西日本新聞Podcast
西日本新聞 鉄ガクの旅
ご乗車ありがとうございます。
この番組では、西日本新聞の乗り鉄記者が、鉄道旅の魅力について、広く深くマニアックに語っていきます。
ご案内します車掌は宮下正太郎、旅人は中原岳さんです。
中原さん、今回もよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いいたします。
今回のテーマは何でしょうか。
今回はですね、全く共感できないようなテーマをちょっと設定しちゃったんですけど。
今まで共感を得られてたような前編になってますけど、さらにマニアックで。
さらにマニアックなところですね。
今回はですね、九州各地のホームが舞台なんですけども。
ただホームといっても、何がホームといってもいっぱいあるじゃないですか。
今回はホームの端っこなんです。
縁のあたりに注目してみたいと思います。
まずですね、今回の話の舞台の最初に選んだのは、佐賀県の佐世保線にある有田駅ですね。
有名な有田駅の有名な有田なんですけども。
有田というのは佐世保線と松浦鉄道が接続するところなんですけども。
今回ですね、このホームの端っこにある面白いものを見つけました。
それがこちらですね。
今、YouTubeをご覧の方にはですね、ホームの縁をこれでもかっていうぐらい拡大して示してるんですけども。
なんか青っぽいゴニョゴニョってしたものと、あと6と885って書かれた赤い文字が、赤とか白の文字があるんですけども。
実はこれですね、私見つけた時にあって言っちゃいましたね。
いや何もないと思います。
宮沢さん見えませんか?
何も見えませんね。
あのですね、わかる人にはですね、噛みあがってくる文字があるんですよ。
見えませんか?
6885じゃなくてですね。
ではなくてですね。
カみたいな文字が見えますね。
いいとこつきましたね。そうなんですよ。
実はですね、これですね、文字を起こすと赤月なんとか号車っていう風な風に。
ここまで来るとそう見えませんか?
まあまあ見えますね。
特にカとツは割とはっきりと見えるんじゃないかなと思うんですけど。
実はこれおそらくですね、おそらくというか間違いないんですけども、以前ですね、このサセボ線を走っていた寝台特急ブルートレインの赤月の乗車位置を示していたものではないかと思われます。
やっぱり乗る場所がどこかわからなかったらお客さん困っちゃうんで、ここら辺で乗る、その手元の切符で何号車って書かれてたら、そこで前で待っとくとドアが目の前に乗れます。
今もありますね。ドアが2ドア3ドア、このドアでここみたいな。
そうですね。乗車位置の案内ですね。
この赤月という車両はですね、昔からですね、九州と関西を結んでいた寝台列車だったんですね。
少し歴史を言いますと、もともと関西方面と長崎サセボを結んでいたので、
なので、この有田駅にあるってことはサセボ行きの赤月が止まっていた位置なんだろうというふうに思われます。
ところがですね、長崎行くとサセボ行きがあったんですけど、サセボ行きの方が先になくなっちゃって、2000年にサセボ発着が廃止されちゃったんですね。
なので、だとすると先ほどのこの青い文字は、もしかすると今が2025年なんで、もう30年とかそれくらい前のものに、
ところにホームの縁に描かれた文字だったんじゃないかなというふうに思われるんですね。
だからあれほど劣化してしまってるんでしょうけど、それでもなんとか赤月って呼べるような字が残ってたのはやっぱり、
ブルートレイン好きとしてはですね、テンション上がりましたね。
消し忘れというか、本来はもう使わなくなってるよっていう。
そうですね、そうなんですよね。この赤月なんですけども、先ほど言いましたように長崎に行く編成もあったんですね。
サセボ、関西、確か京都からですね、佐賀県の比善山口、後北って名前変わりましたけど、後北までは長崎行きとサセボ行きが一緒になって走っていって、
当時の比善山口駅からサセボ行きと長崎行きに分かれていってたんですね。
そのうちのサセボ行きが有田とか通ったんですけど先に廃止されちゃって、その後はですね、長崎行きしか赤月としてはなかったんですけども、
長崎行きの赤月も当然終着駅が長崎なんですけども、実は長崎駅にもですね、
この赤月のホームの床面の方に赤月の文字があるとこがあったんですよ。
あったっていうのはもう過去形なんですよね。
ご承知の通り、長崎駅は駅前の再開発だとか石球新幹線の開通に合わせて駅を少し移転して高架化してしまったので、
新大東駅の赤月が走っていたところの長崎駅はなくなっちゃったんですね。
今、昔の長崎駅の写真を示してるんですけども、今この駅はなくなってしまったんですね。
この駅がまだあった頃に長崎駅のホームの床面にはですね、赤月という字が書かれたんですね。
これはもう割とはっきりと白い文字で赤月というのがですね、書いてあったんですけども、
このホームも今はですね、駅前の再開発でもう全部壊されてしまったので、
もうこの旧長崎駅にあったこのホームの赤月はもう今はもう失われてしまいました。
こんな感じでですね、列車が走らなくなると当然あってもなくてもいいものなので、
特段保存されることもなくなくなってしまったんだろうと思います。
ちなみにこの長崎行きの赤月も2008年に廃止されているので、もう17年以上前には走らなくなっているので。
なのでそういった意味ではですね、やっぱりこのタイミングで写真を記録しておいてよかった。
まだ古い方の長崎駅があるときに記録しておいてよかったなというふうに思いますね。
という形でですね、佐賀とか長崎の駅には新大特急の長崎駅が廃止された後も、
しばらくですね、こういった当時の列車名がわかるような表示が残っていたというところになります。
他にもですね、同じような例がありまして、これは大分県の南部にある埼玉駅ですね。
この埼玉駅はですね、割とはっきりと廃止された列車の名前がですね、乗車位置が残っているところがあったんです。
例えばこれはですね、水星1号って書いてありますね。
この水星というのもですね、関西と宮崎方面を結んでいた、日本航線経由で宮崎方面を結んでいた列車なんですけども、
最後はですね、京都と南宮崎の間を結んでいたんですけれども、こちらも2005年に廃止されてしまったんですね。
最後はですね、1号とか2号とかついてなかったんで、この水星1号って書かれてあるってことは、
もっと昔、本数が多かった時代の名残なんじゃないかなというふうに思われるんですね。
しかも8ってことは8号車とかですね、かもしれないんで。
まだブルートレインに乗ってた人が多かった時代の名残かなと思います。
もう一個ですね、この埼玉駅のホームの端っこにはですね、日南と書かれたものもありまして、
これはですね、日本航線経由で博多と宮崎を結んでいた寝台急行だったそうなんですね。夜行の急行でした。
九州内でも寝台。
昔あれあったんですよ。ただですね、この急行日南もですね、日日本新聞の過去のデータベースをひもといたら、
1993年、もう30年以上前ですね、には廃止されているので、この日南という表示もそれ以前に廃止される前に付けられたものなんだろうなと思います。
ちなみにこの急行日南というのは、もうその93年に廃止されたんですけども、寝台がないですね、座席だけの夜行の電車特急としてはドリーム日輪というのがですね、後を継いだんです。
ただこのドリーム日輪もですね、2011年に廃止されてしまって、九州からは夜行列車が全てなくなってしまったという、そういうことになります。
なのでこの日南というのも、多分宮崎とか大分にお住まいだった方はですね、相当懐かしい名前なんじゃないかなというふうに思います。
すごいですね、こういうホームの端にまで目を光らされて、偶然の出会いにときめけるっていうのは、さすがてっちゃんだなと。
そうですね、私もたまに初めて行くところとかはホームの縁を、列車側の待ち時間のときはですね、ある意味旗から見ると挙動不審な感じがしますね。
そうですね、私も小学生の子供二人いますから、パパみたいなことをちょっと見ちゃいけませんみたいな、そんな動きをしていたら純粋なてっちゃんかもしれないですね。
そうですね、ところがですね、この埼玉駅のこの水星一号とか日南のこの表示なんですけども、ちょっと前にですね、埼玉駅を列車で通ったときに、この表示まだあるかなと思って、列車の窓越しに見たらですね、ホームがどうも作り変えられているような形だったんで。
この写真撮ったのは実は5年ぐらい前なんですよ。だからもしかするとその後ホームがですね、回収されていたらこの表示ももうないんだろうなと思って。
昔のですね、この古き良き時代の列車名がホームの口に残ってたんで、本当この貰えるものならタイルごと貰いたいな、タイルってコンクリートの塊ごと貰いたいなと思って。
持って帰りますかね。
いや多分普通に鉄道のイベントとかで売ったら多分高値で売れるんじゃないかなと思うんですけども。
セディングしたらですね。
多分これももうないんでしょうねというふうに思います。そういった意味では残念なんですけどね。
そしてさらにですね、この日本本線を南に行きまして宮崎県の高鍋駅。この高鍋駅にもですね、同じようなものがあったんですよ。
これ私見たのは2年ぐらい前なんで、これはまだ残ってるかもしれないですね。
それがですね、こっち側の今赤い電車が止まってるんですけども、その手前の方に青っぽい囲いがあるんですよね。
ペンキか何かで青く描かれている。これちょっと拡大してみたいと思います。見えますか宮下さん。
なんかかろうじて5という数字は見えますけども、ここにも実はですね、ある命令者の名前がですね、どうやら隠れています。
上に書いてあるんでしょうね。
見えますか。
分かりません。
何となくなんか濁点のようなものがありますね。
視力検査みたいな。
そうですね、すみませんちょっと。これですね、多分フジと書かれてあるんです。
死に転々は何となく分かりますよね。
分かりますよねと言われればそうですねと答えます。
フの方も、このひらがなのフのですね、曲線が多い漢字も何となくうっすらと読み取れるんですけども。
これはですね、おそらく寝台特急フジという、かつて東京と、かつてはですね、最盛期の頃は日本本線経由で西鹿児島まで、今の鹿児島中央まで走っていて、確か約24時間ぐらいかけて走っていた長距離列車があったんですよね。
当時は日本最長距離を走る列車ということで言われてたんですけれども。
このフジもですね、このフジもですね、だんだんと飛行機とかが発達するに従って、お客さんがだんだんそちらの方に移っていったこともあって、運転区間がだんだんと短くなっていってですね、
最終的にはですね、最終的にと言いますか最後は東京と大分を結ぶ列車になっちゃったんです。
なのでその時点で宮崎県内には乗り入れなくなったので、それ以前だと思われるんですけども、それがなくなったのがですね、1997年11月のダイヤ改正で大板止まりになったということなので、このフジの表記もそれ以前だと思われます。
中村さん質問していいですか。分かればなんですけど、今日のホームの話って全部は寝台列車ばかりですか。
普通の列車じゃなくてなぜ寝台列車が残っているっていう。
そうですね、これはちょっと推測にはなるんですけども、やっぱり寝台列車って昔から結構長い編成で走っていましたし、やっぱりドアが1個しかなかったりとかするんですよね。
それでやっぱり乗車位置を分かりやすくしようと思ってたんじゃないかなとか思うんですけどね。
多分ですね、特急、他の寝台列車に限らず一般の昼間走る特急の表示も見たことありますので、多分寝台列車に限ってやってたわけではないと思うんですよ。
なので本当この話に共感していただける方がいたらですね、YouTubeとかPodcastでいいねボタンを押していただければいいかなと思ってますので、そういった反応をお待ちしております。
と言いたいところなんですが中原さん、なんか聞くところによると鉄学の旅、今回では第一部完というふうに。
どういうことですか。
中原 実はですね、私が異動になりましてですね、西日本新聞社は8月1日が定期異動になってまして、そのタイミングでですね、いろんな多くの社員100人を超える方がですね、異動することになるんですけども、私もですね、この度6年2ヶ月ぶりに取材記者に戻ることになりまして、
今までの3年間は人事部で、その前の3年2ヶ月は指名編集をする部署にいたので、6年2ヶ月間現場から離れてたんですけども、この度取材記者に、人事部から取材記者に戻ることになりまして、しかもですね、本社ではなく、いわゆる手先の取材拠点に行くことになりまして、その行き先がですね、福岡県飯塚市の地方総局というところになりました。
なので、このポッドキャストとかYouTubeの収録をしているのが、西日本新聞社の本社の近くにあるNスタジオ天神というスタジオで撮っているんですけども、さすがにこの収録の度に福岡に来る、仕事の合間を乗って来るのはちょっと難しいなっていうのもこれありで、このタイミングでですね、一回ちょっと哲学の度、ポッドキャストとしては一区切りをつけようかなというふうに思いまして、
今回で一旦第一期間ということでしたいなと思っております。
じゃあこれをお聞きの方、ご覧の方で復活を求める声がありましたら、ひょっとしたら第二部ということで、これ地方から地方の列車特集みたいになるんですか?
そうですね、今後もちろん市面にも記事を書いていきますし、西日本新聞の地方総局がある地方エリアというのは、結構JRだとか、第三セクターで言うと平成地方鉄道っていう第三セクターもありますし、あと数年前に豪雨で被災した日田彦山線を一部バスに転換したBRTがあったりとか、結構交通的には交通関係では面白い地域なので、
今後は市面を通じてそういった情報を読者の皆さんに届けていきたいなと思いますし、たぶんそういうふうな取材をしているとしゃべりたくなってくると思うんですよ。
なのでもしですね、私のしゃべりたくなった気持ちと、この番組の第二期を希望する気持ちの方が多くなったら、もしかすると何らかの形でまたカムバックするかもしれませんので。
これをお聞きのテッチャーの皆さんはコメントをお寄せくださいというところでよろしいですか。
YouTubeとかですね、いろんなところにコメントがありますので、ぜひこういった取材をしてほしいという要望でもいいので。
じゃあ最終回ではなくてあくまで第一部間というところで。
第一部間ということで、一旦これでですね、一区切りつけようと思いますので。
これまで本当1年ぐらいでしたかね。去年の11月ぐらいに始まったので、前の年の11月からちょうど1年間ぐらいほぼ毎週配信続けてきましたけども。
よくここまでネタが持ったなというふうに思うので。
本当ですね。
ということで、これからしばらくまた充電してですね、またネタを貯めてですね。
またいつかこの皆さんの前にですね、戻ってこれたらいいなと思ってますので、その際はまたよろしくお願いいたします。
西日本新聞MEです。このアプリではあなたの知りたい記事から福岡の経済・社会・子育て・教育・イベント情報・ライブカメラ・マップでわかる防犯情報に特集記事・調査を依頼できるあなたの特命取材班速報。
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