劣化して崩れていくっていうのがすごく多くて
伝えるべき人もそしてものもどんどん失われていく中で
どういう形で継承していけばいいんだろうなっていうのは取材する中で思ってました
そうですね確かにもちろん人間も年を取っていったりして
最終的に亡くなってしまって語れなくなるし
ものもやっぱり人間よりも寿命が長いものもあるんですけど
結果的に失われてしまうものもあるので
なかなかそういった中で維持していくっていうのが難しいなというのは思います
ただ以前の回で長崎県の戦争にまつわる駅をご紹介した時に
被爆当時から営業している駅舎ということで
長崎市郊外の道野駅をご紹介しました
道野駅は繰り返しますけど原爆にはあってるんです
ただ爆心地から3.5キロあったので
駅自体の原型を留める形で何とか残ったんですね
ただ長崎市内で被爆建造物っていうのを市がランクをつけてリストアップしてるんですけれども
長崎市では原爆であったもの
長崎市も同じことを考えていて原爆にあったもの
建物とか樹木とかそういったものを保存することで
そういったものが語る戦争ということで
これからも繋いでいこうってことをしてるんですけど
長崎市は被爆建造物をABCDでランク分けしてるんですよ
ただその中で市としてお金を出して補修していこうとしてるのは
ABランクまでですね
選定の基準は爆心地からの距離だとか
被爆の痕跡がどれくらい残ってるかとか
そういったもので判断されていて
以前調べた限りでは道の尾駅は入ってないんです
だけど道の尾駅は長崎編でもお話ししましたけども
救護所の目の前で救護の現場になって
被爆者の方を助けた救援列車の発着点にもなったと
そういう物語があるところなんですよね
だから単に戦争の視覚的に
物理的な機銃装置の跡が残ってるとか
戦争の痕跡だけではなくて
それにまつわる物語
そこで何があったのかって物語をセットにして
残すか残さないか補助するかしないかっていう
判断をするのも必要じゃないかなと思います
じゃないと道の尾駅はいずれもしかすると老朽化でなくなっちゃうかもしれません
だけど道の尾駅が被爆直後に大事な拠点になったっていうのは
歴史として事実としてあるので
単に原爆の痕跡があるかどうかとか
爆心地からの距離とかで判断せずに
そういった物語で勝ちづけして
残すか残さないか判断していくってことも
これからちょっと大事になってくるんじゃないかな
っていうのはちょっと思ったりしました
今ちょっと話を聞いていると思ったことです
ということで今回戦後80年の夏
特に8月ということで