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2025-08-28 17:48

43|【戦後80年】駅にも戦争があった④南九州編&番外編~鹿児島駅に落ちた爆弾…犠牲者刻む慰霊碑

ご乗車ありがとうございます。この番組では西日本新聞の“乗り鉄”記者が鉄道旅の魅力について広く深くマニアックに語っていきます。

80年前の太平洋戦争では、鉄道の駅も戦禍に見舞われました。戦後80年企画として「駅にも戦争があった」と題して、当時の記憶が残る九州各地の駅をご紹介します。4回目は南九州の駅が舞台です。鹿児島県内の鹿児島駅、大隅横川駅のほか、番外編として東京や海外で戦災を受けた駅についてもお伝えします。

なおこの配信回は、過去に西日本新聞朝刊「もっと九州面」で連載した「鉄ガクの旅」の記事内容にオリジナル要素を加えたものです。連載記事も併せてご覧ください。

【動画あり】鉄道記者が訪ねる戦争遺構 駅舎に弾痕、九州各地に(2020年7月15日配信)
https://www.nishinippon.co.jp/item/626117/

【動画】ホームに弾痕、戦争刻む駅を訪ねる 第2章(2021年7月14日配信)
https://www.nishinippon.co.jp/item/769746/

長崎原爆の被爆者救援「311列車」を追体験【鉄道の戦争遺構第3弾】(2022年7月13日付)
https://www.nishinippon.co.jp/item/955418/

長崎線が伝える原爆禍…未来への活用法を思う【鉄道の戦争遺構第3弾】
https://www.nishinippon.co.jp/item/955966/

◆旅人=中原岳(筑豊総局記者)、車掌=宮下雅太郎(MC/お客さまセンター) /音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネスマーケティング部)

◆収録日:2025年6月13日

◆中原岳記者の記事一覧
https://www.nishinippon.co.jp/writer/show/79/

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サマリー

戦後80年を迎えた今、九州の鹿児島県内の駅が戦争の影響を受けた歴史を振り返ります。特に、鹿児島駅の慰霊碑や大隅横川駅の機銃跡について詳しく語られ、戦争の悲惨さやその記憶を次世代に伝える重要性が強調されます。このエピソードでは、戦後80年を迎えた日本の駅に残る戦争の痕跡について語られ、鹿児島駅に落ちた爆弾とその犠牲者を記念する慰霊碑に焦点が当てられます。

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西日本新聞Podcast 西日本新聞 鉄ガクの旅
ご乗車ありがとうございます。この番組では、西日本新聞のノリ鉄記者が、鉄道旅の魅力について広く深くマニアックに語っていきます。
ご案内します車掌は宮下正太郎、旅人は中原岳さんです。中原さん、今回もよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。
中原さん、今回の話のテーマはどういったものでしょうか。
今回はですね、これまで3回は九州の鉄道の駅が戦争に被害のあったところを中心にお伝えしてきました。
その駅にも戦争があったということで、戦時中ですね、今年が太平洋戦争が終わってから戦後80年の締めの年ということで
九州各地にある駅にもそういった戦争の跡が残っているということで、これまでですね
福岡、佐賀、長崎、熊本、大分の駅をですね、いくつかご紹介してきましたけれども
今回は南九州編ということで、鹿児島県にある駅2つをですね、ご紹介しようと思っております。
あとは番外編として九州以外の駅にも触れておきたいと思います。
ではですね、話を進めていきたいと思います。
鹿児島駅の慰霊碑
まず鹿児島県の鹿児島駅のことをご紹介しようと思います。
鹿児島の市内の駅で一番大きいのは新幹線の終着でもある鹿児島中央駅なんですけれども
その一つですね宮崎より東側に鹿児島駅という少し小さめの駅があります。
この鹿児島駅はですね、特急は止まるんですけれども
やっぱり少し鹿児島中央駅が大きいあまりに目立たない存在ではあるんですが
実はその鹿児島駅のホームに慰霊碑が一つ建っております。
この慰霊碑はですね、太平洋戦争中にこの鹿児島駅周辺が爆撃されて空襲を受けて
その際ですね駅も空襲を受けて壊滅しまして
そこで亡くなった職員の方を痛む日となっております。
実際ですねこの日にはですねその言われが刻まれているんですけれども
それをちょっと読みたいと思うんですが
第二次世界大戦の末期昭和20年7月27日12時45分
鉄器の大空襲によって鹿児島駅は壊滅した。
この時職場を守り尊い犠牲となられた12名の霊を慰めるため
33階駅にあたって関係者一同を相談り
被爆後にこれを混流するという風な日があります。
ここには亡くなられた方のですねお名前と肩書きですかね
肩書きとお名前と年齢が載っているんですけれども
これを年齢をよく見るとですね19歳、19歳、17歳、18歳、10歳、19歳
中には16歳という方もいらっしゃいますね。
こういった形でですね今の高校生大学生ぐらいの方がですね
亡くなられているというのがわかるんですよね。
女性も多いですよね。 そうですね女性と思われる名前も並んでますね。
だから当時はやっぱ戦争兵隊に男性の職員が取られて
その穴埋めと言ったら失礼ですけど
代わりに女性が動員されたり若い人が動員されたりとかして
結果的に駅で働いていて空襲にあって亡くなってしまうというところですね。
だから戦争がなければ当然長生きされたとは思うんですけども
こういったやっぱり年齢、名前ももちろんそうなんですけど
年齢を見るとやっぱり目に迫るものがありますね。
ただですねこの履歴があるのが本当に駅のホームの端の方なので
なかなかちょっと目立たないんですよね。
しかも最近は列車の編成が短くなって
ホームに行く階段のそばにしか列車が止まらなかったりするので
かえってこの日がわかりづらいなと思うんですけども
もし鹿児島駅を利用される方がいたら
ぜひちょっとこの日を見つけて思いをさせてほしいなというのは思います。
大隅横川駅の機銃跡
一方でですね鹿児島県内のローカル線の方でもですね
被害があった駅があって
それはですね被殺戦の大隅横川駅っていうところですね。
今YouTubeをご覧の方にはですね
古い木造駅舎とその背後に山が映っている写真がありますけど
本当に静かな田舎の駅なんですよ。
ただこの古い木造駅舎にですね実は断根が残っていて
それはですねホームにもちゃんと札が下がっていて
機銃操作の後というふうに書かれております。
よく見ると玉が貫通してるんですよね。
他にもですねこの駅舎の壁にも
それそうじゃないかなと思われる穴があったりとかしててですね
こういったものをですね
わりとこれって目線の高さというか
少し人間の身長より高いところにあったりとかするんで
すごい間近に見れるんですけど
こういうのを見るともしこういうものに当たったら
ひとたまりもないだろうなっていうのがですね
その機銃操作の後の柱の奥に
白い壁が見える部分があるんですが
そのサイズというかかなり太い形でえぐれているということですね
もちろん経年劣化の中で穴が広がっていった可能性もあるんですけど
こういったものをですね
打ち込まれてしたら大変というか
もう無事では絶対済まないでしょうし
でもですねやっぱりこういった木造の駅舎が残っているだけでも
奇跡的なことなんですけど
やっぱりここもそうなんですけど
やはり利用者の方に向かって
これがこの穴の言われをですね
機銃操作の断魂の後をですね
こうやって紹介してもらえるとすごくやっぱり
降り立った人にとってはですね
そういう歴史があるところなんだっていうのがわかりますよね
こういった形でですね
やっぱり語り継ぐ一つのですね
目印というかこういったものがあるとすごくいいなというふうに
前回の熊本大分編でも感じたんですけど
こういう田舎というかですね
都市部ではない駅まで狙われて
いかにそういう駅が洋装であったかというか
米軍機からすると狙いどころであったかというと
どれだけここで惨劇が広がっていたのかなというのは
ちょっとなかなかですね
想像するのは難しいなというふうに思いました
そうですね
あと当時の日本というのは
もうそんなとこまで追い込まれていたんだけど
戦争を続けてしまったというところがですね
だからもう少し早く戦争が終わっていれば
原爆も投下されなかったしということで
それはタラレバの話にはなるんですけれども
まずはやっぱり戦争は絶対起こしちゃいけないというのは
その通りですし
やっぱりそういったことが二度と起こさないためにも
やっぱりこういったものとして
物が語る戦争っていうのは一つ大事だなというふうに思います
ということで鹿児島県の二つの駅をご紹介したんですが
高尾駅の歴史
実は九州以外にもですね
駅にこういった跡が残っているところが実はあって
全国各地関西とか関東にもあるんですけど
関東で一つですね有名なところがあって
今YouTubeご覧の方にはちょっといかつい天狗のお面というか
石のモニュメントがあるんですけど
この駅ご存知ですか?
存知あげないですね
これはですね東京の方だと中央線の終点で有名な高尾駅
高尾山の天狗伝説にちなんだもので
ホームに鎮座してるんですけども
別にこれは特段戦争とは関係のないものなんですけども
実はこのホームにですね屋根があるんですけど
ホームの屋根の一部はですね
昔の古いレールをそのまま柱として活用して
レールって頑丈なので
普通に屋根を支える柱とか梁とかだったら全然使えるんです
なので別にこれは高尾駅に限らず九州の駅でもですね
佐賀の鳥栖駅とかもそうなんですけど
古いレールを活用してホームの屋根を支える柱とか梁に使ってる例はあるんですけれども
その高尾駅のホームにあるレールの一部にですね
不自然にえぐれたところがあるんですよね
これはですね高尾駅が米軍機の機銃射射を受けた時の
弾が当たった後だというふうに言われてまして
実際ホームにはちょっと今回写真はちょっとないんですけども
これがその銃撃を受けた後と
されていますというような案内があったりとかするんですけれども
こんな硬い鉄の古いレールを活用したものですけど
レールが金属がえぐれるぐらいの威力があるっていうのは
これを見てすごくわかるなって思いますね
だから本当高尾駅今でこそ中央線の快速電車の終点ということですけども
ただ今立地してるのはやっぱり東京の郊外なんです
都市部じゃないんですよ決して
都市部の外れと言ったら失礼ですけど
そんな感じ決して都心の駅ではないんですけど
ここも同じように中央本線という路線自体が昔からですね
東京と長野とか松本とかですね
そういった内陸部を結ぶ要所というか
重要なルートだったっていうのはあるんでしょうけども
とはいえそういったとこも狙われたんだっていうのはですね
しかもホームのすぐ上の柱ですから
当然その下には人がいたかもしれないですしね
ちなみにこれも戦争とは直接関係はないんですけれども
高尾駅のこのレールを使った柱でもう一個ですね
ちょっと余談ではあるんですけどご紹介したいものがあって
このホームのですね真ん中にですね
レールを活用した柱が立ってるんですけども
基本的にほとんどの柱はですね白く塗装されているんですが
一部ですね塗装がないところがあって
なぜこれ塗装がされてないのかというと
実はですねここにレールの製造された時の刻印が残ってるんです
その刻印を読み解くと1902年に
九州の八幡製鉄所で作られたレールだってことが読み取れるんです
なぜ1902年のレールが貴重なのかというと
八幡製鉄所でこういった鉄の製品の製造が本格的に始まったのが1901年なんですけども
その翌年に作られたことがわかると
しかも1901年製のレールっていまだに見つかってないらしいんですよ
多分どっかにあるのかもしれませんけど
ただもうだいぶ古いですし当時そんなに生産量がなかったので
もうこの世に存在しないのかもしれませんけど
少なくともこの高尾駅のホームにあるこのレールの柱は
古いレールを使った柱は八幡製鉄所の当時のマークと1902っていう
どっかに書いてるんですか
ちょっと見えづらいですけど確かに数字で書いてあるんですよ
なのでこれが減損が確認されている最古の八幡製鉄所のレールだ
国産レールだというふうには言われててですね
ただですねこれ高尾駅なんですけど実は長崎県の佐世保線の三河地駅にも
1902年製のレールがあってだからどっちが先にできたかわからないんですけど
ただ西暦年ベースでいうと長崎県の三河地駅の待合室に使われている
そのレールの部材も日本国産最古級のものだというふうに
言ってもいいんじゃないかなというふうに思います
ちなみにこの高尾駅の写真も中原さんが撮ったんですか
もちろんです
鹿児島駅の戦争の痕跡
この哲学の旅で使っている写真は基本的に私が現地に足を運んで撮った写真ですので
高尾駅に1902年の八幡製鉄所の柱レールが使われているのもすごいんですけど
それを見定めて撮影しているあなたもなかなかすごいさすがてっちゃうんだなという
この時確かですねちゃんと事前にJR東日本さんに取材の旨を伝えて
その時まだ取材記者だったんで話を通して公式に撮影させてもらったものですので
なるほどですね
という形で他にも今回ご紹介してない駅は他にもですね
戦争にまつわる駅は他にもあるんですけれども
一方で国外にも第二次世界大戦というくらいですから
世界各地で戦争が行われた時代があるんですけども
やっぱり駅が被災した跡が残っているところがあって
それがこちらなんですけどどこかわかりますか
どこでしょう
ちょっと洋風な感じが
ごめんとですねヨーロッパのペルリンにあるアンハルターという駅の跡なんですよ
ペルリンというとやっぱりですね第二次世界大戦中は
ナチスドイツでヒトラーがいたところなんですけれども
当然やっぱりですねアメリカとかソ連とかですね
イギリスからすると敵国の首都ですから相当な爆撃を受けてるわけですよね
でその後はペルリン市街地でですね
そういった戦闘が繰り広げられたので
このアンハルター駅も戦争が起きる前までは
長距離列車がですね国際列車がたくさん発着する大きいターミナルだったそうなんですけども
戦時中の爆撃とかですね戦闘によって
立派なファサードを持っていた駅もですね崩れ落ちてしまって
今はもう正面ファサードの壁一枚だけがほぼ残ってるような状況になって
これ先ほどの写真の裏側
裏側の方ですね
この駅の近くにはですね防空壕もあって
その防空壕は駅の利用者の方が避難するための巨大な防空壕だったという風に
当時訪ねた時にですね解説されてたんですけども
こんな感じでやっぱりこう街中にこれほど大きなですねモニュメントが残ってると
今はここに駅はないんですよ
もうホームも全て撤去されてないんですけども
こういったものがあるとやはり駅が重要拠点だったから爆撃されたのかなとか
そういうことも思いを馳せられるなというふうに思います
ちなみにこの写真撮ったのは2013年で今からちょっと12年ほど前ですので
今もしかすると少しまた変わってるかもしれませんけども
でももし今もあるんだったらぜひこれからもですね
歴史を伝えるために残してほしいなというふうには思います
この企画の中で中原さんがそのものとして戦争を語り継ぐものが残っていけば
っていうのをおっしゃったと思うんですけど
私も取材する中で80年経っていてさすがにものそのものを風化したり
守る人がいなくなって劣化して崩れていくっていうのがすごく多くて
伝えるべき人もそしてものもどんどん失われていく中で
どういう形で継承していけばいいんだろうなっていうのは取材する中で思ってました
そうですね確かにもちろん人間も年を取っていったりして
最終的に亡くなってしまって語れなくなるし
ものもやっぱり人間よりも寿命が長いものもあるんですけど
結果的に失われてしまうものもあるので
なかなかそういった中で維持していくっていうのが難しいなというのは思います
ただ以前の回で長崎県の戦争にまつわる駅をご紹介した時に
被爆当時から営業している駅舎ということで
長崎市郊外の道野駅をご紹介しました
道野駅は繰り返しますけど原爆にはあってるんです
ただ爆心地から3.5キロあったので
駅自体の原型を留める形で何とか残ったんですね
ただ長崎市内で被爆建造物っていうのを市がランクをつけてリストアップしてるんですけれども
長崎市では原爆であったもの
長崎市も同じことを考えていて原爆にあったもの
建物とか樹木とかそういったものを保存することで
そういったものが語る戦争ということで
これからも繋いでいこうってことをしてるんですけど
長崎市は被爆建造物をABCDでランク分けしてるんですよ
ただその中で市としてお金を出して補修していこうとしてるのは
ABランクまでですね
選定の基準は爆心地からの距離だとか
被爆の痕跡がどれくらい残ってるかとか
そういったもので判断されていて
以前調べた限りでは道の尾駅は入ってないんです
だけど道の尾駅は長崎編でもお話ししましたけども
救護所の目の前で救護の現場になって
被爆者の方を助けた救援列車の発着点にもなったと
そういう物語があるところなんですよね
だから単に戦争の視覚的に
物理的な機銃装置の跡が残ってるとか
戦争の痕跡だけではなくて
それにまつわる物語
そこで何があったのかって物語をセットにして
残すか残さないか補助するかしないかっていう
判断をするのも必要じゃないかなと思います
じゃないと道の尾駅はいずれもしかすると老朽化でなくなっちゃうかもしれません
だけど道の尾駅が被爆直後に大事な拠点になったっていうのは
歴史として事実としてあるので
単に原爆の痕跡があるかどうかとか
爆心地からの距離とかで判断せずに
そういった物語で勝ちづけして
残すか残さないか判断していくってことも
これからちょっと大事になってくるんじゃないかな
っていうのはちょっと思ったりしました
今ちょっと話を聞いていると思ったことです
ということで今回戦後80年の夏
特に8月ということで
歴史の継承
こういった九州の駅を中心に
戦争にまつわる駅をご紹介していきましたけれども
今後も折に触れてこういった楽しい旅だけじゃなくて
鉄道から読み解く歴史だとか大事な歴史を
これからも折に触れてご紹介していこうと思っております
ということで今後も鉄学の旅よろしくお願いいたします
西日本新聞ミーです
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